自己を捨てて神に走るものは神の奴隷である
「京一さんは夜空に輝く綺麗な星によく似ています。昼間は太陽に隠されてしまいますが絶えず輝く綺麗な星です」
夜中の散歩の途中、湊が夜空を仰ぎ、綺麗な笑顔でこちらを見る。寒さが似合う俺は震えながら、目が潤む。
「太陽は誰なの?」
少し鼻が詰まった声が出て、泣いてるみたいで悲しい。
「どーでもいい人間たち」
と俗っぽく笑うから、頬の血色が良い。暖かそうだと、笑顔を返すと、俺のはぎこちなくて、笑顔なのに悲しい。
何も考えてないときに、ふと思い出すのは、思い出したくもない過去なんだ。捨ててある空き缶がトリガーとなり、俺の脳幹を刺激して、心の出棺を傍観。過去の俺の頭蓋骨に「このせいだよ。このせいで今も苦しいんだよ」と釘を打ち込んで殺したい。この寒い夜に合う悲しい曲が好きなのは、俺を無意識に泣かせてくれるから。
「綺麗に泣きますよね、誰にも気づかれないように」
息遣い一つ変えずに泣いているのに
「それなのに湊は気づいちゃうんだね。これはただ、あくびのせいだよ」
と涙にラベリングして、悲しいから涙が出るなんて、迷信。笑っちゃうよ。
「赤ちゃんみたいに泣きじゃくりたいんじゃないんですか?」
湊は俺の冷たい指先を、その温かい手で包んでくれて、心の底の声を救い、盗られた。赤ちゃんは誰かに気づいて欲しくて、大声で泣きじゃくってる。誰かに依存してないと生きていけない存在だから。
「俺はもう大人なのに、そんなことするわけないじゃん」
神様、教えてください。赤ちゃんよりもどれくらい不快指数が高ければ泣きじゃくっても許されますか?誰かに依存しても許されますか?
「そうですか」
仮説が外れたとわざとらしく微笑んでいる湊に泣いている顔を見られて、嫌になった。
「でも少しだけ、俺に背を向けてて」
手を自ら離して、先を歩かせた湊を、後ろから抱きしめて、その肩に顔を埋めた。声は出さない、けど息遣いはごまかせない。嫌になって嫌になって嫌になって、息ができない。
「苦しそうですね」
と、やっぱり仮説が当たってたと微笑んでいる湊は意地悪い。その後で、少し鼻を啜ってから、静かに笑う湊の息遣いを聞いた。……意地悪い(?)
「湊も苦しそうじゃん」
「ああ、僕も赤ちゃんだったら良かったのに」
結局、意地悪いのは俺だった。湊を泣かせてしまった。
「京一さん、死にたいと思っちゃう僕はまだまだお子ちゃまなんですね。最大級の我儘じゃないですか、注目の的になりたいだけで射抜かれたくない人間なんです」
「あらゆる我儘を飲み込んで、その我儘しか言えないんだから可愛いもんだろ」
京一さんはその大きな手で僕の髪を乱すように撫でる。そして、僕の悩みをぐちゃぐちゃにあまいシェイクしてしまうのだ。僕はかなり神に近いと思う、布切れ一枚を腰にかけた。
シャワーの水滴とともに涙を流している彼を湯船に浸かりながら眺めていた。逆上せてしまうのは、お湯が熱いせいで、決して欲情を逆撫でられたせいではない。シャンプーが目に染みて手探りでシャワーを探している姿に可愛い、なんて決して。
「京一さん、牛乳パックの底が開いてておぼんに牛乳を盛大にこぼした給食の時間に思いついたんですが、いくら愛情を注がれてもこぼれていくのは、そこがあいているからなんじゃないですか?」
愛されていると感じた数時間後には、また愛されたいと感じてしまう僕は、きっと愛情ジャンキーで満たされないのに、いつかは満たされると願いながら生きている。
「何処が?」
「心の傷が」
京一さんからもらった愛情の全部を記憶しているけれども、こぼれているみたいに足りなくなるから、心を愛情の入れ物とすると辻褄が合う気がした。
「湊、お湯出して湯船の栓抜いてみ?」
頭の上にはてなマークを浮かべ、発言の意図が全く見えないまま、彼の言う通りに、蛇口をひねり、栓を抜いた。
「水の量は変わんないでしょ?」
湯船に浸かりながら、水の流動を感じた。確かに、水かさは自分の手を置いた位置から変わっていない。
「はい」
「要は、そうゆうこと」
数秒後
「あ、ああっ!あははっ、良かったあ。京一さんの心に傷がついてて」
と地球上のすべての謎が解けたみたいに理解した。
「不謹慎」
彼は少し唇を歪ませたが、その顔もまた可愛らしかった。
「だってだって、いくらでも愛情を注いであげられるじゃないですか」
得意げに僕は湯船の縁に肘をついて、手で顎と頬を軽く支えながら、愛欲に溺れて、生意気なことを言った。
