15話 どんな手を使ってでも
「久しぶりに来た気がするな……」
王都にぽつんと存在する貧民街の共同墓地。貧民街にありながらもゴミが散乱することなく、まばらに生えた雑草が静かに揺れている。
孤児院の直ぐ側にある共同墓地には、次から次へと死人が運ばれる。
身寄りのない人も多く、死者が雑に埋葬されるなんて日常的なこの場所。墓石なんてものは一つもない。
ただ、中央に構える大きな石碑には、一人一人しっかりと故人の名前が刻まれている。
もちろん母さんの名前も――
「あら、ダレスじゃない」
物置小屋の影から聞き慣れた甘い声。思わず身震いすると、声の主は薄ら笑いを浮かべる。相変わらずこの声には慣れない。
「ナターシャか……」
「そんな嫌そうな顔しないでよ、私たちの仲じゃない。それで、妹は助かったの―― あら、これは、ご愁傷様」
俺をネクロマンサーにさせた女。
ナターシャはサリーの顔を覗き込むと、両眉を垂らし、あからさまに心配していますよといった表情を見せる。
「だからそんな顔しないでって、薬はちゃーんと本物だったんだから」
人指し指をピンと伸ばし、得意気に語るナターシャ。この表情の切り替わり。さっきの心配の色は、嘘で間違いないだろう。
だが、確かに薬は本物だった。改めてその事実を認識すると、頭の中に罪悪感が広がる。
「お前はここで何してるんだよ、墓参りか?」
「それもないことはないけど、それより……」
言いながら俺の足元を、悪い笑みで見つめるナターシャ。
「この可愛い女の子は誰なの? お姉さんとーっても気に入っちゃった。お名前言えるかな?」
「やめろよ」
姿勢を落として近寄るナターシャに、リゼは俺を盾にするようにして距離を取る。服の裾を強く握る手は震えていた。
「俺の妹だよ。色々あって疲れているから、そっとしておいてくれ」
「あら、残念ね」
微笑みながら手を振るナターシャに、リゼは嫌悪感をむき出しにする。その反応は正しいぞリゼ。それに、あんな奴は教育上よくないから、元気な時でも妹に会わせるつもりはない。
「恐かったろリゼ。お兄ちゃんが守ってやるから」
「あら、リゼちゃんて言うのね」
――しまった。まさかの凡ミス。まぁナターシャとの関係は、いつか話さないといけないなと思っていたが……
黒いローブの袖を揺らしながら喜ぶナターシャに、冷たい視線を向ける。
「で? 本当の目的は俺なんだろ、悪いが今日だけは勘弁してくれ。家族だけでサリーを見送りたいんだ」
「勿論そうしてあげたいんだけど…… そういうわけにもいかないみたいよ」
俺たちの来た道へ視線を移すナターシャ。サリーを抱えたまま振り向くと、赤髪の目立つ男が、ガラの悪い二人組を連れて向かってくる。
「フレッドさん……?」
炭鉱で共に働いた貧民街の仲間。面倒見の良い、俺たちの兄貴分。
目が合うと、フレッドさんは険しい表情のまま笑みを浮かべ歩調を速めた。身に着けた季節外れのコートが雑に広がる。
フレッドさんは瞬きもせずに俺を睨んだまま、静かに懐へ手を伸ばした。
「……!?」
黒ずんだ鞘を投げ捨て取り出したのは、前腕ほどの長さの鋭利な短剣。
フレッドさんは剣先をちらっと見ると、嬉しそうに口角を上げ目線を俺へと戻す。
今にも襲いかからんとする血走った目に、俺の背筋をゾクリと冷気が撫でた。
「ダレス!!」
静寂な墓地の空気を一変させる怒号。
フレッドさんは血走った目で、俺に向かって突き進む。一歩一歩近づく度に、血管の浮き出た手で握った短剣が日光を乱反射させた。
両腕に抱えたサリーを庇うように半身になり、足元でくっついているリゼを俺の影に隠す。
「どうしたんですか、フレッドさん! 落ち着いてください」
「黙れ!」
歩みを止め、俺に向け短剣を突き出すと、後ろの二人組が慌ててフレッドさんに近寄った。
「まぁ、落ち着けよフレッド。それは最終手段って話だろ」
背の高い痩せた男がフレッドさんの肩に手を回す。
「だけどよ!」
「まぁ、まぁ、話が着いたら好きにすればいいじゃないか」
背の低い馬面の男がなだめると、フレッドさんは渋々、短剣を降ろした。
わけが分からずナターシャに目をやるが、男達を品定めするように見つめているだけで、話になりそうにない。
「ダレス君…… っていったかな。君はとても高価な薬を持ってたみたいだね」
馬面の男が、無理に口角を引き上げた笑みを作り歩み寄ってくる。
俺がレーゲの病を治す薬を持っていたのをなぜ知っているんだ――
「そんなの知りませんよ」
「嘘ついてんじゃねぇよ! 裏切り者が!」
身を乗り出して声を張り上げるフレッドさんを、痩せた男が優しく抑える。
ここまで詰めてくるだけあって、見え透いた嘘は通じないらしい。薬のことはマリエラ先生なら喋らないはずだし、それに裏切り者ってなんのことだ。
馬面の男が苦い顔でフレッドさんに目を向けた後、理解の追いつかない俺に話を続ける。
「いやぁー、荒々しくてすまんね、だけど嘘はいかんよダレス君。実は昨日の夜、君が薬を持って孤児院に入っていくのを見た人がいるんだ」
「っ……!」
「その後、早朝に孤児院のマリエラが薬を売りに来たってのを耳にしてね。ここに住んでる連中は金目の話には敏感だから……」
薄い頭皮をかきながら、馬面の男は申し訳無さそうな顔をする。
――薬をみられていた?
