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1話 大人の世界へようこそ


 二年前、かあさんが死んだ。治る(やまい)だった。


 その時から…… いや、もっと前からか。気づいていたはずなのに、深く考えないようにしていたこと。


 命の価値は平等ではないという、当たり前の事を。


 それは悪人の命に価値がないという事ではない。

 家族のために、みんなのために尽くしてきた人の命よりも、自分の欲の為に悪事を動くような、そんな奴の命の方が貴重だったりする。それがこの世界の真実。


 弱まる拍動、落ちていく体温。

 両手に集めた砂の粒が、風に吹かれてすっと空気に溶け込み、消えていくように。簡単に失われる命を小さい頃から見てきた。何度も、何度も――



「おい、ダレス! お前だけ遅れてるぞ、早くしろ」


「は、はい! すみません」


 乾いた鉄の音が耳を貫く中、得体のしれない赤い鉱石をトロッコに乗せては運ぶ。気が遠くなるような作業を毎日繰り返している。


 王都グルーケルから少し離れた炭鉱。


 全てを飲み込みように暗く、長い坑道には俺と同じ貧民街からの出稼ぎ労働者で溢れている。


「ああぁ……!! 痛ってぇぇ……!」


「まーた誰か足やったのか…… まぁ、こんな粗悪品の魔道具じゃ、灯りの変わりにならねぇよな」


「よせ、聞こえるぞ」


 日常的となっている労働者の悲鳴に、誰も驚くことはなくなった。幼なじみのガインは、気だるそうに光魔法が込められた四角い容器を指で弾く。


 隣で文句を垂れる男の顔が確認できるくらいには、胸に着けた魔道具で辺りは照らされている。が、足元はほとんど見えず、誤って自分の足にツルハシを振り下ろす労働者が後を絶えない。


 大粒の汗が流れ落ち、身体中の筋肉が悲鳴を上げる。


「ダレス! 喋ってねぇで手ぇ動かせ! そんなんじゃ報酬渡さねぇぞ」


「げほっ、げほっ、すみません」


 辺りを舞う砂煙が、口と鼻を覆ったボロボロの布切れを容易に通り越す。肺の奥までずっしりと砂で満たされていくようだ。


「よし、休憩だ。お前ら! 少し休んだらすぐ再開だからな」


 ガドック班長の号令とともにツルハシを置き、拳ほどの硬いパンと、ぬるい水を受け取りに配給の列に並ぶ。


「またこっ酷く言われてたな、ダレス。ガドックのやつ調子に乗りやがって」


「お前のせいでもあるんだけどな」


 俺の冷たい視線を気にせず、ガインは砂まみれの顔でガドックを睨みつけている。


「だけどみんな思ってるぜ、ここは厳しすぎるって。後ろから一発、飛び蹴りいれてやろうか」

 

「お前の蹴りなら、やたらゴツいガドックも吹っ飛ばせるだろうな」


「お褒めいただき光栄です」


「ったく…… 子供の頃は散々やられたからな」


 苦い顔で腹を(さす)る俺を見て、ガインは満足げに笑う。


「でも明日やっと帰れるんだ。早く妹達の顔がみたいよ」


「ダレスはサリーちゃんとリゼちゃんのこと好きだよな。 ほんと、怖いくらいに」


「当たり前だろ、家族なんだし」


 ガインは白い歯を見せながら、俺の背中を嬉しそうに叩く。


 妹達のことを考えると、どれだけ辛くても力が湧いてきた。母さんとの約束を守るためにも、俺は挫けるわけにはいかない。


「もう明日で三十日経つか。ガインは母さんに薬買ってやるんだよな?」


「ああ、治るかはわからないけど、症状は落ち着くらしい」


「大丈夫、きっと良くなるさ」

 