「そんなに愛してくれんの?」
彼の骨の形が浮き出ている細い身体は、今すぐにでも僕が抱いてあげたいくらいに、か弱く震えていて哀らしく、身体の線に沿って流れ落ちる水滴は、その艶めかしい魅力をより一層引き立てて、僕にむちゃくちゃにされるのを待っているかのようだ。僕の愛を問う彼は、一見ふざけているかのように笑ってみえるが、本当は僕の愛を乞うているのだろう。
「容量超過させるくらい、めちゃくちゃに愛しますよ」
妄想と現実と陶酔が入り交じって、何もかも分からないけれど、この気持ちは本物だ。
「ふふっ、期待してない」
と意地悪く期待しているのを隠して笑う。
「酷いじゃないですかあ」
「効率的じゃないし、現実的じゃないし」
「たまには、非合理的に生きません?」
「馬鹿らしい」
「そうですね」
普通の人は、心が愛情で満たされると、何をするんだろう。現実から離れたこの感覚で、そんなことを考えても、一向に答えは見つかりそうにない。けれど、僕は一時的に愛情が満たされると、彼のために朝食を作りたくなる。
4時30分、まだ誰も起きていない。静寂に包まれて、地球上に僕達二人だけだと錯覚してしまうほど、現実離れしていて、心地良い感覚。
「京一さん、眠れないんですね」
彼は目を細めて、諦めたように口角を少しあげると、片目から涙を一粒こぼした。そして、
「湊」
と僕の名前を、静かに色っぽく呼んで、意味もなくキスをするんだ。リップ音が静寂の中に響いて、鳥肌が立つ。
僕はすっかり目が覚めてしまったのに、京一さんは満足したように目を閉じている。狡いけれど、そんな彼が愛おしくて、許せてしまう。どれほど僕の心をかき乱したら気が済むのだろう、とふて寝して、彼の寝顔を見ていたら、ふと胸が苦しくなった。彼の苦痛に僕が共鳴してしまったみたいに。
「京一さん、おはようございます」
7時に強制的に彼を起こして、朝食にと作ったパンケーキをテーブルに置いた。京一さんは何処かをじーっと見つめて、怠そうにしている。
「パンケーキ、食べますか?」
と聞いてみると「んー」って曖昧な返事をされて、また動かなくなる。だから、僕はパンケーキを一口サイズに切って、京一さんの口元へと持っていくと、少し匂いを嗅いでから、ゆっくりと口に入れる。その食べ方が爬虫類みたいでとても可愛い。「おいしい」と言ってくれて、僕は嬉しくなって、また一口サイズのパンケーキを食べさせた。
その後、自分で食べようと、フォークとナイフを持って、パンケーキを小さく切っては口に入れて、よく噛んでゆっくりと飲み込む。
「湊」
「何ですか?」
「朝食は作らなくて良いよ」
「何故ですか?」
「大変じゃん」
と苦笑いしている。
「そんなことないですよ」
「それに、湊が早起きして、頑張って作ってくれたものを、全部食べられない自分が、すごく嫌だ」
また涙が一滴、こぼれた。そんな京一さんを見ていると、やっぱり胸が苦しくなる。
「全部食べなくてもいいんですよ」
「ううん、嫌だ。けど、吐きたくもないの」
相反する欲求が、葛藤を生み出して、彼の心の中に、ストレスとして溜まっていく。
「おいしいって、食べてもらえるだけで、僕はとっても嬉しいですから」
彼の手を取って、気持ちを渡すように、優しく握りしめた。本当は、食べてもらえるかどうかさえ不安だった。これは僕のエゴだから、感謝するのは僕の方だ。
「ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございます」
「ごめんね、朝から情緒不安定で」
「いいえ、僕は京一さんの気持ちが知れて、朝から幸せですよ」
と、ごめんねと言った京一さんにキスをした。
学校に行くと、下駄箱に入れて置いた上履きが、何故か消えていた。だから、スリッパを履いて、教室に入る。スリッパであることを指摘されると「上履きを奪われた」と若干言いにくい言葉で返した。体育の授業で、体操着に着替えようとすると、体操着が切られていた。このまま着ることもできると言えばできるが、野蛮人になりかねないので、一応やめておいた。体育館に制服のまま向かうと、学級委員の彼、山田だっけ?ああ、高橋か、に「体操着の着方、忘れたの?」と馬鹿にされた。「体操着が切られてたから」「着られてた?」「うん」「へえ、誰に着られてたの?」「わかんない」「わかんないなら着られてたのもわかんないじゃん」「え?」