帝国と枢機侯
本稿は、『名もなき帝国の物語』シリーズの設定です。
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帝国に名はない。
名は必要ない。名とは、他と区別するためのものである。
帝国は唯一無二であるがゆえに、ただ「帝国」と呼ばれる。
帝国が版図を広げる大陸も同じく、区別は不要であるがゆえに名はない。
――『帝国史』序文より
かつて、大陸には神聖にして不可侵の皇帝が治める帝国があった。この帝国にも名がなかった。人々は便宜上、この帝国を「古帝国」と呼ぶ。
皇帝は当初、市民の第一人者に過ぎなかった。彼には自己を飾らぬ慎ましさがあった。それを可能にしたのは、数々の政敵を排除して手にした強大な権威だった。
彼はその権威を背景に、「意見」を述べた。市民たちは、その意見を貴重なものとして、実現しようと努めた。
しかし、彼の後継者には権威がなかった。彼らの意見は、市民を動かさなかった。故に、後継者たちは権力で補った。軍事力で補強した。力を背景に、市民を従わせた。
いつしか、皇帝の専制政治は誰にも止められぬものとなった。皇帝の言葉は神の言葉だった。
そして、国が乱れた。
反乱が起こった。その中心になったのが七人の貴族である。これを「七賢公」という。
七賢公は古帝国を滅ぼした後、帝国辺境を蛮族から防衛すべく七つの公国を設置してその主になった。
だが英雄は並び立たず。彼らは内紛を繰り返した。幾度目かの和睦の際、恒久和平のために一人の男を皇帝に推戴した。これが新帝国の始まりである。
七賢公は公爵として帝国の枢機を司る地位を世襲し、七賢公の子孫から皇帝を推戴することにした。七人の公爵は、いつしか「枢機侯」と呼ばれるようになった。
始まりは七つだった枢機侯の席は現在、六人の枢機侯によって占められている。数は合わないが間違ってはいない。一人が二つの席を独占しているからである。
最初の三人の皇帝は、全て異なる家の枢機侯が推戴された。そして四人目の皇帝にはスルヴァール公が選ばれた。彼はゼンメルセ公家の断絶を利用してゼンメルセ公位と二つ目の枢機侯の座を獲得した。
多数決が原則である枢機侯会議において、ティーレントゥム家はスルヴァール公およびゼンメルセ公として二票を行使することが可能になった。この優位によって、五代皇帝は同じくスルヴァール公、つまり四代皇帝の子が継承した。彼は、スルヴァール公国を王国に昇格させてティーレントゥム家の格式をさらに高めた。
他の五人が結託すれば皇帝位をティーレントゥム家から奪うことはかなうだろう。だが、代わりに誰を皇帝にするのか。有力候補はワルヴァソン公位を世襲するカーンロンド家だが、カーンロンド家が自分たちの風上に立つのを枢機侯たちはよしとしなかった。皇帝は利益と強迫を駆使して枢機侯の対立と分断を謀り、多数決に必要な残り二票を獲得してその地位を保った。




