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貧民街のネクロマンサー 〜妹達との幸せな生活を夢見て〜  作者: ひとえ


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51話 湖の主


 水竜(すいりゅう)は積み上げられたアクアトードの死骸を一瞥(いちべつ)し、空中から俺たちに睨みを利かせる。日に照らされ青く輝く瞳が収縮すると、鋭利な牙を剥き出しにして激しく咆哮した。


 空気が震え肌がひりつく。俺は生唾をごくりと飲み込んだ。


「俺が注意を引くからお前らは早く逃げろ!」


 アシュードはその身をすっぽりと隠せるほどの大きな盾を構える。水竜に萎縮していた俺は、はっと我に返ってアシュードを見た。


「だめですよアシュード! 一人置いてなんか行けません!」


「そんな事言ってる場合じゃねぇのは分かるだろ!」


 語気を強めるアシュードに、メロは怯えて何も返せなくなる。ここまでメロに強く当たるアシュードを見たことがない。それほどまでに状況は切迫しているということか。


 風を切る羽音が、水竜を挟むようにそびえ立つ岩壁に反響し、重たく鼓膜を揺らす。奴は未だ、安全圏でこちらの様子を伺っている。


「俺たちが餌を奪ったと思ってブチ切れてるはずなのに、えらく用心深い奴だ。さすがはドラゴン種ってところか……」


 アシュードは口元を引きつらせながら好戦的に笑う。だけど、水竜を見据える瞳の奥には、どこか諦めたような弱さが潜んでいた。


「何言ってんのアシュード!」


 キサラが胸に手を当て叫んだ。


「わたしたちはあなたを置いて逃げたりしない」


「キサラまで何言ってんだ、状況を見れば――」


「それに!」


 戸惑うアシュードを退け続ける。


「ここで水竜を倒さないと、周りの村に被害が及ぶのは目に見えてる。わたしたちは、ルナール湖の脅威を取り除くためにここに来ているんだよ」


 肩で息をしながら吐き出すキサラの言葉には、不思議と引きつけられるような力が込められていた。


「倒すって…… キサラ、お前」


「そうだぞアシュード」


 キサラに背中を押されたような気がして、俺は拳を作ってアシュードに突き出した。アシュードは虚を突かれたように目を丸くする。


「お前の夢を手伝うって約束、俺は忘れてないからな」


「ダレスも何言ってんだ」


「わたしたちならできる。あいつを倒して、みんなで帰ろう」


「あーもう、お前らな」


 アシュードは頭部をかきむしりながら、やれやれと息を吐き出す。メロとフレンも、アシュードの目を見ながら力強く頷いた。俺たちに(ほだ)されたようで、アシュードはいつものように豪快に笑う。


「どの道逃げるのは難しそうだし、やるしかねぇか」


「そうこなくっちゃ。あっ、わたしは戦えないんだけどね」


 自虐混じりに言うキサラに、パーティーメンバーはくすっと笑みをこぼす。いつも通りの空気。けれど、血が冷たくなるような緊張感が皮膚を包み込んでいる。


 アシュードの夢。アシュードを追放した一族に、自分を救った料理の味を知ってほしい。彼らの身を縛る掟を振り解き、新しい世界を知ってほしい。

 その夢を、俺はまだ何も手伝えてはいないから。


「水竜の肉はどんな味がするんだろうな!」


 アシュードの目にもう迷いはない。力強い眼光を向けられ、水竜が空中でわずかに距離を取る。


「やってやろう、アシュード!」


 俺の声に呼応し、サリーが大剣を水竜に向けた。


 こんなところで、誰一人死ぬ訳にはいかない。



 水竜は大きな翼をしなやかに上下させたまま、ゴツゴツとした両腕を広げる。すると、水竜を取り囲むように無数の水の塊が現れた。うねうねと動く水は槍のように鋭く尖り、その矛先が俺たちに向く。


