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#15

 二、三日で再出発するはずだったアジアへの遠征は、大幅に遅れていた。既にローマへの帰着から十日近くの時間が過ぎている。

 引っ越しを控えていては、そんなに急げるはずも無いので当然だ。これはウィリアムの認識が甘かったと言わざるを得ない。


 ただし、その遅れを利用して、ウィリアムは引っ越し以外にもいくつかの用事を済ませることにした。


 一つは飛竜の装備の充実である。

 これは鞍を大幅に改良し、前面を覆うガラスや命綱、簡易式の便所などを備え付ける大工事だ。そして、ヘンリーの仕事の早さで完了しつつあった。それならばせっかくなので、全て整うまで待つのも悪くないだろう。


 もう一つは銃だ。

 こちらは飛竜用の装備程の時間はかからなかった。ウィリアム専用の拳銃を予備まで含めて二丁と、専用のホルスター。オートマチック式なので弾倉も二つ。弾丸は余裕を持って五十発。

 それが新たに生成され、いよいよウィリアムの手に渡った。


 目の前でベレニーチェとムッソリーニが錬成してくれたのだが、実に見事なものだった。握りこぶし大の鋼から銃の形が徐々に出来上がり、数分で作業が完了したのだ。

 錬金術直後の少し温かなそれを手に取って、移動した訓練場で射撃を行ったが、現世の実銃と何ら遜色ない命中率と威力だった。


 さらに、飛竜の装備が仕上がるまでの時間合わせで、ウィリアム専用の服の新調も行う。例によってスーツだが、撥水効果のあるフード付きの外套もオーダーした。

 これは背面にイタリア王家の紋章と国旗の小さなワッペンが縫い付けられており、さりげなく国の代表であることを主張している。


 注文はヘンリーの店である。しかし、飛竜用の装備を拵えているチームと服を手掛けたチームは別なので、前者の作業予定が遅れるといった心配は無用だ。


 ついでと言ってしまっては可哀想だが、マルコのための服も何着か見繕ってやった。本人は既に何着かあるからと遠慮していたが、常に小綺麗にしているのが兄貴分の株を上げる事にも繋がるのではないか、という説得で了承させている。

 ウィリアムもマルコも、その恰好だけを見れば現世にいてもおかしくない状態である。


 銃を手に入れたことで扱いに困ったのが魔剣だ。過去にせっかく鞘などを作ってもらったものだが、ウィリアムは銃と剣の両方が必要だとは思わなかった。そこで普段持ち歩くのはホルスターをスーツの裏に忍ばせて銃だけとし、登城の際や使者として海外に赴く際など、爵位の誇示が必要な場合だけは魔剣も腰に下げていくことにした。

 剣は、万が一の戦闘で使う機会はほとんど訪れないだろう。


 そして、肝心の屋敷だが、まさかの迎賓館跡を買うことになってしまった。それも驚くほど安い価格で、だ。


 ウィリアムは当然渋ったが、マルコやヘンリー、エイハブ、アーシアとベレニーチェからの強い薦めがあり、飛竜が一緒に住める物件であることが最後の一押しとなってしまった形だ。


 ならばひと回り小さい、住宅街の男爵邸でも良いのではないかという話にもなったが、近隣に他の貴族たちが住んでいるので遠慮した。魔族である飛竜がそばにいる事を快く思わない者も出てくるだろう。その筆頭であるはずの国王が住まう王城に、今まで飛竜がいた件については一先ず置いておく。


 ただ、普通に考えれば二人が住むにしては持てあましてしまうほどの広さである。そこで、世話役としてアーシアとエイハブが住み込みで働くことになった。


 ベレニーチェも「あんなに広いお屋敷ならば一緒に」などと言い始めたが、侍女でもない上に王城に個室まで与えられている身でここに同居するのはおかしいだろうと断った。


……


 重厚な木の扉がノックされ、執務室内のウィリアムは書類から顔を上げた。


 屋敷内の多すぎる部屋は空室だらけだが、両脇に本棚が備えられていて、書斎だったらしいこの部屋はウィリアムの仕事部屋として確保してある。

 ここの他には酒を置いている小さな娯楽室とベッドのある寝室の、合計三つの部屋がウィリアムの私室だ。

 マルコにも同じように仕事、娯楽、休息の利用目的で三部屋を与えていて、エイハブとアーシアの私室は一部屋ずつだ。


「入れ」


「失礼します、叔父貴」


 スラックスにワイシャツ、サスペンダーといった出で立ちのマルコが入室してきた。

 彼も肌身離さず銃を挿したホルスターをつけているが、ウィリアムのような脇の下辺りに入れてジャケットで隠すタイプではなく、腰から吊り下げるタイプのものだ。手の内を隠すよりは、堂々と牽制したいらしい。


「どうした」


 手にしていたペンを紙巻き煙草に持ち替え、ライターで火を灯す。

 中に充填しているオイルはライター用ではなくこちらの世界のものだが、案外と火の点きは悪くない。


「王城から使者の方がお見えです。いよいよ明後日の出発ですから、そのお話ではないかと」


 この時、ようやく屋敷に身を移したのが一昨日であるにも関わらず、ウィリアムはすぐに出発の意向を伝えていた。もう少し落ち着いてからではどうかというのが大半の意見だったが、荷物もほとんどなかったおかげで引っ越しは即座に完了し、残すは飛竜用の装備の完成のみだ。

 その完成予定が明日なので、テスト飛行を行い、その翌日にはアジアへ向けて出立するという、ウィリアムらしいカツカツのスケジュールである。


 マルコの顔に僅かながら緊張が滲んでいる。おそらく、今回の遠征に彼を連れて行けるかどうかという回答を使者が持ってきている可能性が高いからだ。


「分かった。応接間か?」


「はい、そこで待ってもらってます。俺も同席してもよろしいですか?」


 わざわざ来客を伝えに来たのがアーシアやエイハブではなく、マルコだったのもこれが理由である。


「いや、ダメだ。早く知りたいって気持ちは分かるが、俺が一人で話す」


「そうですか……分かりました」


 使者が王の勅命を持ってきている以上、爵位を持つウィリアムよりもその場だけは相手の方が対場は上になる。たとえば、仮に平民の少年であるエイハブが王からの書状を持ってきたとしても、それを受け取る間だけは国王に対するものと同等の対応をしなければならないのだ。

 何か文句を言われるわけでもないだろうが、勝手にこちらの独断でマルコを同席させるのは思わしくない。


 それに、許可はできないと言われて使者に突っかかるマルコの姿を想像するのは難しくない。


 応接室は、この屋敷の中でエントランスに次いで豪勢な佇まいと言っても過言ではない。

 それもそのはず。個室に置いてあったもので、宝剣や鎧、像、壺、絵画などの高そうな調度品はほとんどこの部屋に集めて飾ってあるからだ。


 ウィリアムもマルコも自室に色んなものを飾っておく趣味はなかったので、来客と向かい合うこの部屋にそれらを押し付けてしまったというわけである。

 しかしそこはアーシアの采配で、調度品はごちゃごちゃとした感じではなく、棚や台、壁掛けに整然と並べられていて厭味ったらしくない。


「失礼、お待たせしてしまって申し訳ない。お出でいただき感謝する」


「バレンティノ卿、実に立派なお屋敷ですな」


 使者は意外にも一人だけで、壮年の男性だった。名前までは知らないが、城内で見かけたことがある。確か、右大臣アダムの部下だったはずだ。

 まずは挨拶の言葉を投げかけながら握手をし、同時にそれぞれのソファに腰を下ろす。


「俺には身に余るほどの屋敷だ。宝の持ち腐れだと揶揄されても仕方ないだろうな」


「バレンティノ卿のお力とご活躍、名声があれば、このお屋敷とも釣り合おうというものです。貴方のお役目は言わば最前線で戦う一番槍ですからな」


「諸侯からは、余所者がデカい面をして何様のつもりだと陰口を叩かれてるものだと思っているのだがな」


「まさか。颯爽と飛竜にて天を駆けるご様子は、吟遊詩人たちの間でも人気の演目になりつつあるとか」


「ははは、そう言ってもらえると光栄だが」


 出来る限り神妙な面持ちで対応するつもりだったが、穏やかな雰囲気にウィリアムも使者も相好を崩す。

 だが、それも一瞬だ。


「では、陛下よりの勅命をお伝え致します」


「はっ、承ります」


 二人は立ち上がる。使者は立ったまま書状を開き、ウィリアムは地面に片膝で跪いて頭を垂れた。


 その瞬間、彼らの立場は逆転する。王はその言葉だけ、書状だけであっても正式なものであれば権威を発揮するのは当然の事だ。

 無論、使者とてわざわざ偉そうにするわけではないので、あくまでも形式上の所作である。


「明後日のウィリアム・バレンティノのアジア遠征出発を認める。出発式は当日、王城内の飛竜小屋あと地にて執り行うので、騎乗して昼までに登城すること。随伴はイタリア王国騎士団のカンナバーロ軍曹を指名する」


 やはりマルコの同伴は無理か、とウィリアムは下を向いたまま溜息を漏らす。


「ただし、此度の遠征における目的地をネパールのみとし、飛竜からの滑落防止ベルト等の安全装備が充分であると認められた場合はこの限りではない」


「なっ!?」


 つまり、パキスタン遠征時のように、ネパール、バングラデシュと一気には行かず、一か国のみでの一時帰国、そして飛竜用の装備が充実していれば他に誰か伴っても良いという意味だ。マルコと名指しをしていないところが何とも粋な国王の計らいである。


「以上となります。そしてこちらがネパール王宛ての書状です。お受け取り下さい、卿」


 ネパール王のみでバングラデシュ大統領宛てのものがないことから、ウィリアムの選択はお見通しという事か。本当にイタリア国王には頭が上がらない。


「ははっ、ありがたく頂戴いたします」


 うやうやしく書状を頭上に掲げたまま、使者が座るのを待った。


「どうぞ、楽にしてください」


 その言葉と共に使者がソファに落ち着いたのでウィリアムも緊張を解く。


「良かったですな、卿。やはり随伴を増やすのであればマルコ殿ですか?」


「もちろんだ。しかし、明後日までに鞍を大改造しなくてはならん」


 現在、ヘンリーの工房で作られているのは二人乗りの鞍だ。三人乗りとなれば突貫工事でもう一人分の座る場所とベルトなどを増やさねばならない。全面を覆う強化ガラスや簡易便所は一つなので変わらないが、間に合うだろうか。


「では出発を後らせては?私から陛下に伝えておきますが」


「いや、それは俺にとって許されない。既にかなり遅れているんだ。さらに伸ばすなんて怠けた真似はしたくないな」


 右大臣アダム辺りは金切り声を上げて「陛下のご指示に背くとは」と激昂しそうだが、当の国王は使者の言う通り、笑って承諾してくれるだろう。

 だからといって、ウィリアムは甘えたくない。


「ともかく急ぎ、新たな装備の発注に行ってくるとしよう」


「では私もこれにて。確かにお伝えしましたぞ」


「あぁ、ご苦労だった」


 使者が一礼して応接間を出ると、表に待っていたアーシアが屋敷の入り口まで丁重に案内する。マルコが待っているかと思っていたが、仕事部屋にでもいるのだろう。

 ウィリアムはそれを横目に寝室へと向かい、クローゼットで身支度を済ませた。


 玄関から庭に出る。木陰で寝転がっている飛竜に近寄った。

 ちなみに飛竜用の小屋はまだないので、遠征中に屋敷の裏手に建ててもらう予定だ。


「グルル……」


 飛竜が片目を開いた。


「寝てるところ悪い。大人の男を三人、乗せて飛んだ場合はお前の体力的にどうかと気になってな」


 装備も増え、乗員数も増えるとなれば、まずは何よりも飛竜が耐えられるか心配だ。


「グルル……グァウ」


 一度首を傾げて吠える。翻訳するならば「多分、行けるんじゃないか」といったところだろうか。飛竜自身も、三人もの人間を乗せた経験などあるはずがない。

 しかし、座席を増やすとしてもできる限り軽量化をして、カンナバーロにも鉄の甲冑ではなく革の手袋や脛当て、胴は帷子だけなど、軽装を準備しろと指示をしておいた方が良いかもしれない。手荷物も食料も最低限に抑える必要がある。


「分かった。頼りにしているぞ」


 返事はなく、既に飛竜は眠りに戻っていた。


……


 厩に行くと、そこにマルコがいた。仕事部屋ではなく、馬の世話をしていたようだ。


「叔父貴、ご苦労様です。どうでしたか」


「喜べ。お前も連れていけるようだ。ただし、飛竜を急いで三人乗りにしないといけないがな」


「ほ、本当ですか!やったぞ!ありがとうございます、叔父貴!」


 飛び上がるように喜んでみせるマルコ。はしゃぎまわる子供と何ら変わらないが、気持ちは分かるので、ウィリアムも咎めはしない。


「俺より国王陛下に感謝するんだな。だが明日の飛行テストや、最悪でも明後日の出発までに新たな改造が必要だろう?それを急いでヘンリーのところへ頼みに行こうと思ってな」


「一秒でも急ぎましょう!俺もお供します!馬を準備しますんで、お待ちくださいね!」


「そう慌てるなよ。俺の馬は自分で準備するから、お前は自分の馬だけやれ」


「はい!」


 厩には二人の愛馬がそれぞれ繋がれている。今の今までやっていたブラッシングは中断し、馬具をつけて早速出発だ。


 郊外の屋敷から、市街地に入るまでは馬を疾駆させる。その先は人通りも多くなってくるので、パカパカと軽快に早足で歩かせる程度だ。人や車にぶつかっては元も子もない。

 だが、ウィリアムもマルコもこの時ばかりは「すまない、道を空けてくれ」「おい、馬が通るから危ないぞ」と通行人に声をかけて先を急いだ。


 ヘンリーの店にたどり着くも、彼は不在だったので、飛竜用の装備の作成を担当している一人に変更点を言づけた。


「え、今から三人乗りに変更ですかい。また急ですね」


 ウィリアムと同年代のその青年は驚いた表情だ。


「難しいか?」


「いいえ、馬用のをちょいといじって増設すればなんとか。ただ、突貫なんで他の二席よりは乗り心地が悪いですよ」


「綿でも布でも縫い付けて、出来る限りは柔らかくしてくれ。見た目はこの際問わない」


 こんなことを頼んでいる時点でかなりの無茶なのは承知だ。見た目まで気にしていられない。

 その、新たに追加される席に座るであろうマルコも頷いている。カンナバーロを座らせてもいいが、彼は元から随伴の予定だったのだ。譲られでもしない限りはマルコに座らせるべきである。

