2話 おキョウさん
かつて、オンの主人は、魔法の存在を「第六感」と表現した。五感では包括出来ない、彼にとっての超常の力として。
今、オンは、その第六感によって、感じていた。
(ポタ姉の存在が、消えた……?マナの流れなのか、なぜか、僕には、わかる。わかってしまっている。)
巻き戻った世界を、もう一度眺める。
天気は、薄く全体に雲がかかり、まるで差し替わったかのように、空模様は別のものになっていた。
元々、細かく確認していた訳ではなかったが、周囲の観客の顔ぶれも、先程とは変化している気がした。
隣の席の、「青い女性」を除いて。
……だとすると、自分自身にも、なにか変化が起こっているのではないか?
オンは、変化のきっかけを掴むために、その女性に話し掛けた。
「あの、つかぬことをお聞きしますが」
「先程、僕……なにか変な動きをしていませんでしたか?少し、立ちくらみのような症状があったような気がして……、すみません。」
女性は、笑顔で答えた。
「いいえ。大丈夫ですよ。ご心配なさらなくても。」
だが、その後に、こう続けた。
「世界が書き換えられ、時間が巻き戻っても、どうやら、あなた自身には全く影響が及ぼされないようですね。
異世界との密接な繋がりと……蝕みの魔法属性……そのふたつを併せ持つあなたには。」
「……!?」
突然、核心に迫られる。オンは、動揺を隠せなかった。
心が揺れながらも、ある風景がフラッシュバックした。
思い出したのは、かつての、主人にとっての、現実世界から異世界への旅立ちのときのこと。
『今の自分に出来ることは、とにかく情報を集めておくことだ。こういう状況だからこそ、真剣に……!』
オンは、息を一度、ゆっくりと吸い、そして、吐いた。荒ぶりそうになる呼吸を落ち着けると、静かに、もう一度質問をした。
「これは、あなたの仕業ですか?」
「いいえ。」
女性は、事も無げに答える。
「質問には、後からでも、全て……答えます。私に答えられることであれば、ね。……ですが――。」
「まずは、この試合を、じっくりと観戦することをお勧めします。きっと、あなたなら、気づくことがたくさんあるでしょうから。」
(かつての「女神」に比べれば、ずいぶん親切な物言いだ。本当か嘘かはわからないけど、僕に出来ることは、まずは、乗って置くことしかない、か……。)
オンは、そう開き直ると、試合に目を向けた。
既に、勇者ジークは、先程と同じ、大きな傘を差した太った鳥の召喚獣を召喚し終えていた。
他方、ダーウェイが召喚したのは、海を思わせる、巨大なドラゴン、[ティアマト]。
あるべき姿の招待試合が、いま、始まろうとしていた。
◇◇◇
「……?ダーウェイさん、らしくないな……?」
思考を頭に留めるためのブレーキは、動揺によって、弱まっていたのかもしれない。あるいは、隣の「青い女性」に伝えるために、無意識からそうなったのか。
オンはその理由を顧みることもなく、ただ、目にしたもの、思ったことを、言葉として絞り出す。
「そうだ。召喚大会のときのあの人なら――、剣術に対して炎で、鉄に対して海水で……後出しできるなら、必ず優位に立つだけの手段と思考力があった、はずなんだ。」
「それを、傘を持った、明らかに水に強そうな相手に、わざわざあんな――。」
オンの不安は的中した。
巨大で、威圧感を放つ海竜、[ティアマト]の攻撃は、全て[チート・アンブレラ]の傘によって弾かれていた。
派手で巨大な、水のマナを結集させて放つ大砲。まるで、演出されているかのように、傘で受け止められ、無力化される。
一通りの攻撃を全て受け流し、ダーウェイの顔に動揺の色が見えたところで、[チート・アンブレラ]は反撃に転じた。
見た目に反したスピードと身軽さで、海竜が全く追いつけない速度での、閉じた傘による打撃、無数の乱打。
圧倒的な力の差を見せつけられ、ダーウェイが愕然とし、膝をつく。
「いやいや……ポタ姉のライバルの『秀才』が、なんで、そんな……。クイダさんに負けたときだって、もっと堂々としていたじゃないか……。」
戦い方、負け方、その後の立ち居振る舞い。オンが知るはずの彼とは、まるで別人のようになってしまったダーウェイに、もはやツッコミに近い感想を抱いてしまう。
かたや、勝利した勇者ジークの方には、美しく、若く、高貴そうに見える女性……令嬢メイテオが駆け寄り、後ろからハグをしていた。嫌がる風を見せながらも、突き放しはしない、勇者ジーク。
そして、更にもう一人。こちらは、背の高い女騎士が、まるで令嬢とジークを取り合うかのように、こちらも駆け寄り、近づき、勇者ジークへと激しくスキンシップを行なっていた。
「まさか、これは――、そもそもの――。《《よりによって》》、主人がディスってしまった、あの――。」
