ただの己の被虐心を満たすための恋愛
「湊ってさあ、俺がどうしようもないクズだから好きだよね」
「そうですけど」
「何で?」
「、何で?んあー、何でなんでしょうね?」
と聞き返しては悩む素振りを少し見せる。
「たぶんさ、俺に人生めちゃくちゃにされたいからでしょ」
という最低な仮説を湊に提示した。
「……それはそうですね」
照れた様子で同意を示す彼。
「でもそれってさ、本当に愛情なわけ?」
「何が言いたいんですか?」
「湊は俺によく尽くしてくれんじゃん?」
「まあ、それなりに」
「でもさ、あー、何て言ったらいいんだろ」
「僕が傷つかないように配慮してんですか?そんなんいらないんでストレートに言ってください」
「湊が俺に尽くすのは湊のエゴだよね。俺そんなん頼んでないし」
「は?」
湊は俺の胸ぐらを掴んだ。
「ほら、逆ギレするぅ!だから言いたくなかったんだよ……」
俺はそんな湊から目を逸らして敵意がないことを伝えた。
「じゃあ、僕は貴方に尽くさなくていいんですか?」
「ふふっ、俺がここで『いいよ』って言っても、お前どーせ尽くすだろ?」
「あははっ、それはしょうがないじゃないですかあ!京一さん、死んじゃうんだもん!」
「それは言えてんね。だけど湊はさ、正直に言うと、自分を傷付けてくれそうな奴が好きなんだよ」
「それは言えてますね」
「だろ?だからさ、俺のために誠意を見せてると見せかけて、ただ己の被虐心を満たしているだけにすぎないんだよ」
「例えば?」
「例えばさ、イラマチオ好きじゃん?あれって、俺に奉仕するためもあるけど、それをされてる自分に興奮してんじゃないの?」
「あはっ、ぐぅの音も出ませんね!」
「湊って、自分の存在価値が低いことを、確かめて生きているみたい」
「だって事実、存在価値なんて……」
「湊、俺は責めるつもりはないよ。ただ自分の存在価値が低いって見なさないと、生きていけない環境下だったってことじゃん」
俺は湊を抱きしめた。湊は俺の胸に額を擦り付けた。そんな環境下で育ったこの子のことを、憐れむと同時に愛おしく思った。
「京一さんは、そうじゃないんですか?」
「俺?んー俺は、自分のことはゴミクズだと思うけど、それに対しての良心の呵責はもう失ったね」
「何で、?」
「何でって、そりゃあ、そっちのが楽だからさ!それに、いくら考えたところで、俺はそんなに変わらないしね」
罪悪感があったとて、それが真っ当に生きる向上心に繋がるとは限らない。だったらもう苦しいだけだから、そんなものは捨ててしまえばいい。
「そーゆーところ、めちゃくちゃ好きです」
「自己中心的で生きていたいもん。結局、自分が一番可愛いじゃん?」
「そうやって、強がりで言ってんのも好きですよ」
「は?強がりじゃないし……」
いざその場に立たされると、やっぱ罪悪感を抱いちゃう。でもその言い訳として、嫌なものから目を背けるように「自己中心的で生きていたい」を自身の心に貼り付けている。
「京一さんは、やっぱり良い人です。自分でゴミとかクズとか言ってるけど、僕は腹立ちます」
「え?」
「京一さんは、ずっと僕の理想です。何されても許せちゃいます。可愛くて可愛くて仕方ありません」
「は?」
「京一さんは、僕の死にたい気持ちだって、ちゃんとわかってくれます。こんな人間、他にはいません」
「どした?」
「僕の愛情は、僕のためだけの愛情じゃありません。京一さんのための愛情です。だから京一さんには、貴方じゃなきゃいけないんだって、僕の想いをわかってもらわなきゃじゃないですか」
俺のための愛情、俺じゃなきゃいけない、青柳 湊は俺が好きなんだ。他の傷付けてくれる人間じゃない、俺だから湊は俺のことが……って自惚れすぎ?
