第三十話 S級ですか? こちらはDの一族です
夜が明けた。約束どおり、ハンターギルドへ顔を出す。何の用かは知らないが、ドイルが呼んでいたらしい。ついでに最後のノルマでも片付けて、そのまま一年ぐーたらできたら最高だ。残りの用事はメイドの件くらいか。時間が余ったら、オージのところにも顔を出しに行こうかな。
ギルドの扉を押すと、朝から熱気が凄い。汗と鉄と、安い酒の名残の匂い。床は昨日の泥がまだ乾ききっていない。今日も朝から大盛況だ。耳を澄まさなくても話の中身は入ってくる。どうやらアレス達が見つけたお宝が高値で売れたらしく、その金で四階探索のパーティを組むとかなんとか、鼻息の荒い相談があちこちで転がっている。
ハンターってのは、つくづく凄い。命懸けの冒険で一発当てて、また命を賭けに戻っていく。俺には到底無理な生き方だ。命あっての怠惰な生活である。その点、Dランクは実によくできた身分だ。危険な依頼は回ってこないし、年に四回ノルマを達成すれば、あとは好き勝手にしていていい。ダンジョンにも強い魔物にも縁がない。ハンターという看板の、いちばん美味しいところだけをかじって生きられる。Dランクは俺の人生設計に完璧に噛み合っている。
受付でハンターの列を捌いているドイルと、目が合った。少し待て、と手で合図される。ハゲの手の甲は今日も無駄に骨ばっていて、合図のひとつも妙に迫力がある。まあ、急ぐ用もない。待つ間、暇つぶしに壁の依頼票でも眺めるか。そういえば、まともに見たことがなかった。
――ダンジョン。ボスモンスターコア募集。数量・モンスター種を問わず。
――ダンジョン。鉱石掘りの護衛。傭兵ギルドとの合同依頼。
――ダンジョン。未探索領域のマップ作成。
ダンジョン一色だな。少し前まで存在すら知られていなかった穴に、街じゅうの欲望が吸い込まれていっている。依頼票の紙は、どれも角が丸くなるまで指でめくられていた。しかし、鉱石掘りとは。ダンジョンの壁ってのは掘れるのか。俺が壊した扉は翌日には勝手に直っていたから、資源として掘っても補充される理屈は通る。しかし、その修復のエネルギーは一体どこから湧いてくるんだ。
探索者の魔力を吸って回している――物語ではよくある説明だ。だがダンジョンはモンスターがコアを落とす。魔力を消費してモンスターを生む側なんだから、探索者から搾取するだけでは収支が合わない。あの穴は、明らかに持ち出しの方が多い商売をしている。
一つ仮説を立ててみる。ダンジョンにもコアがあり、外部から魔力を集められる。集めた魔力の余りで、モンスターや壁の修復を賄っている。ここまではいい。問題は次だ。この理屈だと、ダンジョンが宝を発生させる理由がまるで説明できない。なぜ、わざわざ人間の欲望を煽って、危険な穴の奥まで誘い込みたがるのか。持ち出しを増やしてまで客寄せをする意味がわからない。
宝ってのは、作りたくて出しているんじゃなく、仕方なく漏れてくる副産物なんじゃないか。そういえば教会で聞いた話だと、神様の像は「神様ゆかりの物」だと言っていた。神の世界からぽろぽろこぼれ落ちてくるものを、ダンジョンが仕方なく拾って、宝箱という形で外に吐き出している――そう考えると、少しだけ筋が通る。誰かがこぼした落とし物を、律儀に箱に詰めて届けてくれる穴。ダンジョン、意外と義理堅い。
いっそ、神様がダンジョンをまるごと運営していると考えた方がすっきりする。信徒には恵みと試練を、異教徒には罰を。壮大なソシャゲの運営みたいなもんだ。まあ、もう二度と中に入る予定はないから、答え合わせの機会は一生来ないんだけどな。
「待たせたな。ギルドマスターの部屋まで来てくれ」
