人生の1/8以上を自慰行為に費やしている奴ら
「ちょっと煙草吸ってくるわ」
そうやって少しの暇ができると煙草休憩に入るアルバイトの氷野 京一郎。人生波瀾万丈だが、何とかここまで生きているとゆーか、俺みたいな屑にとっては生き地獄である。いっそ善悪の価値観や道徳心まで失った馬鹿であれば、このように罪悪感に溺れなくて済むのだろうに俺は馬鹿だからか良心を断捨離せずに抱えている。
「氷野さん、最近何かありました?」
「どうして?」
「いや、何だか楽しそうに見えるんで」
「嘘?仕事中なのに??」
「仕事中なのに。途中で鼻歌歌ってたり、迷惑客に嫌な顔せずに接客したり、心境の変化とか何かありました??」
「んーーー、最近、人生がうまくいってるような気がする」
「え??貴方の口からそんな言葉聞けるとは思ってもいませんでした」
俺もそんなこと言うとは思わなかった。それに言い終わってから、全然うまくなんかいってないことに気がついた。ついこの間だって、湊殴って、弟を蹴り殺そうとした。死にたいって気持ちはずっと、何処にいても何をしてても、ずっと付きまとってくる。俺が俺である限り、この罪悪感を一生背負って生きていかなきゃならなくて、最悪の状況だから逆に笑えてきてるんだ。
「浮かれてるんだろうね、湊と良い感じだから」
「そうなんですね」
「もうすぐ捨てられるだろうけど」
「何でまたそうすぐ卑屈になるんですか馬鹿」
「馬鹿は言い過ぎ。でも、本当にそうなんだ。湊は初めからずっと、恋人ごっこがしたい奴だった。お前に何言われても、俺のが湊のことをよく知ってるから、何言っても無駄だよ」
「そうですか、私しか知らない湊くんの本音があるとしても信じないんですね」
「え、何それ聞きたい!!」
「教えるわけないじゃないですかあ、京一さん?」
と湊の声真似をして煽ってきた。いつ練習してたんだそんなの。
「全然似てない、湊のが断然可愛い」
「ひっど!!この男は、本当に……」
「おーい、青柳ぃ、青柳??湊ぉ、湊くーん……ダメだ、めっちゃシカトかましてくる」
「でしょ??スマホで何を見ているのかだけでも知りたいんだけど、ちゃんと保護フィルムまで貼ってるんだよね」
「肩揺らしてみる??」
「すごい集中してるのに可哀想じゃない??」
「みーなーとー」
突如、誰かに肩を後ろから掴まれ揺すられた。バッと現実世界に引き戻された気分だ。スマホを机に置いて、ワイヤレスイヤホンを外した。
「……何?」
「やっと気が付いた。何見てたの??」
言えない、京一さんの写真を見ながら、今まで僕に言ってくれた可愛いオア格好良い台詞集を聞いていた、なんて絶対に言えない。
「ドラマ、今やってる医療系の」
「あー、何かブラックジャックみたいなドラマ??」
「ブラックジャック??カジノゲーム??」
「違う、手塚治虫の漫画。図書室にあるから読んでみなよハマるから」
高橋にそう言われて、眼目さんに頼み込んでその世界に入り込み、イッキ読みしてしまった。面白い!!医者目線から描かれる死生観がとても好きだ。充実した時間を過ごしたとその余韻に浸り、教室へと戻るともう下校の時間だった。
「あっ、やっと青柳くん帰ってきた」
「どーせ、図書室に籠って漫画読んでたんだろ??」
「ふふっ、高橋が勧めてくれたんじゃん。めっちゃ面白かった」
「良かったね。青柳くんってなんて言うんだろう?一点集中型なのかな??」
「後先考えない人間だよな」
「だって、いつ死ぬかも分からない将来に賭けて苦しみ続けるよりも、今に全額ベットして楽しいことをしていたいじゃん?」
京一さんの言葉、僕が格好良いと思う言葉。貴方の思想を僕は信仰します。
「あれ、青柳くんって勉強嫌いだったっけ??」
「好き、頭良くなるの楽しい」
