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♭18

 懐かしいと言ってもいいくらいの期間が空いたが、実弟の顔は相変わらずどこか気だるげで、トニーは呆れとも安堵とも取れる複雑な気持ちになった。


 その他に見慣れない二つの顔。帯剣しているので、どこぞの国の兵士か。


 城内で騎馬隊ごっこをしていても格好がつかないので、カトレアを抱えたままセクレタリアトの背から降りる。


「それが噂の嫁さんか?」


「……?」


 トニーはイタリア語で話しかけてきた弟に怪訝な顔を向ける。

 だが、後ろの連中が英語話者ではないのかと思ってそれに乗った。


「そうだ。とはいえ、便宜上の嫁だと思ってくれればいい。後ろにいる、クロエって女は上玉だろう?」


 魔術師らしき女の姿に目を向ける。ロシア人の女団長もかなりの上玉だったが、こちらはさらにその上を行く絶世の美女だ。


「確かに。妾か?」


「だと良かったんだがな」


 カトレアを降ろし、玉座に腰かけるトニー。だが、カトレアも結局その膝に飛び乗った。


 ジャックをはじめとする護衛団、セクレタリアトやリザードマン、オーガらは脇に控えて跪いた。クロエや小隊長はその場で腕を組んで待機だ。

 イタリア語こそ理解はできないが、彼らは目の前にいる人物がトニーの弟であることは承知している。


「ねぇねぇ、閣下。翻訳術かけようか?私もその言葉わかんないし」


「そうだな。やれ」


 カトレアの提案で、魔術が発動する。これでウィリアムの後ろにいる兵士たちも含めて、話している内容は英語で問題なくなるだろう。


「何をしたんだ?」


 一瞬、淡い光にその場が包まれたが、何が起こったのか分からないウィリアムが尋ねる。


「翻訳だ。てめぇがイタリア語で喋ろうと、英語で喋ろうと全員に伝わる。便利なもんだろ」


「本当か……?大尉、俺の英語は聞き取れるか」


「いいえ、伯。それはイタリア語にしか聞こえませんが、どういう意味でしょうか」


「……大丈夫そうだな」


 ウィリアムも翻訳が実際に行われたことが確認できたようだ。

 伯、大尉、など、現世では知っていてもあまりこちらの世界では聞きなれない言葉が並ぶ。


「伯爵様なのかよ。そっちのは護衛か」


「あぁ。兄貴だって将軍様なんだろ?伯爵くらいで驚かないで欲しいな。紹介しよう。こっちのはチェザリス大尉、もう一人はカンナバーロ軍曹だ。どちらもイタリアのローマで軍人をやっている」


「これがカトレア。そっちのはジャック、馬がセクレタリアトだ」


 ウィリアムの紹介に合わせて、トニーも適当に目についた者を紹介する。


「閣下の弟……あんまり似てないね!あたしはお姉ちゃんって呼ぶんだぞ!」


「あ、あぁ……義理の姉だからな」


「ガキの言うことなんか気にするな。楽にしろ」


「ガキとは何だー!」


 座っている膝の上でくるりと回転し、カトレアがトニーの方を向いて腹をポカポカと殴っている。


「何というか、仲睦まじい事だな」


 弟の視線が生温かい。幼女を相手にじゃれているトニーの姿を見る機会などなかったのだから、意外だと思われている事だろう。


「伝言は預かった。中国人から受け取ったアガリは無事だって話だったな。だが、肝心の帰還が叶わねぇことには話にもならん」


「あぁ。手元に欲しければこっちに置いておいても構わないぞ。ただ、送り迎えはそっちの魔族連中に頼むことになるが」


 ウィリアムとしては金など、どうでも良いのだろう。


「今はこっちの世界のイタリアを拠点にしているのか?」


「そうだ。ここに来たときは遠征中だったけどな。マルコもこっちにいる」


「遠征中……?まぁいい。マルコも金も無事で何よりだ。とりあえずはまだお前が持っておいて問題ない。このクソみたいな世界から現世に帰る手段が見つかったら持ってこい」


「分かった。それに関して、何か情報は無いか?俺の方でも探してはいるんだが、なかなか難しい」


 トニーが期待していたのはウィリアムからの新たな情報だったが、残念ながらそれは持ち合わせていないらしい。


「人間の方は知らねぇか。魔族は割と詳しい奴がいたぞ。大魔王とか、大魔女とか、ふざけた呼ばれ方をしてる老害どもだ。伊達に何百、何千年も生きちゃいねぇらしい」


 アデル、エリーゼの二名はトニーに様々な情報を与えてくれた。


「どんな情報を?」


「この世には九だか、十くらいの表裏一体のパラレルワールドがあるって話だ。その内の一つがここで、別の一つが俺らのいた世界。星守とかいう奴がそのカギを握ってるっておとぎ話だ。まずはそいつが要る」


 ウィリアムの表情が驚愕に染まる。

 そんな情報があったなんて、といった驚きではない。トニーの口からそんなおとぎ話じみた内容が飛び出したのを驚いているのだ。


 元々、物欲の塊のような生き方をしてきたのだから、兄の変化に思考が追い付いていない。

 ただそれも、こんな世界に飛ばされてしまっては、変わらない方が難しいというものだ。


「何か言いたげだな」


「その良く分からない人物を探す、というのか?本気で?それも、大魔王だとかいう魔族の親玉の知恵だろう。兄貴が騙されていやしないかと心配になってな」


「その時は大魔王を殺せばいいだけだ。違うか」


 新入りのセクレタリアトたちがどよめきを起こす。自分の主人は今、何を口走ったのかと。


 だが、ウィリアムだけは愉快そうに笑った。


「ははははっ!!そうか、根っこは変わってないようで安心したよ」


「しかし、マルコは連れて来てねぇんだな。金魚の糞みたいにいつも、お前にくっついてただろ」


「マルコはこっちの世界ではロンドンに飛ばされてたんだ。再会も偶然だった。今は俺の留守を預かってもらってる。FBIとか名乗る盗賊連中が幅を利かせてるんだ。それの調査だな」


 ぴくり、とトニーの眉間が動く。


「なんだ、ちったぁ情報持ってるじゃねぇか。FBIとは何の捻りもない名前だな。故郷に帰れるきっかけを知ってる気がしてならねぇ」


「未確定だ。たとえば、俺たちの他にあっちから飛ばされた人間がいて、ソイツが名乗ってる、とかな。ファミリーの人間の可能性はないか?」


「いや、お前とマルコ以外は全員こっちに面子は揃ってたから、現世の奴だとしてもファミリー以外の人間だろうな」


 俄然興味が湧いてきた。暇つぶしにFBIという組織を調べるのも面白そうだが、当面はウィリアムとマルコの仕事にしておく。


「ところで、相談したいことがあるんだ」


「相談?」


「ここでも構わないが、どこか、部屋を借りれないか?それと、そっちの嫁さんにも同席してほしい」


 久しぶりに会ったのだ。トニーも頼られて気分が悪いわけでは無い。


「なら、俺の自室に来い。ガキ、てめぇもだとよ。他の奴らは自由にしておけ」


「ガキじゃないし!でも行きまーす!お姉ちゃんに任せなさい、弟くんよ!」


 義理の弟に大きな顔をできるのが嬉しいらしく、歩き出したトニーに飛び跳ねながらカトレアがついていく。


「お前たちは少し外してくれ。何なら、トニーの側近の連中と親交を深めておくと良い」


 ウィリアムも二人の護衛兵士らにそう言い残してトニーに続いた。

 ジャックやクロエなどと話すのはかなり良い機会になるだろう。


……


「部屋の中に車があるのは驚きだな」


 ウィリアムをトニーの自室に招き入れた第一声がそれだ。

 他にも、壁に掛けられた日本刀コレクションや、天蓋付きの立派なベッドなど、見るべき点はある。しかし、室内にあって違和感しかないのはやはりこのマセラティの黒塗りのセダンだろう。


「面白れぇだろ。こっちじゃ車なんざ飾りみたいなもんだからな。空間転移が便利すぎて開発者も涙目だろうぜ」


「科学と魔術は相反すると言ってもいいのかもしれないな」


「んで、相談ってのは?俺だけじゃなく、コイツを呼んだのにも理由があんだろ」


 トニーが指先から火を飛ばして葉巻に火をつける。

 すると、本題に入る前にウィリアムはそっちに食いついてしまった。


「なっ!?魔術が使えるのか!?」


「大魔王ってのが寄こした能力だ。だが、そう驚くこともねぇだろ?この世界の人間どもは普通に使えるらしいじゃねぇか」


「それはそうだが……俺達はそうじゃないだろう。それに、人間は杖なんかを使うのが鉄板だぞ」


「どうでもいいだろうがそんなことは。さっさと本題に入れ」


 トニーに促される。

 ウィリアムも自身のスーツから紙巻きたばこを取り出して、ライターで火をつけた。


「今回、このロサンゼルスを訪れたのは組員と偶々会ったからなんだが、その時に同行していたのはさっきの二人の俺の護衛、十二名の騎士、そしてイタリア国王陛下だ」


「ほう?大物を連れてきたもんだな」


「だが、兄貴が戻る数時間前、この城内の客間から陛下が消え去った。完全な密室でだ。誰かが悪巧みをして攫ったものと見ている」


「あ?攫われただと?」


 トニーがやや不機嫌になる。イタリア国王の事など正直なところどうでも良いのだが、自身の城内にそんな不届き物がいるという事実は許しがたい。


「おそらくな。客間の前の扉では騎士が警護していたし、室内に侵入できるような大きな窓もなかった。勝手ながら、その時に城内にいた連中に聞き込みもさせてもらったよ」


 ふん、とトニーが鼻を鳴らす。


「たとえば小さい種族、インプなんかが小窓から入って、空間転移して連れ去った線も薄そうなんだ。音が出るらしいから騎士が気付く」


「カトレア」


「うん、空間転移とかじゃないんじゃない?何なら、私がそのお部屋を調べてあげよっか……えっ、今あたしの名前呼んだ!?ねぇねぇ、閣下!?」


 魔力の痕跡などから犯人を追えるわけではないが、何らかの魔術が発動された痕などが残っていればカトレアは見逃さないだろう。


「城内の奴だったら処刑。外敵なら引きずり回した後で処刑だな。舐めやがって」


 興奮したカトレアに、ぐわんぐわんとトニーが身体を左右に揺らされているが、完全無視だ。


「しかしかなり懐いてるな、その女の子。トニーの好みとも思えんが、驚きだ」


「あったりまえじゃん!べた惚れなのだよ!あたしだけじゃなく、閣下も惚れてるのだよ!好みじゃないとは何だ!好みだ!」


「そ、そうか……お幸せにな」


 普段はクールな弟も、カトレアの勢いに押され気味だ。

 もし現世に帰る時が来たら、彼女もついてくるつもりでいるに違いない。それはそれで面白そうだが、トニーとしては連れて帰るつもりはない。


「ガキの相手はしなくていいって言ったろ。とりあえず、さっさとその部屋に案内しろ、ウィリアム」


「あぁ、こっちだ」


 久しぶりの自室の滞在時間が短く、少し名残惜しいと思いながらも弟の後ろに続く。

 カトレアが隣に並んできて、さっと手をつないできた。娘のような感覚だと思えば気にはならない。特段、誰かに突っ込まれるような事でもないだろう。


「閣下、お帰りなさいませ」


「閣下、カトレア様。お帰りなさいませ」


 魔族の兵士にトニーらが話しかけられるたびに、ウィリアムは立ち止まって待ってくれた。


「おう」


「こら!ちゃんと弟君にも挨拶しなよ!」


「はい。ウィリアム様とは先程、お話しさせていただきました」


 トニーらの帰還前に、ウィリアムは魔族やロシア兵にも聞き込みと、捜査協力の依頼をしたらしい。

 ちゃっかりしているし、手際が良い。


 客間が並ぶ廊下にたどり着いた。


 途中、見かけたことのない完全武装の騎士たちに出会ったが、ウィリアムに一礼していたので、あれが十二名の騎士とやらだろう。

 国王の捜索に必死になっている様子だった。


「この部屋だな。繰り返しになるが、部屋の入り口には騎士が立っていた。窓も小さい。普通であれば、いなくなるなんて考えられない」


「分かった。おい、ちびっ子。先に入って部屋を調べろ。どう考えても魔術だろうからな。俺たちはここで見てるからよ」


「うるさいなぁ、デカっ子め!可愛いお嫁さんをいたわりなさい!」


 とてて、とカトレアが小走りで部屋に入っていく。文句は言うが、やはり彼女は子供らしく素直な性格だ。


 ウィリアムをちらりと見ると、愉快そうに口元を緩めていた。


「楽しそうな新婚生活じゃないか」


「茶化すな。あれはペットみたいなもんだ。それよりお前も、こっちにいる間の伴侶は居ないのか」


「いないな。俺はそう割り切れる性格じゃなくてね。仮にこっちで良い女がいたとしたら、情が湧いて別れが惜しくなる」


 真面目なウィリアムらしい解答だ。弟は学生の頃からそうだった。

 女を侍らせて遊びほうけているトニーを尻目に、一人の女と真摯に付き合っていたものだ。


「こっちに残るって意味か?」


「いや、それはできない。だからこそ作らないのさ」


 残るというなら無理に止めはしないが、ファミリーにとっては大きな痛手となるのは間違いない。


「拠点はローマか?デカい街なら娼館くらいあるだろう。女を作らねぇとしても、遊ぶくらいは出来るじゃねぇか」


「多分あるんじゃないか?気にしたこともなかったな」


「ふん、どこまでも真面目な奴だぜ」


 ここで、部屋の探索を終えたカトレアが出てきた。


「いま、エッチな話してたでしょ!兄弟揃って救いようがないなぁ」


 ジト目でトニーが睨みつけられる。

 話を振ったトニーはともかく、質問に答えただけのウィリアムは心外だろう。


「一瞬たりともしてねぇぞ」


「みんなそう言うんですぅ!とりあえず、その人がいなくなったのは魔術だと思うよ!」


 横道にそれつつも、カトレアはイタリア国王が消えた原因が分かったようだ。


「本当か!どうやって、陛下が連れ去られたのか教えてくれ!」


「というか、誰がこんな狭い部屋に、それもガチガチに兵士が見張ってるのに入ったんだよ?」


「はいはーい、質問は一つずつお願いしまーす。まずは弟くんの方から答えると、やっぱり転移系の魔術だとは思う。そっちは痕跡とかはないから予想ね。ただ、その前にその人に対して何か使ったんじゃないかな。例えば、小さくするとか、運びやすいよう姿を変えちゃうとか。奇術の類だねぇ」


 奇術……大悪党フレデリック・フランクリンが得意としていた魔術だ。


 何者かが国王を虫や鳥にでもしてしまったということだろうか。しかし、侵入時はどうなる。まさか、術者が自身を虫に出来るわけでもあるまい。


「あぁ?奇術の痕跡でも見つけたのかよ?」


「そそ。これ、見てみて」


 カトレアが親指と人差し指でつまんだものを見せた。

 トニーは鼻を鳴らしただけだったが、ウィリアムは言われた通り、それを凝視した。


「これは……砂粒くらいの大きさの小石かい?」


「に、見えるよね」


 いくら清掃された客間でも、そのくらいは落ちていて当たり前だろう。誰にだって、靴の裏には砂や土くらいついている。


「でもこれ、奇術がかかってると思う。元の状態に戻すねー」


 カトレアはそう言うと、床に置いた砂粒に魔術を発動した。


「解除ー」


 すると、粒と言うほどの非常に小さかったそれは、米粒程度の小石へと変化した。


「ふーん、そういう感じかぁ」


 カトレアは何かを考え込んでいる。

 ウィリアムはその小石に手を伸ばして拾い上げた。まだまだ小さいものではあるが、それでも五倍程度には大きくなったのではないだろうか。


「あんまり変わってねぇように見えるが?」


「いや、兄貴。これはすごいぞ。大きさが何倍にも膨れ上がってる。小石程度では分かり辛いが、これが人間だとしたらあの窓を通れるくらいには縮小するんじゃないか?」


 確かに、人間で考えるとそれくらいは縮むかもしれない。


「だったら転移術じゃねぇ方法で連れ出してる可能性もあるじゃねぇか。インプくらいの、ちんまりした奴の仕業かもしれねぇぞ」


「インプ……他に小さな種族はいないのか?」


「色々いるよー。蝶々の羽のフェアリーっぽいのとか」


 これはウィリアムはおろか、トニーも知らない種族だが、カトレアが言うのであればそう言った種族もいるのだろう。


 フェアリーと言われると妖精のイメージだが、エルフ族と同じく、人間ではなく魔族側に含まれるらしい。


 分かりやすく言えば、人間は単体種族で、それ以外はすべて魔族ということになる。

 言葉を喋らない種族の魔族と、ただの動物の境目は難しいところだが。


「そういう奴が窓から入り、陛下に小さくなる奇術とやらを使って連れ出した……ということだろうか、カトレア嬢」


「そうそう!それが答えっぽい!あたしの事はお姉ちゃんで良いってば!」


「だったらインプ共を集めるか?城内のインプにそんなことをする奴がいるはずもねぇが……そもそも、あいつらの言葉分かるのかよ、お前」


「え?わかんないよ?キーキーピーピー言ってるだけだもん」


 翻訳術に似たような、動物的な種族とも話せる方法でもあろうかと思ったがそういうわけでは無いらしい。


「だったら意味ねぇじゃねぇか。というわけで、探ってやれるのはここまでだな、ウィリアム」


「そうか……」


「ちょっと待ったぁ!あたしの力はこんなもんじゃないぞぉ!」


 悔しいのか、カトレアはまだ加勢しようとしている。本当に見つけてやれるのなら、それでも良いのだが。


「なら付き合ってやれ。俺はこの辺で抜けるぞ」


「あ、待ってもらえるか?陛下がいない場でお願いするのもなんだが、イタリアへの侵入をできる限り止めてもらえないかと思っていたんだ」


「……あぁ?アジアの小国みたく、俺の傘下に入るって話か?欧州を切り崩せるのなら別に俺は構わねぇが。逆らわなきゃ悪いようにはしてねぇしな」


 となると、国王を探すのに本腰を入れるというのもやぶさかではない。

 ヨーロッパは特に欲しいとは思っていなかったが、イタリアはアジアを完全支配するのに都合がいい位置でもある。


「それは俺からは何とも言えないところだ。ただ、陛下も協力関係は結んでくださると思うぞ。それがここへ来た大きな目的だからな。物資もわざわざ侵入して手に入れるより、こちらからの提供があった方が楽だろう?」