「みんな、そーゆーよね」
「え」
最ッ低だ。湊からの真っ直ぐな想いを聞いて、照れ隠しで斜に構えた発言をした。何とかしなきゃ。
「ごめ」
「みんなって、誰ですか?」
食い気味に質問された。その剣幕で圧倒されそう。
「えーとね、元カノとか?」
和やかな空気に戻したくて、薄笑いで軽口を叩いた。
「あー死ね!その元カノ!!」
湊は空を蹴り飛ばして、地団駄を踏んだ。湊はすっごく不機嫌になる、俺の元カノ話で。
「それって、元カノと同じこと言ってるから気に食わないの?それとも、俺がその言葉に騙されにくいから気に食わないの?」
「京一さんが僕の言葉を信用してくんないのが、いっちばん気に食わない!」
湊は俺の胸ぐらを掴んで、俺の胸を叩くように揺らす。振り回された俺は少しカチンときて、
「例えば、あるところに青年がいました。青年が家に帰ろうとすると、上司からこう言われるんだ。『この仕事、終わらせてくんない?頼むよぉ、君じゃなきゃダメなんだ!』と。青年は渋々、その仕事を引き受けることにした。20時には帰れるはずがもう終電間際。この時、青年は気付く。『君じゃなきゃダメなんだ』ということはないことを。ただサービス残業に利用されたことを。その言葉の巧妙さを」
というありふれたストーリーを語る。
「何が言いたいんですか?」
「まあ、待てって。その後、青年には彼女ができた。でもその彼女が青年にこう言うんだ。『私、他人を愛せないの。君じゃなきゃダメなの』と。青年はそれはそれはその言葉に喜んだが、その3年後、彼女は青年を裏切り、浮気をする。この時、青年は思う。『君じゃなきゃダメなの』ということはやっぱりないことを。時の流れが自分と彼女とを他人にしてしまうことを。この言葉の希薄さを」
「それで、何なんですか?」
「湊のやってることはこの青年にこの言葉を浴びせるようなことだ。信用ない言葉ばかりで辟易している青年にだ」
「あー、あれですか?経験論からして信用してない言葉を、今から信用させようをしても今さら無駄だってことが言いたいんですか?」
完璧に要約されてしまった。
「湊、頭良くなったな」
俺は湊の頭を撫でた。すると湊は、俺の方を見て、幸せそうに微笑むんだ。この瞬間、俺は誰よりも幸福だと、そう錯覚させられる。だって、この子よりも可愛い子なんて、この世に存在しないんだから。
「京一さんが教えてくれたからですよ」
「湊の家庭教師だもんね」
「いいえ、京一さんは僕の恋人です。例え、京一さんがそう思っていなくとも、僕は、僕の前だけは、恋人でいてくれたら、僕は幸福です」
「そーゆー保身的なところ、失礼だと思わないの?俺が言うことじゃないけどさ」
俺は不貞腐れながらこう言った。
「え?」
「だって、俺が湊を恋人だと思ってないって、そう疑ってんでしょ?こんなに恋人っぽいことたくさんしてんのにね」
「確かに京一さんは恋人っぽいことをたくさんしてくれます。恋人っぽいことを。だけどそれと京一さんが僕のことを恋人だと認識しているかは別問題です」
「お前の恋人の基準って何なの?キスとセックスができて、それから?」
「それから、僕のメンタルケアをしてくれて、楽しい時間を共有できて、僕が心から甘えられる存在です」
そんな理想を突きつけられて、現実を生きる俺は身震いした。湊にとっての恋人像に俺は当てはまっているのだろうか。
「恋人ね、俺は自分の存在価値を保証してくれる人だと思ってるよ。歪んでるかな?」
「歪んでなんかいませんよ。京一さんの存在価値は僕が保証してみせます」
とか大口叩いたのはいいものの、僕には滅法わからない。京一さんの存在価値を保証するにはどうすればいいのだろうか。京一さんにお小遣いを貢いでばっかで、僕の欲しいものは京一さんの欲しいものになった。僕の銃コレクションに新作はなくなった。京一さんとの時間を少しでも作るために、休み時間はほぼ勉強に充てている。友達との会話なんてしている暇がなくなった。睡眠時間を削って自律神経狂わせてまで、京一さんと一緒にいる。僕ばっかりが京一さんに「好き」って言ってるんだ。もう勉強なんかしたくない。でも将来、僕が京一さんを養っていくんだから、しなきゃいけない。あーあ、こんなにもつらいのに、何で京一さんのことが好きなんだろう。僕がしたいこと、僕の欲しいもの、全部捨てて、貴方に人生を賭けてしまう。きっと貴方と別れた方が僕の人生は格段と楽になる。だけど、貴方と一緒にいられるのなら、僕は地獄だって味わうの。それほど貴方が好きなんだよ。いつか分かってね。
