自己決定権を棄権せよ
合唱コン前日。僕の声はみんなの声と同じように重なって、ひとまとまりのものになった。その巨大な一体感に歌いながら密かに震えていた。リハ、体育館、ステージに置かれた階段の3列目。このまま立ちくらみで後ろに倒れ込んでしまってもいいくらい、喉を絞った。息は苦しいはずなのに、幸せだった。指揮者の握りこぶし。あやつり人形だった僕は糸を切られたように、落ちた。
「青柳!!」「青柳くん!!」
手指が冷たい。唇が震える。……寒い。
一眠りしてから、耳を澄ますと「遠き山に日は落ちて」のメロディが流れている。夕方のチャイムだ。帰らなきゃ、京一さんが待ってる。
「あ、起きた」
僕が慌てて上半身をガバッと起き上がらせると、すぐ近くにいた高橋が小声で実況中継。「おはよ」って。
「おおおはよう、高橋はど、どど、どうしてここに?」
呂律が回らない。僕は自分の右頬を叩いた。パチン、痛い、夢じゃない。
「青柳がいきなり倒れたから?いや、まじでビビったわぁ。何処も痛くない?」
「痛くないよ。ありがとう。真城さんは?」
いまさっき叩いた頬は痛いけど、高橋の優しさに包まれて、何ともない。それよりも、いつも彼の隣りにいる彼女のことが気になった。
「アリス?んー、帰ったんじゃない?」
ぼやっと答えられた。
「え!?ごめんっ!!僕のせいで……」
「何が?」
「真城さんと高橋はいつも一緒に登下校してるじゃん」
「ああいや、アリスに頼まれたんだよ。『学級委員でしょ?』って」
「へえ。ん?真城さんとの約束、守らなくていいの?」
「え、守ってるけど?」
お互いの背後に宇宙猫がチラつく。何を言っているんだコイツは、と。
「真城さんに"一緒に登下校するように"と頼まれたんでしょ?僕に構ってる暇ないんじゃない?」
「あははっ、そんなんじゃないって!俺は"青柳のそばにいてやれ"って頼まれたんだよ。目覚めた時に一人は心細いでしょ?」
「え〜〜っ♡♡」
僕がキャパオーバーの優しさに身悶えして、掛け布団に猫パンチして、くねくねと揺れていると
「ふふっ、何?」
ってその歪みを笑ってくれた。
「カズくん、優しいね」
「カズくん呼びやめろ、アリスにも許可した覚えないぞ」
僕には今まで列記として友達と呼べる関係の人がいないように思えていたから、また友達として一緒にいられるんじゃないかって微かな希望を抱いて、頬を緩ませていた。
湊から手作りの合唱コンの招待状をもらった。きっと澪さんが行くだろうから、俺がどの面下げて行けばいいのか究極に分からない。でも湊からは
「京一さんに絶対に聞いて欲しいんです!!」
と熱烈に猛アピールされてしまったので、行かざるを得ない気もしている。湊はそれを渡し終えるとすぐに自宅へと帰ってしまった。俺を追いかけて朝帰りしたあの日から、澪さんに毎日そりゃあもう毎日、口煩く口酸っぱく言われてんだ。分かっていても、心の猛犬は文句しか吠えないから煩いね。招待状にはお手本通りに明朝体で書かれた筆ペンの字。謳い文句には、あの頃のしょっぱくもあまーい思い出。と書かれていた。スイカにかけた塩のような思い出を脳内で探ってみたが、よく分からなかった。その前に、俺は記憶障害を発症した。湊との思い出がカレンダーに書かれた文字のようにしか思い出せなくて、楽しかったとか苦しかったとかその時の感情が思い出せないんだ。記憶の容量が狭まって、馬鹿になって、生きやすくなったのに伴って、大切なものを失ったということも理解できずに死んでいく。そのようになっていく気がして、この思い出だけは絶対に思い出してみせて、泣きたい。馬鹿になりたいとは望んだけど、実際に馬鹿になっていくのは、湊を失ってくのと同義で怖いよ。
