2話 知らないからこそ、立ち向かえる
「痛ってぇな…… おい、ダレス! お前何やったのかわかってんのか!?」
異様な雰囲気が漂う、テイムズ商会前の広場。
ガドックは頬を押さえ、ゆっくり起き上がりながら俺の事を睨みつける。
三十人以上はいる貧民街の労働者は、皆、目を丸くして俺の暴挙を注視していた。
流れ落ちる冷たい汗。王都の喧騒は意識から遠ざかり、心臓の鼓動だけが耳を支配する。次第に手足は震え出し、無意識のうちに腰が引けていった。
勢いでガドックを殴ったものの、次にどうするかなど考えているはずもなく――
俺の頭の中はぐちゃぐちゃになっていた。
「よくやった、ダレス! 俺も続くぞ!」
風のように俺の横を通り過ぎる影。ガインは、まだ膝をついたままのガドックに、助走をつけた飛び蹴りをお見舞いした。
鈍い音とともに、また背中から倒れ込むガドック。しかし、受け身を取るように両手で地面を弾くと、空中で後方へ一回転したのだ。そのまま距離をとって両足で着地、膝の屈伸で巨体がズシッと揺れる。
一連の動作は、人の持てる能力を完全に超越していた。
「ガイン! お前もか、覚悟はできているんだろうな!」
ガドックは腰を軽く落とし、拳をガインに向けて突き出す。明らかにさっきまでと雰囲気が変わる。
獰猛な大型動物と出くわしたような身の危険を感じ、背筋が凍るようだった。
「こっちのセリフだぜ。なぁ、みんな! 俺達は騙されたんだ! このまま黙ってるわけにはいかないよな?」
労働者たちを鼓舞するガインの目に曇りはなく、共鳴するように、みんなの目にも光が灯っていく。
「当たり前だろ! お前ら! 新入りのダレスとガインが立ち上がったんだ、まさか何もせずに見てるだけじゃねぇだろうな?」
ガインに続いて俺達の兄貴分、フレッドさんが声を張る。
「そうだ!」「俺も許せねぇよ!」「やっちまおうぜ」
ガインに呼応し、一連のやり取りを傍観していた労働者たちが前に出る。数は十数人といったところか。
それぞれが抱えていた怒りの火が集まり、滾々と燃え盛る炎となってガドックを包みこんだ。
「お前らが束になったところで、俺に勝てるわけないだろ」
威圧するような構えを崩さず、あざ笑うようにガドックは周囲を見渡す。
「言ってろ、みんないくぞ!」
ガインが口火を切り、四方から労働者たちが声を上げ襲いかかる。
「どうなっても知らねぇからな」
ガドックは拳を握り込み、一つ深呼吸。迫りくる労働者には目もくれず、地面に突き刺すようにして拳を振り下ろした。
ゴゴゴと地鳴りが響くと、ガドックを中心にして広がるように、数十本の尖った岩が地面から突き出したのだ。
「なんだこれは!?」「痛てぇよ……」
砂埃が舞い、見上げるほど大きく鋭利な石柱が無造作に並ぶ。目を疑う光景に動揺する者、体や足を岩が掠めてうずくまる者で周囲は騒然としている。
「みんな大丈夫か……!?」
「すまないガイン…… ちょっと足やっちまったみたいだ」
苦い顔で地面に座り込むフレッドさん。ガインは上手くかわせたようで、周囲に目を配っている。
見る限り致命傷を受けた仲間はいなかったが、安全なはずの王都の広場が、一瞬で戦場と化した。
俺は呆然とその場で立ち尽くし、声を上げることも出来なかった。
「お前らいい加減にしろよ! そんなに死にたいのか!?」
ガドックに負けない体格の持ち主。ローラは、いつもの品のある喋りからは想像もつかないほどの罵倒を、広場に響かせた。皆、驚いた様子で一斉にローラへと視点を移す。
「ガドック班長は武闘家のスキルを使っています。 何も持たない私達じゃどうすることも出来ません」