「みーなと」
と京一さんは僕の名前を甘い声で呼んでから抱きつき始める。僕の頭を撫で、キスをする。
「京一さん、甘えたさんですか?」
「ふふっ、そうだよ。甘えさせろ」
そう言ってから何度もキスをしてくる。心拍数が上がる。京一さんっていつ見てもイケメンだ。慣れた手つきでベッドまで誘い込まれて、服を脱がさせられる。
「僕、すぐ全裸になっちゃいますね」
「俺の前だけね。他の人に見せたら殺すからね」
京一さんは僕の指を食む。それが王子様みたいでキュンとした。
「僕は京一さんのものですよ。京一さんの好きにしてください」
って僕はそんな彼に惚れちゃって、自分の全てをいとも簡単に差し出してしまう。
「じゃあほら、足広げて」
身体で京一さんのを受け止める時、僕の欠けた箇所が満たされる気がする。満足感でいっぱいででもそれ以上に快楽を共に味わえるのが快感になっている。
「京一さん、大好きです」
僕がこういうと京一さんは決まって、
「ふふっ、そうかよ」
って僕の好意をわかったように笑うんだ。僕は京一さんからの「俺も好きだよ」が聞きたいのに。でもわかるんだ。京一さんだって僕が好き。京一さんにキスを求められる瞬間、僕はいつもいつも生きててよかったって感じるんだ。
「この絶望的な世界で貴方だけは唯一の希望です」
「俺のために生きててくれてありがとう」
京一さんが僕のリスカ跡を撫でる。僕はそれだけで救われた気分になって、今までのつらいこと苦しいこと全部、貴方の前だけは忘れられる。
賢者タイム、ただ擦れた跡の痛みが残る。京一さんと離れて、寂しくなって虚無になって、さっきまでの熱狂を「終わらないで欲しかった」と悔やむ。
「タバコ吸う姿、かっこいいです」
「あはっ、クラクラきちゃうね」
って満面の笑みでこっちを見てくれる。
「僕にもひとくちください」
「これで我慢して」
と唇を重ねられた。僕はほんのり煙草の匂いがする貴方の香りの中毒者。貴方を感じられると絶頂に達する。
「ほんっとクラクラきちゃいますね」
「ああ、めっちゃ嫌だ」
何も感じていないように貴方は独り言みたいにそう言った。
「え?」
「湊が煙草を覚えそうで俺は怖いよ」
「何でですか?覚えていいじゃないですか」
「あー、なんか嫌なんだよ。美しいものを汚してみたい欲求はたまにあるんだけど、今は愛でていたい。だって、一度汚れてしまったものは元には戻らないからさ」
「じゃあ、僕と別れる時はたくさん僕を汚して壊してから別れてください。貴方が僕に価値を感じないくらいに」
「ふっ、そんな日は来ないから安心だね」
とにこっとしてくれるけど、心ここにあらずという感じだった。未だに僕は貴方が何を感じ、何を言わんとしているのかがあまりよく分からない。それが僕を突如、不安という渦に陥れる。
「あー、ふふふっ、ふははっ、あははっ!……あーあ、」
僕は貴方にかまって欲しくて腕を切る。ストレスで笑けてくる。貴方は慌てて煙草を捨てて、僕に駆け寄ってきてくれる。
「みなとみなとみなとみなと」
「何ですかあ?京一さぁん」
「俺の返答、そんなに嫌だった??」
「いいや、好きですよ」
「じゃあ、何で?」
と優しい声で問いかけられると、
「好きだけど好きだけど、ううっ、京一さんがわかんない」
なんて心の内を吐露して泣き出してしまう。
「え」
「すみません、だるいですよね。わかってます」
「そんなんじゃない。湊の気持ちをちゃんと聞かせて」
「あはっ、なんでもないですよ〜!」
笑って誤魔化していると、京一さんは「あーあ」みたいに呆れた顔する。
「湊のそーゆーとこ、俺好きだよ」
「嘘。嘘つきの顔してる!」
と僕が若干ヒステリックに指摘すると、図星つかれたように彼は笑って、
「ふふっ、さあね。でも少なくとも俺は、湊とちゃんと向き合いたいと思ってるよ」
と僕の頬を撫でた。彼の真剣な眼差しが僕には嘘と思えない。
「……だって京一さん、僕に暴言とか不満とか言わなくなったじゃん」
「は?それは優しくするって……」