 もっとも、離陸時に恐怖するカンナバーロであれば、前をウィリアム、後ろをマルコに挟まれた状態の真ん中の席が一番安心できるはずだ。


「分かりました。お任せくだせぇ。それ以外の仕上げは終わってたんで、見ていきますか?」


「そうなのか。見せてもらおう」


「こちらです。どうぞ」


 店の前からぐるりと周って、工房がある建物に案内される。だが、中にまでは入る必要が無かった。ちょうど、工房の前に飛竜の背の形を模った巨大な木枠があり、それに作成した鞍が乗せてあったからだ。

 ベルトや強化ガラス、簡易式便所など、頼んでいたすべての装備が取り付けてある。


「ほう、中々大したものだ」


 鞍を挟んで両側に幅は細いが前後へと長い木製のステップがついていて、非常に乗り降りしやすい構造だ。その内、左側のステップの後部が簡易便所へとつながる渡り廊下のような作りになっている。

 各席に転落防止用の短いベルトがあるが、それとは別にもう一つ、命綱のような長い縄がある。こちらは身体につないだまま、便所に移動するのだ。


「三人目の席は便所の真横になっちまいますが……」


「そのくらい、どうってことは無いぜ」


 マルコが応えた。

 劣悪な環境で育ち、少し前までは肥溜めのような牢獄にいた男だ。近くで誰かが用を足していようと、大して気にもしないだろう。


 簡易式の便所は円錐をひっくり返した形の木桶で、最下部からチューブ状の排管が下向きに出ている。飛行中、誰かの頭の上にクソが降らない事を祈るばかりだ。


「ちょいとお待ちを。適当な鞍探してきますんで、当てがってみましょう」


 そう言って工房内へと引っ込んだ青年は、一分と経たずに馬用の鞍を手にして再び出てきた。


「この辺りになるかと」


 巨大な飛竜用の座席の最後尾にちょこんと付随する鞍。補助席のようで格好は悪いが、前としっかり連結できれば問題はないだろう。


「あぁ、大丈夫だ。マルコ、ちょっと座ってみてくれ」


「はい、叔父貴」


 ステップを踏み、軽々とマルコは上へと登った。


「どうだ」


「座ると前後への動き幅が狭いですね。凹部がもう少しなだらかだと長時間疲れないと思います。できるか、兄ちゃん?」


「へい、それなら他の大きめの鞍にしましょう。ソイツに柔らかい素材を敷き詰めて尻と腰が疲れないように工夫してみます」


 その大きめの鞍までわざわざ持って来て見せてくれることは無かったが、どんな仕上がりになろうとそれで決定だ。もはやこれ以上の要求をしている時間などない。


「叔父貴、荷物はどこに積むおつもりですか?座席が増えたら飛竜の背に載せる量はかなり限られるかと」


 マルコの懸念は当然だ。この、木製模型の飛竜の背の上には、ほとんどスペースが残されていない。


「まずは出来る限り荷物自体を減らす。一人増えるんだから飛竜の負担も考えないとな」


「仰る通りですね。へばったりしなけりゃいいんですが」


「水は現地調達。着替えは旅装と正装の各員一着のみ。食料はパンとか、軽い小麦製品だけだ。それと、カンナバーロには鉄鎧の完全武装を遠慮してもらう」


 水筒くらいは持ち歩くが、樽に入れた備蓄水や酒は無理だ。移動中は旅装で、ネパールのお偉方と会う際にだけ正装を着る。食料もほとんど途中で買い食いする形になるだろう。

 カンナバーロについては、彼に直接会って指示をするために、この後すぐに王城へ向かう。彼が詰め所にいるのかは不明だが。


「それだけ荷物が少ないのであれば、右側のステップに括りつけれそうですね」


「確かにな。乗り降りはこちらの便所側、左だけを使う事にしよう。あとは……雨具とテント、最低限の調理器具だな」


 それらを含めても、片側のステップを完全に荷置きにしてしまえば何とかなりそうだ。


「なんだか旅行前みたいでワクワクしてきましたよ」


「気持ちは分かるが、浮かれ過ぎないようにな」


「はい、もちろんです!」


 飛竜に乗って海外まで行くなんて現世では絶対に体験できない貴重なものだ。

 感覚的には飛行機での旅行に近いのかもしれないが、実際には常に危険が付きまとうので、油断は禁物である。


「そんじゃ早速、改造に取り掛かりますが、旦那らは茶でも飲んでいかれますかい?誰かに準備させますが」


「いや、ここで失礼しよう。明日のテスト飛行には間に合うか?」


「えぇ、もちろん。半日もあれば仕上げて御覧に入れます」


 何とも頼もしい言葉と共に、青年はドンと胸を叩いた。


……


 二頭の馬が王城の門をくぐり、敷地内の厩へと向かう。


「あら。バレンティノ様、マルコ様。ごきげんよう」


 ちょうど魔女服姿のベレニーチェが近くの廊下を歩いているところで、こちらに気付くとスカートの裾をちょんと左右に広げてお辞儀をした。


「よう、嬢ちゃん」


「やぁ、ベレニーチェ。軍曹を探してるんだが見てないか?」


 馬をつなぎながら二人が彼女に挨拶を返す。


「カンナバーロ軍曹ですか?いいえ、お見かけしていませんわ。今日は朝から研究室に閉じこもりっきりでしたので」


「そりゃそうだな。ちょっと城内を探してみるよ、ありがとう」


 元イギリス遠征の使者団メンバーであることを除けば、ベレニーチェとカンナバーロにはほとんど接点がない。どちらかがどちらかの仕事場に顔を出すということも滅多にないはずだ。


「もしお時間があれば後で寄ってくださいな。紅茶とお菓子でも楽しみましょう。お屋敷での暮らしぶりをお聞きしたいですわ」


「わかった。軍曹への用事の後で寄らせてもらうよ」


「はい!お待ちしておりますわね。では後程」


 もう一度お辞儀をしたベレニーチェが、すたすたと研究室方面へ足早に去っていく。

 ウィリアムとマルコは手を軽くあげてそれを見送った。


「いい娘ですね。娶っちゃどうです?」


「いずれ帰る身でか?確かに彼女は若くて魅力的だが、こっちの世界に未練を作ってどうする。もしガキなんか生まれたら、俺は後ろ髪を引かれて現世に戻れなくなるぞ」


 好奇心旺盛なベレニーチェならば、ついて来るとでも言いかねない。それもそれで問題ありだ。

 こちらからあちらへ帰れるかわからない上、もし一度はうまくいったとしても、今度はあちらからこちらへ戻って来れなくなる可能性だってある。

 まず現世に戻れる方法が見つかったとしても、帰還出来るかどうかを確かめる最初の段階で巻き込むわけにもいかないだろうし、そもそも方法を見つけ出すことこそが現在の最重要課題だ。


 とはいえ、それは建前のようなもので、実際にはベレニーチェに対して大事な仲間であるという以上の、特別な感情を持っていないだけという単純な理由だったりする。

 無論、そんなことはベレニーチェ本人にもマルコにもわざわざ言ったりしないが。


「確かにおっしゃる通りですね。出過ぎたことを言いました」


「いや、彼女に好意を持ってくれるのはありがたいし、お前の意見も悪くはないさ。だがくっついてしまえば、どうなっても傷つけることになってしまうだろうからな。それは避けたい。もし言い寄られても、やんわりとからかっているくらいで丁度いいのさ」


「なんだか自分事のように切なくなってきましたよ」


「馬鹿野郎。ほら、今は色恋の話なんかしてないでさっさと軍曹を探すぞ」


 二人で城内を歩くと、いつものように顔見知りの兵士や小間使いなどから声をかけられた。

 時折、登城している貴族たちや御用商人などともすれ違う。


 まず目指したのは王宮の敷地内の裏手にある詰め所だ。カンナバーロ軍曹がいる可能性が高いのはここなので、当然といえば当然である。


「止まれ。あ、いや。止まってください、バレンティノ子爵」


 詰所の入り口の衛兵がウィリアムを止める。最初は高圧的に。正体と身分に気がつけば丁寧に。


「中佐はいるか?」


「いえ、本日、中佐はいらっしゃいません」


 ジョバンニ・タルティーニ中将は国境沿いに駐屯しているので、現在の王城に詰めているイタリア王国騎士団の指揮官は一時的に、中将の副官であるルイジ・ロッシーニ中佐だ。

 彼にカンナバーロの居所を聞こうと思ったが、残念ながら不在だった。


「どうした」


 別を当ろうかと考えていると、奥から当直らしき下士官服を着た男が出てきた。

 黒々とした髭を蓄えた人物だ。中将にも負けずとも劣らない屈強な体躯が、服の下で窮屈そうに隠れている。かなりの実力者だろう。まだまだこういった歴戦の兵が騎士団にいたとは。


「あっ、最上級曹長。こちらのバレンティノ子爵が中佐をお探しのようで」


「そうか。ご用件だけでも伺いましょうか、バレンティノ卿?」


 最上級曹長は下士官内で最高の階級となる。言わば叩き上げの兵士や下士官の最終着点だ。

 エリートとなる士官学校の出ではない一般兵は下から、二等兵、一等兵、上等兵、伍長、軍曹、曹長、先任曹長、上級曹長、最上級曹長である。

 最上級曹長ともなれば、上官であるはずの准尉以上の存在からもその意見や経験が重宝される。


「それは助かる」


「立ち話するわけにもいきません。どうぞこちらへ」


 最上級曹長が詰所に入ってすぐのテーブルへ二人を案内する。

 ウィリアムは座ったが、マルコはその後ろに立った。


 頼んでもいないのに、兵がカップに入った白湯を出してくる。大した話ではないので長居などしないのだが、ありがたく口をつけた。


「では、伺います」


「中佐本人に用があるというより、カンナバーロを探しているだけなのだがな」


「カンナバーロ?あぁ、ガットネーロ隊の。そういえば、今回も奴は卿の随伴でしたね。名誉なことです」


 やはり彼は有名なようだ。何千、何万という兵員を抱える騎士団の中で、いち軍曹に過ぎない男がこうして、あまり関わりがないはずの最上級曹長にも覚えられているのだから。

 解散した隊名も、今となっては懐かしい。


「あぁ、そのカンナバーロ軍曹だ。出発前に連絡したいことがあって探しているんだが、詰所には来ていないか?」


「確か、前回のお帰りは十日ほど前でしたよね?自分はその間、詰所で軍曹を一度も見ていませんが」


 つまり、最初の帰着報告依頼、兵舎に戻っていないということになる。長い休暇を得ているのは確実だが、そうなると何処で捕まえればよいのやら。出発日は知らされているはずなので、その時には登城してくれるだろうが、装備の変更を伝えるには遅い。


「城にいないとなると、城下町かもしれない。奴の生家や通っている遊び場を知る者はいないか?」


「同期の連中に聞いてみましょう。何人か詰めているはずですので、しばらくお待ちを」


 最上級曹長が一礼して奥へ引っ込む。

 同期というのはもちろん、最上級曹長の同期ではなく、カンナバーロ軍曹の同期に当たる人間たちだ。

 ガットネーロ隊以外での彼の付き合いはよくわからないが、あのお調子者な性格だ。きっとからかわれて過ごしてきたのだと想像できる。


「お待たせしました。こやつは軍曹と同期です。伍長、ご挨拶しろ」


「失礼します、バレンティノ卿。何か御用ですか?」


 最上級曹長と、もう一人、確かに年の功がカンナバーロと同じくらいの真面目そうな男が敬礼をして現れる。階級は伍長。

 カンナバーロの昇進はイギリス遠征時の手柄だ。同期が伍長なのも当然である。


「楽にしろ、伍長。カンナバーロを探しているんだが、見ていないか?」


「いいえ。見ていません、卿」


「では、奴が行きそうな場所をいくつか教えてくれ。ローマからは出ていないはずだ」


「そうですね……」


 酒場や賭場など、若かりし頃のカンナバーロの遊び場がいくつか挙げられたが、家まではさすがに知らないという回答だった。長期間滞在する可能性が一番高いのは生家だ。最終的に最上級曹長が名簿を出してくれて、そこの住所を控えることになった。ローマの下町エリアだ。遠い地方の村などではなくて良かった。

 一応は兵員の個人情報のはずだが、ウィリアムが王宮の関係者ということで特別に開示してくれたようだ。


「このくらいでよさそうだな。二人とも、ありがとう」


 最上級曹長と伍長と、それぞれに握手を交わしてウィリアムが立ち上がる。


「マルコ」


「はい。行きましょう、叔父貴。こちらがメモです。どうぞ」


 得た情報はマルコが羊皮紙に書き記してくれていた。


……


 もう今日は王宮に戻ってくることはないだろうと、先にベレニーチェの研究室に顔を出す。長居はできないが、茶を一杯飲むくらいならば問題ない。


「あら、お早いですわね」


 にこりと笑って手を止めるベレニーチェ。相変わらず片付けが出来ていないデスクの上で、錬金術による実験をしていたようだ。いびつな形に変形した鉄の塊が見える。


「あぁ、カンナバーロは城にはいなかったみたいだ。今から街に出るので、先にここへ顔を出した」


「お忙しいのですね。お二人とも、どうぞお茶で一息入れていってくださいな」


「そうしよう」


「ありがとよ、嬢ちゃん」


 すぐにベレニーチェが準備してくれたティーポットやカップは銀製、菓子類を乗せた皿は銅製、それらすべてを載せている大きな盆は金製という豪華なものだ。しかしこれもベレニーチェ、或いはムッソリーニの作品に違いない。


