♭15
「バレンティノ将軍」
「あぁ?」
パリまでの長い道中、荷駄隊の人力車の上の藁で寝転がり、英仏辞書を読んでいたトニーに英語で呼びかけがあった。件の通訳の兵士だ。
彼は他の兵と違って、特別にトニーと同じ車に乗って楽な移動をしている。ちなみに先頭の二人の騎士は騎馬で、他の二百五十名は徒歩だ。
辞書はこの先不便が減るように、少しでもフランス語を理解しようとトニーが彼から借りたものであった。
「雨が降りそうです。辞書は濡らさないようにお願いしますよ」
この人力車は食料や装備を積んでおくもので、屋根などない。これまでの移動でも何度か悪天候に見舞われたが、その際は簡易的な革製の雨具を着て凌いでいた。
「降ったらな。それより、パリのメシは美味いか?」
「え……?あぁ、まぁそれはもちろん。美食の都ですから」
思いがけない質問に通訳の兵士は目を丸くしたが、きちんと回答してくれた。何日も行動を共にして分かってきたが、この男は真面目だ。真面目過ぎて冗談が通じないところもあるものの、決して悪い人間ではない。
「パリの女は美味いか?」
「コホンッ!そういうことはお答えしかねます!だいたい、あなたは宮廷魔術師殿からお呼ばれしているというご自覚がおありか!娼館への出入りなど、もってのほかですよ!」
「ねぇよ。国賓みたいなもんか?しゃんとしとけって言いたいんなら諦めるんだな。俺はあくまでも、『暇だから行ってやってる立場』だ。でけぇ態度でも取られようもんなら、その宮廷魔術師様の鼻っ面に一発ぶち込んでやるだけだぞ。気を付けるように言っとけ」
「とにかく、大人しくしていてください……!」
顔を真っ赤にする通訳の兵士。だが、何か強く言い返すことは控えた。
彼とてトニーの実力は目の当たりにした上に、自称ではあるが他国の将軍であることも理解している。
「まさかとは思うが、パリ到着以降もお前が俺の専属の通訳として同行するのか?」
自由を好むトニーだ。通訳自体は確かに有用だが、四六時中付きまとわれてはかなわない。
無論、魔術の実験台として軟禁のようなことを希望されたら力づくでも拒否する。宮廷魔術師の思惑が分かるまで油断ならない。
最も良いのは、食客のように自由の身で、パリに滞在できることだ。
「英語話者はそう多くないので、その可能性もあるかと」
「ふざけんな。通訳なんざ必要な時だけいればいいんだよ」
「あぁ、それは勿論です。上から呼ばれた時しか参りませんから安心してください。それに我が主、ジェラール卿のお身体が回復なされば、パリを離れる可能性も高いので」
現在、直属の雇い主であるジェラール卿はトニーが与えた傷の養生中だ。それでこの通訳の兵はトニーとの会話対策として、この隊に残っているだけに過ぎない。
通訳の兵士はそこに対する恨み節などはなく、ただ淡々と事実のみを述べた。腹の中では思うところがないはずなどないが、現時点でトニーは来賓扱いである。私怨より、職務を優先するところにも彼の生真面目さが垣間見えた。
他の兵や騎士たちはトニーに対する不快感を隠そうともしないので尚更だ。
その時、前方でわぁっと声が上がって隊列が停まった。何やらトラブルらしい。
「何だ?おもしれぇ事でも起きたか」
「見てきます。ここでお待ちを。勝手に動かないでくださいね」
通訳の兵は車からひょいと飛び降りて最前列へ向かっていった。
トニーは魔族との遭遇ではなかろうかと期待したが、それほど逼迫した様子はない。山道を移動中なので大方、野生の獣や崖崩れなど、トニーにとってはつまらないことだろう。
当然ではあるが、通訳の兵士から言い渡された「動くな」という指示は早速破られることになる。
トニーがその後、車の上にいたのは僅か一分足らずだった。
『おい、貴様!勝手に動くな!』
「あぁ?何言ってんのか分かんねぇんだよ、てめぇ」
『くっ……!』
車を引く兵らからフランス語で注意を受けるも、ぎろりとひと睨みしてそれを退けた。
最前列まで歩いて行くと、やはり魔族でもいないかという期待は裏切られてしまった。
「ふん。橋か」
崖にかかっていたはずのつり橋が落ちていたのだ。しかもどうやら、隊が渡る直前で千切れたらしい。間一髪で助かったのは良かったが、これでは進めない。
『むぅ、危ないところであった。いかがしたものか』
『数日無駄にしますが、迂回するしかありますまい』
それを見た先頭の騎士二人が方針を相談している。
「あ、ちょっと!バレンティノ将軍、何でここにいるんです!」
その騎士らの横にいた通訳の兵士に見つかった。別にこそこそと隠れていたわけでもないので当然だ。
「橋が落ちたのか」
その言葉にも、怪訝そうな顔をする騎士二人にも動じず、トニーは崖下を覗き込んだ。だらりと垂れ下がったつり橋と、崖の下に小川が見える。一行が渡りたい対岸までの距離はおよそ20フィート前後。バス一台ほどの長さがある木を切り倒せば届く距離だ。
「えぇ、見ての通りです。迂回するなりしますから、車に戻っていてください!」
しかし、山地はごつごつとした岩ばかりで、それほどの高い木は周りに確認できなかった。魔術で切り倒してやろうかと思ったが、それは難しそうだ。
「岩肌でもぶっ壊して通れるようにしてやるよ」
「やめてください!余計なお世話です!」
さっさとパリに着きたいトニーだが、それはあまりにも危険だ。崖を崩すことは出来ても、予想以上に壊れて自分たちが巻き込まれないとも限らない。
『おい、貴様、さっさとそいつを連れていけ!』
『早くしろ。どうせ、ろくでもないことを言いだしたのであろう』
騎士らが通訳の兵に命令する。
敬礼し、トニーの腕を掴もうとした瞬間だった。
ゴゴゴゴッ!
つり橋をぶら下げていたこちら側の崖が崩れ、少しずつ落ち始めたのである。
「やべぇな!全員下がらせろ!」
ここにいてはトニーも、騎士や通訳の兵も落ちてしまう。その後ろの兵員にも多少の被害は出る。崖崩れ自体は垂直ではなく、斜めに滑るような形なので運良く命は助かるかもしれない。しかし、崖下に引きずり込まれれば全員無事では済まないだろう。
『なにっ!?いかん!』
『しまった!これも貴様の罠かぁっ!』
だが、逃げる前に反応の遅れた二人の騎士は始めに馬ごと土砂の中に飲まれていき、次に反応はしたものの間に合わなかったトニー、通訳の兵士、そして最前列にいた十人ほどの兵らもそれに巻き込まれてしまった。
「クソが!」
トニーは機転を利かせ、魔術でこのピンチを切り抜ける。
死霊術、「荒廃」。これは有機物に対して効果を表す「死の灰」や「酷炎」とは異なり、無機物である岩や砂を灰に変える術だ。ヘルが使っていたのを見よう見まねで使ってみたが、これが上手くいった。
土砂に飲み込まれたトニーの周りの視界は防がれており、どのくらいの範囲に及んだかは定かではないが、灰となったそれは柔らかく身体を包み込んでくれている。これで押しつぶされて圧死するという事はない。
土砂崩れに伴う地鳴りのような轟音が鳴り止んだ。どうやら完全に崖下まで流されて停止したようだ。
「ぷはぁっ!」
全身を包んでいる灰を押し退け、トニーがその中から顔を出す。遥か頭上に先ほどまで立っていた崖が見えた。
「あー、クソが。めんどくせぇな」
そこから身体ごと脱出し、そばで流れている小川の上流に移動する。さらに追加でがけ崩れが起きないとも限らないからだ。
そこで帽子や髪、スーツに纏わりついた灰を叩いていると、いくつかの顔がトニーと同じように飛び出してきた。荒廃の範囲はなんと、流れた土砂の全ての範囲に及んでいたのだ。
『おおおおおっ!なぜかは分からんが、生きているぞ!』
『助かったのか!?』
騎士や兵、馬までもがその元気な姿を喜び合っていた。
「バレンティノ将軍!」
「うるせぇ。聞こえてる」
トニーは岩場に座り、葉巻に火をつけた。
「これは……あなたの仕業ですか?」
通訳の兵士が灰を両手いっぱいに掬い、サラサラと地面にこぼす。風に揺られて粉雪のように舞った。
「はっ、崖崩れを俺のせいだって言ってんのか?そうだよ、てめぇらを殺せなくて残念だ」
「違いますよ!こんな時に冗談はよしてください!土砂を灰に変えて私たちの命を救ったのはあなたですかと訊いているんです!」
「さぁな。崖が最初から灰で出来てたんだろ」
素直でないトニーは知らんぷりだ。実際、彼は自身だけが助かればいいとしか考えていなかったので、フランス人の騎士団の連中が助かったのは想定外の偶然の産物である。
「頑固な人だな……」
通訳の兵士が狼狽していると、命を救われた面々が集まってきた。皆、灰を被って真っ白な姿のままだ。
『何と言うか、我らを助けてくれたのであろう?礼を言わねばなるまいな』
騎士の一人が言い、右手を上げる敬礼が一斉にトニーへと向けられた。
「そんで、どうすんだ?あそこの連中に引き上げてもらうのか?」
崖の上には落ちなかった残りの兵らがいる。崖沿いではあるが崩れた場所からかなり離れた地点まで移動し、そこからこちらを覗き込んでいた。
引き上げてもらうには縄が必要だが、この高さを凌ぐ長さの物は準備できまい。
「それは厳しいでしょうね」
「なら置いていくぞ。さっさとパリまで案内しろ。車だけ一台、上から灰の山に放り込ませろ」
どうやっても歩きたくないトニーが中々無茶な要求をする。確かに土砂の成れの果て、こんもりと積みあがった灰の上に落とせば荷車は無事で済む可能性もなくはないが、この高さだ。大破すると考えるのが普通であろうし、そこに上手く落とせるとは限らない。
『バレンティノ将軍が車を灰の中に投げ落とすように言っておられますが……』
『なに!?それは厳しかろう。私の馬の背に乗せるとお伝えしろ。上の部隊は別路でパリに向かわせる。おーい!聞こえるか!』
通訳の兵士と騎士が話す。そして、上に残ったおよそ二百名の兵に向かって大声で別行動の命令を出した。
「将軍。馬に乗るようにとの事です」
「それなら文句はねぇ」
今まではトニーに対して敵意むき出しだったが、命を救われたことで考え方が大きく変わったようだ。
それから再びパリまでの長い旅路が始まるわけだが、運が良いのか悪いのか、度々トラブルに巻き込まれ、それをトニーが解決するという事件が起こった。
一度は暴走した牛の群れを死の灰で蹴散らし、一度は放電で木を倒し、一瞬にして河川に橋をかけて見せた。
『いやぁ、さすがに将軍という話も満更でもないのかもしれぬなぁ』
『然り。高貴なお方だとは分かっておったが、ここまでの力をお持ちだとは』
本人には何を話しているのか理解できないが、パリ到着の目前ともなった頃、騎士らも手放しでトニーを褒めるようになっていた。
「バレンティノ将軍、ご覧ください。ようやくパリが見えてきましたよ」
「なんだよ。凱旋門とエッフェル塔が見当たらねぇな」
パリもイギリスのロンドンと同じく、ぐるりと周りを城壁で囲まれた大都市であった。結局のところ、魔族が跋扈する世界では王や民の命を守るために首都が命を守るために要塞のような形になってしまうものなのかもしれない。観光気分だったトニーにとっては拍子抜けだ。
ちなみにその高い城壁のせいでトニーが挙げたような建造物が見えないわけではなく、もともとそんなものはこちらの世界には存在していないだけである。
「ちょっと何を期待されていたのかは分かりかねますが」
