49話 クエスト開始
ルナール湖の畔には、なんとも残酷な光景が広がっていた。残酷というのは、冒険者たちが魔物に蹂躙された―― わけではなく、その逆。足の生えた巨大な魚の魔物が、尾びれだけ切り取られ草むらの上に横たわっている。数は百を優に超えるだろう。
「そっちからまた上がってきてるぞ!」「どんどん殺して尻尾切っちまえ」「暗くなるまでが勝負だぞ」
太陽はもう半分以上見えなくなり、視界を奪う夜がそこまで迫っている。けれど、何組かの冒険者パーティーは我先にと、湖から上がってくる魔物に剣を振るっていた。
「大量発生したって魔物は、情報通りアクアトードね」
鼻をつまみながら、キサラは確かめるように言う。ルナール湖から離れた距離でも生臭さは漂っていたが、ここまで近づくと口だけで呼吸したくなる。
「あの蛙みたいな、足が生えた魚のことだよな?」
「そうそう。本来陸に上がることは少ないんだけどね」
俺の疑問を、魔物の専門家でもある地導士のキサラは直ぐに解決してくれた。
ギョロッとした目玉を持つ、馬ぐらい巨大な魚。それが蛙そっくりの二本足で陸を跳ねている。足の先には半透明の水掻きが扇状に広がり、ネバネバした液体をまとっていた。
だが、見た目の割に跳躍力は皆無なようで。ぴゅんぴょん跳ねては転がる死体に引っかかり、みっともなく転倒を繰り返していた。
「あいつらが本当に、冒険者ギルドが緊急のクエストを出す程の魔物なのか?」
「陸上でのアクアトードはそれほど脅威じゃないね。注意しないといけないことはあるけど。でも、この数が村に押し寄せたらやばいかな」
「確かに……」
想像するだけで鳥肌が立ってくる。あんな気味の悪い魔物が村中に現れたらトラウマものだ。しばらく魚は食えなくなるだろう。サリーも怖いのか、俺の背中に隠れたままだ。
「一体何のために出てきているのでしょうか」
フレンがぼそっと口を開くと、キサラは「そこなんだよ」と、わずかに声を荒げた。
「大量発生して、餌がないから陸に上がってきてるとは思うんだけどさぁ。どうもお腹をすかせた魔物の動きに見えないんだよね」
キサラはうーんと首をひねる。
アクアトードは、どの個体も慌ただしくルナール湖から上がってくるのに、地に足を着けると一変して動きが鈍くなっているのだ。魚と同じ見た目をしているのだから、陸が不得意と言われればそれまでなのだけど。何かこう、湖から出ること自体が目的のような、そんな印象を受けた。
そして、ほとんど無防備なアクアトードを冒険者たちが取り囲んでいく。新入りの俺が言うのもなんだが、彼らの動きはぎこちないし連係も雑だ。ランクの高い冒険者には見えない。けれど、アクアトードは簡単に倒されていく。それほどまでに相手は弱い。
「口を開けたぞ、あいつの正面から離れろ」
戦闘中のリーダーっぽい冒険者が呼びかける。一匹のアクアトードが身を屈め、エラを張りながら大きく口を広げた。仲間の冒険者はあたふたしながらも、アクアトードの左右に回り込む。
ビュン、とアクアトードの口から砲弾のように水の塊が放たれた。回避行動を終えた冒険者が見守る中、そよ風に踊る草むらを突き抜け枯れ木に直撃。減速することなく太い幹を貫くと、地平の彼方へ消えていく。
「凄い威力ですね……」
口元を手で覆い、怯えたようにメロが言う。メキメキと音を立て、枯れ木が一直線に倒れた。
「まぁね。でも分かりやすい予備動作があるし、一度構えたら方向転換はできないから」
キサラが解説を続けている間に、アクアトードは両サイドから斬撃を受け沈黙。
確かに、相手の攻撃パターンが分かっていればそれほど脅威ではなさそうだ。しかも、アクアトードが口を開けてから、発射するまでそれなりに時間はある。不意を突かれでもしない限り、当たることはないだろう。
「そういえばさぁ」
俺は、歓喜の声を上げながらアクアトードの尾びれを刈り取る冒険者たちを指差す。
「なんで尾びれだけ持ってくんだ?」
「それはだね、ダレス君」
「なんですかキサラちゃん」
キサラが勿体ぶるようにためを作り、にんまりと口角を上げる。知識を披露する時のキサラは、いつも機嫌が良い。
「ギルドってのは疑り深くてね。何を何匹倒したか、きちんと証明するのに必要なんだよ」
「なるほど」
「魔物の種類によって部位は変わるんだけどね。角だったり、尻尾だったり。目玉を要求されるときもあったかな」
関心する俺の顔を見て、キサラは満足そうに話を続けた。メロが、「ダレスはまだまだですね」と先輩風を吹かしているが無視することにする。
「そろそろ安全に夜を越せるとこを探そうぜ。腹も減ったしな」
「あっちの丘の方なんか、いいかもしれませんよ」
痺れを切らしたようにアシュードとフレンが話に割って入る。キサラは自身の首の後ろを手でさすった。
