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♭21

「別行動とは……我々をどこへ連れて行こうというのかね?まさか、軍人どもを引き離したということは、我らを消すつもりではあるまいな?こんな人だかりではそれも不可能、いや貴様の土地だから皆、蛮行も見てみぬ振りか!」


 ジノヴィエフ卿は恐る恐る、トニーの狙いを聞き出そうとするも、途中からあらぬ方向に妄想が肥大し、勝手に被害者になっている。


「はぁ?そう思うんなら何でついてきたんだよ。馬鹿じゃねぇのか、お前?」


「こ、ここで取り残されても祖国には帰れぬだろう!とんだ時点で、最初から従うしかなかったというわけか!おのれ、魔族め!」


「何言っても無駄みたいだな。まずは酒でも飲み直すか。ジャック、酒場を探して来い」


「はっ!」


 こちらの面子はトニーとジャック、それにジノヴィエフ卿を含んだロシア人のゲストが三名。合わせて五人だ。


……


 三分ほどでジャックが戻り、酒場が見つかったと申告する。


 そこは一階のフロアに大きなステージを持つ酒場で、その上ではチャイナドレスの若い女どもが明かりに照らされて妖艶な舞を披露している。


 言ってしまえば会員制の高級クラブのような場所だが、領主のトニーは問題なく顔パスだ。

そして当然のように上階のボックス型のVIP席のような場所へ通され、そこから階下の踊りを見ながら酒を楽しむ形となった。


「こ……これは。いかがわしい店ではないのか」


「ロシアにも似たような店くらいあるだろ?たまにはカミさんの事を忘れて目の保養をしていけ。ようこそ、我が領地、中国へ」


 中国国内では珍しいであろう、ワインボトルが運ばれてきて、乾杯する。


「心配しなくても俺の驕りだ。何せ、お前らへの接待なんだからよ」


「ふ、ふん!油断させようとしても無駄だぞ!」


 言いながら、ジノヴィエフ卿はワイン入りの杯をぐいとあおった。

 そして、目線は自然と目の前のトニーや酒から外れて階下のステージへ向いている。


「なんだかんだ言って楽しそうじゃねぇか。どう取り繕っても男の性には敵わねぇよな。なぁに、恥ずかしがるこたねぇ。おい!」


「はい!お呼びでしょうか、閣下」


 ボーイを呼びつけ、小銭を握らせる。


「こちらのお客人たちが綺麗どころをご所望だ。三人つけてやってくれ」


「はい、もちろんでございます!その、閣下の分の娘は宜しいので?」


「今日は俺がホストでな。こいつらに楽しんでもらえればそれでいい」


 トニーとて、女を侍らせるのは大好物だが、自身が楽しむのはまた今度だ。真面目に接待をしてやることにする。


「ジャック、お前もやるか」


「いえ、お構いなく。私には酒も女も意味がありませんので。閣下も気にせずお楽しみいただいて結構ですよ」


「残念だが仕事なんでな。退屈しのぎに、俺の話し相手にでもなってくれ」


「はっ、喜んで」


 ジャックは直立不動。トニーの後ろに立って微動だにしない。冗談もこの通り、真面目に返されて終わりだ。


 三人の綺麗どころが登場し、それぞれ客人らの隣に座った。さすがプロというべきか、にこやかで愛想のいい娘ばかりだ。


「お、おい。将軍、これはどういうことかね」


「どうもこうもねぇよ。飲みの席に華は必要だろうが」


 ジノヴィエフ卿は言葉では嫌悪感を示しつつも、鼻の下を伸ばしている。

 悪い気はしていないのが見え見えだ。


「ささ、どうぞ。お飲みになってください。せっかくですから楽しみませんと」


「あ、あぁ……」


 隣の嬢に酒を勧められ、言われるがままに杯を受けている。

 そこからはどこから来ただの、仕事は何だの、いろんな質問を受け、それに渋々返している。それに対して「すごい!」「偉い人なんですね!」と良い反応が返ってくるので段々と心地よくなってくる。


「まさか、実は彼女たちは魔族で、我々が酔ったところをバクリとはならんだろうな」


 他の男が言った。


「んなわけねぇだろ。こいつらは正真正銘、この国の人間だ。いい加減、俺のやることに裏なんかねぇって信じろよ」


 厳密に言えば良い気分にさせようとしているのだから、裏がないわけではない。ただ、騙して殺そうなどと考えていないのは本当だ。


「お望みとあらば、お持ち帰りも手配してやるぞ」


 これにはジノヴィエフ卿を含む三人の客人らは顔を真っ赤にする。

 果たしてその赤ら顔は怒りか、酔いか、別の妄想から来る興奮状態か。


「な、なにを言っているんだ貴様は!」


「然り!我らは視察を名目に来ているのだぞ!女遊びなど必要ない!」


「ほう?まぁそう言うなら無理にとは言わん。でもな、酒の席なんだからちっとは楽しそうにしてろ。世話焼いてる俺の顔が立たねぇだろうが。何にでも跳ね返るのは大人の対応とは言えねぇぞ」


 実際、トニーは彼らが嫌がることをしているのではない。警戒心が解けないのは当然かもしれないが、好意に対して文句ばかり言っているのは考え物だ。


「そうですよぉ。閣下が誰かをもてなすなんて、二度とないチャンスかもしれないんですから」


「楽しみましょう、ね?」


 そこへ、同席する美女たちからの援護射撃。

 こちらに対しては怒鳴るわけにもいかず、ゲストたちはシュンとしてしまう。


「酒ばかりでは悪酔いするかもしれねぇな。何か腹にたまるものを出せるか?飯だろうがデザートだろうが何でもいい」


「はっ、手配させます」


 ボーイに、というよりは真後ろに立つジャックに聞こえるようにトニーが言い、ジャックから店側、そして調理場にそれが伝わっていく。

 酒場なのでさっきまでいた中華料理店ほどのものは出てこないだろうが、この席で味は二の次だ。


 その料理が出てくる前に、この国でも流行り始めているスーツ姿の男がやってきた。


「いらっしゃいませ、バレンティノ将軍閣下。当店はお楽しみいただけていますでしょうか。支配人でございます」


「おう、良い席を準備してくれてありがとよ。女も粒ぞろいだ。さっき食い物を頼んだところだが、それが良ければ満点だな」


「もちろん、料理も自信がございますのでご安心を。当店専属の料理人がお酒に合う品を提供いたします。何か他に、お困りごとはございませんか?」


 店長ではなく、支配人自らそんなことを訊きに来るのも珍しい。気を利かせて、トニーに顔を覚えてもらいたいといったところか。


「特にねぇ。わざわざ挨拶に来るとは殊勝なことだ。お前も飲んでくか?」


「いえいえ!滅相もございません!では、お客人とごゆっくりお楽しみくださいませ」


 一礼して、支配人を名乗った男が引っ込む。


 スーツは当然、トニーをはじめとして、組員らが流行らせた形だ。フォーマルという認識が強く、仕事着として着用している者が多い。


 そしてしばらく後、料理というよりは見た目が派手な皿が運ばれてくる。

 色とりどりのフルーツの盛り合わせだ。


 席にいる女たちは黄色い声を上げるが、トニーは不満げだ。


「あぁ?確かにデザートでも構わねぇとは言ったが、そのまま果物がどっさり積まれてるだけじゃねぇか」


「なんだ、意外なところでへそを曲げるのだな。御馳走ではないか」


 ジノヴィエフ卿は意外にも気に入ったらしい。ブドウを一つまみ、口に放り込む。確かにロシアの厳しい環境ではこんなにも大量のフルーツは贅沢品なのかもしれない。


 しかし、その後にはゴマ団子や月餅などの出来立ての焼き菓子も運ばれて来た。こちらは果物の大皿のような手抜き感を感じず、トニーも納得した。


 ただ、どれも甘い。旨いのだが、さすがにデザートばかりで酒もワインときたら口の中が糖分まみれだ。

 何かさっぱりしたものが欲しくなってくる。


 そんなことを考えていると、卵と米で作られた粥か雑炊のようなものが出てきた。とろみがあり、するすると胃に入る。

 デザートから米とはどういう流れでそうなったのか分からないが、これは単純にありがたい。


「ジャック、こいつを再注文だ」


「はっ!」


「おやおや、将軍は意外にもそんな庶民向けの粥が好みなのかね」


 少し見下したような言葉がジノヴィエフ卿から飛んでくる。


「口の中が甘すぎて気持ち悪くてな。今、俺にとっての一番の御馳走は辛い料理かもしれねぇ」


「ふん。であれば粥ではなく、辛い料理を頼めばよいのではないか?」


「あー、確かにそうだな。ジャック、変更させろ」


「ははっ!」


 雑炊のお替りはキャンセル。辛い料理をリクエストだ。

 ただ、四川料理ほどでなくとも中華料理の辛さは全体的になかなかのものである。


 運ばれてきたのは麻婆豆腐だったが、これが相当に辛い。

 トニーは眉をひそめ、食べなかった果物にも手を伸ばす。


 当然、他の面々も麻婆豆腐に手をつけるわけだが、香辛料に喉を焼かれて、揃って咳き込み始めた。


「な、なんだこれは!辛すぎやしないかね!」


「然り!辛い料理を頼んだのは見ていたが、これほどとは!」


 周りの女たちが手で口を抑えて笑う。

 彼女らは話を聞きながら酒を注ぐばかりであり、何も口にしていないので無事だ。もっとも、食べさせたところで現地の住民は辛さには強いのかもしれないが。


 上海料理なのでこの程度で済んでいるが、仮に韓国料理や本場の四川料理、インドカレーだったらもっと酷いことになっていたかもしれない。


「ほらほら、おしぼりをどうぞ」


「甘いもので喉をお休めくださいね。はい、あーん」


 彼女らの行動は辛さに負けた男たちへの、恥の上塗りにしか見えない。

 だが、それでも綺麗な女に甲斐甲斐しく世話を焼かれては従ってしまうのが男の悲しいところだ。


「ふん!」


「ええい、構うな!」


 そう言いながらもおしぼりで口を拭われ、ブドウを口に突っ込まれるのに彼らは無抵抗なのである。


「盛り上がってるじゃねぇか。どうだ、もう一度同じ質問だがな。女どもを持ち帰りたいんなら俺が話をつけてやるが?」


「い、要らぬと言っておるだろう」


「う、うむ。我らは視察に来ているのだ」


 まだ押せないようだとトニーは把握する。本来は娼館に直接連れて行っても良かったのだが、たまたま見つかったのが卓にキャストの付くこの店だったので、この状況を利用しようとしたのである。

 ただ、最初に訊いた時よりも少しは懐柔できているようだ。


「まったく、お堅い連中だぜ。仕方ねぇな。ジャック、俺にも一人付けるように言ってこい。この店で最上の女だ」


「はっ、かしこまりました」


 作戦変更。ゲストが楽しまないのであれば、自身が好きなように遊ぶしかあるまい。


 現れたのはすらりと背の高い、黒髪の中国美女。

 チャイナドレスは純白で、手には金色の扇子を持っている。


 ゲストについている三人も美人だが、やはり本命はトニーが呼んだ場合の為に隠していたかと納得させられた。

 彼らも目を見開いて、その美貌に驚いている。


「……お前が看板娘か。さすがにいい女じゃねぇか」


「お褒めいただきありがとうございます。お隣、失礼いたしますね、バレンティノ閣下」


 声も鈴音のように凛としていて聞き心地が良い。席に着くと、まずは挨拶代わりに杯へ新しい酒を注いでくれた。


「店側に禁止されてなければお前も飲んで構わねぇぞ」


「閣下の御誘いを断るわけにはいきません。いただきますね」


「おう、乾杯だ」


 ワイン入りの二つの杯がぶつかる。


「さっき支配人の男が挨拶に来たが、アイツの隠し玉ってところかね」


「滅相もございません。先ほどまで舞台上で舞を披露しておりましたので、たまたま手が空いていただけの事」


 言われてみれば、確かにこの娘は踊っていたように思える。舞台の上には何人かいたはずなので、これといって注目していたわけでもないが。

 トニーが気づかなかったのは、衣装を変えたとか化粧や髪を直したとか、おそらくその辺りが理由だろう。


「そうは言っても一番人気なのは変わらねぇだろ。世が世なら映画女優でもおかしくねぇな」


「映画……ですか。ありがとうございます」


 聞きなれない言葉。しかし否定はせず、礼だけを述べる。

 トニーもこの娘を気に入り、手放しでベタ褒めだ。


「しかし、踊りからすぐにこの卓に付くとは、だいぶ慣れてるみたいだな。この仕事は長いか?」


「えぇ。閣下がこの地を統治される少し前より働いております。三年ほどでしょうか」


「そうか。客の羽振りはどうだ。以前と比べて」


「格段に生活水準は良くなりました。この街に住む者で、閣下に感謝していない人の方が少ないと思いますよ」


 これは非常にうれしい意見だ。武力で奪い取った街ではあるが、税を下げたり物流を良くしたりと様々な施策を講じてきた甲斐があったというものである。


 ただ、もちろん割を食った者もいるだろう。以前の状態での重税や賄賂などから来る大きな富を持っていた者たちだ。


 そのほとんどの首は飛んでいるだろう。物理的に。ただ、生きながらえて辛酸をなめている者も必ずいる。


 ただ、トニーや魔族に刃向かうほどの胆力があるかというとそうでもない。その人間は落ちぶれようとも、町全体は良くなっている。

 復讐を誓っても、賛同者など集まらないのは目に見えている。


 そして皮肉にも、その者らは以前より金を失ったかもしれないが、街にあふれる物やサービスは以前より良くなっているのだ。当然、それは住民の誰しもが享受できる。

 怒りをどこに向けるべきか分からなくなってしまうだろう。


「街ってのは賑わってるのが一番だからな。特に水商売は、衣食住が充実して初めて儲かり始める。俺としては花街に活気があるってのがかなり重要だ」


「その観点からでも、とても良い街になりましたよ」


「そうか。時々は遊びに来るとしようじゃねぇか」


「おや。その仰い方は、今日はもう行ってしまわれるんですか?」


 どことなく、話を切り上げようとしている空気を察し、女がトニーをやんわりと止める。


「そんなつもりはねぇが、そう聞こえたか?そうだな、お前は店外に連れ帰っても良いのか?」


 もう少し一緒にいたければ抱かれろ、と暗に伝えていることになる。


「あら、そういうことでしたら。さらに上の階にいくつか個室があります。ご一緒してくださいますか?」


 要するに、お持ち帰り用の特別室だ。

 看板娘が少しも渋らず受け入れたのは、トニーの立場あってこそか。


 そして、それを見ているジノヴィエフ卿らは黙っていられない。


「バレンティノ将軍!貴様は何を勝手に盛り上がっておるのだ!」


「然り!我らの視察はどうなる!」


「あぁ?俺に指図するな。退屈ならお前らもそれを連れて上がればいいだけの事だろう。一時間後にまたここに集合でどうだ」


 トニーの言葉にゲスト三人は唖然とする。

 が、唖然としているように見せているだけだとトニーは推察した。どうしようもない状況に追い込めば、彼らの安いプライドも崩壊するだろう。


「ジャック、こいつらに危険が無いように見張っておいてやれ。上に来る場合も部屋まで護衛だ」


「はっ、かしこまりました」


「んじゃ行くか」


「えぇ、閣下」


 トニーが立つと、その腕を掴んで女が歩みを共にする。

 ゲスト三人も、ここまでの反抗っぷりからトニーがこの場にいる状態では受け入れ辛いはずだ。あえて自分の目が届かない場所に移動し、動きやすいようにしてやる。


「あのおじ様方も、中々に恥ずかしがり屋さんなのですね」


「あぁ、この俺が折角もてなしてやってんのにな。強情な奴らだ」


 用意されていた部屋は中央に大きな寝台が一つ置かれただけのものだったが、掃除は行き届いており非常に清潔だった。これだけでも直接、娼館を選ぶより正解だったと言える。


「この部屋に酒は持って来れるか?」


「えっ」


 まだ飲む気なのか、という驚きではない。この部屋に連れてこられた場合、やることは一つなのだ。それ以外の要求というのが珍しくて看板娘は驚いたのである。


「かしこまりました。卓や椅子も持ってきてもらいましょうか」


「いや、盆にでも乗せてきてもらえればそれでいい」


 寝台の上に場所さえ作れば酒は飲める。


……


 一度退室した女がまた戻ってきてから数分後、トニーの要望通りに酒が運ばれてきたが、卓と椅子もついて来てしまった。

 寝台の上では飲み辛いだろうし、仮にこぼしてしまった場合などはトニーが寝づらいだろうという配慮らしい。


 そして、それを運んできたのは二人のボーイと、この店のオーナーだった。


「なんだ、お前まで働かされてんのか?」


「いえいえ、閣下が使われるお部屋ですから。他にも不足はないか、私の目でも直接見ておこうと思いましてね。料理はいかがでしたか?」


「まぁまぁだな」


「恐れ入ります。部屋の前に一人立たせますので、御用の際は大声でお申し付けください」


 これも前代未聞だろう。お持ち帰り用の部屋に人をつけるなど。


 無論、要らないのであればトニーが離れていろと伝えるだけであるが、どうでもいいとそのままにしておいた。

 並の人間であれば、人が近くにいる状態で女と媾おうとはならないが、常にジャックを自室の前に立たせているトニーにとっては些事だ。


「では一献。どうぞ、閣下」


「おう、お前もまだ飲むなら付き合え」


「これ以上は酔ってしまいそうですわ。それでも宜しければお付き合いいたしますが」


 返杯をしようとワインボトルをトニーは手に取ったが、確かに女の言うことに嘘はなさそうだ。頬は赤く、少し目もまどろんでいるように思える。

 せっかくのお楽しみが泥酔した女とではつまらないだろうということで、無理強いは避けた。


「……いや、飲まなくていい」


「かしこまりました。おや、外が?」


「……来たか。随分早かったが」


 部屋の外、複数人の足音。他の客でなければ、どうやらゲストたちが早々に折れたようだ。

 ぞろぞろと同じフロアの別の部屋に人が入って行っているのであろう。そして、その予想は当たり、ジャックの声がする。


「閣下、ジャックでございます。入室許可をいただけますでしょうか」


「おう、入れ」


 次の瞬間にはスーツ姿のスケルトンが足を揃え入室、姿勢を正す。


「失礼いたします。お三方が近くの個室へ別れて入られました」


「分かった。部屋の前で見張っておけ。すべての部屋の入り口が見える位置ならどこでもいい」


「はっ」


 彼らが何かするというよりは、侵入者への警戒だ。

 この部屋も含め、同じフロアであればジャック一人で事足りよう。


 そして、何も指示はしなかったが、ジャックはこの部屋の事も見張ってくれることだろう。ボーイが立っているらしいので不要ではあるが、それすらもジャックには警戒の対象でしかあるまい。


