25話 再会
夢のような夕食の後、俺は生まれ育った貧民街へと向かった。もちろん俺、一人でだ。
ナターシャの「遅くならないようにしなさいよ」なんて、子供扱いする言葉を背に屋敷を出ると、外はもう、仄暗い状態で。ぽつぽつと星々が顔をのぞかせ始めていた。
久しぶりに食べた肉の余韻に浸ることもなく、貧民街を目指した目的は、二人の女性に会うためだ。
共同墓地の一件で、俺と妹たちが貧民街の無法者共に狙われていることを知った。それ故に、俺の行動は口を開けた獣に自ら飛び込んで行くような行為ではあるが、ナターシャからもらったこのローブはフードが付いている。この暗がりの中、顔まで隠せばそう気づかれることはないだろう。
なにより、明日までに俺は『けじめ』をつけないといけない。
まず初めに会った女性は、孤児院のマリエラ先生だ。
サリーを埋葬するためにリゼと孤児院を離れてから何も連絡していなかったので、二人の面倒を見てくれていた先生にはこの結末を伝える義務があった。もちろん、ネクロマンサーの事は伏せないといけないが……
この時間でも慌ただしく働いていたマリエラ先生。時間を作ってもらい、サリーは丁寧に埋葬したこと、リゼの面倒を見てくれる人が現れたことを簡潔に伝えた。
サリーの話だけ嘘になるので少し心苦しかったが、マリエラ先生は何かを察したような目で「わかったわ、その人にリゼをお願いしますと伝えて」とだけ俺に託し、詳しく追及することはなかった。
二人目の女性は―― ガインの母さんだ。
しかし、久しぶりに訪ねた親友の家はもぬけの殻だった。
俺の家に似た、木造の古い造りの家。荒らされたような形跡はないが、不自然なほどに家具は置いておらず、人が住んでいたような気配を感じとれることはなかった。ただ、ポツンと寝具のないベッドが窓の側に置かれていたのだ。
病に伏せる母親のため、薬代を稼ごうとしていたガイン。働いている間に何かが起こったのは間違いないだろう。
ベッドに積もった埃を軽くローブの袖で払い、焼け焦げた数枚の銀貨をそこに並べた。窓から差し込む月明かりが、ベッドと銀貨を優しく照らす。
俺は、ガインの形見を届けることはできなかった。
後悔が全身を巡った後、頭の中で蘇る親友の最期。ひどく怯えた顔が、炎に包まれていく情景。
胸の痛みとともに、体の芯が熱くなってくるのを感じる。こんなことを許してはいけない、変えなければならない。
ベッドに向かって「必ず連れて帰ります」と小さく漏らし、俺は貧民街を後にした。
そして―― 冒険者としての一日が始まる。
◇◇
ここで、合ってるよな?
俺は、ナターシャに教えてもらった冒険者ギルドの前で、サリーと二人、無様にも固まっていた。分かりやすく看板まであるのに、場所を間違えていないか何度も読み直したり、もじもじして時間を無駄に潰している。貧民街以外の場所はどうも緊張してしまうのだ。
俺だけでなく、貧民街出身者はみな、同じ劣等感を抱えていることだろう。
近くには外界とを繋ぐ大きな門があり、検問を終えた人々が次々に流れ込んでくる。
その中でも一際目立っていたのが、剣や槍を背負い、鎧兜で武装した三人組。その一人が冒険者証を荷袋に入れたのを確認すると、俺は注意深く、彼らの観察を始める。
「とりあえずクエストを受けてから休もう」
先頭を歩く、剣を背負った若い男が振り向きながら話す。若いとはいえ、俺よりは年上だろうが。
身にまとう質素な鎧には汚れやサビが目立っているが、へこみや傷といった戦闘の跡は、何故か見当たらなかった。
「先に飯にしようぜ」
「俺も腹減ったぞー」
槍を背負う長髪の男と、大柄な男が気だるそうに話す。剣を背負った男がそれをなだめ、後ろの二人もしぶしぶこちらへ向かってくる。背負った槍の矛先には、刃を隠すように布が巻かれていた。