「ごめーん。夢中になっちゃってつい。じゃあ行こっか」
さっきまで夕焼け色に染まっていた草花が、夜の黒に溶け込み始めている。キサラは大きなリュックを揺らし、フレンが提示した小高い丘へと歩みを進めた。
ここでのクエストが終われば、とりあえずこの旅は一段落となる。その後はどうなるんだろうか。お金はまだまだ足りないだろうし、冒険者として稼いでいく必要はあるけれど。それに…… 俺はパーティーの先頭に立つキサラに視線を向ける。
キサラが一緒に世界を見て回ろうと、俺に世界の美しさを教えてくれると言ってくれた。まだキサラが言うように見える景色に色はない。だけど、俺の冷え切った心の中では、キサラとの約束が眩いほどに輝いていた。
◇◇◇
「じゃあ、やったりますか! わたしは戦えないけど」
キサラの自虐混じりのかけ声に、パーティーメンバーはくすっと笑いながら「おー」と被せる。丘から見下ろすルナール湖は穏やかで、真っ青な湖面が朝の日差しを受けてキラキラ光っている。
アクアトードの死体さえ転がって無ければ、サリーとリゼ妹二人を連れて散歩でもしたい気分だ。
「日も出たし、ぼちぼちアクアトードが湖から上がってくると思うんだけどね。わたしが早起きしてよさそうな狩り場を見つけといたから、そこで迎え討とう」
「一人で拠点から抜け出していったと思ったら、そういうことだったんですね」
「そうなのだよ。キサラちゃんはできる子なのです」
関心するフレンを横目に、キサラは腕を組みながらコクコクと頷く。
キサラを先頭に丘を下り、俺たちは両端をそり立つ岩壁で囲まれた入り江に到着した。足下まで迫るさざ波が、優しく砂浜を濡らしては湖に引き戻されていく。
この地形であれば、正面からしかアクアトードが現れることはない。知らないうちに後ろを取られて攻撃される、なんてことはなさそうだ。
「それじゃあいつも通りの作戦で…… って? なんか聞こえない?」
「あっちの方から人の声がしますよ」
キサラがきょろきょろと辺りを見回すと、メロが湖に向かって突き出した岩肌を指差す。その影から、槍を握った男が息も絶え絶えに飛び出してきた。
「あいつは……?」
どこか既視感めいたものが、頭の中でぐるりと巡る。吊り上がった目に、鋭利な刃先の槍。関わってはいけないと、体中から危険信号が発せられる。
「頼む! 助けてくれ!」
槍の男の後ろから、ビシャンと水を蹴る音。
一匹のアクアトードが口をパクパク動かしながら、槍の男を追いかけている。アクアトードの動きは鈍いが、さすがに膝下まで水の浸かった人間よりは速いらしい。
「あいつも冒険者だろうが。まぁ、助けないわけにはいかねぇわな」
アシュードは顎髭をさすりながら、片眉をピクリと動かす。そして視線を、槍の男から俺に移した。
「えっ? 俺が?」
「ダレスにしかできませんよ」
他にも適任がいるんじゃないかと俺はみんなを見回す。しかしフレンは、無言の笑顔で俺を釘付けにした。圧が凄い。まぁ、このパーティーの唯一の攻撃役だし、仕方が無いのはわかるんだが。嫌な予感がするんだよな。
「わかったよ」
「尻尾は傷つけないでね。回収しにくくなるから」
キサラの忠告を耳に入れながら、俺は手のひらをアクアトードに向ける。指先をくわっと広げると、サリーは大剣を地面と水平に構え、前方に飛び込んだ。水分を多く含んだ砂が、勢いよく舞い上がる。
サリーは向かってくる槍の男をかわし、アクアトードの横っ腹まで詰めよった。そして、ブンと大きく大剣を振り上げると、アクアトードの体は二つに分かれて空を舞う。水面に叩きつけられたそれが、大きな水しぶきを上げた。じわっと流れ出る体液が、美しい湖畔を深い赤に染めていく。
「た、助かった……」
逃げてきた槍の男は、息を切らしながら俺の前で膝に手をつく。上下する頭頂部を眺めていると、背筋から嫌な汗がじわっと流れ出した。
「じゃあ、俺たちはこのへんで……」
「待ってくれ―― って、お前は!?」
そそくさとこの場から離れようとした矢先、顔を上げた槍の男とがっつり目が合った。
「ダレス……!」
槍の男は睨みながら、噛み殺すように俺の名前を呼ぶ。
そう、こいつはギルドで俺に因縁をつけてきた冒険者トージだ。この表情は、まだあの一件を根に持ってるってことだよな。
「あっ! サリーちゃんに蹴り飛ばされてた冒険者じゃん」
キサラのあっけらかんと発せられた言葉に、アシュード、メロ、フレンは「あぁ」と目を見開いた。トージは再び頭を伏せると、殺気立っていた顔が耳の先まで赤くなっていく。
普段は比較的温厚な俺だが、この時ばかりはざまぁ見ろと、腹の底ではほくそ笑んでいた。キサラ、よくやってくれた!




