12話 戦闘
「成功、したのか……」
見上げるほどの巨体。ゆっくりと立ち上がる際に、鎧に纏わりついた土はゴロゴロとこぼれ落ち、周囲に土煙が漂った。右手に握った両刃の大剣を沈みかけた夕陽が赤く染める。
これがスケルトンだと理解できたのは、肘と膝は鎧で覆われず、白いゴツゴツした骨が剥き出しになっていたからだ。
身体の可動性を確保する為だろうが、その歪なシルエットに普段の自分なら恐怖を覚えただろう。
今の俺には目の前の呼び出した戦士、ハリルが頼もしい相棒のように感じる。背中を見るだけで胸が熱くなり、同じ信念で通じあえているようだった。
対峙していた三匹のデザートウルフは、戸惑いを見せたものの目の色は変わっていない。息をつく間もなく、その一匹が飛びかかってきた。
落ち着いて両腕から指先までに神経を集中させる。
脳裏に浮かんだのは、ナターシャがスケルトンになったガインを無理矢理に動かした光景。
だが彼には粗い操作は必要ない。
自分の右手を握ると、連動するように鋼のような手甲で包まれた右手が大剣を強く把持した。俺の体よりも大きい剣。呼吸を合わせ迷いなく振るう。
横薙ぎ一閃。
体へ巻き付けるように曲げた右肘を伸ばすと、大剣は大きな弧を描き、デザートウルフの体を空中で二分した。
飛びかかった勢いのまま、肉片が叩きつけられるように足下へ散らばる。
次に視界に入ったのは、無惨な仲間の姿に臆せず、両側から迫る残りの二匹。
右方から突進するデザートウルフ目掛け剣を振り下ろす。
相手は避ける様子もなく、巨大な刃は頭部から胴体を簡単に切り裂いた。
血に塗れた剣は慣性を保ったまま隆起した岩に接触し、鈍い音を響かせる。
最後の一匹は、無謀にも剥き出しの白い左肘に喰らいつき宙に浮いていた。鎧を狙うよりは効果的かもしれないが、巨大な骨はびくともしない。
虫を払うように左手を振ると、俺と連動するようにハリルは長い腕をしならせ、デザートウルフを地面に叩きつけた。
甲高い声で鳴き伏せる体に剣を突き刺す。獰猛な瞳はゆっくりと色を失い、その命の灯火が消え去るのをハリルはじっと見つめていた。
玉砕的な特攻。一度号令がかかれば、その身を賭して行動するのは軍人も獣も同じなのだろう。
心を捨て、目的の為に未練を残さず散っていった者もいるのかもしれない。それが正しい選択だったのかは、生き残った側にしかわからないのに。
ただ――
頭の中で死者達の悲鳴が強く響く。
ここで死んだ生命は皆、自分の最期を嘆いている。
荒野に吹き出した冷たい風を切る音、跳ねる小石に荒い息遣い。数多の警報音が、感傷に浸っていた脳を現実に連れ戻す。
――まだあいつがいた。
ちょうど真後ろから感じる殺気に満ちた視線。振り向くと、群れのボスであるデザートウルフが、岩壁を下り一直線に突っ込んでくる。
結果はもうわかっているのに……
両手を緩やかに動かすと、ハリルは巨体を揺らしながら俺の隣まで前進した。だが……
「なんで? どうしたんだ?」
ドシッと大地に膝をつき、ハリルの反応が途絶える。視線は赤い大地を向いたままで、無我夢中に腕を振っても、指先一つ動く様子はない。
地を駆ける四本の足音。
距離を詰めるデザートウルフのボス。
近づくにつれ、手下とは比べ物にならないほどの大きな体が恐怖心を煽る。
一旦ハリルの後ろに隠れるか…… それともナターシャに助けを……
いや、それじゃだめだろ!
