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後日談

エルランド王国が地図上から消滅し、伝説級魔獣「ディザスター・ギガント」の襲来によって瓦礫の山と化してから、早いもので半年が経とうとしていた。

 かつてその王国があった土地は、今や隣国である我がギルフォード帝国、および周辺諸国によって共同管理される「無主の地」となり、あちこちで戦後処理と瓦礫の撤去が進められている。

 しかし、その旧王国の土地に足を踏み入れる者は、今でもほとんどいない。

 長年にわたって蓄積され、エレナという避雷針を失ったことで一気に地上へ噴き出した「国家級の呪いと瘴気」は、未だにその大地をドロドロとした黒い霧で覆い尽くしているからだ。特別な防護魔法なしに立ち入れば、一般人なら一瞬で精神を蝕まれ、廃人になってしまう。

 その一方で――。

 国境を挟んだギルフォード帝国の領内は、まるで別世界のような光景が広がっていた。

「わあ、エレナ様! 見てください、今年のイチゴはこんなに大きくて甘いですよ!」

「エレナ様が作ってくださった『常春の結界』のおかげで、冬の間も毎日、新鮮な野菜が食べられるなんて……本当に夢のようですわ!」

 公爵邸の裏手に広がる広大な温室農園。

 そこでは、領民の娘たちがカゴいっぱいに真っ赤な果実を収穫しながら、私に向かって満面の笑みを咲かせていた。

「ふふ、喜んでもらえて嬉しいわ。大地の魔力をほんの少しだけ『活性化』の術式に変換して循環させているから、栄養価も普通の数倍はあるはずよ。みんな、たくさん食べてね」

 私が柔らかく微笑むと、娘たちは「はいっ!」と元気に返事をして、嬉しそうに作業へと戻っていった。

 私の髪は、今や一点の煤も残らない、太陽の光をそのまま編み込んだかのような美しいプラチナブロンド。

 肌は白磁のように滑らかで、かつて王宮の地下で毎日命を削っていた頃の「青白い隈だらけの女」の面影など、もう爪の先ほども残っていない。

「……本当に、毎日が夢のようね」

 そよぐ風が、私の髪を優しく揺らす。

 エルランド王国にいた頃は、朝起きるたびに身体が鉛のように重く、心臓が握り潰されるような激痛に耐えながら地下へ向かっていた。

 けれど今の私は、毎朝、最愛の夫の温かい腕の中で目覚め、美味しい食事を摂り、自分の能力を「人々を幸せにするため」だけに存分に使うことができる。

「――エレナ。こんなところにいたのか」

 聞き慣れた、低く心地よい声が響いた。

 振り返ると、そこには黒い上質な私服をまとった、私の夫――アルベルトが立っていた。

 帝国最強の騎士であり、「氷の公爵」と恐れられる彼だが、私に向けるその氷色の瞳には、とろけるような甘い熱だけが宿っている。

「アルベルト様! お仕事はもうよろしいのですか?」

「ああ。君に一刻も早く会いたくて、今日の執務はすべて午前中に片付けた。……それよりも、少し風が冷たくなってきたな。君の身体を冷やすわけにはいかない」

 アルベルトはそう言うと、自分が羽織っていた上質な黒い毛皮の外套を私の肩に優しくかけ、そのまま背後から私を包み込むように強く抱きしめた。

 彼の胸の鼓動と、心地よい体温がダイレクトに背中から伝わってきて、私の頬がぽっと赤くなる。

「あ、アルベルト様……みんなが見ていますわ」

「構わないさ。君が私の妻であることは、この帝国の誰もが知っている。むしろ、君がどれほど私に愛されているか、世界中に見せつけたいくらいだ」

 普段の冷徹な姿からは想像もつかない、情熱的で、どこか独占欲の強い言葉。

 アルベルトは私の耳元に唇を寄せ、ふわりと私の髪を梳きながら、囁くように言った。

「……エレナ。君は本当に美しい。毎日、君をこの腕に抱くたびに、あのような愚かな国から君を連れ出すことができて、神に感謝している。君を傷つけ、使い潰そうとした連中には、一生かかっても報いを受けさせ続けるが……君自身は、もうあそこのことなど一切気にかける必要はないからな」

「ええ。分かっていますわ、アルベルト様。私は、今が世界で一番幸せですから」

 私が彼の腕の中で振り返り、その端正な顔を見上げて微笑むと、アルベルトはたまらなくなったように、私の唇に優しく、しかし深く、甘いキスを落とした。

 

 帝国の至宝として、そして一人の愛される女性として、私の心はこれ以上ないほどの充足感で満たされていた。

 その頃。

 ギルフォード帝国の最南端に位置する、極寒の『黒鉄炭鉱』。

 ここは、帝国の重犯罪者や、国境を侵犯した侵略者たちが送られる、生きて生還することは不可能とされる「終身刑の流刑地」だった。

 年中、冷たい吹雪が吹き荒れ、地下一百メートルを超える暗黒の炭鉱内は、石炭の煤と湿気、そしていつ落盤が起きてもおかしくない恐怖に満ちている。

「ハァ……ハァ……! 重い……重すぎる……っ! なぜ、なぜ俺が、こんなゴミのような石を運ばなければならないんだ……!」

 真っ黒な煤に汚れ、ボロ布のような囚人服をまとった男が、泥水に塗れた床に這いつくばっていた。

 