 ウィリアムの提案は確かに魅力的だ。


「そうか。ならそのガキを貸してやるから国王を探すと良い。どちらにしろ、俺は大して関わってはやれねぇ」


「えぇ!?やだよぉ!あたしは閣下といたいの!」


「いつでも飛んで来れるだろうが。可愛い義弟を助けてやると思って手ぇ貸してやれ」


「えー……」


 ものは言い様。カトレアを丸め込むのも仕事の内だ。


……


 人探しはウィリアムとカトレアに任せて別の仕事に移ることにする。やることは山積みだが、何から手を付けるか。

 いつの間にかジャックが客室の表で待機していた。


「行くぞ」


「はっ」


 ウィリアムにはまた話す場が欲しいと言われたが、やはりそこにイタリア国王が居るのと居ないのとでは大違いだろう。


 魔族側と人間側に分かれて兄弟で敵対する可能性は低いと言えるが、あの様子ではこのままトニーに合流して、ロサンゼルスを拠点とする事にはなりそうもない。


 しかし、現世への帰還の方法は人間側の方で手に入らないとも言い切れないので、FBIなどという連中とウィリアムやマルコが接触出来れば進展があるかもしれないという、淡い期待だけは持っておくことにする。


 ただし、トニーの目的である、アメリカを強い国にして星守という存在を出現させることの邪魔になるようであれば、実弟であろうと排除する。それだけだ。


 城内は未だ、騒がしい。これはウィリアムが彼らに国王の捜索を依頼したからだ。

 城内に詰めている者は通常業務と言うほどの仕事は大してないので、そのほとんどがこれに駆り出されていることになる。

 そうでない者は各箇所への侵入に出ているはずだ。


「おや?将軍。お帰りだったか」


「おう」


 ロシア兵の女団長に出くわした。彼女もまた、ウィリアムに協力しているように見える。

 その顔を見て、次の行動を決めることにした。


「ロシア方面を攻めるか。ヘルに頼んでた武器製造はある程度進んでる頃合いかもしれねぇしな」


 武器弾薬は、ロサンゼルスがオースティンに襲撃されることを恐れて、フィラデルフィアに製造拠点を移している。

 この城にある隔離棟の奴隷は、食事や被服などの雑務要員を除いてほとんど残っていないはずだ。


 厳密に言えば、ヘルに頼んだのは作業場所の提供だけであり、製造の作業自体はすべて奴隷の裁量にかかっている。


 彼らには衣食住の他、欲しいものなどがあれば組員らに相談して手に入れてもらえるようにはしていた。例えば酒やタバコなどの嗜好品、高級な食材などだ。

 奴隷とはいえども手枷などは無いので好待遇ではある。賃金は仮に与えても意味が無いので、そちらの方が理にかなっている。


 故郷に返すことは無理だが、それなりの暮らしが保証されているというわけだ。


 もし逃げ出してもアメリカ大陸から脱出することは不可能であり、そもそも、海へたどり着く前に荒廃した大地で飢えて死んでしまうか、魔族に襲撃されて食われてしまうだろう。

 さらに言えば、フィラデルフィア城は空中に浮かぶ監獄のようなものだ。落ちれば死ぬ。


 ここしばらくは数回に分けて奴隷を新しく連れてきて、それを少しずつフィラデルフィアへと送る指示を出していた。

 今頃は総勢十名ほどになっているはずだ。


「行き先はフィラデルフィアでよろしいでしょうか」


「いや、そっちは誰かに行かせろ。俺はロシア方面に飛ぶ」


 となると、久々にロシア兵らの出撃となる。

 そろそろロシアにも本格的に拠点として部隊を駐留できる街などが欲しいところだ。解放はしている場所も多いが、そういった街は持っていない。


……


 イタリア国王の捜索に加わっていたが、それを中断したロシア兵はすべて玉座の間に集められていた。


 クロエや小隊長もいる。ここまで長居してしまっては、もはやローマへ帰るのはいつでもいいといったところか。


 魔族の兵員はいつもよりは少ない編成となっている。これはウィリアムの方にも手を貸しているせいだ。

 武器弾薬は後続で他のものに送らせる。


「閣下ー!ちょいまち!まだ行っちゃダメなり!」


 カトレアはウィリアムに付けているので今回は同行しないが、彼女が扉から入ってきた。


「なんだ、ダメなりって。妙な言葉を使う子供だ」


 それにやや遅れて弟も姿を見せる。


「……おい、ウィリアム。何かあったのか?俺を止めるってのはそれなりの理由なんだろうな」


「あぁ、ソイツを見てくれ」


 トニーの苛立ちには気づきつつも、ウィリアムがカトレアを指しながら手早く用件を伝える。

 カトレアは髪の毛のような、細長い何かを指先でつまんでいた。


「獣人の体毛だよーん。銀色!」


「奴か?」


「まだわかんないけど、これも小さくなって部屋に落ちてたの!超怪しくない!?」


 少々話が出来過ぎな気もする。しかし、魔族の中でトニーに対して何か仕掛けてくる者がいるとすれば、十中八九、オースティン副長の手のものだ。

 本人だと確定してはいないが、関係者かもしれない。


「犬っころはそんな奇術が使えるのか?」


「少なくともあたしは知らないけどねー。勉強したのかもしれないし、副長がいるそばで誰か他の人が使ったとかもあり得るかも?」


 可能性は色々と考えられる。

 ただ、あの部屋でイタリア国王に何者かが魔術を使ったというのは確定でよさそうだ。


「侵入時には自身を小さくし、退出時には陛下にも同じ魔術を使ったというわけか」


「聞いたこともねぇ話だが、そうだろうな。自分を縮めるなんて、肝の据わった奴だ」


 小さくなれば戦闘能力自体は減るだろう。敵地にその状態で忍び込み、その危険を顧みずに誘拐を実行したことになる。


「それでね、副長と話すのが早いじゃん?だからあたしもロシア行く!」


「それに俺も同行できないか、という相談だな。兄貴」


「あぁ?ウィリアム、てめぇはFBIとかってのを追うんだろ」


「そっちも大事だが、マルコがイタリアに残ってるからな。アイツに任せて、俺は陛下を追わなければ。考えてみてくれよ。陛下を奪われたままで俺はイタリアに二度と入れないぞ」


 そのくらいどうでもいいじゃないか、とトニーは思うわけだが、弟には弟の考え方とやり方があるのだろう。


「ふん……国王のお付きってのも大変なもんだな。せいぜい、友好的に付き合っていくのに使える札くらいにしか扱わねぇぞ」


「そっちの目線から見たら、恩を売るチャンスだからな。俺の立場では国王陛下は命の恩人のお一人なんだ。ついでに、同行してきた騎士たちも連れて行く。というか、連れて行かないと暴れそうだ」


「グズグズすんな」


「ありがとう」


……


 ウィリアムの護衛、イタリア国王直下の騎士たちは五分と経たずに、即座に集まってきた。


 トニーとしてはウィリアムとカトレアに多少の人員を割く分は少数での出撃を目論んでいたわけだが、彼らも合流するとなると数が増える。

 人間と魔族を合わせると、300から400名程度だろうか。


 この大人数を動かすのであれば、ロサンゼルス、アジア方面の守りが薄くなるので長期間の滞在は難しい。

 人間が多く、食料等の補給物資の不足も問題となるだろう。


「さっと行って、さっと拠点を取るしかねぇ。出来れば奴らを全滅させ、モスクワにいるらしいロシアの皇帝も味方にしたいところだな」


「……そう簡単にいくものなのか?」


「やれるかどうかじゃなく、やらなきゃ意味がねぇんだよ。だが、数の分だけ力が強くなるのも確かだ。お前が連れてきた連中は使えるのか?」


「イタリア国内きっての精鋭だ。特に十二人の近衛騎士の戦闘力は凄まじいと聞いている」


 聞いている、ということはウィリアムも実力のほどは目の当たりにしたわけでは無いようだ。


「そうか、期待してるぞ。お前らの大事な王様を攫った可能性が高いのは、それに似た体毛を持つ犬型の化け物だ。殺してやらねぇとな」


「らしいな。お嬢ちゃんにそう聞いた。兄弟のどちらからも因縁の相手とされるなんて、不幸な野郎だ」


 姉と呼んでもらいたいのか、カトレアはやや不満気だ。


「一つ聞きたいんだが、兄貴は魔族に加担して大魔王とかいう奴に天下を取らせたいと思っているのか?」


「そうだ。星守の話はしたよな?そいつが現れるのは、その世界、その時代で最も力を持つ国や場所なんだとよ」


「……本当におとぎ話みたいだな。俺たちに必要だと思われる情報は試してみる他ないが。しかし、自分で天下を取らないのは意外だ」


「いずれ出ていく世界で、お山の大将がしたいはずがねぇだろ」


 ウィリアムも完全に同意だと頷いた。弟ながら心強い。


 トニー、ウィリアムの兄弟、ジャック、カトレア、セクレタリアトといったトニーに近い位置にいる魔族、クロエや小隊長、ロシア兵の女団長と爺や、ウィリアムが連れてきた護衛二人と十二人の騎士、あとは一般のロシア兵と魔族の兵士たち……なかなかの大所帯だ。

 それも、カトレアや騎士たちのおかげで実力もかなりのものとなりそうである。

 後続の武器弾薬の運搬員として、組員はほとんど置いていく。


「ドリームチームだな」


「遠足気分なら置いていくぞ。てめぇら、出撃するぞ!移動を開始しろ!」


 トニーだけ、セクレタリアトへ唯一の騎乗をし、各々の魔族の兵士らが空間転移を発動し始めた。

 ロシア兵など、自身で移動できない者はそれぞれの近くで開いている転移門へと入っていく。


「閣下、参ります」


「あたしたちもいっくよーん」


 トニー達を運ぶ役目は自然と、カトレアとジャックの二人となった。


……


 季節外れの極寒の雪景色と、肌を突き刺す冷たい風が一同を襲う。もちろん、防寒具は準備してきているので多少はマシだが。


 現世のロシアもかなりの寒さを誇るが、それでも夏季くらいはある。しかし、こちらのロシアは年中、どこへ行っても雪に覆われていない地域はほとんどないらしい。


「極東方面は解放している地域も多いので飛ばした。取り返されていた場合は先送りになってしまうが、それよりはモスクワに近い場所がいいだろう」


 この女団長の進言で、トニー達一行はロシア中西部、ニジニーノヴゴロドという街の付近に転移してきていた。

 当初の策から大幅な変更となったが、最新兵器を投入して力押しで侵攻していく作戦だ。


 おそらく数千から一万程度の軍団がいるであろう敵に対して、こちらの兵はあまりにも少ないが、それでも勝算は十分にあると踏んでいる。


 ただし、武器弾薬が十分に補給されるまでは白兵戦や魔術での戦闘が主となる。

 銃器を取り扱えるのは組員とわずかな魔族の兵士のみ。前者は今回同行していないので、銃器が潤沢になったら改めて射撃訓練等を行う必要があるだろう。

 もちろん、そのままでは少々と非力と言わざるを得ないロシア兵たちにも支給予定だ。貸出と言った方が正しいか。


 屈強な魔族の兵士が亜音速の弾丸で攻撃をする。考えただけでも最強の兵団となりそうだ。


「閣下、申し上げます。前方に街が見えました。規模が大きいので、あれが目標としていたニジニーノヴゴロドで間違いなさそうです」


 飛ばしていた斥候のスケルトン兵が、トニーらが待機している針葉樹林の中へと戻ってきて報告した。


「街の防衛はどうなってる?」


「策で囲われ、その内側に城壁。中心部に小振りな石造りの城がありました」


「そのくらいのものなら拠点にはできるな。分かった、下がれ」


 陣のようなテントを張るわけでもなく、火を起こすわけでもなく、寒空の下に部隊は待機している。

 元より外に長居する気はなかったとの表れだ。


 トニーの周りにはウィリアム、その護衛を務める二人のイタリア兵士、カトレア、ジャック、セクレタリアトだけがいる。

 女団長はロシア兵の指揮、クロエと小隊長もそれに付けた。

 魔族の兵士の指揮は普通であればトニーが執るが、今回は面白い提案をしてみた。


「ウィリアム、お前が指揮を執れ」


「指揮?何のだ?まさか、化け物どもを俺が動かすって話か?」


「それ以外に何がある。てめぇもイタリアでお偉いさんをやってるんなら、兵隊ぐらい動かしてるだろ。この馬も貸してやる」


「いや、俺は私兵も領地も持ってないし、軍隊の指揮はしないな……だが、またとない経験だ。やらせてもらうよ」


 弟はそう言って快諾してくれた。もちろん、トニーも最初からその結果は分かっている。

 自身と比べて慎重派である彼も、別に憶病ではない。何か新しい経験があれば挑戦するし、諦めたり逃げ出しているところは見たこともない。

 そうでなければ裏稼業を一緒に継いで、やってこれてはいないだろう。


「閣下、弟君を乗せればよろしいのか?」


「あぁ、指揮は高い位置からするもんだ。討ち取られるなよ」


「無論です」


 セクレタリアトが数歩だけ歩み寄り、膝を曲げて屈んだ。それにウィリアムが跨る。


「大尉、軍曹、ついて来い。直接前には出ないが、魔族の兵士らの戦いっぷりを味方として見れるのは貴重だろう」


「かしこまりました」


「えーっ、本当に行くんですか。まぁ、戦わないなら良いか……」


 片方の士官らしき青年はまともな性格で、もう一人の中年の下士官らしき男は不真面目な性格らしい。

 一応は彼らにも、イタリア国王がこのロシアにいる可能性が最も高いことは説明済みでの同行だ。


「軍曹、貴様は来たくないなら、ここに一人でおいていくぞ」


「いやいや、行くって言ってるでしょ!意地悪言わないで下さいよ、隊長!」


「話はまとまったか?さっさと行ってこい」


「あぁ、部下の痴話げんかは気にしないでくれ。二人とも、喋ってないで行くぞ。まずは魔族の連中に指揮権が誰にあるか、教えてあげないとな」


 トニーの言葉に、馬上のウィリアムはそう返して兵士たちが集まる樹林の端へと進んでいった。

 トニーの命令だという話をすれば、問題なく指揮はできるだろう。初陣の用兵のお手並み拝見だ。


「珍しいことするもんだねぇ」


 トニーの肩によじ登り、強制的な肩車を楽しむカトレアが、手で望遠鏡のような輪を作りながらウィリアムの背を見ている。

 別に、トニーが後方に控えることを珍しいと言っているのではなく、誰かに完全に指揮権を与えることが珍しいからだ。


 魔族はウィリアム、ロシア兵は女団長に指揮権を与えたことで、トニーのこの場での仕事は全くない状態となってしまった。


「ハナから上手くいくとは思ってねぇよ。アイツも、俺と共にいるのか分からねぇしな」


「えっ?返しちゃうの?イタリアに」


「それはアイツが決めることだ」


 現世へ帰る意思はあるように思える。協力を仰いでも来た。

 ただ、イタリアが属国化を拒んで、トニーの障害となるかもしれない。その時どうなるかは不明だ。無論、敵となれば弟と戦うしかあるまい。


「ふーん、それなのに経験を積ませてあげてるんだ?太っ腹ー」


「そうか?お前だって姉貴がいただろ。あれのためになるなら、多少の譲歩はするんじゃないのか?」


「しませーん!お姉ちゃん嫌いだもん、あたし。閣下は弟くん好きなんだ?」


 そういえば、カトレアとクリスティーナは大して仲は良くなかったかと思い出す。というより、姉のクリスティーナがカトレアに口やかましく説教することが多いせいで苦手なのだろう。