確かに黄金色に輝く薬は、灯りの少ない貧民街でよく目立つ。くそっ…… 注意してたはずなのに。
「聞けばその薬は金貨二枚もの価値があったそうじゃないか。貧民街で生きる仲間同士、おいしい話は共有しないと、ね?」
サリーを支える手に力が入る。
仲間? 共有? 剣を突き出しといて何を言ってる。こっちがどんな思いで薬を手に入れたと思ってるんだ。
「言ってる意味がわかりませんね。例え薬を持っていたとしも、あなたに教える義理はないです」
「やっぱりコイツは殺すべきだ!!」
「落ち着けフレッド! 少しは情報を聞き出さないと」
暴れるフレッドさんを痩せた男が制止させる。このままじゃ衝突は避けられない。
俺は一人だけ眼の色が違う顔なじみの兄貴分に、一寸の望みを託す。
「フレッドさん! なんでこんなことを、一体何があったんですか?」
「お前! 本当に死にてぇのか!!」
痩せた男を振り切り、フレッドさんは再び短剣を突きつける。すでに交渉の余地がないことを俺は静かに悟った。
「ダレス! お前が炭坑で働いたときは世話焼いてやったのによ! 自分だけこそこそ金儲けしやがって。どうせ、一緒に働いてた連中のことを見下してたんだろ!」
「そんな、見下してなんか…… フレッドさんには感謝してます、それに金儲けなんてしてません!」
「いいかげん黙れよお前!!」
威嚇するように短剣を振り回すと、シャッシャッと空を切る音が墓地に響く。息を荒くするフレッドさんの目尻には光るものが見えた。
「俺はよぉ…… お前がクソムカつくガドックの奴をぶっ飛ばした時、本当に気持ちが救われたんだ」
炭鉱での仕事を終え、不条理な扱いに激昂した俺は、現場を仕切っていたガドックを殴り飛ばした。
今でもその感触は右手にしっかりと残っている。
ただ、それがきっかけで親友のガインが殺されて……
「ガインの事は気の毒だったが、お前ら二人は俺達、貧民街のみんなに光を与えた。言いなりでは駄目だめだと、声を上げ行動することが必要なんだと…… なのに――」
フレッドさんの唇は震えていた。ここにいる誰よりも大きな体が小さく見える。弱った心をそのまま反映させているように。
「あの時のお前は嘘だったのか……? いや、もう決まりだ…… 一人だけ金持って、俺達のこと見下して…… 裏切り者…… 裏切り者……」
「だから、フレッドさん! 俺はそんなこと!」
フレッドさんは足下に視線を落とし、呼びかけに全く応じなくった。うなだれるような姿勢だが、鋭利な刃先だけはしっかりと俺に向けられている。
なんと声をかければよいのか言葉を選んでいると、隣からパンパンと場を仕切るように手を叩く音。
「そんなつまらない話はさっさと終わらせてくれない?」
ナターシャはあくび混じりに、ゆっくりと俺の前に立つ。男三人と俺の間に割って入った形だ。
「後ろの二人はお金が欲しい、赤毛のお兄さんはダレスに復讐したい、簡単なことじゃない」
いきなり入ってきて何なんだこいつは。嫌な予感しかしないぞ。
「いやいや、無視して話を進めてすまないね。お嬢さんはダレス君の知り合いかい?」
馬面の男はナターシャの足下から舐め回すようにして視線を上げる。平静を装う顔を作ってるつもりかも知れないが、しっかりと鼻の下は伸びたままだ。
「うーん? そうね……」
少し考え込むふりをして一回転。黒いローブの裾をふわりとなびかせ、ナターシャはサリーを抱えた俺の右腕に、絡みつくようにして手を回す。
「ダレスは私の男よ」
「なっ……!? 何言ってるんだお前……」
張り詰めた空気に異物が混ざる。こいつ一体この場をどうするつもりだ。
振りほどこうにもサリーを離すわけにもいかない。
変な汗が流れ落ちるのを感じながらも、仕方なくナターシャに身を委ねる。
「この子を振り向かせるために薬を貢いだの、それに……」
ナターシャはローブの袖に手を入れると、何かを握りしめ顔の横へ持っていった。
閉じた手を見せつけるように素早く開き、親指から三本の指で二枚の硬貨を挟んで披露する。
