19話 屋敷とメイド2
『こんなにかわいいお客様が来るなんて思わなかった。あ〜、二人で手なんか繋いじゃって。見てるだけで癒される』『わ、わたしもう我慢の限界なんですけど、はぁ…… はぁ……』『こら、あなた達! ナターシャ様の前よ! もう少し控えなさい。……まぁ可愛いのは分かるけど……』
身構えていたものの、頭の中に広がるのは、メイドたちがサリーとリゼを見てキャッキャする声。
……これは一体どういうことだ? しかも、明らかに一人ヤバイ奴いるけど!
死者の声ってもっと禍々しくて、人の負の感情をぐちゃぐちゃにかき混ぜた、えげつないものだったよな?
頭の中で反響する声を否定するように、俺はぶるぶると顔を横に振る。恐る恐る目を開けると、さっきまで向けられていた氷の視線が俺の後方へと切り替わっていた。
慌てて振り向くと、リゼは獲物に狙われた小動物さながらサリーの影に隠れて震えていた。サリーは何も言わず、彼女たちに冷たい目線を返している。
「どう? 心の内は感じ取れた?」
「……ちょっと待ってくれ…… とりあえず、リゼが恐がってるから止めさせてくれないか?」
「もう、可愛がってるだけなのに」
ナターシャは唇を尖らせ、ぷいっとそっぽを向くと、メイド達の視線の先は俺に変わった。少し呆気にとられてしまったが、俺は場に緊張感を持たせるため、一つ咳払い。
「確かに、サリーとリゼが可愛いとはいえ、彼女たちから負の感情を読み取れないことを踏まえると、恐らくお前は手を下してはいないんだろう」
「当たり前でしょ、私を殺人鬼みたいに言わないでほしいわ」
ナターシャはやれやれといった様子で両手を広げる。
「疑ってすまなかった」
「――意外と素直じゃない」
「俺たちの為にここまでしてくれてるんだ。その…… お前には感謝してる」
「――そこまでいくと気持ち悪いわね」
「それはひどくないか!?」
片眉をひそめ、手で口を覆うナターシャ。長いローブの袖口がふわっとなびく。
彼女と話をする時は、いつも心の奥底に恐怖心を抱えていたが、少しずつ、ほんの少しずつそれが薄れていくのを感じていた。
お互いの利益のために始まった関係。
俺はサリーの病気を治療する薬を受け取って、ナターシャのために俺はネクロマンサーになった。
薬でサリーを治すことはできなかったが、今、サリーはリゼと手を繋いでここに立っている。俺がずっと見ていたかった光景がここにあるんだ。
そう考えると、俺はナターシャから余りにも色々なものを貰いすぎているような気がして。
彼女から受け取った恩を返さないと、なんて気持ちさえ芽生えていた。
「それで、これからどうするんだ? いや、違うな、どうすればいい?」
「前向きな気持ちは評価するけど……」
初めて期待の視線を向けたのだが、ナターシャは足下からなぞるように俺の体をじっと見つめて口を開く。
「まず体を洗ってきなさい、そんな姿で部屋には入れないわよ」
「えっ……」
胸にぐさっと突き刺さる言葉。ナターシャと同じように、足下から自分の体を確認する。泥だらけの靴、破れかかったズボン、服は…… 少し臭うか。
綺羅びやかな屋敷に不釣り合いな格好。前にも身なりを指摘されたことはあったが、改めて言われると心にくるものがある。だが、これに関しては何も言い返せない。
「ネルン、ダレスを浴室に連れて行って」
ネルンは小さく頷くと、列から一歩前に出た。
恐らくナターシャの趣味だろうが、ネルンを筆頭にメイド達は皆、整った顔立ちをしている。フリフリのドレスと合わさって、どこかの貴族のご令嬢と言われても疑う者は少ないだろう。
さっきまでは、ナターシャが彼女たちに残虐非道を尽くしていた可能性があったので気にせずにいられたが……
――俺だって十五の男だ、ネクロマンスされた死者と分かってはいても、女の子に囲まれているこの状況。変に緊張してしまう。
『ダレス様。どうぞ、こちらへ』
「あ、ありがとう」
脳に直接広がる優しい音色に思わずお礼を言ってしまう。しかも噛んだし。
感情のない目からは想像つかないほど穏やかなネルンの声。
そのギャップにやられつつも余韻に浸っていると、屋敷を傷つけんばかりに、慌ただしく床に靴を打ち付ける音が、俺の頭の中に割って入ってくる。
音の主はナターシャ。腕を組みながら片眉をつり上げ、顎で部屋の隅の方を指している。はいはい、そっちに浴室があるんですね。
少しうっとりしただけでこの扱い。俺は小走りでネルンに駆け寄る。
「サリーちゃんとリゼちゃんはこっちよ〜。みんなで仲良くお風呂に入りましょう」
弾むような声で妹達に近寄るナターシャ。
「えっ! ちょっと…… 待ってよ……」
ナターシャより先にネルン以外のメイドたち四人が妹二人を囲み、ほぼほぼ連行するような形で部屋の一室に向かっていく。
「お風呂って、なんでなの?…… もう! お姉ちゃんも少しは抵抗してよ」
腕をブンブン振り回すリゼと、全てを受け入れたよかのような従順さで、メイドに囲まれ進んで行くサリー。あれはもう完全に諦めてるな。
「お姉ちゃん! スキップなんかしないで!」
むしろ喜んでる!?
だがここは兄として、兄として、嫌がる? 二人を見過ごすわけにはいかない。妹を助けない兄など存在すべきではないのだ。
「ちょっと待ってくれ、俺もそっちへ行く。いや、行かさせてくれ、妹達が心配だ! 俺は兄として当然の責務を果たさなければならない」
勇ましくサリーとリゼの下へ、さながら拐われる姫を助けに駆けつける騎士のように一歩を踏み出したのだが…… あれ? 体が前に進まないぞ。
『ダレス様。どうぞ、こちらへ』
振り向くとネルンは俺の服を掴んでいた。さっきと同じ言葉なのに、何かとてつもない圧を感じる。それに、俺を抑えている力は、可愛らしい見た目と反して強烈なものだ。さすがは、ナターシャがネクロマンスした女の子といったところか。
しかし、俺は諦めるわけにはいかない。連れ去られる妹を目の前に引き下がれるものか。
「リゼ! すぐに向かうから時間を稼いでくれ!」
「お兄ちゃん……!」
ん? おかしいな? 親愛なる妹から怪訝な目を向けられている。隣でナターシャが見下すように俺を見ているが、それはいつもの事なので気にしなくてもいいだろう。サリーの―― 冷たい目もいつも通りだな。うん…… はい…… 俺が悪かったです。
サリーとリゼを取り囲むメイド達からも冷たい視線を浴びながら、俺はしぶしぶ案内された浴室へと向かった。