 お返しとばかりにガインの背中を強く叩く。

 ガインは親孝行でいい奴だな。それに比べて俺は――


「ダレスの母さんも…… あっ……すまない」


「いいんだ気にするな」


 笑顔から気まずそうな表情に変わるガインを見て、改めて思い出す。


 母さんはもうこの世にはいないんだと。



◆◆



「お母さん、今日も帰ってくるの遅いの?」


「ごめんねサリー、お仕事が忙しくて大変なの」


「お姉ちゃんもうやめなよ、お母さん困ってるよ」


 いつ建てられたのかも分からない小さな家。すきま風が常に吹き抜け、雨漏りで濡れた床は一部変色している。


 仕事に向かおうとする母さんに妹達が駆け寄り、いつもの光景が繰り広げられていた。


「リゼはいい子ね、ほらサリーも言う事聞いて。忙しいってことは、お金がいっぱいもらえるってことなんだから」


 母さんはニッと笑いながら力こぶを作って見せ、二人を抱きしめる。


「またお肉の入ったシチューを作ってあげるからね」


「でも、お母さんと一緒にいたいよ……」


 泣き出しそうなサリーの頭を撫で、母さんは俺を見つめた。


「ダレス、この子達を頼むよ」


「ああ、わかってるよ」


 俺の言葉に母さんは笑顔で答える。抱き寄せた妹達の頭にポンと手を置いた後、母さんは名残惜しそうに家を出ていった。


 俺が十歳の頃、父親が家に帰ってこなくなってから、母さんは女手一つで俺達を守ってくれている。


 父親がいなくなってから、明らかに母さんが仕事に出る時間は増えた。次第に痩せていく背中をみて、子供ながらに、一人で家庭を支えるのはとても大変なことなんだと感じていた。


 みんなが寝静まると、母さんはクローゼットの奥に隠した肌の露出が多いドレスを取り出し、夜の街に出て行く。

 日に日にその姿を見ることが多くなったが、俺は何も言わなかった。


 そんな日が何日も続き母さんは体調を崩した。


「ごめんねダレス、迷惑かけてばっかりで」


 寝室で横たわる母さんには以前のような活気はなく、誰が見ても弱々しい姿をしていた。

 腕に表れた赤い模様。ひし形の連なるアーガイル柄の紅斑(こうはん)が頬にまで広がっている。


 その小さな命の灯火は、ふぅーと息を吹きかけだけで簡単に消えてしまいそうなほどだった。


「そんなことないよ、あと二年したら俺も十五歳で稼げるようになるし。そしたら王都の病院で診てもらおうな」


「ありがとうね――」


 母さんの笑顔を見ると余計に悲しみが込み上げる。


「リゼとサリーを頼むよ……」


「何度も言わなくてもわかってるよ」


 俺を見つめる瞳に力はなく。生を諦めたような脆さを感じた。


 母さんの病気は徐々に生気を奪う呪いに近いものらしく、腕からアーガイル模様の紅斑が全身に広がっていく特徴がある。


 医者の診察を受け適切な薬か、治癒魔術を施してもらえれば回復するそうだが、その代価はとてもじゃないが払えるものではない。貧民街で生きる者には不可能なことだ。


 母さんと同じ病で死ぬ人をここで散々見てきた。


 命の価値とはなんなのか?

 小さい頃から疑問に思っていた。


 病気で死ぬ人、飢えて死ぬ人、みんな同情はするがどうする事もできない。たが口を揃えて同じことを言う。


「貧民街にさえ産まれなければ助かったのに」


 家から子供のお使いでも任せられる距離に王都の中心街がある。吹き溜まりの貧民街に産まれるだけで、命の価値は変わるのか。


 そんな不条理に母さんは殺された。

 

 病にかかったと聞いたときから覚悟をしていたからか、母さんの最期を見届けるときに涙はあまり出なかった。


 悲しみが半分、これからの不安が半分といったところか。


 ただ、母さんと同じ病にかかっても何不自由なく生きてる人達がいる。そう考えると、怒りで頭がどうにかなりそうだった。

 

 


◆◆

 


