#16
パチパチとかがり火が音を立てて煌々とした明かりと熱、そして煙を生み出している。
イタリア国境沿い、神々の水路に映る月の光は十分な光量だが、手元のスープを温めてくれるわけではないのでこうして火を起こしているわけだ。
近くにはイタリア王国騎士団の詰所もあり、そこの分隊長に挨拶をすると寝泊まりにはぜひ営舎を使ってくれと言われた。しかし、飛竜だけを外に置いたままで自分たちはぬくぬくと寝るわけにもいかないと、ウィリアムの判断は近くでの野営に落ち着いたわけだ。
「明日はようやく越境ですね、叔父貴。国を跨ぐのはロンドンからローマへの移動以来か」
「そんなこともあったな。こっちではいろいろあり過ぎて、遠い昔話のようだよ」
マルコをロンドンから連れ帰ったのは何年も前の話ではないのだが、どうしてもそう感じてしまう。過ぎ行く日々は早く感じるのに、内容が濃すぎるイベントばかりで退屈しない毎日だ。
「それよりも、FBIってのはやはり……」
「あぁ。俺たち二人以外にも、あっちの世界の人間がいるとみて間違いないだろうな。それがバレンティノ・ファミリーであればよし。本当に捜査局の人間だったらハズレくじだ」
「FBI捜査官が、こっちに馴染めずに野盗なんかに成り下がってるってんですか?とんだお笑い草ですね」
あくまでも可能性の話だ。なぜFBIなどと名乗っているのかは知らないが、ファミリーの人間である可能性の方が高いだろうと踏んでいる。もしかしたら、粗暴な実兄のトニーが頭目なのだろうか。
「トニーだとしたらどう思う?」
「親父ですか?それこそまさかですよ。堂々と表立って殺しができる世界なら、国の一つくらい取ってしまうんじゃないですかね、あの人なら。少なくとも、わざわざ逃げ隠れが必要な犯罪者集団を居場所として選ばないのでは」
これにはウィリアムも同意だ。マルコの言う通り、トニーであれば人殺しを堂々と商売にして金で動く傭兵団だったり、どこぞの小国を滅ぼして建国してしまっても不思議ではない。
現世でもマフィアの身でありながら派手な生活を好んでいたので、それを隠す必要がないとくれば暴れに暴れている事だろう。
ただし、万が一野盗に絡んでいたとして、否定できない部分もある。枝葉の組織のやることになど興味を示さない、といったケースだ。
町を襲っていた野盗のような連中からは本部へ資金や武器、人身の調達をさせることで、あとは好きにしていいといったような御触れを出しているのであれば可能性としてはあり得る。
無論、そんなことを言い始めれば誰しもが何にでも関与できることになってくるのでそれこそ意味のない妄想だが。そもそも誰がこの世界に飛ばされているのか分からない。
「ネパールでの仕事が終わったらどうにか責任者と接触したいところだ。頭の片隅にでも置いておいてくれ」
「はい、もちろんです。忘れろと言われても無理なくらい気になりますから」
ウィリアムとマルコが会話している間、もう一人の仲間であるカンナバーロ軍曹は黙ってスープをすすっていたが、さっさと食べ終えた自身の食器を洗うために神々の水路という名の大河の岸へと歩いて行った。
大陸と大陸を分ける大きな川だが、案外とその水面は落ち着いていて、浅くなっている部分には直接降りることもできる。もちろん騎士団の船が接岸している港などは水深が深くなっている場所だ。
飛竜はさっさと丸くなって眠っている。装備も人員も増えた旅だ。疲労の大きさもひとしおだろう。
「国内でこれだけの事が起きるんだ。向こうの国ではもっとすごいことが起きるかもな」
「我々は国どころか、世界そのものを越えちゃってますけど」
「確かに。だが、こうして落ち合えたのは幸運だった。こちらの世界のFBIを組織した者は、俺達のように同郷の人間と会えず、孤独の中で戦うための防衛手段として野盗なんかやってるのかもしれないな」
「だとしても、わざわざ仇敵みたいな政府の機関の名前は勘弁してほしかったですね」
「ははは、間違いないな。そこだけを見れば、やはりファミリーとは関係のない人物か」
その他にも、どちらとも関係のない、現世ではただの一般人だった者かもしれない。その場合はファミリーの人間、FBIの人間とは違い、あまり接触する意味がなくなってしまう。
カンナバーロが川岸から戻ってきた。洗った食器の他に、細長い枝を持っている。
「軍曹、それは?」
「コイツで釣り竿を作っちゃどうかと思いまして。神々の水路には魚もいるみたいですから。明日の朝食に加えたらどうでしょう。釣れればの話ですけどね」
「それは名案だな。まだ似たような枝はあったか?俺も是非作りたい」
ローマ出発の際、釣り竿は持って行く荷物の中に入れようか迷ったものだった。結局持ってこなかったのだが、やはり今後もあると便利だろう。狩り用の弓なども同様だ。
「飛竜も食いますかね?大量にいるなら自分も手伝います、叔父貴」
「どちらでもいい。好きにしろ」
明日の朝は、飛竜の食事は騎士団から貰える。無理に魚を食わせることもないし、釣れなくてもウィリアム達が食い上げになるわけではない。
結局、寝るまでにマルコの分も含めた三本の釣り竿が製作された。
騎士団が近くにいるため、通常の野営のように見張りは必要ない。その三本の釣り竿は糸と餌付きの針を水面に垂らし、全員が眠りについた。
翌朝、カンナバーロの釣り竿にだけ魚がかかっており、悔しがるマルコと自慢げに高笑いするカンナバーロの間でひと悶着あったが、ウィリアムがどちらの頭にも拳骨を落とすことで二人のいがみ合いは沈静化した。
魚は焼いて三人で分け、残った骨を興味深そうに見ていた飛竜に食わせてみる。案外悪くないというリアクションだった。
小さいが、カリカリの骨がスナックのような感覚で楽しめたのかもしれない。
食事としては全く足りないが、おやつとしては使えそうだ。
腹も膨れ、もうひと眠りといきたいところだがそうはいかない。
離陸を今か今かと待ちわびている騎士団の兵士らに見送られ、ウィリアム達は出発した。無論、離陸への恐怖心で嫌だ嫌だと塞ぎ込んでいるカンナバーロの意見は無視だ。
神々の水路上に映る飛竜の影。大陸間の移動は遮蔽物が一切ない為、ウィリアムは飛竜に言って水面のギリギリを飛んでもらっていた。
対岸の大アジア大陸が見えるころには高く上昇するので、ほんの短い間の余興だ。
「この状態で釣り竿を垂らしたら釣れないですかねぇ。ルアーみたいに餌が生きてるように見えるんじゃ……」
マルコが呑気にそんなことを言っている。
「飛竜の速度で動く餌に魚が食いつけるはずないだろう。網があれば大量だったかもな」
「網漁か!さすがは叔父貴です」
「真に受けるな。冗談だ」
次の街で網を準備しましょうとでも言いだしそうなマルコを制止する。
網を引かせながら飛竜を飛ばすとなると、その負担は計り知れないものになってしまう。それに、神々の水路の先に、大河や海を越える予定はないので、ここが最初で最後だ。
小川や湖、池ならいくらでもあるだろうが、漁師でもないのに大量の魚など必要ない。三人が食べる分だけなら釣り竿で十分だろう。
そんな二人の間に挟まれて座っているカンナバーロは顔を青ざめさせている。
低空で飛行しているため、最初の離陸は短かったのだが、対岸に着くころには急上昇するからだ。
最初に身構えていた衝撃に肩透かしをされ、それが後ろ倒しになったのだから緊張感がいつまでも抜けないでいる。ウィリアムは少々悪いことをしてしまったな、と申し訳なく思った。
「軍曹」
「は、はい。網ですか?準備できるかどうか……」
「いや、網は気にするな。大丈夫か?」
予想通りというか、やはりカンナバーロは呆けてしまってうわの空だ。気が気でないのが手に取るようにわかる。
「えぇ、もちろんです。こんなに低い位置であれば落ちても大事ないでしょう?」
「落ちはしないさ。安全ベルトだってある。さて、そろそろ上にのぼるとしよう。緩やかに頼めるか?」
「グァウ!」
「ひっ……」
だが、広大な大河の水面を利用して緩やかに上昇したことが功を奏した。
障害物もなく、対岸までかなりの距離がある状態で上昇を開始したため、いつもの何倍も余裕があったのだ。その分、景色が上へ上へと変わるのは、非常にゆっくりとしたものになる。
「あれ。何だか、気持ち悪くないというか、怖くないというか」
「そうか?いつもは建物や木々のせいで、ここまでゆっくりと上昇は出来ないからな。毎回こうしてやれるわけじゃないから次は我慢しろよ」
「はい!ありがとうございます、バレンティノ卿!いやぁ、ひりついてたのがバカバカしくなっちゃいましたよ!」
あくまでもカンナバーロは上昇時にかかる重力が嫌いなだけで、高いところが苦手なわけではない。
一定の高度さえ稼いで、安定した航行状態となればケロッとしたものだ。
「おい、あんまりはしゃいで落ちるなよ、兵隊さん」
「大丈夫大丈夫!命綱もあるしな!これさえ取らなきゃ落ちないんだろ?」
あまりの変貌に後ろのマルコから注意を受けるも、座席と腰をつなぐ安全ベルトを引っ張りながら余裕の表情だ。
「調子のいいやつだ。一度は怖い目にでも合うと変わるのかもしれんが」
立ち上がっているカンナバーロに対し、ウィリアムがため息混じりにそう言うと、飛竜が何かを察したのか左右に何度かロールした。
さすがに乗員や荷物に配慮して逆さまとまではならなかったが、真横を向くぐらいには傾いた。当然ながら一人だけ立っているカンナバーロは放り出される。
「うあぁぁぁぁ。落ちる!落ちる!」
安全ベルトで宙吊り状態になっているカンナバーロ。
「まるでコメディ映画のワンシーンだな」
「ほーら、言わんこっちゃない。飛竜も空気が読めるみたいだぜ」
それに対し、ウィリアムとマルコの感想は冷ややかだ。
「ちょっと!お二人さん!見てないで助けて下さいよぉ!」
「命綱があるから大丈夫なんだろ?訓練だと思ってロープ登りして戻って来い」
「そんなぁ!ひどいですよ、バレンティノ卿!」
一行は神々の水路を越え、アジア大陸の上空へと入っていった。
……
いくつかの国を跨いで、パキスタン上空。
パキスタンは前回のアジア訪問の際にイタリアの属国となった。軍備など、国力の増強に尽力するよう伝えてはあるが、まだ日が浅い。目に見えて感じる変化など何もないだろう。特に飛んでいる飛竜の背から見下ろしたところで何も分からない。
「パキスタン国内であればイタリア国内と同じようにどこでも降りられるぞ。チャパティでも食っていくか?」
「おっ、いいですね。バナナも一緒に」
「バナナはまだ国内各地で増産されてなどいないはずだぞ。では、適当な街に降りよう」
ウィリアムの問いかけに、この辺りの料理の味を知るカンナバーロが軽く応じた。マルコは貸し出した携帯電話で地上の写真を撮っている。
それから、ものの数分で割と大きな街を見つけ、その近くへと降りていった。いくらなんでも街に直接降下はできないので、念のため飛竜は街のそばの木陰に隠すが、降りる姿はいくらか目撃されたかもしれない。
ただ、そこそこの規模の街であれば首相からの話も届いているはず。イタリアの属国となったことは伝わっていよう。
飛竜については驚かれるだろうが、ウィリアムの名を出せば大きな問題とはされないはずだ。
「たまには俺が留守番でも構わないが」
「いいえ。自分が飛竜のそばにいますんで、お二人は好きなだけ街を見て回ってきてください。土産の食べ物は期待してますがね」
重い飛竜の装備を三人がかりで外し、買い物の支度をしながらウィリアムが提案したが、カンナバーロはそれを断った。今回はマルコがいるおかげで、カンナバーロは昼寝などをするチャンスを逃すまいと思っているに違いない。
「そうか。ではゆっくりしていてくれ。メシの後は夜まで移動だ」
