62話 ルナール湖の魔物
ルナール湖の畔には、なんとも残酷な光景が広がっていた。
残酷といっても、冒険者たちが魔物に蹂躙された―― わけではなく、その逆。足の生えた巨大な魚のような魔物が、尾びれだけ切り取られ草むらの上に横たわっている。数は百を優に超えるだろう。
「そっちからまた上がってきてるぞ!」
「どんどん殺して尻尾切っちまえ」
「暗くなるまでが勝負だぞ」
太陽はもう半分以上見えなくなり、視界を奪う夜がそこまで迫っている。けれど、何組かの冒険者パーティーは我先にと湖から上がってくる魔物に剣を振るっていた。
「大量発生したって魔物は、情報通りアクアトードね」
鼻をつまみながら、キサラは確かめるように言う。ルナール湖から離れた距離でも生臭さは漂っていたが、ここまで近づくと口だけで呼吸したくなる。
「あの蛙みたいな、足が生えた魚のことだよな?」
「そうそう。本来陸に上がることは少ないんだけどね」
俺の疑問に、魔物の専門家でもある地導師のキサラはすぐに答えてくれた。
ギョロッとした目玉を持つ、馬ぐらい巨大な魚。それが蛙そっくりの二本足で陸を跳ねている。足の先には半透明の水掻きが扇状に広がり、ネバネバした液体をまとっていた。
だが、見た目の割に跳躍力は皆無なようで。ぴょんぴょん跳ねては転がる死体に引っかかり、みっともなく転倒を繰り返していた。
「あいつらが本当に、冒険者ギルドが緊急のクエストを出すほどの魔物なのか?」
「陸上でのアクアトードはそれほど脅威じゃないね。注意しないといけないことはあるけど…… でも、この数が村に押し寄せたらやばいかな」
「確かに……」
想像するだけで鳥肌が立ってくる。あんな気味の悪い魔物が村中に現れたらトラウマものだ。しばらく魚は食えなくなるだろう。サリーも怖いのか、俺の背中に隠れたままだ。
「一体何のために出てきているのでしょうか」
フレンがぼそっと口を開くと、キサラは「そこなんだよ」と、わずかに声を荒げた。
「大量発生して餌がないから陸に上がってきてるとは思うんだけどさぁ。どうもお腹をすかせた魔物の動きに見えないんだよね」
キサラはうーんと首をひねる。
アクアトードはどの個体も慌ただしくルナール湖から上がってくるのに、地に足を着けると一変して動きが鈍くなっているのだ。
魚と同じ見た目をしているのだから、陸が不得意と言われればそれまでなのだけど。何かこう、湖から出ること自体が目的のような、そんな印象を受けた。
陸に上がってほとんど無防備なアクアトードを、冒険者たちが取り囲んでいく。
新入りの俺が言うのもなんだが、彼らの動きはぎこちないし連携も雑だ。ランクの高い冒険者には見えない。
けれど、アクアトードは簡単に倒されていく。それほどまでに相手は弱い。
「口を開けたぞ、あいつの正面から離れろ」
戦闘中のリーダーっぽい冒険者が呼びかける。
一匹のアクアトードが身を屈め、エラを張りながら大きく口を広げた。
仲間の冒険者はあたふたしながらも、アクアトードの左右に回り込む。
ビュン、とアクアトードの口から砲弾のように水の塊が放たれた。回避行動を終えた冒険者が見守る中、そよ風に踊る草むらを突き抜け枯れ木に直撃。減速することなく太い幹を貫くと、水の塊は地平の彼方へ消えていく。
「すごい威力ですね……」
口元を手で覆い、怯えたようにメロが言う。メキメキと音を立て、枯れ木が一直線に倒れた。
「まぁね。でも分かりやすい予備動作があるし、一度構えたら方向転換はできないから」
キサラが解説を続けている間に、アクアトードは両脇から斬撃を受け沈黙。
確かに、相手の攻撃パターンが分かっていればそれほど脅威ではなさそうだ。しかも、アクアトードが口を開けてから発射するまでそれなりに時間はある。不意を突かれでもしない限り、当たることはないだろう。
「そういえばさぁ」
俺は、歓喜の声を上げながらアクアトードの尾びれを刈り取る冒険者たちを指差す。
「なんで尾びれだけ持ってくんだ?」
「それはだね、ダレス君」
「なんですかキサラちゃん」
キサラがもったいぶるようにためを作り、にんまりと口角を上げる。知識を披露する時のキサラはいつも機嫌が良い。
「ギルドってのは疑り深くてね。何を何匹倒したか、きちんと証明するのに必要なんだよ」
「なるほど」
「魔物の種類によって部位は変わるんだけどね。角だったり、尻尾だったり。目玉を要求されるときもあったかな」
感心する俺の顔を見て、キサラは満足そうに話を続けた。メロが、「ダレスはまだまだですね」と先輩風を吹かしているが無視することにする。
「そろそろ安全に夜を越せるとこを探そうぜ。腹も減ったしな」
「あっちの丘の方なんかいいかもしれませんよ。ちょうど風上ですし」
痺れを切らしたようにアシュードとフレンが話に割って入る。キサラは自身の首の後ろを手でさすった。
「ごめーん。夢中になっちゃってつい。じゃあ行こっか」
さっきまで夕焼け色に染まっていた草花が、夜の黒に溶け込み始めている。キサラは大きなリュックを揺らし、フレンが提示した小高い丘へと歩みを進めた。
ここでのクエストが終われば、とりあえずこの旅は一段落となる。その後はどうなるんだろうか。お金はまだまだ足りないだろうし、冒険者として稼いでいく必要はあるけれど。それに……
俺はパーティーの先頭に立つキサラに視線を向ける。
キサラが一緒に世界を見て回ろうと、俺に世界の美しさを教えてくれると言ってくれた。まだキサラが言うように、俺の見える景色に色はない。
だけど、俺の冷え切った心の中ではキサラとの約束が眩いほどに輝いていた。