だってその分、僕の価値が高まる気がするから。あの人に近づける気がするから。僕がたくさん勉強することであの人の苦しみを解けるような気がするから。
「ただいまです」
「お帰りなさい」
そうやってあの人が抱きしめてくれる。優しいあの人は、どんな甘い密よりも甘くて美味しい。僕の好きがドロドロのシロップになって溶けだしてしまいそうだ。
「京一さん??」
彼がずっと僕を抱きしめたまま離れない。いつもなら「学校はどう?」とか「今日もお疲れ様」とか「俺さあ……」って話を始めたりするんだけど、今日はそれもなく、ただ無言で僕のことを抱きしめている。彼の呼吸音心拍数体温を感じて、じんわりと「あーーー」って何かが込み上げてくる。
「湊、ごめんね。俺、疲れてて何もできそうにない」
か弱い声、何かに怯えているような声。それを塞ぐようにキスをする。京次郎さんが訪問してきて、それに強がってもてなして、美容院から学校まで行って、さらにあんなことがあったばかりだ。彼が身を削って大切にしていた京次郎さんが帰ってからは、何故か僕に気遣ってくれている。メンタルがやられてるんだろう、バイトも半日に減らしてた。
「京一さん、大丈夫ですよ。泣かないでください」
「だってだって、湊のこと大切にするって、湊にしてもらってばっかじゃダメだって、今までの償いだって……」
「ありがとうございます。僕はずっと京一さんの傍にいるので、京一さんができる時にできる範囲でしてくださると、とっても嬉しいです」
「俺、クズだから、できなかったら??」
やば、少し泣き止んで涙目で聞いてくるの可愛い。
「京一さん、貴方はクズじゃないですよ??やりたいと思ったことはちゃんとやるじゃないですか。それができるのは素晴らしいことだと思います」
言い聞かせるように、柔らかい口調で彼の心の奥にまで届くように、彼の腰の辺りに手を回して撫でた。すると、ガバッと包み込むように抱きしめられて、彼の匂いを彼が生きていることを全身で感じる。
「……湊のこと、絶対に大切にする」
約束を復唱する貴方はとても綺麗だった。脳内まで刻み込まれるその言葉が永遠に耳から離れない。
「ふふっ、プロポーズですか??」
「そこいらのプロポーズなんかよりも、もっとずっと重いものを俺の中で誓うよ。約束する」
結婚には離婚があって、でも結婚のその先はまだ誰も知らない場所で、チャペルのような白い場所でも、神聖な場所でもなく、ここは年季の入った安いアパートの一部屋であり、今の彼の家であり、そこで僕は彼に誓いを立てられた。
「愛してます。僕は貴方を、青柳 湊は氷野 京一郎を、永遠に愛することを、僕も僕自身に誓います」
「そんなん、プロポーズじゃん」
って彼が嬉しそうに笑う。交換する指輪も神父もウエディングドレスもケーキも何もここにはないけれど、僕の人生における一等星になる、そんな素敵な瞬間だった。
「京一さん、晩御飯ができました。一緒にいただきましょう」
布団からもぞもぞと出てきた貴方が席に着いてから、浮かない顔で口を開いた。
「湊ぉ、俺ってさあ、将来のことを考えるのが苦手な人間じゃん??性格診断しても何しても、こっぴどく生きづらいって書かれる性格してんだよ。でも、また、本気で理想を追ってみたいと思う。思うだけじゃダメなんかもしんないけど、理想に幾度となく傷付けられたから、今はすっごく恐ろしくて怖いけど、湊が慰めてくれんなら、また頑張ることができる、気がして、何てゆーか、」
「僕が貴方と一生を添い遂げれば良いんじゃないですか?僕、貴方に言われた好きな言葉があるんです。『一人じゃないから、一人にしないで、最期は一緒に笑おうね』って」
「最期は一緒に死のうねじゃなくて??」
「あははっ、そうだったかもしれません!」
大袈裟に笑っては死を覆い隠した。