「はい、ありがとうございます。お気をつけて」
別にそれを咎める必要もないので、好きにするようにと伝えた。敵地であれば警戒も必要だが、属国の領土内である。それにカンナバーロは素人ではなく、飛竜も感覚も鋭い。何か危険な目にあう可能性は低いと言える。
むしろ、ウィリアム達がスリや通り魔にでも会わないかといった心配の方が大きいくらいだ。
ただし、イタリア国内でのFBIと名乗る大規模な野盗集団の事もある。パキスタン国内でも過度な油断は禁物だろう。
国全体がイタリアと比べて裕福だとは言えないので、ちょっとした泥棒のような者であれば、むしろこちらの方が多いかもしれない。
街へ到着した。中々の規模の人口に見えるが、住居は東南アジアかアマゾンの僻地にでも来たような木造の家で、高床式の母屋にはしごや階段を使って入るものが多い。
やはり飛竜の下降は目撃されてしまっていたらしく、恐怖心いっぱいの眼差しで住民たちが遠巻きに見ている。
「さて、まずは警戒心を解かないとな」
「そうですね。物を売ってくれそうな雰囲気じゃないみたいです」
街の入り口でそんなやり取りをしていると、ちぐはぐの鎧と盾、剣や槍を手にした、自警団のような若い男衆が十人ほど駆け寄ってきた。
「待て!おぞましい魔族め!この街には一歩も入らせんぞ!」
「そうだ!我らから奪う命や食料があるとは思うなよ!」
魔族だと思うのであれば問答無用で攻撃してきそうなものだが、勇ましい言葉とは裏腹にどこか及び腰だ。実際に魔族と対峙したことが無いか、その力を知っていて勝てっこないと思っているかのどちらかだ。
「聞くが、お前たちは魔族が英語を解することを知っていたのか?」
「なっ!喋った!」
ウィリアムは静かに問うただけだが、自警団の若者たちが半歩退く。
マルコはその後ろで銃を引き抜き、いつでも撃てる体勢だ。
「なるほど。最初の質問の答えは出た。次に、なぜ俺たちが魔族だと思うのだ?飛竜を移動手段として用いているからか?」
「そ、そうだ!」
「では、その飛竜で俺達が街を上空から焼き払わなかったのはなぜだ?手も足も出ないだろうに」
一瞬だけ彼らが回答を考える。
「……そんなことは知らん!生きた人間を食いたいからだろう!」
「なぜ、人間が人間を食うのだ?わが国には食人文化など存在しないが、パキスタンにはそんな原始的な食文化が残っているのか?」
「我が国?人間……?いや、待て!我らを騙そうとしているな!」
ようやく、自分たちの間違いに感づき始めたのかもしれないが、まだ認めてはくれないようだ。
「騙してどうする?申し遅れた、イタリア王国子爵、ウィリアム・バレンティノと言う。街に入れてくれないのであれば町長か市長か、とにかく上の人間に取り次いでくれ」
「ヨーロッパの貴族様!?いや、そんな馬鹿な!」
「魔族なはずだ!」
黙っていたマルコがずいっと前に出る。
「よく聞け、小僧共。さっさと叔父貴の言う通りに街の偉い奴を連れてこい。こっちの機嫌が悪くならない内にな。今目の前にしている御方が、普通であれば自分たちが話せる立場の身分でないことは理解できたはずだぞ」
すったもんだしている間に、今度は少し立派な鉄鎧と軍馬に乗った騎兵が二騎、こちらへ駆けてきた。
基本的には自警団かゴロツキか分からないような若者らが警備をしているが、こういった正規兵も少ないながら配備されているらしい。街の規模からしても妥当な構成だ。
「失礼、もしやイタリア王国の使者の方では」
その二人は馬から降り、半帽子型の鉄兜を取って丁寧に頭を下げた。
開口一番で、ついさっきのウィリアムの自己紹介とぴたりと一致する質問。最初に集まっていた男衆が驚愕する。
「は!?使者?聞いてないぞ!」
「まさか、魔族じゃないのかよ!」
それを無視して騎兵が続ける。
「どうぞこちらへ。何もない街ですが、我らは貴方様を歓迎いたします」
飛竜のことまで伝わっていたかは知らないが、今後もウィリアムや他のイタリア人が各地を訪れる可能性があることはパキスタン首相、そして彼へのイタリアからの書状や伝令で知らされていたとみて間違いない。
騎兵に案内され、必要品は買いそろえることができた。それも、馬に括り付けて運んでくれているので好待遇だ。最初にいた貧相な装備の若い衆も何人かついてきている。
「肉もチャパティもバナナも買えてよかったですね、叔父貴」
「バナナは親切な農夫に貰っただけだがな。あってよかったよ」
まだ盛んに生産されているわけではないが、小さなバナナ農園はいくつか散見出来た。
始めは遠巻きにウィリアム達を見ていただけだった地元民も、今では面白半分で彼らの後ろに連なって練り歩いて行列になっている。買い物と観光を楽しんでいるだけのヨーロッパ人だと分かってもらえたようだ。
「しかしまさか、貴方こそがウィリアム・バレンティノ卿だったとは驚きでした。政治のことは分かりませんが、我が国と貴国を繋ぐ働きをされたとか」
騎兵らもかしこまっている様子はなく、割とフランクに話しかけてくれる。
「確かに、叔父貴のお働きはご立派だった。もっと街中、いや国中がこの御方の事を知っていて欲しいものだぞ」
「やめろマルコ。俺は有名になりたくて仕事をしてるんじゃないぞ」
マルコの頭を小突くと、騎兵や若い衆たちから笑いが起こる。
「一つ聞きたい。この街の近辺で魔族、猛獣、盗賊なんでもいいが、危険な存在が生活を脅かしているという事は無いか?」
あまり難解でも長居は出来ない。解決できそうな悩みだったら手を貸しても良いとウィリアムは思っている。
「魔族は先日どこからともなくやってきて、我々が撃退しました。猛獣や盗賊の類に襲われることはありませんよ」
「唐突に侵入してくる魔族は予測できないからな。しかし、大事になっていないのであれば何よりだ」
「脅かしているものを強いて言えば、流行り病でしょうか。死には至りませんが、熱を出して寝込むものが多数出ています」
もう一人の騎兵が言う。
「残念だが、俺は医者ではないからな。何もしてやれることはない。ただ、こういった熱帯地域では人から人ではなく、蚊やハエなどの害虫から病原菌が感染することも多いと聞く」
「なんと、虫ですか。住民に注意を呼び掛けておきましょう」
「そうしてくれ。最後に、町長か市長か、司令官かは知らないが、お前たちをこうして俺達のところへ寄越してくれた者に挨拶がしたい。案内してくれるか?」
街を去る前に礼くらい言っておきたいところだ。
「もちろんです。では庁舎へ。命令は隊長から受けましたが、指示は市長でしょう」
面会した市長は五十ほどの女だった。途上国ではまだまだ女性の地位は低く、こうして為政者として働いていることは珍しい。
彼女によると、やはりパキスタン首相からのお達しは届いており、その中に「にわかには信じがたいが、バレンティノ卿は飛竜を移動手段として用いることもある」という話もあったのだという。イタリア国王の勅書か、或いは別の使者によってもたらされた情報だ。
そのおかげで、直ぐに訪れたのがウィリアム・バレンティノであると彼女には分かったのであった。
この話から、僻地にある村落などで無ければウィリアムは安心して滞在できることが分かった。
ただし、今日明日にはパキスタンの領土は越えてしまうと思われるので、またどこかの街へ寄るのであれば帰りになる可能性が高い。
あまりカンナバーロと飛竜を待たせるわけにもいかないので、熱い茶だけ一杯貰うと、ウィリアムらは戻る。
大抵のものは街を出るところで離れていったが、騎兵二人だけは荷物を積んだ馬と一緒に飛竜のところまで追従してきた。
「お帰りなさいませ、バレンティノ卿。まさか護衛と荷運びまでお付きとは」
「あぁ、遅くなったな。バナナもあったぞ、早速調理の支度を頼む」
「かしこまりました」
騎兵二人は突然始まったウィリアムとカンナバーロのイタリア語でのやり取りに驚いていたが、それよりもやはり目を引いているのは飛竜だ。一瞬だけ目を開けたが、身体を丸めたままの体勢で穏やかに火の粉が混じった寝息を立てて大人しくしている。
「お前たちもご苦労だったな。マルコ、街まで送って差し上げろ」
「はい、叔父貴」
「いえ、ここまでで大丈夫ですので。我々だけで戻りましょう。お気遣い感謝します。貴方の護衛を仰せつかったことで良い経験が出来ました」
食事の後は半日ほどかけてさらに東進だ。インドを挟み、さらに進めばネパールに入れる。
インドは現世では中国と並ぶ大国だが、こちらの世界では国土が中国と同じく狭い。人口までは把握できていないが、アジアはどの国も小さなものがまばらに散らばっている。
インドもヒンディー語がメインではあるものの、パキスタンやネパールと同じく英語が通じる地域が多い。ただし、ヒンディー語の方が浸透しているという点から除外してあるだけなので、近い将来にはインドとも手を結びたいところだ。
しかし、インドやスリランカは既に首都が魔族の手に落ちたとの話も耳にしている。確かな情報であればおそらくネパールも手遅れだ。そうなれば引き返すほかない。
今回の目的地であるネパールのさらに先にはバングラデシュもある。
もっと先にはミャンマーやタイ、ベトナムなどがあるが、この辺りは首都どころか国全体に魔族が侵攻しきっている可能性が高く、危険な地域だ。
この日はギリギリ、パキスタンとインドの国境を越えない程度のところで再着陸した。
昼夜を気にする必要がないのはこの辺りまでで、明日からは辺りが暗い間にしか離着陸は出来ないものと考えておいた方が良い。特に、インド上空は要注意だ。
「軍曹、どうした?機嫌がいいように見えるが」
「あ、いえ。自分でも驚いているんですが、離陸の気持ち悪さがだんだんと消えてきてるんですよ。慣れってのは怖いもんですね」
簡易テントを張り、就寝の準備をしながらカンナバーロが答えた。
飛竜に緩やかな発進を心掛けるように言っているのもあるが、慣れてきたというのも間違っていないだろう。
「それは嬉しいな。次は操舵でもやってみたらどうだ」
「自分は英語が話せませんので、飛竜に命令できませんよ」
「では明日からは英語の勉強だな」
カンナバーロはあからさまに顔をしかめて嫌そうな顔をしている。彼が勉強嫌いなのは手に取るように分かり切っていたことなので、ウィリアムの発言も単なる冗談だ。
「そ、それは……その、ちょっと、すいません」
「覚えておいても損じゃねぇと思うんだけどなぁ。エイハブだってすぐに覚えたんだぞ?」
「あんたは黙っててくれよ、マルコさん」
「へいへい」
マルコは空返事をしながら服を脱いだ。全裸になると、傷だらけの身体が目に入る。
手ぬぐいと粉石鹸、着替えを持って、そばにある小川で水浴びをするようだ。ロンドンの獄に入っていた時とは比べ物にならないほど身綺麗にするようになったのは、ウィリアムの要望でもあるが、その顔を立てるためでもある。側近の自分が清潔感を失って兄貴分の品位を下げてはならない。
意外だと感じられるかもしれないが、バレンティノ・ファミリーというマフィアの中では、ギャングの連中のようにタトゥーを彫っている者は少ない。
ウィリアムは勿論、マルコもそうだ。派手好きのトニーがちょっとしたものくらいは彫っていた気もするが、それでも黒人のギャングや日本のヤクザの様な全身に及ぼうかという大層なものではない。
別に禁止されているわけでもないが、正直どうでもいい、というのが彼らに一致している見解である。
その代わりと言っては何だが、切り傷や刺し傷、火傷の跡などは無数にある。現世でもこの世界でも、常に諍いとは切っても切れない関係にあるせいだ。
「はぁ。英語なんて、自分にはとてもとても」
「じゃあ、まずは簡単な挨拶からいくか。日中なら『ハロー』だな」
「勘弁してください、バレンティノ卿……」
……
「それっ!右だ!」