「澪さん、どうかお願いです!!湊との交際を許してください!!!」
玄関前、土足エリア、誰かの足跡の上に額を擦り付けた。なんなら、足跡の下敷きにでもなってやる。俺は湊とは釣り合わない。そんなのは分かっているから、クソだって食らってやるよ。
「お願いだから、湊のことを考えて。あの子は、貴方のためなら心臓だって差し出すわ。だから……ごめんなさい」
澪さんは細く開けた玄関ドアから蔑むような目で俺を見下して、早急にそのドアを閉めようとする。指四本、その隙間にねじ込んだ。
「湊が精神不安定なのは知ってます。俺が傷付けてるってのも分かってます。でも、俺だって、湊のことを死ぬほど愛してます。愛さずにはいられないんです」
慣れないスーツにワックスで髪の毛固めて、アクセサリー全部外して、生身の俺で澪さんに直談判。
「その愛情が湊を苦しめているのよ!??貴方が精神異常で依存的だから、貴方が言う、軽々しい『死にたい』って言葉で、あの子は自分の腕を切り付けるわ。死にたいなら貴方一人でお好きにどうぞ。もう、貴方の顔なんか見たくもない。心底嫌なのよ、私はあの子を失うのが」
女優の真骨頂の感情のハンマーで殴られて、骨が震えた。醜く泣いた。顔なんてあげられもしない、この惨めさは形容しがたい。ブロブフィッシュですら、この惨状の俺を「醜い」と言うだろう。
「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい、ごめんなさい……」
もう死んだ方がいい、死ね。この高層マンションから飛び降りろ。死ね。お前の人生、お前の恋人、手に余るどころか身に余るものばかり。借金返済にその破裂した臓器売り捌け。小銭くらいは稼げんだろ。ああ、もうめんどくせぇ。人様にはお前の土下座なんてくだらねぇコンテンツを視聴している寸暇なんてねぇんだから、さっさと涙拭いて、玄関を掃除しろ。そして次いでにお前の身も。
「京一郎くん……貴方がもっとまともな人間だったら、良かった」
バタンとドアが閉まった。床に落ちた俺の体液をスーツの裾で拭いて、こぼれて、また拭いて……無意味な掃除を一時間ほど繰り返して、もぬけの殻となった俺は、家に帰ってから包丁で手首を切った。過呼吸で死んでしまえれば良かったのに、酸素を吸ってしまっている自分の爪の甘さが嫌になる。湊の爪の垢を煎じて飲みたい。
「湊のことを死ぬほど愛してます」
その言葉、その京一さんの声、僕の部屋まで聴こえてきた。僕は家庭教師の長嶋さんの授業を受けていたが、僕の耳は京一さんのこととなると地獄耳を発揮するみたいだ。幻聴かな?それでもいいや。
「僕も愛してます。大好きですよ♡♡」
と机にへばりついて、京一さんへの愛を語った。その僕の奇行の理由を独自解釈した彼は、
「ああ、僕もだよ」
と嘘をついたので笑ってしまった。
「ふふっ、僕の彼氏が近くにいるんですよ。僕のこと『死ぬほど愛してる』って♡♡」
「え、本当に!?」
僕は勉強用に使っているタブレットのスレッドを弾き飛ばすと、自宅の監視カメラ映像が見られるアプリに切り替えた。京一さんが玄関前で土下座している。それが愛おしくて何枚もスクショした。ママ、そんな酷いこと京一さんに言わないで。京一さん、泣いちゃってるよ。
「あはっ、情けねぇクソ。湊、ごめんね……こんな俺で。でも、こんな俺でも、愛してくれて……ありがとう……。はあ……ううっ、あああ……っはあ、ああ、はあはあはあ、あはは……まだ死ねねえ、死ぬなバカ」
泣き喚いて酸素不足で苦しそうだ。今すぐに僕が助けないと。部屋から出て、玄関に向かうと、ママに止められた。
「湊、授業はどうしたの?」
