21話 新生活の予感
「これは…… また……」
『とても良くお似合いです、ダレス様』
黒いローブを身にまとう男が、脱衣所に壁掛けされた大きな鏡に映っている。未だ立ち込める湯気によって、鏡には白い膜が薄っすら残ったままだ。
汚れに汚れた体を洗い終え、最高の気分で浴室から出たものの、俺の着ていた服は…… 処分されていた。
脱衣所の外で待機していたネルンに、俺の晴れ着の所在を問いただすと、『ナターシャ様からの指示です』と俺の服は捨てられ、代わりにこのローブが置かれていたのだ。
なんでも、俺の服は雑巾にも使えないほどに汚れていたらしく、正真正銘のゴミとして処分されている。あんまりだ。
指示とはいえ俺の服を捨てた実行犯は、鏡越しの俺の姿を見ながら胸の前でパチパチと手を叩いている。可愛い…… が、人の気持ちも少しは理解してほしい。
身にまとっているこのローブは、ナターシャのものと似たような印象を受けた。さすがに胸元がざっくりと開いているわけではないのだが。
全身を包み込むゆったりとした生地の質感はとても心地よい。それに、季節外れの装いではあるが、嫌な暑さを感じることもなかった。
ただ、貧民街育ちの俺はローブなんて着るのは生まれて初めてで。勝手が分からず、途中ネルンを呼んで手伝ってもらったことは内緒だ。
『それではダレス様。奥の部屋でナターシャ様がお待ちですので』
「ああ、案内してくれ」
振り向きざまになびくスカート。短い歩幅で可憐に進むネルンに続き脱衣所を後にする。
大きな階段を上ると、聞こえてきたのは女の子たちがはしゃぐ声。
「お姉ちゃん! とってもかわいいよ!」
扉を開け視界に飛び込んできたのは、メイドたちに囲まれるサリーと、目を輝かせて姉に抱きつくリゼの姿だった。目の前に幸せな空間が広がっている。
サリーは光沢のある黒色のドレスに、黒いレースを襟元に施した白色のブラウスを重ね着していた。胸元には大きな黒いリボン。小さな頭の上に紺色の髪飾り。スカートはボリュームがあり、裾にはレースがふんだんにあしらわれている。
これでもかと女の子が喜びそうな可愛いらしい要素を詰め込んだ服装に、サリーの生を感じない表情。二つが合わさり、まるで本物の人形が動いているかのような異質さが生じている。黒が基調なのはナターシャの趣味だろうが。
「リゼにサリーも、何か変なことはされなかったか?」
「あっ! お兄ちゃん! みてみて、お姉ちゃんとっても可愛いでしょ」
「そうだな。それに、リゼもとってもかわいいぞ」
「えへへ…… そうかな……?」
頬を赤くしながらも、満更ではない様子のリゼ。
リゼは周りのメイドたちと同じ衣装に着替えていた。黒のドレスに白いエプロン。似合ってはいるが、服に着られているというような印象を受ける。
まぁ、可愛いので何も問題はない。この様子だと何もされてはいないようだな。
「メイドさんたちがね、着させてくれたの! それに、お風呂で体も洗ってくれたんだ。それもお仕事なんだって!」
「なっ……」
たじろぐ俺を、勝ち誇るように腕を組んで見つめる五人のメイド。うらやま…… じゃなかった、そんなけしからん事を…… 俺も混ぜろ。そして、ネルン。あなたは何もしてないでしょ。
「やっと来たわねダレス、待ちくたびれたわ。ネルンに欲情して、良からぬことでもやってたのかしら?」
「そんなことは一切ない。っていうか、妹たちの前で欲情とか言うな。」
対面になるよう並べられたソファーに腰掛け、紅茶をすするナターシャ。相変わらずの蔑む目に臆することなく、俺は身の潔白を示す。
「どうなの? ネルン?」
『はい。ダレス様は優しく包み込むように、私のことを気にかけながらお相手してくださいました』
「優しく…… 包み込むように…… ね?」
「お、俺は話を聞いただけだからな。含み持たせてんじゃねぇよ」
ソーサーにカップを置き、ニヤッと微笑むナターシャ。こいつ遊んでやがるな。ちなみにネルンも同罪ですからね。
「ねぇ、お兄ちゃん、よくじょう? ってなに?」
「えっ…… あっ、ほら、浴場だよ、浴場。俺も体洗ったからな、今、お風呂の話をしてたんだ」
リゼの純粋な目が眩しい。やっぱり妹たちをナターシャに合わせるべきじゃなかった、あいつは教育上よくない。
「もう、バカなことやってないで、あなたたちこっちへ座りなさい」
「お前が始めたんだけどな」
俺の指摘を無視して、リゼとサリーに笑顔で手招きするナターシャ。リゼは嬉しそうに駆け寄りナターシャの隣へ座る。あれ? さっきまで恐がってたのに、お風呂で何があったんだ?
不思議に思いながらナターシャの前に腰掛けると、サリーはコツコツと黒いブーツを鳴らして俺の隣にちょこんと座る。
あからさまに残念そうな顔をするナターシャ。サリーは譲らないぜ。俺はしたり顔で鼻を鳴らす。
「まぁ、なかなか似合ってるじゃない」
ナターシャは足を組み直しながら満足気な表情。ローブの裾からちらりと白い膝頭が顔を出す。その脚線美に目が奪われそうになるのを、俺は必死でこらえる。
「ああ、こんな良いものを着させてもらってすまない、サリーとリゼも喜んでるよ。でも、なんでリゼはメイド服なんだ?」
「ここで住む以上、最低限の仕事はしてもらうわ。無茶なことはさせないから安心して」
「それは仕方ないよな。本人もやる気みたいだし」
「まかせてよ」
リゼは大げさに、顔の前で両手をグッと握りしめる。その表情を見る限り、孤児院ではなく、この屋敷で住まわせてもらうことは正解だったようだ。
この短時間で、ひどい顔をしていたリゼに昔の明るさが戻ったようにも感じる。これもナターシャのおかげか……
それに、浴場でネルンから聞いたメイドたちへのナターシャの行い。目の前で優雅にくつろぐこの女を、案外、いい奴なのではないかと感じ始めている自分がいる。
どちらにせよ、リゼに良くしてくれている事実に、ネルンとの約束もある。ナターシャとの契約は必ず果たさなければならない。
俺もここで頑張らないと。兄として、妹に情けない姿を見せる訳にはいかないしな。
「ナターシャ。改めて、俺たち三人。よろしくお願いします」
「はぁ? あなたとサリーちゃんは住ませないわよ」
「えっ……?」
頭を深々と下げたものの、降りかかってきた言葉は想像と違っていた。
「リゼちゃんは、孤児院で生活するのが心配だから連れてきただけよ。ここならあの子達が守ってくれるし」
ナターシャが扉の前に並ぶ五人のメイドに視線を送ると―― なぜか各々個性的なポーズを取り出した。
腰を入れながら手足を広げ、無表情ながら戦えますと言いたげな様子。
リゼの身の安全を保証してくれるのはありがたいことだが、全く強そうに見えないんだけど。
「ダレスとサリーちゃんにはやってもらうことがあるの。それを今から説明するわ」
紅茶を手に、また足を組み直しながらソファーへもたれかかるナターシャ。絹のような髪が褐色の背もたれに滑り落ちた。
「ダレス。あなた、冒険者になりなさい」
「冒険者? ……俺が?」
話の意図が見えず面食らっていると、俺の顔を見て悪い笑みをうかべるナターシャ。
もう、嫌な予感しかしない――