考え事に沈んでいたら、いつのまにかドイルが横に立っていた。ギルドマスターの部屋。字面からしてもう面倒の匂いがする。呼び出しにろくな用事があった試しがない。とはいえ、逃げても後を引くだけだ。さっさと済ませて、家に帰ってホラー映画でも観よう。
文句のひとつも言わず素直に付いていく俺を、ドイルは横目で訝しんでいた。いつもなら「一番簡単なやつはどれだ」と粘る客が、今日に限って借りてきた猫みたいに従順なのが、逆に不気味らしい。階段は一段上がるごとに、下の喧騒が薄くなっていく。二階の踊り場を過ぎるころには、あれだけうるさかった鉄の音も、遠くの雨みたいな均一な唸りに変わっていた。三階まで上りきり、飾り気のない質素な扉の前で、ドイルがノックした。
「入れ」
中にいたのは、いつぞやのチュール騒ぎで指揮を執っていた、左目に眼帯の男だった。総白髪をきっちり後ろへ撫でつけ、頬に古い切り傷。立っているだけで部屋の空気が少し重くなる、あの隻眼のおじさんだ。やっぱりこの人がギルドマスターだったか。偉い人間を雰囲気だけで見抜けるのは、満員電車で偉そうな人の気配を察して端に寄る訓練を積んだ、日本人の特技である。
「呼び出してすまないな。掛けてくれ」
商業ギルドの最上階も、教会本部も見たあとだと、この部屋はいっそ清々しいほど殺風景だった。実務用の机がひとつ、来客用の簡素な椅子が数脚、書類の重みで棚に格下げされた本棚。花の一輪もない。飾りに使う金があるなら剣を研げ、と言われて育った部屋という感じだ。組織のトップの部屋がここまで質実だと、逆に信用できる気がする。
「まずは礼を言わせてくれ。君のダンジョン発見のおかげで、ハンターギルドは過去最高の利益を出している。本当に助かった」
「あ、はい」
蜘蛛の巣を偶然見つけて褒められても、返事に困る。しかも、心底嬉しそうな顔で言われると、余計に何も言えない。ここは黙って頷いておくのが平和を保つ秘訣である。これがアレスやハゲ相手なら、「誠意とは言葉ではなく金額である」の一言くらいはねじ込んでいたところだが、初対面の偉い人相手に軽口を試す度胸は俺にはない。
「そこで、国の方から異例の報酬が確定した」
ギルマスが、机の上で両手を組んだ。壁際のドイルが、聞こえるくらいはっきりと背筋を伸ばす。空気が、めでたい方向へ勝手に整えられていく。
「レオナルド君。君は、ソラリス王国が始まって以来、初のS級ハンターとして認定された。おめでとう」
「お断りします」
ドイルが息を呑む音がした。ギルマスの、祝いのために作られていた顔が、途中で固まったまま置き去りになる。
こいつ、頭は大丈夫か。それは報酬じゃない。罰ゲームと呼ぶんだ。
落ち着け。順を追って確認しよう。S級とは、三百年のあいだ誰ひとり手の届かなかった称号である。俺はこの国に来てまだ数週間の、どこの馬の骨とも知れない男である。二つの事実が、たった今、笑顔で握手をした。……道理が一ミリも通っていない。目立ちたくない人間にとって、S級なんてのは全身に発光塗料を塗って夜道を歩けと言われるようなものだ。
だいたい、こっちはDランクだぞ。D。年に四回だけ働いて、あとは堂々と寝て暮らすために選び抜いた、完璧な身分だ。S級ですか。悪いが、こちらはDの一族でしてね。
沈黙が、数拍。ギルマスは組んだ手をほどかないまま、声だけを一段落とした。
「……既に正式に決定されたことだ。断ることはできん。誇っていい話なのだぞ?」
決定済み、か。行政の「もう決まったこと」は、たいてい一番厄介な壁だ。感情ではなく手続きで固められているから、押しても引いても動かない。
「金なら既に十分ある。俺には面倒事にしか思えん。誰にも言わず、こっそりS級ってのは無理なのか?」