「順番に馬車に乗れ! 街に帰るぞ!」


 日の出後間もなく、次の労働者を乗せた馬車が炭鉱に到着した。ガドックの指示に従い、入れ替わるようにして馬車に乗る。


 みな、ため息交じりに腰を下ろし、互いの労をねぎらっていた。


 馬車が揺れるたび腰に鈍痛が走る。豆だらけの手で腰を(さす)るが、痛みはさほど変わらない。


「初めての報酬楽しみだな」


 ガインは俺の肩に手を回し目を輝かせている。


「でも三十日間働いてたったの銀貨三十枚だ。節約して生活してもすぐ無くなっちまうよ」


 貧民街にまわってくる仕事なんて、キツくて報酬の乏しいものだけで、まだ炭鉱仕事の稼ぎだけはマシな方だった。


「あなた達ちょっと静かにしなさい」


 二人でじゃれながら話していると、隣に座っていたローラが釘を刺す。金色の短髪でガッチリとした体型。男ばかりの炭鉱仕事だったが、彼女に逆らおうとする奴はいない。なんでも、魔物を素手で引きずり回したことがあるとか、ないとか……


「なんだよローラ、仕事は終わったんだしちょっとぐらい話してもいいだろ」


「お金の話はしないで。この炭坑を仕切ってるテイムズ商会は、私達、貧民街出身の人間をよく思ってないの。ガドックに聞かれたら告げ口されて報酬減らされるかもよ」


「だけどよー……」


 残念そうな顔をするガインであったが、ローラーの意見を素直に聞き口を閉じる。


「そうだぞガイン。ローラの言う事は聞いとけ、後が恐いぞ」


「もう、フレッドさんたら一言余計ですよ」


 ローラの隣。貧民街では、俺達の兄貴分であるフレッドさんが場を収める。馬車に揺られながら、フレッドさんは俺とガインの前に移動し、俺達を抱き寄せるようにして耳打ちした。