「そうだな、まずは美味いワインとチーズだろうな。色は赤のフルボディ。チーズはカマンベールにしよう。それから女だ。赤毛の、少し肉付きのいい二十歳くらいの女にしよう。たまには複数人を侍らせてもいいな。三人だ。そこまで済んで、俺の機嫌がよかったら宮廷魔術師殿ってのに会ってやってもいい」
「はいはい。楽しみになさっているのは十分理解できました。しかし順番が逆ですよ。まずは王城内の宮廷へお連れします。くれぐれもお間違えなきよう」
ふざけた要求も真面目な回答で一刀両断されてしまい、トニーは鼻を鳴らした。
「魔族の侵入は頻繁に起こるか?」
「さぁ……私も普段はパリに住んでいるわけではないので何とも。ただ、他の都市と比べて魔術師や騎士、兵士、魔法戦士のどれをとっても精鋭ですから安全ですよ」
つまり、すぐに鎮圧されてしまうという事だ。猛者が多いのであれば、六魔将で言うとハインツあたりが好んで攻めてきそうではある。しかし、それがいつになるかは分からない。もちろん街自体も広すぎるので、魔族の侵入を耳にして、それが倒される前に現場へ向かうのも一苦労だ。
パリまで来てはみたものの、エピナルに残っていた場合と一長一短だと言える。侵入の機会は増えるだろうが、肝心の合流が難しい、といった感じだ。
「さすがは王都だな。安心して夜遊びできそうだぜ」
「そうでしょうそうでしょう……って、あまり派手に遊び回らないでくださいね!」
客が遊び回っていると噂が立てば宮廷魔術師の面目丸つぶれだが、トニーにとってそんなことはどうでもいい。
『開門せよ!』
そうこうしているうちに、トニーたちの一行はパリの城門前まで進んできた。
人々の往来がある大きな門は町の周りにいくつもあり、そちらは開かれているのだが、目の前にあるのは堅牢に閉じられた、裏門のような場所だ。おそらく市街地を通らず、宮殿や王宮まで直通する為の門であろう。
石造りの王宮自体は例にもれず小高い崖の上に建造されており、この門から見上げるとその背面をさらしている。
『騎士団の方か!』
『いかにも!宮廷魔術師殿への来客をお連れしている!』
『承知した!しばしお待ちいただきたい!』
門の上にいる衛兵とこちらの騎士の一人がやり取りをし、それから五分程度待たされた。
そして、ゴゴゴッという重厚な音が響き、鉄の門が左右に開かれる。
「ふん。こんな裏道なんか使わずに、城下を見て回りたかったんだがな」
「観光目的ではありませんから、我慢してくださいよ」
通訳の兵に諭されながら門をくぐると、怪しげな肌色のフードを被った人物が待ち構えていた。左右には完全武装の護衛兵を二人引き連れている。
トニーを呼び出した人物とみて間違いなさそうだ。
騎士が下馬して敬礼するも、トニーは降りなかった。
不遜な態度に場がざわつくも、トニーは身分が高い人物であると認識されているので誰も注意が出来ない。
「トニー・バレンティノ閣下であらせられるか?」
そんな中、宮廷魔術師であると思われるフードの人物が声を発した。実はイギリス人なのではとも思えるほどに流暢な英語は、うら若い女の声だ。これで、少なくとも彼女との会話のみは通訳が不要だと分かった。
「おう」
「良くぞおいで下さった。心より感謝しよう」
さらにざわつく声が大きくなる。宮廷魔術師が深々と頭を下げたのだ。
それを見たトニーはようやく馬から降りた。
「せっかくフランス語の辞書を読んでたんだがな」
宮廷までの道のり、魔術師とトニーが先頭で話しながら進み、その後ろから騎士団が追従している。
「ほう。それは殊勝なことだ。しかしながら私は英語など話せないぞ。閣下の努力もまるで無駄にはなりますまい」
「なに?あぁ、あれか」
どう考えても聞こえているのは流暢な英語だが、彼女はフランス語のつもりで話しているという。そこで思い出すのはカトレアや大魔女エリーゼが使っていた翻訳の術だ。人間が使うにはかなり高位の魔術なのだが、トニーはそんなことなど知らない。
「ところで、報告では凄まじい魔力をお持ちだとか。軍人なぞにしておくには惜しい。魔術を極めるべきではなかろうか?師は高名な御方か?」
「師匠?んなもんいねぇよ」
どう考えても魔術を使えるように力を引き出してくれたのは大魔王アデル・グラウンド十一世なのだが、そんなどうでもいいことはトニーの記憶からは抜け落ちている。
言わずもがな、異世界から訪れた人間である割に、彼の魔力が異常に強いのもそのせいだ。
「なんと。生まれ持った才能と、研鑽の賜物であるか。恐れ入った」
「そんでわざわざ呼び出したのは、一緒に仲良く魔術のお勉強をしましょうって事かよ?」
「もちろんそうしてくれればありがたいのではあるが、他国の将軍を務められているのであろう。私なぞが引き留めておけるような御方ではない事は重々承知しているとも。なぜフランスにおられるのだ?」
「たまたまだ。特に理由はねぇ」
ようやく王城の裏に到着した。国王や他の重鎮に会うわけではないため、そこから逸れて宮廷に向かう。宮廷は城と併設された屋敷の集まりのようなもので、ここに魔術師や貴族などが住んでいるという。
その中で、もっとも小ぢんまりとした青い屋根の家に招待された。騎士団は途中で別れてかなり数を減らしたとはいえ、それでも全員が入ってしまうと窮屈だ。
そこで雑兵は外で待機させ、室内には魔術師とトニー、騎士が二人、そして世話役代わりの通訳の兵の五人だけが入った。玄関を入ってすぐの応接間の簡素なテーブルに全員が腰かける。
「さて、まずはバレンティノ閣下をお連れ下さった騎士団のお歴々、感謝申し上げる。これは私の個人的な願いだったのにも関わらず、陛下より褒章が出ておる。後程、取りに行かれるが良かろう」
『ありがとうございます』
トニーの耳には魔術師に対する騎士の返答がフランス語に聞こえて何とも奇妙だ。
「次に、トニー・バレンティノ閣下。名乗り遅れて申し訳ない。私はクロエ・フォンテーヌと申します。クロエと呼んでくれて構わない」
ここでようやく、宮廷魔術師の女がフードを取って素顔を露にした。被っていた淡い肌色のフードなど相手にならないくらい、白く透き通った肌を持つ二十代半ばの美女だった。
黄金色の美しい髪もまっすぐしなやかで、肩にかかるくらいのところで切り揃えられている。くっきりとした目元にはまつ毛にまでも濃いメイクが施されているが、けばけばしさや嫌みはない。
「ほう、上玉じゃねぇか。今晩どうだ?」
「それはありがとう。貴殿も魅力的な美男だが、お断りさせていただくよ」
トニーの下品で直球な物言いも、幾人からも言われ慣れたものなのだろう。さらりとかわされた。
騎士たちも宮廷魔術師に見惚れているが、英語を理解できる通訳の兵だけはトニーの失言に顔を押さえていた。
『それでは、我らはここで。数日間は他の団員との合流を待つ為、城内の兵舎におります。何かあれば知らせを』
「えぇ。ありがとう」
騎士らにとっても、トニーは既に危険人物ではなく、命を救ってくれた恩人である。普通であればこの場に誰か残すべきだろうが、警戒心などほとんど残っていない。
しかし、通訳の兵だけは少し踏みとどまった。
「バレンティノ将軍のご滞在はどちらで?通訳や簡単な雑事であれば駆けつけますよ」
「閣下には表にある来賓用の宿舎にお泊まりいただくつもりだ」
「かしこまりました。では失礼します」
たしかにこの小ぢんまりとした家に入る前には、大きな宿や庁舎のような建物や会議場のような円形の建物など、宮廷と呼ばれるだけのことはあるものがいくつか並んでいた。臣民が働く場なので、それらは個人向けの邸宅ばかりではあるまい。
長らく世話を焼いてくれた通訳の兵が退室する。晴れて美女と二人きりの状況だが、大人の関係になる脈はなさそうだ。
「俺は自由の身って事で問題ないんだな?どっちにしろ捕らえようなんて真似しやがったら暴れてやるつもりだったが」
「うむ。ただ、面倒ごとは避けてくれよ。呼びつけた私にも少ない責任がのしかかる」
「約束は出来ねぇな。ケンカは売られたら全部買うって決めてるもんでよ」
トニーは懐から葉巻を取り出し、指先で火を灯すと、美味そうに一服した。
「閣下。個人的な質問の前に、まず貴殿の祖国について尋ねてもいいか?」
「……アメリカだ」
「アメリカ?まさか、魔族の国だと聞いているが、人間の国があるのか?」
イタリアと答えようかとも思ったが、ストレートに返す。さすがに学がある人物なので、アメリカ大陸の知識は持ち合わせているようだ。
「アメリカってのは色々あんだよ。ヨーロッパやアジアだって人間も魔族も住んでるって話だしな」
人間の国というものはアメリカ大陸には存在しないが、ロサンゼルス城にいるバレンティノ・ファミリーやその奴隷、お嬢様と慕われている女団長と副官の爺やが率いるロシア兵などは人間だ。
反対に人間の国にもエルフなど、隠れ住んでいる魔族がいる。よって、人間と魔族の両方が住んでいるという点ではどこも同じだ。その比率が逆転するが。
「魔族がこの国に住んでいる?奴らはどこからともなく現れるものだと思っていたが」
「そりゃ侵入時だけだ。あれは本国から飛んできてんだよ。そうじゃなくて、その辺の洞穴とか森の奥深くとかで暮らしてる大人しい奴もいるって話だ」
「なんとも詳しいな。アメリカの人間の国で暮らしていると、手に入れられる知識なのか?」
「そうだな。常識だ」
興味深そうに、宮廷魔術師クロエ・フォンテーヌはトニーの言葉をメモに取る。
失われた歴史のせいで、魔族の侵入元は人間たちが永らく疑問視していた。アメリカ大陸以外に隠遁する魔族がいるという話もほとんど誰も知らない。
かなり重要なことを敵国と言ってもいいフランスの有力者に話してしまっているのだが、大して興味のないトニーは涼しい顔だ。
実際、アメリカ本土から魔族は侵入していると知られたところで、アメリカの事を知っている人間からすれば「やはりそうだったのか」で終わるし、アメリカを知らない人間であれば「そんな国があるのか」で終わるだろう。
隠遁している魔族については正直どうでもいい。討伐されたところで何の痛手もない。幹部連中の誰かがそれを諜報にでも使っているのであれば、すぐに別の者を送ればよいだけだ。
「もう少し貴国の話が聞きたい。街はどうなっている?」
「街って呼べるほどのものはねぇな。俺はロサンゼルスの城を持ってるが、城下には家なんか一軒もねぇ。大抵の民草は洞穴とか、木陰で生活してる」
ロサンゼルスや魔王城のあるニューヨークはそうだが、ヘルの領地であるフィラデルフィア城下のような例外もある。しかし、今回話しているのはあくまでもトニーの街の事だ。
「そんなに貧しい場所なのか……やはり魔族に虐げられて細々と暮らしているのだな。城は狙われたりしないのか?」
「一度あったな」
「やはりか」
魔王正規軍のオースティン副長による襲撃だ。そのせいでロシアへの侵攻を中断せざるを得なかった。
この宮廷魔術師の頭の中にはアメリカの他の魔族連中全て対トニーの構図が思い描かれているのだろう。
「まさか、それでフランスへ亡命を?」
「いいや。俺の城はピンピンしてるぞ」
「それは良かった。だが将軍であるという事は、仕える王がいるはず。貴殿のような高位の方が抜け出していて良いものなのですか?」
葉巻の灰をポトリと無遠慮に床へ落とす。
「おい。もういいか?質問責めで退屈だ」
「これは失礼。尋問のようになってしまったな」