「グァウ」
「やっぱり左だ!」
「グルゥオ」
インド上空。無理やり覚えてもらった簡単な単語だけを使い、カンナバーロが飛竜に指示を出している。
ただし、先頭のウィリアムの席を彼に譲ったわけではなく、あくまでも定位置である真ん中の席からあれこれと言っているだけだ。
そして何より、飛竜自身はカンナバーロの言葉に返事をするばかりで、その通りに動いてくれない。彼の拙い英語が通じているかどうかの練習であることを理解し、聞こえてるよ、とだけ返しているという事だ。本当に賢い。
「悪くないな。それくらい話せれば問題なく飛竜には乗れるはずだ」
「ありがとうございます。動いてくれないんで、伝わってるっていう実感は湧かないですけどね」
カンナバーロが兜をずらして不満そうに頭を掻く。
「返事をしてくれてるだろう?もちろん、目的地は東だと決まってるんだから、急な進行方向転換の指示はあり得ないはずだと分かってくれてる。だから返事だけしてるのさ」
「軽くいなされてるみたいで微妙な気分になるんですが……」
「大丈夫だ。お前の英語は俺達にも聞き取れてる。中々に筋が良いぞ」
実はイタリア語よりも英語の方が母音も多く、発音は複雑だ。当然、カンナバーロに喋らせるとイタリア訛りが前面に出てしまうが、それでも割と綺麗な英語を喋っている方だと言える。
ただ、教えたのがウィリアムやマルコなので、いわゆるこの世界の英語であるイギリスの英語とは違い、現世のアメリカ英語に近い。
「叔父貴、見てください。あの街も破壊されてます」
会話に入ってきたマルコが地上の一角を指さした。
インドに入ってからというもの、破壊されてまった街や村落などはいくつも見かけた。
ただ、侵攻は大分前に行われていたようで、しばらく攻撃の手が止んでいるのは間違いない。
未だに煙が上がっているような場所は無く、復興が始まっている街や、手つかずの状態で生き生きと動いている街もあったからだ。
ゲリラ的に人命、食料、物品などを奪っていく侵入行為とは違い、アジア大陸への侵攻は破壊と殺戮を目的とした大規模なものだと聞いている。
街の破壊は行わず、占領するという選択肢は魔族にあるのだろうか。どこからともなくワープできるのであれば、補給路や拠点の確保なども大して必要ないはず。
多くの街が壊されてはいるが、そんな中で通り道になるはずの大きな街が残っていたりしてよくわからない。
気まぐれに襲ったり見逃したりしているのだろうか。
「酷いものだな」
「しかし、すべての街ではないのが気になりますね。インドでは降りて住民に接触はなさらないんですか?」
「俺もそれは気になっていた。補給も必要なことだし、夜になったら降りてみよう。もし生きている街であろうと魔族に占拠されているようであれば、街には入れないから自給自足になる。そこは覚悟してくれ」
マルコとカンナバーロの両名から「はい」と返事があった。
……
日が落ち、飛竜の下降が視認されない状態になってすぐ、街の灯りを頼りにして地面に降り立った。
森は近くになかったので、山岳地帯の岩陰だ。ここから徒歩で少しだけ山を下り、麓の街に入る。
今回も留守は飛竜とカンナバーロに任せ、ウィリアムとマルコが移動を開始した。
堂々と街に入る。守衛の様な者もおらず、門や塀などに囲まれているわけでもない。なんとも無防備な状態だ。ここが今、本当に魔族の侵攻の最前線に立たされている国なのだろうか?
「何の変哲もない街って感じですね」
マルコがそう言った。確かにその通りだ。
住居はモダンなレンガ造りや土壁などで、屋根は瓦の様な平たい石が並べられている。現世の家と言っても差し支えない。
扉はない家が多く、あっても開け放たれている。盗人などの心配はないのか、かなり開放的な地域性だ。
夜になっているので人通りは皆無だ。しかし、家々からは灯りが漏れているので寝静まっているというわけではない。
実際、談笑する声や、弦楽器と歌声などがそれぞれの家の中から聞こえてくる。
人と会わない事には何も始まらない。しかし、外には誰もいないので適当な家を訪ねてみようか。そう思っていたところ、ちょうどフラフラと千鳥足で出歩いている若い男を見つけた。
ターバンを頭に巻き、パイプをふかすその男は、どうやらどこかで飲んだ帰り道のようだ。
「すまない。そこのお前、英語は分かるか?」
「んん?おぉ、これはこれは。珍しい事もあるもんだ」
「外国人は珍しいか。それより言葉が話せてよかった。この街には酒場があるか?」
なければ知人の家かどこかで飲んだのだろう。あればそこへ行きたいところだ。幸運にも、英語が理解できる人間がいると分かったので、他にもいろんな者から話が聞ける。
「あるけど、今夜はもう店じまいで締め出されたところですよ」
「何?随分と早い閉店だな」
「そんなもんですよ、こんな田舎にある街では」
そう言われてしまうと納得せざるを得ないが、その場合はこの男に色々と訊かなければならないことになる。何せ他に頼れる者がいない。
「まだ飲み足りないようなら一杯奢ろうかと思ったんだがな。街の話も少し聞きたい」
「ありがたいですが、どこも閉まってますから結構です。魔族様が飲みたいのであれば、宿に行けば出してもらえるかもしれませんよ。話だったら俺なんかよりも、店をやってる人間の方が詳しいでしょうし」
ウィリアムがピタリと止まる。
今、この者は何と言った。
「待て」
「はい?」
「魔族、とは俺達の事を言っているのか?」
「はい……?何か気に障りましたかね……?」
ほろ酔いで上機嫌だったはずの男の表情が強張る。
「いや、そうじゃない。不満があるわけじゃなく、驚いただけだ。危害を加えるつもりはないから安心してくれ」
「は、はぁ。驚いた、と」
ウィリアムとマルコの事を外国から来た人間ではなく、魔族だと間違えたこと自体も驚きだが、それよりもこの男は『話している相手が魔族である』という事を前提として平然と話していたことになる。魔族だと思っていて、なぜ逃げないのか。
つまり、魔族と対話したことがあるという事だ。それも、ウィリアム達に姿形がよく似た、欧米人のような魔族と。
「訊くが、この街は魔族に管轄されているのか?」
「管轄って程じゃないですよ。抵抗しなかった街や村には割と寛大です。上の人間の判断なので詳しくはないですが、たまに下っ端らしいトカゲの化け物みたいな人達が食べ物や酒を取りに来るので、それを納めれば問題ないみたいです。しかし、あなた方がなぜそんなことを?」
知っているはずですよね、という返答だ。やはりここは見た目に反して魔族の占領下にある。
ウィリアムは少しばかり逡巡する。それと知り合いであるという素振を見せ、警戒心を最小限に抑えるか、正直に言うか。
だが、この男にどう思われようと被害は少なそうだと判断し、聞けることは全て聞き出しておこうと普通に返した。
「いや、俺達はイタリア王国から来た、正真正銘の人間だ。その、魔族と似ていると言われてはどうしようもないが、この辺りの事は全く詳しくない」
「なんだって?魔族様だと勘違いして緊張してたのが馬鹿みたいじゃないか」
男はかしこまった態度を崩し、言葉遣いも砕けたものに変化した。
「すまない。だが、いま言った通りだ。たまたま通りかかっただけで、何も知らなくてな。魔族に従っている街には初めて立ち寄った。滅ぼされている街とはかなり違うな。正に天国と地獄だ」
「天国って程でもないさ。いつ魔族様の気が変わって喰われるか分からん」
「その、俺達と似ているという魔族について教えてもらえないか?」
場所を移し、男の家。例に漏れず、土壁と瓦屋根、扉の無い一軒家だ。
家の中には桃色のサリーを身にまとった若い妻と、泣きじゃくっている乳飲み子がいた。
「ま、魔族様!?アンタ、酔っ払ってどんな粗相をしたんだい!本当に申し訳ありません!」
夫が伴った客人を街の支配者であると見るなり、妻は大声で叱責と謝罪をした。
「うるっせぇ!こいつらは魔族なんかじゃねぇよ!女が男の付き合いに口出しすんじゃねぇ!」
「何て言い草だい!アンタの付き合いがまともだったら私だって何も言いやしないさ!毎晩毎晩ほっつき歩いて……!」
「終わらない夫婦喧嘩を間近で聞かされるくらいなら、外で待っていた方がよさそうか?」
仕方がないのでウィリアムが小言を口にする。
「おっと、すまん。おい、お前はあっちに行ってろっての!」
「ここは私らの家だよ!どこに行ってろってんだい!」
「待て、奥方からも聞ける話があるかもしれない。いてもらって構わないぞ」
ウィリアムの言葉でようやく場が落ち着いていく。
全員で卓を囲み、まずは夫婦が座る。妻の腕の中にはまだぐずっている乳飲み子がいる。ウィリアムは彼らの対面。マルコだけは着席せず扉の近くに立った。
「聞きたいのは魔族の話だったよな」
「え?魔族様が魔族様の話をどうして」
「だからこいつらは魔族じゃねぇって言っただろうが」
また口論が始まりそうなので、先にウィリアムが返答する。
「そうだ。我々はイタリア王国から来た。魔族に襲われたアジアの国々の惨状を祖国に伝えるために旅をしている」
目的は嘘になってしまったが、この方が一般人には理解されやすいだろう。
「イタリア王国?聞いたことが無い国だ。大ヨーロッパ大陸ってのは分かるが」
ヨーロッパにはたったの四か国しかないのだが、その国名さえもここでは浸透していないらしい。インドには賢い数学者や魔術師も多いと聞いているので、この男が無学なだけかもしれないが。
「その通りだ。しかし今は我が祖国の事より、俺達と間違われるような格好をした魔族の話だ。もしかしたら、こちらになりすまして悪名を売っているのかもしれない」
「うん、間違うのも無理はないっていうくらい似た格好をしてたよ。似てるどころじゃない。同じと言ってもいいな」
魔族はスーツを着用しているというのは間違いなさそうだ。ウィリアムも何度も見た化け物の様な魔族の上に、欧州人に似た上位種がいるという事だろう。
「ヨーロッパではこのスーツという服は一般的でな。とくにイギリス人は着ていることが多い」
「そ、そうなのか!では、あの魔族みたいな連中も実は人間だったと!?」
「そうは言ってない。化け物を従えていたというのならそれは少なくとも欧州人とは別なんだろうさ。人間か魔族かは知らんがな」
卓を叩いて立ち上がった男をウィリアムの言葉が冷静に押し返す。
背格好は似ているようだが、まだ何とも言えない。人間に擬態した魔族、或いは人間によく似ている魔族が、都市への侵入時に奪ったスーツを着ているだけかもしれない。
「他に何か、特徴は無いか?俺達をそれと間違えた決定的な理由は?」
「決定的ねぇ。話し方とかか?訛りもアンタら二人と一緒に聞こえたよ。それがイギリスの英語なのか?他の地域の言葉なんて知らないから、一緒に聞こえちまったのかもしれんがな」
「私は魔族様にはそこまで恨みなんか持っちゃいないよ。確かに食料なんかは街単位で要求されてるみたいだけど、元々の税に比べれば緩いって言うじゃないか。個々人では話し相手になってくれたり、小遣いをくれたり、良い人も多かった。滅ぼされた街は話も聞かずに戦いを挑んで、自業自得だと思うね」
妻の方は割と魔族の占領に肯定的な意見だった。意外にも人間味のある連中らしい。
「それは、トカゲの化け物みたいな連中か?それとも俺達に姿が似た連中か?」
「どっちもですよ。しかし最近はあまり来なくなったって聞くねぇ。後々になって数か月分を一気に納めろ、だなんて言われなきゃいいんだけど」
どちらもというのは驚きだ。あの見た目の恐ろしい魔族が、人間にかける情けを持っていたとは。
「話してみたら気の良い奴らだったって事か。街に襲い掛かってくる様子からは想像もできんな」