俺は道を譲って、目を合わせないように三人の様子を伺う。目の前を横切り、冒険者ギルドの扉の前で槍の男だけが立ち止まって、何かを思い出したようにこちらへ振り返った。
「ちっ……!」
俺の顔をキッと睨み、あからさまな舌打ち。まさか、この数秒で俺が貧民街出身って気づいたのか? これが、冒険者…… まさか、そんなわけないか。
先に行く二人に続き、中へ入っていく槍の男。
少し驚きはしたが、その後に遅れてやってきた馴染みのある感覚に頭の中を支配される。
結局みんな一緒じゃないか。
子供の頃に憧れた冒険者も、元をたどればただの人間だ。元をというより、人間が冒険者の皮を被っているだけか。
俺が貧民街出身ってことに気づかなくても、気に入らない奴、自分より劣っている奴に平然と敵意を向ける。
やはり、この世界はそんな連中ばかりのようだ。
扉の前で二の足を踏んでいた体が、すっと軽くなる。不安が消えたわけじゃないが、どこが踏ん切りがついたような、諦めたような、心がだんだん冷えていく感覚。
俺はサリーの手を引き、扉を開く。握った手はあまり冷たいとは感じなかった。
「この時間は大変混み合っておりまーす! 順番にお呼びしますので、今しばらくお待ち下さーい!」
手を高く上げ、声を張り上げる受付の女性。
そのアナウンスに、髭を蓄えた老人が皮肉交じりに文句を言い、若い男女が煽るように野次を飛ばす。中は老若男女、様々な装いの冒険者でごった返していた。
たが、この場に嫌な空気は流れておらず、むしろこの状態を全員で楽しんでいるような、そんな一体感を俺は肌に感じていた。
確か、新人の研修ってやつをを受けないといけないんだったか。
ナターシャに言われたことを思い出し、受け付けに向かおうとしたところ、品のある声が俺を呼び止める。
「もしかして、ダレス? ダレスじゃないの!」
「ローラ! 久しぶりだな」
声のする方を見ると、人混みより頭一つ分大きな女性がこちらへ向かってくる。自分でも声のトーンが明るくなっているのがわかった。
同じ貧民街出身、共に炭鉱で働いた仲間。ガインの死に激高し、貴族に歯向かおうとした俺のことを、彼女は身を挺して護ってくれた。 ローラは俺の命の恩人だ。
ローラは姿勢を低くし、俺の瞳をのぞき込む。
「ガインのこと、まだ引きずってるんじゃないかって心配していたんだけど、その様子だと大丈夫そうね」
ローラは優しく頬を緩め、安心したような表情をみせる。
「あぁ、しおらしくしてるとガインに笑われそうだしな」
「それもそうね」
ニッと笑ってみせると、ローラも俺につられるように声を出して笑う。
「それで、なんでこんなところにいるんだ?」
「そんなの決まってるじゃない。私、冒険者になったのよ」
ローラは自分の胸をドンッと叩く。その手には、拳を保護するように包帯が何重にも巻かれていた。
「この間の稼ぎでやっと冒険者の登録料が払えるようになって、今は武闘家としてクエストをこなしてるんだよ。まだ見習いだから、本格的な戦闘経験はないんだけどね」
ローラは深く腰を落とし、拳を俺の顔に向ける。形だけとは分かっているが、その迫力に負け、俺は思わず顔を手で覆い後ずさる。俺の姿をからかうように笑うローラ。本当に恐いからやめてほしい。
そういえば、王都の広場での騒ぎで、ガドックが武闘家のスキルを使っていると見抜いたのはローラだったか。その頃から武闘家の心得があったとは。
「冒険者はいいわよ。ここにいる人達は、性別や身分、出身がどこかなんかで人を差別することはない。実力だけがここでの正義」
真剣な眼差しで、ローラはゆっくりと周りの冒険者を見渡す。「出身」という言葉に力強さを感じたのは、俺の気のせいではないだろう。だが、さっき舌打ちされたのはなぜなんだ?