「……」


「閣下?どうかなさいましたか?」


 口に持っていこうとしていた酒のグラスを空中で静止させ、トニーが何やら考え込む。


「今、この部屋に来てどのくらいの時間がたった?」


 時計など持っていない世界の住民だ。そんな女に訊いたところで……


「三十五分ほどかと思いますが、いかがされました」


「ほう?出鱈目を言ってるんじゃなければ、なかなかのもんだぜ」


「ふふ、時間の感覚には自信があるんです」


 色んな卓での接客や踊りを時間ごとにこなしているせいか。思ってもなかった細かい回答にトニーが感心する。


「ということは、残り二十五分ってところだな」


「あら、先ほどのお連れの方とのお約束までの刻限でしょうか。お言葉ですが、お三方はお部屋に入られたばかりのはず。その時間で事が済むとは考えづらいのですが……」


 二十五分でお楽しみが終わるはずもないとの助言だ。トニーもそうは思う。


「何事も俺が基準だ。奴らに二十五分しかなかろうと関係ねぇ。俺が一時間だと言えば、約束は一時間後だ」


「待たされることになってもよろしいのでしょうか」


「……ブチ切れる理由ができるじゃねぇか」


「そんな、わざわざ対立せずともよろしいではないですか。もう少し楽しみましょう。ね、閣下?」


 まったく、やはり絶世の美女の甘えにはトニーと言えども敵わない。


……


 ひと試合終え、トニーが女と一緒に元の卓に戻る。

 二十五分とはいわないが、かなり早めに終わらせた。当然、ゲストたちはまだ降りて来ていない。


「どうぞ、一献」


 一人で待たされるわけではなく、美女から酌を受けながら話もできる。トニーが怒るのを止めるには良い手段だ。


 一瞬だけジャックが報告のために降りてきた。トニーが先に退室して下で飲み直していたことは廊下にいた彼も把握済みだ。


「閣下、報告申し上げます。今からお三方の内、お一人が参られます。残りはまだのようです」


「そうか、上に戻ってそっちを見張っておけ」


「はっ、失礼いたします」


 ジャックの言葉通り、入れ替わりで一人とその連れの女が姿を現す。ジノヴィエフ卿だった。


「ぐっ……!」


「なんだよ、鳩が豆鉄砲を食ったようなツラしやがって。俺が先に待ってるとは思わなかったか。だが三人の中では一番早かったんだ。年の割には頑張ったんだな、おっさん?」


「な、何も頑張ってなどおらぬわ!」


 さっさと事を済ませ、トニーに気づかれないように涼しい顔をしてここにいるつもりだったか。ジノヴィエフ卿はバツの悪そうな表情をしている。


「この期に及んでごまかせるわけねぇだろ。正直に言えよ。良い店だったよな?」


「ふん……確かに悪くない店だ。連れて来てくれたことに感謝しよう、バレンティノ将軍。だがしかし!それが貴殿や魔族への評価につながるとは思わんことだな!」


「そうかい。そりゃ残念だ」


 まだ足りないかとトニーは次の策を思案する。


 酒、女とくれば、次は金や地位だが、後者はトニーに与える権限はない。

 出来ても名ばかりの親善大使くらいか。少なくともロシア国内での出世とは関係ない。


 では金という話になるが、面と向かって賄賂など受け取るまい。それに、トニーとしてもせっかく善政を布いて民から少しずつ集めた税をそんなことには使いたくない。

 であればどうするか。他の二人の反応も見てみて考えることにする。


「いやはや、バレンティノ将軍閣下は良いお店をご存知だ」


「然り!至れり尽くせりとはこの事であるな!全く!」


 仲良く残りの二人と女たちが卓に戻ったところで、お伺い立てだ。


「よう、気に入ってくれたようで何よりだぜ。俺の言った通りだったろ。確かにここで生活してるのは人間だし、それなりに楽しく暮らしてんだよ」


 ジノヴィエフ卿は渋々、他二人は大きく頷く。


「モスクワと協力できるってのは分かったはずだ。確かに俺はこの国を落としたときに武力は用いたが、取り込んで以降は悪くない政治をしてきてる」


「うむ……」


「アンタらの国に期待してんのはあくまで同盟関係で、俺らと敵対する魔族とやり合うのに必要だ。あっちの連中は人間を滅ぼすのが目的だからな。魔族にもいろいろあんだよ」


 もう何度目になるか分からないほど伝えてきた内容だが、今は大きな効力を持つ。店では良い思いをし、実際に街の様子を見た今ならば。


「そうだな。ここまで来て疑うのは止そう。貴様らは魔族ではあるものの、我ら人間にも理解があるとみて間違いない」


「だろ。分かったら皇帝にも同じような報告を頼むぜ。そして、一気にあの犬っころの軍団を潰す」


 オースティン副長の事をジノヴィエフ卿は知らないだろう。だが、意味としては敵の魔族を潰す事だと十分伝わる。


「仮に味方するとして、我らに望むのは?」


「基本的には後方支援だ。食糧、寝床の提供。敵には俺たちがぶつかるからそっちの兵隊は要らねぇ。首都や周辺の街の防御にでも使っとけ」


 これも言ったはずだが、再確認だろう。

 ロシア国内が全面的にトニーへの協力体制を取れば、一気に戦争がしやすくなる。補給は近くの街で出来るようになり、わざわざ空間転移で本国や属国から物を運ぶ回数が減る。


「こちらの街や村落が襲われやすくなるのでは」


「それは最初からだ。奴らは目についた集落は全部攻撃してるみたいだからな。首都陥落には出張ってきたが、今はまた移動して各地で暴れてるだろうぜ」


 結果としてモスクワは落とせていない。オースティンがどこで何をしているのかは分からないが、兵員の多くがモスクワに引き付けられているのはこちらも同じ。

 その隙に裏で何かしているのは間違いない。事実、ロシアではないがロサンゼルス城は攻撃を受けてしまった。


 よくよく考えれば、ここ上海とて絶対に安全とは言えない状況だ。

 しかし、空っぽに近い状態だったロサンゼルスとは異なり、ここには多くの人や地元民の兵もいるので早々に落ちはしない。

 真っ先に本拠地を襲ったのはオースティンもそれが分かっていたからだろう。


「……わかったわかった。我々の降参だ。ただし、まずはモスクワ周辺に展開している敵を撃滅してから。その後に話を進めようではないか」


「残ってるのは数が多いだけの雑魚ばかりだ。しばらく待ってれば終わる。安心しな」


 オースティンが戻って来てしまえば事態は一変するが、おそらく彼は別の仕事で手一杯のはず。

 モスクワ戦の終結は時間の問題だとトニーは見ている。だからこそ、こうしてトニーにウィリアムという主軸の人物を陣から留守に出来ているのだから。


「口では何とでも言える。安全を謳うのであれば、さっさとそうしてみてくれたまえ」


「世話になろうってんのに、いつまでも偉そうな野郎だ。まぁいい。舐めた態度はいずれ後悔しろ」


「ふん!世話になるのはお互い様だろう!我らの補給が目当てなのは分かっているのだからな。ここは対等であるべきだ」


 そのための尊大な態度というわけだ。


「対等なら酒と女の分はきっちり働いてもらうとするぜ。そろそろ戻るが、他にこの街で寄りたいところはあるか?出来る限りは手配してやる」


 三人がトニーの提案にしばし思案する。

 小声で何か相談し、代表してジノヴィエフ卿が発言した。


「では、この街の中心、王宮や総督府のような場所があれば見せてもらえるかね?」


「つまらねぇ回答だ。しかし仕事熱心で感動したぜ。いいだろう。弟の方と合流して、最後は庁舎を見ようじゃないか」


 上海にある宮殿は、しばらく前にトニーも拠点として使っていた場所だ。内部情報を渡すわけでもなければ、案内すること自体は問題ない。

 酒の入った赤ら顔に、妙にすっきりした身体で向かう場所ではないかもしれないが、ここで仕事に切り替えられるのは大したものだ。無下にするわけにもいくまい。


「ジャック、勘定を受け取ってこい。将軍ご一行は無料だ、なんて言わせるなよ。自分の街で金も払えないなんざ、恥でしかねぇ」


「はっ!」


……


 ジャックがボーイにそれを伝え、やはりオーナーが自ら請求書を持ってきた。

 それを見たトニーが顔をしかめる。思っていた額の半分にも満たない。


「なんだ、これは?割引か?正規の値段で取れ」


「いいえ、閣下。これが正規の価格で間違いありません。ただし、女やその他の従業員にチップを支払うのは自由でございます」


「そういうシステムかよ。じゃあこれで全体の払い。こっちはこの卓に関わった全員で山分けしとけ」


 店の払いで銀貨を数枚と、チップとして金貨を十枚包む。あまりにもおかしな配分と金額に、店のオーナーは白目をむいた。


「閣下!いくらなんでも頂きすぎかと!」


「あぁ?なら……こうだ。その二枚はボーイや料理人と分けろ。八枚に関して、てめぇは見てねぇ」


 金貨十枚を取り戻し、まだ席についている女四人に直接金貨を二枚ずつ、二枚はオーナーに手渡す。


「何も変わらないではありませんか……い、いえ、ありがたく頂戴いたします」


 内心では嬉しいのだろうが、ここまでの金額を受け取ると今後どんな要求をされるのか戦々恐々と言った様子だ。

 初めは顔を覚えてもらおうと出てきたのだろうに、予想以上の反応をされて委縮してしまったか。

 それを見越して、トニーも一言付け加える。


「心配すんな。金を渡したから何かに協力しろなんて意味は含んでねぇよ。ただ、楽しめたし世話になった心からの謝礼だ。特にこの女どもは気に入った。待遇を手厚くして大事に雇ってやれよ」


「は、ははっ!これからも精進いたします」


「閣下、またお会いできますか?」


 横にいた看板娘もここぞとばかりに名残惜しさを売り込んでくる。


「おう、またお前に会いに来るとも。おっさんらもまた来たいよな?」


「は!?我らを巻き込むな!そもそも貴様らが魔術を用いないと、この国には入れんだろう!」


「来たいってよ。お前らも良かったな」


 他に卓についていた女たちにも言葉をかける。彼女らがロシア高官たちをどう思っているかは知らないが、上客なのは間違いないので笑顔を見せる。

 勝手にまた来たいということにされてしまったジノヴィエフ卿らの顔はさらに赤くなった。


「では、お見送りを。下までご案内いたします」


 オーナーを先頭に、トニーと腕を組む看板娘、ゲストたち、ジャックの順で店の入り口へと移動する。


「またのご来店をお待ちしております」


 深々とオーナーとキャストの四人からのお辞儀を受け、歓楽街の喧騒へと戻った。


……


「おや?思ったよりも早かったな」


 酒場や娼館が建ち並ぶエリアから、商店が多いエリアに戻ると、その途端にウィリアム一行を見つける。

 あちらもトニー達に気づかないわけがなく、兄弟は歩み寄った。


「良い酒場があってな。そこで折り合いがついた」


「折り合い、ね……まぁ、分かった。どこか行くことになってるのか?」


 女の香と酒の匂いに苦笑いを浮かべながらウィリアムが訊いてくる。


「おう。庁舎を見たいとのご所望だ。そっちの用事が済んだら一緒に……ぐおっ!?」


 カトレアがトニーの鳩尾に突撃する。当然ご立腹だ。


「閣下、どこの女と遊んでたんだい!あたしには分かるのだよ!」


「何しやがる!こちとら真面目に仕事の話を進めてたってのによ!勘の悪い女は捨てられるぞ!」


「そんな甘ったるい匂いをぷんぷんさせてしらばっくれるとは!遊んでばっかりいないであたしの事も大事にしてくんないかね!」


 謎の肝っ玉母さんとしての新たなキャラクターが生まれる。演技派女優なのは結構だが、毎度毎度、解像度の高い役柄をどこで覚えてくるのかよくわからない。


「店の匂いの事なんか知るか!酒場で宮殿に行く話をまとめてたんだよ!」


「ふん!どんな店だったんだか!ともかく、しばらくあたしは離れないからね!」


「勝手にしろ!」


 落着したようで、一同は安心する。


「では俺が先導しよう。あぁ、そうだ。客人らが土産として仕立ててもらってる服があるんだが、先に寄っていいか?」


「おう、構わねぇぞ」


 ジノヴィエフ卿らにも簡単な土産を持たせるのにちょうどいい。


 頼んでいた者は仕立て屋の服を受け取り、そうではない者には適当な小物を土産品として渡し、宮殿へ向かう。

 カトレアがよほどトニーの気を引きたいのか、受け取ったばかりの服に着替えると駄々をこねたが、それは後でのお楽しみに取っておけとウィリアムが宥めて難を逃れた。


 平気で女遊びをするトニーの為に健気な事だが、今はタイミングが悪い。


 移動には転移ではなく、馬車を二台利用した。この時もウィリアムの引率組とトニーの引率組で別れて乗車する。

 ただし、カトレアだけはトニーの側に乗った。


 馬車は箱型ではなく、平型の屋根のないタイプである。乗客というより荷物のような扱いではあるが、宮殿に向かうまでの街の風景を、開放的な車でゲストたちに楽しんでもらおうという趣向である。


「風が気持ちいいな」


「然り。やはり暖かな国ならではというところですかな」


 ゲストたちの反応もまずまずだ。


「居心地も結構だが、街並みをぜひ見て行ってくれ。なかなか活気があって見事なもんだろ。俺との戦いの後、住民たちが自らの手で復興したんだ」


「壊した側が自慢することでは無かろう」


「ははは!確かにそうだな!だがまぁ街を全部壊したわけじゃねぇし、ウチの兵隊も手伝ったからな。許せ!」


 その、トニーの言葉を後押しするかのように、道行く人々がトニーに手を振り、頭を下げた。涙を流しながら拝んでいる老人や、馬車に並走して遊んでいる子供たちもいる。


「むぅ……この情景を見せられて、恨まれていると断じるのは難しいか」


「そういうこった」


 住民らがこんなに幸せそうに暮らしているのに、外野の自分たちがトニーを糾弾するのはおかしい。そう感じたジノヴィエフ卿が、さすがにその功績を認め始める。


「貴殿がこの領土を得る前は、よほどの悪政に民草は苦しんでいたのかね?」


 ゲストの一人が訊いてくる。


「そこまでじゃねぇな。だが、それよりも暮らしやすくした自信はある」


「閣下はこんな怖い顔のくせに優しいんだよ!アメリカ国内でこんな栄えてる街無いもん!」


 アメリカ本国は誰かの領地というより、民主は自由気ままに暮らしている傾向が強い。ヘルのように城下街として纏めている者もいるが、規模としてはやはり人間の街には敵わない。


 人は魔族以上に、寄り添って互いに依存しながら生活を送っている。


「つまりそれは、たとえば我らが暮らすモスクワなど、元々そこにいた人間が貴様らの街より大規模だったというだけではないのかね?」


「ぐむっ!そ、そうとも言うね!でもそれを維持してるじゃん!」


 カトレアの言い分であれば確かに何も凄くはないのだが、「栄えている」という状態を街の規模ではなく民の幸福度で喩えれば、この上海はかなり恵まれている街と言えるだろう。

 そして、それをトニーが付け加える。


「要は、モスクワの人間より上海の人間の方が楽しそうに暮らしてんだろって事だ」


「果たしてそうかね?我らにとっては目新しいものが多くて興味深いのは確かだがな」


「真似したい建築物や店舗、生産品があれば、遠慮なく知識を持って帰ってくれ」


 モスクワが栄える、良い街になる事に対してトニーは好意的だ。

 特に、極寒の地にある街なのだから、過ごしやすかったり楽しかったりする目玉は何かしら必要だろう。


「建築物は無理だな。大雪に耐えられず倒壊する。それに、木造の建物が多い。我が国は石造りが基本だ。しかし、食べ物は旨かったな」


 ジノヴィエフ卿はしみじみと料理屋の事を思い出す。

 現世出身のトニーやウィリアムですら美味いと思った料理だ。だが、あれは持ち帰れば作れるというわけではない。


「それなら朗報だ。当然ながら、こっちと友好関係になれば貿易が始まる。食糧だって取引されるだろうさ」


「貿易?ふむ、外国と商売をするわけか。であれば料理も買い取れるんだな。良い話を聞いた」


 ロシアは他国と行き来が出来ないせいで事実上鎖国しているのだから、海外とのやり取りは皆無。それが解禁されるとしたら生活は一変しよう。


 今回、少量の料理を持って帰ったところで再現は出来ないだろうが、料理そのものに加え、材料なども多くやり取りできるようになれば、ロシアで中華料理が流行することも有り得そうだ。


「逆に、海外に輸出できるような主力商品はあるのか?」


「ふーむ。鉄だろうか。鉄鉱石は多く取れるのでな。小麦などもあるにはあるが、そこまで余裕があるかと聞かれれば微妙だ」


 現世のロシアは石油などのエネルギー輸出国だが、こちらの世界では石油も天然ガスも利用するまでに至っていない。

 資源として存在はするかもしれないが、その代替手段として魔術があるので、需要としては低いだろう。


「鉄か。悪くねぇな。金属はいくらっても困らねぇ」


「ほう、買い取ってくれるか」


 トニーは死神ヘルの協力の元、秘密裏に銃器を多く生産させているので、鉄だろうが鉛だろうがアルミだろうが、あるだけ欲しい状態だ。


「当然だ。質は見せてもらうがな。それと、食料が少ないってのを漏らすのは意外だな。てめぇは俺らのことを信用するに値しないと思ってんだろ?敵に弱点をさらすのと同じじゃねぇか」


「馬鹿を申すな。農耕が難しい寒冷地帯にある国で食料が不足しがちな事くらい、誰にでもわかるものであろう。弱点をさらした内にも入らんわ。ここまでの話であれば、鉄と食料での貿易が主になりそうだな」


「おう。たんまりと買い取れるのを楽しみにしてるぜ」


 ロシア皇帝のいない場で確定という話でもないが、一応は貿易ができそうな話も取り付けた。ジノヴィエフ卿が宮殿内でどのくらいの地位にあるのか定かではないものの、輸出品の舵取りくらいはできる人物だと信じたい。


「ほかの国とはすでに商売をしているのか?」


「限定的だがな。ただ、本国アメリカには売れるものがほとんどない。俺の領地同士でのやり取りがほとんどだ」


 アメリカの荒廃した台地では何も育たない。

 トニーが自国で作っているものといえば武器くらいなものだが、これは売り物ではない。


 貿易といえば、トニーは支配下に置いているアジア各国同士での取引を補助するような形になるのも当然だ。


「アメリカ、魔族の国か。地獄のような場所なのだろうな」


「何もなくて退屈なのが地獄だと思うなら、そうなるな」


 つまり、トニーにとっては地獄であるということが確定する。

 彼ほど退屈を嫌う人間もいないだろう。


「退屈?おどろおどろしい闇や、轟々と燃え盛る溶岩地帯を想像してしまうがな」


「聖書通りの地獄ならな。実際は荒廃した平野が続く不毛の大地ってイメージが近い。山や森もあるにはあるが、国土面積に対して小規模なものしかない。だから人間の国を襲ってる連中が多いんだよ」