 当然、原因はカトレアの言動や行動にあるので、単なる逆恨みでしかない。


「好きも嫌いもねぇが、誰よりも使える奴だとは思ってる」


「そうなんだ?でも閣下の方がかっこいいよー。あたしの心が揺らぐと思って心配してたんでしょ!かわいい~」


「うるせぇ」


 トニーの兄弟に対する考え方は、カトレアには理解できなかったようだ。


 針葉樹林を抜け、大雪原へと部隊が進軍していく。

 トニーら居残り組は樹林の端まで出てきて、その様子を見ていた。


 この場に残っているのはトニー、カトレア、ジャックだけだ。

 総大将を残して三人だけとは危険な感じもするが、カトレアがここにいる以上、大部隊に囲まれているのと安全性は大して変わらない。


「結構大きな街だねぇ」


「それが狙いだからな。早く暖房のある所に行きたいもんだ」


「あたしが温めてあげようか!」


 トニーとカトレアは見物をしている状態だが、その間にジャックだけは二人のためにテントや焚火を設営していた。

 街を落とすまでは数時間から数日はかかるだろう。その間、ずっと寒空の下にいるわけにもいくまい。


 ウィリアムや女団長らの軍団も、街への一定の距離を保って陣を張り始めると思われる。


 反対に、ニジニーノヴゴロドと思われる城塞都市からも反応があった。

 カンカンと警鐘が鳴り響いて、城壁のうえに弓兵隊が姿を現す。


 針葉樹林を出れば、街まで遮蔽物はないのだ。多くの部隊が動けば見つかるのも当然だろう。

 そして、その時点でトニーは気づく。ウィリアムも気づいたはずだ。


 城壁の上に現れたのは「弓兵隊」である。つまり、人間の兵士だ。

 この都市は降伏したのでなければ、まだオースティンの手に落ちていないということではないだろうか。


 そうなると、出番があるのはウィリアムではなく女団長の方になるのだが、魔族が横にいるせいで警戒されてしまい、話が出来るかどうかは分からない。


 案の定、まだ矢が届かない範囲で、威嚇射撃が行われた。

 数十本程度の矢が放物線を描き、ウィリアム達から見て前方の雪原に突き刺さる。


 さすがにそのまま前進を強行するわけにはいかないので、ウィリアムや女団長が率いる部隊はそこで止まった。

 二人が歩み寄って、何やら相談しているのが窺える。


「あれ?人間が守ってるね?どうなってるんだろう」


「犬っころがこの街を見逃すとは考えづらいが、まだ到達していない可能性もある」


 ウィリアムと女団長の話が終わり、部隊の多くが止まっている中、一体のスケルトン兵がトニー達のいる樹林へと駆け戻ってきているのが見えた。

 伝令だ。見ていれば状況くらい分かる距離なのに、律儀なウィリアムらしい指示である。


 数分でそれがこちらへ到着した。


「閣下、ウィリアム様からの報告を申し上げます。城壁の上に人間が確認できたので攻撃を中止、現在、ロシア人の兵団の中から守備兵と話すものを選出中とのことです。残りはその場に待機して、万が一話が出来ない場合は陣を設営予定とのこと」


「悪くねぇな。相手が人間でも、仮に話が出来ないとあれば攻撃するつもりか。しかし、あの嬢ちゃんはそれで納得できるのか?」


 女団長と爺やを含むロシア兵団もそうだが、同行しているクロエも嫌がりそうな戦いだ。


「申し訳ございません、自分にはそこまでは計りかねます。しかし、ウィリアム様よりご指示を頂く前に、ロシア兵側の代表者とも話をつけていたようには思います」


 話に応じなければ後回しにして、別の街へ急ぐようにして欲しいと言われるのを予想していたが、同胞を倒してでも拠点の確保が先決だと理解したのだろうか。


 もちろん、街を破壊し、住民を虐殺し、完全に全滅させるというのはトニーも望んではいないので、オースティンの兵らが潰してきた街に比べると随分マシなものではある。

 少しばかり力の差を見せつけて従わせる、という形になるはずだ。


 味方のロシア兵の中から、三人ほどが城壁へと近寄って行った。中に副官である爺やが含まれているようだ。

 守備兵の方も弓を下ろし、手出しをしては来ないので、今のところは対話できそうだ。


 司令官らしき、鎧の上に赤いマントを羽織った者が見える。

 その人物と爺やが話しているようだが、さすがに声まではここには届かない。


「上手くまとまるか。ウィリアムに兵を持たせた意味がなかったな」


「むしろ、魔族を見せちゃったから話がややこしくなるかもねぇ」


 とはいえ、遅かれ早かれ魔族の兵たちもあそこを拠点として駐留させるのだ。出し渋る意味もほとんどないだろう。


 その時。


 トニーや味方の兵団は街の南側に位置しているのだが、街の東側に空間転移の亀裂がいくつも走っているのが見えた。


「あっ、何かまずそうかも」


「なんだ、ありゃ?」


 トニーも、カトレアも口にはそう出したが分かっている。この近辺に空間転移してくる者、それも大多数となれば自分たち以外にはそれしかない。


 亀裂の中から、大小さまざまな影が姿を現す。それはオーガであり、スケルトン兵であり、リザードマンやケンタウロス、ミノタウロスである。


 大きく掲げられる魔王正規軍の髑髏化した翼竜の軍旗。

 トニーの軍団のものと同じなのでややこしくなってしまうが、友軍ではなく、オースティン副長率いる兵団だ。もちろん、彼がその場にいるかどうかは分からないが。


 樹林にいるトニー達には気づいておらず、襲われる心配はなさそうだが、部隊を街のそばに展開しているウィリアムや女団長とぶつかるのは時間の問題である。


 思わぬ形になってしまったが、ウィリアムの初陣が始まった。


 先手を打ったのは敵の方だった。

 おそらく街を落とすつもりで転移してきたのであろうが、そこにトニーの軍団がいて鉢合わせた形だ。


 街ではなく、攻撃対象をそちらへと変えた敵兵らは、陣形など組む間もなく各々が突撃を開始してきた。


 準備が出来ていなかったのはこちらも同じで、ウィリアムと女団長の部隊は防御体勢を取るのが間に合わない。


 ウィリアムの指示だろうか。比較的大柄なオーガやミノタウロスなどを前衛に押し出し、その後ろに突破力のあるケンタウロスを並べる。

 方向から、自動的に最後尾となったのはロシア兵たちだ。


 最も数が多いが脆いスケルトン兵は散らばったままで、リザードマンたちも同じ。これらを並べている暇はないので、各所の遊撃に使うしかなさそうだ。


 ここでタイムリミットとなる。前衛が敵の兵と衝突した。


……


 トニーやカトレアのいる位置からでも感じられる熱気。

 やはり大型の魔族同士の白兵戦は圧巻だ。


「いけー!そこだー!あれ?どっちが味方だっけ」


 カトレアのおとぼけのセリフも、今回はトニーにも理解できた。

 それぞれの個体が旗を持っているわけでもなく、仮に持っていても同じものだ。

 最初の衝突時は向いている方向で敵味方の区別はできたが、入り乱れてしまってはそれも分からなくなってしまっている。

 ただ、破魔衣を羽織っている者も多いので、近くであれば分かることだろう。


 セクレタリアトの背、その馬上から檄を飛ばすウィリアムが見える。

 まだ銃火器類はないので、圧倒することは叶わない。


 押されているようにも、押し込んでいるようにも見えるが、果たしてこの状況をどう打破するか。


 トニーであれば力押しを好むが、ウィリアムであれば敵の全滅など考えず、指揮系統を潰すだろう。

 ただ、それが敵陣のどこにあるのか分からない。

 敵には指揮官らしき存在は確認できず、言わば雑兵だけの烏合の衆だ。だからこその突撃であったともいえる。


 街の守備兵たちは訳が分からず、城壁に集結したまま事の顛末を見守っていた。魔族同士が戦う姿に圧倒されているともいえる。


 そちらへ向けて、女団長率いるロシア兵が若干の移動をした。

 攻撃というわけでは無く、女団長が爺やに加わって守備兵らに話しかけているようだ。


 おそらく、城壁の上から弓で援護をして欲しいというものだろう。


 ただ、彼らもそれを信じていいものか分からないので、簡単には協力してくれないはずだ。

 万が一、味方であると思われる魔族に当たりでもしたら、襲われてしまうのではないかという恐怖も生まれるに違いない。


「副長はいないねぇ。泥沼化しちゃいそう。あたしが燃やしてこようかぁ?」


 カトレアがここにいるというのが、押しているわけでもない戦況でトニーが冷静でいられる理由の一つだ。

 彼女の宣言通り、この大雪原を火の海にする事は可能だろう。


 ただし、その場合は味方にも少なくない被害が出る。ウィリアムやセクレタリアト、女団長くらいはカトレアが気を利かせて炎を避けるかもしれないが、それ以外はどうなるかわかったものではない。


 それは本当に最後の手段であり、出来る限りウィリアムに戦わせた方が被害的にもマシである。

 本人はカトレアがゲームチェンジャーになり得ることなど知らないし、必死の思いで戦ってくれたらそれでいいとトニーは考えている。


「いや、もう少しやらせてやれ。さっさと終わったら町の住民も感謝しねぇだろ」


「あー。頑張ったから街を明け渡してね、ってことなのね」


 それもある。そして、大迫力の怪獣大決戦を見せつけることで、敵わない相手であると思い込ませるのも理由だ。


 いつ終わるとも言い切れない戦いの中、勝敗を決め得る一手が敵軍によって行われた。

 さらなる増援である。


 先程、奴らの現れた場所に、またも空間転移の亀裂がいくつも走り始めたのだ。

 遅れてくるということは司令官なのかもしれないが、仮に先兵と同じく雑兵ばかりの寄せ集めだったとしても、力が拮抗している状態に別の敵が現れたら絶望的だ。


「うわぁー。何か来ちゃったね」


「チッ……仕方ねぇ。押し込まれる前にあっちだけ潰せるか?」


「アイアイサー!」


 増援と主戦場とに距離はまだある。一帯を燃やそうが凍らせようが、カトレアの大魔術の目標があの場所であれば、味方にはまず当たらない。


 パッと瞬きをする間にカトレアが消えた。

 入れ替わりで、ジャックがトニーの視界の隅に現れ、温かい茶が入った水筒を差し出してくれる。


「お身体が冷えませんか、閣下。よろしければこちらを」


「おう」


 視線はジャックに向けず、敵の増援を睨んだまま水筒を受け取って口にする。

 味覚もないだろうに、中々上手く淹れてくれている。焚火を起こすついでに作ってくれたのだろう。


 カトレアはかなり上空に現れた。真上から一気に燃やし尽くす算段らしい。

 立ち上る煙や、雪が解ける際の水蒸気を一手に食らいそうなものだが、などと心配していると、カトレアが魔術を発動した。


 ドォンッ!!!


 放電の力を大きくした、落雷にも似た魔術である。燃やすという話は何だったのか。


 敵兵らの絶叫もそうだが、味方の兵も歓声もまた、トニーの耳に確かに届いた。

 ただし、声を上げているのは敵と味方の魔族の兵だけで、ロシア兵は圧倒されて声も出せないでいる。


 カトレアの放つ魔術はそれほどに、視覚的にも、威力のほども強大であった。


「おしまーい」


 次の瞬間にはカトレアは戦場の上空から姿を消し、トニーの膝の上に収まっている。

 放った魔術は一発だけ。まさに乾坤一擲の大魔術だった。


「生き残りはいねぇか」


「多分ね。仮にちょっといても大丈夫でしょ。もう、勝負は決したと思うし」


 最初に現れ、ウィリアムとぶつかっていた敵兵はまだまだ多い。しかし、その戦意、士気はかなり落ち込んでいる。

 その証拠に、強力な援護に鼓舞された味方が一気に敵の残党を押し込み始めている。


 これを好機と見たのはトニーやウィリアムだけではない。

 及び腰になっていたロシア兵や、街の守備兵らもこれに乗じて攻勢に出た。


 ロシア兵たちは槍で敵の魔族のへと攻撃を加え、城壁の上からは矢が降り注ぎ始める。

 こうなれば戦いは一方的だ。背を向けて逃げ出すほどの腰抜けは居なかったが。明らかに戦意を失った敵は確実に討ち取られていく。


「よしよし、勝てそうだな」


「へっへーん、あたしのおかげだよねー!」


「そうだな。だが、あいつらも頑張ったのは認めてやれ」


 簡単なのはカトレア単騎による敵軍の殲滅であったのは明らかだが、そんなことをしても何の意味もない。

 ロシア兵団や魔族の兵らだけで戦線を拡大していけるように持っていきたいところだ。現状、銃や大砲がない状態にもかかわらず、良くやってくれている。


……


 死屍累々となった魔族の身体が消え始める。

 敵、味方ともに命を失った兵士たちだ。ロシアの人間の兵士には死者が出ていないのは朗報だといえる。


 ウィリアムや女団長らが律儀にそれらに黙とうを捧げているところに、トニーとカトレアが到着した。


 戦闘の終結である。


「おう、ご苦労さん」


 総大将の到着に魔族の兵らは跪き、ロシア兵らは槍の柄で地面を突いて、気をつけの姿勢を取った。


「おいでなすったか。兵を貸してくれてありがとう。すまないが、犠牲が出てしまった」


「気にするなとは言わんが、不意打ちを食らったんだ。ある程度の損害は仕方がねぇ。それよりも、よくやったな」


「お褒めに預かり光栄だよ。ただ、奥方の大魔術には度肝を抜かれた。その力、一騎当千だな」


 ウィリアムがトニーへ近寄り、久しぶりの兄弟でのハグをする。

 カトレアというかなり強めの保険を持っていたとはいえ、ウィリアムは命の懸けたのだ。その緊張はかなりのものだったといえる。


 トニーはウィリアムの背中を強めに叩いてやった。


「さて、街の方はどうだ」


「問題ないぞ、将軍。街を管轄していた司令官殿とも話が出来た。我々の入場は許可してくれるそうだ。ただし、どれくらいの支援が期待できるかは将軍の腕次第といったところか」


 女団長が指さすニジニーノヴゴロドは、その外周の木柵と内側の城門を空けて英雄らの来訪を待っている状態だ。


 トニーの考えとして、ここを拠点にはするが、略奪をするつもりはない。

 街を守ることも請け負うと話せば突っぱねられたりはしないはずだ。


「行くぞ。全員、ついて来い」


 セクレタリアトに乗り、トニーが先頭の縦列で移動を開始した。


……


「この度は、なんと礼を言ってよい事か。しかし……驚いたな。魔族を従える軍勢とは」


 甲冑を脱いだ司令官の男が、薄くなった頭を軽く下げる。


 ニジニーノヴゴロドの中心部にある城内。

 中の作りは質素な割に、軍需品などの物資が木箱に入れられ、廊下や部屋に溢れているせいでなんとも落ち着けない場所だ。

 トニーらが通された応接間にもその物資の山は及んでおり、籠城戦をする覚悟が満々であったことが計り知れる。


 カトレアによる翻訳術はすでに発動済み、英語を話す魔族ら、イタリア語を話す人間、フランス語を話すクロエたち、ロシア語を話す連中、すべての言語はそのままで伝えることが可能となっている。


「この様子だと、帝都からの援軍が来るまで持ちこたえるおつもりだったのか?」


 女団長が訊く。


「いかにも。私がこの街の守護を命じられた以上は、何があろうと魔族などに屈さない所存だ」


 この街はどこの貴族の領地か、国王の直轄領なのかは知らないが、現在は彼ら軍人によって一時的に統治されているようだ。

 どこにも属さずひっそりと住民だけで自治をしている村もあるが、この規模の都市であれば領主がいるはずなので珍しい形態だといえる。


「俺らを受け入れたのはお前の一存ってわけか。話が早くて助かったとも言えるな」


「上に上にと指示ばかり求めていては後手後手になるからな。私にお任せいただいている。ところで、貴殿は?」


「こいつらの総大将だ。魔族は正真正銘、俺の部下だが、そっちの姉ちゃんの率いてるロシア兵の方は協力関係ってところか」


「左様か。おぞましい魔族を従えるほどの人物……信頼に値するかは今しばらく見定めさせて欲しい」


 当然の話だ。トニーもこれに関してはとやかく言わない。


「それで、なぜ貴殿らは手を組んでおられる?」


 ロシア兵団の女団長の目的は祖国を魔族から守ることと、戦乱の中で離ればなれになった兄との再会だ。

 前者はトニーと利害が一致するので助力できるが、後者は正直なところ難しいのではないかと思われる。


 仮にその再会は叶っても、兄はすでに死んでいたという可能性も高い。

 ただ、行方知れずよりは事実を知れた方が本人も納得できるだろう。


「……というわけだな。信頼できるか見極めると仰ったが、不要といえる。彼らは信頼に値する戦士であり、紳士だよ」


 これは女団長の方から街の司令官に説明をした。


「なるほど。魔族を従えておる貴殿らの方は外国から来られていたか。我が祖国のため、加勢をしてくれることに感謝する」


「あぁ、俺はアメリカ人で、そっちのはイタリア人だ。フランス人もいるし、ロシア人だっている。部下にはドイツ人もいるし、仲間には日本人や中国人もいるぞ」


「それは驚きだな。聞いたことのない国もあるが、いずれにせよこのロシアの地には海を越えて来なければならない。誠に、ご苦労であった」


「終わったような言い方をするんじゃねぇよ。俺たちはこの街を拠点に、ロシア全土の開放を成し遂げるつもりでいる。皇帝陛下とやらにとっては、外部から来た人間が英雄気どりなのはつまらないかもしれないが、俺たちにも、この国を荒らしてる馬鹿野郎を殺す理由があってな」


