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新庄剛志物語  作者: 水前寺鯉太郎
中学校編

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12/15

ポジション問題 ―― 多才ゆえの混乱



 四月の第二週、黒田がポジション分けを行った。

 一年生十八人を並ばせ、一人ずつ希望を聞いた。ピッチャー志望が六人、キャッチャーが二人、内野が七人、外野が三人。だいたい例年通りの比率だと、後から村上が教えてくれた。

 剛志の番が来た。


「新庄、希望は」

「全部やりたいです」


 黒田の眉が動いた。


「全部とは」

「内野も外野も捕手も。全部守れます」


 一瞬、沈黙があった。

 隣に並んでいた一年生が、小さく息を呑んだ。二列後ろで誰かが笑いを堪えるような気配があった。

 黒田は表情を変えなかった。


「理由を言え」

「どこでも出られる選手の方が、チームの役に立てると思うからです」


 黒田はそれ以上聞かなかった。次の一年生に視線を移した。

 答えを保留した、という空気だった。



 実際、剛志は全部できた。

 これは本人の思い込みではなかった。

 内野はショートを小学校から守ってきた。打球への反応、送球の精度、どれも一年生の中では抜けていた。外野は肩の強さと走力があった。深い打球を追い、正確に中継へ返す。それだけで外野手として機能した。


 問題は捕手だった。

 経験は少なかった。小学校のとき、人手が足りない練習試合で何度か入っただけだった。だが剛志には捕手に必要な二つのものが、生まれつき備わっていた。

 強肩と、投手を見る目だった。

 二球目のキャッチャーミットの構え方を見ただけで、投手の調子が分かった。投球フォームのどこが乱れているか、言語化はできないが体で分かった。


 これは剛志にとって当然のことだった。誰でもそうだと思っていた。

 違うと知るのは、もう少し後のことだった。



 黒田が動いたのは二週間後だった。


「新庄、今日から捕手の練習に入れ」

 剛志はその日、内野の練習に参加していた。

「内野はどうするんですか」

「内野は続ける。外野も入れる。ただし捕手を優先しろ」

「全部やれるということですか」

「試している」


 それだけ言った。

 黒田のやり方は説明が少なかった。意図を語らず、選手を動かし、結果を見る。小川とは真逆だった。小川はノートに書いて、言葉で説明した。黒田は言葉より先に状況を作った。

 剛志はその意図を掴もうとしながら、とりあえず従った。



 捕手の練習に入った翌日、問題が起きた。

 三年生の正捕手・坂本が、練習後に剛志を呼んだ。

 坂本は背が低く、がっしりしていた。二年間正捕手を守ってきた。声が大きく、グラウンドでは常に中心にいた。


「一年、ちょっといいか」

「はい」

「なんで捕手やりたいん」

「やりたいというより、監督に言われました」

「その前に、全部やりたいって言ったやろ」

「言いました」


 坂本は剛志を見た。値踏みするような目ではなかった。もっと率直な、確認するような目だった。


「正直に聞く。ポジション取りに来てるか」

「違います」

「じゃあなんで全部やりたいんや」 


 剛志は少し考えた。


「どこでも出られる方が、試合に出られる確率が上がると思ったからです」


 坂本は一瞬だけ黙った。


「チームのためか、自分のためか、どっちや」


 今度は剛志が黙った。

 正直なところ、両方だった。でもどちらが先かと言われると、答えに詰まった。



 その夜から、陰口が増えた。

 剛志の耳には断片的に届いた。

 目立ちたいだけやろ。

 全部やりたいって、坂本さんのポジション狙ってるやろ。

 一年のくせに。

 監督に気に入られようとしてるんちゃうか。

 悪意の温度は様々だった。本気で嫌っている声もあれば、ただの噂話の延長もあった。

 剛志は否定しなかった。


 否定するために声を荒げるのは違うと思った。言葉で説明できることなら説明するが、誤解を解くために動き回るのは、何か本質を外している気がした。

 グラウンドで示す。

 先週自分に言い聞かせた言葉を、また繰り返した。

 でも今週は、その言葉が少し重かった。



 水曜日の練習後、村上が来た。

 前回のキャッチボール以来、村上は時々剛志に声をかけた。監視しているわけでもなく、かといって仲間として扱うわけでもない、微妙な距離感だった。


「坂本と話したか」

「はい」

「どうだった」

「怒ってるわけじゃないと思いました。ただ、確認したかったんだと思います」


 村上は少し目を細めた。


「坂本は今年で最後や。三年間、一度もレギュラーを外れたことがない。それがどういうことか、分かるか」

「努力してきたということですか」

「それだけやない。チームを作ってきたということや。キャッチャーはグラウンドの監督や。配球、声掛け、投手との信頼関係。そのポジションに一年生が入ってきたら、どう見えるか」