「食糧が不足しているということか。我が国以上の場所があるとはな。それも魔族であれば大飯ぐらいも多かろう」


 カトレアをイメージしたのであれば筋違いだが、別にどうでもいいことだ。


「心配しなくても俺たちの軍団に関して、食い物は他を当たる」


「うむ。この街も支配下なのであれば、むしろ我が国より貴様らの軍のほうが良いものを食っているだろうな」


 馬車がいろんな商店の通りを抜け、娼館や酒場の立ち並ぶ歓楽街を通り始める。なぜこのルートなのか知らないが、観光サービスのつもりか。


 ただ、カトレアの視線が鋭くなる。気づかなければそれが一番だったが、彼女の嗅覚はごまかせなかったようだ。


「むむっ!いかがわしいお店がいっぱいありますなぁ!閣下はここでお仕事をしてきたのかねぇ?似たようなお酒と香水の匂いがプンプン致しますなぁ!」


「なんだその変なしゃべり方は。どの店かは忘れたが、この近くの酒場だったはずだぞ。ステージには踊り子もいたから、そりゃ香水の香りも残るだろうぜ」


「いけしゃあしゃあと悪びれもせず!?ああーん!あたしという美しき妻がいながらぁ!知らない女の踊りだなんてぇ!」


「てめぇは踊ったりしねぇだろ!?」


 言われて悔しかったのか、カトレアはすっくと立ち上がり、走る馬車の上だというのにくるくるとその場で回り始めた。

 踊っているというよりは千鳥足でよろけながら回転しているだけだが、あどけない少女の姿なので子供が遊んでいるように見えて愛らしい。


「お、お、お」


「なにやってんだか。あぶねぇから座れ。落ちるぞ」


「おえぇぇぇ……」


 乗り物酔いか、目が回ったのか、いずれにせよ気分が悪くなったカトレアが荷台の端から顔を出して嗚咽している。何か吐き出したりはしていないようだが、演技でもなさそうだ。

 意外にもジノヴィエフ卿が彼女の背中をさすってやっている。


「瞬く間に転移を繰り返せる割に、目ぇ回すこともあるんだな」


「きもちわるいぃぃ」


「おい、貴様の奥方なのだろう?少しは大事にしてやらんか」


 さらにはジノヴィエフ卿からカトレアを慮るような発言まで飛び出し、トニーに苦笑させた。


「てめぇにそんな考え方があるとは驚きだな。他人のことを責めるのが仕事だと思ってたぜ」


「馬鹿を申すな!貴様を否定しているのは、貴様の言動と行動に問題があるからだ!街の活気など、認める部分は認めていただろう!」


「へいへい。おっと、ここからしばらくは練兵場なんかが続くぞ。魔族ではなく、この街の兵たちだ。見ておくといい」


「ふん!」


 がみがみと煩いのを黙らせるため、話題をそらす。それに気づくジノヴィエフ卿だが、確かに軍の施設は無視できない。

 カトレアは床にへたり込み……と思ったら這いずって、胡坐をかくトニーの膝の上へ。


「閣下ぁ。気持ち悪いぃ」


「俺のことを気色悪いみたいに言うのはやめろ。あと、絶対にそこでは吐くなよ」


 膝上から振り返ってトニーを見るカトレアは甘えたいだけだろうに、つっけんどんな態度をとられてしまい、頬を膨らませる。だが、トニーにとってはそれが吐しゃ物を口の中に溜めているようにしか見えない。


「おい、吐くなよ!飲み込め!」


「もう!本当に吐いちゃおうかしら!プンプンの香水の匂いが取れて一石二鳥だし!」


「将軍、あの建物はなんだ?異様に縦に長いが」


 夫婦漫才を差し置いて、ゲストの一人が五重の塔に興味を持ったようだ。


「あぁ?見ての通り、塔だ。特別な軍事施設ってわけじゃねぇ。中は狭いから宴会にも茶会にも使えねぇぞ」


 前々からある建造物だが、私兵団が実用するにしても見張り台としてくらいではなかろうか。トニーも詳しくは知らない。


 日本の仏閣でも似たような建物が見られるが、それよりはわずかに大きく、四角ではなく円柱形である。それでも使い勝手は悪いので、歴史的建造物という意味以上のものをトニーは感じられない。


「何か、儀式にでも用いるのかと思ったが違ったか。あれだけ高ければ神に近いだろう?」


「塔くらいロシアにもあんだろ。じゃあ逆に、そっちの国では高い建物で神に祈るのか?戦勝祈願とか?」


「い、いや。言われてみればそうだな。しかしこの、アジアの地域か?その中にある街に目立つ建物があれば、宗教的な意味合いがあるのではと考えてしまうのだよ」


 たとえば長年イギリスに住んでいる紳士が日本旅行で和風の古い家屋、特に大きな屋敷を見たとしたら、それは神社ではないかと勘違いしてしまうようなことだろうか。確かにありえなくはない。


「見晴らしは良さそうだからさ、デートスポットとして開放したらいいじゃん!入場料をちょっとだけもらえば潤うよ!」


 浅はかな考えに感じられて、なかなかカトレアの案は悪くない。私兵団もそうだが、軍隊というのはそれが利益を生むことはなく、税などで活動費が捻出される。


 軍がいるエリアにそういう場所があれば、その足しにはなる。ただ、常日頃から一般人であふれさせて良い場所ではないので、週末だけの開放など、日取りは決めた方が良いだろう。


「ジャック、手配しとけ」


「はっ!」


「日曜だけの開放で進めろ。入場料は銅貨二枚だ」


「はっ、かしこまりました!」


 即採用し、即行動だ。カトレアが鼻を鳴らして、いい事したでしょと自慢げにしている。


 ここで、後続のウィリアムの馬車が停車しているのが目に入った。同じようにあちらのゲストらも五重の塔が気になったのかもしれない。そのまま通過したトニーとは違い、ウィリアムたちは降りて見学するようだ。


 もちろん勝手にすればいいのだが、あまりに早く宮殿に到着しても退屈なので、こちらもどこかで停車することを考えておいた方がよさそうである。


「む、中も見れたのか」


 ジノヴィエフ卿も気づく。


「言ったろう。見たって中は狭いだけの塔だ。練兵の風景でも見た方が、ためになるんじゃねぇのか?」


「そうだな。では、兵どもの訓練でも見せてもらおうか」


「おう。見学するのによさそうな集団を見かけたら止めてやるよ」


 言うが早い、さっそくトニーが周りに目を凝らし始める。

 草生い茂る平野も多いが、建物も多いのでその中にいる兵などは見えない。狙うのは外で駆け回っている連中だ。


 一人、二人でスコップを手に何か作業をしている者、剣や槍を振っている者は見えるが、集団はなかなか見つからない。

 ぐずぐずしていると馬車はこのエリアを通り過ぎてしまう。


「あれはどうだ?」


 ゲストの一人が指さす。四騎の騎兵隊が列をなしてどこかに移動している。

 乗馬の訓練だろうか。見て面白いかどうかは疑問だが、他に目ぼしいものもないので、彼らをきっかけにする。


「ガキ、あいつらを呼んで来い」


「偉そうな頼み方!もう!それにあたしは体調不良なんですけど!」


 などと小言を言いながらも、次の瞬間にはカトレアはトニーの膝の上から消えていた。


 遠く、騎兵隊の前に立ちはだかる少女の姿。それに驚いた彼らは馬をいななかせて急停止する。少女が飛び出てきたことに驚いたのではない。カトレアだと理解して驚いたのである。この街を治める将軍の夫人。その認識がないはずもない。


 馬車を指さすカトレア。こちらを見やり、うなずいた彼らは一斉に駆けてきた。

 馬車の前で下馬し、兜を脱いで片膝をつきながら右手の拳を左手で包む、礼の姿勢をとった。


「バレンティン閣下!お呼びだと伺いましたが!」


「バレンティノ将軍、ご機嫌麗しゅうございます!」


 乗っている馬車は箱型ではなく平型なので、荷台のトニーは外からでも確認できる。トニーは手を挙げて返礼した。


「おう。訓練中に呼び出して悪いな。ここに同乗してるのは外国の使節団みたいな連中なんだが、訓練をしているのを見学させてやりたい。何でも構わないが、面白い訓練をしている奴らを知らないか?」


「我らは騎乗での疾駆の訓練中でしたが、それでしたらご自由にご覧いただければと」


 要は駆け足の練習か。見栄えも良いし、つまらなくはないが果たして。


「うむ。少し見学させてもらおうじゃないか。ただ、次に見れるような他の場所も紹介いただきたいものだな」


 ジノヴィエフ卿も了承するが、その次までをご所望だ。


「他ですか……よその部隊が何をしているのかは我らもあまり把握できておりません」


「面白いと思われるかどうかはわかりませんが、体育館で組手の訓練であれば常時、誰かがやっております。それを見学なされてはいかがでしょう?」


 一人の兵の進言により、次の候補も決まる。

 組手の練習はトニーも見たことがない。中国拳法でもやっているのだろうか。


「そりゃいい。しばらくお前らが駆けているのを見学して、そっちに行こう」


「はっ!では訓練に戻ります!」


 三騎が馬車から離れていく。残っていた一騎は遅れてゆっくりとそれに向かう。


 先行した三騎が反転し相対したので、交差する訓練でも見せてくれるのだろう。あるいは、敵を取り囲む練習かもしれない。

 いずれにせよ、サービス精神は旺盛だ。


 同時に、一対三の騎兵が距離を詰める。


 やはり、遅れて向かった一騎は敵役らしい。

 先行してこちらへ戻る形となっている三騎はそれを取り囲み、ぐるぐると回り始めた。


 あまり実戦的な動きとは言えないので、あくまでパフォーマンスの一環だ。馬を最小半径で、それも高速で操るという技術を楽しんでもらおうという趣向が見える。


「わぁぁ、ぐるぐるぐるぐるぐる……おぇぇぇ」


「なんでお前が吐きそうになってんだよ。トンボか」


 そして、その中央で囲まれている一騎もジッとしているだけではない。非常に狭い範囲で右往左往しながら、何かを伺っている。

 次の瞬間、一同は目を疑った。


「はぁっ!」


 雄々しい掛け声と同時に、その騎兵は回転する場から脱したのだ。飛び越えたのではない。針の穴を通すような回転の隙を、馬ごと通り抜けたのである。


 ジノヴィエフ卿らは、どよめきながらも惜しみない拍手。トニーも息を漏らし、見事なものだと拍手を送った。

 カトレアだけはうつむいて気持ち悪そうにしている。


「素晴らしい馬術だ!研鑽を積まれているようだな」


「あぁ、ありゃ大したもんだな。俺もそう来るとは思わなかった。派手に馬の背中から飛んで、宙返りして着地でもするのかと思ったぜ」


 それだと見た目は派手だが、馬を敵中に見捨てる行為だ。今見せてもらった正面突破のほうがトニーも好みである。


 拍手を送られた一騎が再度、馬車の近くへとやってきた。


「喜んでいただけたようで何よりでございます。自分らは曲芸のような技を持っておらず、唯一、これくらいは観覧向きかと思って実施したのですが」


「楽しめたぜ。ありがとよ、隊長さん。これ以降は通常の騎乗訓練か?」


「えぇ。近くを駆けておりますので、どうぞご自由にご覧になり、その後で折を見て体育館にご移動いただければと」


「わかった。ご苦労さん。訓練に戻ってくれ」


「では失礼いたします」


 隊長、とは適当に言ったのだが否定もされないので、おそらく彼がこの四人と四頭のチームの統率者で間違いないはずだ。トニーの言を否定するのも憚られると思って訂正しないだけかもしれないが。


 そして彼の宣言通り、それからは早駆け、旋回など、基本的な訓練が行われ始める。

 五分ほどはそれを見ていたが、やがてカトレアが移動しようとせっつき始めたので、彼女以外はまだ誰も飽きてなどいないがそれに従うこととなった。


……


 体育館とは言っていたものの、板の間が張られたその場所は武道場と呼ぶのにふさわしい場所だった。

 稽古服に身を包み、素手で取っ組み合いをしている者や、木剣で人形に打ち込んでいる者、先端に布を巻いた木槍で試合をしている者、様々な場所で汗と気合の入った声が飛び交っている。


 そこに突如として、将軍ご一行が現れたものだから、一斉に視線が集まった。

 まずは「誰だ」という懐疑的な視線、そして「将軍だ」という驚愕の視線、最後に「その将軍が訓練を見学しに来た」という緊張と歓喜の視線。


 ドタバタと、師範をしているのであろう壮年の男が走ってきた。


「バレンティノ将軍閣下であらせられますよな!?どうなさいましたか!」


「おう、邪魔するぜ。今日は海外の客人がいてな。訓練を覗きに来た。すぐ帰るからそのまま気にせずやってくれ」


「は、ははっ!」


 気にせず続けろと言われても、というのが正直な感想だろう。

 訓練なので何かヘマをして叱責される恐れはないが、誰もがここで目立って取り立ててもらおうという気になっている。


 トニーの要望通りに組手が再開されるも、チラチラとこちらを気にしながら練習している者が多いのが見え見えである。


「どうだ、アンタらも参加していっては?」


「冗談を申すな、将軍。我らのような枯れ木が精強な武人に混じったところで怪我をするだけだ。貴様こそ一汗流してきてはどうだ」


 ジノヴィエフ卿が手をひらひらと振り、反撃してくる。


「それこそお断りだ。汗ならさっき、どこぞの店で流したばっかりだろ」


 カトレアはこのセリフの真意には気づいていないので、特に何も起きない。


「そうか?見たところ、将軍に認めてもらおうという下心を持ったものが多いように見受けられる。今ならば張り手の一発でも入れるだけで相手が倒れてくれそうだな」


「そんな阿保らしい八百長を見て笑いたいってのか?おそらくてめぇが行っても同じ結果は得られると思うぜ。ジジイが屈強な若者を倒す良いチャンスじゃねぇか。行って来いよ。俺の権威に感謝しながらな」


「不要だ。何も面白くなどないわ」


 だが、残念ながら面白くないのは彼らが出ていかなくとも同じだった。技が決まるたびにこちらをチラチラとみてくる兵たちが鬱陶しい。


 おそらく民兵や新兵など、軍人として長く生きて染まり切っていないものが多いのだ。

 先ほどのベテラン騎兵どもを見習ってもらいたいものである。彼らにも似たような気持ちはあっただろうが、それでも訓練自体は見事だった。


「ねぇねぇ!なんだかみんな、本気で練習してないよ!閣下のことが気になっちゃうんだねぇ!」


「本気でやってるところを見たいんだがな。お前が少し相手をしてやっちゃどうだ?」


「え!あたしが拳法をするの!?楽しそうかも!行ってくるね!」


「あ?お、おう」


 やらないと思ったらやるのか、という一同の心の声に気づけないカトレアが、魔女服を翻しながら一つの組手に近づく。


「ん?こちらのお嬢さんは……?」


「どうした、練習したいのか?よし、俺たちが教えてやろう!」


 運の悪いことに、応対したのは、トニーと同じくらい認知度が高いであろうカトレアに気づいていなかった二人の兵士である。

 トニーにいいところを見せたい一心だろうが、彼らの運命や如何に。


「ほげぇぇぇ!?」


 そして次の瞬間には吹き飛ばされる一人。カトレアのパンチが綺麗に入った形だ。トニーに対して良いところではなく、無様な姿と悲鳴を披露することになってしまった。


「な、ななな、なにぃ!?ま、まて!お嬢ちゃん、お前は何者だ!」


「えーい!」


「やめ、どわぁぁぁぁっ!?」


 そしてもう一人も軽々と放り投げられる。

 カトレアは魔術師であるが、それ以前に魔族なのだ。その怪力は歴戦の戦士くらいはあると見ておいて間違いない。

 無論、英雄クラスの人間の勇者たちには届かないが、それでもここにいる訓練兵くらいなら軽々と力勝ちできるわけだ。


「閣下ー!見てたー?勝ったよ!」


「か、カトレア様!」


 師範の男がそちらへ駆けつける。


「お怪我はありませんか!」


 ズザーッという擬音が聞こえてきそうなほどのスライディングで正座をし、頭を床につける師範。別に怪我などなかったはずだと見ていて分かりそうだが、どちらかと言うと新兵二人がカトレアに気づいていないことを詫びているのかもしれない。


「うん!平気だよ!ありがとう!」


「カトレア様……?」


「え、将軍の奥方様?し、失礼しました……」


 やられた二人も目を回しながらよろよろと移動し、正座をして頭を下げた。


「うむ、苦しゅうないぞー!ねぇねぇ、もっとやろう!ちゃんと強い人が良いなぁ!」


「えぇ!?しかし……」


 師範の男は当然、トニーへの視線を送ってお伺いを立てる。そしてそれに対し、トニーは好きにしろと頷く。


 仕方ないか、と師範らしき男はカトレアを正面に見て両の拳を構える。


「え!おじさんが相手してくれるのー?」


「えぇ、この訓練場で最も腕が立つのは私でしょうからな……正直、あまり気乗りはしませんがお相手仕りましょう」


「おぉ!つまりこれは道場破りだぁ!あたしが看板をもらっていくね!」


 この場にいる誰もが知らない、日本に存在する道場破りという概念を披露しながらカトレアも師範の前に立った。

 トニーですらカトレアが何の話をしているのか分からない。


「か、看板ですか?別にここは商店ではありませんが……」


「違う違う!ん-とね、あたしが勝ったらここは潰れるの!」


「はい!?いや、それは承服できませんぞ!兵の訓練ができなくなるでしょう!」


 軽い練習でそんなものを賭けられてはたまったものではない。

 ただ、カトレアの言うことなら嫌でも飲むしかないところを、この男は意外にも堂々と拒否してきた。


「ガキ、そんなもの賭けんな!普通にやりゃ良いんだよ!」


「えぇー?燃えないなぁ。じゃあ、あたしが勝ったらこのおじさんに肉まん買ってもらう!」


「ふむ、そのくらいならば構いません」


 看板と肉まんでは価値の落差が激しいが、カトレア本人がそれで納得できるなら良しとする。


「やった!約束ね!大きいやつ!ジャンボ肉まん!」


「かしこまりました。この訓練場で老師を務めております、王です。カトレア様、こちらが勝ったら如何いたしましょう?」


「え?肉まんでしょ!」


「ははは!承知いたしました!」


 どちらが勝っても肉まん程度で済むのであれば、良い余興だ。新兵らも、トニーのゲストたちも、リラックスした様子で試合を楽しむことができている。


「いっくよー!」


「いざ!参ります!」


 カトレアが先手を決める、と思いきや、王老師と名乗った師範はすでに彼女の懐へ急接近。

 普段から瞬間転移を使い慣れているはずのカトレアですら目をむく程の高速移動だ。


「こんのぉ!」


「むっ!?ならば、こうです!」


 彼の掌底を打ち込む構えに対し、カトレアは小さな身体をさらに低くして攻撃を頭上に逃がそうとする。

 そして、鋭い回し蹴りに見えるが、非常にソフトタッチの足払いに引っかかった。


 こてん、と仰向けに転がるカトレア。ただ、転んだからといって勝負ありとはならない。


「んにゃ!?」


「はぁっ!」


 その眼前に振り下ろされる師範の拳。おそらく寸止めのつもりだろうが、これが顔に寄せられた時点でほとんど判定負けだ。

 それを許さないカトレアは横に一回転し、片手で一度だけ地面を突いて身体を浮かせ、そのまま立ち上がった。


「なんだあの挙動は!空中で回りながら立った!」


「人間業じゃない!老師の速度を見たか!?」


 ギャラリーからも、アクロバティックな両者の動きに驚きの声が上がる。


「ほほう!やりますな!相手は幼い娘だと甘く見ておりました!」


「あたしはさいきょーだぞー!」


 ただ、老師を務めているというだけあって、王という男もかなりの使い手だ。カトレアに何もやらせず、どんどん攻め込んでくる。


 最初に見せられた高速の移動でカトレアに急接近。今度は初めから脚を狙って蹴りが放たれる。


「わぁっ!」


 それをぴょんと飛び越えるカトレアだが、やはり一撃ではなく次の攻撃は顔を目掛けて飛んできた。つまり、蹴りからの掌底。さっきと逆の順番である。

 しかし。


「むっ!?」


 その攻撃も空を切る。絶対に逃げ場のないはずの、滞空中の相手への追撃だったはずだ。いくらカトレアの身体能力が高いからといっても、急に落下したり、急に上昇したり、退いたりもできないはずの位置。

 それでもカトレアはその攻撃を回避した。


「ふー、危なかったぁ。当たるかと思ったぁ」


「てめぇの負けだな」


 いつの間にか横に立ち、トニーのズボンの裾を掴んでいるカトレアに告げる。


「えぇ!?なんで!?」


「魔術を使ったからに決まってんだろうが」


 そう。カトレアはとっさに瞬間転移で王の攻撃を回避していただけに過ぎない。格闘の組手でそれはルール違反だろう。彼女は知らなかったのだろうが、当たり前のことである。


「閣下、これは……」


「おう、お前の勝ちだ。喜べ」


 おずおずと、自らカトレアを糾弾するわけにもいかない王がトニーに問うと、そう返した。

瞬間、見守っていた兵どもからおぉぉっ、地鳴りのような歓声が沸き起こる。自分たちの師範が勝利したのだから 喜ぶのも当然だ。


 ただ、本人は相手の反則による勝ちにやや不満の様子である。


「残念ですが、そうなりますかな。カトレア様、お手合わせいただきありがとうございました」


「負けてないもん!」


 ゴッ!