「それは人間だって同じこと。いい人も悪い人もいるからねぇ」
「確かにな。それは勉強になった。我々も魔族と出会ったとき、殴り合う前に一言くらいは言葉を投げてみよう」
話を聞いてくれる可能性は限りなく薄いが、アジア大陸の様にスーツの着用が流行っておらず目立つ場所であれば、声をかけることで魔族の仲間と勘違いさせられるかもしれない。
「あ、そうだ」
ここで、男が何かを思い出したらしい。
「アンタらに似てる奴らは妙な杖を持ってた。なんかこう……棒状なんだが、持ち手が同じ側に二つある……とにかく変な形だ。特徴と言えば特徴だろ」
「まさか、これか?」
ウィリアムが拳銃を取り出す。
「おっ?何だいそれは?似てはいるが全然違うよ」
「我が国でも新たに採用され始めている武器だ。似ているが違う、というのは?」
「もっと大きいし、今言ったように持ち手が二つあるんだよ。それに、そんな直角に曲がった棒じゃなく、まっすぐで大きい」
まっすぐという事はライフル型のものなのだろうが、通常の単発式や二連式ではない。同じ側に持ち手が二つとなると、グリップの部分とマガジンの部分を言っている可能性が高い。もちろんマガジン部分を持ったりはしないが、形状的にマシンガンか、アサルトライフルだ。
「マルコ、携帯の古い写真にアサルトライフルが写っているものが無いか探してくれ」
「かしこまりました」
今、ウィリアムの携帯電話はマルコに持たせてある。多くはないが、現世で撮った写真も何枚かは残っている。その中に誰かがライフルを構える姿は無かっただろうか。
「あっ。叔父貴、どうぞこちらを。懐かしい一枚ですね」
数秒と経たないうちに、マルコが一枚の写真を携帯電話の画面に表示してウィリアムに手渡す。
そこには、重厚な鉄格子の奥にズラリと並んだ銃器の写真。床にはアサルトライフルが立てかけられ、壁には拳銃や防弾チョッキが飾られている。
これはスタテンの屋敷にある武器庫だ。その施工と武器の仕入れをトニーから依頼されたので、完成時に記念として撮ったものだろう。
現在ではこの頃と多少の様変わりをし、対戦車ミサイルや散弾銃なども置いてある。どう考えてもそんな火力は不要だが。
「ちょうどいいな。おい、ちょっとこれを見てくれ。その妙な杖とはこれのことじゃないか?」
「ん?こんな小さな絵を誰が?それも見事な出来栄えじゃないか!」
当然と言えば当然だが、初めて見る写真。それも携帯電話の画面上に表示された小さく精巧な絵画にしか見えないそれに夫婦の視線は釘付けだ。
「おい、感想が欲しいのはそこじゃない。この写っているアサルトライフルとお前が言っているものは同じか?」
「あぁ、すまんすまん。そうさ、これだとも!やはり、アンタらは魔族の流れを汲んで……?」
「いいや、それは違う。俺達は人間だ。そしておそらく、お前たちが魔族だと言っている、その俺達に似た連中も人間だ。従えている化け物は別としてな」
アサルトライフルを持つ、スーツを着た集団。これは心当たりしかない。
以前、イギリスの奥地でエルフのクラウディアと名乗る女に連れられ、アメリカを訪れた時にまた別のエルフから「バレンティノ・ファミリー」という言葉が出たのも納得だ。
疑念は確信へ。ファミリーの誰かが、アメリカの魔族側に付いている。
もし彼らと合流できれば、魔族と人間との全面戦争を避け、大魔王の子息を攫ってまで勝利する必要はないのではなかろうか。それとも高確率でファミリーの人間が関わっているであろう魔族は、大魔王の陣営とはまた別なのだろうか。
一気に流れ込んできた情報に、流石のウィリアムの頭も困惑している。
「人間?自分たちとは違う、魔族だって話じゃなかったのかよ」
「話せば長くなるが、アサルトライフルを持っているのであれば、同郷の人間である可能性が高くなった。ただし、少しばかりここへ来た時の境遇が違ってな。あちらとこちらで割れてしまったんだと思う」
「何の話かさっぱりだぜ……」
彼に全てを話してやってもいいが、要点だけをまとめる。
「同じであって少し違う。彼らが人間であれ何であれ、お前たちに重要なのは、あくまでもあっちの支配を妨害しない事だ。魔族と共にいるのであれば、敵にも味方にもなり得る。大人しくしていれば悪いようにはされないはずだからな。この問題の根本的な解決は俺達にしか出来ない」
「解決も何も、私らは平和に暮らせればそれでいいんです。貴方達が何なのかは知りませんが、この街を争いに巻き込むような真似だけはおやめくださいね」
妻の方から意見があがった。何気ない一言のように思えるが、これはウィリアムが目指す人間の勝利を根底から覆して否定する厳しいものだ。
世界中が魔族に支配されてしまおうと、安心して暮らしていけるのであればそれでいいと言っているのだから。
この街のようにいくらかの物資を献上することで問題なく生かされている場所ばかりであれば、確かに首を突っ込む必要はない。
ウィリアムとしては現世に帰れればこの世界がどうなろうと構わないが、人間が勝つ場合と魔族が勝つ場合、そのいずれがこの希望を叶えるのに近しいのだろうか。
「もちろんそんな真似はしないさ。しかし、我々は魔族がやってきた残虐非道を許せはしない。ただ、今までの話を聞くに、一部は温和な魔族もいるようだがな」
いくら敵対する立場にいようと、ファミリーの人間が管轄する魔族と揉めようとは思わない。むしろ早く対面して協力体制を敷くべきだ。
……
それから、いくらか話をした後、本来の目的である補給について夫婦に相談した。
既に閉まっているはずの商店を空けてもらうのは厳しいだろうという事になり、いくらかの銅貨で人間の食料となるナンやカリーを分けてもらった。
さすがはインドの家庭といったところだ。
しかし、肝心の飛竜用の食糧が無い。鶏や豚などの家畜を分けてくれる者はいないかと訊くと、そちらももう今夜は店仕舞いしているはずだと言われた。
ちなみに、牛は宗教的に神聖視されているせいで食べるのはご法度らしい。
仕方なく貰った食料だけを携えてカンナバーロと飛竜の元へ戻る。
「すまん、軍曹、飛竜の分は準備できなかった」
「お帰りなさい。そうでしたか。そこらの道端で寝てる野生の牛がたくさんいるんで、貰っても良いんじゃないですかね?」
飛竜を隠すために選んだ山間部だが、確かに保護でもされているのか痩せた野生の牛たちが何頭か寝そべっている。
街からここへ戻るまでの間にもいくらかその姿は確認できた。
「そうだな……おい、鶏が手に入らなかったんだが、牛はどうだ?必要ならば一頭だけ仕留めるが」
「グァウ?グルルルル……グゥオ」
直訳するなら「牛だと?うーん、まぁ仕方ない」と言ったところだろうか。
「軍曹。不満だが、牛で我慢するそうだ」
「了解です。んじゃ、ちょっと待ってな、かわい子ちゃん」
飛竜の鼻先をちょんちょんと指で叩き、カンナバーロが槍を担いで牛の方へと向かう。
多少の恐怖心が残る離陸時はともかく、永らく同じ時を過ごす間に彼らも本当に仲良くなったものだ。
ウィリアムやマルコ、それに飛竜が月夜の下で見守る中、カンナバーロは寝ている牛の近くへと忍び寄った。
寝ている牛は三、四頭おり、その中でも小ぶりな若い牛を狙う。
牛の方も気配を察知したが、付近の人間から襲われることなどないせいか首をもたげただけで逃げる気配は微塵もない。
「暴れられたら手を貸そうかとも思ったが、杞憂だったな」
「槍の一突きで牛って殺せるんですかね?今は大人しいですが、刺した後で暴れるんじゃないですか」
「いや、アイツの腕は信頼できる。刃が当たる距離ならしくじったりはしないはずだ」
カンナバーロは槍先をそっと牛の顔に向けた。あくまでもゆっくり、刺激しないようにだ。
そして、スッとほとんど音も出ない疾風突きで眉間に一撃をめり込ませる。牛は鳴き声の一つも上げることなく、もたげていた首を脱力させた。瞬殺だ。
周りの牛たちも仲間の命が奪われたことに気付いてすらいない。
そして、カンナバーロはずるずるとその牛を引きずって、飛竜の巨躯の陰になる位置まで移動させた。
何が起こったのか理解してはいないだろうが、仲間が食べられている光景を見せないよう、他の牛へのせめてもの配慮だろう。小さい個体を狙ったのは、おそらく一人でも引きずれるからか。
「見事だな、軍曹」
「やるな、軍曹。アサシンかと思ったぜ」
「グァウ」
「あれ、みんな揃って見てたんですか。どうぞ、お先にカリーでも食っててくれて良かったのに」
二人と一頭からの賛辞に、カンナバーロが照れ臭そうに鼻頭を掻いた。
「出来る限り食事は全員揃って、と思ってな。それはお前や飛竜も含めてだ。イギリス遠征時のイタリア王国使者団の頃からの習わしだろう?」
「はぁ。今となっては懐かしいですね」
照れ臭さが引かないまま、カンナバーロはドカリと胡坐をかいた。
既に準備されていたテントの前、焚火を囲む形で暖を取る。
「じゃあ、いただくとしよう」
ウィリアムの合図で三人はナンにつけたカリーを。飛竜は新鮮な牛を食べ始める。飛竜の方もキチンと合図を待ってくれていたところが愛くるしい。
「からっ!これが本場のカリーってやつか!初めて食いました」
意外にも、マルコがそう言って口から火を吐きそうになっている。
カンナバーロも初体験のはずだが、大丈夫そうだ。
「確かにこれはちょっと辛すぎるな。軍曹は平気か?」
「えぇ。実は何年か前に食ったことがあるんですよ。ローマ市内に出稼ぎに来てたインド人が、香辛料の実演販売みたいなことを市場でやってまして。その時のカリーは飛び切り辛くて目玉が飛び出たんですが、コイツはそれより少し甘いです」
「これで甘いって!?おいおい、舌がいかれてるぜ」
初体験だと思われたカンナバーロのカリー実食は即座に否定され、その上に味覚障害を疑うような発言まで飛び出した。マルコの驚きようも当然のことだ。
「めちゃくちゃ甘いとは言ってねぇって、マルコさんよ。前の奴よりは少し甘いだけ。これだって辛いことには辛いぞ」
「涼しい顔してるじゃねぇか」
「食えるものをこうして頂けてるんだからな。辛いが、ちゃんと人間が人間の為に用意した美味い料理だ。森で蛇や蛙を食うしかない状態よりよっぽど恵まれてる。文句があるなら貰おうか?」
いつもは逆に文句を垂れるばかりのカンナバーロだが、意外にもカリーはお気に入りである。以前のチャパティやバナナも気に入っていたようなので、アジアの食べ物が口に合うのかもしれない。
「俺だって、辛いとは言ったが不味いとは言ってねえっての。あー、からっ!」
「二人とも、つまらん言い合いはそれくらいにしておけ。お前はどうだ、牛はやっぱり不味いか?」
ちまちまと言い争うマルコとカンナバーロの気を逸らすため、飛竜にも感想を訊いてみた。
バリバリと骨を砕きながら食べているが、いつものほとんど丸呑みに近い鶏に比べると、噛みちぎられた牛の身体から血や臓物が漏れていてグロテスクだ。
「グァウ。グァウ」
「まぁまぁ美味いって感じか?今日は好物の鶏を準備できなくてすまないな。明日、出発前にもう一頭捕らえるから、腹ごしらえに食っておいてくれ。また牛になってしまって悪いが」
「グァウ」
「軍曹」
「はっ。朝一で持ってきますね。あそこでまだ寝てるので、問題ないでしょう」
……
翌朝、まだその場にいた危機感のない牛を予定通りに狩り、朝食を済ませて再出発だ。
山間部で街からも十分に距離が離れているのを確認できていたため、今朝は珍しく日が出てから移動を開始した。
慣れたとはいえ、完全に恐怖心が消失したわけではないカンナバーロが少しばかり怯える。十分な高度で巡航状態に入ると、のんびりとした旅は再開された。
だが、ウィリアムの心中は穏やかではない。バレンティノ・ファミリーが魔族側に与しているのが判明したのだ。
