3章
74
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「何者、だなんて…ただの獣族よ?まぁ、外法に優れた、とは付くけれどね…?」
にっこりと笑っていうジューナに、咄嗟に逃げようと部屋のドアまで走るイツキだったが、押しても引いてもドアはびくともしない。
ダンダンと叩いて助けを呼んでも、周囲には静けさばかりが広がる。
ドアに額を付けてずるずると座り込み、どうしてこうなったのかを考えていると、そっと肩に手を置かれる。
そのままするりと腕を首に回され、背中に柔らかな感触と、耳元には優しい声音が耳朶を擽る。
「大丈夫、あたし達はイツキ君の願いを叶えたげるよ?獣王国にある魔法の秘薬、欲しいんでしょ?」
囁くように言われた言葉に、おもわず後ろにいたナグを振り返れば、柔らかな笑顔でこくりと頷かれ、そのままそっと顔を寄せられる。防衛本能から思わず目をつぶったが、それに反する様に、唇に柔らかなものが触れた。
びくりと震えれば、触れ合った唇が僅かに離され、かわいい、と呟かれてまた塞がれた。
なすがままになっているとナグに身体を預けるように抱き込まれ、伸びてきた手がイツキの体をまさぐる。
唇から感じる柔らかさにどろりと思考が麻痺してくるのを感じた。
熱っぽい息を吐きながら顔を離し、美味しそうに唇を舐めて再び降ってくるナグの頭へ手を回し、嬉しそうに笑んだナグを見つめながら自分から口付けつつ、体の向きを変えてナグを床に押し倒した。
首筋に顔を埋めてナグの装備を外し、服を脱がせるイツキに好きにさせつつ、ナグの視線は楽しげな母に向かう。
ジューナもまた、熱に上擦って潤んだ目で微笑み返し、イツキがどうやっても開かなかったドアを無造作に開けて出ていった。
暫くして、ナグが自身の上でナグを貪るイツキに冷めた目を向けていると、腕に意識のない子犬ほどのサイズのトカゲを抱えたジューナが戻る。
「ママ、それは?」
イツキを足で押しのけ、だらりと弛緩した身体で座り込む様を見ながら、脱がされた服をかき集めつつナグが問う。
「レッサードラゴンの子よ。血液を人間のものに入れ替えてあるけれどね。」
レッサードラゴンの幼生をどこかで殺し、代わりに人間の血を詰めてきたという母に、なんでそんなめんどくさい事を?と問うナグ。
それに、後でわかるわ、と微笑んでから無造作にドラゴンの幼生の柔らかな腹を引き裂く。
途端、ボタボタと垂れ落ちる血を、ドラゴンの幼生を振り回すことで壁や天井に飛び散らせる。
その血は半裸で呆然としていたイツキにも振りかかり、鉄錆の匂いで意識を取り戻し、行われていた蛮行に再び悲鳴をあげる。
「もう、煩いわね…。ナグ、黙らせてちょうだい。」
苛立たしげに言うジューナに、はぁい、と気のない返事をしてナグが取り乱すイツキに抱きつく。
柔らかな胸に彼の顔を押し付け、耳元でぼそりと何か囁けば、かくんと力が抜けてナグに身を預けるイツキ。
一通り血を撒き散らしたジューナは満足したようにドラゴンの幼生を下ろす。
そしてナグに服を着るよう命じながらスン、と部屋の匂いを嗅ぐ。
「うん、ちゃんと人間の血の匂いね。それでいてこのチビちゃんの親には必ず分かるはず。」
満足そうに頷いてから、服を着たナグに、転移の魔法を行使すると言い、イツキを抱えさせる。
『空を駆ける風の流れを止めるものよ、数多の時を冠する王よ、この場この時と脳裏に描く地を繋ぎ、我らをかの地へと誘え。タイムテレポート』
かつて、ナイアーラトテップが使ったのと同じ転移の魔法だが、こちらはさらに難しく、場所をハッキリとさせていないものだった。
それでも転移を実行し、そして成功したのか、周囲に満ちる匂いが鉄錆のそれから森の緑の匂いに変わる。
ゴガァアア!!