 そして、菓子はどこかで見覚えのあるクッキーだ。


「これは、大司教のクッキーか」


「えぇ。相も変わらず、よく焼いて持ってきてくださいます。最近は腕をあげられたようで、甘くておいしいんですよ」


 確かに口の中でバターと砂糖の風味があふれて中々にうまい。現世のそれには甘さがまるで及ばないが、これはこれで茶菓子として完成されている。


「さて、屋敷の話だったか。アーシアとエイハブがいてくれるおかげで快適だよ。無駄な雑務処理に追われることもないから、仕事に集中できる」


「そうでしょう。あんなに立派な屋敷を持たれて、うれしい限りです」


「うれしい?うらやましいじゃなくてか?」


「えぇ。別にわたくしは地位や権力が欲しいわけじゃありませんから。それでも、バレンティノ様が一歩一歩のぼりつめていかれるご様子は、見ていてうれしいのです」


 権力はともかく、イタリア王国内での魔術研究における第一人者という地位をベレニーチェはすでに手に入れている。


 しかし、それは彼女の飽くなき探求心と努力が未だ衰えていないことから、その地位にあぐらをかいていないことは明らかだ。

 言い換えれば、その地位欲しさに彼女は頑張っているわけではない。彼女の言葉は嘘偽りではないだろう。


「俺自身もそれらを望んでいるわけじゃないけどな。ともかく今は、魔族の侵攻と侵入を止め、平和な世界になることを願ってるよ」


「発たれるのは明後日でしたっけ?」


「そうだ。その打ち合わせでカンナバーロを探していたんだ」


「あらあら。出発を控えた大事な時期なのに、軍曹さんったらどこに行ってしまわれたのかしら」


 ウィリアムもカンナバーロに同じことを言ってやりたいが、明後日の出発にさえ出てきてくれればこちらから文句を言えた筋合いではない。

 テスト飛行は彼に参加させるつもりはなく、出発の日程まではどこにいようと、正式に貰った休暇ならば問題ないのだから。


「ところで、マルコ様は今回はどうなるんでしょう?」


「あぁ、実は俺も行けるんだ。国王様さまだぜ」


「まぁ!それはうらやましいです!」


 そっちはうらやましがるようだ。本当に好奇心の塊である。


「次は私も、だなんて言い出さないでくれよ。飛竜に何人もいっぺんには乗れないからな」


「あら、お見通しでしたか。残念です」


「さて、そろそろ軍曹探しに戻ろう。ローマ中を駆け回らないといけないから大仕事だぞ」


 ベレニーチェに見送られて城を出る。

 門のあたりで大司教とすれ違い、軽く挨拶だけを交わした。彼もカンナバーロの行方は知らないようだ。


「手始めにこの酒場に行こう」


「はい、叔父貴」


 別々の場所を手分けして当たってもよかったが、連絡手段がないのでいちいち一定時間後にどこかで落ち合う必要があり、それなら二人で動こうという結論に至った。


 まだ日も高いというのに、酒場にはそこそこの酔客が集まっている。

 酒場とは言え、夜しか開いていない店というのは少なく、昼も営業している事が多い。営利目的というよりは、夜だけの営業は蝋燭やランプの油代が馬鹿にならないというのも理由だ。もっと電気が世の中に浸透していけば変わってくるかもしれない。


 カンナバーロは見つからない。店の主人に尋ねると、しばらく見ていないという回答だった。

 何か飲んで行けと言われる前に、注文もしないでそそくさと次の店に移動する。


 そんな調子で、四、五軒の酒場や食堂を巡ったがどこも同じ回答だった。


「こりゃ、ローマから出てたりしませんかね?」


「それなら本人に伝えれずとも、家に向かうしかないな。誰かいればいいんだが」


 登城したカンナバーロが、一回装備変更のために帰るだけで済むのならば、出発当日に伝えてもいいのだが、そのせいで出発式に列席する国王やその他の面々まで無駄な時間を過ごすことになる。それは避けたいのだ。

 旅装と正装のみという装備の変更以外にも、マルコが加わることや、私物を最低限にしてほしいことなど、伝えたいことはいくつかある。


……


……


 カンナバーロの生家の前に馬を停めるころには、美しい夕焼けが空に広がっていた。

 汚れた服を着た仕事帰りの男衆、道端で泥んこになって遊ぶ子供たち。そこは下町ではあるものの、路地には生気を失った貧民街といった様子は微塵もなく、活気にあふれている。


 コンコン。


 石造りの二階建てアパートの一階。そのうちの一つの薄っぺらい扉をウィリアムはノックした。


「はい」


 初老の女が顔を出す。麻の部屋着と、ポニーテールにした長い白髪頭。皺だらけの肌だが、血色はよく、健康そうに見える。


「突然申し訳ない。カンナバーロ軍曹を探しているんだが」


「はぁ、息子を。どちら様でしょう」


 この老婆が母親で間違いないようだ。


「俺はウィリアム・バレンティノだ。彼が在宅ならそう伝えてくれたら分かる」


「少々お待ちくださいね」


 中には通されず、玄関の外で待たされる。立派な応接間や腰かけがある広い玄関があるわけでもないだろうから、仕方のないことだ。


 ドタバタと家の中を駆ける音がして、見知った顔が登場した。


「バレンティノ卿!ど、どうしたんです!?」


 ステテコだけで半裸のカンナバーロは、髪もヒゲも伸ばしっぱなしで目ヤニすらついていた。寝て起きて食ってばかりを繰り返していたに違いない。よくもたったの数日でここまで自堕落になれるものだ。


「休み中だからその姿にとやかくは言わんが、明後日が出発なのは知っているな?連絡したいことがあって来た」


「もちろんです。しかし、俺への連絡なんて卿が来なくてもいいでしょうに。普通は下っ端の一等兵あたりが命令書を持ってくるだけですよ」


 わざわざ王命を持った使者が訪ねて来る子爵のウィリアムと、いち下士官に過ぎないカンナバーロではその指示伝達もまるで違うらしい。


「えーと、上がられます……か?」


 明らかに高貴な身分であると分かるウィリアムとマルコがアパートの玄関先にいるのだ。

 何もやましいことなどないが、自然と通行人らの視線は集まっている。


「借金の取り立てにでも見えているのかもしれないな。だが別にこのままでいい。入ったところで馬は隠せん」


「はい」


「まず一点目、今回の遠征だが、マルコを含めた三人で行くことになった。仲良くしてくれよ」


 カンナバーロの目が後ろのマルコに向き、こくりと軽く頷いた。


「それで現在、鞍を三人用に改造中だ。飛竜の負担を少しでも減らすため、軽装での騎乗を頼む」


「皮鎧ですか?楽なんでむしろ助かります」


「そうだな。鉄製は避けてくれ。槍や帯剣は許可する。移動中はそれで、公の場では騎士団の制服を着用しろ。手荷物も必要最低限にしてくれ。食料は現地調達とする」


 魔族にしろ人間にしろ、敵対者と戦闘になった時のことを考えれば心もとないのだが、軽量化が最優先だ。


「伝えることはそんなところだが、質問はあるか?」


「えっ、それだけですか?本当に?」


「なんだ、不満そうだな。もっと難しい注文が欲しかったのかよ」


 後ろで腕を組んでいるマルコが軽口を叩く。


「いや、違う。本当にたったこれだけを伝えるために、卿がわざわざいらっしゃったのかと。俺がひとっ走りして装備を変えるだけなら、出発直前でも良かったでしょうに」


「そのひとっ走りを陛下や大司教に待ってもらうんならそれでもいいがな。装備を取りに戻っている間にも、お前の胃に穴が開くだろうさ」


「た、確かに……ありがとうございます、バレンティノ卿」


 これで出発に支障はない。あとは飛竜用装備の完成だが、これも信用していいだろう。


「席順は縦に三列で座るが、お前を真ん中にしてやろうと思う。安全ベルトもつくし、前回より怖がらなくて済むぞ」


「必死に忘れようとしていたんですが、また空を飛ぶんですよねぇ……今回はお二人で行ってきてもらうって事で一つ」


「無理だ。仮に二人というなら、マルコを除いてお前と二人にしかならん」


 いくら安全だろうが、恐怖心は克服できていないようだ。

 そこまで嫌がるならウィリアムとしてはマルコと二人でも良いのだが、国王の勅命を無視することになる。


「叔父貴、明日のテスト飛行もこのヘタレ軍曹を付き合わせましょう。飛竜に三人分の重さを乗せた感想を訊いた方がいいです」


「いやいやいやいや、大丈夫だって!二人も三人も変わらねぇって言うさ、きっとな!装備も軽いんだし!」


 マルコの意見はきっと、怖がるカンナバーロをからかっているだけだろう。

 確かにテストは三人乗せた方がいいが、本番と同じ条件にしたければ、それに加えてテントなどの荷物も積まなければならない。ウィリアムはそこまでする気はない。


「俺はどっちでもいいぞ。軍曹は明日まで休みだからな。自由参加だ」


「叔父貴や俺だって休みですよ。なのにこうやって明後日に向けて準備に奔走してるわけです」


「軍曹、お前が飛行を怖いと思う理由はなんだ?それも可能な限り軽減してやりたい」


 今しがた伝えた安全ベルトは関係なさそうだ。


「離陸時にぐわっと上がるあの感覚ですね。他はそうでもないんですが、あれだけは一気に圧がかかって胃がひっくり返りそうで、どうも苦手なんです」


「確かに着陸と比べると離陸には勢いがあるからな。飛竜にも相談してみる。ただし、緩和できるかどうかは分からんから、あまり期待はするなよ」


「はい、お願いします……」


 まだ飛んでもいないのに顔色は真っ青だ。それほど苦手なのだと分かる。

 彼が現世に生きる兵士だったとしたら、パイロットや空挺兵は絶対にやらせるべきではないだろう。そもそも志願などしないだろうが。


「なんだ、軍曹、明日のテスト飛行は来ねぇつもりか?ぶっつけ本番でゲロ吐いたりするんじゃねぇぞ」


「マルコ、あまりからかってやるな。本当に無理なんだ。遠征を辞退しないだけでも褒めてやるべきだぞ」


「好きなだけ言え、マルコさんよ。吐きそうになったら空の水筒にでも出すさ」


「ふん、エチケット袋まで持参とは快適な空の旅だな」


 マルコの言う現代語の意味が理解できないカンナバーロは何も返さない。


「マルコ。やめろといったのが聞こえてなかったか?」


「はい。すいません、叔父貴」


 ぺこりと軽い会釈が返ってくる。


「俺よりも軍曹に言うべきだな」


「もちろんです。おい、悪気はねぇんだよ。気楽に行こうぜってところだ、軍曹さん」


「あぁ、俺だって気楽に行きたいさ。こんなみっともない事で迷惑かけちまってよ。でも、無理なもんは無理なんだ。察してくれ。その分、他の場面で槍働きするから」


 みっともないといえば、もう一つ、カンナバーロにとっては朗報ともいうべき装備が追加されている。


「そうだ、軍曹。今回は飛竜の横に簡易式の便所がついてるぞ。飛行中でも安全ベルトをひっかけたままで数歩移動出来て、そこで問題なく用が足せる」


「おぉ、小便を我慢するのが一大事でしたからね。ありがたいことです」


「では明後日の出発式に王城で会おう。旅装、つまりお前の場合は軽装の鎧で大丈夫だ。それと、今日の見送りはいいからさっさと部屋に入れ。風邪なんかひいたら許さんぞ」


「はい。わざわざありがとうございました、卿」


 カンナバーロが家の中に引っ込み、ウィリアムとマルコはそれぞれの愛馬にまたがる。


「叔父貴、お屋敷に戻られますか?」


 軽く集まっていた群衆を馬がかき分けていく中、後方からマルコの声が聞こえた。二人の時は英語なので、大抵のことは堂々と話せる。


「そうだな。ところで明日の飛行だが、エイハブでも乗せてやろうか」


「そりゃ名案です。ボウズも喜ぶでしょう。ちいと飛竜にとっての訓練にしては重量が足りませんがね」


 アーシアが乗りたがるならそっちでもいいが、まずそれはないだろう。


……


「あっ!お帰りなさいませ!」


 迎賓館跡の広大な屋敷の庭先で芝を刈っているエイハブが出迎えてくれた。この幼さで鎌を持って草刈りとは大したものだ。

 仕事中はウィリアムやマルコに対して丁寧な言葉を使うようにとアーシアから教育をされている。時折それが抜けることもあるが、ご愛敬だ。


「ただいま、エイハブ。マルコ、馬をつないできてくれ」


「了解です」


 ウィリアムはその場で下馬し、マルコが二頭を屋敷裏手の厩に連れて行く。


「今日は庭の手入れをしてくれてたんだな」


「うん!きれいでしょ!」


「あぁ、とてもきれいになった。えらいぞ。飛竜はどこだ?」


 いつもは庭にある木陰で休んでいる飛竜だが、その姿が見えない。


「お散歩に行くって言って飛んでったよ!夕飯だからもうすぐ帰ってくると思う。あ、思います!」


 飛竜には食事時に戻れば基本的に自由にしていいと伝えてあるので別に問題ないのだが、出かけるのは珍しい。


「そうか。まだここにはあいつの為の小屋もないし、居心地がよくないのかもしれんな」


「どうだろう?でも確かにお城の中のおうちは大好きだったよ」


「明後日から俺たちはまた外国に行ってくるが、その間に厩の横に飛竜用の小屋を建てるよう発注してる。それを気に入ってくれるといいんだがな」


 そうこうしていると、マルコが厩から戻ってきた。そして上空にも大きな影がかかる。


「お、噂の相手が帰ってきたぞ」


「え、俺ですか?」


「上だ」


 マルコが冗談っぽく自分の顔を指さすが、彼とて飛竜の帰宅には気づいている。


「グルゥァアアウ!」


 咆哮にも負けない、ばさばさという大きな羽音。強力な烈風を巻き起こしながら飛竜が着地する。


「あぁぁ!集めてた草が飛んじゃうよぉ!」


 エイハブにとっての大惨事が起きているようだが、飛竜はすまし顔だ。ウィリアムから見てもそこまで芝が散らかったようには見えないのだが、この幼子が必死で剪定したものの多くが飛んだらしい。


「グァウ!」


「出るとは珍しいな。興が乗ったか」


「グルル……!」


「そうか。そろそろメシの時間だからな。それと、お前の装備が明日には上がってくる。装着して飛んでみたいから予定を空けておいてくれ」


「グァウ!」


 城内にいたころは朝のみの給仕だったが、屋敷に越してきてからは朝夕の二回に分けている。ある程度人間と食事時間のサイクルを寄せるためだ。本当は朝昼夕の三食にしたいところだが、飛竜が昼と夜の二回の睡眠を好むため今の状態となった。


「もう!おしゃべりしてないでこれ見てよぉ!ひどい!」


「グゥア?」


 言葉自体は理解できるが、草が飛んだから怒っているという状況はなぜなのか理解できないようで飛竜が困惑している。

 巨大な体躯の飛竜が小さな人間の子供に叱られているという構図。一緒に生活しているせいでよく見かけるが、何度見ても面白い光景だ。


「あら。みなさん、お帰りなさいませ」


 屋敷の母屋の大きな扉を少しだけ開け、するりと身を乗り出したアーシアが一礼する。


「騒がしくしてすまないな、いま帰った」


「いえいえ、お食事の準備がたった今整ったところです、冷めないうちにいかがですか?エイハブも今日のお務めは終わりにしてしまいなさいな」


「いいの!?じゃあ、飛竜にご飯あげたら終わりにする!」


 散った芝は……本人にしか分からないので放っておいても問題ない。


……


 ウィリアムは、可能な限り屋敷での晩餐については、給仕をするアーシアやエイハブも同じ卓について四人でとることを言明している。


 というのも、朝や昼は各々の仕事の進捗状況があるので食事や休憩時間は自由だが、夜だけは一日頑張った全員が家族同様に労い合おうという考えからだ。


 厳密にいえば、アーシアだけは食事の片付けという最後の作業が残っているものの、それでその日の仕事が終わる。エイハブは夕食後にはすぐにおねむになってしまうので、その片付けはアーシアの担当となっているのだ。