「……ごめんね、俺が不甲斐ないばかりに」
「いいえ、それが僕の最大級の幸福なんです」
そうやって僕が貴方にキスをすると貴方の表情は晴れやかになって、とても嬉しかった。僕が貴方に作用することで貴方に良い影響があるというのは、僕が生きている意味があると自分自身に思える。さあ、食べよって、以前に比べて色んな種類の食べ物をたくさん食べてくれるようになった京一さん、大好き。少しずつだけど体重も増えて健康的になっていく貴方は増加傾向で魅力的だ。
家に帰ってくると僕の父親がいた。とても陽気な父なので、笑顔が絶えない家庭だ。そこで話題に出たのが僕の将来についての話。僕のママは僕の自由に選択していいと言いつつも、僕が頭の良い高校に進学することを望んでいるし、僕の父親は僕が役者になることを切望している。
「今どきの若いもんは、お顔が良けりゃあ何でも良い。俺がお前を選んだのは、そのためだ。幼い頃はまだ世間も礼儀も感情も分からなかっただろ??けれど、今の青柳 湊は良い。恋愛を知って、感情があって、見るものに何かを訴えかける力がある」
「そんな絶賛していただいても困りますよ」
「だから、湊は役者になるべきだ!!!」
また始まった。僕の意見を完全にシカトした役者への強制勧誘だ。
「でも、僕は……」
「もっと笑って喜べ!今日なあ、事務所でレッスンを受けさせていいかって聞いたら、是非ともってみんなに歓迎されたんだよ。だから明日、学校終わりに来い。約束だ」
「ふふっ、分かりました」
はっきりと嫌がることができない。しっかりと断ることができない。安請け合いして自滅していく人生、やめたい。
「京一さん、今日の放課後、ここに寄れなくなりました」
自分の好きなことを切って相手に合わせて、そのいい加減さからその弱さから、自分の好きなものにも逃げられていくんだろうか。この報告をしなければならないのがツケが回ってきたかのように一番つらい。
「どうして?何か用事できたの?」
きゅるんとした瞳のたいそう可愛らしい彼が寂しさを隠して尋ねてきた。僕だって本当は貴方とイチャイチャしてたいですよって言お。
「隆文さんに役者にならないかとずっと勧誘をされてまして、それで今日の放課後、レッスンを一回だけ受けることになったんです」
「へえ、良かったじゃん」
「え、応援してくれるんですか?」
予想外にも引き止められずに応援されてしまったので、京一さんにデレる暇がなくなった。優しさは受け取るが、くやし。
「もちろん、湊がやりたいことなら俺は応援するよ」
「そうですか」
「それに、こんなところで人生の1/8以上を自慰行為に費やしてるくらいなら、その時間使って能力高めて、他の誰よりも幸福に、覚めない快楽に浸って欲しいからね」
人生の1/8、1日3時間、平凡な幸福、一瞬の快楽。
「酷い言われようですね、僕」
「そう言われるようなことしてきただろ」
「その時間だって、僕には大切なんですよ?」
京一さんが僕の目の前にいることが、京一さんと一緒にいられることが、僕にとっては奇跡なのに、将来の夢のために費やす時間のが無駄に感じるほど、貴方は僕の理想であるのに。
「俺の寝顔見てシコるのがあ??」
「だって京一さん、可愛いじゃないですかあ」
「その熱量を何とかうまい具合に生かせたらなあ」
「僕を金儲けの道具にしますか?」
「は?そーゆうん話じゃないんだけど、湊のそのマスタべーションに対するモチベーションを少しは将来のために使って欲しいって言ってんの」
「は?何ですか?将来なんてあってないようなもんじゃないですか」
「あははっ、ごめん。俺が言うにはナンセンスにも程があるね」
って貴方が虚しく笑うから僕はまた貴方に恋してキスしてしまう。その繰り返し。
「違う、全然違う!!!君は激怒というものを知らないの??」
