7話 理想と現実、知らない世界
「今日も安いよ! 見てくれ! どの野菜も大きくて張りがある。買って損はしないよ」
「今朝仕入れた活きの良い魚だよ、身がプリップリでとろけるような旨さ。どう調理しても間違いないよ」
「あま〜い焼き菓子はいかが?」
王都の市場。店主が熱心に客を呼び込み、自慢の商品を勧める。王都で最も活気のある場所で、色鮮やかな野菜や果物が並び、焼き物の匂いや甘い香りが漂う。
ここを真っ直ぐ突き抜ければ、薬屋や病院のある中央区なのだが、賑わう人々の波に遮られ走る速度を落とす。
だが少し妙だ。これだけの人がいながら、商品を手に持つ人が少ない。
「何が安いだよ、この間の値段より倍以上になってるじゃないか」
「噂じゃ、国がかなりの量を買い占めてるらしい」
「それなら戦争が始まりそうってのは本当なのか?」
「ねぇーママ、お菓子買ってよー」
「今日は我慢してちょうだい」
店主とは対照的に客の表情は渋い。マリエラ先生の話通りだ。
これじゃあ孤児院の子供達の食料を確保することは難しいだろう。
サリーの病を治せてもその先はどうなるのか……
だめだ、だめだ。パチン、パチンと両手で自分の頬を打つ。じんわりとした痛みが頬から頭まで広がる。
今はサリーの病を治すことだけ、全力で考えろ。
人混みをすり抜けるように前へ進む。薬屋はもうすぐそこだ。
♢♢
「パパ、なんであの人は汚い格好で外にいるの?」
「こらっ、指を指すんじゃない、昨日悪いことをした奴かもしれないんだぞ」
無邪気と残酷さを合わせた幼い声が、静かな街並みに広がる。意識的に声のする方へ目線は向けずに歩みを進めるが、着飾った通行人からの視線をひしひしと感じた。
中央区に入ると、市場とは打って変わって閑散とした光景が広がっていた。立ち並ぶ店や屋敷には、獰猛な獣を象った装飾や、きらりと輝く妻飾りが施されており、他の地区とは雰囲気が違う。
お前が来ていい世界じゃないと街全体が訴えかけているようで、薬屋へと向かう歩幅は自然と広くなった。
「こ、こんにちは……」
慣れない街並みに圧倒されたのか、淡い木目調の扉はずっしり重く感じた。室内から、鼻を刺すが癖になりそうな匂いが漏れ出すと同時に、カラン、カランとドアチャイムが店内に広がる。響く金属音に、弱気な挨拶の言葉尻はかき消された。
店内には赤、青、黄色といった、色鮮やかなポーションが虹のように陳列され、その美しさに目を奪われる。
「いらっしゃ…… なんだい兄ちゃん?」
カウンターで作業していた小太りの店主が、振り向いてこちらを見る。俺を視界に捉えると、気だるそうに首の裏をかきながら「ちっ」と舌打ちをしたのが聞こえた。
「なんのようだって聞いてるんだが」
「あ、あの…… レーゲの病に効く薬を売ってくれませんか?」
「レーゲの病?」
薬屋の店主は、高圧的な態度で詰め寄ってくる。
「金は持ってるのか?」
「手持ちは銀貨5枚なんですが、交渉できればと……」
手持ちが少ないのはわかっているが、あくまでも購入する意志を示すべく前に出る。
「馬鹿にしてるのか、レーゲの病を治す薬は粗悪品でも銀貨80枚はする。たかだか銀貨5枚じゃなんともならん、帰ってくれ」
やはりといったところで、全く相手にされない。
だが、こんなことは貧民街から出れば当たり前に受けてきた対応なので、それほど気落ちすることはなかった。
「では銀貨100枚いや…… 150枚を後からお支払いします。これならいかがですか?」
店主はやれやれといった様子で指先を俺に向けた。
「どうしてお前の話を俺が信じて、薬を売らなきゃならん。そのまま持ち逃げして質屋に流すつもりだろ」
「そんなことしません! 妹が病にかかってどうしても今、薬が必要なんです! どうか!」
「そんなの俺の知ったこっちゃねぇよ。お前もどうせ貧民街の出身だろ、潔く運命を受け入れるんだな」
蔑む視線と言葉。
運命? 運命ってなんだよ―― そんな言葉受け入れるはずがない。サリーが病にかかったのも、母さんが死んだのも運命だというのか。
「俺にできることならなんでもします、せめて話だけでもなんとか」
「うるせぇな! お前らの命に価値なんてねぇんだよ!」
やはりだめなのか。でもサリーが…… こうなったら――
「それは少し言い過ぎではないでしょうか?」
幼くも力強い声が耳に入る。ポーションの並んだ棚の陰から、白いローブを纏った少女が顔を出した。
頭をすっぽり覆うフードの中で、癖のある金髪が存在感を示す。細い翡翠色のネックレスは、差し込む日射しで煌めいた。
コツッ、コツッと音を立て、こちらに向かってくる彼女は堂々としていて。近づくにつれて鮮明になる整った輪郭に息を呑む。
だだ、俺と店主に向ける眼差しは、王都の連中が貧民街出身者を見下す目と同じだった。
「これはお客様、失礼しました。お目当ての商品はございますか?」