「そう言うダレスはなんでここにいるの? あれ? あなたの後ろで立っている子って、もしかしてサリー……」
「あぁー! ロ、ローラ、この続きは向こうで話そうか」
「えっ、なに? わかったから、そんなに引っ張らないでよ」
俺は慌ててローラの手を引き、人気のない隅の方へと急ぐ。まぁ、俺にローラを引っ張る腕力はないので、無理くり着いてきてもらっている形だが。素直に応じてくれるローラに感謝だ。
「で、どうしたの? 急に血相変えて」
ローラの顔には心配の色。
俺は話せる範囲で、これまでの経緯をローラに伝えた。
「そう…… サリーちゃんは亡くなって、ダレスは人形師で冒険者…… この子はただの人形――」
ローラは口を軽く手で覆い、伏せ目がちに言葉を漏らす。サリーは冷たい瞳で、ローラを見つめていた。
嘘の混じった内容ではあるが、ここ数日の出来事を改めて思い返すと、未だに信じ難いものがある。
全てを話せないことに罪悪感を覚えつつも、俺はローラからの反応を待つ。
「――ダレス、大変だったでしょ。よく頑張ったわね」
何かを見透かしたような目でありながらも、その表情は優しさで満ち溢れていた。
前にも似たようなことがあって、その時は涙を流して包み込むような言葉に甘えてしまった。だけど今は、前を向いて進んでいける。体の真ん中にある、燃えるような熱い気持ちが、俺の事を突き動かす。
「どうってことないよ。だって俺は…… 冒険者だぜ」
「そうだったわね」
俺は拳を突き出すと、ローラは華やかに笑いながら応える。軽く触れ合う二つの拳。
「それと、あんたの師匠って人にしっかり感謝しなさいよ。冒険者ギルドの登録料は安くないんだから」
「ああ、もちろんだよ」
ローラは腕を組んでピクリと片眉を上げた。俺は思わず苦い笑みを浮かべる。
冒険者になるために、ローラは必死で稼いだんだもんな。友人とはいえ、俺が人の金で冒険者登録したというのは、あまり気持ちの良い話ではなかったのかもしれない。ナターシャにはちゃんと感謝を伝えておこう。
「これ以上は聞かないわ。いつか一緒にパーティを組んでクエストに臨むこともあるだろうし。また、その時に語り合いましょう」
「すまん、パーティ? って何なんだ?」
「何って、研修受けたでしょ」
「ちょっと理由あって、今からなんだ」
「あなたね」
呆れるような声色でありながらも、ローラの温もりが確かに伝わってくる。どこかのネクロマンサーとは大違いだ。
「まぁ、しっかり話を聞いて頑張んなさい。私もまだ冒険者になったばかりだから、偉そうなこと言えないけど」
「ありがとうローラ」
「それじゃあ、もう行くわね。これからクエストなの」
ローラはサリーの前に立ち、しゃがみ込んで視線を合わせる。
「ダレスをよろしくね」
サリーの頭をそっとなでるローラ。サリーは彼女の大きな手を、抵抗することなく受け入れる。変わらない表情。
ローラは数歩進んだところで、何か忘れ物を思い出したかのように振り返り、口を開く。
「ダレス、仲間を作りなさい。そして、その仲間と色々なところを見てきなさい」
力強いローラの瞳に、俺は目を奪われる。
「あなたが考えているより、この世界は悪いものじゃないわ」
ローラは軽く微笑んだあと、人混みをかきわけ外へと出て行く。俺は口をぎゅっとつぐんだまま、何も言葉を返すことができなかった。
同じ貧民街出身のローラ。年上の彼女は、俺なんかよりも長く、辛くて苦しい時間を過ごしてきたはず。まして、女性だ。今まで差別されることも多かっただろう。
そんな彼女が「この世界は悪いものじゃない」と言う。
母さんにガイン、サリーの命を簡単に奪っていったこの世界を。命の価値を平等に扱わないこの世界を。
この世界は不条理だと知っているから、俺はローラに何も返すことができなかった。心の底からこの世界は間違っていると思っているから、戦ってこれた。
なのに――
サリーは何か訴えかけるような目で、俺を見つめてくる。俺はローラと同じように、小さな頭を優しくなでた。
貧民街出身者として、冒険者として、俺の先を歩くローラには、一体この世界がどう見えているのだろう。
甘ったれているとさえ感じたローラの言葉を否定しなかったのは、きっと、俺もその景色を見てみたいと思ったからなんだろう。