 いわゆる不法入国をした上に、そこで暴れまわると宣言しているのだ。

 目標自体はロシア国民ではないのだが、トニーの言う通り、自国の兵隊が成す術もないままで、余所者に国を救われるという情けない事態になる。


 ただ、ロシアは今、どこにも助けを求められない状況だ。トニーの働きに文句など言えまい。


「あぁ。街へ入ることは許可するが、資源は乏しいのだ。今でこそ籠城戦に備えて蓄えはあるが、これを貴殿らの兵団に渡すのは厳しい」


「それは構わねぇ。兵站は無限に運んで来れるからな。ただ単に、拠点としてここへ駐屯させて欲しいという話だ。もちろん、魔族の兵どもも統率はとれている。ここの住民らを襲うなんて馬鹿な話は一件も起きないと約束してやろう」


 略奪や強姦など、人間の兵士でも占拠した街で問題を起こすことはしばしばだが、トニーの部下に限っては絶対にありえない。

 食料は様々な街への侵入で賄っており、鬱憤はその時に晴らしているし、飢えさせたことなど一度たりともないからだ。


「寝泊りは城内に限っていただくと助かる。城下町では目立とう」


「もちろんだ。決まりだな」


 ここに残すのはわずかな兵で、ほとんどは前へと進む。居住スペースの問題もほとんどないようなものだろう。


……


 拠点の確保が出来たところで、数人の使いをフィラデルフィア城に回した。武器や弾薬の輸送開始の連絡だ。

 戦場に直接持ってこさせるよりは、街へ搬入した方が安全だといえる。


 数時間としない内にライフルや大砲が到着し始めた。

 次は銃兵、砲兵共に訓練を施して実戦で使い物になるよう育て上げる。


「全員に配れ。魔族、人間、ロシア人もイタリア人もねぇ」


「俺も貰っていいのか?」


 ウィリアムは使い慣れたアサルトライフルを手に、トニーに尋ねる。


「当然だ。コイツは見た目はそっくりでも、魔術で作らせてる偽物だ。しかし本物よりも故障が少ないのが売りでな。大砲の方は完全にオリジナルだが」


「壊れないのは強いな」


「進みながら適当な時間を使って訓練したい。魔族の方はお前が教えろ」


 武器弾薬の搬入も含めて、ニジニーノヴゴロドに滞在したのはわずかに二日間だった。

 魔族の兵士を十名程度だけ残し、再び進軍を開始する。


 東へ向かって敵と正面からやりあうのと、西へ向かってモスクワを目指すのとで意見が割れたが、トニーの意思によって一団はモスクワへと進んでいった。


 モスクワには当然ながらロシア皇帝がおり、話がつけば手っ取り早くロシア国内での活動が認められる。

 ニジニーノヴゴロドの司令官からもすでに、街での戦いの活躍を記した報告書が皇帝に送られているので、追い風となるはずだ。


 モスクワまでは徒歩でおよそ一週間。しかしながら、空間転移を用いて進むので、間にある街をいくつか視察しても三日足らずで到着できる予定だ。


 途中、訓練のために手ごろな平原にも留まり、銃火器を撃つ。

 広い国土は辺境地も多く、大砲をぶっ放しても近くの住民に気づかれ、おびえさせる心配は少ない。


「よぉし!今日はここまでだ!」


 ウィリアムの号令が響き、ライフル射撃を行っていた最後の組が撃ち方をやめた。

 簡易的な砲台も設置しており、大砲や銃の訓練はこれで三度目となる。


 魔族も、そしてロシア兵も、さらにはウィリアムの護衛の兵士やイタリアの騎士たち、パリから連れてきたクロエや小隊長も銃火器に触れることに慣れてきたようだ。


 使い方を覚えさせるのは魔族とロシア兵だけでも良かったが、おまけのような形で全員に機会を与えている。


「手の空いているものは大筒の撤収作業を手伝ってやってくれ!」


 続けて、ロシア兵団の女団長の号令。


 これに反応したロシア兵は、魔族と一緒に片づけを始めた。肩を並べることにもだいぶ抵抗はなくなってきたようだ。


 トニー達、指揮官クラスの面々はベンチに座り、ジャックお手製の粗茶を飲みながらそれを眺めている。

 酒もあるが、それは夜のお楽しみだ。


「あれがあると兵士が強くなって楽だねー。あたしの出番が減っちゃうけど」


「嬢ちゃんの魔術、とんでもねぇんだな。あらためて驚かされたぜ」


 これはカトレアと小隊長だ。


「自分は銃ってのはおっかないですけどね。槍の方が信頼できる」


「私も、魔術を使う方が性には合っていると思う」


 カンナバーロとクロエ。


「ウィリアム殿の指揮もなかなかのものだ。イタリアに帰れなければロシアで軍属につかれてはいかがか?」


「我が君が見つからなかった時の保険って事か?嬉しいお誘いだが、お断りさせてもらおう。なんとしても陛下は探し出す」


 そして女団長とウィリアムの会話。

 様々な人間の親交も深まってきている。


「魔族の兵ってのは、味方だとこうも頼もしいものなんだな。生まれ育ってきた境遇が人を作る、というのを改めて考えさせられる」


 ウィリアムがジャックから紅茶のカップを受け取り、トニーの隣のベンチに座った。


「生まれ育った……ね。確かにある意味、こっちの世界に飛ばされた瞬間から、第二の人生が始まったとも見て取れるな。俺がイタリアで、お前がアメリカに飛ばされてたとしたら、立場は逆になってただろうぜ」


「解せないよな。FBIが茶々を入れてきたとき、俺たちはみんな同じ場所にいたはずだ。それなのに俺とマルコだけが離れた場所に行く羽目になるとは」


「解せないだ?それを言うなら、こんなふざけた世界にいること自体が解せないって話だぜ。場所が離れてたとかそんな些細な次元の話ですらない。ここは地球らしいからな」


「地球か。地球もいろんな顔を持ってるわけだな。パラレルワールドだか何だか、映画で見た気がする」


 文字通りの別世界なのだから、距離というより、世界、次元を超えた旅路のようなものだ。

 それからすれば、トニーらがアメリカに、ウィリアムがイタリアに、マルコがイギリスにいたくらいの事は些事でしかない。


「少し聞かせろ、伯爵様」


「やめてくれよ、将軍様」


「チッ……俺はこっちでは見ての通り、小さくない権限や部下、城もあるわけだが、お前は国内でどのくらいの影響力があるんだ?」


 同じ言葉で皮肉を返されるも、トニーはそのまま続ける。


「影響力か……伯爵以上の王族貴族もいるからな。兄貴に比べれば小さいとだけ。ローマに屋敷くらいはあるが、私兵や領地もない。ただ、国王陛下からの勅命で、割と自由にはさせてもらっていた。野良育ちの飛竜がいてな。ワープみたいにぶっ飛んだ魔術が使えるわけでもないが、かなりの速度が出る。それで世界中飛び回ってるよ」


「飛竜卿、なんて呼ばれたりして、王宮や城下ではなかなかの人気ものなんですよ」


「軍曹、余計なことは言わなくていいぞ」


 ウィリアムの護衛の一人が嬉々としてそう教えてくれたが、もう一人の護衛に窘められている。


「飛竜卿?そのまんまだな。そんなもんを持ってるんなら、セクレタリアトは必要なかったか」


「いや、今回はローマに置いてきてるからな。戦闘中にあのケンタウロスがいてくれて助かった。ただそうだな……確かに、空からの指揮というのは視線が開けていてやりやすそうだ」


 盤上の駒を動かすように、俯瞰視点というのは戦場の状況を読み取りやすい。いつの時代も指揮官が高台を愛用する所以だ。

 トニーの部下にも飛竜はいるが、試してみるもの面白いかもしれない。数頭、ロサンゼルス城から呼び寄せておくべきか。


「しかし、イタリア国王の情報は未だ掴めずか。いよいよ犬っころと相対するまで行方知れずかもな」


「そうだな。早くお助けしたいが、そいつはどんな野郎なんだ?」


「狼の獣人だ。二足歩行で歩いて喋れる犬だと思ってればそれでいい」


 ウィリアムの頭でも理解できるよう説明する。リザードマンなどを見ているので分かるだろう。

 しかしなぜかそれ以外の獣人、爬虫類であるリザードマンを獣人に入れていいのかは微妙だが、哺乳類系の獣人は個体数が少ないのであまり見かけない。


「違う、性格だよ。どんなタイプの人間……じゃないか。どんなタイプの魔族なんだ?」


「狡猾の一言だな。何考えてるのかわからねぇ」


「トニーが手こずるわけだ」


「うるせぇよ。その上司のライオンは真っすぐな野郎だったから、簡単に仕留められたのは認めるがな」


 これが現時点でできる、精一杯の強がりだ。

 ウィリアムも別にトニーを貶めたいわけではないので退く。


「バレンティノ将軍は、幹部クラスの魔族とも同等に……いや、勝てるということはそれ以上に戦えるということなのでしょうか?」


 珍しく、ウィリアムの護衛のうち、若い方の士官が質問してきた。

 先ほど軍曹とやらを窘めていたように、必要ないことは言わない人物だと思っていたが。


 ただ、この質問はトニーの機嫌を損ねるものではないので答える。


「当たり前だ。魔族ってのは力がそのまま権力に直結する種族でな。俺が六魔将だなんて役職についてるのも、連中に力を示したからだ」


「それは……素晴らしい」


「ただ、脳筋ばかりかと問われるとそうでもねぇ。大魔王ってのは話もできるし、ほかの将軍どもも別に馬鹿じゃねぇからな」


 ウィリアムにとっても魔族の話は本当に興味深いようで、食い入るように話を聞いている。


「イタリア国王を助けた後は戻るんだろうが、そのあとはどうするつもりだ?」


 護衛の兵士ではなく、ウィリアムに訊いた。


「戦争を終わらせる必要がある。FBIについて調べつつ、侵略してきている魔族をヨーロッパやアジアから跳ね返すだろうな。無論、最終的な目標はスタテンへの帰還だが」


 戦争を終わらせるという点で、目的は一致している。

 だが、ウィリアムが魔族を押し返すということは、トニーが目標とするアメリカをこの世界第一の国家とすることとは相反するわけだ。


 その時、ウィリアムと戦うしかないのか、味方として懐柔するのか、はたまた全く異なる道を見つけ出すのか、今はまだわからない。


「大体は同じだが、立場上、加勢する勢力が違ってくるな」


「今のところそうだな」


「そんな、まさか、兄弟で争うっていうのぉ!?喧嘩はだめだよぉ!せっかく会えたんじゃん!」


 謎に急激な感情移入をしたカトレアがトニーの膝上に飛び寄り、ひしとしがみついて抗議してくる。


「どうだろうな。仮にそうなったとして、こういうのはどうだ。俺は魔族を、お前は人間を戦争に勝たせる。どちらかがギブアップするまでのゲームだ。心配しなくてもお前を殺したりはしねぇさ」


「……人の命はチェスの駒じゃない。兄弟喧嘩のために多くの人を巻き込めないだろう。それに、まだ争うとは決まってない」


「喧嘩ですらねぇ。ただのお遊びだ。殴り合いなら俺の圧勝だろうからな。脳みそを使う勝負ならむしろお前に有利だと思ったんだが」


「兵の質がまるで違う。お世辞にも俺が有利とは言い難いな。チェスならいつでも付き合ってやれるが、戦争はどうにか被害が少なくなる方法を探そう。目的は同じなんだから、むしろ争わずに協力できるはずだ」


 当然、トニーだってウィリアムと本気でやりあうつもりはない。

 弟だろうと邪魔であれば排除するが、お互いにそうならないように配慮するのであれば兄弟喧嘩になどならないはずだ。


「物騒な話はやめましょうよー。自分たちだって、良くしてもらった相手、それもバレンティノ伯のお兄さんを相手に戦いたくなんてないんですから」


 これはウィリアムの護衛、軍曹と呼ばれている男の発言だ。


「なんだ、将軍。人間と魔族の戦争だと?俺たちの立場も考えろよな、お前」


「そうだぞ。我々も人間であることを忘れないでもらいたい」


 パリからの客である、小隊長とクロエもトニーに抗議する。


「ふん、戦う前に従う奴は滅ぼしたりはしねぇよ。ロシアだって近い未来にはそうなるだろうぜ」


 トニーが言うのは、現在のロシアとの協力関係、女団長率いる兵団の事やニジニーノヴゴロドの拠点化の話ではない。

 ロシア帝国全体の属国化、服従の状態を言っている。


 アジアは実際にそういう国もかなりあるが、欧州までその状態になれば、大魔王アデルが言っていた星守とやらは嫌でも姿を現すことだろう。

 それが人間の姿か、獣の姿か、はたまた樹木などの植物としてかはわからないが。


「私からは何も言えん、皇帝陛下がお決めになることだからな。しかし、この国内状況であれば、将軍に協力的であることだけは確実だと思っているぞ」


「魔族の姿を見て、勘違いした攻撃をしてこないように、その時は最初にお前を遣わせる」


 トニーらの一団がいくら強いとはいえその兵数は少なく、カトレアなどの人外級の実力者を除けば、さすがにモスクワにあるクレムリン宮殿を落とすまでには至らないだろう。

 仮に落とせてもそれ相応の犠牲と弾薬は必要だ。積極的に敵対しようとはならない。


「閣下、部隊の移動準備が整ったようです」


 ジャックが耳打ちしてきた。確かに大砲やテント類は片づけられ、いつでも空間転移が可能な状況だ。


「よし、移動開始だ。ただし、このあたりからは直接移動にする。モスクワまで数日ってとこだろ。周りの衛星都市の状況を確認しつつ、その街々からの早馬もクレムリンまで飛ばしてやる」


 つまり、いきなり押し掛けるのではなく、こういった集団が数日内に到着予定であるとモスクワの近くの街から先に知らせさせるということだ。


 その上で女団長を矢面に出して挨拶をさせ、自身は最後に皇帝と面会するという考えだった。

 ここまで段取りをしてやれば適当に扱うわけにはいくまい。


「その方が皇帝も安心するだろうな」


 ウィリアムも賛成のようだ。


……


 ロシアの首都、モスクワは言うまでもなくこの国最大の都市で、帝都である。

 第二の都市サンクトペテルブルクの倍以上の人口を擁し、現世においても1200万人が暮らす世界有数の大都市であると言える。


 ちなみに、ニジニーノヴゴロドもロシア国内で五番目の百万都市だが、こちらの世界では片田舎の中規模都市といった印象だった。


 一団は周りの衛星都市をいくつか巡っていったが、モスクワはそのどこからでも位置を確認できた。

 つまり、トニーがこちらの世界で見たロンドンやパリよりも圧倒的に巨大で、遥か彼方からもその大きさがわかるということだ。


 高い城壁に巨大な門や堀……華やかさよりは強さ、威圧感が大きく、花の都や水の都、雪の都といった風流な呼び名をつけるより、軍事大国の中心部という実用的なイメージしか持てない。


 こちらの世界のロシアは島国であるため、諸外国ではなく魔族、あるいは内乱に備えた作りだと思われるが、それにしても大きさが他の都市とは桁外れだ。


「巨大すぎる。まさにファンタジーだな。重機もないのにどうやって作ったのか……魔術か?」


「あれだけの街なら犬っころが簡単に攻め入れないのも納得だ。ロシアを落とすのは、ヨーロッパを落とすよりも難易度が高いかもしれないな」


 ウィリアムがモスクワを目にした感想を言うと、トニーがそれに同意した。

 これだけの国力を見せつけられては、覇権をとってもおかしくないといった印象だ。


 ロシアが島国でなければ、アジアやヨーロッパはアメリカよりも先にロシアが征服していたかもしれない。

 守りは鉄壁でも、海を越えての攻めはそう簡単にはいくまい。


「はー、でけぇな。あの城壁での警備は足がすくみそうだ」


「雲に届きそうですね。落ちたらなんて考えたくもねぇや」


 小隊長が職業柄ならではの感想を言い、ウィリアムの部下のカンナバーロ軍曹が続く。旅路で分かったが、この二人は意外と馬が合う。


 目算だが、モスクワの城壁の高さはビル5階分程度、それが取り囲む円形の街全体の範囲はロサンゼルス城10個分といったところか。

 中央にそびえたつクレムリン宮殿自体が既にロサンゼルス城くらいのものなので、おおよそはそれで合っているはずだ。


 インパクトで言えば空に浮かぶフィラデルフィア城や、文字通り天空にまで届きそうなほど高くそびえたつニューヨーク城に軍配が上がるが、巨大さはこのモスクワには遠く及ばない。