「あだぁっ!?」


 トニーの拳骨に、頭を押さえてピョンピョンと飛び跳ねるカトレア。

 誰も心配してくれないので、ジャックに近寄って頭を撫でてもらっている。


「しかし、彼女に武術の心得はなかったのでしょう?それにしては見事な体捌きで、こちらも肝を冷やしました」


「単純にこういうチビな魔族は身軽なだけだ。デカいやつはパワーがある。お前も、よく修練を積んでいるようだな。なかなか面白いものが見れた」


「お褒めに与かり光栄でございます。他には見るようなものは何もございませんが、どうかごゆるりと見学して頂ければと」


 一礼し、下がる王老師。確かに彼の言う通り、これ以上は何も望めないだろう。数分をそこで過ごした後、一行は馬車へと戻った。


……


 政務を執り行う場所として上海の中央の高台に設置されている宮殿。

 久々に呂明との再会があった。この地区の長官を担当しており、ここで働いているのも当然だ。


「おや?閣下?こちらにいらしたんですか」


 へりくだる様子もなく、椅子から立ち上がって主を迎え入れる呂明。


 連絡は来ていなかったようだが、慌てる素振もない。トニーが神出鬼没なのはいつものことなので、久しぶりだろうが何だろうが、慣れているといったところか。


「おう、客がいる。適当な部屋を使わせてくれ。広いところを一つで良い」


「かしこまりました。準備させましょう」


「ミッキーはいねぇのか?」


 かつてのトニーの副官、リザードマンのミッキーは上海を含め、アジア各地を転々としながら業務をこなしている。


「えぇ。しばらく見ておりませんので、別の街におられるかと」


「トカゲちゃんー?いないんだぁ。残念」


「おや、カトレア様もおいででしたか。何かご入用の際はお声がけくださいね」


「肉まん!肉まん食べたい!」


 突然の謎の要求に目を丸くする呂明。言われてトニーも気づくが、さっきの賭け試合、王老師に肉まんを奢っていない。


 彼も食べたいわけではないだろうし、わざわざ文句も言ってはこないだろうが、トニーはジャックに耳打ちして先ほどの場所に大量の肉まんが届くように手配しておく。ついでにカトレアがいるこちらにもだ。

 王はともかく訓練兵たちは大喜びだろう。


「そっちは心配すんな。後で届く」


「そうなの!?やったぁ!さっすが閣下!」


「おっさんら、宮殿の中を案内してやる。ついてこい」


 呂明はそのまま政務に戻らせ、トニー自らがジノヴィエフ卿らを引き連れて屋内を歩く。ウィリアムたちの班を待っているつもりはないらしい。


 しかし、ここでウィリアムたちも宮殿に到着した。案内中のトニーと目が合ったウィリアムは黙って頷き、その列に自分たちも加わった。


 宮殿内で働いているのは呂明を含めても五名ほどだろうか。

 それぞれの部屋でなにやら書類に目を通しているばかりで、その内容まではわからない。


 他には客間と大広間がいくつかあるだけなので、案内自体は十分と経たずに終了した。


「ふぅむ。随分とこぢんまりとした庁舎だな。人も少ないではないか。こんなもので回るのか?」


「大都市ではあるが、首都でもねぇ。街の中心がこうしてのんびりしてるのは平和な証拠だろ」


 アジア方面は、トニーが侵攻していることが魔族全体にも知れ渡っているので、侵入による都市での略奪行為は激減している。


 侵入禁止の決まりはあっても全員が守るというわけでもなく、まったくのゼロとは言わないが、わざわざトニーに喧嘩を売るような真似は他の諸将も控えているわけだ。

 オースティンは例外、それでもやはり手は出さない。落とされたロサンゼルスだけでもかなりの苦労があったはずである。


 カトレアの魔力が吸われた件もあるので見には行けないが、本人がそこにいるかはともかく、ある程度の部隊は駐留させていることだろう。


「これでツアーはお開きかね」


「そうなるな。土産も十分で、堪能できたんじゃねぇか」


 いよいよモスクワのゲストらが帰る時間だ。トニーたちに対しての扱い、良い判断をしてくれることを願う。


 オースティンの部隊のほとんどがいるであろう、ロシアの地から人間たちと協力してそれを排除。逃げるのであれば本国しかない。仮にその逃げ場所として、最後の砦に選ばれれば、ロサンゼルスは激戦地になるかもしれない。


「じゃあ、あたしがこの人たちをモスクワに送り届けてくるねぇ。閣下たちはどうするの?」


「ウィリアムは一緒にモスクワへ。そのまま本陣に戻れ。俺はジャックと別の仕事だ」


 しばらく、また別行動となる。


「わかった。どのくらいかかる?」


「一日か二日だな。適当に残党狩りを継続しておいてくれ」


「じゃあみんな!あたしの服のどこかに触れておいてねー!びゅーん!」


 その言葉が終わるや否や、トニーとジャックを覗いた全員がカトレアを囲み、瞬間転移で消えていった。


「早速行くか。空間転移を出せ」


「はっ!それで閣下、どちらへ向かわれますか?」


「ヘルのところだ。武器弾薬の製造の様子を見に行く。ロサンゼルスの現在の情報も持ってないか聞いておきてぇな」


「かしこまりました。それではフィラデルフィアの天空城へ向かいます」


 ズゥ……バリバリバリッ!


……


 ズゥン。


 カトレアの瞬間転移とは違い、空間転移は自らの足で亀裂に入り、その反対側から出てくる形なので、その視界の切り替わりには十分脳が追いつく。

 上海の宮殿から、景色の大きく変わる天空の神殿に出たところで問題ない。


 久々に訪れたフィラデルフィア城は穏やかで暖かい。ただ、眼下は曇天で麓にあるはずの街並みは見えない。

 雲の上にあるはずなのにここが寒くないのはヘルの仕業だろうか。


 空に浮かぶその小島の、中央にはパルテノン神殿のようなヘルの居城があり、島の隅に木造の工房が建てられている。それがトニーがヘルに頼んだ武器弾薬の製造拠点だ。

 工場というよりはやはり工房という方が正しいほどの小ささで、働いているのも十人足らずの人間の奴隷、そして監視役、指示役として数人の組員が駐留している。


「親父!?おぉ、親父だ!」


「閣下?」


 工房の前で休憩中だったのか、煙草をふかす組員と作業員の奴隷らに気づかれる。


「よう。作業のほどをな」


「まだまだ大量生産とはいきませんね。少しずつですが、供給できるようにして見せますよ」


「そうか。ロサンゼルスの方の話は知ってるか?」


「噂程度ですが聞いてます。ヘルの旦那によれば、近づかないようにと」


 ヘルに感謝だ。彼らがロサンゼルスに用事があるとも考えづらいが、何かの用事で戻ってしまってはその際に巻き込まれる。


「城の連中はどうなったんでしょう……?」


「カトレアが見に行っただけだが、望みは薄いな。やられてるだろう」


 城にいた奴隷、組員の生存は本来絶望的だと思われる。ただ、オースティンの気まぐれで人質などにし、あとで利用しようとしている可能性はあるので、そちらに賭けたいところだ。

 奴隷はかなりの数、組員は少なくとも五名前後が被害にあっている。


 奴隷の一人が折りたたみ椅子を出してくれたので、それに座って工房の表で話す。

 扉が開いたときにちらりと中が見えたが、大量の小銃と弾薬が積まれていたのが見えた。まだまだ小規模というのもある程度は謙遜だ。


 実際、ロサンゼルスとフィラデルフィア兵、ロシア兵にも女団長が率いる部隊には配備済みなので、初動の目標はすでに達成している。

 その頃や、現世の工場生産などに比べれば穏やかで小規模だ、と言っているのであれば正解だが。


「奴隷の連中に訊きたいんだが、何か不都合なんかはねぇか?これが欲しいってのがあれば、ある程度は準備してやる」


「はぁ、十分良くしてもらってますよ。メシも暮らしぶりも、正直こちらの方が良いです。故郷に戻れないのは寂しいですけどね」


 椅子を出してくれた奴隷の男が返す。奴隷の中でも、職人と侍女はトニーの意思で格段に好待遇としている。

 ただ、確かに故郷に帰すとなると労働力の問題が発生するので難しい。攫ってきた意味もない。


 ではどうするか。


「休暇中に一時的な帰省を許すというのは難しいか?」


今度は組員に問う。


「できますが、そのまま帰ってこないってパターンはあり得ますよ」


「暮らしはこっちのほうが良いって言ってる奴は戻ってくると思うがな。定期的に自宅に帰れるんなら、出稼ぎみたいなもんだと考えさせりゃいいだろ」


「親父がそう言うんなら、試験的に何人か試してみますか」


「おう。任せる」


それでちゃんと戻ってくれば継続だ。重要なポストについている職人だけは慎重に検討する必要があるが、一人二人いなくなっても良い者から試してくれるだろう。


「おぉ!帰れるようにしてもらえるんです!?こりゃありがてぇ!」


「おい、あんまり騒ぐなって。試験的にと言ったろ。誰で試すかはこっちで考える」


 この奴隷の男も自分が選ばれたいというのは山々なので、大手を振って皆に知らせてやりたい気持ちを抑えて黙る。人差し指を立てて自身の口を塞いで見せるほどの徹底っぷりだ。


「給金はどうなってる?本来は奴隷に払うもんでもねぇが」


「多少は渡してます。ただ、使う場所がないってのは問題ですかね。結局どこにも移動させてはないんで」


 奴隷は帰省も当然だが、たとえば香港や上海などの街に行く機会もない。それどころかフィラデルフィアの城下町にすら行かせていないだろう。


「そこも変えるか。金が貯まる一方じゃ虚しくなるだけだ。家族に渡せたり、遊びに使えるようになれば仕事に精も出るだろ」


「分かりました。ではそれも帰省の件と合わせて、少しずつ試していきましょう」


 賃金を与えている時点でそれはもう奴隷ではないのだが、使わせる場を準備するというのは今まで盲点だった。確かに、いくら金が貯まっても使えなければ意味はない。逃げ出さないのならば、今後は少しずつ能力に応じた賃上げも考慮すべきだ。


 職人の方は組員らに任せていいとして、女はトニーの方が管理してやる必要がある。が、ロサンゼルスが落ちた今、彼女らの所在や安否は不明だ。

 こちらもオースティンの配慮に期待するしかないのが歯がゆい。


「ヘルはどこにいるか知っているか?お前らも随分世話になってるみてぇだ」


「あの人、いや骨か。俺らが狭いこの浮き島でも退屈しないように、いろんな食い物や酒を調達してきてくれるんですよ。いい人、いや骨です」


「いちいち言い直さなくてもいいだろうが。で、居場所は?」


「さぁ。そこの神殿の中に居ないんなら分かりませんね」


 彼も六魔将の一人だ。トニーと同等くらいには多忙な身である。


 工房をあとにし、ジャックを引き連れたトニーはヘルの住まいでもある、神殿の中を覗いてみた。大きな石柱で四方を支えるその建物は、中央の玉座まで丸見えだが、やはりそこは空席だ。


「おい、ヘルはどこだ?」


 フィラデルフィア兵、つまり守衛の魔族も少しだけいたので、彼らに訊く。


「はっ!バレンティノ将軍!ヘル将軍は外出中であります!」


「質問の答えになってねぇな。だが、知らねぇってことか」


「はっ!我々も把握しておりません!」


 なぜかカチコチに緊張しているスケルトンの兵士。顔の違いなど分からないが、この兵士は新たに配属されでもしたのだろう。応対に慣れていないのがよくわかる。


「行先に心当たりは?」


 期待の薄い質問だなとは自分で思いながらもさらにトニーは訊いてみる。


「最も確率が高いのは城下町でしょうか。それ以外は何とも言えません!」


「そうか。ジャック、城下に行くぞ。工房の連中への差し入れでも見にな」


 組員らと会うのも久々だというのに手ぶらであったことに気づいたので、ヘルを探すのと同時に買い出しへ向かうという話だ。


……


 ジャックが発動した空間転移を抜け、雲の下にあったはずのフィラデルフィア城下町へ。曇天ではあるが人通りも多く、やはり魔族の街にしてはよく栄えている。


「おい、酒は扱ってるか?」


「あぁ?なんだ、てめぇ?まさか人間か?」


 近くの雑貨屋のような露店で尋ねると、ガラの悪いミノタウロスの店主に睨みつけられる。


 トニーを知らないのは一目瞭然なので、喧嘩は買わずにそのまま会話を続ける。


「酒はあるのか?ねぇのか?どっちだ?」


「チッ……偉そうな客だ。あるぜ、三本だけだが極上品だ。確か、フランスだか何だか言う国から、そこに侵入したフィラデルフィア兵の部隊が持ち帰った戦利品だ」


「ほう、見せてみろ」


 露店の裏から三本のワインボトルが運ばれてきて、カウンターに立てられる。


「これだ。三本まとめてなら銀貨二枚に負けといてやるぜ」


 品としては普通のワイン。極上は売り文句だ。

 少々高いが、言うほど吹っ掛けた値段ではない。それよりも、物々交換が主流の魔族の取引で、貨幣が使えるようになってきたのはありがたい。


「買おう。ついでに、他にも取り扱いのある店は?」


「なんだ、酒の買い占めでもする気かよ?しかし他の店の仕入れ状況なんざ知らねぇ。てめぇの足で調べろ」


「そうか。最後に、ヘルを見てないか?探してるんだがよ」


「あぁ!?ヘル将軍だぁ!?知るわけねぇだろ!なんなんだ、てめぇは!薄気味悪いぜ!さっさとそれを持ってどこか行きやがれ!」


 ミノタウロスが騒ぎ立てるも、他に出歩いたり店を出している連中はトニーの顔を見て、そのほとんどが納得の様子。騒ぎが大きくなることはなさそうだ。


 銀貨を払い、そばにあった次の露店へ。そこは小柄なエルフの女が開いている食料品店だった。


「バレンティノ将軍閣下。いらっしゃいませ!ヘル様をお探しなら分かりかねますよー!」


「聞こえてたなら話が早い。この辺りには来てねぇんだな。酒はあるか?」


「はい、ございます!」


 トニーを知っているのに緊張感のかけらもない。天空城にいたスケルトン兵とは真逆だ。


「買い物ついでの人探しだからな。今ある在庫は全部買っていこう」


「どっひゃー!ありがとうございます!」


 こちらは食料品店だけあって、十本前後のワイン、二つのビール樽が出てきた。そのままでは出歩けないので、ジャックに何往復か転移させて天空城に運ばせておく。


 その間、トニーは手持ち無沙汰になるのでエルフの店主と雑談だ。


「この街は平和そのものだな」


「えぇ!ヘル様のおかげですね!アメリカ国内では一番の大都市なんでしょう?みんなここに越すのが夢なんじゃないかしら!」


「あぁ、間違いなくデカい街だ。魔族が都会好きばかりならそうなるな」


 個々人の考えなど知る由もないが、群れずに家族単位で生活している者はロサンゼルスにもいた。魔王城の近く、ニューヨーク周辺も似たようなものだ。


 コロシアムを有するボストン、六魔将アルフレッドの管理下の街、あちらはフィラデルフィアのように賑わっていた。


 他は大して記憶に残っていない。それよりも街としては人間が住む場所の方がどこよりも栄えている。


「あっ。この気配」


「あん?」


「あ、いえ!ほら、あそこを見てください!ヘル様では?」


 エルフの能力なのか何なのか、ヘルの登場をいち早く察知し、トニーに知らせる。全身黒いローブにフードを深く被った細身の長身。顔は見えないが、確かに格好だけ見ればヘルに似ている。

 トニーに寄って来るでもなく、ぶらぶらと通りを散策している。


 こちらに気づいてないとは考えづらいが、手を軽く上げて振ると、その人影は手を振り返した。が、まだ寄ってはこない。

 そのまま道行く者や露天商と一言二言話しながら、一分ほどかけてやって来た。


「トニー、遊びにでも来たのか」


「ご挨拶だな。お前は何やってんだ。呼んだんだからさっさと来いよ」


 顔はまだフードに隠れて見えないが、声とその口調からヘルであることが確定する。


「民と親睦を図るのも領主の仕事だ。貴様はやらんのか」


「生憎、その領地が奪われたからな」


「ふはは!アジアには街くらい、いくらでも残っておろう」


 本拠地が落ちたのをもう少し心配してくれても良さそうなものだが、ヘルにその期待はできない。優しき友人ではあっても、弱肉強食が魔族の基本ルールだ。


「チッ……他人事だと思ってよ」


「他人事ではあるからな。それに、大事でもないと思っている」


「あぁ?天空城が取られても同じことがいえるのか?」


 本拠点が取られて大事ではないとは、いったいどういう意味か。


「我の場合は話が違う。ここ以外に寄る辺はないのだからな。立ち話はここまで、城へ参ろうか」


 言うが早い。さっさとヘルは空間転移で飛んで行った。

 荷物の運搬が住んだジャックと共に、トニーもヘルに続く。


……


 神殿の中央、玉座に腰かけたヘルに、トニーは立ったままで相対する。結局、座れているのはヘルだけなので、立ち話なのはトニーにとって同じだ。


「つまり、俺にはアジア地域があるんだから致命的じゃねぇって言いてぇのか」


「そうだ。事実、主戦力はロサンゼルスには置いていなかっただろう」


「あのな、それでもウチの若い衆はほとんどロサンゼルスにいたわけだ。魔族の兵士を軽く見るわけじゃねぇが、あいつらは俺にとって最も失いたくねぇ部下だったんだよ」


「そうか……しかし、起きたものは仕方あるまい。今この城にいる者どもは保護しておいた」


「それは礼を言うけどよ。クソっ。あの犬野郎、さすがに殺さなきゃ気が済まねぇ」


 何度もチャンスはあった。この結果を知っていれば、さっさと殺しておくべきだったと後悔の念が沸き上がる。


「うむ。それでこそ将軍だ。倍にして返してやれ。我は本来は静観すべき立場だが、今こそ武器の恩は返させてもらおう」


「おう。ロサンゼルスの奪還と、奴のロシア国内にある拠点制圧にはかなりの力が要る。手ぇ貸せ」


 ここまではっきりとヘルが助力を申し出るのも珍しい。共同で何かをすることはあっても、連合で敵を叩くと。それも本来であれば手は出さないはずの魔王正規軍に対してだ。


「となると、このフィラデルフィアが襲われることも考慮し始めねばならんな」


「いや、お前自身が出張らなきゃいい。装備でも兵でも良いが、ウチの兵隊に紛れさせればそれでいいだろ」


「そんなもの、瞬時に見破られると思うがな」


 ロサンゼルス兵の中にフィラデルフィア兵がいる。それがオースティンに伝われば敵意は向けられてしまう。


「だったらお前は俺に兵を貸す時に、その場所や理由までは聞かされていなかったという事にすれば良いんだよ」


「それでも同じだとは思うが……まぁ、良かろう。我も友のために少しは危ない橋を渡らねばな」


 ただ、フィラデルフィアが襲われるとなると、城の隅にある工房も攻撃されてしまう。そして、武器弾薬の生産拠点がここにあると知られるのはまずい。

 そうなればまた移転となるが、他に場所を確保できるようなところはあるだろうか。


「ババアに相談……いや、いっそ日向でやるのも有りか」


 大魔女エリーゼの住む森は絶対不可侵の領域だ。まさかオースティンが向かうとは思えない。ただ、こちらにエリーゼが場所を貸すとも考えづらい。組員らの身体で要らぬ研究など始められても癪だ。