「京一さんが優しくなりすぎて、怖いです」
僕は罪を自白するように、貴方にこれを告げた。
「……何?もっかい聞いていい??」
「京一さんが優しくなりすぎて、怖いんです」
「あー、やっぱ日本語だよな、それ。うんうん、聞き取れた聞き取れた。……で?」
京一さんの視線が鋭い。
「もう一回いいましょうか?京一さんが優しくな」
「ああああ!!もういいもういい!!……は?意味わかんねぇ。優しいの何が悪いん?」
「悪くないです。でも、不安になるんです。貴方が何を考えているかわからなくて」
「あークソ、何もうまくいかねぇ。湊に少しでも好かれようと優しい人間を装ったのに、逆に不安にさせてんじゃん。でも根っからのクズは消えないし、ほんと情緒不安定だよね、嫌になるわ」
彼はその真ん丸な目をぐるりと回してため息をついた。
「え、京一さん、泣いて」
「は?笑ってんじゃん!泣いてないけど?!」
「……ごめんなさい、京一さん、僕が悪いんです」
京一さんに指摘しようなんざ言語道断。今すぐに僕の首が飛んでもいいレベルだ。
「湊は変わらないクズな俺が好きだもんね!ごめんごめん、勘違いしてたわ!真っ当な人間になんかなったら、つまんないもんね」
あーこれ、自己嫌悪の笑いだ。自分が嫌いで嫌いで嫌いすぎて、何で僕は生きてるんだろうってその矛盾に笑えてくるやつだ。
「いや、そういうんじゃ……」
「俺、馬鹿だから。言ってくんないとわかんないよ」
「京一さん、僕はどんな京一さんでも好きですよ」
と彼の手をとると、
「あー、ウザ!それ絶対に思ってないやつじゃん」
って苦しまぎれの笑顔で蹴られた。
「いてっ!!思ってますって〜!」
「じゃーあ、俺が他の奴のものになっても、それでも好き?」
こんな可愛い顔で見つめられたら、許せないものも許しちゃう。そう、僕は馬鹿だ。
「……例えそうなっても、京一さんのことを嫌いになんかなれません。抱きしめてもいいですか?」
「いいよ。ほらおいで」
両手を広げて、僕を受け入れてくれる。ああああ、好きだ。
「京一さんと付き合えていること、奇跡みたいです」
「は?何で??俺がお前のこと好きじゃん」
「僕はそれ以上にもっと好きです」
何だこの喧嘩に見せかけた惚気は。幸せすぎる。
「ふふっ、もう全部が馬鹿馬鹿しくなってくるね」
「どーゆーことですか?」
「金とか容姿とか学歴とか、悩んでること全部どーでもいい。湊がいればそれでいい」
京一さんが僕の頭を撫でて、優しい顔して微笑んでくれる。聖母マリアか、この人は。
「京一さん、僕とイエス・キリストをこさえましょう」
彼に見惚れた僕は思わずこう口にしていた。
「……きっも!あははっ、嫌だよ。俺が興味あんのは湊だけだし」
子供なんか欲しくないような物言いで、僕だけを見ていてくれている気がした。
夏の昼下がり。僕は冷えた酒缶入りのビニール袋を片手に下げた京一さんと駅のホームに並ぶ。着ているシャツは汗を含んで、僕の肌にくっついてくる。蝉の鳴き声がうるさい。あちぃ、と貴方は酒缶を空ける。暑さで朦朧とした意識の中で、踏切の音だけがはっきりと聞こえて、電車が風をまとって目の前を走り抜けた。青々とした線路上の草花がまだ揺れている。
「何だかエモいですね。ふとした瞬間に今のことを思い出しそうです」
京一さんは空いた酒缶を手で潰して、線路内に投げ入れた。
「あの空き缶がある限り、きっと忘れないね」
貴方は物語の主人公のように微笑んでくれるけど、僕は何だかそんな貴方が可笑しくて、
「でも、ゴミの不法投棄はダメですよ」
といたずらしたみたいに笑ってしまった。
「わ、正義感つよ。俺そーゆーの嫌いなんだよね」
しゃがみこんで投げた空き缶をちょっぴり不服そうに見つめる京一さん。
「ありがとうございます、京一さん」
と僕が彼のサラサラな髪を撫でると、京一さんはにこっとして立ち上がって、
「俺もこの時間好き。湊と一緒に帰れるから」
って僕の手を握ってくれた。電車がくるとパッと離れてしまうその手。でも、車窓から外を眺める貴方の横顔がとても美しくて、それを眺められるだけで満足だった。
部屋に入った瞬間、湊を強く抱き締める。今まで我慢していたのを解放するみたいに、ああ好きだって、湊を補給する。