自身がローマに、マルコがロンドンに飛ばされていたように、誰かがニューヨークのあのおどろおどろしい魔王城の近くに飛ばされたのだと思われる。
そこでなぜ、魔族と敵対ではなく仲間となったのかは不明だが。
「……マルコ」
「はい、叔父貴。どうしました?」
間にカンナバーロを挟んだ状態で、二人は話す。ちなみに、カンナバーロには寝ていいと伝えているので仮眠中だが、熟睡しているわけではないので会話は聞こえているはずだ。
ただ、会話自体は彼に理解できない英語なので、それで気が散るというほどではないだろう。
「FBIの名前を持つ野盗集団の方も気にはなっていたが、魔族を従えてる人間の方も気になる」
「はい、当然の事だと思いますよ。FBIは詳細が分かりませんが、魔族のボスの方はファミリーの人間でしょう。アサルトライフルが決め手になるとは思いませんでしたね」
「誰があっちに飛ばされたのか。トニーだと厄介だ」
「親父とのドンパチは避けたいです。あの場にいた組員全員がこの世界に来てるんでしょうか……」
トニーが魔族の側にいる、というのが最悪のケースだ。
ウィリアムとしては魔族の侵入やアジア侵攻は看過できない。トニー個人が即座にウィリアムと敵対するわけではないが、大魔王を倒して人間側に勝利を納めようという目標は一気に遠のいてしまう。身内で争うというのは何よりも辛いものだ。
魔族とよろしくやっているのがトニー以外のファミリーであれば大きな問題にはならない。話をする機会さえあれば、組織内でアンダーボスや相談役的な立ち位置にいるウィリアムの意志に従ってくれるだろう。もちろんその機会が訪れる事自体が難しいのもある。
そして、それが出来たとしても、唯一ウィリアムの意見が通用しないのが実兄であり組織のファーザーを務めるトニーである。
彼の決定は絶対だ。諫言くらいはウィリアムにも許されるが、決定事項は覆らない。つまり、ウィリアムやマルコもあちらに引き込まれる。それでお終いだ。
そうでなければ従わずに敵対し、縁を切るという決断ができるか。そうすべきなのか。ウィリアムには分からない。
マルコの懸念も気にはなる。この世界に飛ばされたあの日、あの場所には数十人からなるファミリーの構成員がいた。その全員が来ているのであれば、世界各地に縁者がいるかもしれない。人間側にも、魔族側にもだ。
それを全て探して回るというのは現実的ではないが、出来る限り味方には付けたいところだ。
野盗であるFBIの調査も気になる上、アジアへの使者役、戦争の準備、さらには渡米の準備で手いっぱいだというのに、これ以上の仕事は増やしたくないのだが。
「トニーが魔族に加担していた場合……やはり難しいか」
「どうされるおつもりですか?」
「俺にも分からん。もしそうだったら、彼にも考えがあっての事だろう。この世界に定住する気にでもなっていて、より力がある魔族側についたのであれば絶望的だ。俺達と同じように元の世界に帰ろうとしているのであれば、まだ救いはあるがな」
現時点では何とも言えない。結局は今行っている仕事をこなす他ないので、こうやって話し合っていること自体がほぼほぼ無意味だ。それを分かった上で、身内や仲間の事となればどうしても気になってしまうだけである。
「馬鹿げてると思うかもしれんが、次に会った魔族に話しかけてみるしかないようだな」
情報をくれた夫婦の前でも同じことを言ったが、魔族が話を聞いてくれれば万々歳、そうでなければいつものように殺し合うだけだ。
普段であれば出来る限り遭遇したくない魔族ではあるが、新たな情報を手に入れたことで、おっかなびっくりながらその邂逅を少しくらいは楽しみにできそうだ。
会話そのものが英語によって可能なことは、多くの魔族、そしてロンドンで交戦した漆黒の騎士、ハインツで実証済みだ。
……
インド北東部。ネパールとの国境付近。この辺りは今朝方飛び立った場所と似ていて、山岳地帯が多く厳しい環境だ。ネパールは現世においてもヒマラヤ山脈に近く、標高がある。
ただし山の上ではあるものの、土地そのものは痩せておらず、亜熱帯気候に増する地域も多い為、その高さからは想像もつかないくらいに暖かいという場所だった。
目指すは首都のカトマンズ。王政国家なのでそこに国王がいるはずだ。もちろん、魔族に討ち取られていなければの話だが。
地図上ではインドよりも東に位置する国なので、魔族が東から侵攻してきているのであれば、先に攻撃を受けている。だが、その進軍ルートはアジアの東海岸から一直線に真西に向かっているわけではあるまい。
主要な道を進みながら西進しているのだとしたら、山脈に登る必要があるネパールにはその手が伸びていないことも十分考えられる。
実際、上空から見たネパールの都市や村落は何のダメージも受けていないように見えた。ここよりやや西にあるインドと比べるとかなり平穏が保たれているように見える。
ネパール国内でも他と変わらず、離着陸が見えないように暗い時間を狙いたいのだが、標高が高い為、どうしても日中に飛んでいる間も近距離で目撃されやすい。さらに高度を上げるのは酸素量や気温低下の不安もある。
反対にこちらからも街の様子が見えやすいという利点はあるが、あまり住民を驚かせるのも良くない。
そこで移動は完全に夜の間だけとし、夜が明ける前に着陸、日が昇る前に離陸、日中は必ず地上で過ごすという、今までとは逆の時間配分とした。
飛竜も含めた全員が夜間勤務となってしまうが、数日の辛抱だと言い聞かせて了承してもらった。
既にパキスタンへの遠征と比べてもかなりの距離を移動してきている。普通であれば疲労がたまるはずだが、さらに長期間となったイギリス遠征の経験もある三人は今のところ平気だ。
飛竜の方も、重装備、乗員の増加による疲労はほとんど見られない。やせ我慢をしているわけでもなさそうなので安心だ。
ネパールは平和が保たれているおかげか、立ち寄ったいくつかの街の人間たちは人当たりがよかった。外国人を珍しがる風潮はあったが、どこへ行ってもあれよあれよという間に囲まれてしまい、質問責めとなる。
どこから来た、どこへ行く、その服はなんだ、嫁はいるのか、メシを食っていけ、酒はどうだ、とその話題は様々だ。
インドと同じでヒンドゥーの教えに従うものが多いが、インドよりも僻地にあるせいか、食事に関してはほとんどが野菜で、肉食についてはインド以上に厳しいようだ。飛竜の餌の確保に苦労しそうである。
住民から得た情報で、魔族に関するものはほとんどなかった。度々の侵入で死傷者や強盗などは発生することもあるようだが、やはり本格的な侵攻は受けていないという事らしい。
「首都のカトマンズについて教えて欲しい」
「あー、カトマンズですか。行ったことはありませんが、大層にぎやかな街だと聞いてます」
「俺は行ったことがありますよ。人も建物も多くて、何でも売ってます」
とある集落の若者たちに尋ねると、そんな言葉が返ってきた。
カトマンズは現世のネパールでは唯一の百万都市だ。こちらのネパールでそこまでの人口を抱えているとは考えづらいが、大都市であり、首都であることには変わりないと思われる。
「王はどんなお人だ」
「聡明な御方です。この平和は王様のおかげ」
「ご立派な御人ですよ。ご予定さえ合えば、一般の方でも直接の謁見が許されています」
ここまで褒められる王族というのも珍しい。たとえイタリア国王でさえ、貧民や若者に聞けば、こうしてほしいという要望や小さな不満が先に上がってくることも少なくない。
ネパール国王の治政が驚くほど良いのか、あまり不満を感じない国民性なのか。どちらかといえば後者の気がする。人々は穏やかで、よそ者であろうと手放しで歓迎してくれるほど他者には優しく、自分を律しているような国民性がある。
「そうか。それは良いことを聞いた。是非ともお会いしたいと思っているものでな」
「それは素晴らしい。きっと、この国のことが好きになりますよ」
これは大きく出たな、と鼻頭を掻きながら苦笑するウィリアム。だが、彼らのまっすぐな目には、嘘偽りを含む曇りなど一点もなかった。
……
降り立ったカトマンズの地は、噂通りの大繁栄だった。山頂にある都市を想像していたが、四方八方の周りを山々に囲まれた盆地の様な地形にすっぽりと大都市が埋め込まれている印象だ。とはいえ、その立地の標高自体は高いので、天空都市と呼ばれている。
家屋は木造と石造りが半々で、高い建物はほとんどない。例によって中央には王宮が鎮座しているが、ハヌマン・ドカと呼ばれるそれも派手なものではなく、一般の家屋が少々大きくなったものが敷地内に密集して建っているだけ、といった印象だ。
イタリアに当てはめて言えば、伯爵邸といったところか。やはり、あまり贅を尽くすようなお国柄ではないのだと分かる。
ウィリアムはスーツの上にイタリア王国の紋章が刺繍された黒い外套を羽織り、帯剣する。そして護衛はマルコではなく、渋るカンナバーロ軍曹を同行させた。
理由は、彼の得物や恰好の方が護衛兵として見栄えが良いからである。マルコと二人の場合は旅行者に見られがちだが、カンナバーロを引き連れていると、どこぞのお偉いさんだと勝手に認識してもらえる。
王宮はその敷地全てを木の柵でぐるりと囲まれており、東西南北それぞれに門兵が配置されていた。王が住む場所に壁や塀ではなく柵だけとは、手薄にもほどがある。
しかし、そのくらいでも十分に安全な土地なのだろう。
「むっ?陛下に謁見のご予定か?」
「あぁ、そのつもりだ。飛び込みだが、可能だろうか?」
正門と思わしき西門にいた門兵の前で立ち止まって見ると、朗らかな笑顔でそう尋ねられた。
門兵はボタンシャツにチノパンの様なズボン、ニット生地のネパール帽といった私服にしか見えないほどの軽装で、その手に持っているのは槍や剣ではなく、長い棒だ。
「もちろんだとも。異国からか?遠路はるばる、よくぞお越しくださった。陛下ともども、貴殿らの来訪を歓迎しよう」
誰か、王宮内にいる者に引き継ぎが行われるかと思ったが、門兵はそのままウィリアムとカンナバーロを引き連れて敷地の中へと入って行った。
門兵が不在の間、西門はどうするんだという心配が浮かんだが、こういった国民性であれば、来訪者は門兵が戻るのを待つか、見張りがいる別の門へと回るのだろう。
「この建物が迎賓の間だ。催し物がある際には使用される。あちらの小さな建物が陛下と御后様の御寝所だ。その隣にある長屋が御妃様方のお部屋だ」
門兵は王のもとへ向かう間、王宮内にある様々な建物を丁寧に説明してくれた。中々手慣れているので、来訪者がやってくるたびに同じことをしているのかもしれない。
ちなみに、后と妃はどちらも「きさき」だが、前者は正室で後者は側室だ。つまりネパール国王は何人もの妻を娶っている事になる。
「側室はどのくらいおられる?」
「うん?八人だったが、つい先月に第四夫人が病で薨去なされた。なので七人だな。無論、御后様は別だ」
たとえば現世でも中東の王族や大富豪ともなれば十人、二十人と妻を抱えていることもある。それに比べれば少ないので、想定内と言ってもいいかもしれない。事実、ウィリアムは側室を公然と娶っている割には意外に少ないのだなとさえ感じた。
「お子は?」
「えぇと……王子が六に王女が八、合計十四だな」
「なるほどな。よく覚えているじゃないか。感心したぞ」
人数に少し詰まりかけたが、なんとか回答した門兵にウィリアムが賞賛の言葉を贈る。
「王に仕える臣下としては当然の事だとも。さ、着いたぞ、玉座の間だ。政務はここで行われていて、謁見にも陛下はこの場を利用される」
王宮の中でも最も大きな建物だ。ただし、大きいのは面積だけで、高さは二階建てほどしかない。緩やかな斜面の瓦屋根が中国や朝鮮の寺院を思い起こさせる。
「これは……」