「いや、えっと、その……お菓子!!糖分が、足りてなくて、あ、ああ、頭が回らないの。買ってくる!!」
「大丈夫よ、冷蔵庫に貴方の好きなアイスが入ってるわ」
背中を支えられ、キッチンまで連れ戻されて、アイスを持たされると、部屋までしっかりと入るところまで確認された。
「先生、アイス食べますか?」
僕は椅子に深々と座るとため息をついて、先生に好物のアイスを差し出した。
「大丈夫だよ、湊くんが食べて」
「小さい頃はアイスなんか、月に一度しか食べられなくて、どんなに気持ちが落ち込んでいる時でも、このアイスがあれば、それだけで幸せになれました。でも今はもう、鈍感になったんでしょうね。こんなにも大好きなアイスなのに、あの人が苦しんでいると思うと、酷く不味く感じてしまいます」
僕はその甘ったるさに反吐が出てしまって、己の愚弄さに涙が出てきた。おそらく、あの人と苦汁を飲んでいる方が美味く感じるのだろう。
本番一時間前。各クラス最終調整をする。数回歌って、喉を慣らして、身体を温めて。担任が「お前らならいけるぞ!」って僕達を鼓舞する。でも僕は上手さとか順位とかはどうでも良くて、ただこの歌を、僕のこの歌声を、京一さんに届けたい。貴方のために一生懸命頑張ってきた。その頑張りを褒めて欲しいわけじゃないけど、この歌声で貴方の心を震わせられれば良いな、って傲慢すぎるか。来るかどうかも分からないのに。客席に貴方を見つけられずに、声が出なくなったらそれこそ最悪だ。僕が貴方をみつけられなくとも、何処かで貴方は僕の歌声を聴いてくれるはずだから、僕にできることは今日の本番、僕が持てる最高の歌声を披露するのみだ。
「青柳くん、大丈夫?まだ体調悪い??」
朝練終了後、ピアノ奏者の木村さんが教室に戻る途中で話しかけてくれた。昨日、大袈裟に最後列でぶっ倒れたから心配してくれてるんだろう。今日は考慮されて立ち位置が真ん中の列になった。
「ううん、大丈夫だよ。昨日は寝不足だっただけで、今日はよく寝てきたから」
「でも、いつもより声が伸びてない気がする」
絶対音感、声の聞き分けのレベルが尋常じゃない。
「あはは、やっぱ、すごい緊張してる。さっきから楽譜を持つ手の震えが止まらないんだよね」
薄々と自覚はしていた。声を伸ばそうとすると緊張で震えてきて、自然と喉が閉まっていく。声が出せなくなる。どうすればいいか分からなくて混乱して、もっと出なくなっていく悪循環。
「今日は、その、彼は来てくれるの?」
「誘いはしたんだけど、微妙かな……」
「そっかあ。私もさ、ちっちゃい頃はピアノの発表会ですっごい緊張してたんだよ。大勢の大人の前で、しかも、順位が付けられて、って。だから、失敗するのがすごい怖かった。今までの練習が無駄になるみたいで嫌だった。だけどね、息ができなくなるほど緊張してミスした時、その一つのミスで、その後全部弾けなくなったの。ステージの上で、ただ悔しくて泣いてたの。でもさ、そっちのがよっぽど、格好悪いじゃん!だから何かもう、ちっちゃなミスなんか怖くないんだ。それに、緊張してもしなくてもミスする時はミスするんだから、精神的に楽しい方が良い気がしてきて。要するに、楽しんだもん勝ち??」
彼女は僕よりも緊張を取り扱う先輩だ。僕は京一さんと出会うまで、緊張という感情を味わったことがあまりなかった。不安や恐怖はあった。けれどもそれは緊張とは別物だった。良いところを見せたくて、格好良いと言われたくて、失敗を恐れるあまり緊張するのは、京一さんがいるからだ。失いたくない、ずっと僕のことを好きでいて欲しい、京一さんという大切な存在があるからだ。
「あー、うまく楽しめるかな?」
「青柳くん、私と練習した時のこと思い出してみて。青柳くんならできるよ!」
