2-5-6 “ずっと一緒”
最後のお客さま(ジェム)がお帰りになる。
扉の閉まる音が、ブースの空気を一気に静かにした。
端末からブースの電源を落とすと、
ブース内に満ちていたウユニ塩湖の光はゆっくりと消え、
薄暗い照明だけが残った。
静けさの中で、私は深く息を吸った。
胸の奥が、少しだけ熱い。
(…遼叔父さんと話そう)
色々なことがあった。
新しいブース、学年末試験、霧島さんの卒業。
私の、これから……。
私の“揺れ”に、誰か、触れてほしかった。
触れてほしい人は、ひとりしかいない。
控室に戻ると、遼叔父さんが帳簿を綴っていた。
その仕草はいつも通りなのに、
なぜか今日は少しだけ優しく見えた。
「遼叔父さん、この後時間ありますか」
自分の声が、思ったよりも小さくて―――
少し震えているのがわかった。
遼叔父さんは顔を上げ、
私の影を一度だけ確認するように見た。
私の“揺れ”を読むためだろう。
「俺は構わないが…帰り、どうする?」
遼叔父さんは、やっぱり優しい。
私がどれだけ長く話すかわからないことも、
どれだけ深く沈むかわからないことも、
全部、受け入れてくれる声。
「もしよければ、叔父さんの家で話せると嬉しいです」
言った瞬間、胸の奥が少し軽くなった。
言葉にしたことで、
自分の気持ちが少し形になった気がした。
でも、同じくらい、少しドキドキする。
「わかった。店閉めよう、手伝ってくれるか」
「はい」
閉店作業を手早く終えて、店を出る。
夜の空気はまだ冷たくて、少し身体がすくむ。
街頭に照らされた私たち二人の影は並んでいて、
寄り添って見えて、少しだけ安心した。
歩きながら、遼叔父さんが言った。
「どうしたんだ」
急かさない声。
私が話すまで待ってくれる声。
その声を聞くだけで、
胸の奥の揺れが少し整う。
「これからのことを、考えてしまって」
改めて、自分の考えが
完全に散乱していることに気付かされる。
卒業した後……―――
遼叔父さんと、一緒にいたい。
ジェムノットで歌い続けたい。
でも、どうしたらそうできるのか、わからない。
遼叔父さんは、少しだけ歩く速度を落とした。
私の影が揺れているのを見て、合わせてくれたのだと思った。
「イヴの腹積もりは、もう、ほとんど決まってるのか?」
きっと、ほとんど察してくれている。
でも、決めつけない。
その距離感が、私はとても好きだ。
「いいえ。実は、ぐちゃぐちゃで…」
素直にありのままを話そうと思っていたから、
本当に、素直にありのまま言葉にした。
私の思いは、ぐちゃぐちゃ。
影が少し揺れた。
その揺れを、遼叔父さんは見ていた。
家に着くと、遼叔父さんが玄関を開けてくれた。
外の冷たさと違う、ほんのり温かい空気が出迎えてくれる。
靴を脱ぐと、少しだけ緊張がほどけた。
「そういう時は、まず、
“絶対どうしても譲れないこと”を
はっきりさせるといいと思う」
コートをかけながら、遼叔父さんは言った。
…遼叔父さんも、ぐちゃぐちゃになることがあるのかな。
(絶対に、譲れないこと…)
私は少し考えて、ゆっくり言った。
「ジェムノットで、歌いたいです。
…歌い続けたいです」
言葉にした瞬間、胸の奥が熱くなった。
ジェムノットに、居続けたい。
お父さんとお母さんに話さなきゃいけない、
私の、心からの願い。
「なるほどな」
遼叔父さんは、複雑そうに頷いた。
嬉しいような、少し困っているような――
でも、私の選びたい道を否定される、
という感じはしなかった。
キッチンに向かう遼叔父さん。
私はリビングに行こうとしたんだけど。
「すまん、晩飯食べられてないんだ。
ちゃちゃっと作らせてもらっていいか?」
「手伝います」
自然にそう言って、私もキッチンに向かった。
二人で台所に並ぶ。影が重なる。
とても心地いい。
「冷蔵庫から卵と牛乳出してくれるか。
あ、ベーコン適当に切ってくれ」
私は冷蔵庫を開け、卵と牛乳を取り出し、
ベーコンをまな板に置いた。
包丁を握ると、少しだけ手が震えた。
最近はカット野菜をよく使っていて、
あまり包丁を持っていなかった。
遼叔父さんはお湯を沸かしながら、麺を取り出す。
「イヴがジェムノットで歌い続けたいなら、条件がある」
私は少し緊張しながら、ブロックベーコンを切っていく。
「条件って、なんですか?」
「大学の卒業。
それと、一般企業に就職しろ。
中退も、ジェムノットだけで働くのも、だーめー。」
内容はとても真剣なのに、
語尾が少しふざけていて。
そのギャップは、少しだけ胸を軽くしてくれた。
お湯が沸いたので、遼叔父さんが麺を投入する。
私は卵とチーズを混ぜる。
「理由、聞いてもいいですか?…麺、何分ですか」
「3分。
ジェムノットは、社会的に見れば夜職だ。
将来別の道を考えたくなったときに、ものすごく不利になる」
聞くまで想像もつかなかった条件の理由は、
私の未来を守るための言葉だった。
未来の選択肢を狭めないための、私のための、条件。
フライパンでベーコンを炒め始める遼叔父さん。
3分のアラームが鳴る。麺を上げる。
フライパンに牛乳を加え、麺にもさっと火を通す。
ガスを止め、さらに卵とチーズを合わせる。
普段から料理してる。
そう感じさせる、慣れた手つき。
「冷蔵庫にワイン入ってなかったか」
「ありました。赤だったような…」
私はお皿を出す。
「夕べの残りなんだ。俺の晩酌。イヴはダメ」
「えっ」
「飲んだら襲っちゃうからな~」
おどけて見せる遼叔父さん。
きっと、そんなことしないのに。でも影が少し揺れた。
私は顔が火照るのを感じた。
グラス2つとミネラルウォーター、
カトラリーをリビングに持っていく。
遼叔父さんがカルボナーラを盛り付けて持ってきた。
「さ、食べよう」
「いただきます」
「めしあがれ。…うん、うまいな」
二人でカルボナーラを食べる。
静かで、温かい時間。
…こういう時間を、永遠にしたい。強くそう感じた。
「なんか、考え、まとまったか?」
遼叔父さんが水を飲みながら言った。
私はフォークを置き、ゆっくり言った。
「はい。就活して、就職して、卒業します。」
そして──
「遼叔父さんと、ずっと一緒にいます。」
言った瞬間、影が静かに揺れた。
でも、その揺れは不安ではなく、
未来へ向かう揺れだった。
遼叔父さんは、少しだけ目を細めた。
「…そうか……
…頑張れ。」
返事は、かなり間があった。
でも、否定されなかった。
了承してくれたってことだ。
私たちはその後も、二人で、一緒に食事を続けた。