「もらうもの貰ったら、陰で文句言ってやればいいんだよ。 それか、頭の中でガドックのクソ野郎をボコボコにしてやれ」


 顔を離し、フレッドさんはニコッと笑う。


「わかりました、立てなくなるぐらいめった打ちにしてやります」


 四人で笑い合うと馬車は縦に揺れ、ゆっくりと速度を増していった。働いて初めての報酬。少ないとはいえ、胸が躍るのをひしひしと感じる。


 ガインと目を合わせ、互いにニヤニヤしながら、王都に到達するのを静かに待った。



♢♢



「今から報酬を渡す! 呼ばれた者は前に出てこい!」


 街についた頃には日は沈みかけ、王都を包み込まんとする闇がすぐそこまで迫っていた。


 テイムズ商会前の広場で馬車から降りた労働者は辺りに散らばり、自分の名前が呼ばれるのを今か今かと待っている。


「ローラ・キリシュナー!」


「はい」


 ローラはガドックから小袋を受け取ると、軽くお辞儀をし元いた場所へ戻る。歩きながら中身を確かめるように小袋を上下に降ると、唇を噛み締め不満げな表情を浮かべていた。


 次々に名前が呼ばれ、皆、受け取った小袋を握りしめては肩を落として戻っていく。


「ガイン・ダイラス!」


「はい!」


 ガインは一番大きな声で返事をし、深々とお辞儀をした後、小袋を受け取った。


 ガドックに背を向け、待ち切れない様子で袋の中身を確認すると、幸せそうな顔が奈落に落とされたかのように消えていった。


「ガドック班長!」


「なんだ? ガイン」


 小袋をギュッと握りしめ、ガインは明らかに怒りを秘めた形相でガドックに詰め寄る。


「ちっ…… あの馬鹿何やってるの」


 ローラの思いも虚しくガインはガドックの胸元まで突き進む。


「なんで銀貨十枚しか入ってないんですか! 三十枚の契約でしたよね!」


 怒り狂うガインとは対照的にガドックは落ち着いた表情だ。


「そうか、ガインは初めてだったな」


 ガドックは顎を触りながら諭すように話し出す。


「銀貨三十枚は最高報酬だ。そこから、宿舎や食事の配給、もろもろの手数料を差し引いて銀貨十枚」


「ありがたく受け取ってくれ」


 そう言ってガドックはガインの肩に手を置く。


「こんなんじゃ薬代が……」


 絶望の表情を浮かべ、ガインは両膝をつき動かなくなった。


「この間は銀貨二十枚だったのに。明らかに待遇が悪くなってる…… あんまりだわ――」


 ローラは唇を噛み締めボロボロになった手を見つめている。周りの労働者も何も言わないが、同じ気持ちでいるだろう。


「ダレス・ハーパー」


「はい」


 ニヤニヤ笑みを浮かべる班長の前に立つ。


「ダレス、お前は銀貨五枚だ」


 そう言って班長はわざとらしく小袋を地面に落とすと、銀貨は音を立て辺りに散らばった。


「おっと、すまない」


 仕事の疲れもピークに達していたのだと思う。普段なら怒りが湧いただろうが、頭の中が空っぽで、ただ散らばった銀貨を拾うことしかできなかった。


「お前は、ほんとに仕事が出来なかったからな。貰えるだけありがたく思えよ」


 最後の一枚に手を伸ばそうとすると、ガインは横から拾いあげ、くすんだ銀貨をそっと俺に手渡す。


 優しい眼差しを俺に向けてくれたが、その瞳の奥には憤怒に満ちた炎が燃え上がっているように見えた。


「銀貨五枚はおかしいだろうが!」


 ガインは今にも殴りかかりそうな剣幕でガドックに詰め寄る。


「おかしいなんて人聞きの悪い。これもちゃんと契約に則った報酬だぞ」


 どこまでも冷静さを貫くガドックとは対照的に、ガインは怒りを爆発させ、歩みを進める。


 俺のために動いてくれたガインに圧倒されたからか言葉が出ない。地面に膝をつきながらその勇姿を見つめることしか出来なかった。


 いや、別の何かが自分の胸の中にいる――


「ダレスには両親がいないから、妹達のために必死に働いたんだぞ。こんなこと許されていいはずがない!」


 ガインは一回り体の大きい班長の胸ぐらを掴み、睨みつけながら(まく)し立てた。


「ダレスのことはお前に関係ないだろ」


 そう言ってガドックはガインの手を乱雑に振りほどく。


「だが、そうか……」


 ガドックはまた吐き気を覚えるような汚い笑みを浮かべた。


「ダレス、お前の母親の名前はニーナだな」


 久しぶりに聞いた母さんの名前に、意識がハッとする。


「あいつは本当によく働いてくれた。朝も夜も、病にかかっても。子供達のためと言ってどんなこともしてくれたな」 


 ガドックは少しずつ俺に近づき、耳元に顔を近づけた。煙草と汗の混ざった匂いが鼻を刺す。


「――お前も母親と同じように、たっぷり稼がせてくれよ」


 ガドックの悪意ある言葉に、母さんの姿が脳裏に浮かんだ。


 初めて働きに出て、母さんの苦労が身にしみて分かった。いや、俺に比べたらきっと、想像を絶するものだっただろう。


 母さんの死だけを不条理だと思っていたが、そうではない――


 きっとこの世の全てが不条理で。


 貧民街に生まれた自分達は、搾取される側の人間で。


 (かね)も命も。何もかも――


「……うるせぇんだよ……」


「あん? なんか言ったか?」


 豆だらけの右手をぐっと握り込み、一つ息を吐く。


 握りしめた(こぶし)を、ガドックの顎目掛けて力任せに振り抜いた。


 ガドックの巨体が宙に浮き、そのまま地面に倒れ込む。同時に、鈍い感触と痛みが右手から脳へと伝導されていく。


 周りの労働者達は息を呑み、ドシッと重たい音だけが広場に響いた。


 地面に横たわるガドックを見て、自分が何をしたのかを理解する。


 怒りにまかせ人を殴った。こんなことは初めてだった。


 呼吸は荒く、胸の拍動を全身に感じる。


 今、自分の頭にあるのは「不条理を受け入れられない」という激情。


 それだけだった――


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