「さて、いただく前に、アーシア」


「はい、なんでしょう?」


「明日、半日ほどエイハブを借りたい。飛竜の三人乗りの鞍の使用感をチェックしたくてな」


 これに飛び上がったのはエイハブだ。


「え!?やったぁっ!飛竜に乗れるんだ!」


「よかったな、ボウズ。三人乗りになったから、叔父貴と俺の間にお前を乗せてやる」


「やったぁ!明日かぁ!」


 マルコの返事にさらに飛び上がるエイハブ。勢いあまって、自分のグラスに入っていた水を卓上に溢してしまう。


「こら!はしたないでしょう!早く、布巾を取ってきなさいな!」


「はーい!」


 案の定、アーシアから叱られているが、布巾を取りに行くその足取りすらも上機嫌だ。


「まぁ、あの子ったら浮かれてしまって。少しでもご迷惑をおかけしたら飛竜の上だろうと厳しく叱ってくださいね」


「危ない事をすれば叱るさ。それと、三人乗りとなったことで遠征にはマルコとカンナバーロ軍曹を伴う。しばらくこの屋敷は二人に任せることになるから、留守中よろしく頼むよ」


……


 翌日。


 バレンティノ邸に大荷物が荷車に乗せられ、搬入されていた。


「わざわざ来てくれたのか」


「へへっ、そりゃ旦那への納品ですから。あっしが手ずから納めたいってもんでさぁ」


 急遽三人乗りへの改造を引き受けてくれた青年のほかに、責任者のヘンリーがいる。

 装備自体はかなり大掛かりなものだが、各所の部品は極限まで軽量化されており、大人が二人いれば作業は容易だ。


 鞍、鐙、手綱、木枠や簡易式便所も次々と飛竜に取り付けられ、みるみるうちにただの飛竜が自家用ジェットへと生まれ変わっていく。

 当然、その取り付けにはウィリアムとマルコも参加し、手順を学んだ。旅先で休憩時に飛竜を着陸させた場合には、彼ら二人とカンナバーロが装備の脱着をしなければならないからだ。


「どうだ?重たくはないか?」


「グルルルル……」


「いつもよりは重いよな。そりゃそうだ」


 全ての部品の取り付けが完了したが、あまり飛竜は機嫌がよさそうには見えない。二人掛けの鞍を乗せるのとは大違いの重装備なのだ。不満そうにしているのも仕方あるまい。

 ただ、聡明なこの飛竜は不満だからと暴れたりしないので本当に助かる。その辺にいる人間より、よっぽど温厚だ。


「翼や尾が当たらないように、絶妙な設計してやがるな。見事なもんだぜ、ヘンリーさん」


「へへっ、そうでしょう!乗り心地も天下一品。最後尾に急遽付けた三人目の補助席も自信作でさぁ!」


「へぇ、俺の席だから助かるなぁ」


 マルコとヘンリーは飛竜とは対照的に和気あいあいと話している。


「すごーい!かっこいいー!」


 完全武装の近衛騎士を見るかのような恍惚とした表情で飛竜を褒めるエイハブ。馬子にも衣裳とは彼自身だけではなく、飛竜にも同じことが言えそうだ。


「バレンティノ様、なにこの樽ー?へんな形!」


「あぁ、それは便所だ。長い時間飛んでいると我慢できないことがあるからな。外国へ向かうときは半日以上も空の上にいるんだぞ」


「えぇーっ!お空の上でうんちできるの!?すごーい!今日使ってみてもいい?」


 テスト飛行で便所を使ってみたいとは中々面白いことを言う。しかし、エイハブの小さなお尻はきっと樽の淵に上手く座れず、体ごと落ち込んでしまうだろう。逆円錐形の樽の中で、くの字の体勢になってしまい非常に危険だ。


「いいや、やめておこう。今日飛ぶのは街の上だ。便所の使用は荒野や海、森林地帯を飛んでいるときだけと決まっているんだ」


「えー?どうしてー?」


「この便所は汲み取り式じゃないからな。使ったらそのまま、便が下に落ちる仕組みなんだ。空で使ったときに、下に人がいたら大変だろう?」


 あっ、とエイハブが口を手で押さえた。空から人糞が降ってくる、その地獄のような有様を想像したようだ。時々爆撃を食らう、鳥の糞とはその破壊量が段違いである。

 ちなみにここローマでは、王城内の便所だけは直接下水道へと繋がっているものの、一般家庭の便所は汲み取り式だ。このバレンティノ邸も例外なく汲み取り式のため、エイハブは飛竜の簡易式便所もそうだと思ったのだろう。

 よく見れば便器の最下部から排出用の管が伸び出ているが、さすがに子供がパッと見ただけでそれが何なのか理解することは難しい。


「じゃあさ、今座ってみてもいい?うんちはしないから!」


「そんなに座りたいのか?」


「うん!」


 なぜ樽を加工しただけの便所にここまで興味を持つのかは知らないが、子供の好奇心は何かに一度向くと簡単に消え去らないことは理解している。

 いつもなら止めてくれるアーシアも、今日は屋敷内をたった一人で掃除しているのでこの場にはいない。


「わかった、座るだけな。ズボンも下ろさずそのままだ」


 飛んでいる状態で身体が便器に落ち込むよりはマシだと、ウィリアムは許可を出した。万が一の場合も地上なら即座に救出できる。


「ありがとうございます、バレンティノ様!」


 エイハブがいそいそと飛竜の側面にある木枠に手をかけてよじ登る。結構な高さだが、運動神経の良い彼は義手というハンディキャップを物ともせずに簡易便所に辿り着いた。

 転げ落ちても大丈夫なように、ウィリアムはすぐそばで両手を広げていたが無用な心配だったようだ。


「おおー。坂道になってる。うんちが滑り落ちるんだ!だから街のお空では使えないんだ!」


 新品の便所をのぞき込むエイハブ。その仕組みを理解したようだ。なんて賢い子だと、ウィリアムはなぜか我が子を想う親のように鼻が高くなる。


 見た目を堪能すると、いよいよそれに座る。

 話し込んでいたヘンリーやマルコもエイハブを心配して近寄ってきた。


「おーい。穴に落ちるなよ、ボウズ」


「へへっ、落ちたらクソみてぇに配管から流れちまうから気をつけな、坊ちゃん」


 飛竜も首だけで振り返り、その目を細めてエイハブを見ている。この心優しい飛竜が、身体を動かさないように細心の注意を払ってくれているのは言うまでもない。


「あっ」


 樽の淵に座っていたエイハブが、案の定、その大きすぎる便座からずるりと中に入ってしまった。膝は見えるが、その先はすでに樽の中だ。


「おい、エイハブ!」


 ウィリアムがすぐに上に向かう。


「だいじょうぶ!ううーーんしょ!」


 なんと、エイハブは樽の淵に引っ掛けた膝を起点に、腹筋運動のような動きで上半身を立ち上がらせた。元々勉強は嫌いで体育や訓練だけは好きだったが、この幼児はこれほど鍛えられていたのか。


「おぉ!ボウズ、すげぇな!」


「でしょー。このくらい平気だもん!」


 エイハブは便座から降りて得意げだ。


「空の上でお前が使うのはやっぱり危ないようだな。よく分かったか?」


「はーい」


「いい子だ。それじゃ出発しよう」


 まず先頭の座席にウィリアムが座る。ヘンリーの言う通り、座り心地は抜群だ。前回以上に快適なのは間違いない。ただし、飛竜の負担が増えるのは当然なので、このテスト飛行は重要な実験となる。


 次にエイハブを抱えてマルコが最後尾に座った。そしてエイハブを真ん中の席に下してベルトを止めてやる。

ウィリアムもマルコも自席のベルトを締め、準備完了だ。


「叔父貴、いつでもどうぞ」


「では、ヘンリー。行ってくるが、ここで待ってるつもりか?」


「へぇ。感想をすぐに聞きたいのと、微調整があれば即やらねぇと明日に間に合いやせんでしょう」


 さすがはヘンリー。仕事に抜かりはない。


「それに、さっそく思いついたこともあるんでさぁ。例えば、便器の内側に蝋を塗っておいてクソが滑りやすいようにするとか」


「驚いたな。天才としか言う外ない」


「褒めすぎですぜ。料金はこれ以上負けやせんから」


「そんな期待はしていないさ。それじゃ、またあとでな」


 ヘンリーたちに見送られ、ウィリアムたちを乗せた飛竜は地を蹴った。

 やはり強烈な重力と風が襲い掛かってくる。今はいないが、カンナバーロが唯一耐えられない瞬間だ。マルコやエイハブは涼しい顔で楽しんでいるが。


 ある程度の高度に達して滑空し始めたところで、飛竜に聞いてみた。


「上昇の際の衝撃にカンナバーロが恐怖を覚えるらしいんだが、何かいい方法はないだろうか?」


「グァウ?」


「少しでもいい。緩やかに上がってやれるとありがたい」


「グルァウ!」


 良い返事だ。きっと、カンナバーロを乗せる明日は、できる限りの努力をしてくれることだろう。


「装備の着け心地はどうだ?軽くしたつもりだが、動きにくいか?」


「グルルルル……」


「飛んでいれば、そうでもないか?」


「グァウ!」


 歩行する地上とは違い、空では翼以外はほとんど動かさない。重み以外の違和感はなさそうだ。


「前よりも重くなったのは否めないが、こちらも荷物は減らすつもりだ。すまんが辛抱してくれ。しかし、長時間、長距離はどうだ?前回よりも一日あたりの飛行距離を少し減らして、休憩時間を多めに取ろうと思ってるんだが」


「グルァウ!」


「分かった。ではそれでいこう。また、しばらくの旅となる。よろしくな」


 移動時間は伸びてしまうが、航行可能であれば、ひとまずは安心だ。


「あっ!バレンティノ様!お姉ちゃんだ!」


「お姉ちゃん?」


 地上を指さすエイハブ。彼がお姉ちゃんと呼ぶ人物は一人しか心当たりがない。ウィリアムはサングラスをずらした。

 王宮をぐるりと囲む城壁の上、風にはためく魔女帽子を両手で押さえながら空を見上げている女がいた。


「おぉ、確かにベレニーチェだ。よく見つけたな」


 地上から飛竜を見つけるのは簡単だが、その逆は難しい。今はバレンティノ邸に来たせいで離れてしまった王城を、懐かしんでじっくり見ていたのだろう。無論、エイハブの目がかなり良いのも関係している。


「おーい、おーい!お姉ちゃーん!」


 小さな手を振るも、残念ながらそれは伝わらない。ならば、ベレニーチェに近づいてあげるとしよう。


「あの辺りを低空でお願いできるか?」


「グゥア!」


 ウィリアムの支持を横目で確認した飛竜が、王城周辺に飛行経路を変えてくれる。高度も半分ほどに落とした。もし十階建てのビルディングでもあればぶつかっていただろうが、この街に王城よりも高いビルは存在しない。


「お姉ちゃーん!」


「まぁ!こちらが見えていたんですか!」


 エイハブとベレニーチェが、叫べば会話できるくらいの距離まで接近した。

 城壁にいた警備の兵士や、窓越しに見える侍女たちの中にも、空に向かって手を振っている者たちがいた。


「うん!見えたから来たよ!あっ、もう通り過ぎちゃう!じゃあねー!」


「気を付けるんですよー!」


 飛竜はその場で羽ばたいて滞空しているわけではなく、あくまでも緩やかに滑空しているだけだ。右から左へとベレニーチェの姿が流れていく中、エイハブは一際大きく手を振った。


……


「マルコ、どうだ?長旅は大丈夫そうか」


「えぇ、思ってた以上に快適ですよ。日に一度は地上で休憩するって話だし、これなら問題ないです」


 離陸して、すでに一時間は経っている。今やとうに市街地を越え、田園地帯の上空だ。マルコは余裕の表情でその景色を楽しんでいるように見えた。


「むしろ問題は地上だな。荷物を最低限にするせいで、食料調達に手間がかかる。当然、町の近くには降りれない上に休憩は夜だ。獲物を捕るにも一苦労だぞ」


「ハジキは猟銃代わりにも使うんですか?」


「それは考えてなかったな……だが、使うのも悪くない。シカや猪、ウサギ、鳥でもいればやってみるか」


 獣を捌くのは慣れているカンナバーロに任せられるので、ウィリアムとマルコが獲物を仕留めるハンターだ。


 他にも釣り竿や網など、食料調達用の道具であれば追加してもいいかもしれない。その辺りは総重量と相談だ。


「さて、一時間ばかり飛んだが、重さには慣れてきたか?明日からの長旅はもっと重たいぞ」


「グゥアゥ」


「そうか。しかし無理はしないようにな。そろそろ屋敷に戻ろう」


 ある程度の距離と時間をこなすつもりだったテスト飛行はもう十分だ。飛竜の首筋を軽くたたいた。ぐるぐると街を見ながら飛んでいた行きがけとは違い、帰りはまっすぐ屋敷に向かえば三十分足らずだ。追加作業を抱えるヘンリーたちを待たせすぎるのも酷だろう。