「京一さん、僕最近思うんですよ。可愛いって言ってくれる男は星の数ほどいるけど、キモいって言ってくれる男は貴方しかいないって」
「何?ナンパでもされたの??」
「はい」
「ふっ、レベルが違うね!俺レベルじゃないと、湊は満足しないっつーの!」
と強がって笑いながらも、湊を抱きしめる力を強めて、俺の元から離れないようにと不安がってる。
「京一さん、苦しいです……」
俺は湊に取り憑かれている。俺の傍から離れた方が湊は幸せになれるって、頭では分かっているのに、
「俺の傍から離れないで」
と呪文のように口にしてしまう。
「離れませんよ。何を心配してるんですか?」
「何も心配してへんわアホ」
俺は照れ隠しでそういうと湊から離れて、ベッドへと寝っ転がり、スマホへと目を向ける。
「僕は京一さんより格好良い人間を見たことがありません」
「いいよお世辞は」
「じゃあ、僕は俳優になりますね」
「……は??」
単刀直入すぎて訳が分からなかった。以前、俳優をやった時は傷つけられて帰ってきた。それなのに、何故また俳優がやりたいのだろうか。
「スカウトされました。芸能事務所の方に」
「でも、」
「はい、ちゃんと断りました。でも、中学三年生のこのタイミングってかなり将来のことを考える時期なんです。将来、僕がどうなりたいか、ちゃんと考える時期なんです」
「それで?湊は将来何になりたい?」
「僕がなりたいのは、お医者さんです」
「うん、前から言ってたね」
「特に心のお医者さんに僕はなりたいです」
「だったら、俳優なんかやってる暇ないんじゃないの?」
俺は湊に好きでもない現実問題を突きつける。
「エンターテインメントは心の栄養です。僕の演技で少しでも元気になってもらえたら、僕はこの世界で生きている価値があると思うんです」
そんなキラキラした瞳でこんなこと言って、
「……俺だけの心のお医者さんにはなってくれないの?」
俺の醜さが際立つじゃん。
「え、いや、京一さんの心のお医者さんにもなりますよ!でもそれだけだと、この世の中では生きていけないから……」
「でもそれって、俺だけの湊をみんなでシェアしろって言ってるんでしょ?」
あー、きっしょ!俺の身勝手な独占欲で湊の夢を潰そうとするな。
「んー、まあ、そうなりますかね?」
「気持ち悪い。何で俺だけのものでいてくれないの?」
最悪だ。この自分の唇同士を縫い合わせたいくらい、俺が気持ち悪い。
「かっ、か……可愛い!!!」
湊が顔面を真っ赤にして、はしゃいでいる。
「は?」
「僕のこと、そんなに大切に思ってくれてたんですね♡」
「え、いや……」
「でも安心してください。僕がセックスするのは、人生でたった一人、貴方だけです♡」
「は?そうじゃなきゃ困るんだけど??」
あはっ、痛すぎ〜!!余裕なく怒気を交えた笑いで言葉の揚げ足取り、最悪じゃん。客観的に見た自分を嘲笑い、精神的にダメージを食らう。
「あわわわっ!!イケメンすぎて尊死しそう〜!!!」
湊が他の男に抱かれる夢を見るだけで、吐き気がする。俺だけの湊、どこにも行かせたくない。誰の目にも触れさせたくない。でも、そんな権利のない俺は、今日も湊の理想な男を演じるだけ。君が俺のことを捨てないように。
キモ、不可能だった。俺は俺から変われない。金が足りなくて増やした掛け持ちのバイト。お得意のイエスマン発揮して十何連勤が確定。結果、五連勤目で鬱になりバックレ。俺の夏休み、クソ過疎ってんな。何やってんだろ。財布の中身には十円玉と五円玉と一円玉しかない。もう嫌だ。もうすぐ湊の誕生日なのに、何も買ってやれない。誕生日に何もできない彼氏とか終わってんな。死にたい。湊は何だかんだ前やった俳優の仕事が楽しかったようで、澪さんの舞台稽古について行ったり、自分の実力を見るために夏季講習だけ塾に通ったりして、充実した夏休みを送っているのに、対比して俺は何やってんだろ。あーあ、このまま熱中症で死なないかな?何か頭クラクラしてきた。
「京一さん、またクーラーもつけないで」
よく聞き覚えのある声。
「湊っ!!……なんだ、いないじゃん」
俺って結局、孤独じゃん。そう思うと涙が出てきた。俺だけ、何でここにいるんだろ。
地に転がる蝉のように、俺もこの暑さで息絶えたい。もう生きたくないよ。苦しいよ。ねえ、その逃げの言葉は誰に向かって言ってんの?
