28話 新生活の予感
「これは、また……」
『とても良くお似合いです、ダレス様』
ネルンの感嘆を漏らす声が、俺の頭の中に直接広がる。
黒いローブを身にまとう男が、脱衣所に壁掛けされた大きな鏡に映っている。未だ立ち込める湯気によって、鏡には白い膜がうっすら残ったままだ。
汚れに汚れた体を洗い終え、最高の気分で浴室から出たものの、俺の着ていた服は…… 捨てられていた。
なんでも、俺の服は雑巾にも使えないほどに汚れていたらしく、正真正銘のゴミとして処分されている。
ナターシャの指示とはいえ俺の服を捨てた実行犯は、鏡に映る俺の姿を見ながら胸の前でパチパチと手を叩いている。可愛い…… が、人の気持ちも少しは理解してほしい。
身にまとっているこのローブは、ナターシャのものとよく似ている。さすがに胸元がざっくりと開いているわけではないのだが。
全身を包み込むゆったりとした生地の質感はとても心地よい。それに、季節外れの装いではあるが、嫌な暑さを感じることもなかった。
『それではダレス様。奥の部屋でナターシャ様がお待ちですので』
「ああ、案内してくれ」
振り向きざまに、ネルンの黒のスカートがなびく。短い歩幅で静かに進む彼女に続き、俺は脱衣所を後にした。
屋敷のエントランスから伸びる大きな階段を上ると、リゼのはしゃぐ声が聞こえてくる。
「お姉ちゃん! とってもかわいいよ!」
扉を開け視界に飛び込んできたのは、ナターシャのメイドたちに囲まれるサリーと、目を輝かせて姉に抱きつくリゼの姿だった。目の前に幸せな空間が広がっている。
サリーは光沢のある黒色のドレスに、レースを襟元に施した白のブラウスを重ね着していた。小さな頭の上には紺色の髪飾り。スカートはボリュームがあり、裾にもレースがふんだんにあしらわれている。
これでもかと女の子が喜びそうな要素を詰め込んだ服装に、サリーの生を感じない表情。二つが合わさり、まるで本物の人形が動いているかのような異質さが生じている。
「あっ、お兄ちゃん! みてみて、お姉ちゃんとっても可愛いでしょ」
「そうだな。それに、リゼもとってもかわいいぞ」
「えへへ…… そうかな……?」
赤くした自身の頬を隠すように、リゼは両手を添える。
リゼは周りのメイドたちと同じ衣装に着替えていた。黒のドレスに白いエプロン。似合ってはいるが、服に着られているというような印象を受ける。
この様子だと、ナターシャたちに何もされてはいないようだな。
「メイドさんたちがね、着せてくれたの! それに、お風呂で体も洗ってくれたんだ。それもお仕事なんだって!」
「なっ……」
リゼが嬉しそうなのはいいが、そこまでされているとは思っていなかった……
「やっと来たわねダレス、待ちくたびれたわ。ネルンに欲情して、良からぬことでもやってたのかしら?」
「そんなことは一切ない。っていうか、妹たちの前で欲情とか言うな」
対面になるよう並べられたソファーに腰掛け、ナターシャは紅茶をすする。相変わらずの蔑むような目に、俺は臆することなく身の潔白を示す。
「どうなの、ネルン?」
『はい。ダレス様は優しく包み込むように、私のことを気にかけながらお相手してくださいました』
「優しく…… 包み込むように…… ね?」
「お、俺は話を聞いただけだからな。ネルンは紛らわしい言い方をしないでくれ」
ナターシャはテーブルの上にカップを置き、ニヤッと微笑んだ。
「ねぇ、お兄ちゃん。よくじょう? ってなに?」
「えっ…… あっ、ほら、浴場だよ、浴場。俺も体洗ったからな、今、お風呂の話をしてたんだ」
リゼの純粋な目が眩しい。やっぱり妹たちをナターシャに会わせるべきじゃなかったか。あいつは教育上よろしくない。
「もう、バカなことやってないで、あなたたちこっちへ座りなさい」
「お前が始めたんだけどな」
俺の指摘を無視して、リゼとサリーに笑顔で手招きするナターシャ。リゼは嬉しそうに駆け寄りナターシャの隣へ座る。
屋敷に来るまでは怖がっていたのに、この短時間でそんなに打ち解けたのか。
不思議に思いながらナターシャと向かい合うように腰掛けると、サリーはコツコツと黒いブーツを鳴らして俺の隣にちょこんと座る。残念そうな顔をするナターシャに、俺はしたり顔で鼻を鳴らした。
「みんなよく似合ってるじゃない」
ナターシャは満足気な顔で、足を組み直した。ローブの裾から彼女の白い膝頭がちらりと顔を出す。その脚線美に目が奪われそうになるのを、俺は必死でこらえる。
「ああ、こんな良いものをもらってすまない、サリーとリゼも喜んでるよ。でも、なんでリゼはメイド服なんだ?」
「ここで住む以上、最低限の仕事はしてもらうわ。無茶なことはさせないから安心して」
「それは仕方ないよな。本人もやる気みたいだし」
「まかせてよ」
リゼは大げさに、顔の前で両手をグッと握りしめる。その表情を見る限り、孤児院ではなく、この屋敷で住まわせてもらうことは正解だったようだ。
それに、浴場でネルンから聞いたメイドたちへのナターシャの行い。目の前で優雅にくつろぐこの女を、案外いい奴なのではないかと感じ始めている自分がいる。
そして、ネルンと交わした約束。ナターシャとの契約は必ず果たさなければならない。
俺もここで頑張らないと。兄として、妹に情けない姿を見せる訳にはいかないのだ。
「ナターシャ。改めて、俺たち三人。よろしくお願いします」
「はぁ? あなたとサリーちゃんは住ませないわよ」
「えっ……?」
頭を深々と下げたものの、降りかかってきた言葉は想像と違っていた。
「リゼちゃんは、孤児院で生活するのが心配だから連れてきただけよ。ここならあの子たちが守ってくれるし」
ナターシャが控える五人のメイドに視線を送る。メイドたちはスカートの端を摘み、一礼した。
その優雅で品のある振る舞いに、リゼは目を輝かせて拍手する。
「ダレスとサリーちゃんにはやってもらうことがあるの。それを今から説明するわ」
紅茶を手に、また足を組み直しながらソファーへもたれかかるナターシャ。絹のような髪が褐色の背もたれに広がった。
「ダレス。あなた、冒険者になりなさい」
「冒険者? ……俺が?」
話の意図が見えず面食らっていると、俺の顔を見てナターシャは悪い笑みを浮かべる。
もう、嫌な予感しかしない。