 離陸時とは正反対に、着陸時は穏やかなものだ。ふわりと風に舞う木の葉のように、飛竜の脚は優しく地面をとらえた。


「お帰りなさいませ、バレンティノ卿」


「お帰りなさい、旦那。お待ちしてやしたぜ」


 従業員の青年とヘンリーが出迎えてくれる。

 いつの間に持ってきたのか、二人はその場で図面を広げてあれやこれやと打ち合わせをしていた様子だった。


 まず最後尾のマルコが降り、飛び降りるエイハブを受け止める。そして最後にウィリアムが飛竜から降りた。


「待たせたな、ヘンリー。悪いが装備の取り外しまで待ってくれ。マルコ、二人でやるぞ」


「はい、叔父貴」


 旅先を想定し、敢えてヘンリーたちの手助けを借りずにやってみる事にする。


「お前もご苦労だった。明日からよろしく頼むぞ」


「グルァ!」


 飛竜にも声をかけつつ、ウィリアムとマルコは慣れない手つきで大量の装備を外していった。


 それが済むと、ヘンリーたちが修正を加える部品だけをかき集めて荷車に積んでいった。便器の内側に蝋を塗るだけではなく、他にも何か思い当たるものがいくつかあるようだ。


「旦那、マルコさん、気になることはありましたかい?明日までに出来そうであれば特急で間に合わせまさぁ」


「いや、素晴らしい出来だ。俺は何も不満などない」


「俺もだぜ。いいもん作ってくれたなぁ」


 二人が返す。


「そりゃよかった。飛竜の方はどうですか」


「問題ない。だが負担は増えてるんだ。次の機会があれば、すべての部品をもっと軽くて強度があって小型化したいな」


「へへ、そりゃ職人の永遠のテーマでさぁ。精進させてもらいますんで、今後ともごひいきに」


 残るエイハブはただただ上機嫌なだけで意見という意見はなさそうだ。


 飛竜は装備が外されると、全身を何度かぶるぶると小刻みに振った。まるで雨に濡れた毛を乾かす犬のようだ。

 そして大きく伸びをし、重い装備からの開放感をかみしめる。やはり、身体の各所に装備がつくと違和感が大きかったに違いないが、こればかりは慣れてもらうしかない。


「あーっ!背伸びしてるー!疲れたの?」


「グァウ!」


「坊ちゃんは楽しめたかい?」


「うん!おじさん、このイス作ってくれてありがとう!」


「そうかいそうかい」


 エイハブの素直な意見に、ヘンリーも嬉しそうだ。


「そんじゃ、旦那。あっしらはこれで。明日の早朝にまた若いもんが修正加えた装備をお持ちしやす」


「助かる。ではまたしばらくの別れだな」


「へい、どうかご無事で」


 一礼し、ヘンリーたちが店に向けて帰っていった。


……


……


 今回の出発式には王城が開放され、大勢の市民らも詰めかけていた。場所は、少し前まで飛竜が寝泊まりをしていた城内の空き地である。

 カンナバーロは指示の通り軽装でその場に先乗りしており、ウィリアムとマルコは早朝に受け取った新装備を取り付けた飛竜に乗って、颯爽と上空からこの場に登場した。


「おおぉぉーっ!」


「子爵様ぁぁーっ!」


「飛竜だ!飛竜卿だ!」


 群衆から歓声が上がる。

 その群衆らとウィリアムたちの間にはピンと張られた綱が一本だけ引かれているが、乗り越えようと思えば簡単に乗り越えられるものだ。しかし、飛竜へ接近しようというものはおらず、皆行儀よくその外側から声援を送っていた。


「飛竜卿とは、またイケてるあだ名をつけられましたね、叔父貴」


「まぁ、貧乏貴族よりはマシだな」


 観客の中には吟遊詩人も紛れているだろう。ウィリアムの事を歌っている者もいるというので、もしかしたら彼らがつけたあだ名かもしれない。


「軍曹。よく来てくれた」


 ウィリアムが飛竜を降りて呼びかけると、カンナバーロは踵を揃えて敬礼を返した。


「はい、お待ちしておりました。バレンティノ卿。あぁ、ついにこの日が来てしまいましたよ……」


 やはり乗り気にはなれない軍曹の背中をマルコが小突く。


「おい、しゃんとしろって、軍曹さんよ。晴れ舞台だぜ」


「分かってるって。怖いもんは怖いのさ。大目に見てくれ」


「仕方ねぇ野郎だなぁ」


 どこからともなく太鼓やラッパが鳴り響いている。この空き地に楽団は見えないので、城内のホールから演奏を届けているようだ。


 兵や民衆はその場にいるのだが、肝心の国王や右大臣など、お偉方の姿は見えない。出発式の段取りなどは特に聞かされていなかったので、どうしたものかと思っていると、空き地を見下ろす形となっている城壁の一部、その二階部分の窓が開け放たれた。ウィリアム達から見ると、死角である真後ろの上部に当たる場所だ。


「陛下!」


「国王様だ!」


 観客の声に反応し、ウィリアムとカンナバーロは素早くその場に片膝をついた。マルコもやや遅れてそれに倣う。

 無論、国王の姿など確認する暇もなかったのだが、そこに重鎮たちも勢ぞろいで会場を見下ろしているのだろう。


「皆、よく集まってくれた!余が、ミケーレ・マランツァーノである!」


 国王が口を開くと、歓声も楽団の演奏も、瞬時に静まった。


「今日は皆も知っての通り、ウィリアム・バレンティノ子爵がアジアへ向けて旅立つ日だ!一度見てみたいという声が多数あったので、こうして式典を準備した!楽しんでいってくれ!」


 その言葉が切れると、再び歓声と演奏が再開された。どうやら国王はもう、窓際から退いたようだ。

 ウィリアム達も立ち上がる。


「さぁ行け!みたいなことを言われるかと思ってましたが、これで終わりですかね?」


「ううむ、好きなタイミングで出発していいのか悩むところだな」


 マルコと話していると、大司教とベレニーチェ、そして王国騎士団の副官、ロッシーニ中佐が会場である空き地までやってきた。さっきまでは国王の近くに控えていたはずだが、そこから急いで降りてきてくれたらしい。


「階段の上り下りは、老いぼれには堪えるわい」


「ごきげんよう、バレンティノ様」


「陛下は次の公務へと向かわれたので、我々が見送りを務めよう」


 それぞれがそう言った。


「助かるよ。どのタイミングで出発するべきか分からなかった」


 ウィリアムが頭を掻きながら返す。

 この三人の内、クレメンティ大司教も民衆からの人気は高いらしく、姿を現すなり、彼に向けた歓声が飛んでいる。日ごろから城下町での布教活動も精力的に行っているからに違いない。

 ベレニーチェや中佐はそういったことはしないので、多くのものは身分の高い魔術師と軍人であるという事しか分かっていないようだ。


「あら、陛下は別としても大司教様とバレンティノ様だけが皆に人気でズルいです」


「うらやましいとも思っておらぬのによく言うわい、ベレニーチェ」


「ふふ、バレましたか。せっかくですので、この場の仕切りは大司教様にお願いいたしますわ」


「やれやれ、またわしの仕事だけを増やしおってからに」


 腰を叩きつつ、大司教が一歩前に出た。小言は吐いたが、引き受けるらしい。


「では、ウィリアム・バレンティノ卿。出発の準備はよろしいかの?」


「あぁ、もう出ていいのなら騎乗するが」


「うむ、よかろう」


「よし、マルコ、軍曹。出るぞ。騎乗しろ」


 二人に一声かけ、まずはウィリアムが飛竜に飛び乗った。そして、真ん中の席のカンナバーロ軍曹、後部座席のマルコも自席に座る。

 飛竜が翼を広げると、観客からは大きな喝采が上がった。


「大司教、ベレニーチェ。それに中佐。見送りをありがとう。行ってくる」


「では……バレンティノ子爵の旅路の無事を祈る!出発じゃぁ!」


「いいぞ、飛んでくれ」


 ウィリアムの指示で飛竜が大きく羽ばたき、その場で上昇する。カンナバーロの為にも急上昇を抑えるようにと頼んでいたので、その発進はいつもより数段緩やかだ。


「うぅぅ……」


 目下では最高潮の盛り上がりを見せているが、その飛竜の上で一人だけ、カンナバーロは必死に恐怖心と戦っていた。


「おい、しっかりしろ。軍曹さんよ」


 その後ろからマルコがぺしぺしとカンナバーロの肩を叩いている。


「あ、あぁ。この間よりはいくらかマシだけどよ……ひぃっ!まだ続くのか……!?」


 話したせいで油断が生まれたのか、更なる上昇で悲鳴を上げるカンナバーロ。まだまだ巡航できる高度ではないので飛竜の上昇はしばらく続く。

 その速度を緩めた分、今度はその時間が長くなるという問題が発生しているわけだが、どちらが良いかはカンナバーロにしか判断できない。


「どうだ、三人の大人と荷物を積んだ感想は?」


「グァウ」


 ウィリアムの問いかけに、思っていたほどではないな、とでも言うように飛竜は火炎混じりの鼻息を噴く。


 飛竜の上昇、つまりカンナバーロにとっての地獄はおよそ一分ほど続いた。

 上空を漂う雲が真横に見えるくらいになると、飛竜は垂直ではなく水平に進行方向を変えた。


「お、終わった……」


「軍曹、気分はどうだ?」


「はい。問題ありません、卿」


 多少の遠慮や虚勢はあるのかもしれないが、顔色を見るにその言葉はある程度信用できそうだ。


「今回は飛竜にも上昇の加減を緩やかにするようにと頼んでいてな。こっちのほうが良ければ毎回そうしてもらうが」


「そうですね、前よりはいくらかそっちのほうが」


「分かった」


 ウィリアムは自身の前に装着されている強化ガラスのシールドに、糊で地図を貼りつけた。簡易的なカーナビのようなものだ。半球体を横倒しにしたシールドは、ウィリアムの上半身を風圧から守ってくれており、その内側に紙を貼ってもバタつかない。


 進行方向は前回と同じく、東だ。大ヨーロッパ大陸と大アジア大陸を分ける大河、神々の水路を越え、いくつかの小国の上空を通過してネパールを目指す。


 欧州列強とアジア諸国による国境付近での紛争は、魔族のアジア侵略が活発化してからは沈静化している。それに加えてイタリア王国の属国となったパキスタン。今回のネパール、次回のバングラデシュと、味方を増やして魔族に対抗することが狙いだ。

 皮肉だが、巨大な敵のおかげで人間同士の小競り合いを終わらせる。


 現世でのネパールは最近、王国から政体名を含まないただのネパールとなったり、連邦民主共和国となったりと忙しいが、こちらの世界では未だに王国として存在している。その政権を握るのは議会ではなく、国王だ。


 パキスタンには寄らない。すでに国交が生まれた状態となるため、そちらのやり取りは別の者が担当となるはずだ。


「この間の国、名前は何でしたっけ。あそこには寄られるんですか?」


 落ち着きを取り戻してきたカンナバーロが、ちょうどパキスタンについて訊いてくる。


「いや、あそこでの俺のお役目は達成されたからな。詳しく聞いたわけじゃないが、後のやり取りはお偉方に任せてある。俺がローマに長くとどまっていた間に、伝令も走っているはずだ。補給程度にパキスタン国内のいずれかの市街地になら寄るかもしれないが、わざわざ首相官邸には行かないぞ」


「そうですか。またバナナとチャパティが食えるかと思ったんですが。大好物とまでは言いませんが、なかなか美味いですよね」


「なんだ、あれが食いたかったのか。だったら寄ってやろう。売っているかどうかは運次第だ」


 おそらく物珍しがるであろうマルコもいるので、手に入れられれば良いのだが。


「叔父貴、まだイタリア国内ですか?」


 マルコは早くも少し退屈になってきたのか、そんなことを言う始末だ。


「当たり前だ。航空機みたいな速度は出てないぞ。こんなむき出しの状態じゃ、たとえヘリくらいの速度を出すだけでも振り落とされそうで恐ろしい。飛竜だけならともかく、荷物や俺たちを乗せた状態ではこれが限界だ」


 とはいえ船や馬に比べれば格段に速いのだから、魔族が使っている魔術による移動を除けば、飛竜こそが最高の移動手段だ。


「いえ、別に遅いって言いたいのではなく、イタリアの国土の広さが良く分かってないだけでして。この世界ではどのくらいの力がある国なのか気になるじゃないですか」


「なるほどな。それならおそらく世界で五本指には入る強国だ。国土の広さはイギリスやフランスと全く同じだ。地図が正確であればな」


「どうしても自分がいたロンドンに比べるとローマは街並みも人口も見劣りするもんで。でもそのイギリスと並ぶ強国ってんなら素晴らしいですね。広さは同じってことですが、現世で言うと何処の国くらいなもんなんでしょう?」


 この質問にはウィリアムも悩まされる。地図上で同じ大きさの欧州四か国は理解しているが、当然そこには面積など記載されていない。


「さすがにそれは答えれんな。大陸を四分割している大国とは言え、大陸自体の大きさが分からない」


「やはり、実際にアジアまで飛んだ叔父貴にも難しいですか……」


「あいにく、飛竜には車みたいな距離計測器はついてなくてな。だが疑問や興味を持つことはいいことだ。暇だったら上空から地形図でも書いたらどうだ」


「おっ、それなら携帯電話で写真を撮りましょうよ!」


 確かにそれも悪くない。ウィリアムは携帯電話をカンナバーロに渡し、彼がそれを最後尾のマルコに回した。


「ありがとうございます、叔父貴!」


「おう。だが、ローマに帰るまで充電は出来ない。貸しといてやるが、初めからあまり使いすぎるなよ」


「はい!」


 早速、ウィリアムの携帯電話でカメラモードで写真を撮り始めたマルコ。しかしウィリアムの言う通り、ローマへ帰ってベレニーチェから放電の魔術で充電してもらうまで、この携帯電話はそう頻繁には使えない。

 数枚ほどをメモリ内に納めると、本体をポケットへとしまった。また、がらりと景色が変われば何枚か撮るのだろう。


 すでにローマは後ろへと消え、今は農村や畑ばかりが眼下に広がっている。明日までは国内の領地を飛ぶだけなので、国境を跨ぐまでは緊張感の薄い、のんびりとした旅になりそうだ。無論、途中で魔族の侵入などに遭遇すれば話は変わってくるが、可能性は高くない。


 半日後、夜が更けたところで着陸し、休息を取りことになった。場所は森や山などの僻地ではなく、町の近くの草むらだ。

 まだ国内であるため、そこまでの警戒は必要ない。


「軍曹、野営の準備を。マルコ、一緒に飛竜の餌と俺たちの食料を買いに行くぞ。小さな町だな。店がまだ開いてればいいが」


「「了解です」」


 先に飛竜の装備を解いてやりたいが、暗くなって店が閉まっては困る。

食料を調達した後で食事前に外すと約束すると、飛竜本人は理解して頷いていた。

 街の入り口。日本の鳥居のような、木製の簡素的な門が出迎えてくれる。


「なんて町でしょう?」


「さぁな。地図にも名前がなかったくらいだ。上空から明かりが見えなければ見落としていたぞ」


 パッと見で百人規模の町のようだ。それなりに生活環境は整っているように見える。


「おや、あんたらは……?」


 門をくぐって一秒で、最初の住民を発見する。見回りでもしているのか、たいまつを手に持った老年の男だ。


「よう、じいさん。食料品店を探してるんだが、教えてくれねぇか」


 マルコが、ずいっとウィリアムの前に出てその老人と会話する。威圧的に見えるかもしれないが、本人にそんなつもりはない。


「もう日が暮れてるのにかい?そこの通りの角に精肉店があるが、閉まってるんじゃなかろうか。しかし……良い身なりですな。王都のお役人さんですか?」


「その通り、ローマから来たんだよ。何とかそこの主人は店を開けてくれねぇだろうか。遠征中で、連れも何人か近くに控えてるんだ。全員で押し寄せたら住民がビビっちまうだろ」