「京一さん、生きてますか?」
誰かに頬を軽く叩かれる。
「み、なと?……寒いよ……」
俺は布団にくるまって、寒さで震えてた。
「もうちゃんとクーラーつけて、涼しくしてくださいっていつも言ってるじゃないですかあ」
「……ごめん、なさい」
「お水は?」
「何で、何でいるの?」
「貴方がバイト入れすぎて無理してるって、あかりさんから聞いたからですよ。何で貴方はいつもそう、僕には何にも言わないで……」
「それは、」
そのお金で湊の誕生日プレゼント買おうとしてたから、なんてもう終わってしまったサプライズをまだ言い淀んでしまった。
「もう!とにかく!!お水飲んで、今日はゆっくりしてください」
「俺のこと、怒りにきたの?」
「いえ、そういうことじゃ……」
「そんなことのためにわざわざこないでよ」
俺は精神的に余裕がなくて、湊を追い払おうとした。けどその方法が彼を傷つける方法だった。
「……京一さん、つらかったんですね」
そう言われて抱きしめられた瞬間、涙がどっと溢れてきた。
「なんだ、わかってんのかよ」
俺の一番の理解者。それはきっと湊だ。
けれども、どんなに慰められどんなに励まされたって、この俺のクソみたいな身体は動かない。何か気分転換にやってみる?そんな気力すらない。バイトを休む電話で必死こいた体調悪い演技をするしかできない。こんな動けないってのに、高収入の求人ばっか調べ漁って、「あー、俺ホストやろうかな」なんて金に目が眩んでばかりだ。寝みぃ。タバコ吸いてえ。タバコタバコ。あった!……うわっ、ラスイチじゃん。
「はぁ……」
テーブルに置かれた酒缶。こいつは灰皿になるから優秀だ。対して俺は、ただのゴミだ。部屋いっぱいに煙を充満させて、幻覚であってくれと涙をこぼした。それも無意味でまた寝っ転がった。
「あー、ヤニ消えた」
空っぽの箱をいくら振ったって何もでてきやしなかった。クソ、腹立つ。
「Hello?」
「I want to smoke! Buy cigarettes for me!」
「京ちゃん知っとるか?俺いまアメリカなんよ。シガレットくらい自分で買いに行けるやろ?ちゃうか??」
「んーーー、動けない」
「また鬱なったん?」
「タバコないと生きていけない!俺死体になる!!」
「どんな宣言やねん」
「いいの?俺死んでもいいの!?」
と嬉々とした声で話していると、
「あー、わかったわかった!それじゃあ、他人にお前の住所教えてええか?」
と妥協案を提示してくれた。
「何でなん?」
「ミュール送るから」
「えーーー、まあいいけど」
「じゃあ、5分待ってな!」
と4分50秒ほど待ったところで、インターホンが鳴らされた。玄関を開けると息切れした男の子が、大量にタバコを抱えていた。
「ふっ、優秀」
「どうぞ」
と彼が腕を前に出した瞬間、タバコが一箱、もう一箱と落ちてった。
「おい、タバコ落とすなや」
俺は軽く言ったつもりだった、が、彼にはそれが恐ろしく聞こえたようで、深々と頭を下げられて、タバコを全部落とされた。
「あっ、ああっ!!」
おどおどしてテンパっている彼が俺は可笑しくなってきて、落ちたタバコ拾って、こんなしょーもない質問をした。
「ぷっ、あははっ!なあ、このタバコ一箱の価値わかってんの?」
「僕、小指詰められるんすか……?」
顔面蒼白。あはっ、可哀想〜!!