ハリルに近寄り、手甲で覆うように握られた大剣を掴んだ。自分の体よりも大きな剣。
持ち上がるわけもなく、剣先は地面をなぞり、刀身から鮮血が滴り落ちる。両手で握りしめた柄は驚くほど冷たかった。
「俺だけ逃げるわけにはいかないんだよ!」
誰かに向けたものではない、自分に言い聞かせるための言葉。あいつを倒して、助けを求めなくても生きていける自分に。妹を助けることのできる兄に――
片足を前に出し、半身になって腰を落とす。剣先は体の後方を向けたままで、柄を強く握り直した。
チャンスは一度。飛び込んできたところに渾身の一撃をかましてやる。
デザートウルフは姿勢をさらに低くし、臨戦態勢を取る。跳躍の前動作、さっきも見た光景が脳にしっかり焼き付いている。
「ここだあぁぁぁあ!!」
前に突き出した足を大きく上げ、体ごと重心を後ろへ、そのまま大地を割る勢いで足を踏み降ろす。
前方への推進力を殺さず体を回転させると、あれだけ重かった大剣が宙に浮いた。腕の力ではなく、全身で剣を振るう。
刀身が左から視界に入り込んだ時、デザートウルフは疾風のごとく飛び上がり、その牙を光らせていた。
完璧のタイミング。突き出した右足を軸に、大剣を全力で振り抜く。
「なに……!?」
全体重を乗せた一振りに手応えはなかった。力強く空を切った刃は地面に激突し、今度は俺が剣に振り回されるようにして大地に転がった。
なんとか受け身を取り、およそデザートウルフがいたはずの方向へ目をやる。
「えっ……」
瞳に入り込んだのは、咀嚼した物を通す暗い喉と、その暗闇を取り囲むように生えた鋭利な牙。歯に付着した残りカスまでくっきりと見える。
自分の状況を察するには十分な材料だった。
決死の攻撃は回避され、今まさに反撃を受ける直前。
素人の一太刀など、容易にかわしたのだろう。今思えばあんな見え透いた攻撃、万全な状態のデザートウルフなら避けて当然か。その後の反撃、流石は群れを束ねるボスだな……
今となってはどうでもいい考察が頭の中を巡る。
誰かが死ぬ前には走馬灯が見えるなんて言っていたけど、何も浮かばないじゃないか。
最後に家族の顔が見たかったな……
諦めの思考が駆け抜けた時、消え入るような声が風に混ざった。
「おいで…… アドニス」
瞬きの瞬間、爆発音と目の前に謎の上昇気流。伸びすぎた前髪が天に向かって持ち上がる。
一瞬の出来事に、目を、自分が生きていることを疑った。
目と鼻の先、獲物を捕らえたはずのデザートウルフが、地中から生えた剣に突き刺さり宙に浮いている。
見上げた顔に降り注ぐのは赤い雨。
額を拭い、血の匂いが染みた手をじっと見つめた。
どこにも痛みを感じない? 助かったのか……
呼吸をする度に、生き残れたという安堵感が全身を駆け抜ける。
足下には黒い靄が広がり、デザートウルフを貫いた剣を握る巨大な右手がそこにあった。
呼び出したハリルよりも大きな手を、禍々しい漆黒の手甲が覆う。天まで届きそうな大剣は、おとぎ話で聞いた龍をも打ち倒すことが出来そうで。
こんなことができる奴を、俺はあいつしか知らない――
「凄いじゃないダレス、やっぱり私が見込んだだけはあるわ」
後ろから甘ったるい声で囁かれながら、抱擁を受ける。人肌の温もりに反し、何故か背筋が凍りそうで肩に力が入った。
ナターシャは片方の手を俺の頭に置き、髪をクシャクシャにするように撫で回す。体に触れる度、精巧なローブに獣の血が付着するが、彼女は気にする様子もない。
「やめろよ」
頭に伸びた腕を掴んで露骨に嫌がる素振りを見せると、か細い小さな手は寂しそうに頭上から離れていった。
顔は見えないがどうせニヤついた笑みを浮かべているのだろう。
「それより、あのデカいのはなんなんだ?」
役目を終えたようで、大きな拳と剣は黒い靄に吸い込まれるようにして姿を消していく。
肉の臭いに誘われたのか、空には翼を大きく広げた鳥がゆっくりと旋回し、目を光らせていた。
「あなたが呼び出したのと一緒よ、あれは私の優秀な戦士。死んだ人間を魔力で強化して呼び出しているの」
「ってことは、俺にも魔力があったってことか」