 飛竜用の食料も買い込むので、人数がかなりいると錯覚させる。買い物はカンナバーロも含めてたった三人の量では済まないからだ。


「それはそれはご苦労様。ではわしが頼んでみましょう。この町の住民は皆、顔見知りのようなものでね」


「助かるよ。叔父貴、行きましょう」


「あぁ」


 老人の先導でマルコとウィリアムが精肉店に向かう。

 田舎町なので、日が落ちると一気に住民の外での活動は停止状態となるようだ。この老人以外に人影は全く見えない。というより、いても暗くて気付かない。


「じいさんは見回りか何かか?」


「あぁ、そうだよ。夜に野犬や魔物が出ると困るだろう?いつくたばっても良いように、見回りは年寄りが数人で行うんです。死ぬ間際に大声くらいなら出せるからね。それが最後のお役目です」


 普通は若い男衆が行うものだが、なるほど、死ぬ確率が高いならそういう考えもあるわけか。薄情な気もするが、それがこの町のルールなのだろう。


 もし、ウィリアムとマルコが身分を偽った野盗だったとしても、この老人は最初の犠牲者になる。実際、二人の事を怪しんでいる可能性もあるが、殺されるのならそれが仕事だと割り切っていそうだ。


「さぁ、ついたよ。おーい、マルコさんやーい!」


 老人が精肉店の戸を叩く。看板などはなく、ただの木造民家にしか見えない。

 そしてどうやら店の主人はマルコという、ウィリアムの舎弟と同じ名前らしい。イタリア人の名前では珍しくもないので、マルコ本人にもウィリアムにも特に驚きはなかった。


「はいはい。なんだい、じいさん。店ならついさっき閉めちまったぞ」


 顔を出したのは二人分の重さはあろうかという、丸々と太った巨漢だった。基本的に質素な生活をしているものが多いこちらの世界では、ここまでの肥満体の者はかなり珍しい。


「こちらのお役人さんらが食料を売って欲しいんだとさ。困ってるようだし、何とかならんかねぇ?」


「お役人……?」


 大きな体だが、そのスキンヘッドの中心辺りにある瞳はつぶらで愛嬌がある。そんなことをウィリアムが思っていると、店の主人はその目をくしゃりと細めて笑った。


「ははっ、それはお困りでしょう!うちの商品でよければ持っていって下さい。もちろん、お代はいただけるんですよね?」


 役人と聞いて嫌がられたり、渋られたりするかと思いきや、かなり協力的だった。案内してくれた老人もそうだが、お人好しが多い。


「あぁ、無理を言って店を開けてもらったんだ。通常の二倍払おう」


「なんと!では店が空になるまで買ってもらわんといけませんな」


 倍と言っても王都で買うよりは安い。ウィリアムの懐も潤沢なので何の心配もいらない。

 老人とはマルコが話していたが、店主とは交渉もあるのでウィリアムが話している。


「それはこちらとしてもありがたい話だが、町の人間が腹ペコになってはいかんだろう。とりあえず……二十人分ほどの鶏肉をもらおう。まだ捌いてないものがあればそれでもいいぞ。護衛の兵の中には心得のあるものも多いからな」


「ありがとうございます!二十人分ですと鶏が十羽ほどでいかがでしょう。御覧の通り、下処理はしてしまってますが」


 民家のような店の中、天井近くには羽をむしられ、頭を落とした鶏がピンク色の皮を光らせながらぶら下げられている。感謝祭の祝日で食べる、七面鳥の丸焼きする前のような姿だ。


「いや、二十羽ほど欲しいな。明日の夜まで無補給の予定なんだ。鶏が十羽しかなければ、残りは牛や豚肉でも構わない」


「かしこまりました。鶏はここにある分、えぇと……十二羽なので、残りは豚肉で準備しましょう。燻製ですが」


「それで大丈夫だ。ありがとう」


 鶏はすべて飛竜に食わせ、豚肉はウィリアム達の食事となる。

 もちろん、二十人分といった以上は豚も結構な量になるはず。明日までに食べきれなければ飛竜に食わせることになる。あまり本人は燻製されている肉は好みではないようだが。


「しっかし、片田舎だと思ってたが立派な肉がならんでるじゃねぇか。叔父貴、どれもこれも美味そうですね」


「あぁ、主人はいい腕をしているな」


「ははは、やめてくださいお役人さん。ただ、味や質に研究熱心なのは見ての通りです」


 太鼓腹をドンと叩きながら主人が破顔する。この大きな体は色々と実食しながら仕事をしているという事だ。だが、美味いものを作り続けるためにはただ大食らいなだけではあるまい。舌も確かなはずだ。


「ここの燻製肉はしっかりと味がして美味いんだよ。ちょっとした名物さ」


 あまり関係ないはずの老人も嬉しそうにそう言った。


……


「ところで、お役人さんはどこまで行かれるんだい?」


 店の主人が鶏肉や燻製肉を持ち運びしやすいように縄でまとめている間、手持ち無沙汰になった老人がそんなことを聞いてくる。

 もう用事は済んだのに見回りへは戻らないので、よほど話し好きなのだろう。


「外国までだ。大陸を越えて、アジアのネパール王国を目指している」


「なんと、そんなに遠くまで行きなさるか。何か月、何年とかかる旅路でしょうに」


「……そうだな」


 飛竜の事は国民にであれば漏らしてもよいのだが、やはりここでは伏せた。別にそこまでの情報を教えて大騒ぎさせてやる事は無い。


「さぁさ、できましたよ!しかし、これは二人じゃ運べないですね。よければウチの荷車をお貸ししましょうか」


「助かる。運ぶのはすぐ近くまでだ。一時間だけ借りられるか」


 荷車のレンタルへの気持ちも込めて、相場よりかなり多めの銀貨を渡す。


 お人好しな老人は道案内の為ついてくると言い始めたので、全力で止めた。店の場所からカンナバーロ達が待つ草むらまでの道案内など不要だ。飛竜を見た老人が腰を抜かす事の方がよっぽど心配である。


「おかえりなさい」


「待たせたな、軍曹。これが食料だ」


 問題なくカンナバーロと合流したウィリアムとマルコが、荷車から大量の肉を降ろす。


「ほぉ!こりゃうまそうな肉だ!」


「グルァウ!」


 大喜びするカンナバーロと飛竜。特に飛竜はよほど腹が減っていたのか、尻尾でバシバシと地を打っている。


「俺はこの荷車を肉屋に返してくる。飛竜には先にお前たちの手で食わせてやってくれないか」


「いえ、叔父貴。お一人では」


「問題ない。敵地じゃないんだからな。頼んだぞ」


 気にかけてくれるマルコを手で制し、空になった荷車を引いてウィリアムは一人、町へと向かった。

 すると、先ほどまでは見回りの老人以外に人っ子一人見かけなかった町の入り口に、煌々とたいまつが掲げられて住民たちが列をなしていた。


 もしや魔族でも近くに出て、迎撃のために住民が集結したのではないだろうか。何かあったのかと尋ねる前に、件の老人がウィリアムに向かって声を上げた。


「間違いない!あの御方こそ飛竜卿だ!」


「何?」


 なるほどとウィリアムは胸をなでおろす。こっそりと後をつけてきていたか。だが、幸いにもウィリアムの噂はここまで届いていたらしい。

 話を伝えたのが旅の商人か吟遊詩人かは知らないが、そのおかげで恐怖心を持たせることはなかった。


「じいさん、これは何の騒ぎだ?」


 気付いていながらも、一応尋ねる。


「いえ、実はさきほど失礼とは思いながらもお二人の後ろをつけさせてもらって。すると、飼い慣らされた見事な飛竜がいるじゃありませんか!まさかあの飛竜卿にこうしてお会いできるとは!おとぎ話を見ているようです!」


 興奮しきった様子で老人が言うと、町の住民たちもこぞって飛竜卿、飛竜卿と手を振ってくる。


「人違いだろう。盛り上がるのはお前たちの勝手だが、我々の宿営地には絶対に近づくな。見知らぬ人間が近寄ると機嫌を損ねるかもしれないぞ。何が、とは言わんがな」


「そ、そんな!ぜひともその雄姿を我々の目に焼き付けさせていただきたい!」


「そうです、飛竜卿!そのためにもこうして集まったんですから!」


「断る。それより誰か、この荷車を肉屋に返しておいてくれ。失礼する」


 有無を言わさず言いたいことだけ告げると、ウィリアムはさっさと身を引いた。


……


「叔父貴、ご苦労様です。何かありましたか?浮かない顔をされてますけど」


「あぁ、ちょっとな」


 マルコやカンナバーロの待つ宿営地に戻ると、開口一番でマルコがウィリアムに訊いてきた。


「さっきのじいさんがこっそり後をつけてきてたみたいで、町では飛竜卿が来たと大騒ぎだ。今も誰かが遠くからこちらを覗いているかもしれない」


 害はなくとも、気分が良いとは言い難い。近づかないよう注意はしたが、飛竜も敵対者ならともかく、好奇心旺盛なただの住民には吠えたり唸ったりはしない。ウィリアムはもし誰かが隠れていても分からないのだ。


「まぁ、それくらい良いんじゃないですかね?むしろ、明日の出発は街の上空を回ってやりましょうよ。卿の株がぐんと上がりますよ」


 カンナバーロは楽観的だ。


「パフォーマンスか?そんなことで喜んでくれるならやってもいいが……せめて夜くらいは落ち着いて休ませてほしいものだ」


「ま、とにかくメシにしましょう。ほら、卿の分も準備は出来てますよ。どうぞ」


 飛竜への給餌は終わり、残すは三人の食事だけだ。カンナバーロもマルコも腹ペコのはず。促されるがまま、ウィリアムは地面に腰を下ろして炙った燻製肉を受け取った。

 丹念に炙られていて、肉の脂がテカテカと実に美味そうな光沢を放っている。


「そうだな、ではいただくとしよう」


 簡易的に胸で十字を切り、肉にかぶりつく。見た目の通り、実に美味い。老人がちょっとした町の名物だと言っていたのはあながち間違っていなかった。


「うめぇ!こういうのも旅の醍醐味ですね、叔父貴」


「あぁ。ローマやロンドンに閉じこもっていては味わえないものも多いからな。旅行気分じゃ困るが、メシくらいは豪勢に行きたいものだ」


 燻製肉はかなりの量で、三人で腹一杯食べてもまだまだ余っていた。保存がきくので明日以降の朝食や昼食にするが、明日の晩はまたどこかで食料調達だ。


「飛竜も満腹みたいだな。少ないかと思ったが良かった」


「はい、かなりの食いっぷりでしたよ」


 一足先に全ての鶏を平らげた飛竜は既に寝ている。数も多くなく、頭や脚、羽などは落とされていたので足りるかどうか心配だったが杞憂だったようだ。


「実は自分がここで買い出しに行った二人を待っている間、野兎が一羽捕れたんでそいつも食わせました。少しは足しになったんじゃないですかね」


「そうだったか。よくやった、軍曹」


「いえいえ。コイツには誰よりも働いてもらってますから」


 森林ならともかく、町も近い平野部で収穫があったのは驚きだ。薄暗い中でしっかりとそれを仕留めたのも素晴らしい。

 カンナバーロは給餌をすることも珍しいので、あまり飛竜には慣れていないものかと思っていたが、それは間違いだったか。


「ところで、バレンティノ卿」


「うん?」


「目をキラキラさせたチビっ子たちがいるんですが……」


「なっ!?」


 ウィリアムが背後を振り返ると、短い草むらに伏せた三人の男児がいた。どこにでもこういったいたずらっ子はいるものだ。

 飛竜が近くにいると聞いて、溢れ出る好奇心を抑えることが出来ずに、大人たちの目を掻い潜ってここまでやってきたということが容易に想像できた。


「まったく……元は人を食う生き物だって知ってるだろうに。おい、ボウズ!」


「うあっ!」


「見つかったぞ、逃げろぉ!」


 きゃっきゃとはしゃぎながら子供たちが逃げていく。悪さをするつもりはなかったようで何よりだが、エスカレートして飛竜に石でも投げられようものなら一大事だ。


「自分がガキだった頃を見ているようで、あんまり強く言えないのが痛いですね」


 まさにウィリアムが感じていたことをマルコが代弁してくれた。ガキ大将だった兄のトニーに比べれば大人しい子供だったと思っているが、それでもやってきた悪さは数知れない。マルコも同様であり、カンナバーロも真面目な子供だったわけではないだろう。

 面白がって、飛竜を見に来ただけの子供と比べるまでもない。


「大人だって興味津々だったんだ。子供なら尚更だろう。明日は軍曹が言った通り、少し低空を飛んで見せてやるとしよう」


「あの、バレンティノ卿、また来てるんですが……」


「こらぁ!ガキども!さっさと帰って寝ろ!」


 そんなやり取りが、夜中まで五回ほど続いたのだった。


……


 翌朝。宣言通りにすぐそばの町の上空を低い高度で飛ぼうとしたのだが、日が昇るとともにそれは不要だという事に気がついた。


 というのもウィリアム達がいた場所は朝になると町から微かに見えており、わざわざ飛ばずとも大きな体の飛竜は目立ってしまっていたのだ。飛竜の存在を知らなければ一夜にして現れた巨石か、大きな牛にでも見えたかもしれない。

 だが、飛竜と分かっていればそれとしか見えないだろう。


 そのうえ住民たちの朝は早く、三人が起床したころには既に門のあたりに観客は集まっていた。近寄るなという言いつけは守っているようだが、注目を浴びているのはどうしようもなかった。


「ははは、まさかここまで丸見えだとは。国内とは言え、油断しすぎたな」


「何というか、平和な町ですね」


 飛竜に装備を取り付けながらウィリアムとマルコが会話する。カンナバーロは寝具などの片付けだ。


「行けるか?」


「グルルルル……」


「どうした、腹の調子でも悪いか」


 装備の取り付けと荷物の搭載がすべて完了して、ウィリアムが話しかけるが、飛竜は何やら言いたそうな顔で街の方を凝視している。


「卿。何か騒ぎが起きているように見えます」


「騒ぎ?朝っぱらから元気なことだ」


 既に住民たちはお祭り騒ぎのように見学に押し寄せていたではないか。何を今さら騒ぐのだろうか。


「いえ、それが悲鳴のような……」


 ドンッ!