せめてもの抵抗だ。ようやく念願のマイホームを手に入れて、これから引きこもり生活の本番だってのに、こんな目立つ肩書きを背負わされてたまるか。ギルマスは眉間に皺を寄せると、一度だけ視線を机に落とし、指の腹で眼帯の縁をなぞった。悪い報せを、なるべく丁寧に置こうとしている手つきだった。
「S級とは、他国への牽制がおもな仕事だ。名が知れて初めて意味がある。すまないが、諦めてくれ」
「はぁ。他国への牽制、ねぇ」
なるほど。要は看板だ。強い個人が一人いるぞ、と旗を立てておくだけで、周りの国が迂闊に手を出せなくなる。抑止力というやつだ。それなら確かに、俺は看板として最強の部類だろう。国がその一点に目をつけたのなら、判断としては驚くほど優秀だと言っていい。
――だが、一つ引っかかる。国はどうして、俺がこの国に牙を剥かないと信じ込んでいるんだ。看板は、風向き次第でこっちに倒れてくる。今後のことを考えると、そろそろ確実な線引きをしておくべき時期に来たのかもしれない。ちょうどいい機会だ。強気に出ておくか。
「受けてやってもいい。だが、一つ問題がある。これを国が飲まない限り、誰も幸せになれないぞ」
「ふむ。聞かせてくれ」
ドイルはもう完全に置物と化している。壁際で直立不動のまま、顔だけがやたら強張っていて、見ていると少し笑えてくる。ハゲの頭に、窓の光がひとつぶんだけ乗っていた。俺は椅子に浅く座り直し、声のトーンを一段だけ下げる。
「俺は、誰が相手だろうと、気に入らなければ殺す。それは国王だろうと同じだ。さて、その俺がS級になる。したり顔で面倒な依頼を押しつけてきた奴は、どうなると思う?」
ギルマスとドイルが、揃って言葉を失った。ギルマスの手が机の上でぴたりと止まり、ドイルの喉仏が一度だけ上下する。我ながら、無茶を言っている自覚はある。だが、勝手に肩書きだけ押しつけておいて、面倒な依頼は強制ですなんて虫のいい話を許してやる理由がない。こちらに何かを強いるなら、そっちも相応のリスクを背負え。取引ってのは、そういうものだ。
「……何か、譲歩できる条件はないのか」
「ある。この国が他国から攻められた時は、協力してやる。逆に、この国が他国を攻める時は知ったことじゃない。それ以外の依頼は一切受けない。これでどうだ」
年の功か、ギルマスは折れずに交渉を続けてきた。名ばかりの役職じゃないらしい。まあ、他国が攻めてきたら、S級だのなんだの関係なく、俺は自分の家を守るために剣を取っただろう。剣なんてまともに使えないけど、せっかくのマイホームを焼かれてたまるか。それに、この国は戦争の起きない緩衝地帯だと聞いている。つまり実質、口約束をするだけでノルマから永遠に解放されるという、こちらに一方的に美味しい名案だ。頼むから飲んでくれ。飲んでくれよ。内心では手を合わせて拝んでいる。
「交渉の価値はある。……国王を殺す、というくだりだけは、さすがに伝えられんが」
「いや。そこは必ず伝えてくれ。なんなら今から俺が直接出向いて、わからせてきてもいい」
おっと。少し魔力が漏れた。
毎日の風呂での練習のおかげか、漏れた瞬間に自分で気づけたのは初めてだ。ゼイラ先生、宿題の成果が出ています。針の見えないメーターの目盛りが、ほんのわずか動いたのがわかる。蛇口を、ひとひねりし損ねた程度。それだけのつもりだった。
なのに、空気が張り詰めた。俺自身は何も感じない。自分で出した魔力が、自分を締め上げてくるわけもないからな。だが、二人には別だったらしい。見れば、ドイルが息を止めている。元戦士が、瞬き一つできずに固まっていた。ギルマスの額を、汗が一筋、まっすぐ滑り落ちる。拭う余裕もないらしい。二人とも、逃げようとすらしない。逃げれば追われると、頭より先に体が知っている――そういう固まり方だ。