「なんと、一箱たったの六百円!お安いでしょ〜??」
と通販ショッピングのように宣伝したら、まあ見事に、すべった。
「でもそれ、ただのタバコじゃないんじゃ……」
「え?ただのタバコだよ??」
「え?」
「だけど、こいつのおかげで俺の命は紡がれてる。それぐらいの価値だよ」
タバコ咥えて、ライターで火をつける。煙を肺に入れて吐き出す瞬間、足りてなかったものが補われるように満足感で落ち着ける。
男の子はタバコを拾い集めて、テーブルに綺麗に並べると
「じゃあ、僕はこれで」
とすぐ帰ろうとした。
「えー、もう帰っちゃうの?少しはゆっくりしていきなよ」
「そ、それもそうですよね!それじゃあ、お言葉に甘えて!」
あ、これ無理させちゃった。
「タバコいる?」
「いえ、僕は吸わな……すいま……」
「あはっ、気ぃ使わなくていいよ」
俺は麦茶を注いで、彼のいる近くのテーブルにそれを置いた。
「あ、ありがとうございます……!」
なんて礼儀正しい良い子なんだろう。こんな子がミュールなんて。
「俺さあ、付き合いで煙草始めたんだよね。だけど、俺の手元に残ってるのはこの煙草だけ。意味わかる?」
「え、っと……その……」
「ふふっ、別に尋問じゃないんだから」
「お友達さんに何かあったんですか?」
そう示唆させといて、いざ聞かれると少し身構えた。
「……サツにパクられたんだよね。まあそっちのが良かったんかもしんないけどさあ、俺的には友達を奪われたから、虚しい」
「そうだったんですか、」
「って、初対面で何言ってんだろうね。ふふっ、えっと、まずは名前!俺は京一郎って言うんだあ」
「僕は、スレイです、、」
彼は恥ずかしげにそういうから、またおもしろくなっちゃって、
「あ、偽名じゃん」
「え、」
「それってさあ、"殺害する"って意味のスレイ?君って殺し屋??」
と質問攻めしてみた。
「ち、違います……!ごめんなさい!!」
「別に謝って欲しいんじゃないって〜!ただぁ、どんなお仕事してるのか、ちょーっと気になっちゃって!」
俺は目を輝かせて、彼の口から発せられる言葉を待った。
「僕は、ただの運び屋です。中身の分からないものを指定の場所に運ぶのが、僕の仕事です」
「何でそんな怪しい仕事やろうと思ったの?」
「歩合制なんですが、時給換算で五千円超えることも少なくなくて……」
「え!いいなあ!!俺もやろっかな〜??」
「でも僕は運がいいだけかもしれないんですが、噂によるともし捕まったら、その分で出た損失を組織に払わないと、臓器を売られるらしくて……」
彼の表情が曇っていく。
「へえ、惨いことすんね。じゃあ、何で辞めないの?」
「僕は大学の学費を払わないとで。あと少しでこの生活も終われそうなんですよ」
「そっか。ちゃんと辞めれるの?その組織とやらは」
「はい!過去にも組織をやめて、真っ当に社会人として生きている人の例があるので、そこは安心です!やってることは犯罪ですけど、そうでもしないと貧乏人は這い上がれないんです」
「んーーー、ちょっと電話していい?」
「あ、はい!どうぞ!」
彼の話が全て本当ならば、良いも悪いもわからなくなってきた。薬を必要としている身からしたら、運び屋が持ってきてくれるのはありがたいし、その運び屋だって、自己実現のための一時的な資金調達源ならば、なんかもう応援したくなってきた。
「ルイ、煙草ありがと」
「うん!京ちゃん、元気なったか?」
「それなりにね。でさあ、いまミュールの子と話してんだけど、」
「What?」
「組織ってゆうのはそう簡単に辞められるもんなんか?」
「えーと、話が見えんのやけど、」
「だからあ、ミュールがいるところの組織があんじゃん?そこのミュールが辞めるとしたら、何もなしに組織は手放してくれんのかって聞いてんのよ」
「結論から言うと、俺じゃわっかんね!」
「はあ?」
「だってご存知の通り、俺はただの薬屋だよ?京ちゃんの言うとる組織ってのは、俺のお得意さん。その内部事情を薬屋の俺が知っとるわけないやん」
「あーーー、せやね」
「でもなあ京ちゃん、上手い話には裏があんねん。その組織に入ろうなんて馬鹿な真似しよったら、京ちゃんのこと俺の手で腐らせてしまうかもしれんわ」
「おっかな!」
「じゃ、無事に煙草が届いて良かったよ」
切られてしまった。部屋に戻ると、
「ミズキさんですか?」