聞いたことがある。王都出身者は、剣術、武術、魔法といった戦う術を学ぶ機会があるのだと。
ローラの言葉に、一同は不安を隠せない様子で顔を見合わせる。
「みんな、まだ終わってないぞ! 数じゃこっちが圧倒的に有利だ。俺が――」
「いったいこれはどういうことだガドック!!」
テイムズ商会の入口から甲高い声が轟き、ガインの鼓舞は簡単にかき消されてしまった。
玄関前の十段以上はある石段の上から、二人の男性と一人の女性が殺伐とした広場を見下ろしている。
声の主は小柄で、その背格好にあまり似合わない丈のスーツを身にまとい、ガドックを指さす。白い襟元が、リンゴのようになった顔の赤を強調させていた。
「テイムズさん。 こいつら報酬にケチつけてやがって、それで……」
「言い訳はいい! 労働者をまとめるのがお前の仕事だろ」
あの傲慢なガドックがたじろぐ姿を初めて見た。テイムズと呼ばれた男は慌ただしく階段を下り、後ろの二人が続く。
一人は長身の男で、ギラついた装飾品を至るところに身に着けている。一歩一歩階段を降りる度、竜の紋章が刺繍されたマントは風を受けるようになびいた
この気に食わない風貌、どう見てもどこかの貴族だろう。
「まぁ落ち着きなさい」
そう言って長身の男は、周囲を見渡すようにテイムズに目配せした。
「……!?」
四方を見渡すと、広場はいつの間にか王都の群衆に囲まれ、俺たちの退路を断つように人の壁が築かれていた。
事件に興味を示す野次馬達は、一定の距離を保ったままこちらを観察している。
「しっかりしなさい」
ローラが俺の隣に駆け寄り背中をドンと叩く。
「うっ…… すまないローラ、ありがとう」
鈍い痛みを感じる背中を擦り、ゆっくりと視界に色が戻ってくるのを感じた。
「これはまずいかもしれないわ」
ローラは眉をひそめ、長身の男に目をやる。
「あの背の高い男はランドハイムって貴族で、私達が働いていた炭坑の管理をしているの」
「ってことは、あの貴族がやつらの元締めってことか。じゃあ隣の女は誰なんだ?」
歩くたびに漆黒の長髪を揺らし、手であくびを抑えながらランドハイムの後ろに続いている。
足元まで覆うローブは首から肩がざっくり見える作りで、細い首筋と鎖骨は華奢な体つきを連想させる。
「誰かはわからないけど、こっちの味方をしてくれるとは思えないわね――」
収拾がつかなくなった広場。貧民街の労働者達は、近づいてくる三人を固唾をのんで見つめるしかなかった。
「ガドック、今回の報酬は無いものと思えよ」
「勘弁してくださいよ」
苛立ちを隠せないテイムズに、ガドックは大げさに丸太のような両腕を広げ、許しを請う。
「ざまぁみやがれ――」
嫌味を聞いたガドックは、歯を食いしばりながら殺意の眼差しをガインに向けた。
「それで、貧民街の皆さん。今回の報酬に不満があるとのことですが、どういったご用件でしょうか?」
テイムズは無理に口角をつり上げ、平静を装ったような態度を見せる。真っ赤になっていた顔から、少しずつ色が抜けていく。
「報酬の半分も渡さないってどいうことなんだよ!」
ガインは打って変わって高圧的な態度を貫き、己の正当性を突きつけた。
「そうだぞ!」「ちゃんと責任取れよ!」
周囲の労働者も声を上げる。消えかかった火に空気が送り込まれるように、再び怒りの炎が燃え上がる。
あのガドックに対して強気に出れるテイムズの出現と、貴族のランドハイムが見守るという一転した状況。
理不尽な待遇を訴えればこちらに光が差すと、ほとんどの労働者が思いを馳せていただろう。
ただ、ローラだけは終始苦い顔をしていた。