 レオン・バルドール。

 かつて「大陸最強」と謳われ、きらびやかな黄金の甲冑をまとって王宮の夜会で傲慢に笑っていた、あの第一騎士団長だ。

 しかし今の彼には、かつての英雄の面影など微塵もなかった。

 魔剣『グラム』の呪いを全身に浴びた彼の右腕は、どす黒く壊死して感覚を失っており、ぶらりと力なく垂れ下がっている。

 髪は煤と泥でベタベタに固まり、頬は骸骨のようにこけ、濁った瞳は絶望と狂気に染まっていた。

「おい! 怠けるな、このエルランドの敗残兵め!」

 背後から、大柄な帝国の看守が、容赦なくトゲ付きの鞭をレオンの背中に振り下ろした。

「ぎゃあああああああああっ! いたい、痛い痛い痛い!」

「痛いだと? お前たちが我が帝国の国境を侵し、さらに我が帝国が誇る『エレナ様』に無礼を働いた罪は、その程度の痛みでは到底購えんぞ! ほら、さっさとその背負いカゴに石炭を詰めろ! 今日中にノルマを達成しなければ、夕食の泥スープは抜きだ!」

「ひ、ひいいいっ! ごめんなさい、ごめんなさい……っ!」

 レオンは、かつて自分が「無能」と見下していたエレナの名前を聞いた瞬間、全身をガタガタと震わせた。

 今や、帝国の全ての人間がエレナを「暁の女神」として崇めている。

 そして、そのエレナをかつて虐げ、あまつさえ追放したというバルドール家の悪名は、この最果ての炭鉱にまで知れ渡っていた。

 看守たちや他の囚人たちからも、「あの聖女様をゴミのように扱った大馬鹿者」として、毎日毎日、凄惨なリンチと容赦のない重労働が彼に課されていた。

「エレナ……エレナ……! なぜだ……なぜ俺を助けに来てくれない……!」

 レオンは、感覚のない右腕を抱えながら、煤まみれの涙を流した。

「お前は俺の婚約者だったろ……。俺がこんなに苦しんでいるんだぞ……? 早く、早く俺の代わりに、この右腕の呪いを吸い取ってくれ……。以前のように、俺を優しく癒やしてくれえええっ!」

 彼は未だに、失ったものの大きさを理解できず、都合の良い妄想の中に縋り付いていた。

 だが、彼がどれだけ泣き叫ぼうとも、差し出されるのは優しい手などではなく、無慈悲な看守の鞭と、冷たい石炭の山だけだった。

 そして、炭鉱のさらに薄暗い一角。

 

「いや……嫌よおぉぉ! なんで私が、こんな冷たい泥を片付けなきゃいけないのよ! 私は聖女なのよ! 国民みんなから愛される、最高に可憐な聖女ミリア様なのよおおおっ!」

 甲高い悲鳴を上げていたのは、ミリアだった。

 

 彼女の姿は、レオン以上に悲惨だった。

 かつて男たちを惑わせた可憐な顔は、国家級呪具の瘴気による「黒死呪斑」が顔全体を覆い尽くし、ただの泥の化け物のようになっている。

 彼女に与えられた仕事は、炭鉱の底に溜まる、有毒なガスを含んだ泥水の掻き出し作業。

 毎日、冷たい有毒泥水に手足を浸しているため、彼女の手足の爪はすべて剥がれ落ち、指先は化膿してボロボロだった。

「ミリア! お前のせいで俺は……お前が『癒しの魔法』なんて嘘を吐くから、俺はエレナを……!」

「うるさいわね、この無能男! 自分の実力で騎士団長になったとか威張ってたクセに、エレナがいなくなった瞬間、剣も持ち上げられなくなったのは誰よ!? この粗大ゴミ! 疫病神!」

 二人は、かつて愛し合っていたことなど忘れ、お互いを泥だらけの顔で睨み合い、醜い罵り合いを続けていた。

 だが、それさえも看守の「静かにしろ!」という一喝と、容赦ない鞭打の音によってかき消される。

 彼らは死ぬまで、この地獄の底で、自分たちが犯した「取り返しのつかない大罪」の重さをその身に刻まれながら、炭鉱の煤に塗れて泥のように朽ち果てていくのだ。

 再び、ギルフォード帝国、公爵邸の美しい庭園。

 アルベルトの毛皮の外套に包まれながら、私は彼の手をしっかりと握りしめていた。

 その左手の薬指で、純白のダイヤモンドが、常春の温かい光を受けてキラキラと眩しく輝いている。

「エレナ。これからの帝国は、もっと美しく、もっと豊かになる。君が私の隣にいてくれる限り、何も恐れるものはない」

「ええ、アルベルト様。私も、あなたと一緒に、この暖かで幸せな世界をずっと守っていきたいです」

 私は、彼に向けて心からの笑顔を咲かせた。

 かつて、国中のすべての悪意と呪いを引き受けていた「最強の避雷針」は。

 今、最愛の夫の腕の中で、帝国全体を優しく照らす、本物の「暁の女神」として、永遠の幸福に満ちた新時代を歩んでいくのだった。




私の完全な自己満と、陰キャ姫を書いてみたくて作った作品です。最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。

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