 前者二つは城単体であり、モスクワは城下町との組み合わせとの違いはあるが、それでもこの大きさは異常だ。


「これはあたしでも苦労するよぉ。これだけの街ならたくさんの人が住んでて、強い人だっているだろうしねぇ」


 カトレアもモスクワの強さを認めた。

 一般人は魔族に到底及ばないが、人間側にも一騎当千の英雄はいるらしいので、そういった者が出てきたら街を落とすどころではないはずだ。


 いくつかの衛星都市を巡った後、いよいよ一団はモスクワに進み始める。

 相変わらずの雪景色だが、この辺りは街道がきちんと整備されており、石畳の道路を進んで行く。


 当然ながら交通量は多く、商人や農民、時には兵士などともすれ違った。

 皆一様に驚いた顔を浮かべるが、先頭に女団長を配置しているので、彼女が状況の説明をしてくれているようだ。

 一般人はともかく、兵士の方もそれで納得してくれるのは意外だったが。


 街をぐるりと囲む高い石の防壁。ゴジラが出てきても入れないのではないだろうかというその壮大さは、近くなればなるほど実感できた。


「うあー、見上げると首が痛いねぇ」


「だったら見上げなきゃいいだろ」


「冷たっ!ほら、閣下も一緒に見ようー」


 馬上のトニーに、さらに肩車されているカトレアが、グイッと彼の首を上に向ける。


「この高さは何を止めるためなんだ?魔族には空を飛べる個体も多いと思うが」


 ウィリアムが女団長に質問している。


「確かに空を飛ぶ魔族に対しては効果は薄いだろうが、巨体を持つ魔族や、内乱が起きた際の弓矢などには効果的だと私は思う。効果が薄いとはいえ、飛んでいる魔族に対して、こちらは城壁の上からの攻撃を届かせやすくなるしな」


「城の周りに展開された地上部隊に対しても効果的だ。何せ、こっちからの攻撃は遠くまで届くんだから、近くに布陣できないだろう?」


 小隊長が補足する。彼はもともとパリの城壁を守っていた兵士なので、専門家の意見と取って間違いない。


「ま、いちいち城壁に上がって配置につくまでが面倒だし、逆に打って出る際には時間がかかるがな」


「一長一短か。しかしどちらかと言えば長所の方がありそうだ」


 城壁の上、はるか遠くからモスクワの守備兵らの視線が、トニーらの一団に注がれる。

 特に動きがないのは各衛星都市からの伝令の働きによるものだとみて間違いない。確実に射程圏内なのに、魔族の兵士を目がけて矢が降ってこないのがその証拠だ。


 そしてついに大手門の前に到着。巨人でも通るのかという鉄扉は、不要なほどに縦と横に広い。

 横はまだ分かる。多くの軍勢を横隊で通すのに便利だろう。しかし高さは馬車以上には必要ないはずだ。その倍以上は扉の高さが意味するのは、見栄えの良さだろうか。


「突然の来訪、失礼する!」


 手筈通り、女団長が締め切られた鉄の門に向かって声を上げた。

 普段は開いているであろうそれが閉じているということは、警戒されていることを表す。


「我らは、魔族によって奪われた祖国の地をより戻すために参った旅団である!既に聞き及んでいるとは思うが、ニジニーノヴゴロドをはじめ、数々の街を守ってきた!」


 女団長の澄んだ声が乾いた空によく通る。城壁の上にも問題なく聞こえているはずだ。


「その魔族が同道しているため警戒されているとは思うが、この者たちは決して我々ロシア人に危害を加えないどころか、同族である魔族の敵に対しても勇敢に戦ってくれる同志である!魔族もすべてが敵ではないということだ!」


 今のところは城側からは何の反応もない。女団長の言葉がすべて終わるのを待っているといったところか。


「このモスクワに関しては鉄壁の守りであり、我らの助力など必要ないところであろう!しかし、他の街はそうではなく、今もなお魔族に襲われ続けている!どうか、我らの活動に理解を示し、ロシア全土を取り戻すためにも皇帝陛下と直接お話しできるよう、お取次ぎ願えないだろうか!」


 そこで女団長の言上は終わり、数分間の沈黙が過ぎた。

 無視されたわけではなく、城壁の守備兵の誰かが王宮まで走っているものと思われる。


 それを待つ間、女団長は直立不動で待機。

 隊列の後方でそれを見守っているトニーは、悠々と葉巻をふかしていた。


 ガラガラと鎖が巻き取られる音が聞こえ、城門が上へと持ち上がり始める。

 まったく気にしていなかったが、そこで初めて城門は左右両開きではなく、上下にスライドするタイプだと気づかされた。

 おそらく積雪によって開かなくなるので、そういう設計になったのだろう。


 城門がなくなれば、そのまま街に入れるかと思っていたが、その内側にもう一つ、鉄格子が張られていた。こちらも上に持ち上がるものだ。


 その鉄格子越しに、厚手の服にキツネの毛皮の帽子をかぶった男が立っていた。


「行くか」


 いよいよあちらからの攻撃の危険はないと判断し、トニーがセクレタリアトを駆って女団長の横まで移動した。脇には(かち)で追従するジャック。

 他の、ウィリアムやクロエなどの仲間たちは変わらず後方で待機だ。交渉は女団長とトニーだけで行う。


「む、来られたか」


「おう、こいつは?皇帝ではない、な」


「……」


 髭に覆われた仏頂面で、鉄格子越しに対面する男はトニーを睨みつけた。

 無言の圧という奴だが、トニーは微塵も動じない。


「トニー・バレンティノだ。てめぇは誰だ」


 カトレアの翻訳術はおそらく問題なくモスクワでも作用している。なので気にせず、そのまま英語を話した。

 仮に通じない場合は横の女団長に通訳をさせるだけだ。


「……兵士長」


「では兵士長、先ほど私が言っていた話をご理解いただけたか?」


 ぶっきらぼうな自己紹介を受け、女団長が会話を引き継ぐ。

 意図して割り込んだわけではないだろうが、そのままトニーが兵士長と話していては、無駄な言い争いにでもなりそうだ。


「……陛下に謁見、だったか」


「あぁ、是非お願いしたい。我らはロシアのために戦ってきたのだからな」


「……今日明日、という話にはならん。追って連絡する形になる」


「それは理解できるが、城の外で凍え死ぬのは御免だぞ。宿場を用意してもらえないか?」


 善処はしてくれるようだが、さすがに本丸であるモスクワの中に魔族を入れられないというのも理解できる。


「……他の街には入れたのだろう?一度引き返し、そこで待たれよ」


 女団長は了承を伝えようとし、軽くうなずいて振り返る。だが、ピクッとトニーの眉間にしわが寄るのが分かった。


「将軍……どうかここは穏便に。わざわざ争う必要もないだろう?引き返すのも大した手間にはならない。どうか私に任せてくれ」


「手間がどうとかって話じゃねぇ。俺を待たせ、下がらせ、また呼び戻すってのか?だったら皇帝がそっちの街まで出てこい」


「うーむ……では、将軍はロサンゼルス城に帰還されてはどうだろう?皇帝陛下の準備が整い次第、私が連絡に戻ろう。転移術用に誰か置いて行ってくれればそれで構わない。どうだ?」


 ここまでロシアの街を助けてきたのだ。いくらトニーでも、怒りに任せてモスクワを襲撃するなどというバカな事をしたりはしないが、揉める必要もない。

 女団長もトニーのご機嫌取りが上手くなったものだ。


「ふん、そろそろ風邪でもひくんじゃないかと思ってはいたところではあるな」


 どうにか大噴火するのを抑え、トニーはそう返す。女団長もホッと胸をなでおろしている事だろう。


「では、ここは私が預かる。なに、少し引き返すだけだからな。心配はいらないさ」


「ウィリアムと、その護衛やイタリアの騎士共は帰りたがらないはずだ。そいつらと、お前の部下のロシア兵、魔族からは数人規模の小隊と、カトレアのガキを置いていこう」


「うむ、十分すぎる待遇だよ。感謝する」


 ウィリアム一行は述べた通り、イタリア国王を見つけるまで帰ろうとはしないのは確実。

 魔族の方は本来ならばカトレア以外、すべて一時退却でもいい。しかし、味方である魔族がいるという、地域住民への宣伝として、彼女だけでは効果が薄まってしまう。

 オーガやミノタウロスなど、比較的大型の魔族を置いていくのが目立って良さそうだ。


 ただ、本当にロサンゼルスへ帰るべきかという点については疑問が残る。

 ゆっくりする暇などないので、アジア方面の侵攻を再開するか、占領地の復興に精を出すか。はたまた武器生産拠点であるフィラデルフィアに向かうか。

 どれも数日程度では難しい仕事だ。


「兵士長、概算で良い。てめぇのとこの皇帝は俺たちをどのくらい待たせると思うか答えろ」


「……それはわからん。御多忙な御身だ」


「はっきり言うが、俺の方が何倍も忙しいぞ。城に籠ってるだけの身と、ロシア全土を解放するために駆け回っている身、どちらが多忙かよく考えるように伝えろ。あまり長く待たせるのも心証が悪いともな」


「……脅迫するつもりか」


 兵士長は静かに驚愕している。他国との交流は皆無なのだ。皇帝と同等以上の存在というものがおそらく理解できない。


「売った恩はキッチリ、耳揃えて買い取れ。俺たちはてめぇらに味方するつもりなのに、仇で返すのか?」


「……その言葉、もう飲み込めんぞ。トニー・バレンティノ将軍だったか」


「上等だ」


 兵士長はトニーを睨み、女団長に黙礼してくるりと踵を返した。


「将軍、よくこらえてくれたと言うべきか。それともなぜ、あんな物言いをするのかと非難するべきか」


「お前からの採点は50点ってか?とりあえず、俺はロサンゼルスへは戻らない。皇帝が頭を悩ませている間、モスクワの周り360度、すべての衛星都市に入城してくるとしよう」


「ほう。その心は?」


 モスクワは当然として、その周りの都市はまだ魔族の侵攻を受けていない。言うなれば、特にそこを訪れる意味はないはずだ。


「味方だと思ってる街々をこっちにつけて、クレムリンを孤立させてやるんだよ」


「恐れ入ったよ。私としては、その働きが無駄足となることを望んでおくとしよう」


 一度、門の前から引き返し、自陣の後部にいるウィリアム達と合流した。


「その様子だと、入れてくれなかったみたいだな」


「分かりきったことをいちいち言ってくるな。ここにはお前と供回り、ロシア兵たちを置いていく。あとはカトレアと魔族を少しだ。残りは俺と一緒に、別の街へ移動する」


「別の街?」


 トニーの機嫌が悪いのは一目瞭然なので、ウィリアムもそこからは必要最低限の言葉だけを投げた。


「周りの街だ。皇帝がどのくらいで答えを出すのかは知らねぇが、周りを先に俺たちと同調させる」


 攻め込まれていない以上、その街々を助けるような状況にはならないので、ニジニーノヴゴロドの話などを流布し、実際に魔族の兵士らを見せて回るような活動になるはずだ。特に苦労はない。


「どちらかと言えば、俺もそっちに追従した方がいいんじゃないのか?」


「いや、必要ねぇ。仮にイタリア国王がそんな街にいた場合は使いを出すが、犬っころ率いる敵方に捕らえられてる可能性が一番高いだろ。少なくともこの近くにはいねぇ」


 これはどちらの判断でも良さそうだ。モスクワにも、その周りの都市にも、オースティン副長がいるとは考えづらい。


「そうか……」


「焦っても何も変わらねぇぞ、ウィリアム。手持無沙汰なら、ロシア皇帝からも魔族撃退への助力だけじゃなく、お前の王様の捜索にも手を割いてくれるようなセリフでも考えとけ」


「ロシア側に弱みを握られるだろう。兄貴に仮を作るのとはわけが違う」


「自国と国交もない国に弱み握られて、何がいけない?」


 弱みというなら、イタリア国王を連れ去った輩には最大限の弱みを握られている状態になる。

 今更ロシア皇帝に協力してもらったところで、何かが悪化するわけでもあるまい。


「ありえないとは思うが、陛下をロシア皇帝が先に保護し、身代金をイタリア側に要求する……とかな」


「俺のとこにはアメリカの魔族もいれば、フランス人の宮廷魔術師もいる。そっちからはその心配はねぇってか」


「ない。個人だからな。国同士となるとややこしいんだよ。貴族や王族になんか、なるもんじゃないってのはだんだん分かってきたところだ」


 ウィリアムも高い地位にいるらしいので、色々と揉まれてきたわけだ。


「魔族の将軍はお気楽だとでも言いたげで腹が立つぜ。ともかく、お前はここに残れ。弱み云々も忘れろ。最後まで国王が見つからないほうが大ごとだろうがよ。ちんたらしてて殺されても知らねぇぞ」


「それはそうだが……」


 ウィリアムを言い負かしたつもりはない。腹の中では納得できていない部分もあるはずだ。

 しかし、弟はいよいよ兄との口論が終結しない場合、必ず折れる。それが彼の処世術だ。

 兄弟としてではなく、マフィアのボスとしての意見を尊重してくれているだけではあるが。


「居残り組と移動組は把握したな?動く奴らはついてこい。さっさと暖かい部屋に帰るぞ」


 ロシア兵やウィリアム率いるイタリア組、カトレアとわずかな魔族だけがモスクワ担当だ。

 カトレアだけはこっそりとトニーのそばについて来ようとしていたが、すぐに見つかって屈強なオーガたちに両脇を掴まれて連れていかれた。


 モスクワを囲う衛星都市は、東側に位置する場所しか通ってきていない。今回はそれ以外の方角を目指すため、会敵する可能性は限りなく低い。


……


 およそ三日が経った。次なる都市を目指し、飽き飽きした雪景色を行進する。

 とはいえ、都市を離れて人目がつかない場所に出れば、次の都市に向かうのは空間転移だ。

 ロシアの地元人に対して特に空間転移を隠す必要はないが、敵方の魔族と同じようにパッと消えて、パッと現れるよりはいくらかマシだろうという配慮である。


 寒さに耐えかねればロサンゼルスに一時的に帰ることも可能ではある。

 だが今回、珍しくもトニーは自発的に長いこと居城を留守にしている。


 気まぐれではあるが、ウィリアムの存在が大きい。

 弟は魔族側にいなかったせいで、そんなルール無用の長距離ワープ移動など経験したことがなかった。

 ちょっとやそっとで瞬時に家に帰っていては、気合負けしたような気分になるのが腹立たしいのだろう。もちろん、本人は誰にもそんなことは吐露しないが。


「閣下、次はあの街のようですね」


「おう」


 目の前にある兜の中から声が聞こえる。トニーを乗せているセクレタリアトだ。彼のおかげで雪道に靴が濡れることもない。

 トニーに追従しているのは100体程度の魔族。ロシアに飛んできた当初はもっといたが、今は安全な任務中であるため、アジアやアメリカにいくらか余力を戻している。


 どの街に着いても、反応は似たようなものだった。

 まずは緊張状態で扉や門を閉ざすも、話は出回っているようで、街を囲んで呼びかけると渋々それに応じる。

 街の代表者と軽く話し、我々は国の東部を襲っている魔族と敵対する存在だと伝える。加えて人間の味方も多くいるとも。


 寝床や食料の提供を約束させ、数時間そこに滞在して出発。

 その繰り返しだ。もうすでに二十くらいの街は経由しただろうか。


 だがここではちょっとした問題が発生した。

 最西部、モスクワからみると真西に当たる位置だが、最前線でトニーらが街の防衛や解放を行っていた話が届いていなかったのである。


 言葉が通じるので急な攻撃こそ免れたが、街は防御を解くことなく、トニーらの入場を拒否した。


「迂回しますか?それとも叩き潰しますか?」


 セクレタリアトが物騒な提案をしてくる。

 どちらも選ぶのは簡単だ。しかし、後者の場合は一気にロシアとの敵対に傾く。

 トニーがいくら気に食わないと思っても、前者を選ぶしかない。


「……チッ」


「閣下、先刻に立ち寄った街から住民の誰かを連れてきては如何でしょう?」


 下から、ジャックの声が入る。


「面倒だ」


「しかしここは、閣下の寛大な御心をお見せになるのが効果的かと」


「何を指図してやがる。身の程をわきまえろ、ジャック。てめぇは護衛だ。ご意見番じゃねぇ」


「はっ、申し訳ございません」


 トニーが求めたとき、必要としたときであればそれも許されるが、今は違ったようだ。特に今は機嫌が悪い。

 ここでさらにもう一歩踏み込むのがミッキー、退くのがジャックか。


「……」


「閣下?」


「うるせぇな、今考えてる。あー、逆回りに変更して、この街は最後に回す」


 皇帝と繋がりができていれば書状一枚で済むが、先に外堀から味方にしようとしている以上、それも望めない。

 とはいえ、既にほとんどの衛星都市がトニーらを受け入れてくれてはいるので、時間さえかければそれは完遂できるはずだ。問題なのは、トニーが時間をかけるというのが嫌いな性格であることか。