 突如聞こえた、花火が打ち上げられたような轟音。閃光や煙は見えなかったが、距離があるこの場からでも、町に何かしらの爆発が起こったのが理解できた。


「爆弾?いや、魔術か!」


「町に魔術師がいなければ、魔族の侵入かもしれません。どうなさいますか?」


「行こう。見過ごすわけにはいかない。だが……」


 飛竜をちらりと見た。魔族による侵入であれば、飛竜にとっては同族と人間の争いとなる。巻き込まないようにするのが賢明だろう。


「飛竜にはここで待っていてもらう方がいいんじゃないか?我々にとって頼もしい存在であるのは当然だが、かつての仲間たちと殺し合いなんてさせられないだろ」


「えっ。しかし、卿」


「お前の言いたいこともわかる。コイツ自身も人間の国に住んでからの方が長いだろう。味方してくれと言えば、してくれるに違いない」


 極めて道徳的な問題だ。人間同士だって争ったり殺し合ったりする。魔族同士でもそれはゼロではないと思う。しかし、それを人間であるウィリアムが強要するのはどうかという話だ。


「それでも、こんなに心優しい飛竜を俺の勝手で殺しの道具にはしたくないんだ。幸い、俺達は銃で武装している。それに、あの町くらいの規模を襲っている連中なら、そう大きな部隊ではない気がする」


「分かりました。では行きましょう。ただ、自分は軽装鎧なんで、一撃でも食らったらお陀仏ですからね!」


「はっ!防具なんて皆無の俺たちはもっと打たれ弱いんだぜ、ビビんなよ兵隊さん」


 弱気なカンナバーロにマルコが笑う。


「装備を取り付けた後になってすまない。ちょっと町の方でトラブルがあったみたいだ。俺達は様子を見てくるから、お前は少し休んでいてくれるか?豚の燻製肉であれば、食べててもいいぞ」


「グゥア!」


 これは了承だ。騒ぎの理由が魔族の侵入であれば飛竜とて気配を察知しているはず。動こうとしないのは、別に脅威だとは思っていないからだろう。


 そんな飛竜を残して、ウィリアム達は町へと急いだ。すでに見えているのだから、そう遠くはない。


「いやぁぁぁっ!」


 女の悲鳴だ。そして、男たちの怒号や子供の泣き声も聞こえてくる。

 飛竜の見物のために入り口に集まっていた群衆も、散り散りになってしまっていた。


「卿!魔族ではなく、野盗のようです!」


 町の中。カンナバーロの声に横を見ると、覆面をした男が剣を振り上げ、女の背にそれを突き立てるところだった。

 人間相手となると魔族よりもマシだと思われがちだが、弓などを持っている場合はこちらに銃があっても注意が必要だ。

 それとさっきの魔術は住民側か、野盗側か、どちらかに魔術師がいるという事になる。敵であれば厄介だ。


「マルコ、殺れ」


「はい、叔父貴」


 マルコはその覆面男の背面から近づき、ほとんどゼロ距離から後頭部に銃弾を撃ち込んだ。


「わぉ、やっぱりおっかないもんですね。銃ってのは。一見、危なそうには見えない不思議な形だからその凶悪さを忘れてましたよ」


 ドッと倒れる野盗の男を見ながらカンナバーロが感想を漏らす。


「残念ながら、このご婦人は救えなかったか……ん、あっちが騒がしいな」


 ウィリアムが示したのは町の中心部だ。たいていの場合、そういった地点には噴水や石像、巨木などを中心に置いて広場が設けてあることが多い。住民たちの集会時や、恋人や友人との待ち合わせ場所などに利用される。


 三人が移動すると、予想通りそこには大きな一本のイタリア傘松を中心とした広場があり、住民たちが野盗の手によって集められ、地面に座らされていた。

 ウィリアム達はその様子を家の陰から伺う。周りにいる野盗の数は八人。町の人間は縄などで拘束されてこそいないが、こちらが安易に飛び出せば適当な者が人質として使われるだろう。少々不利だ。


 かといってこの場から連続の早撃ちで狙撃が出来るほど拳銃の命中精度は高くなく、またそんな腕前もウィリアムやマルコにはない。


「さて、これは悩ましい状況だな。いい手はあるか?」


「多少の住民の犠牲には目を瞑って正面からドンパチ行きますか?野盗相手なら一度戻って、飛竜を連れて来てもいいですね」


「まずは奴らの出方を見てはいかがでしょうか?金品や食料だけ奪って町を離れるのであれば、その時に後ろから叩けます」


 マルコとカンナバーロがそれぞれ意見を出してくれた。どちらの案も悪くないが、まずはカンナバーロの助言を採用だ。特に魔術師や弓兵の有無を知りたい。とにかく遠距離攻撃や不意打ちにだけは注意を払っておかなければならないからだ。


 だが、直後にはそうも言っていられない状況となる。

 野盗の一人、リーダー格らしき男が町中に聞こえそうな大音声で叫んだ。


「今から、男どもの一人残らず首を落としていく! 女どもは犯してから首を落としてやるから安心しろ! 男よりも少しは長生きできるぞ!」


 野盗は全員がズタ袋や布切れで覆面をしており、また目撃者となる住民は皆殺しという凶悪犯のようだ。よくもまぁ、ここまでやる犯罪者がこのイタリア国内で野放しになっていたものだ。

 逆を言えば、身元や証拠をこうして徹底的に排除してきたからこそ生き延びてきたのかもしれないが。


「魔術はアイツのものかもしれないな……二人ともあれを見ろ、腰に差してるのは短剣じゃなくて杖みたいだ」


 そのリーダー格の男は手に大剣を持っているが、腰にはベレニーチェが使うような指揮棒にしか見えない細枝がぶら下がっている。魔法戦士という奴か。

 イタリアではかなり稀な存在だとは聞いているが、こんな形で目にするとは。


「確かに。あの風体だと奴は魔法戦士なのかもしれませんね。最初にやるべきか……」


「叔父貴、それなら俺に行かせてください」


「いや、俺がやる。軍曹は追従しろ。マルコは他の雑魚をけん制だ。減らせるだけ減らしてくれ。行くぞ」


 これ以上の議論は無駄だ、とウィリアムはさっさと行動を開始した。

 出来る限り物陰を伝ってその男との最短距離までは隠れて進む。最終的には広場になるので身は隠せないが、突っ込むこちらへ向けて魔術を使われる前に射撃できれば万々歳だ。


「最初は町長だな!抵抗をしようとした見せしめとしてやる!」


 野盗のリーダー格の男は、一番手で処刑を受ける者として町長を指名した。ただし、先ほどの女のように、他にも先んじて殺されてしまっている者は多いはずだ。


「はぁ、八対三か……大丈夫でしょうか」


「攻撃は俺とマルコに任せろ。しっかり守ってくれよ。行くぞ!」


 なぜか今更になって及び腰になり始めたカンナバーロに檄を飛ばし、ウィリアムは飛び出した。

 最も強敵となるであろう、魔法戦士らしきリーダー格の男へ一直線だ。


「ん!なんだ、貴様ら!」


 相手は大剣を右手に持ったまま、空いている左手で腰の杖を抜く。


「やらせん!」


 パァンッ!パァンッ!


 魔術で生成されたウィリアムの拳銃が火を噴いた。当然、野盗と住民全ての注目がウィリアムに集まる。


「おぉ、あれは飛竜卿だ!」


「飛竜卿が助けに来て下さったぞ!今朝はまだ飛んでおられなかったが、やはり気づいてくださった!」


「まさか飛竜も無しに駆けつけて下さるとは!」


 やはり、ウィリアム達の存在を知っていた以上、彼らは必ず助けが来ると信じていたようだ。あまりにも抵抗したり逃げ出したりするものが少なく、大人しく広場に集まっていたものが多いのはそのせいか。

 だがそれでも殺されてしまったものが出たのは事実。それを間接的に減らすことはできたとはいえ、ゼロにできなかったことは悔やまれる。


「あ!?なんだ!?何をした!」


 走りながらの射撃。その銃弾は二発とも外れたようだ。見慣れない攻撃にリーダー格の男は混乱した。

 ウィリアムは自分の技術もまだまだだな、と自嘲する。


 パァン!


 さらに一発。しかしこれは少し離れた場所にいるマルコが残りの野盗の内の一人を沈めた音だった。注目が集まっている間に不意打ちを食らわせた形だ。


「もう一人いやがるか!おい、てめぇら、ソイツを殺せ!」


「よそ見をしてる場合か?」


 パァンッ!


「ぐっ……!クソが!」


 距離を一気に詰めたウィリアムの拳銃が、リーダー格の男の左腕を撃ち抜いた。奴は持っていた杖を落とす。


「軍曹、取り押さえろ。ソイツには聞きたいことがある」


「了解です、卿」


 動くのを片腕にしてしまえばあとは簡単な仕事だ。右手に大剣は持っているが、槍の名手であるカンナバーロの相手ではないだろう。

 ウィリアムはその場を任せ、マルコに殺到しようとする他の野盗たちの退治へと向かった。


 パァン!パァン!パァン!


 マルコの拳銃が、次々に訳が分かっていない野盗たちを吹き飛ばしていく。魔術だと思っているのだろうが、その弾速は人間では到底躱すことができない亜音速だ。


「おらぁ!カスども、全員ぶっ殺してやる!」


「なんだ、コイツ!強いぞ!」


「近寄れない!」


 接近の途中で仲間が撃ち抜かれていることに気づいた一人が、機転を利かせて短刀を投げた。寸分狂わぬ見事な狙いだ。ナイフ投げを使うことも多いのかもしれない。

 だが、いくら上手かろうと銃弾とは違ってその速度は目で追えるほど。マルコは顔の前に拳銃を動かして、その腹で短刀を防いだ。そして、地面に落ちたそれを拾い上げる。


「ふん、なまくらだな。ちゃんと研いでおきゃ、銃身にだってちゃんと刺さるぞ」


 刀身を見て、残念そうな表情のマルコ。錆びてはいないが刃はかなり使い古されている。もし今の攻撃を防いでいなかったとしても、顔の深くまで刺さって絶命することはなかっただろう。無論、刺さり方が浅くとも大怪我くらいは負うが。


 パァンッ!


「マルコ、油断するな!」


 マルコに向けて短刀を投げた野盗を真横から撃ち抜きながら、ウィリアムは彼を叱責する。

 遠巻きにマルコを囲む敵はまだ四人もいるので、まだまだ危険な状況だ。


「叔父貴、来てくださいましたか。お手数をおかけしてすいません」


 マルコと合流し、二人は背中合わせになった。一見、二人とも敵に囲まれてしまって不利に見える。

 ウィリアムは外側から加勢をしてもよかったが、敵が接近した場合に手出しできなかったり流れ弾で誤射するよりはマシだろうと、マルコと合流する方を選んだのだ。これなら互いの背面の死角も排除できる。


 遠くに見えるカンナバーロ軍曹。意外にも苦戦しているのか、片手で大剣を振り回すリーダー格の男との決着は未だついていないようだ。もう一発くらい撃ち込んでおくべきだったか。


「弾は心配ないか?」


「まだ十分です、叔父貴」


「よし、とっとと終わらせるぞ。軍曹が心配だ」


「了解です。手こずりやがって、何やってんですかね」


 パァン!


 まず一人。隙を見せた野盗の胴をウィリアムが撃ち抜く。多少の距離があれば当たらないと油断していたらしいが、ぴたりと止まっていればこうやって命中させることも可能だ。


「マズい!狙いを定めさせるな!」


 別の一人が残る仲間たちに声をかけた。なかなか見事な判断だ。先ほど短刀を投げた男もそうだったが、馬鹿ばかりではないらしい。


「だったらこれで!」


 これはさらに別の野盗だ。ソイツは背負っていた盾を目の前に構えた。使い込まれ、くすんだ太陽の紋章。見覚えはないが、どこかの騎士か衛兵の物を奪い取ったのだろう。


 ただ、盾を持っていたのはその一人だけで、残る二人は手の打ちようが無かった。物陰に隠れようにも、それを許すウィリアムではない。


 パァンッ!パァンッ!


 二発の銃弾が発射され、また一人が倒れる。残り二人。

 ここで、盾を持っていない方の男は最悪の行動に出る。すぐそばにいた住民の女をむんずと掴み、彼女を盾にしたのだ。


「いやぁっ!お助け下さい!」


「チッ……やるとは思ったが厄介だな」


「大人しくしろ、女!殺すぞ!ほら、これでどうだ!盾と人質があればその魔術でも手出しできまい!」


 盾の後ろから声高に挑発してくる、人質を盾にした男。


 パァン!


 だが、今度はマルコが撃った。それは兵士用の盾を構えていた方の男の胸に深々と命中し、絶命させる。

 盾は鉄製ではなく、木製だったのだ。奴らは銃弾が木を貫く事など知らないのだから、慢心して当然だろう。


 太陽の紋章のど真ん中に空いた穴を見ながら戦慄するのは最後の一人だ。だが、彼には最後の望みがある。


「く、来るな!もし魔術を使えば、この女ともども吹き飛ぶことになるぞ!」


 ソイツが盾にしているのは人間だ。確かに当てることは出来ても、人質ごと貫いてしまう。

 しかし、ここでウィリアムは銃の正体が良く分かっていない野盗の心理を利用し、機転を利かせる。


「何か勘違いしているようだな!我々は攻撃を当てたいものにしか当てない!盾は貫くが、女は貫かない!そんな姑息な真似をしたところで、貴様だけ果てることになるだけだぞ!」


 つまり、人質の身体は通り抜け、その背後の自分にだけ弾が命中すると錯覚させるわけだ。見たことが無い魔術であれば、そんなことも可能なのだと思い込ませる。


「その通りだ!さっさと武器を捨てて投降すれば命だけは助けてやる!十数えるまでに決めるんだな!」


 マルコもウィリアムの意思を読んで乗ってきた。


「本当か!?命は助けてくれるんだろうな!」


「保証する!ただし、従わなければ死よりも恐ろしい結末になると心得ておけ!」


「わ、わかった!」


 とうとう女と武器を捨て、両手を挙げて最後の一人が投降した。ウィリアムはその男を撃つような真似はせず、約束通り助けてやることにした。だが、お咎め無しでそのまま逃がすわけにもいかない。


「マルコ、住民と協力してそいつを捕縛しろ!他にも仲間がいないか聞き出してくれ。俺は軍曹のところに行く」


「はい、叔父貴。お気をつけて。おい、誰か縄を!その辺の家にあるだろう!」


 マルコの主導のもと、野盗は縄で縛られる。今まさにカンナバーロが戦っているリーダー格の男も含めて、二名の逮捕者となるわけだ。


「チィッ……!やるな!」


「くたばれよ、てめぇ!」


 大剣と槍がぶつかり、火花を散らす。お互い決定打には欠け、勝負は未だにつかないでいた。

 ほとんど自由を取り戻した状態の住民らがそれを遠巻きに取り囲み、二人の戦士の一挙手一投足に騒ぎ立てている。明らかに楽しんでいる様子で、今の今まで命の危機にさらされていたというのに、見世物と勘違いしているとは奔放な連中だ。


「すまない、道を空けてくれ!」


「飛竜卿!」


「飛竜卿のお出ましだ!これは勝負あったな!」


「いいからさっさと道を空けろ!」


 さらにボルテージが上がる民衆を叱りつけ、ウィリアムはカンナバーロと肩を並べた。


「卿。すいません、コイツかなりの使い手です」


 カンナバーロはすっかり息が上がっている。その軽装鎧のところどころには傷がついていた。いかにギリギリで攻撃を避けていたのかが分かる。


 早速、鉄製の重装備ではなかったことでの弊害が出てしまった形だ。もっと防御力のある装備であれば、多少の攻撃を受けながらもっと踏み込んでいけたであろう。


「気にするな。強敵であれば仕方ない」


 パァンッ!


