会いたい・・・あの人に会いたい
京子の足跡をたどる奈々
奈々三つ目の願い事とは?
窓から差し込む陽の光が奈々の顔を照らす。
やわらかな朝の陽ざしではあったがその光が奈々の目を覚ます。
昨日の出来事が全て嘘であったのなら、夢であったのならと言う奈々の願いは叶うことなくたったひとりの朝を迎える。
ソファーで眠ってしまった奈々は目を覚ましたが起き上がろうとしない。
ジッと窓の外を見つめている。
その瞳はいつもの、何かを追い求めている時の瞳の光ではなかった。
ぼんやりとただただ外の景色に視線を向けているだけで、きっとその瞳には何も映されてはいないのだろう。
奈々の心にもまた何も去来していないようであった。
ぽっかりと心の中に出来上がった大きな空洞を埋めることは難しいだろう。
身じろぎひとつしない奈々。
このまま内的な時間の逆行に任せ何も考えることが出来なくなるまで、もしくはこのエリアが漆黒の津波に飲みこまれるのをひたすら待ち続けるのではないかと思わせるような奈々のたたずまい。
まるで瞑想をするように無を感じさせる奈々であったがその心の中はめまぐるしく思いが巡っていた。
『奈々がこの異空間に来たのは、自分でそれを願ったから・・・。あの頃あの人と会えない・・・あの人を見つけることが出来なくなって、どうしていいかわからなくなったのと同じタイミングで頭の中が混乱して体調まで悪くなって・・・。もうみんないなくなっちゃえばいいなんて自暴自棄に心の中で叫んだ・・・。今考えれば本当おかしな話。あの人に会えないのならもうみんないないのも一緒なんて思い込んでいた。そして気がついたらこの異空間にいた。奈々のひとつめの願い事は叶えられた。どうしてそんなことになってしまうのかは全然理解できないけれど・・・だから奈々がここに居るのは自業自得・・・』
子供じみた思い込みが奈々をこんな異空間に運ばせた。それでも初めは少しホッとしていた。心を煩わせなくて良くなったから・・・。好きなだけ好きな本を読んでいろんなことを考える。漆黒の津波の特性もつかんだから死神には出くわさないように計算してお家とお姉ちゃんのマンションを行き来した。奈々にはこの異空間が向いてるかもなんて考えたりもした
赤いラインの電車さんはいつも奈々を守ってくれた。奈々が行きたいところ、行くべきところに黙っていても運んでくれた。死神も電車さんの中に居る奈々には手を出せなかった。
だけどそんな日々も1ヶ月もすると気持ちが保てなくなってきた。漆黒の津波や死神は上手くかわしてこられたけれど・・・繰り返される破壊と再生、死神の存在、文句も言わず奈々を運んでくれる電車さんにまで苛立ちを覚え、全てのことに懐疑心が湧きだした。そんなのあたりまえのことだしそもそも初めからこんな異様な空間を受け入れている奈々がおかしかったんだって今更考える。
幾度も幾度も目の前で繰り広げられる異様な光景。
呼吸のように繰り返される破壊の時間と静寂の時間。
小鳥のさえずりすら聞こえないこの空間。
奈々のふたつ目の願い事は・・・。
『誰かこの異空間のことをわかる人を連れてきて! ここから奈々を元の世界に帰せる人を!』
静寂の街の真ん中で奈々は心の底からそう叫んだ。
稲毛海岸駅のロータリーに奈々の声がこだましたみたいに思えた。
下り方面の赤いラインの電車さんがすぐに奈々の願い事を叶えてくれた。
赤いラインの電車さんが京子ちゃんをこの稲毛海岸駅に運んで来てくれた。
どういうわけか神様? は、奈々の言う事をだいぶ偏った形ではあるけど良く聞いてくれる。
でも京子ちゃんが来てくれてから奈々の生活は一変した。
京子ちゃんは次々と、この異空間についての仮説を立て考えを整理してくれた。
そして異空間から脱出する方法も一生懸命考えてくれた。
異空間を京子ちゃんと探検することも楽しみのひとつになった。
そんな時は奈々はお弁当を作ってまるでピクニックにでも行くみたいだった。
奈々は京子ちゃんにご飯を作ることが生きがいになった。
京子ちゃんも奈々のご飯をとても楽しみにしてくれた。
京子ちゃんは死神と闘って奈々を守ってくれた。
京子ちゃんは死神との戦い方や弱点も即座に見抜いて行動に移した。
奈々にとって京子ちゃんは心から信頼して頼れる最高のパートナーだった・・・。
そんなかけがえのない存在を失ってしまった。
京子ちゃんは奈々を助けるために独りで死神との戦いに挑んだ。
奈々が願い事なんてしなければ京子ちゃんはこんな異常な世界に連れてこられることはなかった。
いきなりこんな世界に連れ出されて、そして呼び出した奈々を守るために命を奪われるなんて・・・・。
全部奈々のせい・・・。
奈々があんなことを願わなければ・・・。
後悔してもしきれない。
京子ちゃんは最期に何を考えた?
