78話 全ては妹のために
「あらあら皆さんお揃いで」
クスクスと笑うナターシャの視線に、ギルラークは反射的に後ろへ飛んでライロと肩を並べた。着地と同時に、重厚な鎧の軋む音が地下牢の隅にまで広がっていく。
剣を構える二人の後ろで、フレンは眉をひそめて唇を噛んだ。
「なぜ貴様がここに…… 上の騎士たちはどうした!?」
ギルラークが問うが、ナターシャは退屈そうに毛先を指で遊ばせる。
「ちゃんと玄関から真っ直ぐ来たわよ。邪魔しに飛んできた虫は全部潰しちゃったけどね」
「クソが……!」
憎悪で顔を歪めるライロに、ナターシャはニヤリと口端を上げる。
「それにしても、レスティーを生きたまま隠してたなんて…… どうりで死者の声を探っても見つからないわけね」
ナターシャの視線の奥。ギルラーク、ライロ、フレンが守る鉄格子の中に、レスティーは囚われている。弟子のナターシャの声を聞いても彼女は何の反応も示さない。ボロボロになった髪に隠れて、その表情を読み取ることすらできなかった。
「お手柄よサリーちゃん! 私と似た魔力を感知できるように仕込んでおいてよかったわ」
「お前…… いつの間に」
「あなたが、ベッドでぐーすか眠っている時よ」
見上げたナターシャの横顔は幸福に満ち溢れている。レスティーが死んでいなかったことが、そんなに嬉しいのか。自分は簡単にサリーを殺したくせに。
だが、これでサリーの衝動的な行動には合点がいった。俺には死者の声を、サリーにはレスティーの僅かな魔力を読み取るように仕向け、俺たちを聖王国アストロイアへ潜入させたのだ。
ナターシャは元々、俺がレスティーを見つけたらすぐ駆けつけられるように、ひっそりと後を追っていた。
ナターシャの思惑が見事にはまって今に至る。
俺はまた、ナターシャにまんまと騙されたのだ。フレンは敵なんかじゃなかった。仲間の俺を救おうと必死に手を差し伸べてくれていたのに。ナターシャの言いなりになって、目を、耳を塞いでしまっていた。
「立つんだダレス君! 私たちと共に戦おう。ここでレスティーを渡すわけにはいかない」
冷たい地面に座り込んだままの俺に、ギルラークは熱い眼差しを送る。その後ろでフレンも、さらにはライロでさえも俺に立ち上がれと叫んでいた。
ここでフレンたちと協力してナターシャを倒せば、俺はまだ救われるかもしれない。大切な妹、サリーとリゼと一緒に暮らせる日々を手に入れたい。
だけど、俺の全てはナターシャに捕らえられたままだ。
「わかってるわねダレス。元気なリゼちゃんに会えるかは、あなたの働き次第よ」
「――あぁ、わかってるさ」
恐怖に背中を押され、俺はよろよろと立ち上がる。ナターシャの耳障りな笑い声を聞きながら、俺はレスティーを守る三人に右手を向けた。同時に、サリーも再び大剣を構える。
「ダレス! 私たちに戦う理由なんて無いはずです」
「すまないフレン。俺にはあるんだ」
サリーが死んだ日、俺は誓ったんだ。絶対にリゼを守るんだって。たとえ仲間に剣を向けることになっても。
フレンは儚げに目を伏せた後、ナターシャを睨んで杖を強く握る。「残念だよダレス君」と、ギルラークが消え入るような声で言った。
「あなたたち、そんなに怖い顔しないでくれる? 元はと言えば、そっちが始めた戦争の先に今があるんだから」
「死者を操るなんて、神を冒涜するお前らが悪いんだろ!」
激しく捲し立てるライロ。ナターシャは額に指を当てて首を横に振る。そして右手を地面にかざすと、彼女は甘ったるい声で囁いた。
「おいでアドニス」
ナターシャの足下に発生した黒い靄が、波打ちながらすーっと円状に広がっていく。禍々しい気配を放ちながら、暗闇から鉄仮面で覆われた頭部が浮き上がってくる。
「――アドニス団長……」
カランと杖の転がる音が、余韻を残しながら地下牢に響いた。
フレンは湧き上がる感情を押し殺すように、両手で自らの口を塞ぐ。潤んだ瞳からは、アドニスがフレンにとってかけがえのない存在だったという事実が、ありありと伝わってくる。
俺の頭の中で少し前の情景が蘇った。
レムロン峠で遭遇したミラーデーモン。冒険者ギルドが特別警戒個体として扱う魔物の能力は、『対峙した相手の大切な人に姿を変える』というものだった。
俺をかばってフレンがミラーデーモンの前に立つと、奴は鉄仮面の騎士に変身した。そう、今まさに、ナターシャが呼び出そうとしている騎士と同じ姿をしていた。
「やはり、アドニス団長はお前が奪っていたのか」
ギルラークは悔しそうに歯を食いしばる。ナターシャに真っ直ぐ向けられていた剣先が、微かに上下した。
靄から現れた漆黒の騎士が、ナターシャとギルラークの間に壁を作る。その鎧の隙間からは、凍てつくような冷気が溢れ出していた。
「奪ったなんて人聞きの悪い。ちゃんと殺してから、私のものにしただけよ」
「アドニス団長を返しなさい! 私は、そのためだけにここまで……!」
無駄なことを言っているのはフレンも理解しているだろう。現にナターシャは嬉しそうにケラケラと笑っているだけ。こいつは人の不幸を眺めるのが好物なのだ。
「そんなに大事なら自分の手で掴み取りなさい。まぁ、レスティーと交換っていうなら、考えてあげてもいいけど」
肩の上にかかる髪を払いながら、ナターシャは煽るように言う。ギルラークは対抗するように鼻で笑った。
「そんなことはアドニス団長は望まない。我々の手で奪い返す。そしてお前を倒し、戦争を防いでみせる」
「あらー、かっこいいじゃない」
ギルラークとライロは軽く腰を落とし、臨戦態勢を取る。フレンは杖を拾い直すと、装飾が施された先端をナターシャへ向けた。
けれどナターシャが臆する様子はない。三人をあざ笑いながらふわりと右手を持ち上げると、アドニスは鎧と同じ漆黒の巨大な剣を構えた。
「かつての仲間と戦えるなんて熱い展開でしょ」
敵に向けて言い放ちながら、ナターシャはちらりと俺を横目に見る。相変わらず性格が悪い。
俺は呼吸を整えサリーに意識を集中させる。余計なことは考えなくていい。ただ無心でないと足をすくわれる。いつもみたいにサリーと一緒に戦うだけだ。
全てはリゼを守るために。