その扉を門兵が開き、中を覗いたウィリアムは驚愕した。確かに最奥部のひな壇上の玉座には王冠を被った国王らしき壮年の人物と、その隣に控える宰相か大臣のような老人が見える。
しかしその手前には、今入って来たばかりのウィリアム達のところまでも続く、民衆や旅人たちが作る長蛇の列があったのだ。入り口から玉座までの距離は100ヤード(おおよそ91メートル)ほどで、並んでいる人数は、百人は下らないだろう。
「驚いたであろう、お客人。これが我が君の人徳のなせる業よ。むしろ今日は少ないくらいだ。ここにすべて収まっているくらいだからな。はっはっはっ!」
豪快に笑う門兵。普通であればこの場で大声を出すなど無礼だろうが、並んでいる民衆たちはガヤガヤとお喋りに興じているので、門兵の声などほとんどかき消された。
「普段は行列が外にまで溢れているのか。しかし今から並んだとして、拝謁させてもらえるのはいつくらいになるんだ?」
「うん?そうさなぁ。このくらいの数であれば、明朝には謁見できるはずだぞ。陛下は日暮れと共に奥へ下がられるが、貴殿らの様な謁見希望者にはここでの寝泊まりが許可されているからな」
何という事だ。最短を狙うのであれば、この場に並んだままで一晩を過ごせという話らしい。
多くの人間の前なのであまり気は進まないが、裏技的な手法が通じないかを試してみる事にする。
「大きな声では言えないが、我らはイタリア王国の使者だ。内々の用件なので、密使と言っても良いかもしれない。ここに、我が君からの勅書を預かってきている」
「何っ?よく見れば確かに紋付の服をお召しだ。その剣もかなりの業物と見える。とすると、貴殿らは一般の旅行者ではなかったか。これはご無礼を。国家間の話となれば別である」
それが通じないわけもなく、門兵が頭を下げる。
「本日の謁見が終わると同時に、迎賓の間にて貴殿らを陛下にお迎えいただけないか、すぐに大臣殿と話して来よう。最悪でも明日の空いている時間を頂戴できるはずだ。しばらく外でお待ちいただけるか?」
「いや、是非とも陛下と国民のやり取りを拝聴したい。しばらくこちらの隅で待たせてもらってもいいか?」
「無論だ。ではあちらでお待ちを。御免」
宣言通りに門兵が国王の横に立つ大臣に耳打ちをしに行った。ただし、即座に話しかけるのではなく、今、国王と話している若者とのやり取りが終わるのを待つようだ。
「それで、ウチの作物を数日おきに盗んでいく不届き者がいるのです!是非とも、村の警備を強化していただきたく……」
若者が国王と話している内容は、明らかに王に相談するようなものではない。どこぞの田舎の村から出てきたようだが、近くの憲兵にでも伝えるべきものだ。しかし、王は深々と頷きながらその話を聞いていた。
「あいわかった。大規模な人員は割けぬが、すぐに周囲へ数人単位の兵を警戒の為に出すよう命じておく。ついでに周辺の村々にも当たらせたいので毎日同じ場所の様子を監視するとはいかぬが、それでしばらく様子を見ようではないか」
「へ……陛下!ありがとうございます!」
「うむ。この度は、誠に気の毒であった。はるばるこの地を訪れて知らせてくれて感謝するぞ。若くしてその行動力と勇気、決して忘れはせぬ」
若者は涙を流し、頭を床にこすりつけながら感謝の意を述べた。
なるほど、確かに一国の王からあんな言葉をかけられれば、あのようにもなるだろう。国民が国王に心酔しているのも頷ける。
ウィリアムもイタリア国王には同じような気持ちであり、その忠義も仮初のものではない。もちろん、第一の目標は帰郷ではあるが、受けた恩には戦争の勝利という形をもって全力で報いるつもりだ。
門兵がウィリアムの元に戻ってきた。大臣からの返答は肯定だったと聞いたが、もう少し国王と国民のやり取りを聞きたいとウィリアムは願い出る。
「迎賓の間まで陛下が移動されるまでの間、ここで話を傍聴させていただきたいのだが」
「構わんが、まだ数時間はあるぞ。先に移動し、座って待たれておいた方がよいのではないか?」
「あぁ、疲れたらそうさせてもらうよ」
「では、私は正門の警護に戻っておく。移動の時は一度、そちらまでご足労願いたい。ご案内しよう」
一礼し、門兵が下がる。
カンナバーロはそのやり取りが聞き取れていないので、どうするのか分かっていないが、さすがは公の場だと理解しているだけあって、口を真一文字に結んだまま文句も言わずに仏頂面で槍を立ててウィリアムの傍に控えている。
「軍曹」
「はっ」
「国王陛下は一般の訪問客らの対応後、来賓室で我らへご対応いただけることになった。数時間はここで待つつもりだが……」
「問題ありません。野営してる時に比べれば気楽なものです」
四方八方に警戒が必要な場所ではない、と言っているのだ。立ったままであろうと、壁を背にして玉座の間を一望している状態なので気が楽なのだろう。
「ただ……大して聞き取れない言葉での問答を聞き続けることになるので居眠りしてしまわないよう、別の注意が必要ですね。槍もこの通り、手元にあるままなので、緊張感が抜けちまいそうです」
ここに入る時は武器も取り上げられなかった。正門でもそうだったが、ザルな警戒だ。こちらまでそれにつられてしまうのも良く分かる。
「だったら英語を学ぶ良い機会じゃないか。失敗しても良いから、聞き取れた部分を訳して俺に聞かせてみろ。訂正してやる。それなら居眠りも出来まい」
「まぁ……可能な限りはやってみます」
「少しずつで大丈夫だ。俺も内容が気になるから、お前の翻訳だけに耳を傾けていられるわけじゃないからな」
カンナバーロが多少の集中力を取り戻したところで、ウィリアムも次に国王と話している老婆へと目を向けた。
その横には息子だろうか。年老いた母親に寄り添う、痩せた壮年の男もいた。
「陛下、お会いできて光栄です。母が天国に行くまでに一目、貴方様にお会いしたいと言ったので、こうして連れて参りました」
「ありがたやありがたや……」
擦り切れたボロをまとった老婆で、しわがれた声で話している。これはカンナバーロにとっても英語を聞き取る最初の練習としては難儀しそうだ。
「うむ、よくぞ参られたな、ご老人。それにその息子よ。カトマンズは初めてか?」
「は、はい。ポカラより参りました」
「おぉ、そうであったか。その歳の母を連れて上京とは、大変な旅であったな」
ポカラは首都カトマンズに次ぐ人口を擁する、ネパール第二の大都市だ。規模としてはカトマンズの半分ほどだが、それでも山間部が多いネパールの中では特に賑わっている場所の一つである。
現世よりも国土は大分小さいので距離としては短いはずだが、それでも一日、二日は歩いてきた事だろう。息子は老婆を背負ってきた可能性すらある。
ウィリアムとしてはこういった話ではなく、先ほどの若者が国王に相談していたような内容の話の方が聞きたいのだが、そこまでは選べない。
横を見ると、カンナバーロがぶつぶつと翻訳をしていた。
「母親が……大変だった?」
「惜しいな。母親がいて大変な旅だった、が正解だ。だが、良い調子だぞ」
「外国語を話すってのは大変ですねぇ。卿やエイハブがすごいんだと改めて思い知らされますよ」
言語習得は他の勉学とは違い、教科書を片手にしての座学よりも、実際にその言葉を話す人間と触れ合う時間の方が大事だとウィリアムは考えている。
今回の旅の間、あえて英語ばかりを軍曹に対して使うのも悪くない。本人は嫌がるだろうが。
「ん、次は寺の坊主か。これはかなり興味がある」
親子が涙ながらにその場を後にし、オレンジ色の袈裟を着た僧侶らしき禿げ頭の男たちが三人、玉座の前に両ひざをついた。聖職者が国王に謁見となれば、面白い話が聞けるに違いない。
「陛下、お目にかかれて光栄でございます」
ナマステという挨拶のように両手のひらを合わせているが、見た目からして仏教徒だ。ヒンドゥー信仰が厚いこの地では珍しい。
「うむ。余も、うれしく思うぞ。どちらの仏閣から参られた?」
「チベットでございます」
プーと呼ばれるチベット語ではなく、英語で返しているのは三人の中で最初に喋った僧侶だ。他の二人は話せないのかもしれない。
「やはりそうか。中国やインドは魔族の攻撃を受けていると聞くが、チベットはどうか?」
ネパール王の言葉から推測するに、この世界のチベットは現世の中国から支配されている形とは異なるようだ。自治区、などという呼称ではなく単一の国家だと思われる。ここ、ネパールとは国境を隔てた隣国だ。
「幸い、魔の手は伸びてきておりません。ただ、貴国以外の周辺国との貿易が止まり、どこもかしこも物資が不足している状態にございます」
「なんと、それはいかん。物資とは食料も含まれておるのか。ラマもさぞや心を痛めておられよう」
ラマとは、チベット仏教最高位の僧侶、すなわち法王の事を指す。
「ありがたいお言葉。ラマに代わって御礼申し上げます。ただ、陛下。勘違いをしないでいただきたいのは、我らは貴国に対しての外交を行いに来たというわけではございません。ましてや、何かを恵んでくれなどとは露ほども考えておりません」
「何?しかし、そんな状況下にあると聞いては余も黙ってはおれん」
「確かに苦しい状況ではありますが、皆が仏の教えに従い、邪念や欲という名の煩悩を捨て、この苦境を乗り越えてこそ、明るい未来に辿り着けると考えております。すべての物事に対する執着を捨てるのです。最低限の食糧と衣服、屋根と寝床があればそれで良いと」
急に説法が始まったが、国王も嫌な顔はせず、深く頷いて理解を示している。
「誠に天晴れである。余も身が引き締まる思いだ。しかしながら、実際にこれ以上国民の危機が逼迫して立ち行かなくなったとしたら、遠慮なく我が国を頼って欲しい」
僧侶たちが深々と頭を下げる。なるほど噂通りの人格者で、いや、噂以上に徳が高い王であることは良く分かった。
まだここにいてもよかったが、少し休ませてもらうとしよう。
「軍曹、移動するぞ」
「メシと屋根と床が冷たくて悩んでいて……?あ、はい。了解です、卿」
またも絶妙に惜しい翻訳をしているカンナバーロだったが、ウィリアムの言葉でその頑張りは強制中断された。
……
最初に案内してくれた門兵に案内された迎賓の間は、玉座の間に比べてきらびやかなものだった。
中央に長テーブル、それを挟んで椅子が五脚ずつあるが、すべて大理石だ。壁には皿や刀剣といった調度品があり、大きなガラス窓の外には雄大な山々が見える。
ガラスや大理石などの高級建材は、ネパール国内でもこの部屋にしか存在しないのではなかろうか。自身の権威を見せつけるという意味ではなく、国賓がみすぼらしい思いをしない為に、多少の無理をして国王が収集したに違いない。
大理石のテーブルの上には、これまた見事なガラス細工が施された灰皿が置いてある。ウィリアムは下座の席に着き、遠慮なく煙草の煙をくゆらせていた。
「御免」
声がかけられ、振り返ると別の門兵が立っていた。
「どうした?」
「陛下が参られます。ご支度をお願いいたします」
「分かった」
支度と言っても、特にすることはない。煙草をもみ消し、イタリア国王からの書状を取り出し、起立をして襟元を正すくらいだ。
ややあって、先ほどの玉座の間にもいた大臣と、その後ろから国王が入ってくる。
ウィリアムとカンナバーロは起立の姿勢のまま、上半身だけを軽く曲げて目線を下げた。パキスタンの首相などは民主主義国家の国民代表であるので、大した礼節は弁えなかったが、今回のネパール王は由緒ある王族だ。ウィリアムもあの時とはまた違った態度を取っている。
立ってはじめてわかるが、国王も大臣も小柄な人物だ。この二人に国家の双肩がのしかかっていると思うと感慨深い。
「お初にお目にかかる。十代ネパール国王、マラヤン・ラーナ・ネパールである。こちらは側近の大臣だ」