 日向はすでに破魔衣を作っているので、どちらかといえばそっちの方が適している。ただ、すべての大動脈を同じ場所で作ってよいものかという悩みもある。仮に日向を攻められたら一大事だ。


「なんだ。武器の生産拠点を移すのか」


「おう。必要ならな」


「ここ以上に安全な場所はないと思うが」


「どういう意味だ?フィラデルフィアが襲われるって言ったのはお前だろうが」


「城下がな。この城が襲われるとは到底考えられん。動かしておけば良い」


 これは初耳だ。てっきりここに浮いているだけなのかと思っていたが、移動できるとは。それならばヘルの言う通り、この城こそ最も安全な場所である。

 危険を察知した場合、どこかの上空に隠してしまえばよい。


「マジかよ。なら問題ねぇ。ただ、この城を逃がすと城下町は見捨てるような形になっちまうぞ」


「そんなことはせん。城をどこかへ動かした後、我らは城下町を守る」


 トニーに助太刀するだけで自領の住民まで巻き込むことになる。そこまでのヘルの覚悟に感謝する。


「助かる。ただ、フィラデルフィアが標的になるってのはあまり考えてない。お前の助力がバレると決まったわけでもねぇし、そんな暇すら与えないくらい押し込んじまえばいい」


「あぁ、それはその通りだ。ところで、今日はニューヨークへ行くつもりか?」


「ニューヨーク?なぜだ?」


 がらりと変わる話題。特にアデルに用もないので聞き返す。


「なんだ、分かっていて我のところに来たのかと思えば。今日はこの後、大魔定例幹部会の予定だぞ」


 なんと、偶然にも程がある。かなりの期間、多忙とオースティンとの関係悪化によって不参加を貫いてきたが、これはある意味チャンスかもしれない。


「犬野郎は?」


「お前と同じく、ここしばらくは出てきておらんな」


「……そうか。だが、行ってみるか。お前が飛ぶ時に連れて行ってくれ」


「あいわかった」


 会える可能性は低いが、もし会えればその場で仕留めれば良い。そんな軽い気持ちでトニーはヘルに同道を申し出る。ミッキーはいないが、ジャックがいるので護衛も万全だ。


 カトレアは……まぁ、呼ばずとも良いだろうという考えに至った。


 早速、身支度を始めるヘル。骨の身体の着替えなど見たところで何も面白くないが、特にすることもないのでそうするしかない。

 トニーはいつものスーツ姿なので、そのまま会議に出席可能だ。クルーズの死霊杖はないが、魔力増幅に使える指輪と、直接攻撃可能な拳銃は手元にある。


 つまりオースティンと出くわし、万が一の場合も対処できる。


「準備ができた。では参ろうか」


 黒いローブから、別の黒いローブに着替えたヘルが言う。トニーには違いがわからずとも、本人がカジュアルとフォーマルで使い分けているローブなのであれば何も言うまい。


……


 バリバリバリッ!

 ズゥン……


 久しぶりに見るニューヨーク城。あいも変わらず、荒れ地の中に忽然と建つ円錐形の巨大建造物は不気味だ。


 扉をくぐり、大魔王の使い魔である蝙蝠に案内されて会議室兼、玉座の間へ。

 メンバーはトニーとジャック、ヘルとその護衛のスケルトン兵が二体だ。


 会議室は広いのか狭いのか分からない、上下左右に延々と続く真っ暗闇。しかし、なぜか視界は良好。今回は何の趣向なのか、上部に星空を模した明かりがチラチラと点を描いていた。


 中央に鎮座する玉座に向けて、半円形を描いて配置されている多くの椅子。

 席は決まっていないので適当なものを二つ選び、トニーとヘルは並んで座った。石でできたそれは尻が少しひんやりする。


 ヘルの護衛兵とジャックは、それぞれの主の後ろで気を付けの姿勢を保った。


「なんだ、一番乗りか。ヘル、時間を間違えてねぇか?」


「馬鹿を申すな。むしろ他の面々が適当すぎるだけだ」


「そうかよ」


 その言葉から三十分以上が経過。

 さすがにヘル自身も時間を間違えたのではないかという不安を感じているであろう頃に、ようやく他の参加者たちがやって来る。


 まずは大魔女エリーゼとクリスティーナのコンビだ。カトレアはいないので三魔女勢揃いとはいかない。


 エリーゼは真っ赤なローブ、クリスティーナは白いワンピース姿だ。


「おやおや、久しぶりだねぇ。バレンティノ将軍。もう大魔定例幹部会には来ないものだと思っていたよ」


「よう、婆さん。俺もそのつもりだったがな。コイツの城に遊びに行ったら、たまたま今から会議だってんで興が乗った」


「仲が良いのは結構だねぇ。でも聞いてるよ?オースティン副長とは大喧嘩の最中だって。仲が悪いのは良くないねぇ。誰かが死んだり、怪我をするのはもう十分見てきたからさ」


 やはりこの場に出席する者は、その程度の情報は知っているか。


「よく言うぜ。人の身体で実験はするくせによ」


「怪我させてるわけじゃないんだから、それとこれとは別さね。魔女ってのはその生涯を研究に捧げるんだよ」


「ウチにいるガキを見てるとそうも思えねぇが、まぁいい」


 カトレアはもちろん、今エリーゼの隣にいるクリスティーナもあまりそうとは思えない。


「え、何その視線は!?私だってちゃんと研究や鍛錬はしてるわよ!久しぶりに会ったと思ったら、やっぱり失礼な人!」


「何も言ってねぇだろ」


「目が言ってます!カトレアにかこつけて、私まで貶めようとは……!」


 クリスティーナはもともとトニーへのあたりが強いので放っておく。

 言い返さないことで自分の言い分が勝ったと思ったのか、クリスティーナは少しだけ機嫌を直し、エリーゼと共にトニーらから少し離れた席に座った。


 次に現れた出席者は六魔将の一角、ジャクソンビル城主のリーバイス将軍だった。ミイラ男のような風体に、二振りの曲剣を腰の左右にぶら下げている。


「お、おや……バレンティノ将軍ではないか……久しいな。オースティン副長との戦いは終わった、のか……?」


 彼も珍しい出席者に気づき、声をかけてくる。吃音のようにぼそぼそと喋るが、不思議とその声は聞き取りやすい。


「いいや、まだ終わってねぇ。もし今日、奴がここに来たら殺すつもりだ」


「ほう……?それは見ものだな……楽しみにしているぞ」


 やはり止めるではなく、囃し立ててくる。彼も魔族、それも六魔将である。闘争心の高さもさることながら、実際に強いはずだ。


 次はぼそぼそと喋るリーバイスとは対照的な人物、大僧正のイェンが会場に現れた。

 チベット僧のような赤い袈裟だけを纏った巨人族の坊主が、その場が揺れるほどの大音声で驚いて見せる。


「おぉぉぉっ!?そこにおられるはバレンティノ将軍ではないかぁ!!ご健勝であったか!!」


「声がでけぇよ。耳が壊れちまう」


「はーっはっはぁ!クルーズ殿に加え、エイブラハム団長をも討ち倒した貴殿のような猛者の耳が、この程度で壊れるものかぁ!よくぞ顔を見せてくださったなぁ!」


「あぁうるせぇな!それとこれとは話が別だ!俺の耳はてめぇみたいなデカブツとは違ってデリケートなんだよ!」


 尚も騒がしい大僧正イェンに、トニーも大声で応戦する。

 背中を叩き、肩まで掴んでトニーを労ってくれそうな勢いだが、実際にそうされたらトニーはぺちゃんこだ。


「ところで、今日はあれはおらんのか?」


「あぁ?あれって言うと、侍か?今日は俺と護衛だけだな」


「そうか、それは残念だぁ!」


 日向の大名、本山忠政を連れてきた時、イェンとじゃれていたのを思い出す。案外と彼を気に入っていたのかもしれない。


「日本の日向って場所にある城の中いるぞ。会いたきゃ勝手に行ってこい。俺の名前を出せば通してくれるだろ」


 名前を出さずとも、イェンの巨体が現れれば魔族だと一目で理解し、勝手にトニーの知り合いだと察する者も多そうだ。


「おぉう!では今度行ってみようかのぉ!」


 この巨人は本当に行くのだろうなとは思いながらも、本山ならどうにか対処できるだろうと丸投げする。

 イェン自身はそのまま空間転移で行けるか謎だが、行った経験のある魔族を適当に捕まえてくれればそれで行けるはずだ。


「酒でも持って行ってやれ。葡萄酒か麦酒か、渡来品だと喜ぶだろうさ」


「承った!飲みきれんほど持って行ってやろうではないか!はっはっはぁ!」


 大音声の笑い声を響かせながら、イェンは最後部の大きめのサイズの椅子へと歩いて行った。うるさいので、トニーから近い席でないのは何よりだ。


 このイェンと、シカゴ城主の竜人フレイムスはその体躯の大きさから別の椅子が準備されている。

 今回、トニーたちが選んだ席から遠めの位置だったのはたまたまだが、今後もそうしたいものだ。


「聖職者だろうと、あのデカさじゃ大酒飲みなんだろうな。生臭坊主め」


「そう言ってやるな。イェン殿は豪快でまっすぐな御仁だ。裏表がない分、仲良くしておいて損はないぞ」


「お前には裏があるってか?」


「無論だ。我は常に誰と付き合うかは損得勘定で吟味しているつもりだ」


 ふと、疑問が浮かぶ。


「俺の味方をしてるのは、異世界だったりそこの人間だったり、お前にとってのイレギュラーな存在に対して興味があるからだったか。損失が予想できたら裏切ろうってか?」


 特に、今回のオースティンとの衝突への助力はヘルの立場を危うくし、フィラデルフィアが襲われる可能性をはらんでいる。

 だが、それを彼は受けた。


「くだらん心配だ。いずれにせよ魔王正規軍はトニーか、オースティン副長か、どちらかがまとめる形になるべきなのだ。今の状態は歪だからな」


 確かにエイブラハム団長が死に、オースティン副長とトニーのどちらもが正規軍を名乗っている。

 トニーが勝ち、六魔将と正規軍団長の称号を兼任する方が綺麗だ。正規軍同士でぶつかっているより、指揮系統も一本化したほうが良い。


「六魔将は六人いても仲良しこよしなのにな。正規軍ってのはアデル直轄のはずだろうに」


「正直、我も陛下が六魔将の将軍と団長とで分けている理由までは知らぬ。どちらも独立して動いているからな。陛下はあまり何も仰らない」


 魔王正規軍とも名ばかり、結局は今のオースティンは七人目の六魔将のようなものだ。エイブラハムがいた頃は違ったのかもしれないが。


「あえて言えば、正規軍はニューヨーク城所属の六魔将であるな。彼らも人間の街への侵入などは行うが、我らと違ってその物資は陛下にも納めておろう」


「その程度の違いってことかよ。アデルは出張らねぇからその手足の仕事をしてるんだな。俺はまた違うわけだが」


 トニーは正規軍であってもロサンゼルスという自領もあるので、ヘルが言ったようにニューヨークへ何かしてやることはない。

 ただ、オースティンを倒した場合はその仕事も大魔王から振られる可能性はある。


 ここでまた別の参加者が入場。ヒューストン城主のハインツだ。


 竜を模した漆黒の全身鎧の武人。だが今日は翼竜の盾や大剣は持ってきておらず、槍を背負っている。違う得物をいくつも所持しているのだろう。


「うん?バレンティノ将軍ではないか。貴殿がここにおられるという事は、まさかオースティン副長を?」


 気が早いが、大抵の者はそう思ってしまうだろう。


「いいや、残念だがまだ殺せてねぇ。今日はたまたまヘルと一緒にいてな。ついでに顔を出したまでだ」


「そうであったか。しかし副長も顔を出さなくなって久しい。どちらが勝つか、幹部会ではその話で持ち切りだぞ。期待している」


「そりゃどうも。賭けるんなら俺をおススメするぜ。がっぽり稼がせてやる」


「ははは!その意気やよし!他で副長に賭ける者がいれば、そうさせてもらおう」


 お堅い武人といったイメージのハインツだが、意外にもこの手の冗談は通じる。否、冗談ではなく本当に賭けるチャンスがあれば有言実行するのかもしれない。

 そのまま彼は席へと歩いて行った。


「今のところは俺の肩を持とうって奴か中立の奴ばかりだな、ヘル」


「皆、後者だろう。どちらが勝つのかは気になっているが、どちらに転んでもいいと思っているのだ」


 あまり好意的でないのはクリスティーナくらいだろうか。


「お前が変わり者ってことか。犬っころが勝ったらどうするつもりなんだよ」


「何?そんなことを言うとは思わなかったな。トニーが負けた時のことなど……そもそも負けるなどとは考えない男だと思っていたが」


「そうだな。負けるなんてあり得ねぇ。今の質問は無しだ」


 トニーがヘルに学ぶ、いや、自身の在り方を説かれるとは思わなんだ。ただ、不思議と気分はいい。


 次にこの空間にやってくるのは六魔将、アルフレッド。ボストン城主のカウボーイだ。

 彼もまた、トニーに対しては好意的な人物の筆頭格なので、すぐにその姿を認めると飛んできた。


「バレンティノ将軍!まさか!」


「いや、もう何度も答えてるんだが、犬との決着はまだでな。今日はヘルと一緒にいるタイミングで定例幹部会だと聞いて顔を出しただけだ」


「かーっ、そうですかぁ!武勇伝でも聞けるかと期待したんですが、また後日ですね!」


「俺が勝つと分かってるような言い草だな。ま、当然そうなるんだがよ」


「おぉ!さすがの自信ですね!それでこそ貴方だ!」


 馴れ馴れしく肩を叩かれる。が、彼はもともとこういう軽薄な男だったなと思い出す。

 仮にここで会ったのがトニーではなくオースティンだったとしても、同じような言葉をかけるだろう。ただ、別に悪いことではない。

 わざわざ敵は作らない。それも一つの処世術だ。


「みんな俺の喧嘩の話ばかりだが、他に動いたことはないのかよ。かなりの間ここには参加してなかったが」


「他の話題、ですか?何かありましたっけ、ヘル殿」


「特段大きなことはないな。変わったことと言えばブックマンが体調を崩していることくらいか?」


 言われてみれば、基本的には一番乗りでこの会議に到着しているはずの参謀長、ブックマンがいない。


「何?それで姿が見えねぇのか。病気か?」


「らしいな。高齢も関係しているのかもしれん」


 エリーゼや大魔王など、いつから生きているんだという連中の中で高齢と言われてもピンとは来ないが、ブックマンはその中でもとりわけ老人という認識で良いらしい。死期も近いという事だ。


「気になるなら幹部会の後で見舞いにでも行ってみるか?」


「行かねぇよ。寝込んでるジジイの顔なんか見る趣味はねぇ。ただ、見舞い品持たせた遣いくらいは出しておくか」


「おぉ!それは確かに良い考えですね!自分も何か送っておきましょう!」


「うむ、それが良いな。押しかけても迷惑かもしれん」


 アルフレッドも便乗してくる。ヘルもきっと同じように何かを送るのだろう。

 ブックマン自身は温厚なので「今は」敵も少ない。反逆者だった過去は誰も気にしていない。


「爺さんはそれとして、他の連中には変わりないのか?」


「そうですね!他の方々はピンピンしてますよ!むしろ、貴方とオースティン副長の様子が知りたかったぐらいです!」


「犬野郎も俺も変わりはねぇよ。さっさと首を落としてやりてぇところだが」


 オースティンを最後に見たのはモスクワを取り囲む陣中だったか。

 戦闘中にトニーらはモスクワ方に寝返り、それを予知していたオースティンと全面的にぶつかった。


「戦況はどうなんです?」


「本人は取り逃がした。ただ、互いの兵隊同士は今もロシアで戦ってるな」


「ほうー!飛竜で見学、いや応援に行っても?」


「やめとけ。流れ弾に当たっても知らねぇぞ」


 アルフレッドがそんなヘマをするはずもないが、目立つ分、どちらの陣営からも狙われる危険性は高い。


「それすらも楽しめそうだと思うんですがねぇ。しかし、ダメと言われたことをやって邪魔するわけにもいきませんね!見たかったなぁ!」


 飛んでくる矢、弾、魔術も飛竜で空を駆る練習くらいにしか考えていない。さすがといったところか。

 もしくは単に、超長距離から観戦するつもりなのか。


「そんなに行きてぇんなら、ウチの部隊の掩護射撃でもしてろ。それなら許可してやんぜ?」


 敵味方構わず邪魔されるのは迷惑だが、味方への加勢となれば話は別だ。


「これは難しいことを仰る!私が閣下に肩入れしては、せっかくの戦が台無しでしょうよ!」


「ビビりが」


「えぇ!私は魔族一の臆病者ですので!」


 台無しとはよく言ったもので、要はオースティンから目を付けられたくないだけだ。


「しかし、互いの兵はぶつかっている最中だというのに、ここに来ても大丈夫なんですか?」


「相手方も大将不在だからな。消化試合だ。それにもう、こっちが押してる。潰すのは時間の問題だろうからな」


「そこを突いてオースティン副長が戦線復帰!とはならないのですか?バレンティノ将軍が戦場にいないと知れているかは分かりませんが」


 考えられないことはないが、可能性は低いと思っている。それにもう、オースティン一人が来ても覆せないくらいには押している。


「むしろ来てくれたら万々歳だな。確実にウチの兵隊共が奴を仕留められる。俺がその場にいないのは心残りだが」


「ほう!そこまで仰るなら安心ですね!であれば別の策を講じてくるでしょうなぁ」


「だろうな。こそこそと裏で動くのが好きな野郎だからよ。お前も近い考えがあるんだったら、どんなことをしてくるか予想できねぇか?」


「えぇ!?オースティン副長の次の一手ですか?ロサンゼルスを急襲する!なんてのはどうでしょう」


 わざと言っているのか、知らないだけなのか。後者なら確かにオースティンの考えを言い当ててはいるが。


「おい。それはもうやられてんだろうが」


「え、あ、そうでした!失敬失敬!」


 結局どちらなのか分からないような反応。トニーから臆病者と揶揄されたお返しに、チクリと刺してきただけなのかもしれない。


「その手が通ったなら、閣下の他の領地も襲っていくというのが普通でしょうが……どうです?」


「生憎、ロサンゼルスが一番手薄でな。他は手出しできねぇんだろうよ」


「ロサンゼルスが弱点だったんですか!?変わったことをなさいますねぇ。本拠地でしょうに」


「守りより攻めが基本でな」


「それは確かに納得です!ただ、この先ほかの誰かと争いが起きても、また同じようにロサンゼルスが狙われてしまうのでは?」


「他に争いになりそうな奴はいねぇから無用な心配だ」


 トニーと他の幹部らとの関係は良好である。クリスティーナは微妙だが、殺し合いになるかと問われれば否だ。


 揉める可能性が少しでもあるのは、大魔王アデルくらいか。アメリカが覇権を握ってもトニーらが現世に戻れなかった場合は、その腹いせに喧嘩を吹っ掛けるしかあるまい。

 そんなことをしても大願成就とはならないので、やらないかもしれないが。


 ただ、現段階で不確定なことを憂うよりは、さっさとその条件を満たして結果を見たいというのがトニーの考えだ。


 イギリスの先王妃が星守の力を持っている可能性も理解しているが、ウィリアムからはそんな話は出なかった。あくまで予想だが、今はどの国にも星守は存在していないのではないだろうか。