……ちょっと出しすぎたな。あわてて目盛りを元まで倒す。張り詰めていた空気が、二人の肩からおそるおそる抜けていく。ひとひねりでこれか。俺の蛇口は、どうにも目盛りが馬鹿でかくて困る。
誰も、口を開かない。窓の外では市場の呼び込みが元気にやっているのに、この部屋にだけ届いていないみたいだった。せっかくDランク止まりの安全圏で一生を過ごそうとしていた矢先に、この話だ。言い換えるなら、腹いっぱいで食後のコーヒーだけ飲もうとしているところに、「フルコースを残すのは許さん」とメニュー表を突きつけられたようなものだ。誰だってキレる。……とはいえ、世話になった顔がいくつか脳裏をよぎる。おかげで自暴自棄になりきれない。義理という名の首輪は、案外じわじわ効いてくる。
「……わかった。あとのことは任せておけ。追って、結果を伝える。ただし、式典だけは避けられん。それだけは構わないか」
額の汗をようやく袖で拭って、ギルマスがそう切り返してくる。交渉が上手い。これだけ譲ってやったんだから式典くらいは飲め、という空気を、汗の一滴まで使って作ってくる。こう言われると断りづらい。一回だけ見世物になれば、その後の百年は面倒な依頼と無縁でいられる。そう計算すれば、安い手間賃だ。
「よいぞ。んじゃ、決まったら家まで伝えに来てくれ。気に食わなきゃ軍を寄越してきても構わないけどな」
それだけ言い残して、部屋を出た。扉が閉まる音が、思ったより間抜けに軽い。階段を下りるにつれ、下の階の喧騒が足元から戻ってくる。最後、なかなかカッコいいセリフが決まったんじゃないか。……いや、夜、布団の中で思い出して「あのセリフはないな」と足をばたつかせる、黒歴史行きの予感もしないでもないが。まあいい。言ってしまったものは仕方ない。
* * *
レオが退室し、扉が閉まると、ギルマスとドイルは顔を見合わせ、示し合わせたように深い息を吐いた。ギルマスは背もたれに体重を預け、ドイルはようやく壁から背を離す。部屋の空気が、ぬるま湯に戻るのに少し時間がかかった。
「やはり、S級の資質があるな。どの国のS級も、飼い慣らせん化け物揃いだ。あれは、その仲間だな」
「しかし、わかりませんな」
ドイルが、いまだ強張りの残る顔で首をひねった。
「あの者には帝国の皇族の可能性がある、と報告に上げていたはずです。それがどういうわけで、ソラリス王国のS級認定に化けたんですかい?」
「……俺の権力が足りんせいだろうな。上まで話が通っておらんのだろ」
ギルマスが苦い顔で吐き捨てる。眼帯の下の傷が、渋面でわずかに引きつった。
「こういうことになるのであれば、もっと政治に食い込んでおくべきだったか。現場の報告書など、上に届く前にいくらでも消える」
「その握り潰した者は、後で処分されるでしょうな」
ドイルの声に、感情はない。それから彼は一歩前に出て、言い切った。
「で、今後はどうします。俺は、ギルドを挙げてレオを守るべきだと思っています。それすらできんのなら、こんなギルド、畳んじまった方がいい」
ドイルにしては珍しく、声が張っていた。腿の横で、丸太のような腕の先が拳になっている。ギルマスは、言われるまでもない、という顔で頷いた。
「無論だ。同じ過ちは繰り返さん。アーサー殿のコネを使い、今度は直接、宰相に事の重大さを伝えるつもりだ。報告書一枚で消される道は、もう通さん」
「わかりました。では新たな厄介が湧く前に、アーサー殿に訪問の予約を取っておきます」
「そうしてくれ。……しかし、恐ろしい魔力だったな」
ギルマスは、まだ肌がひりつくのを確かめるように、自分の腕をさすった。
「この国の盾として動いてくれるなら、これほど心強いことはない。逆となれば、考えたくもないが」
「ええ。ダンジョンの発見で、時代がまるごと動き出しています。この国の未来は、レオの機嫌ひとつで決まると言っても、大げさじゃない」