眩い光を放つ、本当に目が眩みそうな硬貨を――
「き、金貨じゃねぇか!」
痩せた男が声を張り上げ、目を丸くする。
金貨は生まれて初めて見たが、男達の慌ただしい反応を見る限り、本物で間違いないのだろう。
「でもね、私って弱い男は嫌いなの。だからダレスに勝てたらこの金貨をあなた達にあげるわ。ほら、復讐もできてお金も手に入る。私は強い男を見つけられるし、みんな幸せ。これで退屈な話はおしまいね」
「お前な―― っ……!?」
視界を通り抜けた光る物体。ナターシャは軽く体を傾け、最小限の動きでそれを回避する。
乾いた土に転がったのは、手のひら程の刃渡りをもつナイフだ。
「外した? そんなバカな…… 普通の動きじゃなかったぞ」
痩せた男の驚きを隠せない顔を見て、ナイフの出どころを認識する。金があるとわかった途端に迷いのない行動。どうやら、人を襲うのは初めてではないよう
だ。
――だが、ナターシャには敵わないだろう。
「熱烈な愛情表現をありがとう、積極的な男は嫌いじゃないわ。だけど、ちゃーんと話は聞かないと、特に女の子の話はね」
挑発するように視線を向けるナターシャ。痩せた男が苦い顔で懐に手を伸ばすのを見ると、ケラケラ笑いながら甘ったるい口調で釘を刺す。
「私とここでやり合おうって言うなら止めないわ。だけど、戦うのは嫌いなのよね」
またくるりと回って俺の腕にくっつくナターシャ、肘には柔らかい感触。
「か弱い私のこと、守ってくれるよね? ダレス?」
「お前がか弱いなんて冗談だろ、俺は戦わないぞ」
上目遣いで甘えるナターシャに吐き捨てると、彼女は不機嫌そうに唇をとがらせ、俺の腕から離れていった。
「ふざけてんじゃねぇぞ、てめぇら! 金があるならもう聞くこともねぇな!? なぁ!?」
激しく捲し立てるフレッドさんに、二人の男は無言で首を縦に振る。
「なぁ、ダレス。お前は大事な俺の心をボロボロにしたんだ…… だったら、お前の大事な妹に何かあっても文句言えねぇよな……!」
「そんな…… 妹は関係ないでしょ」
俺の声が届くわけもなく、最悪の結末が駆け足で迫ってくる。俺はどうなったっていいが、リゼだけでも助けないと。
「リゼ! 墓地の裏から回って孤児院まで走れ! ここは俺がなんとかするから!」
「嫌だ!」
服を握った手を緩め、リゼは後ろから俺に抱きついた。小さな体からひしひしと熱が伝わる。
「お兄ちゃんまでいなくならないで! 私を一人にしないで……!」
悲痛な叫びが胸に突き刺ささる。そうか、俺だけじゃない、リゼも同じ気持ちなんだ――
大切な家族を失いたくない。それは己を犠牲に達成しても、残された者が絶望して生きることになるなら。自分だけのエゴでその選択をしてはいけない。
大切な人を守るというなら、最後までその人が笑って迎えられる結末を望むべきだ。
「リゼ! ちょっと目をつむってろ!」
「えっ……? わかった!」
俺が今からやろうとしていることを、リゼには見てほしくなかった。リゼだけは変わらないままでいてほしい。
目を閉じると墓地に住まう死者たちの声が、濁流のように頭の中へ流れ込む。
「なめてんのか!? おい! 」
フレッドさんの張り上げた声と、迫る大きな足音。
この窮地を打開する方法は…… 頭の片隅に置いていた選択肢を無理矢理引っ張り出す。俺の声に一番共鳴してくれるのは――
今だけ力を、リゼを助ける力を貸してくれ。
「行こう、サリー」
全身を駆け抜ける疲労感。なのに、サリーを抱えていた腕に重みを感じなくなる。
そっと手を離すと、片足からふわりと小さいつま先が接地し、二本の足は、病に蝕まれて弱った体をしっかりと支えた。
スカートから覗かせた素足には、目を背けたくなるほどに広がったひし形の紅斑が何も無かったように消えている。
成功した――
安堵感と同時に、助けたかったサリーの背中を見ると、何故か涙が込み上げてきた。
だけど今は気持ちを抑えなければならない。俺の声に応え、目覚めてくれたサリーと一緒にリゼを守るために。




