何か伝言はある?
収穫祭の朝。早くに目を覚ましたノエルは、いそいそとケーキのラッピングに勤しんでいた。
「随分な数を用意されるのですね」
従者のアランが感心したように声をかける。
「うん。結局、大勢で行くことになったからね。ソフィアだけに渡すのも角が立つかなと思って。ソフィアとアテナ先生以外はまだよく知らないんだけど、あの令嬢二人にも助けてもらった恩があるし」
その時、開いたドアの隙間からひょっこりと顔を覗かせる者がいた。次女のルシアだ。
「お兄様、これ……」
「おや、僕にケーキかい?ありがとう」
「いえ、ソフィアお姉様に差し上げたくて」
「ああ、そっちか。いいよ、渡しておくね。何か伝言はある?」
「ええと……また王宮に遊びに来てください、と」
「わかった。伝えておくよ」
ルシアは嬉しそうに顔をほころばせ、パタパタと走り去っていった。
「なんだか、少し可哀想だよね」
「ええ……」
ノエルの呟きに、アランも静かに同意した。
王太子妃教育という大義名分が消えた今、ソフィアが王宮を訪れるのは容易ではない。かといって王族であるノエルたちが「遊びに来て」と誘えば、それは公的な『召喚』という重い命令になり、かえって彼女を縛ってしまう。
「本当に不自由な立場だよ、王族って」
ノエルは改めてその窮屈さに首をすくめた。
かつてソフィアは、王太子妃教育のために頻繁に登城していた。しかし、健気に努力を重ねる婚約者に対し、モルティマーは無関心を貫き、見向きもしなかった。
その様子に胸を痛めたポレッタ妃が、「せめて子供たちと過ごす時間を」とエドワード王に進言したのが、交流の始まりだった。
当時五歳だったノエルにとって、ソフィアは優しくて美しい、理想の「あねうえ」だった。彼女が語る絵本はドラゴンが目の前に現れるかのようにワクワクさせ、彼女とのかくれんぼはどんな遊びよりも特別だった。ノエルも、その下の弟妹たちも、みんなソフィアが大好きだったのだ。
「あ、そうだ!」
不意に、ノエルがニマニマと怪しい笑みを浮かべた。
「おや、その顔……何か企みましたね?教えてくださいよ」
「ふふ、そのうちね」
ノエルは、鮮やかなオレンジ色のハンチングをちょこんと被り、緑のチェック柄が映えるネルシャツに、カーキ色のゆったりとしたコーデュロイのサロペットを身に着けた。
愛らしいその姿は、実年齢よりもずっと幼く見える。裾のたっぷりしたサロペットを揺らしながら、お祭り気分そのままに弾むような足取りで、彼は収穫祭へと出かけていった。
*
同じ日の、まだ深夜とも呼べるほど深い時間。
モルティマーとジェイソン、そしてその仲間たちは、王室御用達の肉屋へと押し入った。
店主の家族を人質に取り、モルティマーは低く冷酷な声で脅しをかける。
「今日、王城へ肉を届ける際、俺たちを同行させろ。……さもなくば、どうなるか分かっているな?」
喉元に刃を突きつけられた店主に、拒否する権利などなかった。
数時間後、肉屋の馬車はモルティマーたちを乗せて出発した。
夜明け前の仄暗い道を、ガタゴトと車輪が鳴る。生肉の生臭い匂いに包まれながら、モルティマーはこれから始まる計画を頭の中で反芻していた。肉屋の屋敷には仲間の一人を残してある。彼らが目的を遂げるまで、店主の家族は生きた心地もしない時間を過ごすことになる。
王城の近郊に差し掛かると、目立つのを避けるために仲間五人が馬車を降りた。彼らは城壁の影や植え込みに身を潜め、獣のように合図の時を待つ。
いよいよ王城の正門が見えてくると、モルティマーの胸に鋭い緊張と、それ以上に激しい憎悪がこみ上げた。
かつては当たり前のように自分の居場所であり、本来ならば将来、この自分が支配するはずだった居城。それが今や、生肉の荷物に紛れてコソコソと忍び込まねばならぬ屈辱――。その怒りが、彼をさらに冷酷な怪物へと変えていた。
「こいつらは何者だ」
衛兵の鋭い視線が荷台の二人に刺さる。モルティマーは俯き、じっとしていた。
「はい。本日は収穫祭につき配達量が多く、店の者を助っ人に連れて参りました」
震える声で店主が答える。静まり返った早朝の城門に、男の荒い吐息がやけに大きく響いた。
「……通れ」
衛兵の短い言葉に、モルティマーは爪が食い込むほど拳を握りしめた。
馬車は場内の長い石畳をガタゴトと進んでいく。
収穫祭の喧騒を控えた嵐の前の静けさ。高くそびえる尖塔が、まるで侵入者を拒むかのように冷たく見下ろしている。やがて人気が途絶えた裏通路の陰で、モルティマーたちは音もなく飛び降りた。
「俺たちのことを一言でも漏らしてみろ。家族の命はないぞ」
血の通わない言葉を店主に投げ捨て、彼らは闇に潜む影となって、城の深部へと消えていった。
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