……


 ルートを変更し、さらに二日。モスクワにウィリアム達を置いてきて五日が経ったわけだが、未だに皇帝との謁見は進んでいないらしい。

 進展があれば瞬時にカトレアか、そのほかの魔族が空間転移して報告しに来るだろうが、それもない。


 皇帝は衛星都市をトニーが巡っていることは分かっているはずなので、外堀を埋められるという多少の緊張感は持っているはずだが、その真意は不明だ。


 今晩の宿所は珍しく、食事と寝床以外にも酒と、踊り子まで提供してくれた。

 食堂にステージを備えた大きな店で、トニー以外ではジャックなど、ある程度人間と同等の体躯である魔族は店内に入っている。


 セクレタリアトのようなケンタウロスや、オーガなどは扉をくぐるのも一苦労なので、こういった店には出入りさせないようにしている。


 彼らが入れるのは城や聖堂など、扉と内装が大きな建物だけだ。

 この街でも厩か、教会にでも泊っている事だろう。


 トニーは脇にジャックを控えさせ、ウォッカを飲んでいた。喉が火のように熱くなるが、寒いこの国ではそれがかえって心地いい。


 ステージ上で舞う、若い踊り子と目が合う。


 張り付いたような笑顔を向けてくれるが、やはりどこか恐怖心があるように見えた。魔族の前で踊りを披露しているのだ。ミスがあれば、いや、ミスがなくとも自分の命が風前の灯火であると考えてしまうのも無理はない。

 ステージの周りを見渡せば、魑魅魍魎の魔族の軍団が着席しているのだから。


 踊り子だけではない。給仕をしてくれた女将も、カウンター越しに酒や料理を作ってくれているマスターも、気が気ではないといった様子。

 この手厚い待遇も、恐怖心からか。


「おい」


「は、はい!」


 飛んできた女将に、金貨を十枚ほど握らせる。この国に来て一番のもてなしだ。トニーにとっては決して高くない金額である。無論、一般市民には破格すぎる高額だが。


「いい店だ」


「え……?」


 トニーの方も女将の反応は理解している。一般庶民の感覚では受け取れるはずもない大金。それに唖然とする顔。何度も見てきた光景だ。


「納得のいくサービスには対価を支払う。当然の事だろうが」


「あ、あ、ありがとうございます……!ありがとうございます……!」


 マスターもカウンターから飛び出してきて、女将と並んで礼を言った。

この話が広がってくれ、トニー達の良い噂の種となれば幸いだが、残念ながら現在この店は貸し切りだ。

 他の客の耳がない分、それが広がるのにはしばらく時間がかかるだろう。


「酒と食材は、この街の商店で買い付けているのか?」


「は、はぁ。左様ですが」


「俺の部隊に見合う量、そうだな……三日分ほど準備しろ。明日、それを受け取ったら出発する」


「かしこまりました……!」


 その程度、金貨一枚すらも必要ない。追い金してもかまわないが、そんな言葉が彼らから飛んでくるはずもなかった。


 明くる日、言いつけ通りに準備された荷駄を大型の魔族に持たせ、次の街へと出立する。

 街を出て空間転移可能な位置まで移動していた、そんな中、ようやく待ち望んでいたモスクワからの伝令が飛んできた。


 それを任されたのは一体のケンタウロス。トニーの前に四つ足を器用にたたんで跪いた。


「閣下、カトレア様より言伝を仰せつかりました」


「話せ」


「モスクワのクレムリン宮殿にいるロシア皇帝ですが、謁見は閣下のお連れであるロシア兵団の女団長だけとし、他の者の入城は一切拒否するとの由」


「……あ?なめてやがるな。理由は?」


 散々待たせておいて、最悪な回答だ。力づくで従わせてやりたくもなるが、堅牢なあの宮殿を落とそうにも苦労しそうだ。


「いえ、そこまでは……」


「ウィリアムがついていながら、何てザマだ」


 言葉としてストレートに受け止めれば、この場の全員が攻撃開始を覚悟した。だがここで、トニーにしては冷静で意外な判断を下す。


「先に周りの街を全部取っちまうぞ。皇帝の一人相撲になれば、周りからの懐柔的な助言も殺到するだろうよ」


 トニーが戦闘を開始すれば、同時にウィリアムやカトレアたちもそれに続くしかなくなる。

 特にクレムリン攻略は一筋縄ではいかない。それを成し遂げ、オースティンの手助けになるような真似をする方がよっぽど癪だ。


「かしこまりました。謁見はロシア人に任せて、進めておいてもよろしいのでしょうか」


「あぁ。周りの街はほとんどこっちに懐いてると、謁見の内容に付け加えさせろ。それが終わったら俺が直接出向き、てめぇに拒否されようと堂々と入城するつもりだともな」


「ははっ!必ずお伝えいたします!」


 ケンタウロスは立ち上がって回れ右、パカラパカラと駆け足でその場を去りつつ、空間転移の亀裂の中へと消えて行った。

 転移で移動するのだから、走る必要など全くなかったはずだが、彼なりに急ぐ気持ちの表れだろう。


「我らもそろそろ転移いたします。閣下、こちらへどうぞ」


「おう」


 伝令が消えたのと同じ地点で、数体の魔族が空間転移を発動。ジャックの誘導に従い、セクレタリアトの背に乗るトニーがその中を通過した。


 ただ、ロシアの地での空間転移は気分的に晴れない。入る前も出た先も、結局は変わらない雪景色の平野か森林で、移動した気がしないからだ。


 バリバリバリ……!


 お付きの兵らが全員こちらへ到着し、閉じる空間転移の亀裂。

 トニーが軽く周りを見渡す。やはり、今回も移動したのかどうかよくわからない場所だった。


「閣下、こちらより西方に少し行けば次なる街があるようです。残す街は五つほどとのこと」


 ジャックが状況を報告した。まだ五つもあるのかと嘆息したくもなる。

 もちろん、最後に残っているのはトニーたちを入れなかった最西部の街だ。


「見えてまいりましたね」


 二十分ほど移動したところで、セクレタリアトが前方に槍を向けながら言った。

 だが、どうにも様子がおかしい。煙が街のあちこちから立ち上っていた。


「火事か……もしくは攻撃を受けたかのどちらかだな」


 前者ならトニーにやることはない。施しとして食料を分けてやるくらいか。

 後者ならその相手を倒す必要がある。それが魔族であり、まだ近くにいれば、ではあるが。


「物見に早馬を飛ばしましょう」


「要らねぇよ。もうすでに目と鼻の先だ」


 トニーとしてはオースティンの部隊であることに期待したいところだ。

 確かに奴らはロシア東部から緩やかに侵攻している形ではあるが、時にはこうやって離れた街に侵入して物資を奪うこともあるだろう。


 トニーを先頭に街へと入る。柵や防壁の類は破壊されており、簡単に入ることができた。

 ということは、街が燃えている理由は外部からの攻撃である。


「……家屋もほとんどやられちまってるな」


「これが周辺に伝わり、我らの仕業などという根も葉もない噂にならなければよいのですが」


「なるほどな。むしろそういった理由でやった可能性もあるか」


 セクレタリアトの言葉に納得するトニー。

 オースティンであればそのくらいやっても不思議ではないか。ただ、こちらの動向を一方的に追われているというのは気に食わないが。


 戦闘の真っ最中であったならそれを逆手にとって、感動モノの救出劇でも演じて見せた。しかし、すでに街が滅ぼされたとあっては後の祭りだ。


「ううっ……!」


 壊れた家屋の中から、生き残りらしき何者かの声が聞こえた。


「おい、誰か瓦礫をどけてやれ」


「直ちに、将軍閣下」


 トニーの命令に、二体のミノタウロスが動く。


 声の主は足をつぶされ、身動きが取れなくなった女であった。その手には乳飲み子が抱きかかえられたままだが、こちらは呻く母親とは対照的に泣きもしていない。

 理由は一つしかない。押しつぶされた衝撃で絶命しているからだった。


「あ、あ、魔族……!」


「安心しろ。俺らは敵じゃねぇ。ここで何があったのか説明をしろ」


「いやぁぁぁぁぁぁぁっ!来ないでぇぇぇぇっ!」


「チッ、煩わしい女め」


 その悪態に反応し、いくつかの足音がトニーの側に寄って来る。


「お優しい言葉に対して何たる無礼。この女を黙らせますか、閣下?」


「なめてますね、コイツ。叫び声も不快だ」


「いい、下がれ。別に殺そうとは思ってねぇ。一応、俺らは正義のヒーロー役なんだからよ」


 仮にこの女を殺しても目撃者などいない。だが、それよりは情報が必要だ。


「いやぁぁぁぁぁぁっ!」


「おい!いい加減黙れ!叫べばどうにかなるとでも思ってんのか!」


 完全に気が狂っている可能性もあるが、魔族に囲まれて驚いているだけだろう。トニーはそう思って女に軽く平手打ちを食らわせた。


 予想通り、キョトンとした反応が返ってくる。

 殺されると思っていたところに、予想よりもはるかに軽い仕打ち。これは何だ、と女の脳を多少は働かせることに成功する。


「は……ははは……もういや……」


「そりゃ嫌だろうな。街が壊され、我が子も失ってるんだからよ」


「えっ?」


 言われて、大事に抱きかかえる赤子に視線を落とす。


「あ……あ……私の赤ちゃんが!」


「おっと、もう叫ぶなよ。流石に可哀想だとは思うがな。墓くらいは立ててやる」


「んん……っ!!!」


 言われた通り、口をつぐんで、嗚咽を殺す女。荒い息と、涙だけは抑えられないが、上出来だ。


「もう一度言う。俺たちはこの街を襲った連中とは無関係だ。むしろ奴らとは敵対している勢力でな。その目撃情報を求めている。何か、お前から話せることはないか?」


「うううっ……!」


 オースティンの部隊だと確定したわけではないが、仮に人間の盗賊相手でも戦ってやるとしよう。


「おい、女。閣下がお尋ねだ。さっさと返せ」


「いつまで泣いているんだ、コイツは」


「お前ら、少し下がれ。話せるものも話せなくなるだろうが」


 すごんでいるのはミノタウロスだ。ちっぽけな人間から見れば巨大な存在。初見であれば、トニーの威圧よりも迫力があるのは間違いない。


「あ……うううぅ……」


「ジャック、湯を沸かして茶を淹れてやれ。凍えて話しづらいってのもあるかもしれねぇ。そこの牛どもはテントを張れ。他に手が空いてる奴は街を回って、生き残りがいないか探してこい」


「「ははっ!」」


 トニーを乗せているセクレタリアト、ジャックと二体のミノタウロス以外の全員が散っていく。

 女にとっては、大量の魔族に囲まれている状況よりいくらかマシだ。


「閣下、茶でございます」


「おう。女、凍え死ぬ前にこれを飲め。というか、いつまでその赤子を抱えてんだ。気の毒だが、葬ってやらねぇと可哀想じゃねぇか」


「いえ……もう少しだけ、お願いします……」


 ようやく叫ぶこともなくなった母親の女は、強く強く我が子を抱きしめる。別れを惜しむのは当然のことだ。

 セクレタリアトから降りたトニーは、紅茶の入ったカップを女の側の地面に置き、自身は葉巻をふかしながら女の動きを待つ。


「ありがとうございます。あなた方は、街を襲った魔族ではない、と……?」


「だからこうやって厚遇してやってんだろ。墓はどこにする。穴を掘らせるからさっさと教えろ」


「では……我が家の裏手に」


 我が家、とは今まさに目の前にある、すっかり焼けて倒壊してしまった家屋のことだろう。


「よし、お前ら墓穴を掘ってやれ。墓標は……瓦礫の板で十字架でも立ててやればいいか?」


「はい、ありがとうございます……」


 ミノタウロスが、寝せた斧を使って器用に穴を掘っていく。

 人間とは比べ物にならない力なので、あっという間に穴が完成する。弔われるのが赤子ということもあり、その穴が小さくて済んだのも早く終わる理由だ。


「祈りやら何やらは分からねぇから勝手にやれ、女」


「……はい」


 女は足が動かないので、這いずりながら墓穴に進み、そっと優しく、ようやく我が子を手放した。


 女が祈りをささげている間、トニーはその怪我を観察する。左足が折れているようで、木でも当てておけばつながるだろうが、これでは隣町にも移動できず、死ぬかもしれない。


 それ自体はどうでも良いが、残る街を味方につけるためにも、この街を襲ったのがトニー達ではないという証言はあった方が良い。ここで見捨てるのは得策ではなさそうだ。


「生き残りをまとめて隣町に転移する。それまでは待機だ」


「ははっ」


 他の生存者を待つのも、女の衰弱した容態を見るに小一時間くらいが限界だろう。いるかわからない者を探すくらいなら、目の前にいる女を生かす。


「閣下、あちらに無傷の家屋を発見いたしました。中で待たれてはいかがでしょう」


「そうするか。女、馬に乗れ」


 赤子の埋葬が終わり、その場でしくしくと泣いていた女を、馬とは名ばかりのセクレタリアトの背の上、つまりはトニーの後ろに乗せる。

 目指すはジャックが発見した一軒家だ。


……


「閣下、状況を報告いたします」


「おう」


 家の表に出て、いくつかの報告を受けていたジャックが入室してくる。

 トニーはくたびれたソファにどっかりと座り、女の身の上話を聞いてやっていた。善意などではなく、単純な退屈しのぎだ。


「連れてきた生存者は全部で十二名。全員が誘導ではなく、捕縛の状態です。他、激しく抵抗した男を三名処断」


「……馬鹿が」


 とはいえ、魔族だけでの捜索チームを組ませてしまったトニーにも落ち度があるか。

 いきなり助けに来たと話す魔族が現れて、どれだけの人間がそれを信用できるか。それも、襲われたばかりの街でだ。

 歯向かってきて止む無く殺すことになったり、無理やりの連行でないと移動できないのは予想できたはずである。


「おい、女。家の外にいる街の人間らと話せるか?」


「え、はい。もちろんでございます、閣下。しかし、何をお話しするのでしょう」


 懐いたというと些か語弊があるが、身の上話を聞いてやったおかげもあって、この女はトニーにかなり協力的な状態になっている。


「まず、俺たちが街を襲った連中とは違うこと。むしろ、そいつらを倒しながらここまで進んできたことだな。すでに周りの街はほとんど俺たちの味方だ。そこまでお前らを避難させるから暴れるなってところか」


「えぇ、分かりました。お力になれれば良いのですが」


「ジャック、女に肩を貸してやれ。出るぞ」


「はっ!」


 女は、骨身の化け物に身体を預けるという、おそらくは人生でまたとない機会を得た。


 ジャックの報告通り、十二名の人間が両手両足を拘束され、冷たい雪の上に跪いている。

 老若男女、下は五歳ほどの男児から、上は老婆まで様々だ。心なしか年頃の男が少ないのは、激しく抵抗して処断されたからか。


 トニーの姿を確認すると警護にあたっていた魔族の兵は一礼し、それを見た捕虜の住人らが驚いた。主は本当に人間なのか、と。

 もちろん、その横にこの街の者である女がいるのも魔族たちが口酸っぱく言っていた「味方である」という言葉と合致する。


「そもそもな。言葉が通じてる時点で普通の魔族とは違うって気付けよ、阿呆が」


 トニーの第一声は愚かな住民らへの悪態だった。

 彼らにとっては耳の痛い話だが、心境は理解できる。追及はそこまでとし、本題に入った。


「俺らは今、モスクワにいる皇帝と協力体制を結ぶべく、各都市を開放して回っている。この辺りが襲撃されるのは珍しいらしいが、運がなかったな。とりあえず、生き残ったお前らは一つ隣の街まで送ってやる。野垂れ死にしないことを感謝しろ」


「ま、待ってくだされ!あなた方はいったい何なのですか!」


「そうじゃ!混乱した状態では何を信じればよいものやら……」


 老婆二人が騒ぎ立てる。暴れはしないが、魔族の兵、住民らにも緊張が走った。


「あ?たまたま通りかかったら街が壊されてた。だから助けてやる。話はそれだけだが。理解できねぇのか?」


 先に保護した女から、あらかたの情報は聞いている。敵は魔族。どこから来て、どこへ消えたのかは分からない。

 それ以上の情報があればここでの問答にも意味があるが、他の会話はトニーを苛立たせるだけだ。


「婆さん!相手の機嫌を損ねるな!殺されるぞ!」


 逆らったせいで目の前で処断された住民を見ているので、他の住民からはそんな声が飛ぶ。


「殺したければ殺すがいいさ!どうせ老い先の短い命だ!」


「なんでそんな物騒な話になるんだ。逆に聞くが、てめぇらは俺たちを殺したいとでも思ってるのか?そう思ってるのなら殺してやる。実際、うちの部下に襲い掛かった男共はやられたんだろ。死にたきゃ俺に攻撃でもしてみろ」


「そんなこと、思ってるわけがなかろう。わしらはただ、あんたらが何をしたいのか、その言葉が本心か、信じられないだけじゃ」


 トニーは、彼らが言葉でどうにもならないから縛られているのだと思い返す。問答無用で飛ばした方が早いかもしれない。


「チッ……おい、今すぐ街まで転移だ。俺も一緒に行く。この場はジャックに采配を任せる。まだ生き残りがいないかと、敵の動向を調べておけ。三十分くらいで戻る」


「はっ、お任せを」


 ズゥ……バリバリバリ!!!