 欧州の国力のバランスの中でイギリスが突出できているわけでもなく、かといって他の欧州列強のどれが最強格かと問われれば分からない。ロシアという大国も控えているし、極東にある島国の日本の実力も侮れない。

 であれば、このまま侵攻を進めて、圧倒的な国土面積と武力でアメリカが世界一だと示す方が好みだ。


 つまりは、トニーの力で勝ち取る。国自体はアデルの物でも、それをやってのけるのは自分自身だ。それが最高に面白い。


「そうなってくると、バレンティノ将軍なら進んで敵を作ろうとされるのでは?退屈はお嫌いでしょう?」


「はっ、それも悪くねぇが、敵は作らずとも侵攻の仕事は残ってるんでな。アジア圏を侵略する仕事に集中するだけの話だ」


「案外とまじめな部分もお持ちなんですなぁ。風来坊のようなものだと思っていましたが」


「ふん、誉め言葉と取っといてやる」


「ではまた!お話できてよかったです!」


 アルフレッドは奥の方へと進み、ハインツの隣の席に着席した。今度は彼と話があるようだ。実に社交的で明るい人物である。


 間髪入れず、次の参加者が入場。イェンに近い巨躯を持つ、竜人のフレイムスだ。

 フレイムスもこちらには気づいたが、特に挨拶などはなく、火の粉交じりの鼻息を一度ついただけ。そのまま最後部の大きな席に座る。


「フレイムスは元々会話が得意ではないからな。一瞥して鼻を鳴らしてくれただけマシな方だろう」


 トニーが何か文句を言ったわけでもないが、ヘルがすかさずフォローを入れてくる。トニー自身も特にフレイムスに対して思うところはないので頷いておいた。


 これで今回の参加者は揃った。

 そこからしばらく空き、いよいよ大魔王の入城だ。


 ズゥ……バリバリバリッ!


 半円形に他の座席が囲む玉座。その正面に、こちらを向く形で巨大な悪魔が姿を現す。

 全員起立し、主を迎えた。


「大魔王陛下、万歳!」


 イェンが大声で怒鳴り、ハインツやアルフレッドなどの何人かがそれに続くが、別にこの掛け声は決められたものではない。トニー、ヘルは起立したまま沈黙を保った。


「大義である」


 竜のような翼を備えた深紅の身体を持つデーモン、大魔王アデル・グラウンド十一世はまずそれだけ発し、着席した。

 それに倣い、皆も着席する。


「さて……ブックマンはまだ出てきておらんか。快癒も近いと話していたところだが、大事をとるのも仕方あるまい。で……だ。トニー・バレンティノ。久しいな」


「あぁ。長らく喧嘩が続いててな。相手は知っての通り、今日も来てねぇアイツだ。この会議は自由参加だろ?久々の参加への文句は言わせねぇぞ」


「無論だ。貴様を縛るつもりはないから好きにせよ。戦況はどうなっている?」


「ウチが押してる。ロサンゼルスが落ちたって話で劣勢だと思われてるんだろうが、被害で言えば敵の方が出てる」


 アデルは面白そうに喉を鳴らした。


「そうか。オースティンにも話を聞きたいところだが、あちらも優勢だと答えるだけだろうな」


「信じてねぇって反応だな?いいさ。結果を出せば俺の言葉が真実だって知らしめれる。それより、奴を殺すことには何も言わねぇんだな?」


「何を今更。クルーズも、エイブラハムも斃してまでのし上がってきたのはどこの誰だ。オースティン相手であっても思う存分やってくれて構わん。それが我ら魔族だからな」


 そこで言葉を区切り、一同を見渡す。


「では、まずは各々からの報告でも聞こうか。イェン、貴様からにしよう」


「ははぁっ!承りましたぁ!」


 近況報告の順番はアデルの気分次第。最初に指名されたのは大僧正イェンだ。


「実は、貧民に支援する食料品が不足しております!それも、多くの教会で!嘆かわしいことです!」


 この仕事自体がトニーにとっては初耳だが、教会や寺院が食料の配給を行うというのは驚くようなことではない。

 イェンは六魔将とは違って自治領を持たないので、アメリカ全土の教会を回ってその状況を把握しているのだと思われる。


「それはいかんな。どのくらいの量が必要だ」


「おおよそ、千人程度を食べさせる量でしょうか!誰ぞ、ご寄付いただければ幸い!」


 全国で千人であれば少なく感じるが、毎月という話なので継続的な支援が必要となる。


「ふぅむ。侵入を担当する六魔将どもに問いたい。月に百名程度の食料を教会に納めることは可能か?」


 六魔将は揃っているが、それではまだ六百名分だ。


「……か、可能です」


「某も問題ございません」


 リーバイス、ハインツが答え、トニー、ヘル、アルフレッド、フレイムスの残り四名も異議なしと答えた。

 トニーは戦争中だが、アジア圏を持っているので食料は常に余裕がある。


「しかし陛下、それではイェン殿の欲した量の半分程度にしかなりませぬが」


「うむ、ヘルの申す通りだ。余が残りの四割を出そう。ここ、ニューヨークには必要以上の物資が集まるからな」


 それこそ、エイブラハムやオースティンが今までアデルに献上した物だ。国内で最も裕福な暮らしをしているのは確かなので、問題ないはず。

 ただし、オースティンを倒してしまった場合はトニーの仕事になる。


「陛下、あたしらからも百名分は出せるが不要かねぇ」


 エリーゼ、クリスティーナの魔女陣営からも協力を申し出てくれる。


「そうか。しかし三魔女は侵入で継続的に食料を得られるわけではあるまい。他の部分で支援してやれることを探す方が肝要である」


「そうかい?ではそうしようかねぇ。ひとまずは、各々方の物資の移動なんかに協力させてもらうよ」


 彼女らは配下がいるわけでもないので本当に二人だけの陣営だが、大量に物資を転移させる魔力はあるので大いに役立ってくれそうだ。


「おぉぉぉんんっ!!!これほどまでに皆々様寄りのご助力が得られようとはぁっ!このイェン、感激で言葉もありませぬぅぅ!!!」


「十分な音量の言葉で叫んでるじゃねぇか」


「バレンティノ将軍もかたじけのうございますぞぉぉぉっ!必ずや、副長との争いは貴殿の勝利でしょう!神もそう言っておられるはず!」


「そうか、そりゃ安い神様だな。いや、いい神様だと言っておこう」


 神への冒涜だと騒ぎだしそうな発言をギリギリで撤回。イェンの報告は以上のようで、次へと移る。


「では、ハインツ。貴様からは何かあるか?」


「はっ。某はこのところ、侵入を行っておりません。配下の者どもに任せてはおりますが」


 珍しいこともあったものだ。六魔将いちの戦闘狂であるはずの武人が強者を探して出歩かないとは。


「そうか。休養……といった様子ではないようだな」


「えぇ。近頃は新たな得物の研究や生産とその鍛錬に没頭しております。さらなる高みを目指し、どのような武器であろうと扱えるようにと精進しておる次第」


 それで今日は見慣れない槍を背に担いでいるわけだ。


「それは今後が楽しみだな。誰か、倒したい者でもいるのか?」


「いえ、誰かを見ているわけではありませぬ。言うなれば自分との戦いでありましょうか。どんな窮地、どんな状況であっても戦えるようにと考えております。無論、無手での戦闘や、机や椅子など身の回りの物を使った訓練もしております」


 御大層な説明にトニーが小さく笑う。


「ハリウッドスターの戦い方だな。主役級でオファーできそうだ」


「また一人でわけのわからぬことを言っておるな……」


「あぁ?最後は互いに銃を捨てて、素手で悪役と主役が大立ち回りをするってのが定番なんだよ。何度見たことか」


 唯一、それが聞こえたヘルは困り顔だ。


「武器の相談であれば、トニー・バレンティノが何か良い考えを持っておるのではないか?」


 ここで大魔王アデルから、とんでもないキラーパスが飛んできた。確かにトニーは現世の知識があるが、ハインツの趣味に口出しするメリットはない。


「なんで俺なんだよ。槍や剣に関して何も言うことはねぇ。重火器や戦車なんか、そいつが使うようなもんでもねぇ」


「ふぅむ。面白いと思ったのだがな。では他に何かあるか、ハインツ」


「いいえ。ただ、バレンティノ将軍に得物の相談というのは些か惹かれるものがありますな」


 ハインツも乗り気なので始末に負えない。だがトニーは断固拒否だ。


「やめろっての。そもそもウチは喧嘩の最中だからな。よそに助言してる暇なんかねぇんだよ」


「確かにそうだな……陛下、某からは以上です」


「うむ。大義だ。座るがよい」


 ハインツの番が終わり、次はトニーの番となった。


「ではトニー・バレンティノ。貴様からの報告を聞こう。皆、楽しみにしていたぞ」


「おう。ロサンゼルス城主のトニーだ。ただ、お前らが望む結果はまだ得られていない。ロシア国内でデカい衝突があって奴を敗走させた形だが、代わりにロサンゼルス城が落ちた」


「ふむ、それで城主とはよく言ったものだな」


「うるせぇ。正直、あの城は重要じゃねぇからあとで取り返せばいいんだよ」


 アデルに言い返すと、批判の意見がアルフレッドから飛んできた。


「バレンティノ将軍!陛下から賜った城を、重要でないとは言いすぎじゃないですか!?」


「感情よりも戦略の話をしてんだよ!ロサンゼルス近辺は物資が乏しいから、一時的に取られても問題ねぇ!」


 ここは意見が割れそうなところだが、ひとまず批判の声は彼だけのようだ。

 大魔王アデルもトニーを擁護するように言葉を述べる。


「皆、安心せよ。トニー・バレンティノが勝てば自然とロサンゼルスはこの男の居城へと戻り、オースティンが勝てばそのまま奴の物となるだけだ。部外者に取られるわけではないのだから、余としてはどちらでも構わん」


 おぉっ、と感嘆する声がいくつも上がる中、アルフレッドがトニーに向けて提言する。


「なんと寛大な御心でしょう!バレンティノ将軍、これは陛下のためにも必ずや勝たねばいけませんね!」


「アデルはどっちでも良いって言ってるのに、俺が勝たなきゃいけない理由になんのか?まぁ、どちらにせよ俺が勝つのは確定事項だ。心配はいらねぇぜ」


「えぇ、えぇ!その意気や良し!ですね!勝ちましょう!」


 それを皮切りに、拍手が起こった。アルフレッドの変わり身にも驚いたが、他の面々のノリの良さにもトニーは苦笑する。

 これでどちらが勝っても良いと思っている者が多いのだから、本当に魔族という生き物は分からない。


「ここまで応援されちゃ、ますます負けるわけにはいかねぇな」


「うむ。期待しているぞ、トニー・バレンティノ。他に何か報告はあるか?」


「特にねぇな。アジア圏の侵攻はオースティンとの一件のせいで遅れが出てる。だが、こっちも負ける要素はねぇ。このままいけばアジアは全部、俺のもんだな。以上だ」


「陛下のものでしょう!」


 またアルフレッドから批判が飛ぶも、トニーは無視して着席した。


「では次だ。ヘル、貴様からの報告を聞こう」


「はっ。承りました」


 友人と言っても差し支えないほど、深い仲であるヘルは、驚くべき発言をした。


「先ほどのトニー・バレンティノの話の続きになるのですが、我はこやつに助力することにいたしました。兵を貸し、武器を与え、支援する所存です」


 どよめく会場。オースティンからフィラデルフィア城が狙われないよう、秘密裏にと言っていたはずなのに、まさか自分から告白してくるとは。

 さすがにオースティンがいない場だとしても、すぐに本人まで話は届くはずである。


「ヘル、お前?」


「良いのだ、トニーよ。我も腹を括る。この場にいるほとんどの者、そのどっちつかずな考えにさらされ、我までもがそんな心持で如何すると思ってしまってな」


 大魔王を含めた多くを批判するような意見だが、ヘルだけは彼らと立場が違うのだと明言する。


「それを悪いとは言わん。どちらが勝つのか見物するのもまた一興。ただ、我は貴様に味方すると誓った。であれば、堂々とやろうではないか。そして勝った暁には、いの一番に祝杯を上げさせてくれ」


「ふん、泣かせるじゃねぇか。良いだろう。俺とお前は今この時から、友を超えた兄弟分だ。祝杯ならすぐに届けてやるから待ってな」


「うむ。よろしく頼むぞ……兄弟」


 兄弟分が何かなど、ヘルは理解していないだろう。日本のやくざ者のようにしっかりと契りを結ぶわけでもない。

 だがそれでもヘルは、トニーが友よりも一段階上の存在として、自分を認めたことを完全に理解できた。


「これはますます、貴様に追い風が吹いてきたようだな?トニー・バレンティノよ」


「そうだな。逆に、犬野郎に味方するって奴はいねぇのか?出てきたら出てきたで面白いんだが」


 誰の手も挙がらない。タッグマッチとはならないか。

 ただ、当初のヘルの目論見のように、秘密裏にオースティンの掩護をする者はいるのかもしれない。

 トニーはわざわざそれを探そうとも、明らかになったとて攻撃しようとも思いはしないが。


 ただ、あくまでも肌感覚としてはオースティン側に肩入れしようという者はいないように感じている。まずメリットがない。

 トニーも思いのほか迫害的、差別的な扱いを魔族から受けているわけでもない。


 それを言ってしまうとヘルがこちらに手を貸すのも、リスクしかない。そこがトニーの心を動かし、兄弟分という言葉を引き出したわけだ。


「ヘルからの報告はそれで終わりか?」


「はい、陛下。あとは普段通りに侵入などを行っておりましたが、これといった話題はございません」


「うむ、大義である。トニー・バレンティノを支えるというのであれば全力で当たるが良い。では座れ。次の者からの報告に移るとしよう」


 ヘルの番も終わり、次は誰が指名されるかであるが、一大トピックは自身の報告とヘルの決意表明であり、トニーはもうこの会議に興味を失っているのでどうでも良いことだ。


「フレイムス、貴様からの報告を聞こうか」


「おぉ。わかった」


 巨体が立ち上がる。イェンの方が大きいが、全身が緑色の鱗の身体を持つフレイムスもやはり迫力満点だ。


「人間、賢く、強くなってきている。我が部隊、侵入時に撃退されること、敗走させられること、増えた」


 魔族とて、必ずしも人間の街から物資を奪えるわけではない。ただ、その失敗回数が増えるというのは今までになく、皆の興味を引いた。


「何だと?それはどの地域、国だ?特に絞らずに全世界でなのか?」


「日本。どこに入っても、固い」


 日本はトニーが友諠を結ぶ、日向の国以外であれば侵入しても問題ない。

 フレイムスは確か、以前も日本で奇妙な妖術師を目撃した報告をしていたので、どうやら日本にご執心のようだ。


「ほう。小さな国だと思っていたが、そこまでの戦闘力があるか。フレイムスを唸らせるとは、捨て置けんな」


「某も、日本で仕事をする際には細心の注意を払い、精兵のみを送るようにしております」


 ハインツからフレイムスと似た情報が飛んでくる。


「何?フレイムスよ、ハインツからの意見を聞いてみてはどうだ」


「頼む」


「承った。某が思うに、日本の兵の精強さはその精神性にあると思っている。本来、人間というのは恐怖したとき、命令など無視して逃げる選択を取るものだが、あの国では違う。自分の命に代えても立ち向かってくる兵が多い」


 これはトニーも感じていたことであり、現世の日本にも通ずるところがある。


「やはり死兵となった侍は強いぞ。魔族の兵にも匹敵する。どうやら、あの国では死生観も独特で、潔く戦場で散ることを美徳としている節すらあるのだ。某も見習う部分がある」


「その通り、だ。奴らは逃げない。腕を、落としても、腹を、割いても、刀を、振り回す。信じられん」


「うむ。それから、指揮官のような位の高い者、武将を討っても逆効果だ。指揮系統は混乱こそするが、敗走どころか仇討ちに雑兵が殺到してくる」


 その光景を思い浮かべるだけでも地獄絵図だ。殿の御首(みぐし)を返せと、今こそ殿の御恩に報いる時ぞと、嬉々として我先に死地へ突撃する足軽たちに襲われるなど。

 味方の首を取り返すことは、敵将を討つのと変わらないほどの名誉であると考えられているのかもしれない。


 魔族からしたら、いくら上官でも死んだ者など捨て置いて当然だ。意味が分からな過ぎて、恐怖でしかないだろう。


 もちろん、すべての兵士がそうとは言わない。逃げ出す者だっているだろう。しかしそれでも他国にはない考えが浸透し、そういう命知らずが多く存在しているのは事実だ。


「力で抑え込むより、仲間にしちまうほうが良いとは思うがな。俺みたいによ。実際、奴らは世話を焼いてやると義理堅いぞ」


 トニーの言に注目が集まる。仲間にするというのはトニーが六魔将になる前には存在しなかった考え方で、強者が絶対の魔族にとってはあまり面白いものではない。


「それは、支配とは、言えない。我らは、人間を、滅ぼす」


「じゃあ、滅ぼしたそのあとの食料はどうすんだよ。料理や酒は?お預けか?それ以降はすべて野生の動物や植物だけ食って生きていくのか?」


 現在、魔族の食料事情は完全に人間頼りだ。彼ら自身を食す場合もあれば、その生産品である美味い食料を流用する場合もある。


「それは、そうなる。あるものを、食う、だけだ」


「酒のねぇ世界に賛成の奴がどれほどいるかね」


「トニー・バレンティノ。その話は良い。滅ぼすか、取り込むかは全会一致とはならんからな」


 意外にも大魔王は方針を決めあぐねているというところか。魔族は人間などすべて滅ぼして然るべきと考えているものだとトニーは思っていたが、人間側にもそれなりの力があって一筋縄ではいかないのも事実。