一年ぐーたら過ごすことしか考えていないレオの内心とは裏腹に、二人は、ダンジョン発見がもたらす戦火の足音を、静かに聞き取っていた。
* * *
同じ頃、ソラリス王国の王城では、緊急の会議が開かれていた。高い窓から差す朝の光が、磨き抜かれた長卓の上に、白い帯を一本渡している。その卓を囲むのは、国王、筆頭侯爵、次席侯爵、宰相、内務大臣、外務大臣、そして元近衛騎士団長のアーサー・ベルギウス。国の中枢が、ひとりの平民のために雁首を揃えている。
宰相が、神経質そうな痩身を強張らせ、口火を切った。
「先のS級認定の件で、想定外の事態が二件、発生しております。アーサー殿は、たまたま当人と交流がおありのため、急遽ご同席いただきました」
アーサーが、静かに一礼する。次席侯爵だけが露骨に苦い顔をし、ほかの面々は好意的に彼を迎え入れた。
「一件目は、こちらの落ち度です」
宰相が、言いにくそうに続けた。
「ハンターギルドから報告は上がっておりました。しかし前回と同様、私の手元に届く前に、情報が握り潰されておりました。この者は、既に処分済みです」
国王が、無言で頷き、先を促す。
「S級認定を受ける者はレオナルドと申しまして……帝国皇帝の血族ではないか、と噂されております」
一同がざわめいた。既に耳に入れていたのか、国王だけが静かに反応を見て回っている。次席侯爵が、卓を叩いて怒号を上げた。
「帝国の間者に、我が国の称号を与えたというのか! 国の恥だぞ、これは!」
「事実かどうかは、判然としません。ただ、落とし種ではないかとギルドは見ているようです」
筆頭侯爵が、腕を組んだまま冷静に言葉を挟んだ。
「間者ならば、ダンジョンの発見など公表せん。黙って調べ上げ、攻め落としてから旗を立てるはずだ。順序が逆だろう。落ち着いて考えよ」
「彼は、私のちょうど隣に住んでいましてね」
アーサーが、和やかに補足した。
「茶を飲みながら世間話をしましたが、本人が堂々と『帝国の方から来た』と言っておりましたよ。間者なら、まず隠すところを隠さない。私も、間者ではないと見ています」
補足が入り、議論はいったん膠着した。宰相が、間を置いて続ける。
「彼の行いは、この国のためになるものばかりで、誠意があります。たとえ落とし種であろうと、この国を良くしてくれる限り、問題はない――と、一件目だけであれば、そう申し上げられるのですが」
宰相の、含みのある言い回し。何かある、と一同が察して、口を噤んだ。宰相は、そこで一度息を継いだ。
「二件目です。彼は、そもそもS級を望んでおりません。受けるとしても『協力するのは他国からの防衛のみ。それ以外の依頼は一切受けん』と。そのうえで――『下らぬ強制を強いるなら、国王であろうと殺す。気に入らねば、軍を差し向けてきても構わん』と、そう伝えろと言ってきました」
これには、これまでレオを擁護してきた筆頭侯爵も内務大臣も、言葉を失った。内務大臣は水差しへ伸ばしかけた手を、途中で止めたまま忘れている。当の殺害宣言を突きつけられた国王だけが、涼しい顔で成り行きを眺めていた。
「反逆宣言だ! 今すぐ捕らえよ! なんならその場で、首をはねてしまえ!」
次席侯爵が吠える。だが、ほかの者は沈黙を貫いた。誰も同調しない重さが、その静けさにはあった。筆頭侯爵は取り合わず、宰相に静かに問いを向ける。
「――仮に、その男を捕らえに攻め込んだ場合。勝率はどれほどだ。失敗した際の被害は」
「勝率は、不明です」
宰相が、一拍置いて言い切った。
「失敗した場合は――王都が火の海となり、ここにいる全員が死にます」
その一言に、あれほど吠えていた次席侯爵すら、口を閉ざした。長卓に、重い沈黙が落ちる。卓を渡る光の帯の中を、埃がゆっくり泳いでいた。その様子を見渡して、国王が、ふっと笑って言った。