 水竜が腕を動かした段階で、即座に反応していたのはフレンだった。


「メロ、攻撃きますよ」


「任せてください。ウィールス・スペル!」


 フレンがメロに目配せすると、全てを察したようにメロは高々と杖を掲げる。


 水竜の咆哮と同時に、視界を埋め尽くすほどの水の槍が空を裂き、嵐のように迫りくる。しかし、無数の槍は、強烈な向かい風を受けたかのように減速を始めた。こちらに届く頃にはなんてことない雨粒に変わり、パサパサと砂浜に吸い込まれていく。


「さすがだメロ! これならいくらでも受けれるぜ」


「当たり前です。わたしの魔法ですよ」


 アシュードの感嘆する声に、濡れた頬をぬぐいながらメロは自慢気に鼻を鳴らす。メロのデバフは水竜にしっかり効いている。


「あとはあいつを引きずり下ろすだけだな」


 ニヤリと不敵に笑い、アシュードは盾を天に向け掲げる。水竜は腕を大きく広げ、また同じ遠距離攻撃の準備を始めていた。アシュード以外のパーティーメンバーは、示し合わせたように後方へ移動を開始する。


「俺を見ろ!!」


 水竜の咆哮にも負けない声量。水竜は腕の動きを止めて、アシュードを睨みつけて吠え立てる。そのまま羽根を大きく広げると、水竜はアシュードに向かって急降下を始めた。


「よしかかった! メロ!」


「ウィールス・パワー!」


 赤い靄に包まれた水竜は、滑空しながら巨大な足を振り下ろす。ガンッと乾いた衝撃音の後、足下の砂が破裂したように飛び散る。アシュードは水竜を正面から受け止めた。


 普通なら簡単に吹き飛ばされるであろう質量差が互いの間にはあるが、アシュードは僅かに()け反る程度。メロのおかげで、相手の攻撃はかなり抑えられている。

 

「軽い、軽いねぇ」


 水竜は二本の足を地に着け、右、左と交互に腕を振り下ろす。鋭利な爪先が迫りくるが、アシュードは余裕そうな口振りでこれをいなした。


 思うように攻撃が通らず苛立っているのか、水竜は長く伸びた尾をしならせ、バシャバシャと水面に打ち付けている。


「あまり無理をしてはいけませんよ」


 フレンがアシュードに向け手をかざし、治癒魔術を唱える。


「おぉ、さすがフレンだ。ちょうど手の感覚が鈍くなってきたところだったんだ」


 愉快そうに笑うアシュードに、フレンは困ったように眉尻を下げた。フレンがアシュードの状態を見抜く目は、戦闘を重ねる度に研ぎ澄まされている。


 回復したアシュードは、水竜の連撃を丁寧に受け止めていく。隙を見てメロが再びデバフを付与した。



 ミラーデーモンには、メロとアシュードのスキルは全く通用しなかった。けど水竜には、俺たちの戦い方で勝負ができる。


 メロが相手の能力を下げ、アシュードが攻撃を受け止める。すかさずフレンが治癒魔術を唱えれば、魔力の続く限り、アシュードは難攻不落の要塞と化す。

 後は俺が、水竜の喉元に刃を通すだけ。


 俺は呼吸を整え、サリーを見る。同じタイミングでサリーも俺の顔を見上げた。言葉を交わすまでもなく、俺たちは通じ合えていると感じた。

 

 ほんの一瞬の間にも攻防は進んでいく。水竜は強靭な顎をかっと開き、幾重にも並んだ牙をアシュードの頭部目掛け突き立てた。アシュードは絶妙な盾さばきでこれを防ぐ。

 横腹を切り裂かんとする次の一手。これを、見切ったように最小限の重心移動でアシュードは受け止めた。盾にはべっとりと水竜の唾液が付着している。


 最初は慎重だった水竜も、アシュードに乗せられて攻撃が大胆になった。その結果、無防備までとはいかないが細長い首のガードは薄い。日光を反射する尖った鱗はかなりの硬度がありそうだが、メロのデバフがあれば貫けないことはないはず。


「メロ! 首を狙うぞ」


「了解です!」


 メロに視線を送ると、俺は水竜の首を掴むイメージで広げた手を握りしめる。するとサリーは、大剣を手に颯爽と駆け出した。黒髪がばさりと(なび)き、スカートの裾に施されたレースが踊るように揺れる。

