56話 正しい選択
ネクロマンサー、死者を操る魔術の使い手。
戦場では無類の強さを誇り、幾度となく立ち上がる死者の軍勢は、相手を絶望のどん底へ叩き落としたという。
その歴史と、生命への冒涜ともいえる能力故に、世間から忌み嫌われる存在として扱われているそうだ。自分の身を守るため、俺はナターシャの言いつけ通り『人形師』という仮面を被っている。
けれどその仮面は、全てを隠せてはいなかったようだ。
「フレン、俺は……」
「ネクロマンサーだということは否定しないんですね」
フレンは抱えていた杖の先端を俺に向ける。いつも柔和な印象を振りまく瞳は、まるで獲物を追い詰める狩人のように鋭かった。
「キサラから離れなさい。私の目の前でそんなことはさせない」
たまらず口ごもる俺に、フレンは鬼気迫る表情で詰め寄ってくる。なぜ彼女がここまで豹変したのか、俺には全く分からなかった。でも、キサラを救いたいという気持ちは、フレンだって同じはずだ。
「治癒魔術はだめなのか? だったら俺なら、俺ならキサラを救うことができる」
「――救う?」
凍りつくような声と同時に、フレンは杖を振りかぶり、俺を殴った。人々を癒すはずの鉄の棒が、空気を切り裂き頬を打つ。俺はキサラを守るように抱えながら、地面に倒れ込んだ。
杖の装飾が荒々しく音を立てると、サリーはすっと腰を落として反撃の構えを見せる。どうやら俺が襲われたと勘違いしているらしい。
心配するなと目配せすると、サリーはゆっくりと大剣を背中に仕舞った。
「死んだキサラを操ることが、どうして彼女を救うことになるんですか? それがいかに残酷な行為か、なぜ分からないんですか?」
フレンは目を真っ赤にしながら声を荒らげる。感情を剥き出しにするフレンを初めて見た。俺は痛みの抜けない頬をそっと押さえる。どうしてフレンは俺を殴ったのか。その答えを考えても、何も浮かんでくることはなかった。
「キサラが…… キサラがまだ生きたいと叫んでるんだ。だから俺は、その願いを叶えてやりたいだけなんだ」
俺の熱意など振り払うように、フレンは怪訝そうに眉根を寄せる。
「私だってキサラに生きててほしかった。けど死者は喋りません、当たり前のこと。それはただ、ダレスが聞きたいだけの幻聴です。あなたのやろうとしていることは――」
フレンは俺の目を見据え淡々と告げた。現実を突きつける言葉の一つ一つが、鋭い刃となって俺の心を切り刻む。
「キサラを苦しめるだけです」
最後のフレンの一言が、ぐさりと胸を貫いた。俺は腕の中で綺麗に眠るキサラを見た後、流れるように視線をサリーへと向ける。サリーもまた、俺を見つめていた。
その丸みを帯びた瞳の中に、凍えるような深い暗闇が広がっている。俺が彼女を繋ぎ止めているのは、愛情ではなく、独りよがりな呪いなのではないか。
そんな予感は前からあった。サリーの声はなぜか聞こえないけれど、動く屍となった自分をどう思っているか気がかりだった。本当は苦しい思いをさせているのではないかと。
フレンの言葉は、俺が都合よく抑圧していた気持ちを掘り起こしたのだ。俺がサリーと一緒にいたいと願っているだけで、サリー自身は、俺と同じ考えなのかは分からない。
サリーのことを大切に思うなら、ネクロマンスなんてするべきではなかったのか。
「俺のやっていることは、間違いなのか……?」
救いを求めるように、俺はフレンを見上げた。フレンはすっぽりと頭部を覆っていたフードをめくる。木々の暗がりの中に、癖のある金髪が毛先を揺らして現れた。フレンは少しだけ表情を和らげ、手を差し伸べる。
「間違っています。けれど、やり直すこともできます」
仕舞いきれなくなって溢れ出した罪悪感を、フレンは浄化してくれているようだった。俺はすがるような思いで問いかける。
「俺は…… 俺はどうすればいい?」
フレンは包み込むように慈愛に満ちた笑顔を俺に向ける。既に俺は、彼女に心を奪われていた。
「私の言う通りにすれば、全て上手くいきますよ。大丈夫です。ダレスをネクロマンサーだと、ばらすようなことはしませんから」
◇◇◇
「えっ……? キサラ…… 一体どうしたんですか?」
先程よりも熱を失った砂浜に、ばさっと杖が落ちた。メロは目を見開き、呆然と立ち尽くす。アシュードは、俺の腕の中で目覚めることのないキサラを一瞥すると、両目を片手で押さえて湖の方を向いた。ルナール湖の穏やかな波の音が、パーティーメンバー全員を包んでいる。
「フレン、早く治癒魔術を! キサラの左腕がありません! このままではキサラが…… キサラが死んでしまいます!」
メロは俺の隣に立つフレンに、語気を荒げて訴えかけた。けれどフレンは、目を伏せ静かに首を横に振る。
「嘘…… ですよね……? どうせ皆で、わたしのことをからかってるんでしょ。キサラ、もう起きていいですよ。こんな冗談は、さすがのわたしだって怒りますよ」
茶化すように言うメロの声は、震えていた。
「すまない…… メロ……」
俺は深々と頭を下げる。メロの息を呑む音が耳に残った。
「何やってるんですかダレス!」
さらさらとした砂を踏みつけながら、メロは俺の前に立つ。そして、キサラを抱えた両腕を掴み、俺の顔を見上げた。幼さの残る丸い目は、真っ赤に腫れていた。
「どうしてキサラを守らなかったんですか!? キサラは戦えないんですよ。それはダレスも知ってるはずですよね?」
メロは力任せに俺の両腕を揺すった。目を閉じたままのキサラは、抵抗することなく腕の中で揺れる。俺はメロの怒りを、ただ受け止めることしかできなかった。
「もうよせ、メロ!」
アシュードが怒鳴ると、メロは俺の腕を乱暴に離した。
「わかってますよ…… ダレスは悪くないって。わかってますよ……」
メロは崩れ落ちるように砂浜へ膝をつく。小さな頭を隠すつばの広い帽子が、嗚咽混じりの呼吸に合わせ小刻みに上下している。
「わたしにもっと力があれば…… あの時、わたしも一緒について行けたら――」
メロと同じ事を俺も考えていた。俺に力があれば、キサラを守れたはずだ。サリーだって死なずに済んだかもしれない。
過ぎたことを後悔しても何も解決しないのは分かっている。だけど、そう思わずにはいられない。子どもの頃に憧れていた冒険者になって、強くなれたと勘違いをしていた自分が恥ずかしい。俺はまだまだ弱いんだ。
泣き叫んでうずくまるメロの背中を、フレンが優しく抱きしめていた。