「かくもS級とは、人ならざる者よ。味方であれば、これほど頼もしいものはない。敵となれば――想像もつかぬ恐怖だ」
国王は、笑みを収め、一同を見回した。
「さて、諸君に問いたい。ダンジョンの発見に伴い、他国が我が国を狙ってくる公算は高い。単独で、防衛は可能か」
「無理だな」
筆頭侯爵が、間髪を容れずに答えた。
「一国が相手でも、我が国だけでは受け止めきれん。どこか他国と手を組んで、初めて防衛が成り立つ。だが、その場合、利益はごっそり持っていかれるぞ」
ほかの者も、同様に頷く。国王が、それを受けて告げた。
「では、我が国が単独で生き延びる道は、あの男の力に懸かっている、ということだ。頼もしいではないか。ダンジョンを巡って、他国からの挑発や干渉が続くだろう。だが、王すら殺すと言い切る者が、他国相手に唯々諾々と屈するとは、私にはとても思えん」
国王の言葉に、一同が返答に窮する。その沈黙を破ったのは、再びアーサーだった。
「彼と言葉を交わした、私の率直な感想を申し上げます」
老紳士は、穏やかに、しかしはっきりと言った。
「彼は、誠実で礼儀正しい好青年です。たしかに苛烈なところはある。ですが、こちらが礼を尽くせば、必ず礼で返してくる男です。彼が危険人物となるか、この国の守護者となるか――それは、我々次第かと。……おっと、余計な口を挟みました。ご容赦を」
アーサーの言葉を受けて、筆頭侯爵が、腹を決めた顔で告げた。
「他国のS級に潰されるのであれば、その時は大人しく他国に服従すればいい。だが、逆に潰せるのであれば――この国が、強国として歩み出す千載一遇の好機だ。二度と、こんな機会は巡ってこんぞ」
「私も、同じ意見だ」
国王が、静かに呼応する。
「他国のS級という化け物どもに比べれば、この男は、はるかにましな人格をしているようだ。もう、歴史は走り出してしまった。四カ国の顔色を窺いながら、身を縮めて国を回す時代は――そろそろ、終いにする頃合いだ」
情勢は、決した。もはや、反対する者はいない。宰相が、確認するように場を締めた。
「では――彼への強制依頼は、国防に限る。加えて、万が一S級が干渉してきたときの対応。この二点で、よろしいですね」
次席侯爵を除き、一同が頷いた。会議は、終了となる。椅子を引く音がいくつも重なり、それが遠ざかって、やがて広い会議室には、国王と、残るよう告げられたアーサーの二人だけが残された。
空になった長卓には、飲みかけの杯がいくつか置き去りになっている。それを挟んで、国王が、ふいに肩の力を抜いた。
「アーサー。私はもう、王などやめて、息子に譲ってしまいたいよ」
「ハッハッ! これから面白くなるというのに、今辞めるなど勿体ない」
アーサーが、豪快に笑い飛ばした。
「私など、小競り合い程度の戦しか知らずに引退してしまいましたからな。この歳になって、現役復帰も一興かと思っておりますぞ」
「お前の奥方に殺されるぞ、それは」
国王が、やれやれと苦笑する。それから、ふと真顔に戻って言った。
「……まあ、なんとかやってみよう。レオナルドとの意思疎通は、お前に任せる。私がやると、どうしても王の権力が邪魔をしてしまう。あの手の男は、権力の匂いを何より嫌うだろう」
「は。お任せを」
アーサーは、胸に手を当てて応じ、それからいたずらっぽく付け加えた。
「陛下も一度、位も何もかも忘れて、無礼講の茶会でも開いてみなさい。あれは、今まで陛下がご覧になったことのないタイプの男です。きっと、気に入りますぞ」
「機会があればな」
国王はそう言って笑い、あとはしばし、老臣の引退後の話に花を咲かせた。城の外で、ひとりの男が今日も引きこもる算段を立てているとも知らずに。




