60話 全てを込めて
剣と剣が激しく重なり合っては火花を散らす。夜のとばりが降りた王都に、剣戟の音だけが不気味に響いていた。
「なかなか良くなってるじゃない」
漆黒の鎧をまとう騎士、アドニスの影でナターシャはうっとりした眼差しを俺に向ける。
「うるさいっ……!」
俺は息を切らしながら腕を振り、サリーを操る。汗を吸ったローブは鉛のように重い。作り出した大剣は予想以上に燃費が悪く、魔力消費が大きいようだ。だがそれだけのこと。早く勝負を決めれば問題ない。
アドニスの斬撃をひらりとかわしながら、サリーは小さな体で二本の大剣を振るう。狙うは隙間のできた鎧の継ぎ目。首や肩、肘などの人体の関節部分。
しかしナターシャも弱点を理解しているのだろう。アドニスは握った剣とは反対の手甲で、サリーの剣を容易に弾く。サリーは押し返されて後方へ飛んだ。
「これならどうかしら」
ナターシャが軽く指先を弾くと、アドニスはガシャンと鎧を揺らし、目にも留まらぬ速さで前へと踏み込む。明らかにナターシャによって強化された動き。そのまま、距離を取ろうとするサリー目掛けて剣を振り下ろした。
「だったら……!」
サリーは身をそらしながら左手の大剣を斜めに構える。アドニスの剣筋はサリーの剣に沿って方向を変えた。そして、押し出すように右手の大剣で弾き飛ばす。
いつも俺たちを守ってくれていた、アシュードの技だ。
「あらあら、凄いじゃない」
ナターシャは感心したように声を漏らす。
体勢の崩れかけたアドニスに、サリーは連撃を放つ。剣と手甲で阻まれながらも、肩を狙った一撃は、上腕部の鎧に直撃した。
もう少し上を狙えていれば、アドニスの腕を落とせていたのに。だけど、これまで防戦一方だった戦闘の流れが変わり始めている。
「ここまで魔力が向上しているなんて嬉しい誤算だわ。あっ、もしかして……」
言いかけてナターシャは、わざとらしく嗜虐的な笑みを浮かべた。
「また大切な人でも死んじゃった?」
「っ……!?」
「その様子だと正解みたいね」
ナターシャはひきつった俺の顔を見て、愉快げに両目を細める。俺はもがくように手を振ると、サリーはさらに攻撃の速度を増していった。
人の死に触れると、ネクロマンサーは魔力を増すという。それが大切な人であればあるほど、より強く。
ナターシャの安い挑発に乗ったのは、キサラの眩しい笑顔が脳裏に焼き付いて離れないから。そしてキサラの命を穢されたような気がしたから。
「でも戦闘は素人に毛が生えた程度ね。そろそろ終わらせていい?」
「お前が死んで終わるんだよ!」
肺が締め付けられるように痛い。体が酸素を欲しているのに、浅い呼吸しかできなくなっている。手足の感覚もなくなってきた。もう限界が近い。
苦痛で顔を歪める俺に反して、ナターシャは退屈そうにあくびを手で捕まえていた。だけど、押しているのはこっちだ。
サリーの勢いに負け、アドニスの大きな体が後方へ一歩、また一歩と下がっていく。踏み抜かれたタイル張りの地面はバラバラに砕けちった。
「はい、じゃあもうおしまい」
「何言って――」
ナターシャがパンと手を叩くと同時に、俺の腹部に何かがぶつかったような強い衝撃が走る。視界がぐしゃりとぼやけ、強烈な浮遊感が後に続いた。なんだ? 何が起こった?
