一五 ユットニール准将の不満
ロバート・ユットニール准将は不満だった。
ユットニール准将といえば、宮廷では結構人気な将軍である。
長い濃灰色の髪で、形の良い控え目な口髭、鼻筋が通った男前で、すらりと背が高く、程よく渋くてダンディな将軍である。若い頃はかなり女性にモテたし、40歳を過ぎた今でも、密かに貴族の貴婦人やら姫様方の一部にも人気のあるのだ。
彼は帝国北部都市の煉瓦職人の子に生まれ、銃職人の養子を経て、徴兵により軍に入隊、工兵隊、砲兵隊、兵器技術局等を経て、庶民出身としては最高位の准将まで昇進した男である。
彼は有能であるだけでなく、野心も出世欲もある男で、戦闘指揮は多少強引で部下に犠牲を強いるものの、その分、成果も大きく、貴族らにアピールし易い戦い方で、出世に大きく役立った。
しかしながら、幾年か前から彼の出世は頭打ちになり、今までの慣例を見ても、この准将の地位よりも上にゆくことは望むべくもないことであった。これまで幾多の平民出身の将軍たちはどれだけ有能でもここで出世は止まり、その地位に甘んじてきた。
ただ、彼は満足しなかった。彼は極めて権力欲の強い野心家なのだ。
この庶民出身は准将以上に出世させないという帝国の慣例に彼は強い不満を持っていた。
そんなときに、やってきたホスキー将軍の反乱騒動だ。
この騒ぎに彼はあまり混乱しなかった。帝都が陥落しようが貴族が殺されようが、彼にはさして関係ないのだ。足の遅い貴族たちと違い彼自身は逃げようと思えば何処へだってさっさと逃げることができるのだ。
よって、彼は成り行きに任せ続け、なんやかんやで彼は臨時帝都防衛軍に参加することになった。
このことに彼はさして不満はない。
彼が不満に思っているのは、ケツの青い貴族のガキどもの下でへいこら働かなければならないということだ。
ぷんぷんきな臭い上に戦のいろはも知らん眼帯の若い女が総大将で、その下で実際に指揮をするのも若い女の貴族2人。
彼は自尊心も高いのだ。
しかし、これが良い出世の機会になる可能性があるということも彼は理解していた。
「まあ、今は、ガキどもの茶番に乗ってやるのも悪くはあるまい」
と、彼は1人呟くのであった。
「ユットニール准将」
帝南迎撃隊砲兵隊の指揮官となり砲兵隊の進軍の仕度を指揮しているユットニール准将に声が掛けられた。
彼に声を掛けたのは准将の副官で、彼の背後には高位の騎士が数名立っていた。そのうちの1人は黒髪姫ことキスなのだが、准将の知ることではない。
「こちら、砲兵隊の護衛任務に配属されました5騎士団の団長閣下方です」
副官の言葉に准将は不満そうに顔をしかめる。
平民出身の彼は、軍内のあらゆる面において騎士が優遇されてきたのを横目に見てきた為に、騎士に対しても良い感情を抱いていないのだ。
更には、騎士という連中はすぐに突撃をしたがる奴らで、一箇所に腰を落ち着けて砲撃を行う砲兵隊と相性が良くないと彼は思っていた。
「私は銃士隊を護衛に寄越せとは言ったが、騎士を寄越せとは言っていないぞ」
「は、しかし、子爵閣下よりの命令でして……」
やはり貴族軍人は役に立たん。と、准将は不快に思った。
彼はその考えを隠そうともしなかったから、そのように思っていることは騎士団長たちにも伝わり、彼らの気分を大いに害した。防衛軍の中でも精鋭と自負している彼らにとって、将軍とはいえ平民出身の男に厄介そうな顔で見られたことは彼らのプライドを大いに傷つけた。
不機嫌そうな顔をする騎士団長たちの中で、キスは1人だけ「居心地超悪い」といった気分で憂鬱真っ盛りだった。人が苦手だっていうのに、しかも、雰囲気まで悪いときた。憂鬱にならなきゃどうなるってんだ。
准将と副官に、更に百人隊長らも加わって何やらごちゃごちゃ話をした末に、ようやく、准将は騎士団長たちに、