と彼は尋ねてきた。
「ん?」
「これ!読み方ミズキさん、ですよね?」
とバーコード決済アプリの受け取り画面を見せてきた。そこには「瑞」という表示。げっ、アイツ、十五万もこの子に渡してんのかよ。
「あーーー、合ってる合ってるこいつこいつ」
「直接、上の方とやりとりなんかしたことないから、震えましたよ」
組織を通さないで個人に依頼することによって、報酬を多くしたのか。アイツらしい。
「こいつ、君の組織の人間じゃないよ。ただの取引先だってさ」
「あ、そうだったんですね!……ん?僕も電話だ」
と電話に出てから、ずっと一方的に話を聞いている彼。なんだか、その表情は暗そうだ。
「僕はただ、おつかいを頼まれただけで、そういった苦情とかは一切なくて、」
「報酬は?」
と聞かれて彼が素直に答えようとした瞬間、俺は彼からスマホを奪って、
「一万円です」
と嘘をついた。
「なんで嘘つくんですか?」
小声で怒られた。彼はちょっぴり不安そうだ。
「你好, 我是瑞的好朋友京一郎。」
とルイから遠い昔に教わった中国語を適当に並べて自己紹介。ジンイーランで京一郎だった気がする。「おい、誰か中国語話せるか!?」って受話器越しに聞こえてくるけど、中国語話せるやつが来ても俺が困る。
「日本語で構いませんよ。この度は私達がご迷惑おかけしたようで、申し訳ございません」
「ご迷惑だなんて!とんでもない!!」
「ふふっ、そう言っていただけて嬉しいです。それはそうと、運び屋の彼は優秀ですね。煙草を大量に買ってきてくれましたよ」
「うちの者がお役に立てたようで何よりです!」
「彼のことを俺はとっても気に入ったから、酷い目に合わせたらタダじゃ済まないよ?例えば、彼が組織を辞めたい等と言っても、暴行脅迫拘束等の彼に危害が加わる行為を一切禁ずるとかね?ただ彼がステップアップするのを邪魔せずに、気持ちよく辞めさせて欲しいなあ、って」
「……かしこまりました」
「そう言ってくださると思いました。ほんと良い組織ですね。これからもよろしくお願いいたしますね」
「こちらこそ、これからもどうぞご贔屓に」
ブチッ、と電話を切った瞬間、笑いがこぼれてきた。
「ふっ、あははっ!俺なんかそこら辺の社会のゴミなのに、あーんなペコペコしちゃって、気持ちいいわあ」
「何で、僕のことを、そんなに……?」
「俺はさあ、学費すら払えてないくせに留年もしちゃってーって感じだから、お前がかっけぇのよ。まあ、お金稼ぐ方法としては、そりゃ褒められたやり方じゃないよ?だとしても、その努力は褒めるに値するんじゃねーの?」
ただ俺は気持ちよく煙草が吸えればいい。お節介でもありがた迷惑でも、俺が自己満足できればそれでいいんだ。
「京一郎さん……僕、アサヒって言います。朝に太陽の陽で朝陽です!」
そう教えてくれた彼の表情は堂々としてて明るかった。
「ふふっ、そんな明るい名前だったんだね。いい名前だ」
「そんなでもないですよ。僕のうち、母子家庭だったんです。その上、母親はいつ帰ってくるかわからない人で、僕は冷蔵庫の余り物やそこら辺のスーパーで盗んだものを食べて、僕は生きてきました。そんな母親が付けた名ですから……ごめんなさい、愚痴っちゃって」
「ううん、君は一人でよく頑張ったよ。誰にも頼らずにここまでよく頑張った。一人はつらいよね。俺も痛いほどよくわかるから」
俺は朝陽を抱きしめて、その頭を撫でた。でも俺なんかが彼の苦痛をわかったフリするのは烏滸がましくて、俺には彼を救えなくて、ただ慰めの言葉だけを体裁よく吐いているだけだ。
「京一郎さん、僕、なんだか胸が痛いです。病気でしょうか?」
「ふふっ、可愛いね。ほら、泣いていいよ」
と撫でると声をあげて泣きじゃくってて、普段はあんなに真面目なのに赤ちゃんみたいだと思った。
「僕も、もっと、みんなみたいに……ぐすっ、生きたかったあ!!」
「例えば、朝陽はどんなことがしたいの?」
「放課後にファミレスとかでだべったり、誰かの家でゲームしたり、恋人をつくってデートしたり、僕にも普通の幸福が欲しいよ……何で僕だけ……」
「じゃあさ、しようよ!ゲーム!!」
「え?」
「俺には朝陽の抱える問題すべては解決できない。けど、朝陽と一緒にゲームをするくらいなら俺にもできるよ」
「何するんですか?」
「とりま、その泣きじゃくった顔、何とかしようか」