「え?」と噛み合わない会話をした。体育教師は僕を体操着忘れの見学者だと思い、何も聞かずに授業を始める。ダンスくらいは制服でできるので、気が向いたときに踊った。体育教師というものはどうしても好きになれない。「やる気のない態度」というのが理由で怒鳴ってきた。かなりの理不尽である。制服だから汗はかきたくないけれど、授業意欲というのを見せようと踊ったのに。そもそも、ただ見てるよりもよっぽどマシだろう。「あーあ、こんな授業なんか参加せずに、コンビニでカップラーメンでも食ってた方が良かった」と無駄な会話を拒否して、教室へ戻ろうとすると、「人間のクズだ」と断言され胸ぐらを掴まれる。「あははっ、次の授業遅れちゃいますよお。そしたら先生のせいですからね!」確かにその通りだと思う。僕は横柄な中学教師ってのが嫌いなんだと思う。難癖つけて自分のストレス発散のために怒鳴ってるようにしか感じない。授業開始十分遅れで教室に入っても誰も何も言わない。全部全部僕が悪いように感じられて、ああもう疲れたな、って。
「もしもし、京一さん?声が聞けて嬉しいです。……いえ、今は授業中なんですが、電話かけちゃいました」
「そっか、先生に怒られるんじゃん?」
って電話越しに微笑む姿が目に浮かぶ。
「ああ、それはもう、どーでもいいです」
「うん、そうだね。つらかったらすぐに帰っておいで。温かいココアでも入れてあげる」
「ふふっ、ありがとうございます」
と言ったところで教師にスマホを取り上げられた。
「青柳くん、授業に集中してください」
「わかりました、これからそうします」
「スマホは没収しますからね」
「先生、何で先生達は他人の所有物を平気な顔して奪うんですか?犯罪じゃないですか?」
「これは教育の一環です、授業後に返します」
「はーい」
理不尽に怒鳴りつける先生とは大違いで、スマホを奪われても気分は良かった。教科書を開くと、人間のクズ、死ね、ゴミ、学校来んな、などの落書きがされていて、これは自分が無自覚にしたものなのかと不安になって、授業中は筆跡鑑定に勤しんだ。結果、違った。給食の時間、高橋がクラムチャウダーに入っていたアサリをくれた。僕は好きでも嫌いでもないので「ありがとう」とだけ言っておいた。掃除の時間はほうきの柄で頭を打たれた。剣道ごっこらしい。昼休みには転校生と親睦を深めるための強制参加のレクリエーション。ドッジボールで何度も顔面を狙われた。顔面はなし、というルールは何なんだろう。ボールを取り損ねたフリをして外野でサボった。ブーイングの嵐を浴びた。
「青柳くん、大丈夫?」
と同じく外野になった真城さんに声をかけられた。
「何が?あ、顔面は痛いよ」
何もかも大丈夫じゃなさそうだから、笑顔を繕った。
「そうだよね、痛いよね」
何かを悩んでいる真城さん、そんな彼女を横目で見ながら、僕の顔面にボールをあてた奴に仕返しをしようとして、失敗した。人生こんなものだ。人間のクズに優れた能力はない。何かスカッとするものが欲しい。京一さんと、べろっべろのチューがしたい。いや、「お疲れ様」って抱きしめてくれるだけで良い。それだけで、僕がこの地球上に存在しても許される気がするから。
「青柳、ちゃんとやれよ!」
と誰かの嘘の怒号で、みんなに嘲笑われる。ごめんなさい、神様。僕はもう死にたいです。
さっきの電話もそうだけど、学校で湊がいじめられている気がする。いや、いじめがエスカレートしてる気がする。最近、やけに泥だらけで帰ってくるし、教科書には落書きしてあるし、左腕の傷跡が増えている。かと言って、俺が介入するもの如何なものかと頭を捻る。しばらく時間を忘れて考えていると、俺にできることは、湊に逃げ場所があること、湊がいないと俺が死ぬこと、湊には存在価値があること、これらを死ぬ気で伝えることだと思った。
「ただいま帰りました」
と湊が帰ってくるのをソワソワと待ち望んでいる俺は、湊が帰ってきた瞬間、駆け寄って抱きしめて「お疲れ様」というのを何度も脳内シュミレーションしている。オプションまで付けようか悩んでは、にやけて、帰りが遅いと感じると不安で、部屋の中を歩き回っているのに、地に足がつかない感覚だ。
ガチャッ、と鍵をまわす音。
ただいまも言わせずに、玄関で抱きしめた。
「京一さん、どうしたんですか?」
と戸惑いながら笑う湊に、俺は
「湊が帰ってこなかったら、どうしようかと思って、それで、ああ、とにかく良かったあ」