「しばらくパリにいるつもりだからな。機会なんざいくらでもある。続きは酒の席かベッドの上で頼むぜ、クロエ」
トニーの言葉にクロエはにこりと笑った。酒宴くらいは設けてくれることだろう。
「長旅でお疲れであろう。部屋と食事を準備を用意させる。案内しよう。こちらへ」
「風呂と洗濯も頼む。訳ありで灰まみれなもんでな」
……
クロエに案内されたのは白壁が目立つ二階建ての宿だった。ここが来賓向けの部屋が集まる建物らしい。高さはないが幅は広く、部屋数は五十近くありそうだ。
「彼はトニー・バレンティノ将軍。はるばるアメリカよりおいでになった御方だ。丁重にもてなすように」
エントランスは一般の宿のようにチェックインカウンターがあり、そこに立っていた受付係の男にクロエは指示を出した。
『かしこまりました、フォンテーヌ様』
「まずは彼に湯浴みと食事の準備を。それから服も洗ってあげてくれ。長い旅路での汚れを取ってあげて欲しい。ちなみに英語かイタリア語なら会話可能だ」
この男は外国語を話せるわけではなさそうだが、カウンターの上に一枚の羊皮紙を取り出した。簡単な英語とフランス語が並んだ翻訳用紙のようなものだ。通訳の兵が持っていた辞書に比べると大したものではないが、これがあれば簡単な意思疎通は出来るだろう。
「着慣れた一張羅だ。しっかり洗ってパリッと乾かしてくれ。その間の服は何だ?ガウンかバスローブでも着せられて、部屋に缶詰めじゃねぇだろうな」
「案ずるな、将軍。スーツであれば知り合いの仕立て屋がいる。夜間に出られるのであれば、つるしの方が良いか?」
「俺につるしのスーツなんかを着ろって?」
「数日待てるのであれば、仕立てればよろしかろう」
トニーの眉間がピクリと動いたが、クロエは動じることなく淡々と返した。
「……ふん、仕方ねぇな。いくつか持たせて、そいつを呼びつけとけ」
「承った。一時間以内に部屋へ向かうように言っておく。では私はこの辺りで失礼するが、また明日の朝、お話を伺いたい。ついでに街も案内しよう。今日は湯浴みと夕食をとってゆっくり休んでくれ」
真っ先に風呂を浴び、宿側から用意された下着のみを履いてベッドに寝転がる。トニーの部屋の近くが浴場だったのも配慮されての事だろう。
部屋は一階で、ベッドは勿論の事、豪華な調度品が揃った大きな部屋だ。ロサンゼルス城の自室に比べても遜色ない。
コンコン、と扉がノックされた。
「入れ」
『失礼いたします。おっと、これはご無礼を』
筋肉隆々な半裸姿のトニーを見て、大きなカバンを持ったタキシード姿の初老の男が、被っていたハットで目を覆った。夕食よりも早く、仕立て屋が到着したようだ。
「てめぇが仕立て屋か。いいから早く見せろ」
着るものがないから半裸でいるのだ。退室はさせず、手招きをした。
『では……軍人様だとお聞きしました。さすがは立派な身体をされていますね。さてさて、肩幅が合うものはあるだろうか』
言葉は通じ合っていないが、トニーの意図は理解できた仕立て屋が、巻き尺で彼の身体を測り始める。
初めから身体の大きな人物だとは聞いていたようで、大きなカバンから取り出したつるしのスーツはどれも大きめのサイズだった。
『こちらはいかがでしょう』
まず、無地の白いワイシャツを手渡された。いきなり素肌にジャケットを着るわけもないので、トニーはそれを着てボタンを留めた。首元と肩がきつい。
「おい、もっとデカいのはないのか?これじゃあ、すぐに破れるぞ」
『申し訳ありません、店に戻ればあるかもしれませんが、持って来ているのはそれが一番大きなもので……』
身振り手振りで仕立て屋が謝罪する。トニーはネクタイを締めることなどほとんどないので、ひとまず首元のボタンは開け放っておく。
『では、こちらをどうぞ』
「チッ……」
次にスラックスを差し出された。これも無地で、濃いグレーの色合いだ。生地は羊毛と絹の合わせか、質が良くて肌触りは素晴らしい。
そして、上半身とは違って、下半身はそこまで窮屈ではなく、するりと腰までスラックスが上がった。
『よくお似合いです。こちらが上着でございます』
「だめだ。やっぱりジャケットは窮屈だな。つるしじゃそんなもんかよ、クソが」
しかし、トニーはこれ以上のものは望めないと判断し、仕立て屋の男に金貨を一枚渡した。だが、この相場を無視した高い支払いが思わぬ勘違いを生む。
『これはなんと……かしこまりました。数日以内に必ずや、ぴったりの物をお届けいたします。ご指名いただき、誠にありがとうございます。それまではそちらのお召し物をどうぞお使いください』
このスーツの支払いではなく、オーダースーツの前払い代金だと思われたのだ。仕立て屋はさらに綿密に巻き尺でトニーの身体を測り始め、当の本人は何をしてるんだと首をかしげていた。
……
翌朝、部屋の扉を誰かがノックする音で目が覚める。
昨晩は窮屈な服のせいで結局遊び回ることもせず、夕食後は半ばふてくされるように半裸で寝てしまっていたのだ。
『閣下、おはようございます』
聞こえてきたのは女の声だが、フランス語に聞こえるためクロエではなさそうだ。
朝食でも運ばれてきたのかと思い、トニーは扉を開けた。
『あっ……!その、申し訳ございません!』
「あぁ?格好は気にすんな。メシ……じゃねぇな。もう乾いたのか」
メイドらしき女の手には、愛用のスーツがあった。洗濯はともかく、炎を使ったか、魔術によって一晩で乾燥まで済んだらしい。
トニー自身は知らない事だが、昨日の仕立て屋へのオーダーはあまり意味のないことになりそうだ。とはいえ、それが出来上がれば頻繁に着替えられるようになるので悪くもないだろう。
一礼して差し出されたスーツを受け取り、手早く袖を通す。
メイドは、まるで王族の着替えでも手伝うかのように横についてくれていたが、トニーは彼女の手助けなど借りる前にさっさと着替えてしまった。位の高い来賓の中には着替えを手伝わせるものもいるのだろう。
「ようやく落ち着いたぜ。ありがとよ。それと、朝飯を頼めるか?」
左手で腹をさすりながら空腹を伝え、右手で口に物を運ぶ動作で食事をしたいと伝えた。
『お食事でございますね。少々お待ちくださいませ。お部屋にお持ちいたします』
さすがにこれは簡単に伝わり、メイドが去っていく。
トニーは扉をあけ放ったままでベッドに腰掛け、洗いそびれていたハットと革靴をベッドシーツの端で磨きながら食事の到着を待った。
台車に乗って運ばれてきたのはクロワッサン、硬いブレッド、レーズン入りのロールと甘みがほとんどない板チョコレートだった。飲み物はホットミルクが添えられている。
パンの種類が豊富なのは良いが、砂糖が不足しているのか、味気はほとんどレーズンと、バターやミルクなど乳製品の微かな甘みだけだ。大味が好みのトニーにとっては特に物足りなく感じられる。
さすがにフランス料理のお膝元パリとはいえ、朝からフレンチフルコースと言うわけではなかったのは残念だ。
ただ、メイドに酒を追加で頼むと、台車の下段からワインとチーズがさっと出てきたので、朝っぱらから景気よくワインで食事を楽しむというのは珍しい事でも無い様だった。
「おはようございます、バレンティノ閣下。よく眠れたか?」
そして、その朝食を終えて葉巻をゆったりと吸っていると、クロエがやってきた。
「服のサイズが合わなくてな。出歩きもできずに、ふて寝だ」
「ふふふ。それはそれは。では昨晩出歩けなかった分、私が案内して回ろうではないか」
今朝のクロエは明らかに宮廷魔術師か何かだろうという、怪しげな頭から足先までのフード付き外套を被った姿ではない。桃色のブラウスを深紅のプリーツロングスカートと合わせ、洒落たスタイルだ。
お嬢様というほどではないが、人並み以上の家庭に育った町娘くらいには見える。格好だけ見れば城下を歩いても目立ちはしないだろうが、美人であることは隠しようがないので視線は集まりそうだ。
「まずは酒場だな。賭場もいい。あとは娼館か」
「まったく……私が賭場や娼館になど案内するはずが無かろう」
「そりゃ残念だ。ほら行くぞ、マドモアゼル」
案内される側のはずだが、紳士らしくエスコートしようと差し出したトニーの手。もちろん、クロエがそれを握り返すはずもなかった。
『おや、フォンテーヌ様。おはようございます』
『クロエ様、ご機嫌麗しゅうございますわ』
「あぁ、おはようございます。少しこちらの客人と城下を見てくるよ」
城内から城下に降りるまでの間、そんな声がいくつかかけられる。この容姿に快活な性格だ。人当たりもよいのだから人気者だと窺える。
部屋に引きこもって魔術研究、あるいは怪しいフラスコで妙な薬草をかき混ぜているという、トニーが持つ魔女のイメージとはかけ離れていた。その意識があるのも、ほとんど大魔女エリーゼのせいではあるが。
城下は前に行ったロンドンと比べても見劣りしない大都市だった。
まだ早いというのに路上では朝市が開かれ、買い物客であふれかえっている。
「閣下、何か見たいものはあるか?言うまでもないが、酒場はまだやっていないぞ」
「となると、この市場で見たいものか?そうだな……酒屋はどうだ」
「なんだか、貴方の事が分かってきた気がするよ」
そうは言いながらも、案内はしてくれるらしい。クロエは数ある出店の中から酒屋を見つけ、トニーと一緒に店先に立った。
『いらっしゃいませ、若いお二人さん!おすすめはそこに置いてあるボルドーだよ!豊作だったから大セール中さ!』
白いテントの下にカウンターと女店主。もちろん飲み屋ではなく酒屋だ。店先の木箱にはワインの瓶が置かれている。
「ほう。やはりワインばかりか。とりあえず赤と白、それぞれ一番いいやつを頼んでくれ」
「店主、赤白それぞれこの店で最も希少なものが欲しいみたいなのだが」
『おやまぁ!お財布は大丈夫かい?あぁ、そっちの彼氏がいい顔しようってことだね。ちょっと待ってな、おばちゃんに任せといて!』
甲高い声で女主人は何やら勘違いしながらも、カウンターの奥の棚をごそごそと漁り始めた。
『ほれ、これでどうだい!白ワインはブルゴーニュのモンラッシェ、ちょいと辛口だが滑らかな味わいだよ!赤ワインはなんとボルドーのシャトー・シュバル・ブランさ!十年以上前のものだから、なかなかに芳醇な味わいになってるはずだよ!どちらもウチにこの一本しかない超高級品だよ!』
二本のボトルをカウンターに置き、ペラペラと説明をしてくれるが、トニーには伝わらない。
クロエが銘柄のみを復唱してくれると、トニーは「あぁ、あれか」と頷いた。高級ワインの銘柄は現世と同じらしい。
「どっちも飲んだことがある。値段は、こんなもんか?」
金貨を四枚カウンターにばら撒いた。それを見た女主人が感心したように頷く。
ちゃんと金は持っていたのか、という意味か、それとも価値を正しく分かっているようだ、という意味か。
『こりゃぁ気持ちのいい彼氏だね!男前とはこのことだよ!それじゃ、これと、これと……これもつけてあげるよ!持って行きな!』
トニーの物怖じしない金払いと、その思い切りの良さに感心していたようだ。サービスとしながら別のボトルも空きの木箱に次々と詰め込んでくれている。
実際は金貨四枚以下で売る気だったので貰いすぎた金額分をサービスしてくれているだけなのかもしれないが、別にトニーもそれはつけなくていいから値下げしろなどどケチるつもりはない。