 一度、トニーらが訪れている街とはいえ、やはりその姿が現れると住民は緊張して落ち着きがなくなる。


「数時間ぶりだな。ここは……市長みたいなやつがいたんだったか。そいつを呼んで来い」


 衛兵らにそう言いつつ、悠々と門をくぐる。もちろんその後ろには部下と、縛られて捕虜のような形となってしまった生き残りのロシア人。


「ま、待たれよ!なんだ、その者らは!」


「隣町の連中だ。魔族に襲われて壊滅状態にあったから連れてきた。面倒を見てやるように頼むつもりだ。さっさと責任者を呼んで来い」


 あたかも、あんたらがやったんだろうという顔をしているが、独断で衛兵が決めていいことではない。

 確かに捕虜にしか見えない者からは何の言葉もない。本当に助かるのか、信じられない、といった表情だ。


 街に入り、もうほとんど安全だろうというところでトニーは停止する。

 おそらく、しばらく経てば責任者が飛んでくるだろう。


「縄をほどいてやれ。ここなら問題ない」


「はっ!」


 リザードマンとミノタウロス、スケルトン兵らが縛られていたロシア人を解放する。

 その途端、駆け出して逃げる子供などもいたが、それは無視した。


「いい、捨て置け。別にこれから先の人生まで担保してやるつもりはねぇんだ」


 街の中に避難できたのであれば、いくら子供であっても後は自己責任だ。

 その、一部の子供を除けば、その場で抱き合って喜んだり、涙を流している者がほとんどだった。


「これで信じてもらえたか?俺らはお前らの街を襲った侵略者とは違う。そいつらを打ち滅ぼすために活動している。その証言くらいはしてもらうぞ」


 トニーが連れてきた住民だけではなく、元々この街にいる住民ら、そして兵士たちも続々と集まって来た。

 自然と彼らは円形にトニー達を取り囲む。


 ここでようやく、助けられた者らはトニーに対して頭を下げる形となった。


「本当に、本当にありがとうございました!」


「疑うようなことを言ってすまなかったねぇ……ありがとうよ、魔族を従えし御方」


「いや待て、実は襲った連中とグルだったってことは?わざと襲わせ、ヒーローとして後から登場する、なんて絵だったんじゃ」


「まだそんなこと言えるのかい、アンタは!ここまでの恩を受けたってのに!」


 一人、無礼なことをいう男がいたが、隣にいた老婆から平手打ちを食らって押し黙った。トニーからは何も言わずとも問題ないだろう。


……


 少し前に、この街を通過した際に面識を持った代表者、市長が現れる。

 立ち話をして解散かと思ったが、意外にも彼はトニーを庁舎に招いた。


「閣下、大体の話はうかがっている。この度は、多くの人々を救っていただき感謝する。あとは、責任をもって我々が彼らの支援をするので、ご安心を」


「そうしてやってくれ。こっちには被害が出てねぇようだが、隣町が魔族につぶされたのは事実だ。見張りを増やして防御を固めろ。それから、すぐに飛ばせる伝令もな。周りの援護があれば簡単には落とせねぇだろ」


「えぇ、既にその指示は出している。話を聞いて驚くばかりだよ。目と鼻の先でそんなことが……近くにいながら我々が気付いてやれず、悔しい限りだ」


 それだけ電光石火でやられてしまったわけだ。

 襲来から撤退までの時間も、被害者に聞いておくべきだったかもしれない。


 ただ、近いからといって今いるこの街が襲われるかは不明だ。


 堅い場所は狙われにくいだろうし、徐々に迫る侵攻ではなく、突発的に物資を拝借する侵入に近い形なので、次の目標地点は予測できない。


 トニー自身もロサンゼルスの兵らに、世界各地の都市へ同じことをやらせていたのだ。

 侵攻ではなく侵入の場合、たくさんの物資を取れたから次は地理的に見てそこから近い場所、とは一度もなった覚えがない。


「モスクワを円形に囲んでる衛星都市全部に、この事実は連絡を回しておいた方がいいかもな」


「それも既に。ただ、すべての街に話が伝わるには数週間かかるだろうが」


「抜かりないじゃねぇか。それで、俺を呼び入れた理由をそろそろ教えてもらってもいいか」


 これで話が終わりなら、あの場で話せばよかったはずだ。


「一人、いや一体と呼ぶべきか?魔族の兵をお貸しいただけないだろうか」


「なるほど、そう来たか」


 簡単に言ってくれるが、かなり難しい願いだ。

 それよりも、魔族と触れ合う機会などほとんどなかったであろう人間が、よくこの短期間でそんな決断をしたなという驚きが強い。

 自然とトニーは興味を抱く。


「は?何に使うんだよ?うちの兵は文字通り百人力だ。おいそれと貸し出すサービスなんかやってねぇんだが」


「無論、無理は承知だ。それに、何も戦闘に使おうというのではない。もし街が襲われたら、閣下にいち早く知らせられるだろう」


「そりゃそうだが、それを完全に成し遂げようと思ったら、この街にだけ見張りを置いても意味がねぇ。何十体も貸し出す羽目になる」


 全ての衛星都市を網羅するのであればトニーの発言通りになる上、そのすべての代表者が応と言う必要がある。まず不可能だろう。


「全てとなればそうだろう。しかし、薄情だとは思わないでくれ。せめてこの街だけでも、と考えてしまうのは代表者として仕方のないことだろう」


「まぁ、そうだろうな。ただ、なぜ俺の兵を置くと連絡が早くなると踏んだ?」


 彼らの目の前で空間転移は使っていない。単純に、人間よりも体力がある分、移動が速いと思われるのも自然ではあるが。


「なぜとは?魔族は移動する魔術を持っていなかったか?この街は襲われたことなどないので、見たわけではないが。そういう話は辺境からいくらでも入ってくる。その魔術も、種族によるものという話であれば早とちりかもしれんが」


 正解だ。単純に報告を信じて判断したのか、はたまたそれが使えるはずだとカマをかけて噂が本当かどうかを確認したいのか。

 後者であった場合はなかなかの人物かもしれない。


「ふん、まぁいいだろう。ただ、知らせが早いというだけなら俺にとっての利点は少ないな。この話は忘れろ。俺も聞かなかったことにしてやる。広まればてめぇの外聞が悪いだろ」


「待っていただきたい。閣下は魔族内の不届き者を成敗するために、このロシアへわざわざ来られたのであろう。そして、その目撃情報には重きを置かれている。確かにこの街だけに兵を置かれても微力ではあろうが、悪い話ではないはずだ」


「ここは襲われねぇよ。俺の勘がそう言ってる」


 自治する街が心配なのは理解できるが、仮に一か所だけ兵を置くとしても、トニーの中ではここではなかった。もちろん、絶対とは言い切れないが。


「そんな!勘が外れることもあろう!」


「あるだろうな」


「では何か、武器か兵站の提供を約束しよう!それで考え直していただきたい!」


 正直、そこまで魅力的とも思えない提案だ。武器といっても剣や槍だろうし、兵站は常に移動先で補充するなり、ロサンゼルスから運ばせるなりしていれば何の問題もない。

 しかし。


「……わかった。そこまで言う、てめぇの本気度は汲んでやる。一体、リザードマンを常駐させてやる。化け物だからって適当な待遇はするなよ。街の中を自由に移動しても問題ないように、住民にも周知しておけ」


「おぉ!それは本当に助かる!礼を言おう!それで、何がお望みだ?」


「特にほしいと思うものはねぇが、そうだな……」


 モスクワの衛星都市とはいえ小さな街であり、欧州から比べると年中雪に覆われる辺境の地だ。手に入るものもそう期待できない。


「交渉ができる人材がいれば同道してもらいたいな。他の街を巡るときに説得が楽になる」


「そのくらいでよければ、街の書記官を紹介しよう」


……


 その言葉通り、街の書記官とやらがトニーらのもとに「差し出された」。

 本人にとってはそう感じる以外にないだろう。まるで生贄にでも差し出されたかのように、その書記官の若い女はブルブルと体を震わせていた。


「チッ、こんなんで使い物になるのか」


「おい、しっかりしたまえ!別に彼らには悪いようにはされない!」


「は、はい……すいません」


 事の経緯はしっかりと説明されている。しかしそれでも、魔族だらけの集団の中に単身で放り込まれては、死ぬか犯されるかという未来しか見えないのだろう。


「他を用意しろ。この女は不要だ。脅して交渉しようとしているように取られる」


 別にこれはトニーの恩情ではない。単純に、不良品に対する返品に似た気持ちでしかない。


「あ、いえ……!私が、ご一緒します……!」


 迷惑をかけたくないという意地から、書記官がそう言った。


「交渉能力自体はどうでもいい。もう少し、度胸のあるやつを連れてこい」


「しかし、本人はやる気のようだがね。それに、交渉時は同じロシア人同士でのものになる、この様にはなるまいよ」


「……チッ」


 二人とも怒鳴りつけてやろうかと思ったが、トニーは押し黙った。

 ここのところ、力押しできない状況にイラつくばかりだ。


「あ、あの、将軍閣下。お役に立てると思いますので、どうかこのまま私をお連れください」


 その言葉とは裏腹に、まだ書記官の脚はガクガクと笑っている。

 トニーが彼女の肩に手を置いた。


「え?」


「一分だけ待つ。それまでに、その無様な震えが止まらなかったら他の誰かと交代だ。いいな?」


 手を置いたのは、震えを目視よりは敏感に感じ取れるからだったが、書記官の女からは意外な言葉が出てきた。


「温かいです。将軍閣下は……本当に人間なのですね」


「魔族に体温はねぇのか?気にしたこともなかったな」


 おそらく、死と同時に消えていく魔族にだって、血流があり、体温はある。ジャックのようなスケルトン兵は出血しないので冷たいだろうが。


 しかし、この書記官が言っているのはそんな事実確認ではなく、トニーの体温があらためて人間らしさを感じさせた。ただそれだけだ。

 そしてどんな言葉よりも、この温もりが効果的に彼女の緊張を解きほぐすことになった。


「……ありがとうございます。これでいかがでしょう?もう、震えていないと思います」


「そうだな。じゃあ行くぞ。さっさと残りの仕事を終わらせる」


……


「閣下、お帰りなさいませ」


 まずは、ジャックらとの合流のために攻め滅ぼされた街に戻った。

 連れてきていた女書記官がその惨状に息をのんでいる。


「そんな、本当に街が一つ無くなっているなんて……」


「おう、生き残りはいたか?」


「いえ、他には発見できておりません。遺体はそこら中にありましたので、可能な限り埋葬をしているところです」


 不格好で大きな泥饅頭がいくつも出来上がっている。墓の良し悪しなど分からないであろう魔族にしては上出来な墓標だ。


「そうか。今上がってきている死体の分は作業を続けさせろ。それ以上の捜索は中断。次に移動するぞ」


「ははっ」


 移動に次ぐ移動のハードスケジュールだ。転移術だから気にならないものの、現世であれば航空会社のマイルが溜まりに溜まって仕方ないだろう。


 トニーの指示通りに魔族らが動き、一時間程度で残りの作業は完了した。

 その間に一人、生き残りの子供を発見したので、埋葬と同時進行でその子だけは先ほどの街へと送りつけた。


 そして、次なる街。遠くから見える光景は特に変わりない。

 この、変わりないというのが問題だった。


 今しがたまでいた街と変わりない。つまり、煙が立ち上り、街は半壊している状態だったのだから。


「閣下、あれは」


「二連続か?どうなってやがる」


 完全に不意を突かれた。モスクワを囲む衛星都市のうち、二つが落とされている。これはまさか、既に無事を確認した他の街にも魔の手が及んでいるのではないだろうか。


 こんなことをしてもモスクワそのものは落とせない。

 ただただ、トニーがせっかく味方につけようとしていたものを、横取りされたというだけだ。


「ここには寄らねぇ。次だ。急いで無事な街を回っておく。落ちた街の状況はそれからまとめるしかねぇ」


 ここにも生存者はいるだろう。しかし、トニーが襲っていないということは一つ前の街の生存者の証言で十分なはずだ。

 当然、頭にも来ているわけだが、それよりは仕事が早く終わるというメリットをトニーは重視した。無論、これ以上に他の街がやられていた方がいいとも思わないが。


「かしこまりました。生存者ではなく、犯人捜索のために誰か置きますか?この街の方が襲われたのは最近であるように思いますが」


「いや良い。こんなやり方をしてるってことは、どうせ尻尾を出しやしねぇ。こっちのことも見てるんだろうよ」


 仮にこれらの下手人がオースティン副長だとしたら、姿を見せたいときにあちらから出てくるだろう。


……


 さらに二日が経ち、トニーはモスクワを囲むすべての衛星都市を回り終えた。

 トニーらを拒否していた街にも、その他の街からの話が届き、ついに折れたわけだ。


 魔族の攻撃を受け、滅んでいたのは全部で二つ。

 さらにもう一周、今までに通ってきた街にも使いを複数飛ばしたが、どの街も健在だった。


 おおよそ一週間以上は経ったはずだが、ロシア皇帝からの返答は未だにない。ウィリアムや女団長らは、もっとも近い衛星都市とモスクワを行き来しながら返答を待っているらしい。さすがに寒空の下で長期間の野営は危険だと判断したからだ。


 そちらへ合流する案も浮かんだが、トニーは機転を利かせ、滅ぼされた二つの街を、トニーの砦と、ウィリアムの砦として再建しようと企てた。


 街として再復興させるわけではなく、柵や塀を整え、あくまでも小ぶりな城として再利用するだけだ。砦と呼ぶのがふさわしいだろう。

 補給などは自国からの転移に頼ることになる。


 魔族らの住民をその場に呼び寄せ、住まわせてしまえば街にもできる。ただ、そこまでする必要はないと踏んだ。いずれ、戻ってきたロシア人がそうすればいいだけのことだ。


 街だろうと砦だろうと、勝手に拠点を作ってしまうのはロシア側にとって最悪の印象だろうが、いつまでも待たせる皇帝に非がある、というのがトニーの言い分だ。


 どこか他の街で待つとしても、住民らの目から離れて大勢の魔族の兵を一挙に収容できる場所は欲しいと思っていた。

 完全にロシアが味方となったとき、砦の一部を大使館のように使ってもいい。


「急ごしらえにしては、立派なものになりましたな」


 その内の一方、ウィリアムのために作った砦の中。

 主寝室のソファに寝転がるトニーに話しかけてきたのは、セクレタリアトであった。


 復旧に使ったのは一日。穴をふさぎ、焼けたものは取り換え、確かに急ごしらえにしては良く直せたものだ。


 こちらは城というよりは屋敷のような作りの洋館で、その周りに人の背丈ほどの石壁を二重で張った砦だ。

 あまり戦闘に向いたものではないがそれなりの広さと、何よりも暖炉などの設備は充実しているので居心地は良い。


 対して、トニーの砦はまさに小さな城で、石の城壁と鉄の門など、実戦向きの作りだ。

 そちらの方が収容可能人数も多く、何より堅牢でトニーの好みではある。ただ、快適性はやはりこの屋敷には及ばないが。


 トニーがモスクワ訪問前の滞在先に、自身のために作った砦ではなく、こちらを選んだのもその快適性ゆえだ。

 さらに言えば、トニーの砦は大きく、一日で直るものではなかったので、今も絶賛修復中である。


 トニーの砦とウィリアムの砦は、転移術こそ使えば一瞬だが、仮に徒歩での移動となってしまった場合も半日程度でたどり着ける距離だ。

 互いにモスクワを囲む衛星都市として、隣り合わせている位置にある。


「ここは痛みが少なかったからな。書記官の女は?」


「今、警護の兵らに温かいものを配っています。その後は、隣の砦の復旧班にも配ると」


「そうか」


 女書記官は、いつの間にか魔族の兵士らとの仲睦まじくなっていた。いくつかの街の入場交渉に使い、十分に働いた。

 もう帰らせてもかまわないのだが、本人の希望で置いている。今ではあんなに怯えていたのが嘘のようだ。


「将軍閣下、失礼いたします」


 噂をすれば何とやら。女書記官が開け放たれた扉の横をノックし、入室してくる。雪が身体についているが、毛皮のコートと帽子で防寒は万全だ。


 魔族と仲良くやれているということは、トニーにも心を許している状態。

 彼女は兵士にも配っていたのであろう、温かいボルシチとブランデーが乗った盆を持ってきた。


「お食事とお飲み物を準備いたしました。失礼ながら、吹雪いておりますので、先に外にいた者たちに配ってきました。閣下もいかがですか?」


「あぁ、そこに置いておけ。あとで貰う」


「かしこまりました。セクレタリアト様は……」


「いや、私は結構。隣の砦にも向かうのだろう?気を付けて行くのだぞ」


 書記官が一礼し、退室する。


「ふん、慣れた途端にあっちへこっちへと尻の軽い女だ」


「はは、閣下はその方がお好みなのでは?」


 セクレタリアトも中々に言うようになったものだ。彼は部下としては付き合いが浅いものの、元々はオースティンの部下だったせいか、ミッキーやジャックよりはトニーに対して軽口を利きやすいのかもしれない。