 これは今決めるのではなく、後々になって方向転換することもアデルは視野に入れていると取っていい。


「そうかよ。どうしても滅ぼすってんなら、農耕に牧畜に醸造に工業に……とにかく人間がやってる生産活動は全部、魔族側に習得させろよな」


 実際、そんなことをしている何年もの時間があれば、トニーはもうこの世界に残っているのかは分からない。

 その後のこの世界など知ったことではないので、自身がいなくなるまでは酒が楽しめる、その時間稼ぎになってくれれば何でもいい。


「確かにそうであるな」


 ヘルが同調した。彼はおそらく、トニーに考えが一番近い。


「人間を滅ぼすこと自体に我は反対はしないが、奴らの技術は必要である。豊かな暮らしを手にする権利を手放すのは惜しい」


「だろ?俺は先に人間の国は占領、併合してしまうほうが良いと思ってる。全滅させるよりはるかに楽だからな。それでも難しいのは言うまでもないが、まずは生かしておいて技術なんかを学ばねぇと」


「ううむ、難しい。用が、済んだら、殺して、いいのか?」


「そりゃご自由にどうぞ。歯向かう奴はともかく、友好的な人間に関してはお前もその頃には考えを改めてるかもしれないぜ?」


 フレイムスが炎混じりの鼻息を返す。そんな未来は来ないという否定だ。


「そこまでだ。何度も言わせるな。人間の討滅に関しては慎重に考えたい。まずは各々の考える指針に従って行動し、詰めの時が来たら話し合おうではないか」


 アデルの一声でトニーとフレイムスの問答は終わりを告げる。


「それで、フレイムスよ。日本の強兵らはどうするつもりだ?同じような侵入を繰り返していても被害が増えるだけであろう」


「回数を、減らす。代わりに、毎回、自らも、出ようと思う」


「侵入先を別の国にしようという話にはならんのだな」


「ならない。諦めるの、良くない」


 いっそう、鼻息の火炎が荒くなる。


「うむ。好きにせよ。ハインツやトニー・バレンティノなど、誰でも構わん。相談事があれば仲間を頼れ。知恵を借りることは恥ではない」


「わかった。その時は、頼む、二人とも」


 言いながら、頭を下げるフレイムス。ハインツは右手を軽く上げ、トニーは鼻を鳴らした。気乗りはしないが否定もしない。一応は了承した、の意味だ。


「フレイムスからは以上か?」


「報告は以上、終わり」


「では座るが良い。次は……三魔女からの報告を聞こうか」


 三魔女は個人ではなく、まとめて指名されることがほとんどだ。カトレアは離れたが、基本的には同じ場所で研究しているからである。

 発言者はエリーゼであることが多いが、クリスティーナが代打を務める時もある。


「では私から。いいかな、おばあちゃん?」


「構わないよ。好きにおし」


「現在、私たちは新たな魔術の研究を開始しています。種別で言えば転移術なのだけれど」


 三魔女の中で、転移術のスペシャリストはカトレアだ。

 彼女無しでそれを研究するというのもおかしな話だが、そこは三魔女。エリーゼもクリスティーナも圧倒的な魔力の持ち主なので、得意不得意は関係なしに、すべての魔術の研究くらいは問題なくできる。


「ほう?なぜ今、転移術の研究なのだ?それに、どんな魔術なのか気になるな」


「はい、陛下。現在、移動には空間転移を用いる御方がほとんどだと思うのですが、カトレアを除いて」


 転移術師のカトレアだけは、瞬間転移という恐るべき移動手段を持っている。


「カトレアが使う瞬間転移……とまではいかないものの、空間転移の発動を簡素化する術式を研究中なのです。今はだいたい、早くとも十秒程度はかかる空間転移ですが、この魔術が出来れば一秒程度になるはずですわ」


 ところどころから感嘆と称賛の声が飛んでくる。トニーにとっても嬉しい話だ。

 十秒と一秒では天地の差。クリスティーナが言う通り、瞬く間に移動するカトレアの瞬間転移ほどではないにしろ、かなり使えるものになる。


「なぜ今、というご質問に対する答えにはなりませんが、皆さんの暮らしや任務が楽になればいいなぁと」


「素晴らしい!是非とも完成を楽しみにしているぞ。それはお前たちだけでなく、すべての者に使用ができるようになるのであろう?」


「えぇ。まずは私たちが使えるように。そして誰もが使えるように改良を。ただ、その点は心配には及びません。あくまで簡素化ですので、むしろ今の空間転移よりも発動までの手順も省略され、覚えやすいものになりますわ」


 ジャックなど、トニーが普段から移動に使っている部下にも恩恵がある。

 やはりカトレアがいない時でも素早く移動ができるようになるのはトニーにとってもありがたい。


「某から質問よろしいか?」


「えぇ、ハインツ将軍。何かしら?」


「簡素化すると、どこが省略されるのであろうか。通常、空間転移には移動先の選定、亀裂の発生、亀裂への侵入、亀裂からの脱出、最後に転移先で亀裂が閉じる、とまぁ様々な工程があるわけだが」


「良い質問ね。一秒で済ませる場合、仮に亀裂への侵入と脱出だけだったとしても難しいわ。ごくわずかな距離を歩くもの。省略されるのは……移動先の選定『以外のすべての工程』よ」


 大きなどよめき。クリスティーナの話だと、そもそも空間の亀裂を使わないという意味になる。それはほとんど瞬間転移と違わない。


「そっ、それは!その場から一歩も動くことなく転移できるという事でしょうか!?これは戦術にいろんな幅が広がりそうだ!」


 特に興奮しているのがアルフレッドだ。彼は転移よりも飛竜による移動を好むと思っていたが、何か考えがあるようだ。

 新たな転移術を短距離で繰り返すことで飛竜を高速移動させたり、矢の射程を延ばせるからだろうか。


「えぇ。その場で即座に使えるよう、改良していくつもりですわ」


「空間転移を省略したものが、カトレア嬢の使っている瞬間転移ということなのだろうか?」


 続いてジャクソンビル城主のリーバイスが質問する。


「いいえ。カトレアが使う瞬間転移は、空間転移とは根本から違うわ。それはみんなに使えるような基礎魔術とは程遠い。だから私たちは今、空間転移を改良することでそれに近づける努力をしてるの」


 転移によるルーツの違いなど皆にとってはどうでもいい。似たような効果が得られるのであれば、通常の空間転移が発動が早く、詠唱が簡単になるというメリットしかない。


「それで、術者にとっては負担が重くなるという事はないのですかな?」


 大僧正イェンが発言する。


「えぇ、もちろん。むしろそれすらも軽くなるわ」


「なんと!いいことづくめですな!まさに夢のような進化!」


「つまり、使用する魔力量も変わらず……負担は軽くなるだけ。発動も早く、術者には何もデメリットがない、という事か。無理矢理デメリットを考えるとすれば、一度に転移できる人数、距離が短くなるなど考えられるが、それもないと?」


 この質問はヘルからのものだ。クリスティーナはそれに首肯する。


「悪くなる部分はない。本当に、現在の空間転移のすべてを底上げする改良だと思ってくれていいです。ただ、使いやすいからって連発や乱用はできないわ。疲れちゃうでしょう」


「えぇ!?連発できないんですかぁ!」


 アルフレッドが分かりやすく落胆する。彼はこの場の面々では魔力があまり強いほうではない。

 彼は遠距離特化、飛竜とのコンビネーションで生き抜いてきた異端児だ。その処世術で大魔王を除けばトップとも言える六魔将まで上り詰めているので大したものだが。


「いや、やってもいいけど疲れるわよ?って話です。どの魔術にも限らずね」


「ふぅむ、ここぞという時に使う方針で行きますかねぇ」


「完成した際には余に知らせよ。広く周知しよう」


 アデルの言葉に、新聞やテレビでもあるのかとトニーは思ったが、そんなわけはない。

 使い魔などを使って各町に知らせを飛ばすとか、その程度の事だろう。寒村や山奥の隠者には伝わらないかもしれない。


「はい、陛下。おばあちゃんと二人で魔術の完成まで頑張ります!」


「うむ。三魔女からは他に何かあるか?たとえば、カトレアを一時的に研究に参加させたいなどあれば、トニー・バレンティノがこの場に来ているが」


「あー……カトレアがいればもちろん研究は進みますわね。でも、彼女はバレンティノ将軍の伴侶ですので、そちらにいるのが自然じゃないかしら」


 トニーとしては貸し出せと言われればカトレアに帰省の指示を出すつもりだったが、研究にいなくても良ければ戦力として近くに置いておきたい。


「ま、マジでカトレアの力が要るってときは連絡を寄越してくれ。アイツも嫌とは言わねぇだろうさ」


「えぇ。貴方の心遣いには礼を言っておくわ」


「ではクリスティーナ、エリーゼ。大義である。座るが良い」


 残る報告はリーバイスとアルフレッドの二人だ。


「次は私でもよろしいですかね、陛下!」


 アルフレッドが挙手。最後のトリは嫌だったのかもしれない。


「うむ。ではアルフレッド。貴様からの報告を頼もうか」


「ははっ!私は現在、次なる飛竜レースの開催を考えております!ただ、今回はそれだけでなく、飛竜品評会も同時に催そうかと!聞きなれない言葉でしょうから説明申し上げますと、愛竜を育て、珍しい色や柄、大きさなどを自慢し合う大会でございます!」


 動物や魚など、現世でも行われているよう催しだ。トニーはレースよりもそちらに興味を持った。


「飛竜ってのは、捕まえてくるんじゃなくて育てるもんなのか?」


「えぇ!最初は野良の飛竜を使役する者しかいませんでしたが、近年はそれに卵を産ませ、赤子から育てるのが流行ってるんです!私もその一人でしてね!我が家には十頭を超える飛竜がおりますよ!これが可愛いのなんのって!」


「品評会ってことはオークションや販売もやるのか?」


「おぉ!それは妙案ですね!自慢の子を手放すのは心苦しいですが、確かに可愛がってもらえるのであれば、お譲りすることも視野に入れても良いかもしれません!」


 自慢大会もいろんな飛竜を近くで見れて面白いが、上質な飛竜が手に入るのであればトニーも一頭くらい所有してもいいなという気分になる。


 ただ、柄や色がレアな個体、大きな個体よりは、速度が出る個体がトニーの個人的には好みだ。そうなると品評会よりもレースの方がメインとなるが、そちらに出場する飛竜はオークションや販売とは無縁だと思われる。


 現役の競走馬を個人利用のために売ってくれと言っているようなものだ。引退馬ならぬ引退竜であれば可能だろうが、あの何でもありの過酷なレースを経験してきて引退時に元気な竜がいるかと問われれば難しい。


 飛竜についてはウィリアムが意外と詳しかった気もするので、相談してみても良さそうだ。


「掘り出しもんがあることを期待してるぜ」


「えぇ!どうぞお越しくださいね!バレンティノ将軍以外の皆様も、ご来場お待ちしておりますよ!」


 一同からも好意的な返事が次々と上がる。特段用事がなければ、ほとんどの者が会場に足を運ぶことだろう。


「余も楽しみにしているそ。ではアルフレッド、他に何か報告はあるか?」


「いいえ、陛下!私からは以上でございます!」


「よろしい。では座るが良い」


 いよいよ最後はリーバイスの番だ。呼ばれるまでもなく、先に起立している。


「うむ。ではリーバイス。貴様からの報告を聞こう」


「はい、陛下。ジャクソンビルでは現在、侵入への徴兵を……」


 リーバイスの静かな口調に退屈な報告。トニーは最後の最後でついに、うつらうつらと居眠りをしてしまう。

 ジャックと、ヘルが隣にいるせいもある。仮に重要な話だったとしたら、あとで彼らから共有があるだろう。


……


「にー……!と……!トニー!」


「……れん……っか!……閣下!……ここはお任せを!」


 カァン!という甲高い音と、誰かの叫び声。

 居眠りしていたトニーも、何やら異常事態が発生したという事で目を覚ます。


「……あぁ?」


 見えたのはスーツ姿の細い背中と、黒いローブを羽織ったこれまた細い背中。スケルトンか。

 一方は護衛として連れてきていたジャック、もう一方は兄弟分となったばかりのヘルに違いない。さらに生身……いや、骨身というべきか、ヘルの護衛兵であるスケルトン兵が二名、こちらの姿も見えるが、やはり背中向きだ。


 つまり、トニーを守るような形でその四人が何かに相対しているということになる。大魔定例幹部会の最中だったはずだが。


「陛下の御前で不敬であろう!控えぬか、下郎!」


「そうですよ!面白いと言えば面白いですが、まさか本当に!」


「副長!剣を納めろ!」


 副長……?副長だと!?

 皆の非難の言葉でトニーの思考がつながり覚醒する。オースティンが本当に現れたというのか。


「いや、それは分かってるんですけどね。バレンティノ閣下がお越しだという話を聞いたら欠席するわけにもいきませんし……」


 気怠そうなオースティンの返答がある。姿は見えないが、本当にここに来ているのか。ただ、不思議だ。とてもではないが、ここで攻撃をしてくるのは慎重なオースティンが打つ手とは考え難い。


「よう、退屈過ぎて居眠りしちまってた。犬っころが来たって?殺すチャンスだな」


「ようやく起きたか寝坊助め!よくもこんな状況ですぐに起きないものだな!」


 ヘルが怒気や呆れを孕んだ言葉を背中越しに浴びせてくる。


「まぁそう言うなよ、ヘル。おい!犬!俺の首をこんな場所で取れると思ったのか!詰めが甘いんじゃねぇのか!」


「バレンティノ将軍!こちらから姿は見えませんが、仰る通りです!よくもモスクワでは裏切ってくれましたね!ただ、まさかここでヘル将軍に邪魔されるとは思っていなかったので奇襲は失敗です!潔く撤退します!陛下、皆さんもお騒がせいたしました!幹部会を壊すとか、そういう他意はありませんので!」


 言うが早い。空間転移が発動する音が聞こえる。


「よい。強く、精進せよ、オースティン」


 その、アデルの返答は本人に届いたのどうか、それも分からないうちに現場は静かになった。


「しかしこれではっきりしたな。誰だか知らねぇが、犬っころに連絡を入れた奴がいるってことだ」


 でなければ彼がこの場に現れるとは思えない。


「案ずるな。それは余だ。今回の大魔定例幹部会にはトニー・バレンティノが出席しているようだとな」


「あぁ?なんだと?」


 まさか。大魔王アデルが裏切り者……否、公正を期す為にオースティンに入れ知恵したと思われる。

 それで、オースティンの無礼も非難しなかったわけか。


「襲いに来いとまでは言っておらぬ。争っているのであれば、貴様の顔くらいは見て話したいかと思ってな」


「ふん。こうなることは予想できただろうに。それでアイツにしては雑なやり方で攻めてきたわけか。大魔王陛下のお墨付きだもんな。そりゃ羽目も外す」


「まぁそう拗ねるな。言わばこれで貴様らの争いは公認となったようなものだ。好きなだけ力比べに興じるが良い」


「言われなくてもアイツは殺す。後任が必要なら早めに準備しておくんだな。ライオンに犬に、元々いた正規軍は壊滅するぞ」


 トニーも六魔将と兼任する形で別枠の魔王正規軍の頭目なので、後任と言われればまず最初に挙がるのは彼の名だ。

 ただ、ニューヨークへの資材搬入のための侵入、ニューヨーク城や大魔王の屋敷の守護などは、誰か他の者が担当できるのであればそっちにやらせてくれという意思表示である。


「必要ない。貴様がいるのだからな」


 やはりそうなってしまうか。


「ふん、近くに置いておくならもっと信頼できる奴が良いと思うがな」


「信用の有無などで余は誰かを重用しない。能力の有無だ。そしてそれは実力の有無だ。それが魔族だからな。エイブラハム団長に続き、オースティン副長も斃したとあれば、それは貴様が強かったというだけの話だ」


「そうかよ。引き継ぐとしても、俺のメインの仕事に支障をきたすような働きはしねぇからな」


 アジアの侵攻が第一、ロシアも予定外ではあったがもし領地が広がるなら結果としては悪くない。ただ、ニューヨークはお荷物だ。


「余としてもそのために正規軍を名乗らせているのだ。そんな心配はいらぬ」


「だったら俺から言うことはねぇ」


「うむ。これで皆からの報告はすべて終わったな?では、余からも少し話をしよう」


 解散前に、大魔王アデルのありがたいお話だ。


「現在、話していたトニー・バレンティノの功績大きく、我ら魔族はその領土を広げる形となった。この数百年、叶っていなかった祈願が、一気に進んだ形だ。だからこそ、余はこの者の無礼を許し、また高い役職を与えている」


「えぇ!それは皆も分かっていることでしょう!確かに彼は跳ねっ返りではありますが、仕事はきちんとしてくれています!」


「某も異論はありません。むしろ、バレンティノ将軍の功績を考えれば当然のことかと。さすがは陛下」


 アルフレッド、ハインツが続く。

 トニーとしてはどこかむず痒いが、誉められているなら反論することはない。


「アジアに関しては征服間近、ロシアとも同盟、あるいは属国化が進んでいる状況。となると残すは欧州列強のみだ」


「欧州は対話可能だ。攻め込むのが最善策かどうかは疑問だな」


「無論、それも手の一つとして考えよう。だがもし、戦争となる場合は、欧州列強とは総力戦の全面戦争を仕掛けるつもりでおる」


 おぉっ、と会場がざわついた。総力戦となれば現在のように正規軍だけでなく、六魔将や三魔女、大魔王すらも参戦するという事か。


「それにはアジアやロシアからも派兵を求めるのか?」


「うむ。属国からは兵力を送ってもらうことになるであろう」


「そうかよ。四ヶ国あるって話だが、ぶつかるってんならイタリアはまず、こっちに付くはずだ。やるならまずは俺に交渉させろ」


 イタリア国全体の話は分からない。だがせめてウィリアムくらいは説得しなければなるまい。


 そして、イタリア国王は未だ見つかっていないが、魔族との衝突は望んでいない人物だ。彼が見つかればイタリアだけはアメリカとの戦争を回避できる可能性がある。


 魔族が人類の滅亡ではなく、融和を図るのであれば協力もしてくれよう。ただ、属国化となると同盟国では難しいかと提案されそうではある。

 そしてトニーは、現世に帰れるのであればそんなものはどうでもいい。


 ウィリアムに関しては世話になったイタリアへの後顧の憂いもあるだろうが、かといって現世へ帰ることよりも優先するとは考えづらいので、そちらも問題にはならないだろう。


「ふぅむ……交渉、か。まずはアジアとロシアを平定せよ。貴様にイタリアとの話を任せるかは後から考えても遅くはなかろう」


「さっきの犬が死ねばそんなもんは秒読みだ。待ってろ」


「余はもちろん、他の者共も今か今かと待ちわびておる。精進せよ」


「おう」


 待ちわびているのは全面戦争となって、自分たちが力をふるう舞台が準備されることだろう。やはり魔族はどこまでいっても闘争本能が優先か。


「では、これにて解散とする。皆の者、大義である!」


 ひときわ大きな空間転移の亀裂が走り、大魔王アデルはその中へと姿を消した。


「さて、責任が両肩にかかった感想はどうかね?」


「なぁんにも感じねぇな。ヘル、お前も戦争したくてうずうずしている類いか?」


「我は、そうだな。何もやらないのでは身体が鈍る。欧州を攻めるとしたら、せめて一か国くらいは牙をむいて来てほしい。それくらいで十分だ」


 要は、一戦だけでも交えさせろという事か。

 ヘルは侵入にも自ら参加していることが多いので戦闘行為事態は良く経験している。そこまで戦争自体に期待はしていないのかもしれない。ただそれでも、遠慮しておくとはならないようだ。