「では、護衛を頼む」
と、不満がありありと見える顔で言った。そんなものだから、騎士団長たちは余計にへそを曲げ、彼らは無言でとりあえず頭を微かに下げるようにして去っていった。キス以外は。
「貴様らは、さっさと砲弾と火薬を馬車に積め。何時までにやれとは言わん。1秒でも早くだ。でき次第、出立するぞ。分かったらとっととやれ。怠慢する者は即刻鞭打ちにせよ」
ユットニール准将の言葉で、静かで落ち着いた声音だが、その冷酷そうで迫力を感じさせる瞳で睨まれた百人隊長たちは返事をする間もなく、自部隊の指揮に戻った。ユットニール准将の配下においては返事をする前に、とっとと行動しろ。という決まりがあった。准将は形だけの規則や慣例よりも実利や合理を優先する主義なのだ。
せっせと働く兵たちを見下ろしながら彼は色々と考えていたのだが、
「あ、あのー……」
不意に背後から声を掛けられて、彼にしては大いに驚いた。慌てて振り向いた先にいたのは異様に黒い髪の少女。人によっては教会で悪の色とされている暗闇の色をした髪のキスを見ただけで、敵視したり、怯えたりする者もいるのだが、准将はあまり教会を好んでいない方だったので、そーいえば、さっきの騎士どもの中にいたような気がするな。冷静に、直ちに記憶を呼び起こした。
「何かね?」
「あ、えーと、今回、貴隊の護衛任務を承りました黒髪姫騎士団団長のキスレーヌ・レギアンと申します。経験の少ない未熟者ですが、宜しくお願いします」
キスはそう言って深々と頭を下げた。
あんまり人と触れ合ってこなかった彼女にとって人とのコミュニケーションというのは何となく聞いたことがある程度の知識でしかないのだ。その聞いたことがある知識の中に、こういった場面ではご丁寧に自己紹介と挨拶をするというのが彼女の認識だった。
ただ、その常識は騎士たちの間では、あまり常識とは言い難かった。
騎士という輩は、とにかくプライドが高く、自分が名乗らずとも相手は知っていよう。といった態度なのだ。
さすがに立場が上の者には自ら自己紹介と挨拶を行うものの、その相手に、将軍とはいえ平民出身のユットニール准将を含めるかというと微妙なところがある。そもそも、騎士の大部分は貴族達の子息で、中には大貴族の倅も多く、将軍とはいえ応対には大いに気を使わないといけない者もいるのだ。キスはその大いに気を使わないといけない一人といえる。外国とはいえ国王の娘なのだ。
キスの噂を准将も耳にしていたので、どれだけ不遜で生意気なガキかと思っていたのだが、初対面でこれだけ低姿勢に出られるとは思ってもいなかった。
「うむ、宜しく頼む」
ただ、准将はそんな考えを億尾にも出さず、むっつりと無愛想に応じた。しかし、これでは、少し無愛想過ぎるかと思い直し、すぐに言葉を続けた。
「砲兵の指揮を任されたロバート・ユットニールだ」
キスはユットニール准将と相対しながら、何だか恐い雰囲気の人だなぁ。と感じていた。ただ、恐い雰囲気だが、居心地が悪くなる感じは少なかった。彼女からすれば、親しげにべたべた擦り寄ってくる人の方が苦手なのだ。それに、彼は先の騎士団長らが向けたような黒髪に対する畏怖と嫌悪の感情を持っていないようだった。
ユットニール准将は彼女の様子とか目の感じを見て、彼女は、あまり宮廷のどす汚い政略の舞台からは程遠い場所にいたということを理解した。まあ、大抵の者は彼女の素直でちょっと常識知らずな言動を見れば理解できることだ。
そこで、准将はキスの隊への命令を砲兵隊司令部の護衛とした。
心情が分かり易い奴は貴重であり、信頼できうると彼は考えたのだ。
彼女と准将の接触から一時後、砲兵隊700と護衛の数個騎士団は帝都兵営を出立した。
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