77話 貧民街のネクロマンサー4
ナターシャにすがりつくような瞳を向けられ、レスティーはポリポリと頬をかく。
モニカを蘇らせてほしいという願いは、彼女に届いたのだろうか。
破壊された家の入口から射し込む月明りが、レスティーの整った輪郭を鮮明に浮かび上がらせている。
「蘇らせるとは少し意味合いが違うかな。動いてるあいつらに、命が再び宿ったわけではないんだ」
「そんな……」
「落ち込むことではないよ、生きてるか死んでるかなんて捉え方次第さ。君のように、生きてても死んでるような人間はいるからね」
喉の奥で笑うレスティーの言い分は、あまりピンとこなかった。
だってナターシャはちゃんと生きている。死んでないのだから。
「さぁ、どうしようか?」
レスティーは倒れたままのモニカを見つめる。
ほんの一瞬だけ、冷酷な彼女の瞳が和らいだように弧を描いた。
「君の妹を動かすことは容易い。だがそれは、本当に君が望むことだろうか?」
ナターシャの言葉に嘘はない。
今日生きているのだって、明日モニカとサンドイッチを食べるためだ。
モニカと笑いあえる明日が来ることが、ナターシャの願いだ。
「私の望んだことよ」
「ではモニカにも聞いてみるといい。本当に明日を生きたいのかを」
「聞けるわけないでしょ!」
冷たい夜風が駆け抜け、転がっていたランタンからバチッと火の粉が舞った。傷んだ床に飛んだ火が、徐々に家を燃やし始める。
「聞こえるはずさ、君にはその素質がある。さぁ、やってみるんだ」
勢いを増していく炎が、レスティーの顔を照らした。彼女の力のこもった眼差しは、冗談を言うには真っ直ぐすぎた。
疑念交じりにレスティーを睨むが、彼女の瞳が揺らぐことはない。
言われるままに、ナターシャはモニカのもとへ向かう。
「モニカ……!」
きつく抱きしめても返事が返ってくることはなかった。
熱を失っていく体は、ナターシャにモニカの死をより強く突きつける。
「ねぇ、モニカ…… 何か言ってよ」
「直接じゃない、心で呼びかけるんだ。さぁ、目を閉じて。モニカは最初から、話しているよ」
レスティーに見守られながら、ナターシャは目を閉じる。残酷な現実が暗闇に消え、貧民街を突き抜ける風と、家の焼ける音だけが耳に入ってくる。
だけど、どうしてだろう。直接頭の中に響く声がする。モニカが刺された直後と同じだ。
ナターシャは脳内にぽつぽつと浮かぶ声に耳を傾ける。憎悪や後悔、純粋な苦しみに満ちた声。どれも、モニカのものじゃない。
ナターシャはさらに意識を集中させる。夜空を埋める星のような数の中から、一番に輝くものをナターシャは見つけた。
モニカ、モニカなの? わたしと一緒に明日だけでも生きよう。また二人でサンドイッチを食べよう。
ナターシャが問いかけると、頭の中でモニカの優しい声が広がった。
『あぁ…… やっと死ねた。これでお母さんに会える』
閉じていたナターシャの瞼が、勢いよく持ち上がる。
眠ったままのモニカを見つめ、ナターシャは息を呑んだ。
「それが君の妹の本心だ」
「違う……! 違う……!」
「死者はね、嘘をつかないんだよ」
ナターシャは両耳を塞ぎ、諭すように語るレスティーの言葉を遮断した。
違う、違う。レスティーは嘘をついている。モニカと明日を生きるんだ。
ナターシャは自分に言い聞かせるように心の中で叫ぶ。
だけど、何度問いかけてもモニカから返ってくる答えは同じだった。
「モニカは、本当に明日が来るのを望んでいたのかい? 君以上に、生きながら死んでいたのではないか?」
心臓をぎゅっと締められたようだった。
ナターシャが思い描くモニカと、家の隅で固まっていたモニカはまるで別人だった。ナターシャの理想が、決してモニカの理想と同じだとは限らないのに。
この貧民街では、生きるだけでも辛いことだ。モニカはすでに、明日を生きることを諦めていた。
「やっと心と体が一つになったんだ。それでも君は、私にモニカを蘇らせてくれと願うのかい?」
「――できない」
「じゃあどうする? このまま二人で家ごと燃え尽きるかい? それとも……」
レスティーは一歩一歩、踏みしめるようにしてナターシャの前に立つ。
ナターシャを見下ろす彼女の瞳は、言葉の冷たさとは違って温もりを感じるもので。母親が子どもに向ける眼差しとは、本当はこういうものなのかとナターシャは思った。
「そう言えば名前をまだ聞いていなかったね」
「ナターシャ……」
「ではナターシャ、私と共に来い。温かい食事に、ふかふかのベッド。貴族の令嬢にも負けない洋服だって用意してあげよう」
腕を広げてレスティーは声を弾ませるが、そこにナターシャが欲しいものは一つもなかった。レスティーは首をひねり、「違ったか……」と唇の隙間から漏らす。
「そうだね。では……」
レスティーはナターシャにそっと手を差し伸べる。
「ナターシャ、君を決して一人にはしないと約束しよう」
ローブの袖がかかる手は薄く、そこから伸びる指は枝のように細い。
だけど、生命力に満ち溢れた力強さをまとっている。
バチンと木片が弾け、ナターシャの頬をかすめる。さらに勢いを増す炎が、迷う時間を許してはくれない。
ここで死ぬか、レスティーと生きるか。モニカではなく、レスティーと明日を生きたいか。
ナターシャの中で答えは出ている。一人は寂しいから。
「君ならそうすると思ったよ」
抱いたモニカをそっと下ろし、ナターシャはレスティーの手を取った。
貧民街の住民たちが「火事だ」と騒いでぞろぞろと集まってくる。レスティーに手を引かれ、ナターシャはその隙間を抜けていった。
もう家は見えない。明日になれば姿形も無くなっているだろう。灰の中に残るのは数人分の骨だけ。もう後には戻れない。モニカにも会えない。
人混みを抜けて出た大通りは、驚くほど静かだった。ナターシャとレスティーの足音だけが、星空に吸い込まれていく。
ナターシャはぎゅっとレスティーの手を握る。ここまで来れば離れ離れになることはないのに。
ナターシャの不安を察したように、レスティーは手を握り返した。彼女の手はとても温かかった。
「ナターシャ、君には仕事を頼みたい。まずは…… 兵隊集めかな? 十人くらい殺してきてくれ」
「……そんなの、無理よ……」
「あれ? 難しすぎたか」
レスティーは首をかしげると、何か思いついたように目を輝かせ、胸元にかかる自身の髪を握った。
「じゃあ、私の髪を切ってくれ。伸びてきて邪魔なんだ」
「やったこと…… ない」
「ネクロマンサーは命を刈り取るのも仕事なんだ。髪は女の命と言うだろう?」
微笑みかけるレスティーに戸惑いながらも、ナターシャは「それなら」と、小さく頷いた。
やがてナターシャも、レスティーの背中を追うようにしてネクロマンサーになる。
そんなナターシャを「貧民街のネクロマンサーだね」と茶化すように、でもどこか嬉しそうにレスティーは笑うのだった。