オンの記憶が呼び覚まされる。
『特別な力を得て、敵を蹂躙し、美少女や美男子たちに囲まれる』
『都合のいい展開に次ぐ展開。その異常な力を振りかざし』
『努力せずとも称賛され、絶対的な力を振るえる』
全ての点が、線で繋がる。それは、ぼやけてはいるが、明確な、ひとつの形を持って――。
「勇者の活躍も、ポタ姉が消えたのも、ダーウェイさんの能力が落ちているのも、まさか、みんな……。」
「じゃあ、あいつは、なろう系……その英雄譚の主人公、なのか……?」
「御名答です。」
そこまで、オンの言葉を全て黙って受け止めていた、「青い女性」が、不意に立ち上がる。
その女性は、おもむろに、懐から、蛍光灯のような、青白く輝くリングを取り出すと、自らの頭上に置いた。光るリングが、宙に浮いている。
そして、バサッという音とともに、深い青色の翼が、彼女の背中に広がった。
青く輝く光の粒子が、彼女の周りで渦を巻くように煌めき、そして、消えた。
「私は、理性と調和の天使、キョウザメエル。」
青いフレームの眼鏡を、くいっと指で直す。
「もう一つの『物語』と衝突した、あなたの『物語』を支える者です。」
そこまで、芝居がかった台詞を発したところで、キョウザメエルは、突然、ふっと我に返ったように、静かに続けた。
「と、私の登場シーンは完璧に出来ました。とはいえ、こんなところで翼を広げた天使が突っ立っていては、周りの観客の邪魔ですので。」
「場所を変えることに致しましょう。」
突如姿を現した「天使」に促され、オンは、競技場を後にした。
◇◇◇
キョウザメエルに促されるまま、オンは、競技場を出て、歩き出した。キョウザメエルを追い掛けるように、二人で歩いて行く。
歩きながら、オンは、キョウザメエルに尋ねる。
「あの……キョウザメエルさん――。」
(長くて言いにくいな)
「おキョウさん、と呼んでも……?」
「ええ。結構ですよ。」
「ではおキョウさん。僕は、これからどうすれば――?」
「そうですね。ではもし、あなたの師たちなら、こういうとき、どうするのでしょうか。そこに、ヒントがあるのでは。」
「師……ポタ姉や、主人か……。」
オンは、彼らの顔を思い浮かべながら、思案する。
「ポジティブ・モンスターのポタ姉なら、こういうときは、きっと……。仲間を救えるのは私だけ!私がやらなくて誰がやる!とか言って、前向きに解決策を探そうとするんじゃないかな……。」
続けて、もう一人の師に想いを馳せる。
「主人は、逆にネガティブ・モンスターだから……自分に非が無かったか、反省点はないか、ひとしきり、猛スピードで落ち込んでから……。」
「『何もしない、というのは最低な答えだ』ってところに行き着いて、そこから解決に向けて動き出す、かな……。」
足を止めないまま、キョウザメエルは微笑み、答えた。
「素晴らしい。」
「あなたは、出会いに恵まれましたね。」
「こういうとき、嘆いたり、迷ったり、悩んだり……。そういう時間も、確かに、あっても良いのですが――、」
「結局のところ、自分を救う方法とは――、」
そして、動かしたままの足を指差しながら、締めくくった。
「自分で歩み始めることしかないのです。」
オンは、そんな、天使の説法を噛み締める。
「……今回に関しては、確かに。こうやって、急かされているから、少し薄まってるけど……、ゆっくり考える時間なんてあったら、ただただ、絶望に浸っていたかもしれない。」
(しかし、どこまで歩く気なんだ……?競技場はもう遥か遠く、王都の北に向かってひたすら歩いている……。)
オンは、キョウザメエルに尋ねた。
「おキョウさん。『場所を変える』とは言ったけど、一体どこまで……?」
キョウザメエルは、未だ歩みを止めず、答える。
「はぐれ使い魔、オン・オワリ・ギムズ。あなたに今必要なのは、味方です。敵は、少なくとも、なろう系主人公、なろう系ヒロインA、なろう系ヒロインBの三人いる訳ですから――、一人では、とても太刀打ち出来ません。」
「あなたにとっての、身寄り。頼りになる存在、思いつきませんか?」
オンは、思い返す。
自分にとって、関係の深い人物、頼りになる存在……?
だが、答えに至る前に、キョウザメエルによって、終わりが告げられた。
「残念。タイムアップです。」
「だからといって、特に、ペナルティはありませんけどもね。さぁ、行きましょうか。」
目の前に現れたのは、王都北の隠れ屋敷、昭和家屋を思わせる、浮いた空間。
「リトル・ウィンター……。」
王都の使い魔達の担い手。妖精の賢者。
そして、オンの生成を提案し、そのマナの一部を提供した、第三の「親族」。
オンは、自分が生まれたあの日、それ以来初めて、この場所に戻ってくることとなったのだった。