「陛下、我らの為に個別でお時間を頂戴し、誠に感謝の言葉もございません。私は、ウィリアム・バレンティノ。イタリア王国では子爵の末席として使っていただいております」
「うむ。まずはかけてくれ、バレンティノ卿。遠く、欧州イタリアから参られたのだ。ゆっくりと話を聞こう」
席を勧められ、国王や大臣よりも先にウィリアムは腰を下ろした。あるまじき行為だが、席を指さして穏やかな笑顔で待たれたままではノーとは言えない。
「そちらの兵士も是非、余に紹介してくれ。それから彼も座ってくれて構わない。ここには警戒すべき敵など存在しないのだからな」
「ありがたいお言葉、痛み入ります。これは私の護衛を務めます、イタリア王国騎士団のカンナバーロ軍曹です」
ウィリアムの紹介は英語だったが、カンナバーロは自身の話になっていると察知し、あらためて深々と頭を下げた。
「軍曹、陛下がお前にも座れと仰せだ」
「は……?いや、しかし」
「許す。おそらくお前が座らんと話が進まない。国王陛下も大臣閣下も丸腰だ。危険はないだろう」
「……了解です、卿」
槍の切っ先が誰にも向かないように、目の前のテーブルではなく後ろの壁際に立てかけ、カンナバーロが着席する。
「ほぉ、それがイタリア語かね?初めて聞いたよ」
「はい、ご無礼をいたしました。軍曹はまだ英語を習得中ですので、ご容赦いただきたい。これの発言が必要であれば私が通訳いたしますので」
「それは誠に熱心なことだ。しかし、卿の英語は堂に入っているように感じる。母国語でないにも関わらず、それほど流暢であれば旅先で不便はあるまい。外交官や使者として世界中を飛び回っているのか?」
早く本題に入りたい気持ちもあるが、この人物と話していると不思議な魅力を感じて、こういった雑談に近い内容の会話ですら楽しいと感じてしまう。非常に親しみやすい王だ。
イタリア国王ミケーレ・マランツァーノ三世や、今は亡きイギリス先王ウィリアム・マンチェスターも魅力に溢れる王たちであるが、彼らは慈愛の中にも精錬された厳格な雰囲気を持っている。
この、ネパール王マラヤン・ラーナ・ネパールはそれすらも皆無で、ただひたすらに慈愛と道徳だけが溢れ出ている。
厳しい判断や冷酷な決断を迫られた時、どうなるのだろうかという疑問は拭えない。無論、国民皆が穏やかなおかげでそれも大きな問題とはならないのかもしれないが。
「はい、主な任務は国外とのやり取りです。今回はパキスタンやインドにも寄って参りましたが、目的地はネパールでした」
「そうであったか。それらの国の状況はどうであった」
「パキスタンは既に我が国の属国となり、庇護下にあります。今後も連携を強化していくでしょう。インドは……既に魔族による支配が行われていました。ただ、思っていたよりは人的被害は少ないように感じました」
おそらくウィリアムよりもネパール王のほうが隣国の情報には明るいはずだが、現状の再確認のために質問してきたのだと思い、正直に話した。
「うむ。魔族の占領地は昨今、それ以上伸びることなく落ち着いている。不気味なほどにな。最前線はインド、スリランカあたりだと思われるが、奴らの意図が見えん。それに甘えている状況も歯がゆいがな」
「万が一にも侵攻が開始された場合、貴国や陛下も苦しいお立場になるということでしょうか」
「その通りだ。あまり大きな声では言えぬが、我が国は争い事を得意としない。余も、民も含めてすべてな。国防において、何か有効な手段を持ち合わせているかと問われれば答えは否だ。唯一、山奥にある田舎国家であることがこの土地を永らく守ってきた最大の防壁だ」
笑顔を崩しはしないが、大きな悩みの種であることは間違いない。しかし、初対面の使者に過ぎないウィリアムに対してここまで弱点をさらけ出して話をしてくれるとは思わなかった。
これもまた、お人好しな国民性の流れからくるものだろうか。
「であれば、我が君からのお話は互いに有益なものになるかもしれません。どうぞ、こちらをお受け取り下さい」
「うむ、拝見させてもらおう」
ウィリアムが差し出した、イタリア国王からの書状をネパール王が手に取る。
当然ながらネパール王は周辺国の情勢に疎いわけではない。パキスタンがイタリアの属国となったことも承知のはず。であれば、ウィリアムの持ってきたイタリア国王の勅書の内容も予想はつくだろう。
「すまぬが……通訳を頼めるかな?長い文だが、簡単にで構わん」
「かしこまりました」
そろそろイタリア語ではなく英語で書くなどの配慮をして欲しいものだが、ローマの王城内で綺麗な英語を使えるものはウィリアムくらいしかいない。彼が携わっていない所で書かれたものであればこうなってしまう。
「要約いたしますと、魔族への対抗策として貴国には我が国の属国となっていただきたい。そうすれば物的、人的な支援は惜しまない、と言ったところです」
「拒否した場合の報復は?」
「特に何も書かれておりません。勘違いしないでいただきたいのですが、我が君は侵略行為を良しとはしておりません。報復など、以ての外です」
「なんと、であれば貴国の利益を望んでいるものではないと」
属国となれば、多少なりとも徴税が行われる。パキスタンからもそれは行われているはずだが、それは微々たるもので今のところ何の不満も聞こえてこない。
あくまでも予測に過ぎないが、僅かな品や金の上納と、アジアに現地入りする使者や兵がいればパキスタン側の出費でその面倒を見ている程度ではなかろうか。
「その辺り、私は詳しいわけではありませんので適当にお答えすることはできませんが……間違いなく我が君は世界を支配しようなどと考えておられるわけではなく、全世界の人間が一致団結して魔族に対抗すべし、と考えておいでです」
「あっぱれである。結論から言えば、我が国は誰にも屈するつもりはない。しかしながら、貴国の王とは一度、話してみたいものだ」
現段階で属国化は拒否する意向のようだが、友好国、同盟国であればやぶさかではないといったところか。しかし、会談が叶えばどう転ぶかは分からない。その辺りは国王同士に決めてもらえば良い。
「それは、我が君もお喜びになることでしょう。近いうちに実現できるように最大限努力いたします」
「うむ。しかし互いに忙しい身だ。どちらも長く国を空けるわけにはいくまい」
確かにそれは問題だ。イタリアとネパールではかなりの距離がある。ウィリアムのように飛竜を所持しているわけでもないので、どちらか一方が何か月単位で祖国を離れなければならない。
「もし、お二人のお許しが得られれば、パキスタンを会合の場所として利用されてはいかがでしょう?既に話した通り、パキスタンは我が国の属国となっております」
パキスタンはイタリアよりもネパールからの方が近いので、中間地点とまでは言えないが、負担は減る。
ただ、イタリア国王が承諾するかどうかは分からない。会合自体は拒否しないだろうが、ローマまでお連れするようにと言われればそれまでだ。
「うむ。それは非常に良い話だ。しかし、卿の一存では決められまい。だが、この話を貴国の王へと持ち帰り、再度このネパールまで誰かをやるというのも酷な話。どうしたものか」
「確かに私の一存で決めれるほど簡単なお話ではございませんが、会合そのものは我が君とて無下にはされますまい。場所については伺ってみる必要がございます。それから……詳細は伏せますが、私は安全、かつ迅速に長い距離を移動する手段を持っております。その点はご心配には及びません」
「ほう。それは非常に興味深いが、あまり突っ込まないでおこう。その言い方からして、余や貴国の王も使える移動手段というわけではないのだろうからな」
厳密に言えば使えないことはないが、飛竜の背に王を乗せるなど現実的に無理だろう。たとえばイタリアであれば、それを右大臣のアダムが許すはずがない。
「はっ、残念ながらお察しの通りでございます。陛下の慈悲深いお心遣い、感謝いたします」
「余の返事を持ち帰り、またこちらへ知らせを送り、余と、イタリア国王が実際に会えるとなれば、どのくらいの期間で実現可能だ?」
「私が急ぎ国元に戻り、またこの宮殿を訪れられる最速の期間は一週間から十日でしょうか。それから我が君にひと月ほどご足労頂き、パキスタンに到着いただく形になるかと」
イタリア国王は二か月ほど祖国を離れる事になる。そう考えると少々厳しそうか。パキスタンにほど近いネパール国王は二週間くらいだろう。
「いかんな。イタリア国王の負担が大きすぎる。余も心苦しい。神々の水路の周辺地域の治安はどうなっておる」
唯一、ヨーロッパとアジアの国々が小競り合いを繰り返してきた、大陸間に走る大河だ。
しかしなぜ、今そんな話が出るのだろうか。
「今は沈静化しているはずですが……それがいかがされましたか?」
「まずはそこをまとめるのも重要であろう?良い機会だ。余と、イタリア国王の会合の為、大陸間の国境沿いの国々も一緒に同盟関係を締結させられぬだろうかと思ってな」
驚きの一手だ。成功すれば一気に人間の国の同盟関係が飛躍的に進む。ただし、欧州四か国の内、神々の水路と面しているのは大ヨーロッパ大陸の南東にあるイタリア王国と……北東にあるドイツ帝国だ。そこをどう繋ぐかは課題となる。
「陛下は、欧州四か国の現在の状態についてはご存知ですか?」
「うん?どういう意味かね?」
「欧州四か国協定を破棄した国があります。ドイツ帝国です。彼らは我々と敵対する意志を見せ、近隣のアジア諸国と同盟を組んでいるとか。我らが目指すのと同じ同盟という形ではありますが、彼らが見ているのは魔族ではなく、我々の領土だと思われます」
ネパール王は驚いた表情を見せる。
「まさか。欧州の大国は安泰だと思っていたが、そんな事が起こっていたのか。あまりに遠いせいで疎いのだ、許して欲しい」
「いいえ、この乱れた世では辺境の地の情報が遅れても仕方のないの事です。ですが、我が国周辺のアジア諸国であれば、陛下が仰せの事も早くに実現可能でしょう」
大アジア大陸の西岸の内でも、南の方にある国であれば隣国はドイツではなくイタリアだ。ドイツをどうこうするよりも、そちらの方がやや現実味がある。英語圏で無い国は飛ばしていたが、ネパールやパキスタンの助力も得られれば何とかなるかもしれない。
ドイツがどう出るかは不明だ。こちらの同盟国とあちらの同盟国とでアジア間の争いにでもなったら本末転倒なので、抑止力としてより多くの仲間が欲しい。
「ふむ……既に手を結んでいる周辺国はあるのかな?」
「いいえ、残念ながら。私が今の仕事を担うまでは手つかずの状態でした。少し前までは神々の水路を挟んで争っていたのだと思います。私は英語が話せましたので、まずパキスタン、そしてネパールの順で使いに出されたわけです」
「なるほどな。まさに始まったばかりの案だというわけだ。叔父上、西側の国々で余の意見に呼応してくれそうな国は無いだろうか?」
横を向き、大臣に対して国王が問いかけた。老年の大臣は叔父に当たる人物らしい。
「ありますとも、陛下。ウズベキスタンやトルクメニスタンの大統領にかけあってみましょう。今は魔族を退けるために人間同士で手を結ぶべきだと。それにイタリアという大きな国の後ろ盾が得られるとあれば、彼らも否とは言いますまい」
「それは良い話を聞けました、大臣閣下。それらの国の協力を得て、会合も神々の水路周辺の国で行えれば、非常に円滑に進みそうですね。既に友好的な付き合いをされているのですか?」
現世であればウズベキスタン、トルクメニスタン、カザフスタンなどの中央、西部アジア諸国の西にはイラクやイラン、アラブといったイスラム宗教国があり、さらに西にはブルガリア、ルーマニア、ウクライナなどの東欧諸国がある。
