第三十二話 楽しかった
なんとか山エリアから生還したcatとさつきは、ボロボロになりながらも、手に入れた素材と宝の中身を抱えてギルド拠点・紅の庭園へ戻ってきた。
噴水の前、復活エリアの近くには、すでに二人の姿があった。
アメリアと、ゆり。
どちらも、何事もなかったかのように立っている。
【アメリア】「いやー、キツかったわね」
にこやかに笑いながら、軽く手を振る。
【ゆり】「私なんて、大熊に一撃でした……」
【cat】「それ、笑って言うことじゃないからね!?」
【さつき】「本当に……生きた心地しなかったです……」
二人はその場にへたり込みながら、ようやく息をついた。
山エリアでの戦闘。
人面樹、大熊、そして天狗。
芸術ギルドにとっては、明らかに荷が重すぎる相手だった。
【アメリア】「でも、素材はちゃんと持ち帰れたんでしょう?」
【cat】「うん……それはなんとか」
【さつき】「宝箱の中身も、少しだけ……」
その瞬間。光の柱が二本、噴水のそばに立ち上がる。眩い光が収まったあと、そこに現れたのはミロクと、メリッサだった。
【cat】「あ……」
【さつき】「っ……」
二人は同時に、言葉を失った。鎧は新品同様に戻り、HPバーも全快。だが、その表情には、さっきまでの死闘の名残がはっきりと残っている。
ミロクは肩を回しながら、苦笑した。
【ミロク】「いやー、思った以上に瞬殺されたわ」
【アメリア】「でしょ?」
アメリアは、どこか楽しそうに頷く。
【ミロク】「天狗の火力、完全に戦闘ギルド向けだったな」
一方、メリッサは静かにロッドを持ち直し、ふっと微笑んだ。
【メリッサ】「でも……楽しかったです」
その言葉に、全員が一瞬だけ固まる。
【cat】「……え?」
【ゆり】「た、楽しかった……?」
【メリッサ】「ええ。あんなに必死に戦うこと、久しぶりでしたから」
負けた。
倒れた。
アイテムも失った。
それでも、彼女の表情は晴れやかだった。
【ミロク】「まあ、メリッサさんがそう言うなら、悪くなかったってことで」
【さつき】「でも……次は、もう少し安全な場所がいいです……」
紅の庭園には、またいつもの穏やかな空気が戻ってきた。戦闘ギルドのような強さはない。完璧な装備もない。
それでも、仲間と一緒に冒険して、失敗して、笑って帰ってこられる。
それが、スカーレットのやり方だった。
【cat】「……そういえばさ」
catが、ポーチの中から一つの木箱を取り出した。
【cat】「宝箱!」
【さつき】「あ、忘れてました……!」
【アメリア】「せっかくだし、開けましょう」
期待と疲労が入り混じる中、catが箱を地面に置き、ゆっくりとフタを開ける。
中から現れたのは、細身で風を纏うような意匠の剣。
青白い刃に、軽やかな装飾。
見るからに速さ特化の武器だった。
《風切りの剣》
攻撃力:中
速さ&回避アップ
一瞬の沈黙。
【ミロク】「……あー」
【ゆり】「剣、ですか……」
箱庭ギルドにとって、完全に噛み合わない装備だった。
【cat】「せめて、可愛い装飾とか……」
【アメリア】「風切りの剣ね……」
アメリアは苦笑いを浮かべる。
【メリッサ】「性能自体は悪くないですが、私たち向きではありませんね」
【ミロク】「戦闘ギルド向けだな」
全員の表情が、分かりやすく曇った。
あれだけの死闘をくぐり抜けて、全滅して、アイテムを失って。残った戦利品が、戦闘向きの剣。
【cat】「……ガッカリ」
【さつき】「本当に、ガッカリです……」
風切りの剣は、静かに地面に横たわっていた。
美しくはある。だが、スカーレットの美とは、違う。こうして、命懸けの冒険の成果は、微妙な結果に終わったのだった。
翌日。
それぞれが現実の仕事や用事を終え、ログインしたのは午後八時だった。紅の庭園に集まったのは……
アメリア。
メリッサ。
cat。
もも。
ゆり。
昨日の遠征メンバーとは少し違う顔ぶれだ。
【アメリア】「みんな、お疲れさま。今日は仕上げ作業ね」
【ゆり】「よろしくお願いします……!」
だが、開始早々、空気がわずかに揺れる。
【もも】「まず装飾の配置、全体の色味がズレてる。cat、そこのランタン移動して」
【cat】「え、でもさっきの方が雰囲気よくない?」
【もも】「効率が悪い。テーマに合ってない」
【cat】「うわ、また始まった……」
ピリッとした空気。だが、誰も止めなかった。
ももは言い方がきつい。空気を読むタイプでもない。それでも作業の指示自体は的確だった。
【アメリア】「はいはい、口はほどほどにね。配置だけ見ましょ」
【メリッサ】「結果が出れば、それでいいですから」
そうして作業は進んでいく。
雪景色の配置。
焚き火の光量調整。
小物の統一感。
温かい冬というテーマに沿った色彩の微調整。
【ゆり】「この布、少し赤み強すぎませんか?」
【もも】「じゃあ彩度下げて。15%」
【cat】「細かっ!」
言い合いはあっても、手は止まらない。気づけば、庭園の空気は少しずつ整っていた。そして――
【アメリア】「……よし、今日はここまで」
時計を見ると、日付が変わる直前。
【cat】「え、もうこんな時間?」
【ゆり】「あっという間でした……」
【もも】「最低限の形にはなったわね」
【メリッサ】「ええ。明日、最終調整ができれば……」
全員がログアウトしていく。
庭園に残ったのは、静かな夜の光と、未完成の冬。
本戦まで、あと二日。
明日一日で、どこまで仕上げられるのか。
何を足し、何を削るのか。
その答えは、まだ誰にも分からない。
現実世界で、篠宮玲華はベッドに身を沈めた。
仕事の疲れ。集中し続けた頭。
そして、胸の奥に残る小さな焦り。
「……明日で、決まるわね」
そう呟いて、目を閉じる。
本戦は、明後日。
彼女は静かに、眠りについた。