きっと奈々のことを恨んでいるに違いない・・・。
奈々はどうしたらよいの?
どうやって京子ちゃんに償えばよいの?
呆然と中空を眺める奈々の目に涙がこぼれる。
その時奈々の視線の先から声が聞こえてきた。
『奈々、奈々! 京子は何もあきらめていないよ! 京子は奈々のことをいつまでも待っている・・・』
「京子ちゃん? 京子ちゃんなの?」
不意に聞こえてきた京子の声にソファーから跳ね起きて周囲を見渡す奈々。
部屋に京子の姿は見えない。
さっきまでぐったりとソファーに体を投げ出していた奈々は小走りに玄関まで進むと扉を開け外に飛び出し京子の名前を叫ぶ。
「京子ちゃん! 京子ちゃんどこ?」
そう言いながら周囲を見渡す奈々。
しかし京子の姿も赤いアイアンバンパーの姿も見えない。
奈々の実家には京子も訪れ一緒に過ごした。
京子はこの場所をしっかりと把握しているのだ。
死神との闘いを終えた京子がここに辿り着いたのだと奈々は心を躍らせ外に飛び出たが幻想に終わった。
京子の声は奈々の耳に聞こえたのではなく頭の中に直接響いたものであったのだ。
空耳、気のせい、思い込み、そう解釈することもできたが今の奈々には京子の声が大きな生きる糧となった。
『奈々、奈々! 京子は何もあきらめていないよ! 京子は奈々のことをいつまでも待っている・・・』
「京子ちゃんの声が聞こえた! 京子ちゃんの声が奈々に届いた! 京子ちゃんは死神に狩られていない! 京子ちゃんはどこかに存在している!」
京子と奈々の認識では死神はこの異空間の記憶を持つ生き物の存在を全くの無に帰すために存在している。もし仮に京子が死神に狩られていれば京子の声は奈々に届かないはずだと解釈したのだ。
今の奈々には京子の声が空耳、思い込みといった発想に至ることはなかった。
しかしそれがかえって奈々を生き返らせた。
奈々はリュックに思いつく荷物を詰めると冷蔵庫にあった簡単な食べ物を口にし、表へ飛び出して駅に向かった。
赤いラインの列車は奈々の行動を見透かすように駅に鎮座し、その主を乗せると求める場所へと運んだ。
稲毛海岸駅で降車する奈々。
暗黒の空間はこのエリアまで到達し駅も奈々の姉のマンションも飲み込み、そして新しい空間を流し込んだ。従って街には全く破壊の跡はなく変わらずそこに存在している。
奈々は海浜松風通りを右に千葉街道に向け歩く。
稲毛公園を左手に見て千葉街道を横切り稲毛浅間神社を右手にさらに直進する。
当時の暗黒の空間との位置関係から類推して京子の通った経路を割り出す奈々であったがその推理はことごとく的を得ていた。
まさに京子が通ったルートをそのままに進んだのである。
京子が奈々を導いているようにも思えた。
奈々は道中に京子の名残を必死に探す。
暗黒の空間が古い空間を破壊し新しい空間を流し終えた後であるから痕跡が残されている可能性は極めて低いと理解していてもなおそうせずにはいられなかったのである。
歩きに歩いた奈々は京成稲毛海岸駅の坂を昇りきり踏切の前で立ち止まる。
京子がアイアンバンパーで2体の死神を仕留めた地点だ。
奈々はしばらくこの場所に立ち止まった。