 メロは攻撃力低下のデバフを放った後、杖を両手でくるりと回した。


「ウィールス・ガード!」


 水竜の首に青い靄がかかる。まるで、そこを斬れと言わんばかりの目印のようだ。そんなことなど気にもとめず、水竜は大きな口を開けてアシュードにかぶりつく。ガンッと盾で牙を弾くと、少し怯んだように水竜は攻撃の手を緩めた。


 ここで決める。


 距離を詰めていたサリーは地面を蹴った。小さく体を捻ってためを作り、なぎ払うように大剣を振るうが。


「嘘だろ……」


 狙い澄ました一撃は空を切った。

 サリーが飛びかかった直後に、水竜は素早く羽ばたき飛び上がったのだ。水っ気のある砂が舞い散る中、その流れでアシュードを踏み潰しにかかる。サリーは虚しく、バシャンと水面に着地した。


「おい、ダレス! 攻撃が読まれてるみたいだぞ」


 アシュードは腰をぐっと落としながら、水竜の足底を受け止める。余裕を感じさせる横顔に、少し影が見え始めた。フレンは少し焦ったような声色で、治癒魔術を唱える。


 サリーが攻撃する直前。水竜の視線はアシュードを捉えたままだったが、こちらの攻撃を回避するために最低限の跳躍を行なった。周囲の状況をしっかりと把握している証拠だ。


 これが水竜。単なる本能的な動きではなく、知能を活かしての動作。簡単に首を取らせてはくれないらしい。だが、まだ一発外しただけだ。


 心の中で俺はサリーに呼びかける。もっと速く、鋭く。かわされるなら、かわせないほどのスピードで。


 俺が大きく腕を振ると、サリーは水面を蹴って駆け出した。そしてもう一度、水竜の首筋に刃を向ける。


「だめか……」


 やはり大剣は水竜に届かない。サリーは体を切り返し、再び斬り付けたのだが、これもぎりぎりのところでかわされてしまう。


 何がいけないのか、どうすれば良いのか。サリーを操るように手を振りながら、俺は思考し続けた。


 だけど答えは出てこない。だからといって攻撃を止めるわけにはいかない。ほんの一瞬の攻防が、まるで何分もの間、膠着していたかのように長く感じられた。

 

 額から汗が流れ落ち、呼吸が浅くなってくる。身体を蝕むように体力が削られていく。それでも俺はただ、サリーと共に戦った。


「ダレス! ストーップ!」


 ぼんやりとしかけた意識がパッと鮮明になる。声のする方を向くと、キサラが両手を筒のように頬に当て懸命に叫んでいた。


「サリーちゃんと一緒にこっちに来て」


「でも水竜が」


「いいから、わたしを信じて」


 湖面で反射した日光がキサラの瞳を煌めかせた。彼女の目に揺らぎはない。この状況でも打開策が浮かんでいるのだろうか。


「わかった!」


 俺は託すような思いでキサラに向かって走り出す。それを見て、キサラは安堵したように微笑み、湖と反対の森の方へと駆け出した。


「みんな! 絶対戻って来るから、少し時間を稼いで」


 頭だけを振り向かせ、走りながらキサラは言う。


「頼んだぜ、キサラ!」


「お願いします!」


「ダレス! ちゃんとキサラを守ってくださいね」


 アシュード、メロ、フレンは交戦しながらも、俺たちの背中を押すように力強い言葉をかける。


 リーダーであるキサラへの信頼。それが、みんなの表情や仕草からありありと伝わってくる。俺は足をさらに大きく踏み出し速度を上げる。ようやくキサラの隣へと追いついた。


「これからどうするんだ?」


「あの槍の子。トージっていったっけ? 彼を追いかけるよ」


 飛び出したまさかの名前に、俺は目を丸くする。キサラを信じて間違いはないと思ってはいるものの、頭の中で不安が膨らんでいく。


 アクアトードから逃げていたトージが、水竜を何とかできるのか?



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