「なんだ、多くなちまったな。さすがに持ち歩くには苦だ。部屋まで届けるように手配は任せる。知り合いに運び屋くらいいるだろ?」
「店主。持って帰れないから宮廷の来賓用の宿舎に届けてもらえないか?彼が逗留している部屋がある。バレンティノ将軍宛てだと言えば分かる。誰に頼むかは任せるが、駄賃は……これを」
クロエが気を利かせて銅貨を三枚支払った。将軍、という単語に女店主が飛びあがったのは言うまでもない。
お次は食べ物の屋台が並ぶエリアを散策だ。ただ、食事はしたばかりなので何か食べようとはならなかった。店自体も朝食をここで済ませた客を相手し終わったようで、どこも暇そうにしている。昼時になればまた賑わうのだろう。
「なんだ、こんなところ通って。朝飯は食ってきてないのか?」
「いいや。当然食べたとも。酒屋以外に閣下が行きたい場所を言わないから、こうして適当な場所をぶらついているのだろう」
「仕方ねぇな。観光名所的なところはないのか?凱旋門すら見当たらねぇが」
「観光名所か。美術館や博物館でもご所望かな?」
こちらの世界に美術館などがあるとは驚きだ。芸術の都という肩書は共通なのかもしれない。
「美術館?絵画や彫刻が飾ってあるのか?」
「その通り。興味があるなら案内しよう」
正直なところ興味は薄い。しかし、日中に他に行きたい場所があるかと訊かれても何もない。
ただ、現世の屋敷やこちらの世界のロサンゼルス城にも美術品や武具は少なからず飾っているので、どういったものが展示してあるのか見るのも悪くないだろう。
「行ってみるか」
トニーの返事にクロエは「おや?」と意外そうな顔をするも、すぐに歩き始めた。そんなものはつまらないと突っぱねられると思っていたのだろう。
「ちなみに、ここパリにはかなりの数の美術館があってな。世界一ではなかろうか」
「ルーブルにオルセー、プティ・パレやらオランジュリーか?」
「待て、まさかそこまでご存知だとは驚いたぞ。どうして故郷から遠いパリの美術館の名前を空で言えるのだ?」
当然、現世の知識だ。欧州を訪れた回数も両手では足りない。
「美術館の名前は同じか。妙なもんだな。エッフェル塔はないくせによ」
「……?」
クロエの質問には答えを返さず、悪態をつくトニー。クロエの方は不思議そうな顔をしている。
その時だった。
わぁっ、きゃぁっ、と老若男女問わない叫び声が通りの向こうに響き渡った。
「来たか?」
「む、何事だろう。将軍、寄っては危険だ、こちらへ!」
魔族の侵入ではないかと期待するトニーと、危険があるのならば客人をそこから離そうとするクロエ。
人通りが多く、騒ぎの中心の様子は驚いてその場で立ち止まった人垣で確認できない。トニーは人をかき分けて進もうとするが、クロエに阻止された。
「バレンティノ閣下、待たれよ!」
「おい、服を引っ張るな!俺の身が心配ならお前も一緒に来い、クロエ!」
「どうしてわざわざ危険に飛び込むのだ!理由が火事であれ殺しであれ、騎士団や兵に任せておけばよかろう!」
それでもクロエは掴んだトニーのジャケットから手を離さない。
「宮廷魔術師様だって火消にも敵の排除にも一役買えるだろうが!行くぞ!」
「断る!そういった野蛮な仕事はご免なのだ!」
ぴたりとトニーの身体が止まる。力いっぱいに引っ張っていたクロエは、急に力が抜けたトニーの身体にぶつかった。
「おい、何をお高く止まってやがる?現場で身体張ってる奴を見下すようなら、てめぇの身体を木っ端みじんに吹き飛ばすぞ?」
トニーは生まれながらにマフィアのボスであり、今も将軍という高い地位にいるが、部下や民衆を軽く見てはいない。
今回は誰かを助けようと動いているわけではないのだが、クロエの言葉は不興を買ったようだ。
「なっ……」
「ったく、ウチの国じゃ大魔王陛下だって汗水たらして瓦礫を片付けるってんだよ。来い」
「大魔王?あ、ちょっと!将軍!」
トニーに密着していたクロエを軽々と抱きかかえる。彼女はそれでも引っ張ってトニーを止めようとしていたが、自身が抱えられて宙に浮いていては何の意味も成さない。
「あぁ?なんだよ、興覚めだぜ」
騒ぎの現場に到着するも、魔族の姿は見当たらない。人だかりが円形に一定の距離を空けているスペースには転がった首なしの死体があった。どうやら通り魔的に何者かがあれを襲い、足早に去ったと見える。
衛兵などはまだ駆けつけていなかった。
「いい加減に降ろしてくれ、将軍!恥ずかしくてたまらない!」
「ダメだ。俺を引っ張らないって約束しない限りはな。ついでにこの場でお尻ペンペンでもしてやろうか」
「もう分かったから!」
「ほらよ」
クロエの足が地につく。顔立ちが整った彼女は、そのムスッとした顔すらも麗しい。
スカートを軽く手ではたき、咳ばらいを一つ。現場に来てしまったものは仕方ないと、彼女は物怖じすることもなく首なしの死体の方へと歩を進めた。完全に管轄外のはずだが、せめて衛兵らが来るまでは不届き物が近寄らないように陣取っておくつもりのようだ。
ただの人殺しだと知って、すっかり興味を失ってしまったトニーだったが、一つ、疑問が浮かぶ。
「この死体。頭はどこだ?」
派手に血を出して首から下は転がっているが、その上はどこにも見当たらない。
「え?知らないよ、そんなこと」
「てことは、首を獲られてんだな。お偉いさんじゃねぇのか?」
クロエがハッとする。着用しているの服は確かに上等な絹のローブだ。歳は五十代くらいの男。やや太り肉だ。
「確かに。ただの通り魔じゃない……これは、暗殺?」
「だろうな。持ち去ったんなら、首に懸賞金もかかってたんじゃねぇか?おい、そこのじじい。コイツの首から上は見たか?」
『な、なんじゃ?』
何やら見知らぬ外国語で荒っぽそうな男から話しかけられ、指を差された老人があたふたしている。
「閣下。あまり民衆を怖がらせるなよ」
「はぁ?今の俺のどこに怖がらせるような要素があるってんだよ」
「……目撃者は私から探そう。どちらにしろ、閣下の言葉は私以外には通じない。おい!誰かこの中に被害者か犯人の顔を見た者はいないか!私は宮廷魔術師のクロエ・フォンテーヌだ!凶悪犯の探索の為、協力をしてほしい!」
実際に彼女が事件解決のために動くわけではないが、そろそろ駆けつけるであろう衛兵にその情報を引き渡す。それだけでも十分だろう。あまり目立ちたくはなかったものの、善は急げだ。
いくつか手が挙がったので、クロエはその者たちを全て自身の近くへと手招きした。
「では、一人ずつ話を聞こう。将軍、少し待っていてもらえるか?」
「好きにしろ」
トニーもきな臭い何かを感じてはいるが、この事件に対して何か行動しようとまでは思っていない。適当に証拠を集め、宮廷か騎士団あたりにクロエが報告して終了、というだけだ。
『これは高利貸しの胴元だった男だ、間違いねぇ!』
『いいや、あたしは昔見た大臣様のお顔に似てたと思うよ』
『何を言いますか、商会の大旦那ですよ。去年お会いしたので見間違うはずがありません』
三者三葉のバラバラな目撃証言が飛び交う。これでは何が真実なのか分からないが、クロエは丁寧に一つ一つ頷きながら話を聞いている。
『道を空けよ!我らは王国騎士団警ら隊である!』
ここで、やっと騒ぎを聞きつけた三人の騎兵が声を張りながら現場へと走ってきた。
「うむ、ご苦労。よく来てくれたな。見ての通り、大変な騒ぎだぞ」
『これは、フォンテーヌ嬢。お手を煩わせましたな。本日は休暇中でしたか』
どうやら顔見知りのようだ。城下ではなく王城に詰めている騎士なのだろう。
三人は次々と下馬して片足で跪いた。
「そんなところだ。犯人を見た者はいないが、こちらの被害者を見た者が彼らだ。だが、皆バラバラの人物だと言っていてどうにも要領を得ない」
『分かりました、後は我々が引き継ぎましょう』
その回答と同時に、今度は槍で武装した歩兵たちが十人ほどやってきた。それを見た三人の騎士は合図もなく役割分担をして、一人が目撃者への聞き込み、一人は被害者の検死、最後の一人は歩兵隊を指揮して現場を円形に封鎖した。見事なチームワークだ。
「血なまぐさいデートになっちまったな」
「将軍がわざわざここまで足を運んだからだろうに。しかし、白昼堂々殺しとはな。それも首まで刎ねてそれを持ち去るとは大胆不敵な」
「パリってのは常日頃からこんな物騒な事件が起きるのか?」
クロエはいいやと首を左右に振る。
「大通りで殺しなんてそうそう見ないさ。被害者が表の人間なら、首に懸賞金をかけたのはやくざ者だろう。殺ったのはそこらのチンピラではないか?」
「鉄砲玉にしては手際が良いとは思うがな。おそらくプロの暗殺者じゃねぇか?雇い主は……こんだけデカい街なら裏稼業の組織の一つや二つあるだろう。目立つ場所でやるしかなかったってことは、よっぽど額が高かったのか、焦ってたのか。首の競争率が高いんなら、ソイツも今頃は横取りで殺されてるかもな」
現世でフランスはイタリアやアメリカのようなマフィア、ギャング組織とは縁遠いイメージがあるが、実際にはいくつもの犯罪組織が存在している。この世界でもきっとそうだろう。
そして、トニーの予測は現実のものとなる。
さらに移動した先で、胸を刺されて倒れている男が発見されたのだ。動きやすい軽装の上に外套を被った、いかにも暗殺者といった出で立ち。外套の下は刺されていないはずの背面にも血がべっとりとついていて、首を包んだまま背負って移動していたのだと思われる。
だが、彼は意識こそないものの息はしていた。
これまたその現場に立ち会ってしまったトニー達だったが、こちらは既に医者が駆けつけており、その場で手当てをしている最中だったので、特に二人は何か関わるわけでもなく立ち去る。
「何がそうそう見ないだよ。イベントに富んだ街じゃねぇか」
「日を改めた方がいい気さえしてきたな……」
「構やしねぇよ。だが、美術館って気分じゃねぇな。武器か防具でも見たい。案内しろ」
ようやく出たトニーの希望で、二人は武具店へ向かった。武器は銃に魔術と十全だが、防具は破魔衣を仕込んだスーツでも不安だ。魔術を放たれるより、刺される可能性の方が圧倒的に高い。
店は最近できたばかりの大型店舗で、広い店内は屈強な戦士から華奢な女まで、様々な客層で賑わっていた。
トニーは特に何か欲しいものを決めてきたわけではなかったが、衣服の内側に仕込む防刃用の鎖帷子など、なかなかいいものが揃っている。
「確かに、そう言ったものがあれば安心だな。だが勘違いしないでくれよ。本当に普段はこんな物騒な街ではないのだ」
「分かった分かった。今日以外は安心安全な街って事にしといてやるよ。しかし、もっと軽いチョッキはねぇのか。何かあんだろ、プラスチックとか、グラスファイバーみたいなやつとかよ」
よっぽどこのパリを嫌わないで欲しいのか、クロエの必死な弁解にトニーも両手を挙げて降参のポーズだ。
「軽くて丈夫な防刃服か。そんなものがあれば大繁盛間違いなしだろうな。防御力で言えば、やはり鉄に限る」
残念ながら、トニーがスーツの下に仕込んでも気にならないような物はないようだ。
クロエの言う通り、こちらの世界で軽量な防弾防刃チョッキなどあればそれはまさに大発明だ。プラスチックのような工業製品は存在しないのだから。
「見ろよ、杖もあるぞ。面白れぇ」
「気になるものがあれば試せるぞ」
逆に、現世の武具店では考えられない魔術用の触媒が棚に飾られている。