レッスン場で練習生と共にレッスンを受ける。青柳 湊という変なゼッケンも渡された。講師の人はキツめの女の人で、みんなその人の指示に従って演技をして、演技をする。レッスンを開始してから一時間半、感情が高ぶってきたのか、疲れが溜まってきたのか、さらに度を増して激を飛ばしてくる。
「っざけんなクソ、正義と称してエゴを怒鳴って、他人をコントロールすることで優越感に浸っている馬鹿、みんな死ね!!!みんなみんな、他人の精神を破壊して、愉悦を感じるクズばっか!!何で俺はそんな奴らの顔色伺って、おしゃぶりを失くした大きな赤ちゃんの面倒見ねえといけねえんだ訳分かんねえな。使えねえのはお前の方だよ、バーカ」
と京一さんが散々壁に向かって会話していたのを思い出した。これが、激怒(?)なのか?試しに京一さんを真似て
「っざけんなクソ……」
と言ってみた。場の空気が凍りつくのを感じた。また僕は、間違いを犯してしまったのだろうか。
「は?もっと言ってみなよ」
挑発的にその講師の人が手招きをしている。京一さんならばこの状況でどう表現するか、激怒している京一さん、京一さん、京一さん、
「っざけんなクソ、ざっけんなクソ!!ふざけんなクソ!!ふざけんな、クソ……クソ野郎……」
ダメだ。僕には怒りよりも先に諦めと悲しみが訪れてきてしまう。京一さんを真似た怒りの感情はすぐに消えた。
「……ぷふっ、そうゆう"もっと言ってみろ"じゃないんだけど」
講師の方が凍りついた空気を割って、笑い始めた。
「どうゆうことですか??」
「だからあ、もっと違う言葉で続けて欲しかったんだよ。できる??」
「やってみます。すう、はああ……っざけんなクソ、まじでウザってえな。馬鹿がとやかくうるさく言ってくんなよお前の論点視点全部ズレてて話になんねえから、お前はノイズ、うるせえただの害虫、文句あんなら同じ次元に立ってから言えよゴキブリ野郎が、ゴキジェットすんぞ」
やばい、丸パクリしてしまった。これ結構好きな方の罵倒集の一つだから丸暗記してた。この罵倒はまじで可愛い。最後のゴキジェットすんぞ、は萌え要素でしかないし、言われたいし、僕がゴキブリなら京一さんにゴキジェットされたい。
「あははっ、何それ?実体験の話??」
「あ、いえ、これは、見聞きしただけなので……」
「何処で??」
僕の彼氏がコンビニで迷惑客が帰った後に怒鳴ってたなんて得意げに話したら、僕が考えなしに丸暗記した台詞を京一さんの似ても似つかない真似をしながら披露したことがバレてしまう。ここで一番嫌なのは、京一さんの真似を低クオリティでしてしまったことがバレるのが恥ずかしい。京一さん、もっと格好良い……。
「コンビニ、とか?」
「へえ、まあ良いわ。及第点ね」
及第点、最低限の合格ラインか。その後は他の人の演技を見て、何処が良い何処が悪いを選別して、自分の中で吸収していった。僕はスポンジ、僕はスポンジ、僕はスポンジボブ……。次は泣く演技、得意。
「くっ……ううっ……」
「ほう、思ったより上手いじゃない!!」
「ふふっ、ありがとうございます」
初めてマトモに褒められた。嬉しい嬉しいと脳内で小さい僕が小躍りをした。
「貴方、湊くん、何処かで演技は習ってたの??」
「幼少期に少しだけ、ドラマに出させて頂いたことがあります」
この人は僕が青柳 隆文、いや新田 徹さんの息子で勧誘されてきたことを一切知らない。何なら興味のある子以外の名前を覚えないあたり、親近感が湧く。
「今は?」
「やってないです」
「何故?」
「何故、んー??幼い頃は社会も人間もあまり知らなかったから、ドラマに出演させてもらっても、何させられてるのかよく分からなくて、笑っちゃったんです。人間の感情が全部バラバラだったのが、その時は可笑しくって。だから、やらなくなりました」