 忠誠心や恐れでガチガチにならないのは良いことだ。酔ったときの組員の若衆ほどではないので、この程度の軽口は特に気にもならない。


「厚着のせいで魅力もクソもねぇよ」


「ほう、ではロシアでの出会いは少なそうですな」


 トニーは分かりやすく身体のラインが見て取れる、色気のある女が好みだ。クロエに言い寄ったように、美人であれば顔も見るには見るが、やはり突き出た胸と尻に敵うものは少ないだろう。


「盛りがついて、俺がロシアに女を漁りに来たとでも思ってたのかこの野郎」


「滅相もない。ただ、閣下ほどの色男とあれば、長い間、この人肌恋しい雪景色で手持無沙汰なのもよろしくないかと思ったまで」


「人肌恋しいとは面白いことを言いやがる。魔族もつがいや子くらいは作る季節だってか」


 魔族も、スケルトンなどの生殖能力を持たない個体でない限り、雄雌は存在する。魔術的なもので生み出されない限りは、人間や畜生と同じく胎児を身ごもるか、虫や魚のように卵を産み落とす。


「どうでしょうかね。ただ、ロシアが寒いのは我々も同じです。副長はオーガ種の生産と練兵をよく行っていたようですが、この気温も生殖活動の活性化につながるのかもしれませんな」


「……鈍化しそうとしか思えないがな」


「そうでもないとは聞いていますが。オーガは特に出産サイクルも早く、交配も頻繁なようで」


「そうかよ」


 寒くて自慢の息子も縮こまってしまうだろう、などと下世話なことを考えるが、魔族の、それもオーガの発情の習性など知ったことではないので、セクレタリアトの言うことの方が正しいのだろう。


「閣下はカトレア様との間にお子は設けられないのですか?」


「余計な世話だ。あれは成り行き上、嫁として置いているだけで女としては見てねぇ。強いて言えば年の離れた妹か、姪っ子か、娘みたいなもんだろうよ」


「確かに、娘のように可愛がってはおられる」


 こうは言っても、実年齢はカトレアの方が上である。

 中身が子供なのは否めないのと、幼女の姿ではトニーも手など出せないだろう。そもそも相手は魔族だ。仮にカトレアが幻術でトニー好みの女に姿を変えたとしても、間に子が成せるかどうかよくわからない。


「そもそも、こっちではガキなんて要らねぇんだよ。ガキがガキを産んだら、俺の周りはガキだらけになっちまうしな」


「こっちでは……ですか?」


「理解できねぇからって一から十まで説明してもらえると思うな。とにかく、カトレアは嫁ではあっても、俺の女じゃねぇとだけ覚えておけ」


 現世の話は特に誰に対しても隠してなどいない。

 セクレタリアトもいずれ、トニーは普通の存在ではないと理解できる気が来るはずだ。そうでなくとも、凡人とは一線を画す大物である事は分かっているだろうが。


「……ははっ」


 テーブルに置かれていたボルシチに手を伸ばす。

 香りは良かったが、調味料が少なく味気ない。燃え落ちた街から食材をかき集めて作ったものなので贅沢は言っていられないか。

 そろそろロサンゼルスからの物資輸送を本格化させる必要がありそうだ。


 ブランデーは現世のものと変わりなく美味い。


 ドォンッ!!!


 轟音が響いたのはそのグラスをテーブルに置いた瞬間だった。

 もちろんトニーが怪力でグラスを叩きつけたなどという話ではない。


「なっ!?閣下、お下がりください!」


 音がしたのは屋敷の外。二重に張った石壁が攻撃を受けた可能性が最も高い。


「下がるも何も、ここは砦の最奥部だろうが。さっさと状況を確認してこい!」


「ははっ!すぐに戻りますのでそのままお待ちを!」


 パカラッ、と蹄を鳴らしてセクレタリアトが退室していく。

 ケンタウロスはその馬の脚のおかげで移動速度は、地上を走る魔族の中でもトップクラスだ。数分で戻ってくるだろう。


 トニーは破魔衣で織られた背広と防寒用のコートを羽織り、その内側に杖と銃を忍ばせた。


 ズゥ……


「来たか。いきなり本丸とは、ふてぇ野郎だ」


 バリバリバリバリッ!!!


 目の前に開いた空間転移。味方である可能性など微塵も感じなかった。

 セクレタリアトがこの場を離れた瞬間、そしてトニーのいる部屋をピンポイントで狙って訪れる客。

 それが誰か、トニーでなくとも勘ぐることくらい出来る。


 ズゥン……


「ごきげんよう、バレンティノ将軍閣下」


「こうして面と向かって話すのも久しいな、犬っころ」


 銀狼の獣人、魔王正規軍現司令官、オースティン副長。

 その狡猾な眼差しはトニーを捉え、牙がはみ出る口には笑みを浮かべている。

 トニーは腕を組んで立っているが、いつでも銃は抜ける体勢だ。


「いい屋敷ですね、将軍」


「宿泊の予約ならお断りだ、しばらくは俺が使う」


「おや、それでは次の予約が空く日を教えていただかなければ。この素敵なお部屋が気に入りましたんで!」


 トニーが内心に抱える焦りとは裏腹に、オースティンとの会話は至極平穏で、のんびりとして、落ち着いたものだった。


 目の前にいるオースティンは狡猾だという事実は承知している。だがそれでも、相手の狙いが見えない以上、トニーはこの会話に付き合う他ない。

 長らく身を潜ませ、子供の悪戯のような小競り合いを仕掛け……そして、多くの組員と、部下の命を奪った、この化け物との会話を。


「そんな予定はねぇよ。せっかく来たんだ、酒くらい出してやろうか?」


「では是非、いただきます」


 両手を広げて朗らかに笑うオースティン。

 満を持して目の前に出てきたのだ。銃弾よりも早く動ける手段を準備してきた可能性も否定できない。


 だが、トニーはあえてオースティンに一瞬だけ背を見せ、酒棚から適当なワインのボトルを手に取った。

 攻撃はない。後ろからの不意打ちでも反撃の危険性があると思っているのだろうか。


「ほら」


 振り返り、ボトルを軽く放り投げる。


「おっとっと。相変わらずの乱暴者っぷりですね!手渡していただいても問題なんてないのに」


「うるせぇ。物を貰ったらまずは礼だろうが」


「どうもどうも」


 爪を引っ掛け、器用にコルク栓を抜いたオースティンが、ぐびっとワインボトルをあおる。


「で、何の用だ?こっちはお前を見つけ次第、殺すつもりなんだが?のこのこと殺されに来てくれたってわけでもねぇよな」


「えぇ、それはご免被ります。モスクワの事でちょっとご相談がありまして」


「モスクワ?落とすつもりなら、さっさとこっちまで進軍してこい。てめぇの用兵はチンタラ遊びすぎなんだよ」


「耳が痛い話ですねぇ……これでも頑張ってるんですから!とはいえ、閣下もあの街には苦戦されているんでしょう?だからこうして周りの街から地道に固めている。違いますか?」


 やはり見ていたか。となると……


「ここを襲ったのはてめぇだな?嫌がらせのつもりか」


「そんな、とんでもないっすよ!」


 最初は久々の再開のせいか若干堅かったが、オースティンも元のような砕けた喋り方に戻りつつある。


「閣下がご苦労なさっているし、自分はそれをお手伝いしようかと思ったまで」


「それで街を襲ってどうすんだ。俺がモスクワに入城できなくなるだけだろうが」


「そりゃぁ……それが狙いですからね」


 ギラリとオースティンの眼が光る。

 やはりトニーを手助けするのではなく、邪魔をしたわけだ。では何のために。


 負けじとトニーも鋭く睨み返す。


「あぁ?喧嘩が売りてぇってことだな?」


「違いますってば!だから、どちらにせよ入れないのであれば、一緒に落としてしまいましょうよって話っすよ!周りに拠点があった方がいいでしょ?だから、街を二つ拝借したんです。自分と、閣下のために!」


 よく舌が回る狼だ。


「てめぇが介入しなきゃ、すべての街で円満に済んだ。その後でモスクワと交渉する算段だったんだが?」


「そうでしょうか。閣下を拒んだ街もあったし、クレムリンが首を縦に振るとは決まっていません。違います?」


 オースティンがトニーの邪魔をしたのは事実だ。


 ただ、彼が言うようにトニーの策が必ずしも成功したかと言えばそれはよくわからない。

 モスクワが孤立したとしても、衛星都市はトニーとクレムリンのどちらを選ぶかなどという事はしないし、どちらともそれなりの関係を保つだけだろう。


 そうなっていた場合は、東へと引き返してオースティンらの侵攻をロシア各地で撃退し、さらなる信頼を得る必要がある。


 では、それも完遂した後はどうだ。

 皇帝が考えを改めず、結局トニーは何の評価もされず、ロシアに平和が戻る。

 以上だ。


 この地をトニーのものにはできない。アメリカの属国にもならない。

 残るのは、オースティンを打倒したという勲章くらいか。


 果たしてそれは、自身の帰郷に関係するのだろうか。


 モスクワは巨大で、クレムリン宮殿は堅牢だ。簡単には破れない。

 それが分かっているからこそ、皇帝もトニーに大きな態度が取れるし、利用できる間は利用してしまおうと思っていることだろう。


 今のところ、話もできないのは非常に歯がゆい。

 謁見中の暗殺も危惧されているはずで、それが叶うかは未定。


 反面、オースティンに肩入れするのも非常に厄介だ。

 文字通り、オースティンはバレンティノ・ファミリーの仇だ。モスクワを手に入れようと、後から必ず雌雄を決する必要がある。


 一時的な協力も、決着の先送りに過ぎない。


 それに、あの街を落とす……?


 それこそ馬鹿げている。数か月、数年単位での攻城、籠城戦になるのは必至。

 わざわざ悠長に構える道を選ぶ必要がどこにあろうか。


 皇帝の懐柔か、城塞への強行突破か、どちらが早いかはよく吟味しなければならない。


「それを言うなら俺と共同であれを落とすのも同じことだ。確実に勝てる算段でもあるのか?」


「そりゃありますとも!天下無双のバレンティノ将軍閣下の兵団ですよ。そこに自分も加わるとなれば向かうところ敵なしです!」


「呆れた皮算用だ」


 策や戦略の話でもなければ、兵器や魔術、戦術の話でもない。

 負けるとも思いはしないが、勝ててもトニー達の被害は少なくないだろう。


「いや……てめぇ。もしや、それが狙いか?」


「はて、何のことでしょう」


 無論、オースティンがどう考えているのかなど分かりはしないし、答えてもくれない。

 トニーをモスクワにぶつけ、その戦力を削いだとして、それで何になる。

 自身の兵も無事では済まない。


 それに、こちらにはトニーの他にウィリアムやカトレアもいる。

 オースティンの実力はそこまで高いと見るべきなのだろうか。

 ではなぜ今、襲ってこない。


「モスクワを手に入れても、俺が隣にいる状態でどうするつもりだ。そこで、はいおしまいとはならねぇだろうが。少なくとも、俺はてめぇを殺すつもりでいるんだぞ」


「……うーん。閣下はまだ我々とのいざこざを水に流すおつもりはないんですね。確かに大事な部下を失われたのでしょうが、こちらとしては団長の死でトントンだと思ってますよ」


「戯言だな。だったら何で……そんなにどす黒い殺気を漂わせてやがるんだ」


 それは決して、視覚的に見えるものではない。だが、トニーはオースティンから油断ならない気配を感じている。

 それに気おされて銃を抜いてしまいそうなほどに、強烈な負の感情だ。


「あはは、気のせいですよ。むしろ、閣下が自分を殺そうとされているのが分かるからこそ、こちらも緊張せざるを得ないと言いますか」


「そんな状態で手を結ぼうってのは、お互いに無理な話だと思わねぇか」


「え、まさかここでやり合います?」


 オースティンが一歩だけ下がる。

 そう、下がった。これに対してトニーは違和感しかない。使うのは剣ではないという事か。


「賭けが好きなら相手してやる。だが、てめぇは俺を殺すより、街を落とす方が今は重要だと踏んでる。違うか?」


 賭けとは、勝つ自信がない状態で挑んでくるのであればという意味だ。

 少しでもその可能性があると思っていれば、酒を出した時でも、転移してきた瞬間でも、トニーに対して先制攻撃を仕掛けるチャンスはあった。


「もちろんです。でも、応じないのはそちらでしょう」


「今、外側に攻撃してる部下共に攻撃を止めさせろ。俺とサシで話すための陽動だろうが、せっかく直したこの砦を傷物にするな」


「それはお返事次第……げげっ、タイムリミットっすかね」


「閣下!閣下、おられますか!」


 物見に出ていたセクレタリアトの帰還だ。


「おう、ここだ」


「閣下、ご無事……ふ、副長!?」


 セクレタリアトは元々オースティンの部下である。

 本人にとっては見捨てられた形でもあったが、オースティンからすれば裏切り者となる。

 だが、オースティンの方はセクレタリアトの事など覚えてもいない。いや、出身など知りもしない、がより正確か。


「うーむ。これではますます自分は何もできないじゃないっすかぁ」


 正面にトニー、背にセクレタリアトと、オースティンは挟まれてしまっている状態だ。

 ただ、今ここで戦うつもりがないのは何となく透けている。


「攻撃をやめさせる気になったか?今なら修理代だけで勘弁してやるぞ」


「分かりましたよ……ただ、もう少しお話ししたいのは本音です。サシで話しても危険はないとお判りはいただけましたかね?」


 そう言って、油断しきったところをズドンといく可能性だってあるだろう。

 何度目であろうと、オースティンと対面する際は危険だと意識しておく必要がある。


「何を勘違いしてやがる。俺がまだ、モスクワに入れないと思っているのか?」


「はい?いやいや、街を二つも取っておいて、それは楽観的すぎるんじゃないっすか?」


 取ったのはトニーかもしれないが、自分で壊しておいてよく言う。

 オースティンの悪戯がなければこんなことにはなっていない。


 ロシア国内に自治出来る拠点が取れたこと自体はプラスだが、そのせいでモスクワと手を組めないのであれば本末転倒だ。


「……とにかく兵を下げろ。お前らはどこを(ねぐら)にしてるんだ?しばらく経ったらこっちから遣いをやる」


「どこでもいいですが、それなりの街とあれば、エカテリンブルグあたりにしましょうか」


「そこでいい」


 エカテリンブルグはオースティンの手に落ちていただろうかと考えるが、どちらでいい。

 結局のところ、本拠点を知られないために、自身が手に入れていない場所を指定しているだけの可能性もあるからだ。


 行ってみたら城内ではなく、近郊で会うことになるという違いしかない。


「どのくらいお待ちすれば?」


「なら、お前の部下を適当に一人置いていけ。連絡をやりたいときにはそいつを先発させて、もう一度こっちに戻り次第、俺が出す遣いとその部下を一緒に向かわせよう」


「分かりました。あー、閣下」


 くるりと振り返って、セクレタリアトの脇を通り抜けるところでオースティンが立ち止まる。


「何だ」


「いきなりの訪問、失礼したっす。それと、咄嗟に襲い掛かられないのは意外でした。賢明なご判断に感謝します」


「ふん、くたばれ」


 ズゥ……バリバリバリ!


 オースティンは部屋を出ると同時に空間転移で消えていった。


 腹立たしい。実に腹立たしい限りだ。

 トニーが攻撃をしなかった事を、オースティンの実力を測りかねて手が出せなかった事を、勝てる、殺せるという確信が持てなかった事を、すべて見透かされたようで実に腹立たしい捨て台詞だった。

 直情的で直接的で、腕っぷしが自慢だったエイブラハム団長と対峙するのとは大違いだ。


「……狐が」


「副長は狼の獣人ですが、確かにその通りやもしれませんね」


「うるせぇ。外の攻撃が止んだか見てこい。それと、置いていっただろう奴の部下もつれてこい」


「はっ」


 戻ってきたばかりだが、再度、飛ばされるセクレタリアト。


 ガシャン!!!


 その背が見えなくなるや否や、トニーは収まらない怒りのままに、ワインボトルを壁に叩きつけた。

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