 剛志は黙って聞いた。


「お前が悪意を持ってないのは分かる。でも悪意がなければ何をしても許されるわけじゃない」


 それは、先週も聞いた論理だった。

 悪意がないことと、影響を与えないことは、別の話。



 翌日、剛志は黒田に直接聞きに行った。

 体育倉庫の前、いつもの場所だった。


「監督、一つ聞いていいですか」

「言え」

「俺を全部のポジションで試している理由を、教えてもらえますか」


 黒田は腕を組んだ。


「なぜ聞く」

「チームの空気が悪くなっています。理由が分かれば、俺が説明できます」

「お前が説明する必要はない」

「でも誤解されています」

「誤解は実力で解け」


 剛志は一歩踏み込んだ。


「実力で解くのは分かります。でも、監督が何を考えているか分からないまま動くのは、闇の中を走るようで。俺は理由を知った方が、もっとうまく動けます」


 黒田は少し間を置いた。

 これまでで一番長い間だった。


「器用貧乏という言葉を知っているか」

「はい」

「お前がそうなるかもしれないと思っている。何でもできるから、何かに絞れない。中途半端なまま終わる選手を、俺は何人も見てきた」

「だから試しているんですか」

「お前がどこで本物になるか、見ている」



 本物になる場所。

 その言葉が、練習中もずっと頭にあった。

 内野を守るとき、外野を守るとき、捕手のミットをはめるとき。どこが一番、体の中の歯車が噛み合うか。剛志は初めて、自分のポジションを意識しながら動いた。


 ショートは好きだった。打球への一歩目、送球の感覚、内野の土の踏み心地。全部が馴染んでいた。

 外野は気持ち良かった。広い空間を走り、遠くから返球する。肩の強さを最大限使える。


 捕手は、面白かった。

 投手の一球一球を受けながら、次の一手を考える。まるでグラウンド全体を上から見ているような感覚があった。ゲームを組み立てる、という感触が、他のポジションとは根本的に違った。

 どれも、やめたくなかった。

 それが問題だった。



 週末の紅白戦、剛志は捕手で出場した。

 黒田の指示だった。

 坂本がスタンドから見ていた。剛志はそれを知りながらミットをはめた。

 初回、先発投手は三年生の右腕だった。緊張しているのが分かった。指先が定まっていなかった。剛志は構える位置を少し変えた。低め、真ん中。難しいコースを要求しなかった。投手が投げやすい場所だけを選った。


 三者凡退だった。

 二回、相手が一番を打ってきた。剛志はインコースを要求した。投手が頷いた。打者は詰まって、サードゴロ。


 五回まで、剛志のリードで二失点だった。

 試合後、坂本が剛志のところへ来た。


「配球、誰かに習ったか」

「いいえ」

「どこで覚えた」

「打者を見ていたら、なんとなく分かります」


 坂本はしばらく剛志を見た。

 それから、短く言った。


「明日、一緒に練習するか」


 剛志は少し驚いて、頷いた。



 夜のノートに書いた。

 全部やりたいという気持ちは本物だ。でも「全部やりたい」と言葉にすることと、実際に全部やることは違う。

 言葉は時に、気持ちより先走る。

 監督は俺がどこで本物になるかを見ている。俺自身も、まだ分からない。


 でも今日、捕手をやりながら思った。投手を見て、打者を見て、グラウンド全体を見る。それは野球を全部使っている感じがした。

 ペンを置いた。


 才能が多いことは、地図が何枚もあるようなものだと思った。どの道が正しいか分からない。全部の道が本物に見える。だから迷う。

 でも迷うことと、間違えることは違う。

 窓の外で虫が鳴いていた。夏が近づいていた。

 グローブとミット、二つを並べて眺めた。

 どちらも、本物だった。


── 中学校編・第2話・了 ──


才能が多いことは祝福だ。ただし、選ぶ勇気がある者にとってのみ。

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