「じゃあ、貴方は今でも演者を笑う!?」
掴みかかってきそうな勢いで、鬼の形相で僕に近づいて迫ってきた。僕は恐れを生して一歩二歩と後退りをした。だけど、これだけははっきりと言った。
「笑わないと思います」
「どうして?」
「感情というのは引き出すものだと知ったからです」
「ふん、半人前がよく言うわね」
と鼻で笑われながら言われて踵を返された。彼女はまた他の子の指導に入る。感情は、引き出すもの。京一さんの痛みや苦しみも僕が引き出して、受け止めてみたい。京一さんの喜びや楽しみも僕が引き出して、分かち合いたい。それを僕は彼から教わった。
僕がリスカをすると彼は決まって、消毒をして絆創膏を貼ってくれるんだ。「痛かった?」って聞いて、「本当は、湊が痛い思いをする必要ないよ」と少し悲しむ。だから「痛くないです」と答えると、優しく抱きしめてくれる。その温かさで建前が崩れ本音が溶けだして、「つらいです」とか「苦しいです」とか、貴方に向かって貴方が自己嫌悪しそうな原因を僕が言って作ってしまうんだ。それでも貴方は、「ごめんね」って、「俺がちゃんとするね」って、撫でてくれて僕から離れないでいてくれる。それが僕にとっては最高の救済だ。
「映画もドラマも演劇も、エンターテインメントは心の救済だ。視聴者の心を掴んで、感情を揺さぶれ。苦しみを解き放ち、喜びを分かち合え。そのために君たちは、誰よりもその世界の住人にならなければならない。だから君たちは、何者にもならなくていい。己の感情さえも売り捌き、誰かに憑依しようとするのが演者という生き物だ」
最後に講師の方から言われた言葉が耳から離れない。何者にもならなくていい。自分が何者か、様々なレッテルを貼られてきた僕には自分というものはなくて、客観的に見られた僕が僕であると思っていた。だからその人に合わせた僕を演じて、僕という本物はきっと何処かへと消えてしまっているんじゃないかと考えていた。でも京一さんといると僕は、何者かにはなれないけれど、僕が居心地良い僕でいられると実感している。
「ただいまです、遅くなりました」
京一さんがエプロン姿で駆け寄って、ぎゅっとしてくれた。やば、最高に可愛いんだが。
「お帰り、どうだった?」
「楽しかったです、けど、やはり難しいですね」
「そっか、初めはみんな初心者だよ。湊が楽しかったならそれが何よりだから」
と僕の両手を掴んで、繋がっているような支えられている感覚を貴方は与えてくれる。貴方の言葉なら僕はすんなりと受け入れる。
「応援してくれてるんですね」
「もちろん!とゆーことで、今日は親子丼作ったんだけど、食べる?」
「いただきます、大好きです」
「ふふっ、大好きのバーゲンセールだね」
貴方は僕の愛情を特別価格だったとしても買ってくれますか?貴方が作ってくれた親子丼はとってもホカホカで美味しくて、ありがたみと幸せをいっぺんに感じた。
「湊、何で役者になりたいの??」
最近ずっと俺よりもレッスンを優先して、帰ってくるのは夜遅く、疲れて帰ってくるからイチャイチャもできない。それが中学生の正しい在り方だと言われればそれもそうなのだが、俺はそこまで湊が演技の世界に熱中するとは思わなかったから少し侘しい。
「僕はエンターテインメントを通じて、たくさんの人達の心のお医者さんになりたいからです」
面接みてえ。吹き込まれたのか?、馬鹿、そんな後暗いこと思って勘ぐってては湊のこと純粋に応援できねえじゃん。
「心療内科の医者じゃなくて?」
「んー、本物のお医者さんにも憧れてるんですけど……医学部って相当難しいらしいですねっ!僕、何にも知らないのにそんなこと言いまくって、すごい、恥ずかしい……」
要は、医者になるよりも役者のがハードル低そうだから医者は諦めたと、はあ??