途端に耳を覆いたくなるほどの大音量で吼える声に、周囲を見渡せば、そこには一頭のレッサードラゴンと、周囲には多数の卵。
母を見上げながら、ナグは微かに冷や汗をかく。
(レッサードラゴンの巣じゃないの…。ママ、ここからあの子供さらってきたのね…。)
ブチ切れた様子のレッサードラゴンと対峙しながらも涼しい顔の母。
そしてナグを見下ろし、イツキに目を覚まさせるよう命じた。
「っ…、う?ここは…?」
意識が無くなる前は鉄錆の匂いに塗れた部屋にいたはずだった。だが今はむせ返るような森の緑の匂いと、なにより目の前には巨大なドラゴンが怒り狂ってイツキらを睨んでいた。
喉元まででかかった悲鳴を、ナグの手に覆われることによってどうにか堪える。
ジューナを見遣れば、それはそれは優しい笑顔をイツキに向け、彼が腰に穿いていた剣を握らせた。
「ドラゴンは私が押さえておきましょう、貴方は周囲の卵を破壊してちょうだい。」
「え…?」
事情が飲み込めず、キョトンとするイツキだったが、ジューナの言葉にレッサードラゴンが動き出す。
怒りの咆哮をあげ、突進してくるのをパチンと指を鳴らして自身の前に障壁を展開して防ぐジューナ。その隙を縫ってナグが仕掛ける。
『風よ、圧縮せよ!叩け!エアハンマー!』
彼女の詠唱とともに、レッサードラゴンの巨体が横に転がる。何かに横っ腹を殴られ、地に伏せたドラゴンの目の前でジューナは死んだ幼生をおもむろに差し出した。
それは血を出させるためにあちこち切って突いたぼろぼろの姿だった。
虚ろな瞳は、かつて彼を父として見ていたはずだったが、今はなにも映さずに開かれたまま。
彼らの背後でまごついているイツキに、ジューナの叱咤が飛ぶ。
「はやくなさって!レッサードラゴンは討伐の依頼が出ているモンスターですよ!卵を放置すればいずれ近隣の集落に影響が出ます!見つけたら壊すのが冒険者の鉄則ですわ!」
ジューナの声にびくりと震え、のろのろと顔を上げたイツキに、ナグの視線が刺さる。
『貴方の目の前にある卵からは魔物が生まれる。混乱』
きらりと光った瞳に、びくんとイツキの体が震え、そのまま意志を失ったようにフラフラと歩き、手当り次第卵を壊していく。
いくらドラゴンの、とはいえ卵は無力で、抵抗することなく割れてその中身をどろりとこぼしていく。
なす術なくその様を見せつけられたレッサードラゴンは、悲しみと怒りの咆哮をあげるが、見えないハンマーに抑え込まれ、もがく以外には出来ない。やがて、彼の意識が怒りに染まり、周囲に黒いモヤが満ち始めた。
「頃合いかしら?『我が命に従え。サーヴァント。』」
ジューナの詠唱とともに、レッサードラゴンの周囲にあったモヤが彼の体に吸い込まれる。そして意志の光をなくしたドラゴンが一体、そこに残った。
掴んでいた幼生をその場に落とし、手を払っていれば、背後で嘔吐く様な声が聞こえる。
卵を壊し終わった段階で意識を取り戻したイツキが蹲り、涙を零しながら胃の中のものを吐き出していた。
それを気にすることなく、薄暗くなってきた周囲を見渡し、彼の同族へ呼びかけるよう命じた。
レッサードラゴンに限らず、竜は仲間意識がとても強い。
最下級とはいえ、腐っても竜種。
呼び掛けに集まったドラゴンたちは一様に怒り狂うが、ジューナは意に介さず、最初の一匹同様、支配下に置いた。
そして幼生の血の匂いを追うように、山を越えて集落へと向かうように命じた。
途中、この山の主たるエンシェントドラゴンに阻まれるだろうか、と危惧したが、ここでこうやって好き勝手しているというのに、かのドラゴンは無反応だった。ならば問題ないとばかりにドラゴンたちを解き放ち、猛然と駆け出す背を見送って蹲るイツキに近づく。
「っ、く…ふ…ぅ…!こんな…ひでぇ…!」
涙を零し、口元を汚しながら上擦った声でそう言うイツキの背にそっと手を乗せれば、大袈裟に跳ねられて後ずさるように逃げる。
それを苦笑しつつ見て、すっと瞳を細める。
今まで人の目だったそれは、羊の様に瞳孔が横に伸び、異形の瞳でもってイツキを見つめる。
喉からせり上がってくる悲鳴を途切れさせながらも、その瞳から目をそらすことが出来ず、イツキはそのまま意識を失うことで、精神の安寧を得た。
「今更、餌を逃がすものですか…。」
笑いながら呟いたジューナの言葉に、微笑むナグ。気を失ったイツキを抱え、母娘は闇が落ちる森の奥へと姿を消した。
この話の殆ど、イツキは意識を失っていますね…。