そしてリュックから飲み物を取り出し喉を潤す。
「京子ちゃん・・・。ここには前に一緒に来たね。」
あの時はふたりでピクニック気分だったことを思い出し切なさを覚える奈々。
奈々はこの地点から京子と同じルートを取らずやや南寄りのルートを進んだ。
恐らく前回の破壊と再生がこのラインで終了したと奈々は推理した。
だとすれば暗黒の空間が止まった地点の先に、赤いコルベットの何らかのパーツが飛び、残されているかもしれないと考えたのだ。
奈々は注意深く地面を見て進む。
その様子は昨日自宅まで帰った時と全く一緒であったが目の光が全く違う。
昨日の奈々の目には光がなく今日の奈々の目は鋭く光っていた。
総武線稲毛海岸駅までの小道をメインのルートと行ったり来たりしながら歩く奈々。
「ここまで赤いコルベットの残骸は見つからなかった・・・。ということは京子ちゃんが死神に狩られた確率はこれでまたぐっと下がったと言っても良い。つまり京子ちゃんが死神に狩られてルートからコルベットが大きく外れるような衝撃はなかったと結論つけます。さっきの京子ちゃんの声が幻聴ではないと捉えても良い。」
奈々が自身の耳に聞かせて確認する。
「これは悲観論の中の楽観論。コルベットは走行不能になる様なダメージを与えられることはなかった。死神は暗黒の空間から私たちを遠ざけることも目的のひとつだから狩るとすればその到達地点より先で決着をつけたがるはず。つまり京子ちゃんは死神の攻撃をかわしている。」
奈々が確信的に言う。
そして、
「次は楽観論・・・。攻撃をかわした京子ちゃんはコルベットと共に安全圏まで走り抜けた。そして今奈々の元に向かっている・・・。これは楽観論中の楽観論・・・」
そう悲しげに言いうつむく。
「一番現実的な結論は・・・。京子ちゃんは全てを無に帰す死神を打ち砕き・・・そして・・・再生を信じて・・・」
現実論を自身の耳に聞かせて客観的に捉えることを拒むように奈々の言葉が途切れ途切れになり最後には消え入った。
「京子ちゃん、奈々も京子ちゃんと同じ道をたどりたい・・・。だけど奈々には死神をかわして再生への関門をくぐることは出来そうにない・・・」
奈々が悲痛な思いを天に向けて放った。
異空間からの脱出方法ではなく無に帰す死神をかわし暗黒空間に飛び込み一旦は破壊され死を迎えたとしても再生へ希望を見い出すと言った消極的な方法を模索し始める奈々。
この日は新しく流されてきたばかりの空間にとどまることにした。
つまり稲毛海岸駅周辺の奈々の姉のマンションに帰ったのである。
それからの奈々は京子と出会う前と同じように自宅と姉のマンションを暗黒の空間と死神を避けながら時間の流れに身を任せるように生きた。
京子を失いあまりにも孤独な日々を重ねた奈々は何度も三つ目の願い事を口走りそうになりそのたびに慌てて口を押え言葉を飲み込んだ。
自分が口にした二つ目の願い事が京子を呼び寄せ、そして悲痛な最期を迎えさせたからである。
しかし京子を失って1ヶ月が経とうとしたある静寂な夜・・・
ついに奈々は三つ目の願い事を口にしてしまう。
「会いたい・・・あの人に会いたい。 元の世界に戻りたい・・・」