「お前、役者舐めてんの??」
「え、」
「俺が言えるこっちゃねえけど、役者になりたくてもなれない奴なんてたくさんいる。医者になりたくてもなれない奴もごまんといる。だからこそ、そんな軽々しく夢を語られると叶えられると、殺したくなるくらい憎いんだよ……。湊はその想いを背負う覚悟があるのか?それに報いるほど努力できるのか?ごめんな、こんなの烏滸がましいにもほどがあるがよぉ、俺はそんなお前が気に食わねえから」
「……舐めてなんかいません、本気でなりたいと思ってます。すいません、僕の言い方が悪かったですね。僕は役者も医者も両方とも目指しています。それで成功しようなんて思ってもいません。ただ、僕のやりたいことをやってみようとしているだけです。僕が夢を語るなんて、まだ時期尚早じゃないですか」
やりたいことをやってみようとしているだけ。やりたいことをやる、理想、夢を叶える。それに他人がどうこうなんて、初っ端から関係ない。俺の妬みや恨みも夢追い人には関係ねえんだ。くだらないことばっか、言っちまう。死にてえ。
「ごめん、湊の夢を軽々しいとか見くびって貶して、湊は夢のために努力してんのに、悪いのは夢ばっか見て努力もせずに周囲に当たる俺だから、本当にごめん、ごめんなさい……」
「京一さんの境遇は僕が一番よく分かります。努力したくてもできない、頑張らないんじゃなくて、頑張れないほど苦しいってのが、僕にはよく分かりますから、謝らないでください。僕は頑張れるだけ恵まれてるんです」
「……ごめんね」
ただただ自分が恥ずかしかった。やりたくてもできないことなんか今まで山ほどあった。口にしたらキリがないから口にしなかっただけ。できなかった時に口だけの奴だと罵られるのが怖かっただけ。散々諦めた。思い通りにまったくいかない人生。だから今はただ、好きな子にドロドロに甘やかして欲しい。
「俺さあ、たぶん人間嫌いなんだよね。都合の良い時は褒めてくるくせに悪くなった途端すぐ悪く言うしさ。俺が『はいはい』言ってる時はみんなニコニコ、ニコニコしてさあ、俺が『はあ?』って言った途端俺のいない所で陰口のオンパレードじゃん。まじで嫌い」
「私もその人間ですけど。今日はどうしたんですか?」
俺のことを分かってもらいたくて頑張って紡いだ言葉も他人を攻撃するだけのただの罵声と受け取られて胸が痛くなった。俺は他人にうまく甘える術を知らないんだ。構ってもらえるのは良い子にしている時じゃなくて、怒鳴って泣き叫んで相手の都合の悪いことを言った時だったから。湊みたいに俺をよく知ってて、全てを受け入れてくれるんだったらバブでも何でもなれるけど。
「あの、男の先輩いるじゃん。パッとしないの」
「あー、橋下さん?」
「そう、それがさあ、休憩室で何か氷野は給料泥棒だの、女の子にしか優しくしないだの、どうこうウダウダ言ってて、何かかなり嫌われてるんだよ。俺、何もしてないよな?」
「いやあ、存在自体が気に食わないとかよくありますからね」
「ああ"?死ねっつってんの??」
「ほら、そうゆうとこ。元ヤンって噂されてますよ」
「まじ?最ッ悪なんだけど。てゆーか、俺だってちゃんと働いてるし、男の子にも優しいですしぃ」
「じゃあ、気にする必要ないですね」
と話が完結に向かっていったので、また話を始めからループさせた。
「いや、そうゆうことじゃないんだよ」
なんて、わざとらしく。
「ふふっ、何なんですか?」
「だからあ、その、あかりが何とかして、氷野ってゆう奴はこれこれこうで、とっても良い奴なんすよって、入れ知恵してきて」
「何でわざわざアタシがあ、自分ってやってくればいいじゃないっすか!」
「自分で言ったらそれこそ胡散臭すぎるだろ?!」
「そもそもあの人、ただ氷野さんに嫉妬してるだけですから、気にしなくていいと思いますけど」
「はあ?嫉妬??何処を??」
「氷野さんってやっぱ、人たらしじゃないですかあ。それに、何か変なところで男気があったり弱気になったりで面白いんですよね〜」
「俺を面白がるなよ、ふざけてもねえのに」
「あはっ、でもアレ、美優ちゃんのキモ客の件で結構株上がったりしましたよ」
「え、何だっけ?」
「覚えてないんですか!?ずーっとレジ占領して美優ちゃんと会話しようと次から次へとマシンガントークしてきたキモ客。氷野さん、『構って欲しけりゃ金払って風俗行け』って一刀両断してたじゃん!」
何それ、すげえ特大ブーメランしてんじゃねえの??