またしてもナターシャに頭を強く撫でられ、喉の奥から情けない声が漏れた。俺のことをペットか何かと勘違いしているのか。
「あなたの魔力なんて微々たるものよ、今まで訓練なんて積んでこなかったんだから。 ――ネクロマンス、死者を呼び出す術はね、死への理解が深い人にしか扱うことができないの」
いつになく真剣な声でナターシャは続けた。
「だから、並みの人間はネクロマンサーにはなれない。どんなに鍛錬したところで私たちの足元にも及ばない。それなのに、あなたは初めてのネクロマンスであれだけ強力なスケルトンを呼び出せたのよ」
ナターシャは指先で優しく俺の頬を撫でる。
「あなたは選ばれた人間なの」
今まで蔑まれて生きてきた自分を、ナターシャは肯定してくれた。
幾つもの死を目にして、受け止めて、目覚めたこの力。普段なら、温かい言葉には直ぐ否定で返していた。たが、今はその温もりをぐっと噛み締めていた。
「それでも魔力は必要よ、ネクロマンスで呼び出しても、それを維持するのには少なからず魔力が必要。だから、あなたのは動かなくなったの」
「そうだ、ハリルは……」
共に戦ったハリルに目を向ける。たくましい骨は元の大きさに戻って散り散りとなり、強固な鎧も、巨大な剣も消えて無くなっていた。
まるで最初からハリルはいなかったと言わんばかりに、乾ききった大地が存在感を示している。
「俺は…… ハリルに一緒に行こうって言ったんだ。なのに……」
使い捨てのような対応。これでは特攻を命じた軍の人間と同じじゃないか。
裏切ったような罪悪感がずっしりとのしかかる。
「そんな顔しないの。別にあなたは、あの子を殺したわけじゃないんだから」
またナターシャから抱擁を受ける。今回は恐怖心などなく、疲れ切った体をゆだねた。彼女の長い黒髪が俺の首筋をそっと撫でる。
「ほら、声を聞いてみなさい。あなたが思うほど、あなたは自分を責めるべきではないわ」
ゆっくりと目を閉じ、周囲に耳を傾けた。相変わらず、この荒野は負の感情が入り乱れ騒がしい。その中で一際目立つ仲間の声。
溢れんばかりの憎しみと怒りを叫んでいたハリルから、慈愛に満ちた声が届く。その言葉はまるで、家族を救ってやれと俺の背中を押しているようだった。
「俺を恨んではいないのか……」
「大丈夫よ、死者は嘘なんてつかないわ。それと、あの子の為にもこれを渡さないとね」
そう言ってナターシャはローブの袖口からポーションを取り出し、俺の手にそっと置いた。
黄金色の液体が、沈みかけた夕陽に照らされ眩い光を放つ。
「俺は認められたのか」
逸る心が体を振り向かせた。ナターシャは今までにないほど嬉しそうな表情で立ち上がる。
「あなたはもう立派なネクロマンサーよ」
ナターシャは華奢な手を差し伸べた。
「おいで、ダレス。これで契約は成されたわ、後は私に協力するのよ」
小さな手を取り、立ち上がる。
「わかってるよ。それで、協力って何をすればいいんだ?」
軽い気持ちで問いかけたが、ナターシャは薄い唇を噛み、俺の目をじっと見つめた。あまりにも真剣な眼差しに、俺は思わず息を飲む。
「最強にして、最悪。モルジスの死神と恐れられたネクロマンサー、レスティー・アグナリアを復活させる。――私たち二人でね」
「話だけ聞くと、とてつもなくヤバイ奴を呼び出すみたいに聞こえるけど、大事な人だったりするのか?」
「……私の師匠なの」
重たい口を開けて放たれた内容にしては、それほど難しい事だとは思わなかった。
ネクロマンサーが死者を呼び出す、それだけのこと。炭坑での仕事に比べれば、よっぽど容易いことだろう。その後のことは知ったことではない。
ただ……
剣が鞘に収まるように、長い刀身が黒い靄の中に吸収され完全に見えなくなる。周囲へ溶け込むように靄は消え、横たわるデザートウルフが姿を表した。
ナターシャが呼び出したアドニスという戦士。
彼が叫んでいるのは、怒りでも絶望でもない。
ただ一つ、『――私を殺してくれ』と。
ハリルや他の死者にはない、異質な悲鳴に違和感を覚えたが、今の俺にはそれを気にかける余裕はなかった。