もし現世で拳銃や機関銃の横にこれが置かれていたとしたら、何の冗談だと笑いの種にしかならない。
「試し撃ちか。いいじゃねぇか。裏に射撃場でもあんのかよ」
「射撃場?」
「あー、何だ。だだっ広い場所で、先に的でもあんのかって話だ。弓とか試したい奴がいれば役立つだろう」
「あぁ、そういう事か。あるかもしれんが、魔術の触媒くらいであれば店内で試してもいいさ。もちろん威力は最小限でな」
これはトニーにとっては少々厄介な話だ。
彼は大魔王から直接魔力を引き出してもらったおかけで、素手ですら魔術の発動が出来る。かなり使いこなせるようになり、多少の威力の増減は可能だが、その最小単位自体が大きいのだ。
クルーズの髑髏を模した死霊杖など、強力な触媒を使った場合はたとえ最小限に抑えた発火の魔術でも巨大な火球となってしまう。
ここに並んでいる杖がそれほどに強力だとは言わないが、普段指先から煙草に火をつける際に出しているような程度では済まないはずだ。中国で奪った小さな指輪型の触媒ですら、人の背の半分ほどの炎が出てしまう。
「……別に放火魔になんかなりたくもないってんだよ」
一度は杖を手に取ったが、それを棚に返すトニー。
クロエは直々にトニーの魔術を見れるのを期待していたのか、急かすような視線を送ってくる。
「どうした、将軍」
「やめだ」
「えっ、どうしてです?気に入るものが無かったのか?これなんかどうだ」
樫の木で出来た小ぶりな杖。おとぎ話の魔女が使っていそうなそれを手に取り、クロエは極々小さな発火の魔術を使った。ライターの点火ほどに小さく、洗練された魔力の制御だ。さすがは宮廷魔術師様といったところか。
「違う違う。俺が杖なんか使うとこの店が焼け落ちるって言ってんだ」
「どういうことだ?普段はどうやっている?」
「こうだな」
両手に一つずつある指輪型触媒も外し、左手の人差し指から発火。その炎はクロエが杖で点けたものよりも少し大きい。
「なっ!?それは……!?」
当然、クロエは驚く。その魔力の大きさにではない。触媒無しにどうやって魔術を使っているのか、という点においてだ。
「火だろ」
「違う違う!そういうことを言っているのではない!」
トニーが拳を握ると、炎はパッと姿を消した。破魔衣が守っていない部分ではあるが、特に掌に熱さなどは感じない。
彼女が驚いていることを理解したうえで、ニヤリと笑って見せるトニー。
「種明かしが必要か?ベッドの上でしか答えられねぇがな」
「まさか、見えない触媒があるのか?それとも、手の中に埋め込んでしまっているのか!」
「どうだろうな。だがこれで俺に杖の試し撃ちは不要だってわかったろ」
たとえ何か購入してもトニーは基本的に手ぶらを好む。ジャケットかベルトに拳銃を忍ばせ、指輪型の触媒をつけているだけでも十分な武器がある。ほとんど魔法杖を携帯しないのもそのせいだ。
「不要なのは分かったが……ところで、将軍は魔術以外の武術も習得しておられるのか?」
「いいや?ステゴロの喧嘩にゃ自信があるが、何かやってたわけじゃねぇな」
「それは意外だ。その恵まれた体格であれば、剣術や槍術も名人級になれたであろうに」
ガキ大将だったトニーは腕っぷしこそ強いが、銃社会、特に裏社会ではそういったものも大して意味をなさない。現実的に見て、護身用にボクシングや空手をやってもよかった、といった程度だろうか。離れた後ろから撃たれれば終わりなので、あくまでも補助的なレベルでしか期待できないが。
「剣ねぇ。あるのは日本刀のコレクションくらいだな。観賞用だ。まぁ……ここには置いてねぇか」
「日本刀?聞いたことのない武器だ」
「日本、あー、アジアの島国で使われる片刃の剣だ。刀身に反りが合って、打撃一辺倒の西洋直剣よりも切れ味が抜群でな。拵えがシンプルで見栄えもいい」
いくら口で説明しても実物を見るのに比べてほとんど伝わらないだろうが、クロエは「ほう」と返した。
「お前は宮廷魔術師だろ?武具なんざ興味ねぇだろうに」
「何を言う。ここフランスでは魔法戦士、あるいは魔法剣士と呼ばれる者は少なくない。我ら宮廷魔術師も魔術単独ではなく、武器と併用して運用する術も日々研究しているのだ」
「魔法戦士なんてのがいるのか。器用貧乏になりそうなもんだがな」
魔法戦士はフランスでは重宝される。多彩な攻撃で相手と渡り合えるが、トニーの言うように特化しない分、中途半端になりがちでもある。
「そうならぬように鍛錬をするのだよ。しかし、その日本刀と言う武器。それほどに斬れるのであれば魔剣に加工すれば強力なものになりそうだ」
「そんなもんにしなくても十分だ。鉄だって斬れるぞ」
「それは驚きだ。ますます興味深い。その日本、という国は遠いのか?」
遠いのか、と訊かれてトニーはほとんどこの世界の地理が分からないことに気付く。アメリカ大陸や侵攻途中のアジアやロシアの事は分かるが、その距離などは全く分からない。よく往復していたロサンゼルスから北京とて、一瞬で転移しているだけでその距離は不明だ。
アジアとヨーロッパがそばにあるのは知っているが、日本を含む、大陸外の国などはいったいどこにあるのかすらも分かっていない。
「まぁ、多分遠いんじゃねぇのか?何度も行ったが、正直分からねぇ。何月もかかる船旅になるのは確実だな」
「行ったのに分からんとは、また不思議なことを言うものだな」
「自分でもそう思うぜ。何でフランスなんかにいるのかも良く分からねぇんだからな。最初に言ったろ、特に理由はねぇってよ」
クロエが目をパチクリとさせる。
「閣下、それではまるで……どうやってここに来たのかもわかっていない、という意味に聞こえるのだが。まさか、船旅の途中で魔族か海賊、あるいは嵐や高波にでも攫われて、運よく生き延びたのか?」
「いや、どうやって来たのかは覚えてる。だが、こんなに長居するつもりはなかった。すぐに帰る予定だったからな」
「なるほど、トラブルがあったのは帰りの船便の方と言うわけか。しかし、アメリカから大アジア大陸や大ヨーロッパ大陸に渡れるというのは驚きだ。何せ、恐ろしく荒い海が行く手を阻むと聞いている。行き道で船が損傷し、簡単には帰れなくなったのであろう?」
ようやく合点がいった様子のクロエだが、トニーの回答はそれを否定する。
「違う。そんな海が大陸間にあるのか?まぁ、俺には関係ねぇ。それで人間は直接アメリカに来るのが難しいってわけか」
「ふむ……貴殿は一体どうやって来たのだ?」
とうとうそれを聞かれてしまったが、トニーは一瞬の迷いもなく返した。
「ちゃちゃっと飛んできた。ただし、俺自身じゃなく、部下共の手でな。その部下共が行方不明で帰りのアシがねぇ」
「飛んできた?空を飛んできたというのか!」
「おっと。それ以上は聞かせられねぇな。続きはベッドの上でだ、いいな?」
「むぅ……それは残念だ」
重要な事を教えたかと思えば思い付きの冗談ではぐらかす。クロエの方もトニーが気分屋で自分勝手なのは分かってきているので、それ以上は追及せず肩をすくめただけだった。
もっと彼の機嫌がいい時、そうでなくとも別の機会に同じ質問をすれば、運よく答えてくれることもあると思ったようだ。
そしてそれはあながち間違いではない。
「残念がるばっかりじゃねぇさ。そのトラブルがなきゃ、今こうして俺とお前が話すことなんてないんだからな」
「ふふ、それは言えていますね。だが、帰りたくとも帰れないというのは気の毒だ。どうにか部下と合流できれば良いのだが」
「忽然と姿を消したからな。迎えの予定を大幅にオーバーだ。ただ、自発的にそうしたんじゃなく、あっちもあっちで何か問題が発生して俺のところに来れなくなってるみたいだな」
みんな死んでしまったのか、何らかの理由で転移が出来ないだけなのか、トニーに対して裏切りや嫌がらせなどする理由もないので、大きな問題が起こっているのは間違いない。
「自力でその……飛んで帰るというのは?」
「無理だ。俺だって何でもできるわけじゃねぇ。例えるなら、一人で大海原に軍艦を持ち出しても動かせねぇだろ。航海に長けた船員が要る。飛ぶってのはそういうこった」
「言っていることは分かるが、本当かね……?」
ジトっとした目でトニーを見つめるクロエ。言っていることは的を得てはいる。しかし、トニーのような素晴らしい魔術の力があって、そんなことはあり得ないだろうといったところか。
トニーの話に騙されやすいカトレアとは違い、クロエは先ずトニーの言葉を疑う、という事を覚えたようだ。
「俺ほど正直でまっすぐな青年はいねぇってんだよ。地元一の人格者だからな」
「はぁ……その一言でますます胡散臭くなったよ」
「おや?何やら騒がしい客がいると思えば、バレンティノ将軍にクロエ嬢ではありませんか」
隣から声をかけてきたのは、騎士団の通訳の男だ。下士官らしく部下を二人伴って武具店を覗いていたらしい。甲冑は来ていないが、軍服に短剣や直剣を下げている。
「おう、お前か」
「ごきげんよう」
トニーとクロエの返事に、通訳の男と部下二人は改めて頭を下げる。
崖崩れで離れてしまった残りの団員と合流するまで、彼らには数日間の逗留が予定されている。それは分かっていたが、これほど人の多い城下で鉢合わせになるとは予想外だ。
「お前は武具なんかに興味のないタイプの兵隊だと思ってたんだがな」
「えぇ、まさに仰る通りですよ。剣を振り回しているより、書物を読み漁っている方が性に合っていると思います。ここにいるのは上からの命令でして」
装備の新調か修理でもするのか、その為の下見のようなものだと思われる。ここ以外の武具店も回っているはずだ。
「上?お前の主人は部隊から離れてるはずだろ」
「……ジェラール卿の事を言っているのであれば、あなたのせいですけどね。ところで結局、ジェラール卿に大怪我を負わせ、アルダン卿を殺した事はお咎め無しだったのですか?」
「なぜ彼が咎められるのだ?私の方では、一応は決闘だったと聞いているが。違うのか?」
もちろんクロエにも伝わっているが、彼女が沙汰を下すわけではあるまい。水に流されたのか、王宮で審議中なのか。しかし、後者であればこうして自由にできるはずもないので、トニー本人も楽観視している。
崖崩れの際に騎士団の連中の命を助けたのも、上の心証をかなり良くしているものだと思われる。
「今のところ何もねぇな。ただ、俺を捕らえようってんなら、首の一つ二つは覚悟するべきだぜ」
「アルダン卿とは確かに決闘でしたが、ジェラール卿には不意打ちだったはずですよ」
「そうだったか?どうあろうとそっちは生きてるからいいだろうが。後からネチネチ言ってくんじゃねぇよ、女々しい奴だな」
はぁ、と通訳の兵士がため息をつく。
「勘違いしていただきたくないんですが、バレンティノ将軍に重罪を科して欲しいと言っているわけではないんです。貴方にはそれ以上に恩もある。一見、粗野なお人だが、極悪人じゃないというのも分かってるんです」
「なら何だってんだよ。お上が何も言ってこねぇんだったらそれでいいだろうが」
「何もないなら何もないで、あの件は不問とするっていう返事くらいはさっさと貰わないと気持ち悪くないですか?後からネチネチ言うなと仰ったが、何ヵ月も経ってから追手が放たれてはそれこそ面倒でしょう」
つまり彼としても、トニーが正真正銘無罪であるという確証が欲しいわけだ。真面目な人物らしい意見である。
