76話 貧民街のネクロマンサー3
「死体は二つ…… でも女と子どもかぁ」
黒いローブの女は、崩れ落ちた天井を踏みつけ家の中をさっと見回す。
「誰だお前は!? 何をした!」
「ん? 私はレスティー。何をしたと言われれば、家の壁を破壊して、お邪魔させてもらったでいいのかな? あっ、こんな夜分遅くは失礼だったか」
痩せた男が鋭くナイフを向けるが、レスティーの顔に恐怖の色はこれっぽっちも見えない。ローブの袖を口に当て、ケラケラと笑いだすくらいだ。
「助けて…… 助けてください!」
ナターシャは必死で呼びかけた。突然のレスティーの登場に、頭の中を渦巻いていた声はぴたりと止んだ。
レスティーという名前は貧民街で聞いたことがない。であれば、王都の人間で間違いないだろう。「兵隊を集めに来た」と言っていたし、憲兵なのかもしれない。
「助ける…… ねぇ?」
ナターシャの期待など全く届いていないようで、レスティーは面倒くさそうに首を傾けた。
「一応私も軍人だから。貧民街といえど、目の前の略奪行為は見過ごすべきではないのかな……」
右から左へ首を傾げ、レスティーはぼそぼそと呟く。胸元で揺れる黒髪は、月明かりを吸い込んだように艶めいていた。
「まさかお前…… 死神レスティーか……?」
ランタンを持つ手を震わせながら、もう一人の男が尋ねる。レスティーは嬉しそうに両手の指を組んだ。
「そうか、そうか、私を知っているんだね。なら、私の言うことを聞いてくれたら君らを見逃そう」
ピンと伸ばした指先をナターシャに向け、レスティーは続ける。
「その女の子を渡してもらおうか」
「駄目だ! こいつは俺たちが先に見つけたんだ」
痩せた男はナイフをレスティーに向けたまま、ナターシャの腕を掴んで引き寄せる。
めり込む五本の指に、ナターシャは顔を歪ませた。
「お、おい、やめとけ!」
仲間の男が声を震わせるが、鋭いその先端はレスティーを捉えたまま動かない。
「それは残念だ。――来い」
ナターシャの背中を、冷たい汗がつうっと伝う。
口端を落として言い放ったレスティーの表情は、恐怖そのものだった。
「へっ、上等だ。死神だかなんだか知らねぇが、女が男二人に敵うわけないだろ」
「君に言ったんじゃないんだけどな」
ナターシャの後ろでガサガサと耳障りな音がする。振り返ると、羽虫の群れが逃げるように夜空へと飛び立った。その隙間からゆらり、ゆらりと体を揺らす影が迫る。
「お母さん……」
「えっ?」
痩せた男の首筋に、ナターシャの母親が背後から喰らいついた。激しく噴き出す血が、ナターシャの頬に線を引く。
母親を振りほどこうと痩せた男はもがいたが、その両腕はすぐに力なく垂れ下がった。ゴン、とナイフが床に落ちる。
「た、頼む、俺は見逃してくれ」
「そんな寂しいこと言ったらお仲間さんがかわいそうだよ。――来い」
レスティーが人差し指を軽く曲げる。すると、何かを探すように痩せた男は両腕を動かしだした。まるで命を吹き込まれたかのように。
痩せた男は落としたナイフを見つけると、大事そうに握りしめて仲間のもとへ向かう。
「くそっ、やめろ……!」
投げつけたランタンは虚しく床に転がるだけ。痩せた男はゆったりとした足取りで迫ると、命乞いの叫びをあげる喉を掻き切った。
「ふぅ。仕事した、仕事した」
ナターシャは固まったまま、パンパンと両手を払うレスティーを見上げた。
どうして死んだはずの母親が動いた、なぜ首を嚙み千切られた男が息を吹き返した。この女は一体何なんだ。
空腹と疲労、そしてモニカを失ったばかりのナターシャに、この状況を理解することは不可能だった。
「お望み通り助けてあげたんだけど、何か言うことはないのかい?」
気づけばレスティーは瓦礫の山を下り、ナターシャの目の前にいた。
「あ…… ありがとう、ございます」
「よろしい」
レスティーはしゃがみ込んで、ナターシャの頭をくしゃくしゃとなで回す。傷んだ髪が指先に絡まり「痛い」と漏らすが、レスティーは楽しそうに続けるのだった。
「あの! あなたは誰なんですか……?」
ナターシャの困惑した眼差しに、レスティーは手を止める。
「私はレスティー。見ての通りのネクロマンサーさ」
レスティーが指を鳴らすと、最後に倒れた男がむくむくと立ち上がった。がばっと裂けた太い首から、止めどなく赤黒い血が流れている。
ナターシャは怯えて目をそらす。縮こまる小動物のようなその姿に「子どもには刺激が強いか」と、レスティーは能天気に言った。
「……ネクロマンサーって?」
「『ネクロマンス』という死者を操る術を使える者のことだよ」
言いながらレスティーは、ふわりと五本の指を動かす。彼女の視線を辿ると、ナターシャの体は震え上がった。
レスティーは強盗二人を無理やり抱きつかせ、絡み合うようにキスをさせた。
「続きを見たいかい?」
うっとりと目尻を垂らすレスティーの問いに、ナターシャは目を閉じてぶんぶんと首を横に振る。
この女は異常だ。マリエラとはまた別の、狂気に満ちている。頭のおかしい奴は貧民街でも少なからずいたが、ここまで狂っている人間をナターシャは見たことがなかった。
危機を脱して安心する暇もない。恐怖の対象が、強盗からレスティーへと変わっただけだ。
けれど、ナターシャは胸に手を当て無理やり心を奮い立たせた。きっと、ナターシャが望むものを与えられるのは、レスティーだけだから。
ナターシャは期待を込めて口を開く。
「じゃあモニカを…… 妹を蘇らせることもできますか?」