店主は無理に笑顔を作り、視界から俺の事を外す。
「商品はとても良いのですが、どうしても話が気になって」
白いローブの女は、おっとりしながらも力強い目を俺に向ける。
「彼の話をもう少し聞いてみてはいかがですか?」
彼女の言葉からは変に萎縮してしまうような力を感じ、出かかっていた言葉が詰まる。
店主はまた首を掻きながら不満気な顔を浮かべた。
「ですが、こいつは金がないんです。それじゃあどうにも……」
「そうなんです! 彼にはお金がないんです!」
食い気味に白いローブの女は声を張り上げた。
片目を閉じ、得意気に指を立てながら、俺と店主の間を割くように悠然と歩く。
「さぁ困りました。お金がないとなると、何かで工面するか、相応の代価を支払うしかありません」
場を仕切りだした白いローブの女。数歩進んだところで踵を返し、ビシッと俺を指差す。
「あなたにそれができますか?」
「それは……」
完全に彼女のペースにのまれている。突然の問にたじろいでしまった。
「では、あなたが持っているという5枚の銀貨」
そう言って徐々に白いローブの女は距離を詰めてくる。
「どうやって手に入れたんですか?」
「炭坑で働いた報酬だ―― そうだ…… 俺は稼げる、時間さえもらえれば必ずお金は払う」
「素晴らしいです! 労働により対価を得る。あなたも社会の一員なんですね」
寄り添う気のない、うわべだけの言葉が耳に入る。また一歩、彼女は物理的な距離を縮めた。
「では…… それは何日分の報酬なんですか?」
俺の顔を下から覗き込むようにして不敵な笑みを浮かべる。
「……30日分だ」
彼女の挑発的な喋りに恥ずかしさが込み上げ、思わず目を逸らした。
「まぁ! まぁ! まぁ! まぁ!」
煽りながら、鼻と鼻が触れ合いそうになる距離まで顔を近づけてくる。
「……っ!」
ほのかに石鹸の匂いを感じたところで一歩後ろに下がると、彼女はまた冷ややかな笑みを浮かべた。
胸の上に乗ったネックレスがキラリと光っている。
「それでは銀貨80枚を稼ぐには、480日かかってしまいますね。四季は一巡し、また次の季節が始まる頃でしょうか?」
わざとらしく、とぼけた顔をしながら彼女は俺と店主を見渡す。
「まして、あなたの言っていた銀貨150枚となるとどうでしょう? 数年は先の話になりますね? 国の情勢も心配です、働き口は常にあるのでしょうか? それに……」
「あなたは生きているのでしょうか?」
いたずらのように投げかけられた言葉に、胸の中がざわついた。
母さん、ガイン、死んでいった貧民街のみんなの顔がふと脳裏によぎる。
自分だけ大丈夫なんてことはない。息を呑み、いつだって近くに死がうろついていることを再認識した。
「冗談ですよー、そんな恐い顔しないでください」
ケラケラと笑い、白いローブの裾が揺れる。どこまでが本心なのかわからない、彼女の澄んだ瞳をじっと見つめていた。
「もしかしたら、お店の方が無くなってるかもしれませんね」
「縁起でもない、やめてくださいよ」
思いついたように手をパンと叩いて無邪気に喋る彼女。店主は苦笑いしながらも嬉しそうに応える。
さっきまで険悪な雰囲気だった店内が、差し込む日射しと同調するように明るくなった。
「これであなたの置かれている状況がわかりましたか?」
首を傾げながら彼女はニコッと笑う。まるで女神のような姿に好感を抱く人は多いだろう。
――俺にとっては死の宣告を告げる悪魔に等しかった……
「そ、それなら……」
現実を受け入れたくない、理想を叶えたい。
お願いだから助けてくれ。
頭の中で誰かがずっと叫んでいる。
「ぎ、銀行だ! 銀行に掛け合ってお金を貸してもらう。そんなことができるって聞いた、だから……」
「だっははははは!」
店主の野太い笑い声に、俺の訴えはかき消された。その横で、白いローブの女は額に手を当て「はぁ」とわかりやすくため息をついている。
「もっとわかりやすくお話ししましょう。あなたには信用できる要素がないんです」
眉をひそめ、足元から頭の天辺までなぞるように俺の事を見た。
「泥だらけの靴に、汚れた服。伸びた爪には土が入り込んだまま、これで手持ちは数枚の銀貨のみ。大金を稼げていらっしゃるのなら、身なりは大目に見れるでしょうけど……」
彼女の言葉一つ一つが連なり、俺と世界の境界線を作る。耳に入る度、お前はこっちじゃないよと諭されているようで。ただ返す言葉も見つからなくて……
「それに、見たところとてもお若いようですし、まぁ私と同じぐらいの歳だと思いますけどね」
茶化すように白い頬へピンと伸ばした指を当てる。
「そんなあなたが、『お金をなんとかしてほしい』と言うのは無理があります」
目を閉じ一つ咳払い。満面の笑みを作る彼女。
「駄々をこねる子どもと、あなたは何が違うんですか?」