背中から全身へと、痛みが激流のように広がる。
気づけば俺は、庭を囲う石の塀に埋もれていた。
ポロポロと剥がれ落ちる瓦礫が、肩から膝の上に転がっていく。内臓がやられたのか、こみ上げてくる体液は血の味がした。立ち上がろうと試みるも、足が全く言うことを聞かない。意識が徐々に遠のいていく。
薄っすら開けた片方の目には、小柄な体には不釣り合いな戦鎚を担ぐ女の子が映っていた。
「蹴りだけで済ませてあげるなんて、ネルンは本当に優しいわね」
『これで殴ってしまっては、ナターシャ様の計画が破綻してしまいますので』
ネルンは軽々とその鉄の塊を上下させる。
「ちゃんと考えてくれてるのね。ありがとうネルン」
直接脳に響くネルンの声だけは鮮明に聞こえた。
俺は…… 蹴り飛ばされたのか。
腹部をさすると、上書きするように強烈な痛みが押し寄せる。苦痛で悲鳴を上げようとしても、かすれた声が漏れるだけだった。
『それよりもナターシャ様、ダレス様に早く治癒のポーションを』
「あらいけない、殺しちゃうところだったわ」
肩まで伸びた黒髪を揺らしながら、ナターシャはゆっくりと芝の上を歩く。俺の前まで近づくと、ローブの袖から深紅の液体の入った小瓶を取り出した。
「高級品なんだから、大切に飲んでね」
言いながらナターシャは栓を開け、俺の顎を強引に持ち上げる。そしてポーションを俺の口に押し込んだ。
少し粘り気のある甘い液体が、濁流のように押し寄せてくる。振り払おうにも指一本動く気配がない。
苦しい…… 息が……
喉を通らなかった液体が口から溢れてくる。
苦しみで歪む俺の顔を、ナターシャは至福の笑顔で見下ろしていた。
「みっともないわね、そんなにこぼして」
反射的に咳き込む俺を睨みながら、ナターシャは小瓶を高く投げ捨てる。
「どう? 気分は」
「どうってお前! あれ……?」
「問題なさそうね」
遠くでパリンと瓶が割れる。
腹の中を直接潰されたような痛みが、嘘のように消えていた。ぼやけていた意識が少しずつ鮮明になっていく。
「全然ネクロマンサーの弱点を克服できてないじゃない。そんなことだから、後ろから攻撃されて終わるのよ」
ナターシャは嫌味ったらしく言い放つ。つまり俺は、背後から迫ってきたネルンに蹴り飛ばされたってことか。
「サリーちゃんを操るのに神経を注ぎ過ぎね。死者への魔力の伝達は、実際に操った方がスムーズだけど、それで自分が襲われてしまっては何の意味もないわ。本体はダレス、あなたなのよ」
反論の余地などない。確かに俺は、サリーを操ることに全力だった。そうしなければ、ナターシャに勝てないと思ったから。生身の体で無防備に突っ立っていた自覚などなかった。
そういえばネルンが簡単に門を通してくれたのも、背後から俺を襲うための布石だったのか。どうやら俺は、まんまとナターシャの作戦にはめられていたようだ。
初めから俺に勝ち目はなかったらしい。
「サリーは……?」
虚ろな目で庭を見回すと、本物の人形のように、地面にへたり込むサリーを見つけた。少し力を加えれば折れてしまいそうな細い首筋に、アドニスは巨大な剣の先を向けている。
「サリー!」
『変な気は起こさないでください』
ネルンは俺に向けて戦鎚を突き出す。威嚇されなくとも、体はまだ動かなかった。
もうここから逆転する手立てはない。逃げることも叶わない。冒険者になって、この世界には光輝いているものもあると思った。けどそれもまやかしで。結局は、どす黒い暗闇がこの世界を、全てを覆っている。
俺はキサラやアシュードみたいになれない。俺の人生は無意味だった――
「殺せよ……」
「なに? 自暴自棄になっちゃった?」
「お前の夢に協力する気はない。俺を脅したって無駄だ。もう疲れたんだ……」
消え入りそうな声で言うと。ナターシャは両手を広げて渋い顔をする。
「何もわかってないわね。あなたの意思なんて最初から関係ないの」
「何を言って……?」
「連れてきてちょうだい」
ナターシャは甘く指を咥え、とろけるような眼差しを屋敷へと向ける。なぞるようにその視線を辿ると、ギィー、と夜の静寂を切り裂く重い音が響いた。開かれた屋敷の扉から、暖かな光が溢れ出す。
現れたのはおさげのメイドと、背の高いふくよかなメイド。そして――
「嘘だろ……?」
おさげのメイドの腕の中で、眠ったように動かない少女がいる。その儚げな横顔に、俺は焼けるように胸が熱くなり目からは涙が溢れた。
俺はよく知っている。誰よりも優しく、少し引っ込み思案な女の子のことを。
お姫様のように抱かれ目を閉じているのは、俺の大切な一番下の妹、リゼだった。