そうやって背中を押して貰えて、少し緊張の糸が緩んだ。本番直前、会場内で京一さんを見つけることはできなかった。
俺は人生の負け組になるために産まれてきたと言っても過言では無い。母は俺が死にたいと言う度に、早産で生まれた俺に、両親で手を尽くした話を何回もされる。それで、こんなに立派に育って、こんなに大きくなって、頭も良くって運動もできて、あーあ、後遺症もなく良かったね。なんて言われるが、今になって、精神病か発達障害なんじゃないかって怪しんでる。周りが見える分、間近に感じる分、その落ちぶれっぷりに辟易する。
「次は、湊のクラスか」
体育館の裏で穴あいた肺で煙吸って命削って、馬鹿みてぇに苦しい人生にどう蹴りを付けようか悩みながら、そのアナウンスに耳を傾けていた。これだけ聴いたら死のう。湊をよく見えていない視力が落ちた目で探す。いた、たぶんあれだ。歩き方や背格好で遠目から見てもほぼ間違いなく分かる。ピアノの子と指揮者の子がお辞儀をして、曲が始まった。その漣のようなメロディは初めて聴くのに、何処か懐かしさを感じさせて、そういえば、と湊との思い出を連想させた。
「海よ海よ海よ」
と海に対して呼びかけるような歌詞。包み込まれるような大人数の声の塊のハーモニー。大切なもの、あの思い出……あー、やば、まじで泣くとは思ってもなかった。あの頃は湊が俺の傍にいるのが当たり前で、俺のことをずっと気にかけてくれて、可愛くて素敵で天使のような笑顔を向けて、病んで暴言と暴力振るうクソみたいな俺に、恋をしてくれていた。俺は俺のことで精一杯で湊との色恋にかまけている余裕はなくて、生きるか死ぬかの二択で。けど湊はそんな俺に、心地のよい健康的な生活を与えようとしてくれた。俺はこの子のために頑張ろうって、箸を持っては転がしたっけ。情けないな。でもその湊のおかげで、今の俺がある。いつからだろう、感謝のキスが、好きのキスになったのは。
「湊、ありがとう」
と拍手喝采の会場を後にして、帰路に着く。乾燥した冬の空気が涙の水分まで奪ってしまったようで、誰もいない道を何だか一人で笑いながら帰った。
Hi-Diddle-Dee-Dee すてきな稼業
俺の鼻が高いのは、きっと嘘をついているから。湊の鼻が高いのは、誇らしげな功績があるから。俺の耳はロバの耳、俺の腕は薬中の腕。弱みに漬け込もうとする奴、全て漬物石で潰して色付けてやる。真実を言うこと、良心に従うこと、それで、そのがんじがらめで何を見た。正直者は何を見た?黙秘権が何のために作られたのか考えてみろよ。取り調べ室のカツ丼も、どうして生まれたのか考えてみろよ。白鯨に囚われて、人生を棒に振る。善人ぶって見返りを求める悪人は善人面すんなよなぁ、って文句を垂れる自称善人、善行なんてしたことねぇくせに。あっ、こんな季節にまだ残るセミの死体。しゃがみこんで、ひっくり返ったそれ、その六本脚、茶色い身体。舐めるように観察した。お前はまだ生きたかったか、それとも死にたかったか。返事はない。死体損壊罪の蟻達にその亡骸は崩れ去っていく。だから俺は黒光りしている革靴の底でそいつをグシャッとバラバラにした。スナック菓子の咀嚼音と同様の軽い音。あははっ、自分の靴底を汚してまで善いことしたなぁ。
「京一さん、今日聴きに来てくれましたよね?」