「まじかあ、そんなこと言ってたかあ。やべえ、真面目に対応してたはずだったのに……」
「でも、氷野さん来てから明らかに変な客は減りましたね」
「変な客よりも変な店員がいるからか??」
「あははっ、めっちゃ言えてます」
「まじそれは貶してるって」
「自分で言ったんじゃん!!」
「あははっ、俺はとっても健全でマトモな人間ですけどぉ??」
「何処がですかっ!!」
とケツに軽く蹴りを入れられた。
「あの、氷野さんってあかり先輩と付き合ってるんですか?」
休憩室で先に休憩していた女の子にそんなことを話しかけられて、それを面白く思った俺は、
「えーーー、ねーねー、あかりぃ」
とやけににやにやしながら頬杖ついて休憩室から仕事をしている彼女を呼んだ。
「何ですか?今忙しいんですけど」
「あー、わかった。じゃあ俺がこれやっとくから、彼女からの質問答えてやってよ」
「京一郎さん休憩中じゃないですか。そんな急ぎの内容ですか?」
「ふふん、そんなのは良いから答えてやって!」
と彼女の背中を押して、仕事の肩代わりをしながら休憩室の方に聞き耳を立てる。
「いや別に、そんな大したことじゃないんですけど、氷野さんとあかり先輩ってその……付き合ってるんですか??」
「え……、は??そんなわけないじゃん!!あーだからあの人、私のこと揶揄ってめっちゃ笑ってたんだ。仕事も笑顔で代わってくれたし。私はもっと可愛くて癒してくれるような人がタイプなのっ!!」
「そうなんですか、氷野さんと仲良さげに見えたんで、てっきり。それであの、氷野さんの好きなタイプって、知ってたりしますか??」
「好きなタイプってそれって……」
それって、ほぼ氷野 京一郎が好きじゃん。(調子乗りすぎ)
「ねえ、あかりぃ。疲れたぁ、代わって??」
答えづらそうにしているところ、逃げ道を作った。
「あっ、それじゃあ、私が代わりますよ。休憩もうすぐ終わりなんで」
でも、あかりじゃない方が立ち上がった。
「まじ?すげー助かる。ありがと」
とすれ違いざまに頭をぽんぽんと軽く撫でると、彼女は目を丸くしてこちらを少し振り返った。頬を赤く染めながら。
「あ、もう、湊くんに言っちゃお〜!」
あかりが目敏くそれを指摘して、囃し立ててくる。別に、深い意味なんて特にないし。ただ、俺の影響で喜んでくれんのは正直に嬉しいじゃん。
「湊はね、優しいから浮気しても何しても、俺のこと許してくれるんだよ」
「そうやってあんな可愛い子を蔑ろにしてたら、すぐに何処かへ行っちゃいますよ?」
「そん時はそん時で、俺が死ぬ時だね」