「ならば、今夜にでも私が訊いておこう。私とて、はっきりさせておきたい気持ちはある」
「それはありがたい。お願いいたします、クロエ様」
クロエが宮廷でどのくらいの力があるのかは分からないが、審議を行うお偉方と直接話すことは可能らしい。トニーとしてはどうでもいいので、止めたりはせずに放っておくことにした。
「何でお前らが気を揉むのかねぇ」
「本人が一番あっけらかんとしてるのがおかしいんですけどね!」
「うるせぇ。んで、いつまでもくっちゃべってていいのか?何の命令か知らねぇが、お務めを遂行しろよ。言い換えると、美女とのデートの邪魔だ」
「殺人事件などに巻き込まれている時点で、逢い引きとは呼べない雰囲気だと私は思うよ」
しっしっ、と手で追い払うトニーと、ため息をつくクロエ。彼女が言った殺人事件、という言葉が通訳の兵の顔をハッとさせる。
「殺人事件!?なんですか、それは!すぐに処理に向かわなければ!」
彼らは武具店を回る際に現場付近を通らなかったようだ。初めて聞く殺人事件が起きたという事実に大慌てで飛び出していこうとする。
……が。
「ぐぉっ!?」
トニーに足を引っかけられて派手に転倒した。ろくに受け身も取れず、本当にそれで軍人なのかと思えるほどコメディチックにド派手な転びっぷりだ。
クロエはおろか、二人の部下も笑いをこらえている。
「ななななな、なんですか!閣下!」
「落ち着け。もう、別の警らの連中が現場には来てる。それまでは俺らがその場で見張ってたからな。今さらお前の出る幕じゃねぇよ」
「そうでしたか……しかし!わざわざ転ばせなくてもいいでしょう!」
二人の部下に支えられながら、顔を真っ赤にした通訳の兵士が立ち上がる。
「声かけるだけで止まったんならそうしたがな。それに、これくらい避けねぇでどうする。王国騎士団の名が泣くぞ」
「余計なお世話です!まったく、邪魔だと追い払おうとしたり、足払いしてみたり、お忙しいお方だ……では、我々は別の店も見て回りますのでこれにて」
腹を立ててはいても、一応は礼儀に則って深々と頭を下げる。そのまま三人の兵士たちは退店していった。
少々騒がしくしていたせいで、遠巻きに見ていた他の客や店員らもこちらへの興味を失う。
「では次はどこへ行こうか、将軍」
「街を一望できるような場所はないか?今後一人でぶらつくなら、少しは土地勘が欲しい」
「それならやはり王宮だろう。城下の中で、という意味であれば街全体の外縁を囲む城壁を一周する散歩などはどうだろうか」
まだ城へ戻るには早い。二人は衛士らが勤務する城壁の上へと向かった。
『なんだ?ここは立ち入り禁止だぞ、お二人さん』
街の最奥部まで出て、適当に最も近かった階段から城壁へと上がる。その前に誰からも止められなかったのは意外だったが、やはりその上では衛兵から注意を受けた。
石で組まれた城壁の上は幅が広く高さも十分で、街の外側と内側の両方を見渡せる。円形に街全体を包み込んでいるそれは、一周歩くだけでもかなりの時間を要するだろう。
「景色のいい場所を探しててよ。邪魔するぜ」
『あん?なんだって?お前ら外国人のカップルか?ここは観光地じゃないぞ、早く降りろって。小隊長にみつかったら俺がどやされちまうだろうが』
「すまない。今は身分を示せるものがないのだが、私は宮廷に仕える魔術師だ。彼は私の客人でな」
『嬢ちゃんは喋れるのか。しかしそんなこと急に言われて信用できるわけねぇだろ。ほら、降りた降りた!』
何だか良く分からないが、追い払われようとしていることはトニーにも伝わった。大方、ここは一般人の入場を禁じているとか、そんなところだろうと見当はつく。
「おら、とっとけ。ガタガタうるせぇんだよ、下っ端。見張りらしく黙って突っ立っとけ」
『なっ!?』
いつもの調子で金貨を投げつけるトニー。小さいので、相手はそれをキャッチできずにチリンと石畳で音を立てた。
人を動かすには力か金、それだけがトニーの持つ回答だ。
「待て、将軍。兵士を買収するなど言語道断だ。話せばわかってくれるはずだろう」
『将軍……?お、おい、アンタらはいったい……?』
「地面に落ちた金貨を俺に拾えって言ってるのか、クロエ」
「では私が拾おう。今後、貴方との食事代などにこれを使わせていただく。それなら問題ないな?」
内心では自分の懐に入れたかったに違いないが、兵士はそれをグッと抑えてクロエの行動を見守った。
簡単に金貨を投げるような人物、嘘か本当か、かたや将軍、かたや宮廷魔術師だというこの二人への対応に心底困っている様子だ。
『あの、えっと……』
そして、彼がオロオロとしている間に、他の兵士達も異変に気付いて集まってきた。
『どうした、何か問題があったか』
『あぁ……小隊長。彼らが昇ってきてしまったんですが、ここから降りてくれなくて』
その内の一人、責任者らしき壮年の男。彼だけは甲冑ではなく軽装の軍服に身を包んでいるが、プロレスラーのような筋骨隆々の身体のラインが見て取れた。刈り込んだ黒い短髪、蓄えた口ひげ。いかにも叩き上げの鬼隊長といった出で立ちだ。
『ほう?』
それは面白い、とでも言うようにトニーとクロエを嘗め回すかのごとく観察してくる。外敵の侵入もなく、退屈していたせいでトラブルを待ちわびていたかのようだ。
「何だ、ジロジロ見てきやがって。文句でもあんのか、コラ」
「私は宮廷魔術師のクロエ・フォンテーヌという者だ。責任者は貴方で正しいか?」
トニーの英語が伝わらないのを幸いに、クロエが前に出て小隊長と話をし始めた。伝わってはいないが、放っておけばすぐにでも殴り合いになりそうな雰囲気なので当然だろう。
喧嘩で済めばいいが、特にトニーは相手を殺してしまいかねない。
『あぁ。俺がここらを仕切ってる。で、宮廷魔術師様が何の用だ?』
身分の真偽など関係なく、目上だろうと粗暴な振る舞い。大きな体だけではなく、性格もトニーとよく似た人物であることが分かった。
「こちらは私の知人で、外国から来られた将軍なのだが、街を一望してみたいと言っていてな。それで城壁ならばそのまま城下を一周できるし良いだろうと思って、ここへ来た」
小隊長の目の色が変わる。怒りだ。
『外国の将軍だぁ?よその国の軍人、それもトップに近い奴を街に入れて、なおかつ全体を細かく見せてやろうってのか?ここは防備の要だぞ』
戦略的に急所を見せることはありえない、と言いたいようだ。なるほど、いち、衛兵の主張としては正しい。
「彼の国と我が国は敵国ではない。観光だと言っている。無茶な願いだとは思うが、どうにかしてくれ」
『断る。正規の手続きを踏んでくるんだな。押し通るってんなら二人まとめて叩き潰すぞ、小娘。外敵から街を守るのが俺達のお勤めなんでな』
小隊長は心底馬鹿にした態度で、クロエの顔を覗き込む。突然の接近にクロエは半歩下がってたたらを踏み、トニーに両肩を支えられた。
『隊長!またお偉方と揉め事を起こす気かよ!やめとけって!』
『構やしねぇさ!やっちまえよ、小隊長!』
周りに集まっていた兵士は、止めようとする者と煽ろうとする者の両方が騒ぎ立てる。
「な、な、なんたる無礼だ、貴様!さすがの私も黙ってはおれぬぞ!」
『先になめた態度とってきたのはそっち……うぉっ!?』
身体をひねってとっさに回避したのはさすがの反射神経だと言えよう。そこを直後に通過したのはトニーの渾身の右ストレートだった。
「にやけ面で顔なんか寄せやがって、この女の唇でも狙ってやがったか?何喋ってんだかは知らねぇが、とりあえずの挨拶代わりだ。俺の許可なく避けんてじゃねぇよ、おっさん」
『おもしれぇ。外国の将軍ってのはこうも好戦的か。想像してたのはもっとお上品な……うぉっ!?』
次は小隊長の目の前で小さな火球が爆ぜた。だがこれはトニーの手によるものではなく、その後ろにいるクロエが放った魔術だ。
「はい、そこまで!双方、私の目の前でのケンカは許しませんよ!」
「んだよ、お前も乗り気なのかと思ったから加勢してやったんだぞ」
『焚きつけたのはアンタらの方だろうが』
敵味方の両方からクロエに対してブーイングが上がってくる。争いを止めるのは正しい判断のはずだが、何とも心外だ。それに彼女としては小隊長が言うような悪い態度をとった覚えはない。あくまでもどうにか例外的に散策を許可してくれと頼んだだけだ。
「もういい。手ぇ出すなって言うんなら、さっさとてめぇでナシつけろよ、クロエ」
そう言ってトニーは葉巻に指先で火を灯す。勝手に城壁の外側の淵へと近寄り、街の外に広がる田園風景を眺めながらの一服だ。
『自分の若いころを鏡を見てるような兄ちゃんだ。あれで将軍とはな』
「ふふ、貴様も気に入っただろう?見ての通りの自由な御方だ。それでいて腕っぷしも魔術も超一流ときてる」
『さては惚れてるな、嬢ちゃん。いいとこ見せてロマンチックな気分に浸るために、城壁の上をデートコースに利用しようってんのか?それは男の役目だろうが』
「まさか。大事な客人だ。妬いているのなら貴様が案内せよ。エスコートは男の役目なのだろう?」
これは一本取られたな、と小隊長は豪快に笑った。
……
『あそこがルーブルだ。どうだ、立派なもんだろう。たかが美術館にあれだけ荘厳な建築を施すとは、流石は芸術の都、パリに住むフランス人の魂だな』
小隊長が三階建ての白銀色に輝く大きな建物を指さして、クロエに言った。
「私にではなく、閣下に説明してほしいものだが……」
『言葉が通じないんだから仕方ねぇだろうが!』
「おい、何でこのおっさんが案内役を務めてんだよ」
先ほどまでの険悪なムードは消え、意気揚々と案内を買って出た小隊長。仏頂面ではあるが、大声で説明をして回ってくれているので、案外嫌々というわけではなさそうだ。
『あぁ?質問か?おい、宮廷魔術師、将軍は何て?』
「見事な建築だと感心なさっておられるよ」
トニーの文句を適当な言葉に変えているクロエもなかなかの策士だ。
『そうかそうか。分かる男で良かったぜ。あっちに見えるのが……』
「おい、だからなんでコイツがいるんだって」
大手を振りながら説明を続ける小隊長の後ろで、トニーがクロエの背中を小突いて訊く。
「通してもらえないよりはマシだろう?素通りが気に食わないようだったし、いっその事ならと案内を頼んだんだ。引き受けてくれたことは私自身も驚いているぞ」
「どいつもこいつも意味不明だぜ」
「貴方にだけは言われたくない言葉だな」
別に彼がいたところで何の支障もないはずだが、トニーはそれからもぶつくさと嫌味や文句を続けた。
時折、その反応の意味を小隊長がクロエに伺ってくるが、見事だ、素晴らしい、未だかつて見たことない、などと偽った誉め言葉に翻訳し続けるだけだ。
カンカン!カンカン!
そんな中、警鐘が鳴り始めた。まずは一か所から。そして街をぐるりと囲む城壁の上に設置された鐘が、連鎖的に響き始める。
「なんだ?」
「分からん。これは何だろうか?」
トニーが魔族の侵入ではないかと期待しながらクロエに訊き、そのクロエは不安そうな顔で小隊長に質問する。
『この打ち鐘は火事だな。ほら、あそこで煙が上がってる』
「火事だそうだ」
衛兵にしか分からない微妙な鐘の打ち方の違いで、起こっている問題が把握できるらしい。
小隊長が示す先には、目を凝らさないと分からないような細い煙が確かに昇っていた。
カンカン!カンカン!