とシュミレーションを台無しにして、かなり不格好だった。それから、
「死んじゃうかと思った」
と謎に重い言葉を言ってしまって、
「簡単には死にませんよ」
とまた笑われる。こうやって、湊を強がらせてるから、湊が弱さを見せられないんだと、自分を責めた。
「ありがとう。学校、お疲れ様」
ずっと、抱きしめてて、それが心地良くて、湊にもそれが通じたみたいで
「ありがとうございます、もう離れたくないです」
と後ろでぎゅっと腕を組まれて、捕まえられた。そのまま、湊の学校であった出来事を聞いて、湊が引っ付いたまま、約束通りに、温かいココアをいれた。
「俺はね、湊が作ってくれたパンケーキを全部食べられたんだ。ずっとこれを湊に自慢したかった」
そういうと、何故か湊が泣き出しちゃって、
「京一さんと一緒にいると、何か死にたくなくなります」
と八つ当たりにも似た、褒め言葉を可愛い笑顔で言われた。
澪さんに「最初は、湊が犬でも飼い始めたのかと思ったわ」と悪気はないんだろうけど言われて、俺はその言葉が何故か腑に落ちてしまった。俺は湊の犬なんじゃないかと疑ったこともあった。けれど、こんなに可愛げのない手のかかる犬は、売れないだろうと笑えてきて、せめて、可愛げのあるものになりたいと思った。湊にメリットのある怪物。対して、湊の思考は残酷で、
「時々、何もかも壊したくなるんです。自分の大事なもの全部、自分の手で壊したいです。頭蓋骨を割って、ビニール袋に手を入れて、脳味噌をかき混ぜてみたい。それで、狂いまくって、僕の人生はクソだって、胸を張って死にたいですよ」
と諦めた理想を語るんだ。「そうだね」って、否定できない俺は、自分の将来も湊の死も、想像できないほど、脳味噌が欠けているんだから、馬鹿だろうね。人生はクソ、そんなのはわかってるよ。でも、好きな人にそんなことを言われたら、悲しくなる。俺のせいじゃなくても、俺が何とかできないのが、ただただつらい。
「湊、好きだよ。愛しているよ。今後の俺らがどうであれ、現時点でのこの気持ちは、嘘じゃないから、今だけは安心して俺に身をゆだねていて」
好きや愛してるの言葉だけでは、どうにも気持ちが消化不良で、でも言葉を付け足すほど、胡散臭くなってしまうのが、歯がゆくて、抱きしめている湊の額にキスをした。
「信じてますよ、ずっとずっと」
永遠の愛なんて信じられないけど、この瞬間に感じているこの気持ちは、永遠に信じていられる。
「信じていいよ、好きだから」
パンケーキを口にしたとき、ねっとりと絡みつく、あまーいシロップが何だかキスに似てると感じて、湊を思いながらパンケーキを食べたんだ。けれど、湊のが格別で、純粋に好き。何千回も何万回も、俺のエゴで、好きだと言いたい。それを受け止めなくても、聞かなくてもいい。この溢れる気持ちが言葉として滑稽に漏れ出すのを、俺が止められないだけだから。
「好き、好き、大好きだ。どうしようもなく好き。ごめん」
謝る癖がついたのは、きっと君のせい。好きなんだ、君がキスしてくれるのが。くだらないプライドなんて捨てて良かったよ。君が俺にしてくれること全部、好きだから。君の期待に応えられるヒーローまではいかないけれど、ちょっぴりでも君に愛される俺でいたい。自分に謝って、君にも謝って、
「何で謝るんですか?」
って笑って聞いてくる、君が好き。
「俺が一方的に"好き"を押し付けてる感じが、しない?」
ウザがられてもしょうがないレベルでぎゅーって抱きしめて、好き好き連呼している。客観的に見たら、かなりキモい。
「ふふっ、ごめんなさい。僕が意地悪しちゃいましたね。だって京一さん、めちゃくちゃ好きって言ってくれて、ああ、もう、言葉にならないくらい、幸せで、僕も大好きです」
そうやって無邪気に笑う君に、疑いの余地はない。ひねくれ者の幻聴をシカトして、無条件に信じていい、信じろと心を鼓舞する。だって、俺も幸せなんだ。幸せを信じない方が幸せになれると思っていたが、嫌でも幸せを感じる瞬間があると、生きてて良かったと救われるんだ。幸せってのは、なろうと思ってなれるものじゃない。偶然性があって、突然、空から女の子が降ってきたような衝撃もある。幸せになれる理論は、頭ではわかってんだよ。けど、すべて気持ちの問題なんだ。人間じゃない俺に、傷だらけの人間の君。運命なんて信じないけど、運命だと言いたい。




