第42話 識字率
前回に続き少々長くなっております。基本的には2,000文字前後を目指しているのですが、3,000文字近くなってしまいました(;'∀')
第5章は戦闘シーンが多くなる予定なのですが、まだ牧歌的なシーンが続きます。
黄金色の稲穂が、秋の心地よい風に揺れて波打っている。
俺は北東地方の広大な水田を見渡し、その豊かな実りを眺めていた。
「やっぱり、いつ見ても心が和むなあ」
俺の傍らには、護衛のサリウスと、この北東地方を治める太守――ナディアが控えていた。
「ルシウスは帝国人なのに米が好き。やはり私の夫に相応しい」
「誰が夫じゃ、誰が」
ナディアは、出会った頃とまるで変らぬ眠たそうな目で言う。ちなみに、十年たって今でも、相変わらずのちんちくりんだ。マリーから教わったことは活かされなかったらしい!
「奥方様、喉が渇いたでしょう。どうぞ」
横からサリウスが自然な動作で飲み物を差し出した。
「おいサリウス、さらっと『奥方様』って呼ぶのをやめろ。俺はまだ認めてないぞ」
「ははは、何を恥ずかしがってるんですか、殿下。いまさら隠したところで意味ないですよ」
「隠してない!」
俺が思わず突っ込むと、ナディアはドヤ顔で、ない胸を張った。
「ふふ、サリウスは気が利く。……でも、ルシウスには本当に感謝している。ここに連れてきてくれて、精霊も民も、みんな幸せそう」
「まあ、そこは気にしなくていいよ。互いに利益があったからこその移住だからね。……ところでナディア。ラーディヤ侯爵領の財政運営は順調?」
「そういう難しいことはミトラに聞いて」
俺の問いに、ナディアは側近であるミトラに丸投げした。為政者の鏡である。
「はっ。毎年たくさんの年貢が納められております! また、魔蚕の生糸を欲しがる商人は跡を絶たず、侯爵領の貴重な収入源となっております」
「ああ、生糸ね。公都で布にして帝国に輸出してるからね。うちも儲けさせてもらってるよ」
「ふふふ、ルシウス聞いて。私も糸を紡いで貢献してるの」
胸を張るミトラに対し、俺は思わず呆れた。
「ちょっと待てナディア。お前、領主自ら糸を紡いでいるのか?」
「そう。私が紡いだ糸は精霊の加護のおかげで特別上質に仕上がる」
「気持ちはわかるけどな、領主としての仕事をちゃんとしないとだめだぞ?」
「領主の仕事……? 私は精霊の巫女、民と共に歌い、民と共に田植えをし、民と共に眠る定め」
ナディアが、さも当然かのように言ってくる。その隣でミトラも頷いている。
おいおい、もしかしてアレか? こいつらはまともに帳簿くらいつけてないのか?
「……具体的な収支について教えてくれ。今年の歳入はいくらだったんだ?」
「しゅうし……? さいにゅう……?」
あかん。こいつに聞いた俺が間違いだった。俺は、隣で神妙な顔で腕を組んでいるミトラに水を向けた。
「……ミトラ。教えてもらえるかな?」
「恐れながら殿下。ラーディヤの戦士たる者、槍と弓さえ扱えれば十分でございます。文字を読んだり、帳簿をつけたりといったことは商人どもの仕事でございます」
まじか。ラーディヤの民が移住してきて十年。衝撃の事実が発覚した。
「待って……じゃあ、米や生糸はどうやって現金に換えてるの?」
「買い付けに来る商人が、大変良い方でしてね!『面倒な計算はすべて私がやっておきますよ』と言って、毎回きっちり金を置いていってくれるのです!」
「……」
俺は静かに天を仰いだ。
――後日。
すぐさま事実関係を調べさせたところ、案の定、ラーディヤの民は商人によって盛大にぼったくられていたことが判明した。市場価格の数分の一という足元を見られた価格で買い叩かれていたのだ。
「……まあ、ナディアたちも悪いが、丸投げしていた俺も悪かったな……」
会議室で頭を抱える俺に、コルネリウスが更なる事実を告げた。
「殿下、今回の件を受け調査を行いましたところ、どこも似たような状態であることが判明いたしました。特に、規模の小さい騎士爵領などでは、大半がまともに帳簿をつけていないようです。……ましてや、平民において読み書き・計算ができる者は、ほとんどおりません」
「つまり、字が読める奴がほとんどいないから、各領地でも事務仕事をできる奴を雇えないってこと?」
「その通りです。領地貴族は基本的に貴族の子弟を叙任しておりますので、領主自身が文盲ということは稀です。というかラーディヤの民くらいのものです。しかし、元が開拓地であり、移民の多くも貧困層や難民でございます。日々の開拓と農作業で手一杯であり、字を読める必要もなかったというのが実態です」
なるほど、確かに畑を耕しているだけなら文字を読める必要はないだろう。だが、今回の件でわかったことがある。やはり文字が読めないということは、頭がいい奴に騙されるリスクが増大するということだ。
今後、大公国が発展していくためには、ただ畑だけを耕してればいいという状況を脱しないとダメだ。そのためには人材の育成が絶対条件と言える。
「……コルネリウス。『小学校』を作ろう」
「しょうがっこう……ですか?」
「うん。午前中だけでいいから、子どもたちを集めて、読み・書き・そろばんを教える場所をつくろう。で、子どもを通わせるのは親の義務にする。その代わり、学校に来れば昼飯を支給する。そうすれば親も労働力を取られるといって怒ってはこないだろうしね」
「ちなみに、その『そろばん』というのは何でしょうか?」
「ああ、そっか。コルネリウスもそろばんを知らないんだね。まあ、要するに手動の計算機だよ……」
俺がそろばんの絵を描いて説明すると、コルネリウスは興味深げに頷く。
「なるほど、これは便利ですね。各貴族領に導入すれば、経営効率は格段に向上しそうです」
「でしょ?……というわけでコルネリウス、大公国全土に対し、人口に応じた数の小学校を設置するよう手配を進めてくれるかな?」
「それは無理ですね、殿下」
俺が調子に乗って提案すると、コルネリウスがこともなげに反対してきた。
「政策の趣旨には賛同いたします。しかしながら、現実問題として、文字を教える人材がおりません。さらに、強引に設置を行えば領地貴族の反発も招きかねません」
うーん。確かにコルネリウスの言うことも、もっともだ。
「よし、じゃあ妥協案として、まずは俺の直轄領で試験的に導入しようか。教員は帝都で募集をかければ、職のない貧乏貴族や、家を継げない次男坊以下が結構応募してくるんじゃないかな?」
「なるほど、それならば現実的ですね。四大侯爵家の領都でも同時に導入してもいいかもしれません」
「いいね。じゃあ、この際だからユスティニアナポリスに教員育成のための『師範学校』と、教育内容を定めるための研究所を作ろうか。人材が育ったら徐々に各貴族領に広めていこう」
これで、概ねの方向性が決まった。あとはコルネリウスが中心になって進めてくれるだろう。
そうしていると、コン、コン、と執務室のドアがノックされた。
「どうぞ」
ドアが開き、サリウスが入ってきて報告した。
「殿下、大山脈を抜ける『大陸縦断街道』が、ついに開通いたしました! また、先遣隊が大山脈の北側――『北側諸国』の現地住民と接触。懐柔に成功した模様です」
俺とコルネリウスは顔を見合わせる。
「……いよいよだね」
教育改革という国家百年の大計を練りながら、俺は、大山脈の南北を接続するという、大陸史に名を遺す大事業の実現に向けて想いを巡らせるのだった。
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