『いや、待て。鐘の音が変わった。魔族みたいだな。だが、大した数じゃなさそうだ。警ら中の騎士たちがどうにかすんだろ』
「将軍、大変だ。火事も起こってはいるが、魔族が侵入してきているらしい」
「来たか!どこだ!すぐに向かうぞ!」
落ち着いた様子だったはずのトニーが突如として騒ぎ始めたので、二人はキョトンとしている。
『おい待てよ、魔族って言っても少数だぞ?大攻勢の緊急警鐘じゃないからな。すぐに鎮圧されて終いだっての』
「将軍、落ち着け。我々の加勢など無意味だ。少数らしく、即座に成敗されて終わりだろうとの事だ。どうしてもというなら行っても構わんが、おそらく無駄足だぞ」
「うるせぇ!俺が行くって言ったら行くんだよ!おっさん、さっさと案内しろ!」
間に合わないからと早々に諦める選択肢はない。
トニーはグイッと小隊長の腕を引っ張った。
『おいおいおい!なんだよ!気安く触んなっての!』
「将軍!魔族への恨みが強いのは分かる!だが落ち着いて聞いてくれ!いくら急いでも、もう間に合わない!」
クロエはトニーの焦りを、アメリカという魔族の国で迫害を受けながら暮らしてきた恨みからなるものだと勘違いしている。トニーはすぐにでも駆け付け、自らの手で魔族を殺したいのだと。
もちろんこれは大きく異なる。トニーは部下やファミリーの人間が待つロサンゼルス、或いはフィラデルフィアへの帰還を望んでいるだけだ。
だが、トニーも理由までは話さない。というより魔族が味方だとは話せないし、話したところで敵対するか、信じてもらえないだけだ。
「間に合わせるんだよ!早くしろ!」
『嬢ちゃん。何だか知らねぇが将軍は必死だな。一応、行ってみるだけ行ってみようじゃねぇか』
「無論、危険が少ないのであれば別に構わんが……」
小隊長が先頭に立ち、城壁から城下町の方へ階段を下っていく。
鐘を聞いた住民たちが何事かと家から通りに出てきている。火事だ、いや魔族だ、と言い合ってはいるが、慌てた様子はない。
クロエが言っていたが、普段は安全な街だというパリの住民だ。どこか日和見というか平和に慣れてしまっているのだろう。
殺しの現場や火事、魔族の侵入と、規模こそ大したことはないが、三つもの事件が同日に起こったのは、そしてトニーがそれに関わることになったのは非常に珍しいケースだと言える。
魔族の侵入地点は分からないので、小隊長は城壁の上から見えた火事の煙を目指している。
背の高い建物も並ぶ街の中を右に左にと折れながら、目的地を見失わないのはさすがの土地勘だ。
初めから多かった人通りが、さらに増えてきた。野次馬のような群衆だ。
殺人事件の時もそうだったが、これも日和見主義の弊害と言える。解決しようという者はいなく、まるで見世物のように火事の現場を見物しているのだ。
消化活動に当たる騎士団や、そこへ向かおうとしているトニーらにとっては邪魔者以外の何者でもない。
『おらぁ!どきやがれ!衛兵隊だ!』
「どけ!殺すぞ!」
二人の屈強な男が怒号を飛ばし、人垣をかき分けていく。その後ろをクロエが申し訳なさそうに追従しているのが何ともシュールだ。
煙は細かったはずだが、ここまでくると黒々としたそれは誰の目にもはっきりと見えた。
燃えているのは面積が大きな建物で、野次馬たちの話によれば図書館らしい。魔族が狙ったのか、魔族の侵入は別地点でこれは単純な火事なのかは不明だ。
『水を運んできてくれ!』
『こっちは負傷者だ!診療所へ!』
『瓦礫が道をふさいでいる!もっと人を寄越してくれ』
ついに到着した火事の現場である図書館。なるほど、なかなか立派な物だったのだろうが、真っ黒に焼けてしまって見る影もない。
火の手が地味だったのは建物の大半が石造りだったからで、内側でつなぎなどに使用されていた木造部分が焼け、建物全体が崩壊したようだ。
現世のような消防隊などは存在しないので、近くにいた騎士団や衛兵らが続々と集まってきて消火と救出活動を行っているところだった。かなり少ないが、民間人で作業に手を貸している者もいる。
『おっと、これ以上近づくと俺にも手伝えと言われちまいそうだ。で、将軍は何を慌ててたんだ?』
火消しや人助けをする作業に飛び入りでボランティア参加する為ではないだろう、と小隊長が訊く。自分に似ているからこそ、トニーがそんなつもりでここを目指していたわけではないと理解できたようだ。
「それで何をするつもりなのだ、と」
「魔族だ。魔族の目撃情報を探す」
「こうして人を助けているのだ。とうに退治されていると思うがな。一応は聞いてみるか」
クロエがそう言いながら適当な人足を捕まえる。
もし近くに魔族がいるのだとしたら、まずは住民の避難や迎撃を最優先させ、燃えてしまった図書館に対しての作業には取り掛かれていないはずだ。
『え、魔族?まさか、この火事は魔族の仕業だってのか?』
何も知らないその男からは、反対に質問を返されてしまった。責任者や指揮官、隊長クラスの人間に質問した方が早そうだ。
無論、それに気づいたクロエは次々と騎士や兵士を捕まえては同じ質問を繰り返している。彼らが嫌な顔一つしないのは、街で綺麗な女に声をかけられて嫌な気がしないからだろうか。
明らかにそこにいるはずのない不審者としての扱いだった城壁の上とは大違いだ。
そして、ようやく魔族の侵入を示す鐘について知っている人物を引き当てた。この火事の現場の総指揮を執っていた若い騎士だ。
『魔族?よく知っていますね……と言いたいところですが、そちらにいるのは衛兵か。棒立ちしているくらいなら手伝って欲しいものですがね』
「すまない、彼のことは見逃してくれ。無理やり私が連れてきただけなのだ。それで、戦うつもりではないのだが、我々は魔族の痕跡を探している」
『……先に聞かせてください。あなた方は?一般の方ですか?』
何やら含みのある言い方。フランス語を直接理解できないトニー以外の二人には、それが伝わる。
「いいや、私は宮廷魔術師だ。貴殿の事も王宮内で見かけたことがある気がする。彼はお察しの通り、城壁の衛兵たちをまとめる小隊長。そしてこちらは、私の客人として外国からいらしている将軍閣下だ」
『なるほど、それであればお伝えしても問題ないかもしれません。ただし、一般人にはくれぐれもお披露目にならないようにご留意願います』
「もちろんだ。それは約束しよう」
手を添え、声を落とす若い騎士。
『実は、ごく少数の魔族の侵入を確認したが、捕り逃したとの情報が入っています。楽観視すれば既に逃げ帰ったのかもしれませんが、未だパリの街に潜伏している可能性も大いにあります』
「なんと……それは危険だな」
『おいおい、次は将軍様をそんなあぶねぇ場所に案内しろってか?とはいえ、どこに潜んでるかなんて俺でも見当つかねぇけどな』
トニーにとっては朗報なのだが、クロエと小隊長の顔色が曇る。
「とにかくありがとう、騎士殿。あとはこちらで探してみる。秘密裏に動くのであれば騎士団員を動かすのではなく我々だけに任された方が住民も不審には思わないのではなかろうか。最終目撃地点はどこだ?」
『たしかに仰る通りですね。ではお任せしましょう。最終目撃地点はまさにこの火事現場の裏手の通りと報告を受けています。それで出火の原因は奴らではなかろうかと踏んでいるんですよ。あなた方の力を侮るわけではありませんが、決して油断なさらぬように』
「承った」
騎士に対して丁寧にお辞儀をし、クロエがトニーに向き直る。
「おい、どうなってる?」
「喜べ、将軍……とは個人的に言いづらい状況だ。魔族はこの近くで見失われた。今も城下のどこかに潜んでいる可能性がある。もしそうなら危険だが、逃がしたくなければ派手に探し回るのはお勧めしない」
「隠れる魔族?珍しい奴もいたもんだな。だが、好都合だ。必ず見つけ出す」
トニーの知る魔族の兵士らは基本的に猪突猛進だ。特に、魔族同士の戦闘よりも、人間の街への侵入時にはそれが顕著になる。ほとんどの人間が彼らに太刀打ちできないほどの力の差があるからだ。
「うむ。我らはこのまま街を探索するが、どうする?」
『俺か?城壁の警備に戻る、と言いたいところだが、魔族がいるって聞いちまったからな。付き合ってやるよ』
小隊長も何やら面白そうなことになるのを期待している節がある。結局は退屈な業務に戻ることを選択しなかった。
「隠れられるって事はスケルトン兵辺りか?オーガやリザードマンにできる芸当じゃねぇな。人込みでも目立たねぇんなら人間の服を着てるかもしれねぇ」
「なるほどな。さすがはお詳しい。その、スケルトン兵とやらはどのような見た目をしているのだ?」
「見た事ねぇのか?簡単だ。名前の通り、白骨化した人間みたいなもんだ。動き回ってるガイコツがいたらソイツがスケルトン兵だよ」
パリへの魔族の侵入にはスケルトン兵が来たことが無いのか、或いはクロエが魔族への対応に当たるようなことが無いのか、彼女はスケルトン兵を知らなかった。
「オーガやリザードマンというのは?」
この言葉で、おそらく後者だと分かる。リザードマンやオーガ、スケルトン兵のような、最も多い種族のいずれも見たことが無いとすれば、普段から宮廷に詰めている彼女は魔族と直接対峙したことが無いし、そういった仕事が回ってくることが無いという事だ。基本的には騎士団が討伐を担当するのが大半だと思われる。
「何も知らねぇんだな、お前」
『何も知らねぇんだな、嬢ちゃんは』
トニーと小隊長の二人から全く同じ言葉が吐かれたのも納得だ。
「仕方なかろう。魔族の侵入時には、私はせいぜい遠目にしか見れないのだからな。ただ、全く経験がないというわけではないぞ。二度ほど、王宮内に飛び込んできた魔族を撃ち落としたことがある」
「インプか?ま、あれを殺れるくらいの力があるんなら、スケルトン兵に出くわしても平気だ。おら、行くぞ」
時と場合によるが、インプは魔術師や弓兵などにとっては最も討ちやすい魔族だろう。小型で体力も低い種族だ。
これが遠距離攻撃の手段を持たない騎士や戦士となると一気に不利になる。素早く空から降りてきては噛みつかれ、こちらの剣は空振り。徐々に損耗して、やがては食われてしまう。
スケルトン兵は痛みを感じず、完全に破壊されるまでは動き続けられるという点では強いが、そもそもの力が弱い。動きも人間と大きくは変わらないので、対人戦の知識があれば新兵ですら多少は戦える。ここにいる三人であれば何の問題もなく対処できるはずだ。
無論、魔族と話そうとしているトニーが攻撃など許すはずもないが。
「手分けして探すべきではないか?」
「いや、一緒に来い。奴らに用があるのは俺だ。勝手に殺したりしやがったら、ついでにお前らの首も刎ねるぞ」
「なんとも物騒な脅しだ……分かりましたとも。ここは大人しく将軍に従うとしよう」
クロエが肩をすくめ、トニーのやりたいようにやればいいと言った。ここまでついてきた時点で主導権はトニーだ。
初めは観光の名目のつもりだったが、次々と事件を目撃してうんざりしているのが分かる。小隊長の目は逆に爛々と輝いているが。
『ところで嬢ちゃんが将軍と話せてるのは魔術か?俺も直接話したいんだが』
「その通りだよ。しかし、残念ながら私自身にか適応されていない。不便だとは思うが、私を介して喋ってくれ」
クロエの魔術で翻訳できるのが自身だけというのは真実だが、たとえ他者に効果を出せても小隊長にはそれを使うことはなかっただろう。
荒っぽい二人はちょっとしたきっかけで口喧嘩になり、さらなるトラブルが増える未来しか見えない。
「おい、この近くってのはあっちか?」
「あぁ、この裏手だそうだ」
「そうか」
トニーはクロエからの派手に動くなというアドバイスはちゃんと受け取ったようで、何気ない仕草で歩き始めた。火事の現場にたどり着くまでは人をかき分け、駆け足で移動していたので、それと比べればゆっくりとした動きだ。
周囲も警戒してはいるが、首はほとんど動かさず、目線だけで建物の陰を確認している。
先ほどまでは集まっていた野次馬連中も、ある程度は帰り始めた。その流れに乗り、人込みに紛れ込む。もし、潜伏している魔族がいても、トニー達がそれを探しているとは思われないはずだ。