「そらぁっ!」


 労いながら間髪入れずに発砲したが、何と相手の野盗は大剣で銃弾を逸らした……ように見えた。実際には弾速を目で追うなど不可能なので、たまたま弾くことができた、あるいは最初から外れていたのかもしれない。


 パァンッ!


「……っ!」


 その証拠に、この二発目はリーダー格の男の右脚、太ももの辺りに命中する。

 こうなればあとは一気に押し込むのみ。カンナバーロは地を蹴り、槍をくるりと回して大剣を絡め取った。力づくでそれを奪われまいと抵抗するリーダー格の男。だがその抵抗は空しくもカンナバーロの槍術に軍配が上がり、大剣は放物線を描いてガチャンと音を立てながら遠くに落ちた。


 なおもそれを拾うべく、横っ飛びをするリーダー格の男。だが、住民たちが先に大剣を拾い上げることで戦闘は終結した。


「マルコ!聞き出せたか!」


 既にあちらで尋問を開始している舎弟に訊く。


「はい、叔父貴!この場にいないのは残り三人です!」


 この広場に辿りつくまでに、女を殺していた一人の野盗は始末した。そうなると残り二人。だが、この騒ぎで駆けつけていないのであれば、町の遠い地点にいるか、もしくはどこからか見ていて、味方の不利に気づいて逃げ出したか、だ。


「さっさとそいつらを探してこい!」


「はい!」


「軍曹、コイツも……おっと、さすがだな」


 捕縛しろ、と言おうとした口を止める。カンナバーロは言われるまでもなく、その危険な男を後ろ手に縛りあげ、身動きできないようにしているところだった。


……


「叔父貴、一人は始末してきました。もう一人はコイツです」


 一時間後。ドサッとマルコの腕から縛られた女が放られる。最後の一人の野盗は紅一点のメンバーだったようだ。


「よくやった。さて、話を聞かせてもらおうか」


 リーダー格の男と投降した男、そして捕縛された女の合計三人が仲良く並んで転がされる。

 住民たちは盗品を取り返して荒らされた町の復旧や死傷者への対応を始めたが、いつまでもその場に留まっているもの好きな連中や子供たちも何人かいた。


「くたばれ」


「話しができるほどの情報は持ってねぇ」


「命だけは助けておくれよぉ……!」


 三者三様の答えが返ってきたが、一番口を割りそうなのは最後に連れてきた女だ。彼女だけを別の場所へ移動し、そこで尋問をすることにした。


「さて、いくつか質問させてくれ。余計なお喋りは不要だ。聞かれたことにだけ答えろ」


 ウィリアムは石段に座り、その正面に跪く形で野党の女がマルコに抑え込まれている。残る二人はカンナバーロが見張りだ。


「まず、お前らは何だ?」


「何だとは何だい……?」


「名前はあるのか?規模は?活動地域は?わかることは全て教えてくれ」


 顔を上げようとしたので、マルコが女の首元をグッと抑えて地面を向かせる。


「名前は……FBI」


「は?」


 意外な回答にウィリアムもマルコも目を丸くする。言うまでもなく、FBIは現世のアメリカの連邦捜査局の略称だ。ただの偶然か?なぜそんなふざけた名前をつけたのか。


「待て、FBIとはさっきいた、リーダーの男の命名か?」


 もしそうであれば彼にこそ話を聞かねばならない。

 女はFBIをイタリア読みでエッフェビイではなく、はっきりと英語読みでエフビーアイと発音した。とうことはイタリア人ではなく、英語圏の人間が命名した名前ということになる。リーダー格の男がイギリス出身ならば納得も行くが、果たしてそうなのだろうか。


 逆に、女はウィリアム達がなぜ名前ぐらいで不思議そうな反応をするのか分からない様子だ。別に自分たちの盗賊団の名前の意味など気にもしていなかったのだろう。


「さぁ、誰が決めた名前かなんて知らないよ。規模は知らない。活動地域はイタリア国内ならどこでもさ。ねぐらを突き止められちゃ困るからね。移動に移動の毎日だよ」


 規模を知らない。つまり、この集団は独立しているのではなく、何かしらの大きな組織の一部という事で間違いなさそうだ。


「お前たちの上にまた別の誰かがいる、という事でいいか?」


「多分……としか答えようがないね。あたしはほとんど何も知らないから」


「てめぇ、適当なこと言ってるとこのまま首を落とすぞ」


 女が知っていて黙っている可能性があると、マルコが脅しをかける。だが、ウィリアムの肌勘ではこの女は嘘を言ったり、何かを隠したりしているとは感じられなかった。


「ちょ、ちょっと!そんなつもりはないよ!もっと詳しい話が聞きたきゃ残りの二人に尋問しておくれ!」


 忠誠心や仲間意識のかけらもない発言だが、その程度の付き合いなのだろう。

 しかし、今回の遠征とは関係のないところで面白い情報がいくつも手に入った。非常に気になる犯罪組織だ。


「マルコ、その女はもういい。大剣持ってたやつを連れてこい」


「はい、叔父貴」


 マルコが野盗の女を立たせる。


「見逃してくれるのかい!?」


「んなわけあるか。おそらく憲兵に引き渡しだろうよ。おら、行くぞ」


「畜生……」


 マルコが返した通り、ここでは首こそはねないが、住民たちの手によってどこか近くの町の憲兵隊に引き渡すことになる。死刑となるかまでは不明だが、捕縛した三人はいずれも重罪を課せられることは免れない。


「卿、連れてきました」


 マルコと入れ替わりで、カンナバーロがリーダー格の男をウィリアムのもとへ連れてきた。


「お前に聞きたいことは二つだ。FBI全体の規模と、上にいる奴の事」


「答えるわけねぇだろ」


 男はふてぶてしい態度で、どっかりと地面に胡坐をかいて座った。腕と脚に銃弾を受けているというのに、大した胆力だ。


 だが、そこはウィリアムとて元は稼業の人間だ。これほど痛めつけ、殺されるかもしれない状況なのに動じていない以上、こういうタイプは脅しには屈しないと即座に判断した。


「知らない、という事か?頭目の真似事をしている割には大した人間じゃなかったんだな。ご立派な得物も見栄ばかりで、持ち主が雑魚だったとは残念だ」


「なんとでも好きに言え」


「回答になってないぞ」


 自尊心を傷つける手も効かないか、と心の中で舌打ちをする。


「先ほどの女がお前たちはイタリア中をうろうろと動き回って活動していると言っていた。今までこんなピンチに陥ったことはなかったのか?」


「あるとも。だが、まさかお前らみたいな腑抜けに負けちまうとはな」


「ぜひ武勇伝を聞かせてくれ。俺も今や貴族だなんだとおだてられているが、元々は裏稼業の出でね」


「ほう?そりゃたまげた」


 さすがに食いついた。興味があるふりをし、自分の出自が近いと明かして擦り寄る策が少しは響いたようだ。


 隣のカンナバーロも興味深そうに、詳しく聞きたくて仕方がないといった表情をしている。大事な場面なのだから、もう少し凛としていてほしいものだが。


「FBIってのも少し因縁のある相手の名前でな。察するに、イギリス人が作ったものなのか?」


「まぁ……そのくらいは教えてやる。イギリス人かどうかは知らねぇ。これは本当だ。だが、エフビーアイって、この妙な発音は英語なんだろう?だったらイギリス人だと考えるのが普通だろうな」


 たまたま親玉のイギリス人が組織名として、この名前を考えたのだろうか?

 いいや。それよりはマルコ以外にも、バレンティノ・ファミリーの誰かがこの世界に来ている線が濃厚になった……そう考えるのが自然な気がする。

 だが、誰がそんなふざけた名前を考えるだろうかというのは疑問だ。


「イギリス人みたいな見た目だった、って事か?」


「待て、これ以上は話すわけにはいかねぇ。確かに俺らは下っ端で、FBIには上の人間がいる。だがその大きさも、上の人間の素性も、よく分かってねぇとしか答えねぇぞ。期待はするな」


 見た目に関しての意見はそう重くないと思ったが、これを拒否してきた。つまり、その創設者の顔を知っているという事で間違いなさそうだ。しかし、これ以上はもう聞き出せないだろうと引き下がる。


「わかった。ここまでだ。しかし、住民を皆殺しにするなんて、極悪非道なことをやってのける男の割には忠犬なんだな。飼い主がそんなに怖いか」


「答えねぇと言ったはずだぞ」


「これは質問じゃなくて、ただの皮肉だ。軍曹、連れていけ」


 カンナバーロは敬礼し、リーダー格の男を引っ立てて行った。


 最後に、またカンナバーロとマルコが入れ替わる形で残る一人の捕縛した男を連れてきた。

 ただ、コイツは最初の女と同じく、自分たちがFBIと名乗っている事と各地を転住しながら犯罪行為を繰り返してきた事くらいしか知らなかった。下っ端なのだからそんなものだろう。


 しかし、主にどんな街を襲ったか、どんな場所を拠点にしてきたかは話してくれた。

 それが奴らの正体に迫るという事はなかったが、今も各地でコイツらの拠点などを調査しているであろう憲兵の助けにはなるはずだ。


 是非ともウィリアム自身が詳しく調べ、突き止めたいところだが、今は国からの使命がある。まとめた情報を何枚かの書き物にまとめ、憲兵に身柄引き渡しを行う住民に託すので精一杯だった。


「本当にありがとうございました、飛竜卿!」


「あなた方が近くにいらっしゃらなければ、どんなに恐ろしい結果となっていたことか……」


 町を代表して、町長や数人の住民に見送られる。初めに道案内をしてくれた老人や、丸々太った肉屋の主人の顔もある。礼品として、酒や薬などを少しだけ貰った。

 他の住民らは蹂躙された町の修復やケガ人の手当て、死人の埋葬にと奔走している。

 驚いたのが、ウィリアム達が成敗した野盗の墓もきちんと作ってやるつもりだという。死体の腐敗によって起こる疫病や害獣、害虫の蔓延を防ぐだけであれば、単純に燃やすか、土深く埋めてやるだけでもよさそうだが、死すれば人はみな平等なのだそうだ。


 遠くには、捕縛された三人と、その三人を乗せて隣町の憲兵所まで連行する為の牛車。さらにその牛車を取り囲む男衆が五人ほど見える。そろそろ出発するようだが、彼らに任せておけば後始末も問題ないだろう。


 ほどなくウィリアム達も町を後にし、飛竜の元へと戻った。ちなみに、待たせた詫びにするため、数本のスペアリブを肉屋の主人から受け取っている。酒や薬では喜ばないだろうというマルコの提案からだ。


「しかし、FBIとは驚いたな」


「気になりますか、叔父貴」


 バリバリと嬉しそうに肉をかみ砕く飛竜を見ながら、話題となるのはやはりあの野盗の名前だ。


「FBIってのは一体何なんです?英語だってのは分りますけど、何がそんなに気になるんですかね」


 カンナバーロからも当然の疑問が飛んできた。


「ま、簡単に言っちまえば敵だな。多分、俺らがここにいる理由でもある」


「マルコさん、それじゃますますわけが分からねぇよ」


 彼に一から説明するのは難しい。そして、名前が同じだといっても、野盗である以上は現世のFBIとは全くの別物だ。重要なのは、その親玉が現世の人間であるかどうか、さらに言えば、バレンティノ・ファミリーと所縁のある人物かどうかである。


「敵だってのを覚えておいてくれればそれでいい。さっきあの野盗のリーダーの前でも話したのを聞いていたと思うが、俺達は元々はあまり良くない組織の出でな」


「はい、聞いていました。もちろん、他言なんかしませんから安心してください」


 商人のヘンリーもそうだが、カンナバーロも人の過去にとやかく言わない性格だ。以前のガットネーロ隊の中では最も不真面目な人物だが、その点は信頼できる。


「その時、FBIって連中とは犬猿の仲だった」


 他にもニューヨーク市警や別のマフィア、ギャングなど、敵対組織ならごまんといたが、もちろんFBIもその一つだ。

 ちなみに、マフィア組織は警察よりもFBIのほうが付き合いが深かったりする。警察は殺人や強盗などの事件現場が限定される犯罪を取り締まるが、FBIは麻薬の密輸、マネーロンダリングなどの広く大きな範囲、つまり国や州を跨ぐ事件を担当する。

 マフィアは突発的に殺しも行うが、基本的な活動は密輸したクスリの大量売買による資金調達だ。言うまでもなくFBIの管轄である。


「あの連中……とは違うって言い方ですねそれは」


「そうだ。厳密には違う。だが、名前が同じというのはかなり気になるのは理解できるだろう?そう偶然に重なるような名前じゃないし、それにここはイタリアだ。わざわざ英語名をつけれるほど賢い連中には見えなかった。後ろにいる人間が俺達の知るFBIと、何らかの関わりがある人物なんじゃないかってな」


「確かに、それであれば調べてみる価値はありそうです。しかし……」


カンナバーロが飛竜を見る。


「それは俺も分かっている、軍曹。陛下の勅命は最優先だ。マルコ、もしお前はこっちに残ってFBIの方を追ってもいいぞと言ったらどうする?」


「悪くはないですが、また叔父貴と別行動になるのはあんまり嬉しくはないですかね」


「せっかく陛下から同行の許可も出たわけだしな。ここで勝手に別行動をとって互いの身の危険を上げるわけにはいかないか」


 本人も気になる様子ではあるので、強く言えばマルコは指示に従うかもしれない。しかしやはり、ここは離れるべきではないだろう。諸侯から顰蹙(ひんしゅく)を買う結果にもなりかねない。


「それはそうと、今日は朝から急な仕事が入って二人とも疲れただろう?移動距離を少なくして早めに休むとしよう。最大でも国境手前までだ」


 いきなりの予期せぬ戦いで、特にカンナバーロは怪我もしている。


「ありがとうございます、卿」


 ネパールまでの道のりはパキスタンよりも遥かに遠い。今回の野盗の襲撃であったり、魔族の侵入のような例外でも起きない限り、出来る限り警戒が少なくて済むイタリア国内までの移動に留めておく。

 滅多に出ない間食を終えた飛竜が、満足気な「クゥン」という鳴き声を上げた。

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