僕が帰宅早々、京一さんに詰め寄ってそう言うと、彼はうんうん、って首を縦に振って、良かったよ、って微笑むんだ。その瞬間、全てが報われた。合唱前、みんなと合わせて気楽に歌おうとばかり考えていたけれど、合唱中はやっぱ京一さんのことで頭の中を埋め尽くされて、彼を見つけた時は泣きそうになりながら歌ってしまった。けれど、京一さんに良い思い出だったね、と伝えようと二番のサビは優しく微笑みかけるように歌った。合唱後、僕はよく分からない満足感でいっぱいで、何もないのに手応えを感じて、すごく楽しかったという余韻にただ浸っていた。自分の席に戻る途中、京一さんを探したけど何処にもいなくて、もう帰っちゃったんだと少し寂しさを抱えてたら辺りを見渡すと、ママと目が合った。ママは僕に向かって手を振ると、良かったわよ、と口パクで感想を伝えてくれた。
「あの人が青柳ママ?超絶美人だな」
「ふふっ、そうでしょ?」
だって、僕のママは三上ミオ。今まで授業参観も学校行事も何一つ来てくれなかったのに、最近は僕のことが好きみたいだ。お仕事を減らして、僕と一緒にいる時間を増やしてくれる。それはありがたいんだけど、少々重くて厄介だとも思ってしまう僕は親不孝者。
「あの人の周りだけオーラが違うっていうか、良い意味で目に付くっていうか……」
「ママ可哀想、一線画しちゃってて」
「え?」
「僕達みたいに境界線があやふやじゃないじゃん。いや、ごめん」
「何が?」
「えっと、高橋は僕と一線引いてるのかなって思って、同類にされたくないんじゃないかなってこと」
「確かに青柳は俺より一味も二味も、いや七味くらい違うけど、それが個性じゃん。線引きなんかいらないよ。アリスだって言うと思う『こんな面白い奴と関わらないなんて勿体ない』って」
ニッとイケメンスマイルを見せる彼に、僕は「カズく〜ん♡」と抱きついた。やめろ、って嫌がられた。
貴方が沈黙の中でふと口にした。
「湊、あのパンケーキ美味しかったね」
という過去の記憶。
「あっ、覚えててくれてたんですね!」
「湊が思い出させてくれたんじゃん」
「ふふっ、音楽って素敵ですね。より気持ちのこもったものになる」
って気持ちが浮わ立った僕は貴方の顔を直視できずに、ヘラヘラと笑っていた。この空気感に押し潰されそう。胸が痛む。
「湊、こっち見て」
スっと忍び寄るように僕の頬に手を添えた貴方は、僕から一秒たりとも目を逸らさずにまじまじと僕を見つめる。
「はい?」
その異様な雰囲気に声が上擦る。
「俺達さ、別れよっか」
「へ?」
予想外の角度からカッターで切り付けられて、僕は直接的な痛みを食らってしまった。心の準備ができていないリスカは痛いんだ。サクッと真っ赤に染まる目の前。
「俺が大学卒業して、就職して、一人前の人間になるまで、湊とは付き合わない」
何その潤んだ目、「助けて」って顔。貴方のその自己嫌悪で情けなさそうに苦笑いする顔が僕はものすごく性癖なんだ。
「僕のママですか?また酷いこと言われたんですか?」
「ううん、澪さんじゃなくて俺自身がこのままじゃ、もう湊を苦しめるだけなんだって、やっと認めたんだよ」
震え声で諦めついてなさそうに、僕の腕を掴む。俺、成長したでしょ?って見栄張った笑顔。
「僕は貴方に苦しめられたい痛めつけられたい殺されたい、だからお願い、僕から離れていかないで」
僕は貴方の傍にいられるのなら、何したっても何されたっても構わない。普通の恋愛なんかいらない、誰からも理解されなくていい。貴方と笑っていられるのなら何だっていい。
「湊、大好きだよ。お前ほど俺を愛してくれる奴なんてこの世には存在しない」
その天女のような儚さで、消えてしまう前の別れの挨拶。そんなのいらないから、僕を一発殴って。目を覚まさせてよ。
「ダメダメダメ、絶対に離さない」
僕は彼の折れそうな細い身体を力いっぱいに抱いて、手繰り寄せて、爪を立てた。
「湊、よく聞いて。永遠の別れじゃないよ。俺がマトモな人間になれた時、もし湊がまだ俺のことが好きだったら、その時はまた改めてプロポーズさせてね」
「京一さんこそ、ずっと僕のこと好きでいてくれますか?浮気しませんか?」