しかし、図書館の裏手の細い通りに入るとそれも許されなくなった。
みすぼらしい物乞いが一人、路地裏に座り込んで居眠りをしている以外、人がいなくなってしまったからだ。
「おい、お前」
『ん……あぁ?なんだ、アンタ?』
「こっちに魔族が来ただろう。どっちに行ったか答えろ」
伝わるはずのない英語でトニーが話しかけるも、物乞いはうつろな目で見つめ返してくるばかりだ。近くで火事が起きているにも関わらず、平然と寝ていたようなので、何かを見ていた可能性は低い。
「我々は魔族を追っている。この近辺で目撃情報があった。何か知らないか?」
クロエがそう付け加えると、物乞いの男はひらひらと手を振った。
『知らねぇなぁ。それより何か恵んでおくれよ。そしたら何か思い出すかもしれん』
ニヤリと黄ばんだ歯を見せて笑う物乞い。何も知らないはずだが、施しだけは貰いたいというわけだ。
「何か恵んでくれたら思い出せそうだと。だが、この様子ではきっと何も知らないぞ?」
「そうか。ならこれで思い出せ」
トニーは惜しげもなく金貨を一枚投げつけた。クロエはまたか、と息をつき、小隊長は訝しそうにトニーを睨んだ。
『は……?え……?金貨、を?』
トニーの予想外な行動に、何も貰えるはずがないと踏んでいた物乞いの方が驚いている。
「嘘をついたんじゃねぇだろうな?殺されたくなかったら、さっさと情報を教えろ」
「情報を教えればそれは与える。嘘だった場合はお前の首が代金だ、とこちらの御仁は仰せだ」
『ま、ま、待て!分かった!できる限りのことはする!そこらに俺の知り合いの物乞いどもが溜まってるはずだ!そこへ案内するから、彼ら一人一人から情報を集めてくれ!そのためにみんなを俺が紹介してやるから!』
金貨と命、どちらを惜しんだのかは分からないが、物乞いはそう提案した。
「……近くに物乞いの住処があるようだ、将軍。そこでなら何か知っている者が居るやも知れないと」
緊張した面持ちで、トニーの返答を待つ物乞い。
彼が「否」と言えばそこまでだ。クロエは止めるかもしれないが、小隊長はトニーが物乞い一人を殺したところで、あくびの一つしか漏らさないだろう。
「いいだろう。だが、そこでも何の情報もなかった場合、お前の命運はそこまでだ。せいぜい残り数分の余生を楽しめ」
「我らを案内しろ。ただし、その知り合いとやらも同じことしか言わなかったら……分かるな?」
『もも、もちろんだっ!絶対に誰かは見てるはずだ!魔族だろ!?デカいんだろ!?』
「いや……残念だが、逃げ隠れできるくらいならば、おそらくは大きくないのではないか?それとも、大きな魔族であれば見たのか?」
クロエの回答に物乞いは不安を高まらせる。普通ならば自分のように居眠りなどしてさえいなければ、誰かしらが目撃していたはずだ。
しかし、それも難しいような小さな個体だったとするならば……誰も見ていなかったとするならば……
頭の中に浮かんだ自身の最悪の最期を振り払い、物乞いはトニー達を先導した。
『つ、ついたぞ。ここだ』
ほんの数十秒歩いた場所に、路地裏の割には開けた場所があった。丁度、家が一軒分くらいの空き地だ。そこにテントと呼ぶにも貧相な、布や革を天面に張っただけの物乞いの住処が密集していた。
ここまで案内をした男と変わらないような汚らしい格好をした者たちが、地面に座り込んで安酒の瓶を回し飲みしながら談笑している。
「将軍、ここだそうだ」
「見りゃわかる。おい、全員にいちいち聞くのは面倒だ。ここに集めて整列させろ」
「全員を並ばせろと仰せだ」
『わかった。おーい、みんな!ちょっと来てくれないか!』
人数は十人足らずだが、トニーは一人一人に聞き込みを行うのを避けた。時間が惜しいのだから当然だ。
『なんだ?そちらのお金持ち夫婦と……衛兵?』
『おいおい、俺らをここから追い出して、この土地に新居でも構えようってのかよ。冗談じゃないぜ』
ぶつぶつと思い思いの言葉を発しながら、物乞い達は集まってきた。意外にも素直に従ってくれているのは、仲間の物乞いの男が同行してくれているからだろう。
『心配するな!いくつか聞きたいことがあるだけらしいからな!』
見知らぬ連中が現れて、心配するなという方が無理があるのだが、追い出されるわけではないと知って、物乞い達の緊張がいくらかゆるんだように見える。
「さっさと聞け。魔族を見たか?見たならどんな奴だった。どこへ向かった」
「魔族を見たのか、見たのであればその容姿、どこへ向かったのかを答えろと仰せだ。手短にな」
『あ、あぁ。手短にか。実は……』
ごくりと生唾を飲み、案内してくれた物乞いの男がトニーの質問を仲間たちに投げかける。自分の首と大金が掛かっているのだ。この者にとっては人生最大の大一番に違いない。
報酬である金貨の話を仲間たちにするつもりはないらしいので、勝っても負けても、一人で全て背負う意気込みだ。
『……とまぁ、そういうわけでこの人らはその魔族を追ってるんだと。さすがにこんな近所に魔族が居たら俺達の生活にも関わる。どんなに小さなことでもいいから、何か知ってたら教えてくれないか』
本人は努めて普段通りに話しているつもりなのだろうが、その大げさな身振り手振りからは必死さが伝わってくる。
『魔族だぁ?』
『別に明日どうなるかも分からない身で気にするような事か?』
『気にするような事だよ!頼むから何でもいい、教えてくれ!魔族だと分からなくても、変な奴はいなかったか?』
無論、知らないものはどうしようもないので、物乞い達は首を捻って唸るばかりだ。
これで何も出てこなければ首が飛ぶ。しかし、そんな中に一縷の望みが現れる。
『そう言えば……』
一人の物乞いがそんなことを言ったのだ。酒臭く、仲間内で最も酒の酔いが回っているようで、呂律も覚束ない太った男だ。物乞いなのに太っているというのも珍しい。
『どうした!何かあったのなら聞かせてくれ!』
『あ、あぁ、もちろんだとも。何をそんなに焦ってるんだい』
太った男は両肩をがっしりと掴まれて前後に揺らされて面食らっている。
「ぎゃあぎゃあと何を言ってる?」
「今まさに何らかの目撃情報話そうとしているところだったが、我らをここへ案内した男が必要以上に急かしているだけだよ。おい、お前は少し離れていてくれ。その男の話が進まぬ」
『そうだな、こりゃすまん……』
トニーがこれ以上介入してくる前に、クロエが焦る物乞いの男を引き剥がした。
あまり時間を使うと自らの寿命を縮めるだけだ。
『いいかい?魔族を見たわけじゃないが、そこの角を小さなガキが走って行くのを見たんだよ。フードを目深にかぶって、男か女かも分からず、顔も何も見えなかったが。小さいながらに全速力だったし、どこぞで泥棒を働いて逃げてるところだったんじゃないかな』
貧民の暮らす場所ではよくある光景さ、とでも言うように太った物乞いの男が笑う。たしかに、貧しい環境で育った子供が盗みを働くなどというのは日常茶飯事だろう。
道徳や教育などあったものではない。幼子であろうと皆、生きるために必死なのだ。
「将軍。魔族ではないが、見慣れない小さな子供が走って行ったと言っている。つまらぬ泥棒だろうとさ」
「ガキ?チビだったんならスケルトン兵じゃねぇな」
スケルトン兵の背丈は成人の男とほとんど同じだ。子供の姿であるとは考えづらいので、ハズレだろう。小さなインプである可能性は完全には否定できないが、羽で飛べるのにわざわざ走る理由が見当たらない。
「いや、待てよ。ゴブリンか?」
しばらく前に対峙した大悪党。フレデリック・フランクリン。その醜い姿はトニーの半分ほどの背丈だったはずだ。
「ゴブリン、という魔族がどのようなものなのか定かではないが、それであれば可能性があるのか?」
「あぁ。人間のガキくらいの大きさだ。形も人間に近い。ただ、あまり見たことはないから、数は多くないはずだ。ここにいるかと考えると微妙だな」
「ふむ……他に、何か変わったものを見た者はいないか?」
クロエの質問に、再び物乞い達は顔を見合わせて考える。しかし、それ以上は何か出てくることはなかった。
「……そうか、協力に感謝する。その子供はどっちの方へ向かった?魔族である可能性は低いが、それを追ってみよう」
『あっちだ。あれが人間のガキで、泥棒やってるんなら、近くの路地裏の物陰で暮らしてるんじゃないか?』
「指さしてる方向だな?たらい回しはそろそろ終わりにして欲しいもんだぜ」
トニーが踵を返すと、クロエや小隊長も続く。緊張が解け、ここまで案内してくれた物乞いがその場に膝から崩れ落ちた。
……
相手が小さな子供、万に一つはそれが魔族であるとして、さらに難航すると思われた捜索だったが、以外にも次から次へと目撃証言が出てきた。
『あぁ……ガキならあっちに行ったぞ』
『見たよ。フード被った女の子だろ?あっちだ』
『多分、男のガキだったと思うが、しばらくそこで突っ立ってた』
一定の間隔で、裏路地に寝転がったり座り込んだりしている物乞いに聞き込みながら進んでいくと、そんな話がいくつも上がったのだ。対象の性別などが人によって異なるのは、特に興味深く観察していたわけではないからだろう。
路地裏自体は思いのほか広く、ここがパリ市内でも最大のスラム街なのかもしれない。
『ん?子供?見たよ。ほんの数分前だ。木の枝みたいなものを振り回して楽し気に遊んでたよ。向こうに歩いて行った』
「将軍、あっちだそうだ。目撃は数分前。おそらくかなり近い」
クロエの言葉にトニーは無言で頷き、急ぎ足で移動する。脅かさないよう、一気に走れないのが口惜しい。
「アイツか」
ついに見つけた。フードを被り、路地にうずくまってウトウトとしているのは確かに小さな子供だ。とはいえ、現時点では魔族ではなくただの人間の子供である可能性の方が圧倒的に高い。
『やれやれ、ようやく追いかけっこが終わったか。あのガキが魔族だった場合、容赦なくぶっ殺していいんだよな』
「待て、まずは将軍に任せて様子を見よう。いくら物乞いや泥棒だろうと、魔族と取り違えて人間の子供を殺したとあれば、寝覚めが悪いだろう」
『いつになったら暴れられるのやら』
「おい、お前。俺の言葉が分かるんじゃないか」
トニーの呼びかけ。これで反応があれば英語圏の者という事になる。
「えっ……?」
確かにその子供はトニーの英語に反応した。フードの陰になってその顔や表情までは確認できない。だが、何を言われたのか分からないというのではなく、信じられない、驚いた、といった類の反応だ。
「か……」
「か?」
「閣下ぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
ドカンという表現がぴったりの勢いで、うずくまっていた子供はトニーの鳩尾に飛び込んできた。
聞き覚えのある声、見覚えのあるリアクション。
「ぐふぅぉあ!なんだてめぇ!ガキ!」
「ガキとは何だ!どれだけ探したことか!いつまでこんなところで油を売ってるんだよ!」
はらりとフードが外れると、良く知る長いブロンド髪の幼女の顔がそこにはあった。無論、カムフラージュのために魔族の青白い肌ではなく、人間の肌の色に寄せている。
「てめぇ……カトレア……」
「あ、え、はいっ!え……名前呼んでくれ……た?」
よく知る人物の名を、噛み締めるようにつぶやいたトニー。三魔女の一員であり、魔族界きっての魔術師。形式上はトニーの妻となっている幼女、カトレアである。
いつもはガキだの、チビだのと呼ぶことの方が多いので、不意に名前を呼ばれたカトレア本人の方が驚いている。
自身の腹に思い切り突っ込んできているその小さな頭にトニーは手を添え、優しく撫でた。
クロエや小隊長は状況がよく飲み込めないが、どう見ても今のカトレアは人間の子供なので、脅威だとは思っていないようだ。
「は、え、あの、えっ!?ななんなんあなんあなななななな!さては閣下の偽物か!?」
「よく来てくれた。心配かけて悪かったな」
「う……うわぁぁぁぁぁぁぁん!」
軽く抱き寄せてやると、カトレアの涙腺はあっという間に崩壊した。
毎日投稿します。
最新話であるこのページの本文に、300~400字程度を追記していく形です。