それらを越えてようやくドイツやイタリアなどの西欧の大国に辿り着くのだが、その、間にあるはずの国がごっそりと抜け落ちて存在していないこの世界では、ウズベキスタンやトルクメニスタンを越えたらすぐ、ヨーロッパ大陸というわけだ。
「左様じゃ。同盟とは言いませぬが、貿易で付き合いのある国々ですよ、バレンティノ卿。必ずや、力を貸してくれるでしょう」
大臣の方も、ネパール王に負けず劣らずの柔らかい物腰の人物のようだ。血がつながっているのであればなおさらだろう。尊大な態度は一切見せない。
「では、私が国元へ帰っている間にそちらの話を進めていただき、再度ネパールを訪れた時に……」
「いや、貴殿にまたここまで来てもらう必要はなかろう。トルクメニスタン、ウズベキスタンのいずれかの首都を会合の場所とし、余がその旨を書状でお伝えする」
余程の自信があるのか、ネパール王はほとんど決定したかのような口ぶりだ。各国に断られる可能性は限りなく低いのだろうか。
「これはこれは。お気遣いありがとうございます、陛下。そうしていただけるのであれば非常に助かります」
「ただし、その会合の折には卿にも同席願いたい。イタリア国王と一緒に、という意味だが可能かな?」
「我が君がお決めになることですのでお約束はできませんが、進言してみましょう」
ウィリアムの事を気に入ってくれたと取って良さそうだ。
「うむ、それでトルクメニスタンやウズベキスタンであれば、お越しいただけそうかね?」
「そちらも断言はできませんが、イタリアから見て神々の水路を越えてすぐの隣国です。おそらくは大丈夫かとは思います」
指定されるはずの首都の位置までは定かではないが、大河を越えるという手間がある以外はそう問題にはならない。距離的に見ても、カトマンズからとローマからでは大きな差もないはずだ。
これをイタリア国王が断るとは思えない。ただし、ウィリアムは帰国後に、次なる目的地であるバングラデシュへと向かうように命令される可能性はある。
そうなると会合への同席は不可能だ。
「よし。では堅苦しい話はここまでとしようではないか。どうかね、我が国は?観光に来ているわけではないと知ってはいるが、欧州の都会から来た者から見て、満足のいく街だろうか?」
話は一転、突如として街の話題に切り替わった。むしろ、ネパール王の興味津々といった表情から、こちらの方が本題として話したかったのではなかろうかとさえ感じる。
「はい、実に美しい街です。景観もそうですが、何よりそこに住む人々の所作が美しい。綺麗な環境で育つと、こうも温かくなるのかと感心させられました。陛下と閣下の慈愛に満ちたお人柄もそうです」
「それは素直に嬉しい感想だよ。本当に余にはもったいないほど、優れた国民に支えてもらっている」
「確かに人口や建築物の大きさで言えば我がイタリア王国の大都市の方が勝ってはいますが、その分、不逞の輩も少なからずおりますので」
イタリア人も基本的には親切だが、このネパールの国民達の人間性の正しさは異常だ。犯罪率も低く、治安が良いのは一目見て分かる。
「それは我が国とて同じだ。民の人の好さに付け込んで悪さをしようという不届き者も皆無ではないのだからな。さて、せっかくお越しいただいたのだ。晩餐を一緒にどうかね?」
「この上なく光栄に思います、陛下。遠慮なく、ご相伴にあずかると致します」
「うむ。ではここへ料理を運ばせよう。おぉい、誰かここへ」
「ははっ」
小姓のような若い男が一人、つつっと走り寄ってきて部屋の入り口で跪いた。
「少し早いが、晩餐の準備をするよう料理人に申し伝えよ。バレンティノ卿とお付きのカンナバーロ軍曹の分もだ」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
一礼し、小姓は駆け出していった。
「軍曹、喜べ。陛下と一緒に食事ができるそうだ。アジア料理なら、お前の口にも合うかもな」
しばらく後に運ばれてきた宮廷料理は、野菜をたっぷりと使った、言わば精進料理にも近いラインナップだった。肉もあるが鶏肉のみで、使われている量も少ない。
素朴な味わいは身体にも良さそうで満足ではあったが、王族が摂る食事としてはいささか質素なものに映る。
決して過度な贅沢はしないという気持ちの表れなのか、実際にこれらが好きで食べているのかは不明だが、少しの鶏肉がメインディッシュとなっているのには宗教が深く関わっていると思われる。
「酒がなくてすまないな。普段は飲まれるのであろう?余は下戸でな」
「いいえ、問題ありません。みずみずしい野菜のおかげか、身体の調子が良くなるような気がしますね」
ウィリアムは遠征中、飛竜に合わせて肉を食べることがほとんどなので、野菜をこれほどたくさん食べるのは久しぶりだ。
「軍曹、気に入ったか?」
「はい、もちろん美味いです。ありがとうございます、陛下」
言葉の後半を英語での礼に変えるカンナバーロ。ネパール王も「好きなだけ食べてくれ、軍曹」と応じた。
「時に陛下。神々の水路周辺の国々との折り合いは上手くいっているとのことですが、反対に犬猿の仲である国などは存在しないのでしょうか。もしそういった国があれば、それこそ我が国の出番かもしれません」
「否。幸いにしてそれはない。見ての通り山奥にある小国だ。余所と争った歴史は無いのだよ。そのせいで兵の武装などは他国に比べると貧弱なままだがな。もし魔族との全面戦争となった場合も、大した力にはなれないかもしれん」
「そのための同盟です。もし望まれるのであれば訓練や武器提供も可能でしょう。それにたとえば、荷駄や補給による支援も立派なお務めですから。ご心配なく」
これもウィリアムが発言するには大きすぎるが、同盟国や属国ともなればイタリア王国は協力を惜しむことはないだろう。
それが不可能だったところで、戦闘に参加しなくとも出来る事はいくらだってある。
「なんともありがたいことだ。貴国の王が人道主義を掲げる指導者であったことに感謝せねばな」
「恐れ多くも、我が君は欧州四か国の指導者の中では最も情に厚く、平和を望まれている御方だと確信しております。ドイツの離反も武力ではなく話し合いで解決すべきだと仰せでしたから」
厳密に言えばウィリアムはドイツの皇帝やフランス王の人柄は知らない。
しかし、一抜けで欧州を裏切ったドイツや、それを力づくで抑えつけるべきだと唱えたフランスは、イタリア国王ほど穏やかな人物が率いているわけではあるまい。
「ただ、魔族は既に多くの犠牲者を世界各国で出している。これに対抗するにはすべての国の人々が力を合わせて立ち向かうほかあるまいとお考えなのです」
「余は、正直なところ魔族の侵攻というものの恐ろしさを根底からは理解できていないでいる。実際にその惨状を目にしたわけでは無いからな。だが、近隣諸国の情報や、時折やってきていた魔族の力の恐ろしさは承知しているつもりだ」
本格的な侵攻を受けてはいないが、侵入による略奪はここネパールでも起こっているというわけだ。
「その際は撃退を?」
「いいや。国民には魔族を見た場合は逃げることを優先するように伝えてある。物は盗られてしまうが、命の犠牲が最小限で済むようにな」
「それは賢明なご判断です。その魔族に対抗するためにお力を貸していただけるというのですから、そのご決断も簡単な事ではないでしょうに」
「恐ろしいとは思う。だが、いつまでも我が国が魔族に見過ごされているとも思えん。いつの日か魔族の力で支配されてしまうのであれば、それは回避すべき事態だ」
もし、山奥の辺境の土地であることから魔族から重要視されていなかったり、人口を多く抱えているわけではないのでほとんどの魔族に存在を知られていないだけだとしたら、ネパールの他国との同盟は大いに目立つ危険性をはらんでいる。
しかし、そのデメリットを考えても、いずれゆっくりと破滅に向かっていくことをネパール王は忌避しているのだ。
既に大半が支配を受けるインドの様子を見るに、魔族に支配されたからといって即座に破壊されるだけではなかったが、だからといって全面的に魔族を受け入れようとはウィリアムも考えていない。
今はまだ接近できないが、バレンティノ・ファミリーの誰かが関わっている魔族の部隊がもしあったとして、そこ絡みの支配を受けていれば多少は人間らしい暮らしが送れているだけに過ぎないと見ている。
それ以外の「本物の魔族」は信頼できない。
……
晩餐を終え、ウィリアムは大臣から名産品だという茶葉の手土産まで貰った。
帰り道にマルコと飛竜のための食糧を買い込み、彼らが待つ郊外へと戻る。
慣れない不格好な焚火を起こし、野営を張っていたマルコ。ウィリアムとカンナバーロの姿を確認すると、分かりやすく安堵したようだ。
「待たせたな」
「叔父貴、おかえりなさい。街ならともかく、山奥での留守はもうこりごりですよ」
「軍曹。折を見て、俺とマルコに野営のやり方を手ほどきしてもらった方がいいかもな」
「えっ?はぁ、かしこまりました」
担いでいた鶏肉を降ろしながら、カンナバーロが了承する。
手ほどきとはいっても、テント張りや火起こしは二人とも見よう見まねで出来るようになっている。残すは場数を踏んだ経験による効率化くらいしかないが。
未だ、ネパールの住民らには飛竜の離着陸を目撃されるわけにはいかない。
山岳地帯では飛んでいる間も高度があまり取れないので、移動は夜間だ。出発は次の夜となるので、ほぼ丸一日をこの場で過ごすことになった。
再度街へ赴き、観光をするかとカトマンズを見ていないマルコに提案したが、これは遠慮された。
「それより、属国化の話は上手くまとまったんですか?」
「いいや。話半分といったところだな」
ネパール王から先んじて託された書状を懐から取り出す。
ウズベキスタン、またはトルクメニスタンにて直接話し合いの場を設けるので、後からの知らせを待っていて欲しいという内容のものだ。
ウィリアムが英語の本文をその場でイタリア語に翻訳したものも添付しているので間違いない。
「ヨーロッパとアジアの中間地点である国で陛下とネパール王は直接交渉に入られる。まずはその知らせを持ち帰るのが仕事だ。陛下も否とは仰せにならないだろう」
「となると、イタリアに帰って、次は国王様を連れての遠征というわけですね。ただ、飛竜が使えないとなると少しばかりの長旅になりそうです」
「次もお前を随伴できるように頼むつもりだが、あまり期待はするなよ。今回はあくまでも特別だ。それに俺はそちらではなく、別でバングラデシュに向かうよう命令される可能性もある」
もしかしたら、ウィリアムはバングラデシュ、マルコはトルクメニスタンかウズベキスタンに国王が伴うかもしれない。つまり別々の場所に別れての仕事だ。
もちろんその逆も然りだが、使者はウィリアムになる方が考えやすい。
「それは……まぁ、従いますが」
「俺だって出来れば別任務は避けたいがな。仕方ないさ」
「卿、自分もまた選ばれるのでしょうか」
カンナバーロも興味津々だ。国王と近隣国へ向かうにしろ、バングラデシュに向かうにしろ、さすがに飛竜の離陸に慣れてきたのでどんとこい、といったところか。
「可能性は高いな。何度も海外遠征ばかりで、すっかりエリート下士官じゃないか」
「下士官の時点で精鋭なのか分かりませんがね。昇進よりは給金を期待してますとも!」
ここまであちらこちらへ飛び回っている兵士というのも珍しい。イタリア王国騎士団の中では随一だろう。
「叔父貴。FBIと名乗ってる連中と、それに魔族側にいるファミリーもいるのであれば」
「お察しの通り、どう転ぼうが仕事だらけだ。いつもの事だろう?」
ウィリアムの口から、ため息と煙草の煙が漏れる。
翌晩。飛竜は進路を西へ。イタリア王国の首都、ローマへと向かって飛び立った。