「しないよ。絶対に」
その誠実さに気圧されて言葉が詰まった。
「でも、僕、貴方がいないと狂っちゃうよ。貴方を近くに感じていないと、死にたくなっちゃう。京一さんだって、そうじゃないんですか?」
「あははっ、死にたくなるね。でもさ、現状でも死んじゃいたいんだ。だから、お願い」
貴方が色々考えた結果がこれなら、僕はそれに従うまで。僕の気持ちがどうであろうと、これが貴方の考える最善策なんだから。押し殺す。
「……お手紙、ください」
「ふふっ、分かったよ」
「それと週一、いや月一でいいから、会ってくれませんか?」
「うんうん、その時はとびきり優しくするね♡」
京一さんと出会ってから僕のストイックさは無くなって、随分と甘々になってしまった。腕の傷が減ったのも彼のおかげ?傷つけられることもあったけど、きっと彼のおかげだ。死にたがりの僕に生きたいと思わせてくれた貴方のおかげ。
京一さんからお手紙ついた。青柳さんったら、
「湊、貴方宛に何か、紙切れ?」
小さなメモ帳を二つ折りにしたそのお手紙を僕よりも先にママが手にしてしまった。その二つ折りの角度の間から中身を見られてしまったら、終わったはずの僕と京一さんの関係がまた疑われてしまうので、僕はそのお手紙をすぐさまママの手から奪い取ると、
読まずに食べた。仕方がないのでお手紙書ぁいた。
「先程、いただいたお手紙の件なのですが……(さっきの手紙のご用はなあに)」
青柳さんからお手紙ついた。京一さんったら、
わあ、湊から封筒付きで手紙返ってきた。しかも分厚い。気分上がるなあ。よし、一杯だけ飲んでから読むか。と冷蔵庫を開けて、プシュッ。テーブルに缶と手紙を置いたつもりが酔っ払いの手は信用できなくて、缶が倒れてしまった。
「……あーあ、読めねえな」
手紙が水没。勿論、顔面も。黒いインクが滲んで、文字が潰れている。
読めずに泣いた。仕方がないのでお手紙書ぁいた。
「さっきの手紙のご用はなあに」
京一さんからお手紙ついた。青柳さんったら、
「湊、これ何?また紙切れ……」
「ふぁんでもふぁい(何でもない)」
読まずに食べた。仕方がないのでお手紙書ぁいた。
「先程、いただいたお手紙、あの、いただいたって、そういういただいたってことではなくてですね、いただきますの……(さっきの手紙のご用はなあに)」
青柳さんからお手紙ついた。京一さんったら、
「ルイルイさぁ、もうずっとここにいてくれよ。とゆーか、何でまだ仕事してんの?金ならいくらでもあんじゃん。ね?だからさぁ……」
「はあ、その質問これで五回目になんよ?あっ、それより手紙きてんけど、えらい綺麗な字で」
その手紙を受け取ると、すぐさま湊からの手紙だとピンときて、血行が良くなって、酔いが回って、クラクラしてきて、
「ん……おえええ……」
「うげっ、また吐きよった」
呑めずに吐いた。仕方がないのでお手紙書ぁいた。
「さささっ、きの、てがみ、の、ご用は、なあに」
「あははっ、やば!!この震え字は教科書に掲載できんじゃね?」
京一さんからお手紙ついた。青柳さんったら、
「湊、これ」
「ふぁんかふぁっふぁ?(何かあった?)」
読まずに食べた。
「紙を食べるのは流石にやめた方が良いわよ」
というママの真剣な助言。唾液まみれのお手紙はもう読めるものではなくて、それだったらいっそ、僕の体内に入れた方が……
仕方がないのでお手紙書ぁいた。
「さっきの手紙のご用はなあに」
青柳さんからお手紙ついた。京一さんったら、
「……頭痛え。何だこれ、さっきの手紙のご用はなあに、意味わかんねえ」
読めたが馬鹿だ。仕方がないのでお手紙……いや、会いに行こ。
「さっきの手紙のご用はなあに」




