おまけ④
「東魁君。何かあったの?」
放課後、ささやかな安寧を求めて優仁は中庭のベンチに座りうなだれていた。その優仁の前に、戸室坂まひるが仁王立ちしていた。
「······こ、戸室坂。い、いや。別に。何でもないよ 」
「彼女に振られたとか? それとも彼女が浮気した? あ、まさか彼女が「やっぱり貴方を好きになったのは夏の暑さで正常な判断を誤った勘違いでした♡」ってめでたく正気に戻ったの?」
「振られてねーよ! 浮気もしてねーし! 彼女そんな人じゃないから! あと最後のやつはちょっとその可能性があるけど、正気に戻ったってのは酷すぎないか?」
「酷すぎる? 純情を弄んでポイするゲス野郎のほうが酷いと思うけど?」
「い、いや、それは! お、俺が悪かったよ。ご、ごめん。戸室坂」
優仁は永遠に許されない十字架を背負い、迷子の子猫のような表情でベンチから立ち上がり、まひるの前から去ろうとした。
「東魁君。ここ」
東魁は背後から聞こえた声に振り返る。するとそこには、まひるがベンチに座り自分の隣の空いたスペースを手で叩いていた。
このまま、聞こえなかった振りをしてまひるから逃れるか。それとも誘われた通りまひるの隣に座り更に虐げられるか。
進むも地獄。戻るも地獄。優仁は17年の人生の中で最大級の過酷な選択を迫られていた。
結局無視した時の報復を恐れ、被害を最小限に食い止めるために優仁はベンチに座る決断を下した。
「······戸室坂。何で俺に何かあったって、そう思ったんだ ?」
「そりゃあ分かるよ。だって私の日々鍛錬を怠らない怨念のこもったあの蹴りを受けて、東魁君が無言だったもん。これは普通じゃないって気づくよ」
優仁を心配しているのか、それとも自分の恨みの深さをアピールしているか、坊主頭の少年は背中に悪寒を覚えながら、どちらが真実か判断がつかなかった。
優仁が唯一心に願うのは、まひるが日々向上させているローキックの精度と威力が落ちて欲しい。ただそれだけだった。
「彼女と上手く話せない?」
「······あ、ああ。付き合う前は全然普通に喋れたんだけど、付き合う事になったら変に意識して。話も滑るし焦るともっと空回りして。とうとう彼女を怒らせちゃったんだ」
何故、自分に告白してくれたまひるに優仁は恋の相談話をしているのか。そしてどうしてまひるがその話を聞いてくれるのか。
優仁には自分でもまるでその理由が分からなかった。ただ一つ、これは壮大な罠なのではないかと優仁は内心で怯えていた。
「東魁君。誰にも分け隔てなく話せるのが貴方の数少ない、ううん。唯一と言ってもいい貴重な長所でしょう? それを生かさないでどうするの?」
この隣に座る少女は自分を励まそうとしているのか、それとも悪しざまに罵っているのか。優仁はどう考えても後者だとしか思えず暗澹たる気分 になる 。
「好きな野球の話とかしたら? もしかしたら彼女も乗ってくるかもよ?」
「······俺は、そんなに野球は好きじゃなかったんだ」
「······え? だって」
「父さんが野球好きだから、野球をやれば父さんが喜ぶと思ったんだ。皮膚科の診療所を継ぐのも同じ。俺は子供の頃から、どうすれば父さんと母さんが喜ぶか考えるいやらしいガキだったんだ」
優仁の苦しそうな思いを吐露する。自分を養子に迎えてくれた両親。その2人に少しでも好かれようと、子供ながらに必死に知恵を絞る優仁の幼少の頃の姿が、まひるの脳裏にに鮮明に浮かんだ。
「······今でも、野球は好きじゃない? 診療所を継ぐのも重荷になってる?」
「······え? いや。今はそうでもないよ。スポーツってさ、練習すればそれが正直に返ってくるんだ。自分がどんどん上手くなっていく実感って悪くないよ。父さんと野球観戦するのも普通に楽しいし。 皮膚科の仕事だってそう。戸室坂の肌が綺麗に戻っていくのを見て、大袈裟だけど俺ちょっと感動したんだ。人の為になるやり甲斐のある仕事だって」
「······その気持ちを両親に伝えたら? たぶん、東魁君のご両親は気づいていると思うけどね。東魁君の子供の頃の可愛い浅知恵に」
「······え? うちの両親が気づいてた?」
「気づいてても言えなかったんじゃないかな。東魁君のご両親。東魁君の気持ちを大切にしたかったから。でも、東魁君には本当に好きな事をやって欲しいのかもしれないね」
「······気づいていた。父さんも。母さんも」
指を重ねた両手を見つめる優仁を、まひるは優しく、どこか懐かしそうな両目で見る。
「東魁君。自分の気持ちを素直にご両親に話したら? 分からないから話す。分かりたいから話す。これは、東魁君が私に教えてくれた事だよ?」
「······戸室坂」
「あと彼女にもね。今こそ若者の3大特権を行使しないでどうするのよ?」
「さ、3大特権? 何だよそれ?」
「青春の恥はかき捨て、無茶と我儘は無制限、誰でも好きになり放題」
「な、何だよそれ? 初めて聞いたぞ?」
「一つお利口になったね。坊主頭君。はい、じゃあこれ特別に餞別であげる」
ベンチから立ち上がったまひるは、鞄から綺麗にたたまれたハンカチを取り出し優仁に手渡した。
「ハ、ハンカチ? 何でだよ?」
「いいから持っておきなさい。きっと役に立つから 。どうせハンカチなんて気の利いた物、東魁君持ってないでしょう?」
まひるは姿勢良く立ったまま、ベンチに座る優仁を真っ直ぐに見つめる。9月になっても健気にまだ鳴く蝉の声に負けないように、まひるは口ごもることなくはっきりと声を出す。
「······東魁君。貴方は私を変えてくれた。人と人との縁の大切さを教えてくれた。私は東魁君と出会えて良かったと思ってる。貴方はとっても素敵な男子だよ。だから自分に自信を持って」
まひるは笑顔でそう言うと、背筋を伸ばしたままベンチから去って行く。言葉に出来ない感情が優仁の心をかき乱し、少年は思わずベンチから立ち上がった。
「戸室坂! ありがとう。俺も戸室坂に出会えて良かったよ。もし、もし今の彼女と出会ってなかったら、俺はきっと戸室坂を······」
「もし、なんてないよ。東魁君」
「······え?」
「残念だけど、時間は戻らないの。だから東魁君。今一番大切な人に自分の本当の気持ちを伝えて。その人と出会ったのも。ちゃんと意味がある筈でしょう?」
まひるの言葉は、優仁のささくれて乾いていた心の中にみずみずしい雨を降らせた。優仁は覚悟を決めたように力強くまひるに頷き、野球部の練習を放り投げて正門に向かって走り出した。
「頑張れ。坊主頭のお節介男子」
全力で疾走していく優仁の後ろ姿を見送りながら、まひるは晴れやかな笑顔でそう呟いた。