「侵入の時に発散させれてるわけか。そうなると三魔女や大僧正が大暴れする未来しか見えねぇな」


「ははは!そうなるやもしれんな!淑女や僧侶が血しぶきに汚れているのも中々に絵になるのではないか」


「ならねぇよ。ただ、敵対して俺のやりたい事を止めようってんなら人間だろうと容赦はしねぇ。血しぶきに変えられた奴のことを哀れとも思わねぇな。自業自得だ」


「うむ。そう言うと思っていた。まずはオースティン副長の件だが、我も出る。共に覇道を成そうぞ」


 こそこそとヘルを動かずプランから大幅な修正を食らったが、これはこれで悪くない。ヘルの部隊もすべて使ってオーステインを追い込む。そして今度こそ、奴の息の根を止める。


「覇道ね、悪くねぇ響きだ。しかしどうだ、今残ってる連中にも声をかけてみるってのは。何せ、障害が排除されて俺の仕事が完遂すれば、大好きな戦争になるんだぜ。乗る奴もいるんじゃねぇか」


「ほう!確かに言われてみればそうであるな!皆!ちょっと時間をもらってもいいか!」


 あまりはしゃぐことのないヘルが、興奮した様子で一同に呼びかけるものだから、関心を引くのには十分だ。

 帰ろうとしていた他の者たちも、その場で視線をこちらに向けたり、どうしたんだと歩み寄ってきてくれた。


「ヘル殿。何やら話があるようだが。某にも関係あるのか」


「あぁ!先ほどの陛下のお話から、皆はこのトニーがオースティン副長を倒した後、全員で欧州に攻めることには賛成なのであろう?であれば、前哨戦として、我以外もこの男に手を貸し、その全面戦争を早めるために協力する者はいないかと思ってな!」


「ややっ!オースティン副長を練習台に、みんなで力を合わせて戦争ごっこをしようと!さすがにそれは多勢に無勢すぎて副長が可哀想なのでは!」


 アルフレッドの言う事も正しい。しかし、意外にもハインツは乗り気になる。


「某は……やろう。確かにこちらだけ仲間が多く、卑怯かもしれん。だが、陛下の、我ら魔族の悲願を止めているのは副長であるもの事実ではある」


「ハインツ将軍は新しい得物をいろいろと試したいだけなのでは!?」


「ま、まぁ、それもある」


 ハインツが頭をかく。


「理由はどうでもいい。お前が味方だってんなら心強いな」


「拙僧も参加いたしますぞぉ!!!」


 ひときわ大きな声と体。大僧正イェンがのしのしとその輪に入って来る。


「騒がしい奴まで来ちまったか。まぁ、助太刀なら誰だろうと構わねぇ。デカブツ、お前強いんだろうな?」


「はぁーっはっはぁ!これは異なことを申される!魔族一の怪力無双とは拙僧のことでしょうなぁ!」


 見た目通りのパワータイプというわけだ。僧侶だから治癒などを担当するという事ではないらしい。そもそも、この世界の魔術には、ビデオゲームによくある回復魔法のようなものは存在していない。


「他は……いねぇか?なんだよ、アルフレッド。てめぇは不参加か?」


「ふぅーむ……うぅーむ……悩ましいですねぇ!」


 アルフレッドはハインツと同じタイミングでヘルやトニーのいる場所まで歩み寄ってきてくれていたが、言葉通りに参加には二の足を踏んでいる様子だ。

 そこへ、珍しい援軍が現れる。


「ヘル将軍、バレンティノ将軍……参加……しようと、思うんだが……いいだろうか?」


 ジャクソンビル城主のミイラ男、リーバイスである。おとなしい性格なので、ここで参加を選ぶというのは誰もが予想できていなかった。


「おう、遠慮はいらねぇぞ。そりゃあ我儘を言わせてもらえるなら、俺一人でアイツは殺したかったがな。急げってんならお前らに手ぇ借りるのも悪くはねぇ」


「うむ。リーバイスよ。歓迎するぞ。もちろん、イェンもな」


「あぁぁぁっ!もう!分かりましたよ!こうなりゃ自棄だ!私も参加します!ただし、後方支援と掩護射撃だけですからね!私は打たれ弱いんですから、絶対に前には出ませんよ!」


 参加を決めあぐねていたアルフレッドも遂には折れた。想定以上に集まった参加者を見て、うじうじしているのも気まずくなったらしい。


「何でもいいさ。味方の背中は撃つなよ?」


「ふふん!私のことを誰だとお思いで!的を外すならまだしも、それを味方に当てるなんて有り得ません!」


 言ったトニーも、アルフレッドの強弓の命中精度は知っている。本人は弱い弱いと言いながら、その威力も申し分ない。


「あとは、魔女どもと竜は不参加か。しかしもうこれ以上はいなくても大丈夫そうだな」


 エリーゼたちの方を見やると、エリーゼはニコニコと笑っており、クリスティーナは鼻を鳴らした。前哨戦には不参加で良さそうだ。フレイムスは逡巡した後、一応はこちらへやってきた。


「我は、いかない。バレンティノ、将軍。不参加は、まずいか?」


「いいや。好きにしてくれて構わねぇ。すでにこれだけ集まったからな。他にやることがあって忙しいんだったらそっちを優先しな」


「感謝、する。侵入、忙しい」


「あぁ、分かってる。ご執心の日本を攻略してやれ。日向の国意外でな」


 フレイムスが頷き、空間転移を発動。大魔王を除けば、最初に退席する形となった。


「で、だ。作戦などはあるのか、バレンティノ将軍」


 ハインツが尋ねる。


「まずはアイツの所在地を割り出す必要があるな」


 ロシアのどこか、あるいはロサンゼルス城を使っている可能性が高い。すべてを潰し、居場所をなくしていくしかないか。


「陛下はご存知かもしれんが……お手を煩わせるのは気が引けるな」


 ヘルが顎をさすりながら言う。

 確かにアデルはオースティンにトニーが参加していることを連絡をしたと言っていた。だがそれは必ずしも彼の居所を知っているからだとは限るまい。


「そうか?テレパシーみたいなもんで話しただけじゃねぇのか?俺もやられたことがある」


 中国でだったか。敵の司令官と無理やり脳内で会話させられた苦い経験を思い出す。


「えぇ。そうだと思いますねぇ。どちらにせよ、この仕事は我々だけでやりましょう!陛下にお願いするなんて恐れ多いですから!」


「では、手ずから探す、と?手分けするのであれば担当地域と編成を決めねばな」


 ハインツが言う。


「ねぐらとして考えられるのはロサンゼルス城。あとは広大なロシアのどこかの街、だな。そもそも、ライオンの野郎が率いていた時代から、魔王正規軍ってのはどこに駐留してたんだ?アメリカ国内に城や町は持たされてんのか?」


「いや!!そんな話は聞いたことがないですなぁ!!彼らは常に動き続けるのが基本!!!拠点は海外に構えるようにしていたはずですぞぉ!!!」


「それで……正しいはずだ……どちらかと言えば、ロサンゼルスよりはロシア国内の方が、可能性は高いな……」


 うるさいイェンと、静かなリーバイスの対照的な発言。ただ、内容は一致している。


「ロサンゼルスにはトニー、お前が行け。居城なのだから、勝手も良くわかっていよう」


「攻め方ってことか?考えたこともねぇが」


「しかし、バレンティノ将軍だけではチームを組んだ意味がないでしょう!他にも誰か随伴されてはいかがです?」


 ヘルの提案に、アルフレッドが付け加える。ただし、自分が行くと言わないのは、攻城戦より野戦向きだからか。


「では某が。リーバイス殿、貴殿もどうだ?」


「あぁ、承った……」


 これでトニーの部隊と合わせて三軍。彼らがどれほどの兵を準備してくれるのか、それでも本人の実力を考えれば、手薄であろうロサンゼルス城を攻めるには十分だ。

 他の面々はトニーらの合流までに先んじて、ロシア国内の調査という事になりそうだ。


 ヘルやカトレア以外の魔族との共闘は珍しくもあるが、トニーは特に気にすることもない。ましてや、真面目なハインツとリーバイスであれば城を破壊するような心配もないだろう。

 これが横にいるイェンや、参加はしないがフレイムスだったらと思うとさすがに心配だった。


「ではそれで、まずはロサンゼルスを取り返した後、そこに集合してロシア方面に向かうというのは如何かな?」


「ふむ……それならば先にロシアへ行くのはあまり良くないか。連絡が取れなくては困るだろう。ロサンゼルス攻めに参加しないものは拠点で待機しておく方が良いのではないか」


 ハインツにヘルが返す。


「好きにしていいと思うがな。ロサンゼルスには週に一度、全員で戻って来るといった風に決めておけばいいだろ」


 トニーのこの案が採用となり、やはりロシア遠征組もすぐに仕事に取り掛かることになった。

 まさか、ロサンゼルスが一週間以内に落とせないなんてことはあるまい。仮に落とせていなかったら、ロシアから戻って来た面々にも加勢をさせるまでだ。


「そういえば……おーい!婆さん!」


 解散前にトニーが思い出す。

 ちょうど、参加していないエリーゼとクリスティーナが帰ろうとしているのを見たからだ。


「やれやれ、なんだい。あたしらは参加しないよ」


「カトレアの奴が、ロサンゼルスに偵察に行ったときに魔力をかなり吸われたらしくてな。しばらく動けないほどになって帰って来た。何かそういう能力をオースティンが持っているか知らねぇか?」


 一同がギョッとする。


「魔力が吸われたですって!」


 まずクリスティーナが叫ぶ。この反応は、そんなものは知らないということだ。


「むぅ。バレンティノ将軍、それはロサンゼルス攻めに向かう某やリーバイス殿にも多少の影響はあるかもしれんぞ。もちろん貴殿にもだ」


「悪いな。大したことはないと思ってたんだが、そんなにすごいものなのか?仮に魔力がなくても俺の戦い方にはあまり影響がねぇんだが」


「……そういうことなら仕方ないねぇ。あたしもロサンゼルス城には行こうか。クリスティーナ、留守は頼むよ」


「えぇ!?そんな、危険だわ!」


「いいや。オースティン副長がどんなことをしたのか、知る必要がある。何せ、カトレアが無力化されるなんて、無視はできないだろう?」


 エリーゼも詳細は分からないか。しかしそれでも、彼女であればどうやってカトレアが無力化されたのか解明するのには適任だ。


 ただし、クリスティーナが案じるように魔力を多く有するエリーゼ自身にも危険が及んだり、オースティンがいなかった場合には肩透かしになる可能性もある。オースティンがいなくとも魔力を吸えるのであれば後者の話は別だが。


「さすがに孫娘のこととなると黙っちゃいられねぇよな。たくましい婆さんだぜ」


「そうさね。なんでそんなことを黙ってたんだい。ほら、行くなら行くよ」


「まだだ。兵隊を準備してから出発する。どのくらいで出れそうか、話を詰めるぞ」


 エリーゼは一人なので身軽だろうが、部隊を動かす他の三将はそうはいかない。


「なんだい、若いもんが年寄りに急かされるなんて恥ずかしくないのかね」


 ぷりぷりと腹を立てるエリーゼ。だが、トニーは構わず続ける。


「言ってろ。俺の方は一時間もあれば兵隊は集まる。何せ、今もモスクワで戦争中だからな。そこから多くは引き抜けないが、小さい部隊を連れて来よう。婆さんも一旦、俺に同行しろ。カトレアから少しくらいは話を聞いておいたほうが良いだろうからな」


「某は一時間など無理だ。せめて一日は頂きたい。戦の準備となれば時間がかかる」


「こちらも……本当は一週間は欲しいところだが、大魔女様が許してはくれまい……すぐに出れる部隊を明日までに出し、あとから増援を呼ぶなどしよう……」


 ハインツとリーバイスも機転は利かせてくれるが、かなりの無理を強いている。十分な戦力は後続で援軍に来るような形になりそうだ。


「一日も待たせるってのかい!」


「一日くらいカトレアと会えるんだから時間潰せるだろうが。アイツはもう逃げてきてるんだから急ぎすぎる意味はねぇんだよ。あんまりわがまま言ってると山に捨てるぞ、ババア」


「なんで山なのかは知らないけど、怖いからこのくらいにしておいてやるさね」


 エリーゼとトニーの間で話が進んでいくが、やはりクリスティーナは納得いっていないようで割り入ってきた。


「おばあちゃん!だから行く必要なんてないでしょ!バレンティノ将軍も言った通り、カトレアは無事なんだから、あとはここで息巻いてる人たちに向かわせればそれでいいじゃない!」


「む、息巻いているとは。某たちも酷い言われようだな」


「あぁ……ただ、大魔女様の身を案じるのも理解は……できる」


「いいかい、クリスティーナ。この男連中じゃ、魔術に対する知識が足りない。要するに、脳筋……って言うんだったかね」


 さらに酷い言われようだが、これは事実だ。魔族内でも魔術の最高位の権威である大魔女には誰一人敵わない。仮に大魔王アデルであってもだ。


「オースティン副長がカトレアの魔力を吸う術を持っていたんだったら、それはあたしらにも脅威なわけさ。仮に副長を彼らが倒したとしても、その技術が誰かに引き継がれていた場合は意味がない」


「……だったら代わりに私が!」


「ダメだよ。これは大魔女を名乗るあたしの仕事さね。魔術に関係のある知識で、あたしが知らないことがあるなんてのは、あってはならないんだ。分かるね?」


 要するに、プライドだろうか。それとも責任感か。どちらにせよ、オースティンの専売特許にしておくというのが気に食わないのは伝わった。


 魔力が吸えるのであれば、ほとんどの魔族は弱体化させられてしまう。

 それを解明し、対抗策を講ずる。あるいは、その手段を無効化させる。それができて初めて、エリーゼは安心出来る。そして、大魔女として魔術の頂点に君臨できる。


「ぐっ……じゃあ、あたしもついていく!それなら問題ないでしょう!」


「それも駄目さ。屋敷を長く留守には出来ないし、さっきの会議で決まった、食料運搬の話はアンタがやらなきゃならない」


「え!?それはイェン様もこっちに参加されるし、私だけの話じゃないわ!」


「いいや。正真正銘、魔女はあたしら二人しかいないんだよ。他は兵もいるし、僧侶も抱えてる」


「そんな!」


 これにはトニーも引っかかる。別にクリスティーナがいても問題はないはずだ。ロサンゼルスにエリーゼがいる期間も、そう長くはない。


 もしかしたら、クリスティーナがエリーゼを心配するように、エリーゼもまたクリスティーナを心配しているのかもしれない。

 オースティンの業は正体不明だ。三魔女の二人が同時に無効化され、殺されるという最悪のケースを憂慮しているとも考えられる。


 なので、トニーはエリーゼ側に助け舟を出す。


「クリスティーナ。てめぇはてめぇの仕事をしろ。退屈ならカトレアを貸し出してやる。運搬の仕事に使ってやれ」


「カトレアは貴方の所有物じゃないわよ!それに、指図しないでくださるかしら!」


 あまり効果はなかったか。むしろ、機嫌が悪くなる。


「クリスティーナ。あたしに任せておきな。たまにはいいところを見せておかないと、若い連中に年寄り扱いされてばかりで悔しいじゃないか」


「おばあちゃんは誰よりも賢くて誰よりも強いんだから!ほかの誰かに馬鹿にされる言われはないわ!」


「ありがとうねぇ。じゃあ、その誰よりも賢いあたしが言うんだから、いう事を聞けるね?」


 これは一本取られた。クリスティーナも自身の言葉でエリーゼの正しさを認めてしまったせいで大した反論ができない。


「そ、それでも心配だわ!」


「誰よりも強いあたしを心配してくれるのかい?オースティン副長に負けちゃうかもしれないって?」


 これもまたクリスティーナの言葉を借りた意見だ。ついに縮こまってしまう。


「もう……!」


「よし、クリスティーナも納得してくれたみたいだし、決まりさね。ほら、行った行った。特にハインツ将軍とリーバイス将軍は、すぐに部隊を編成しておいで」


 名指しされた二人が首肯し、空間転移で消えていく。


「では我らも、準備次第ロシア方面に発つとしよう。一週間後にロサンゼルス城の前に集合であったな。取り返していることを信じているぞ、兄弟」


「当たり前だ。お前らが来る頃にはパーティーの最中で、全員出来上がってるかもな」


「ふっ、ではまたな」


 ヘルが空間転移。アルフレッドやイェンなど、ロサンゼルス攻めに参加しない面々も退室していく。

 残ったのはエリーゼ、クリスティーナ、トニーと護衛のジャックだけだ。


「おばあちゃん!」


「今生の別れじゃあるまいし。大袈裟な子だねぇ。ほら、あたしがいない間のお仕事を頑張っておいで」


 まさに今生の別れの可能性があるわけで、エリーゼに抱き着いたクリスティーナは名残惜しそうにしている。


「バレンティノ将軍……おばあちゃんに何かあったら私は絶対に貴方のことを許さないからね!」


「婆さんが自分で選んだことを俺のせいにするな。逆恨みもいいところだぜ」


「うるさい!貴方がカトレアの件をすぐに解決できなかったせいじゃない!せめてオースティン副長が何をしたのか分かってれば、おばあちゃんが行かずとも解決策が出てきたはずなのに!」


 間違っている意見ではないが、モスクワで大規模な戦闘中であったことと、トニーが魔術の専門ではないことから少々無茶な要求だ。


「なんだコイツ?おいババア。いい加減に躾がなってないと、大事な孫娘が死体になるぞ。あぁ、魔族ってのは死ぬと消えるんだったか。なら死体も残らねぇな」


「待ちな、二人とも。この件は誰の責任でもないよ。言い争うのはやめておきな」


「ふん。ババアの顔を立てて退いてやるが、あんまり俺を舐めねぇ方がいいぞ。ジャック、転移する。準備しろ」


「はっ!」


 エリーゼにではなく、ジャックに空間転移を依頼。彼が陣の位置を知っているのもある上、ご足労頂く大魔女様への一応の気遣いだ。


「ちょ、ちょっと!分かったのかしら!おばあちゃんが無事じゃなきゃ、タダじゃおかないんだから!」


「クリスティーナ。心配いらないさね。仮に何かあるとしても、魔力を少し吸われるだけだよ。死んだりはしないさ」


「それが心配なのにぃ!」


 クリスティーナはもう何を言っても絶対に納得することはない。エリーゼも説得は諦め、トニーに便乗してその場から強制的に移動することにした。


「閣下、大魔女様、どうぞお入りください」


 ジャックが発動した空間転移に三人が入った。

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