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華やかな夜会の、理不尽な宣告

天上から降り注ぐようなシャンデリアのきらびやかな光が、磨き抜かれた大理石の床に反射して、まるで星空の上に立っているかのような錯覚を覚えさせる。

 ここは、エルランド王国の王都でも最も格式高い、王宮の大舞踏会。

 今夜は、年に一度の「建国記念夜会」が催されていた。

 会場の空気は、最高級の薔薇の香水と、贅を尽くした料理の香りで満ちている。

 きらびやかなシルクのドレスをまとった貴婦人たちや、胸元に誇らしげに勲章を光らせた若き騎士たちが、優雅にグラスを傾けながら談笑している。

 そんな光り輝く輪からぽつんと弾き出されたように、私は会場の最も薄暗い壁際に一人、静かに佇んでいた。

 私の名は、エレナ・エヴァルト。

 エヴァルト伯爵家の長女であり、この国の「呪具管理官」を務める者だ。

「おい、見ろよ。またエヴァルト家の『陰気姫』が来ているぞ」

「せっかくの素晴らしい建国記念日だというのに、あんな不吉な女を近くに寄せるな。呪いが伝染る」

「いつも地下の宝物庫に籠もっているから、身体から瘴気の臭いが染みついているんじゃないか?」

 扇の陰から、耳に痛い陰口がいくつも飛んでくる。

 しかし、私は表情一つ変えずにそれを受け流した。そんな陰口は、私にとって日常の雑音に過ぎないからだ。

 私の家系であるエヴァルト伯爵家は、代々、王家に伝わる強力な『呪具』を管理し、その害を無効化する特殊な役目を担ってきた。

 呪具管理官の仕事は地味で、そして苛烈だ。

 日の当たらない王宮の地下最深部――「封印の宝物庫」に毎日十時間以上も籠もり、強力な瘴気を放つ魔剣や、持つ者を狂わせる呪いのアクセサリー、精神を汚染する古文書と対峙する。

 

 今日の私の手を見てみる。

 夜会のために、何度も何度も石鹸で丁寧に洗い流したはずなのに、爪の先には呪具の煤が薄く残ってしまっている。

 連日の激務による寝不足のせいで、目元には薄い隈があり、どんなに高級な化粧品を施しても、私の肌はどこか青白く、生気が薄い。

 この華やかな夜会において、私が周囲から「不吉な異物」として扱われるのは、当然のことだった。

「……それでも、今日だけは耐えなければ」

 私は胸元に手を当て、そっと自分に言い聞かせた。

 なぜなら今夜は、私の婚約者である第一騎士団長、レオン・バルドールが、北方の魔獣討伐で大きな功績を挙げ、国王陛下から直接、栄誉ある勲章を授与される記念すべき日だからだ。

 婚約者として、彼の晴れ舞台を陰ながら見届けたい。

 そんなささやかな願いだけが、過酷な呪具管理の仕事を耐え抜く、今の私の唯一の心の支えだった。

 しかし、そのささやかな願いは、あまりにも無残な形で打ち砕かれることになる。

「おい、エレナ・エヴァルト。そこにいたか、この泥泥どろどろとした不吉な女め」

 人混みを割るようにして、こちらに向かって歩いてくる足音が響いた。

 現れたのは、黄金の甲冑を模した絢爛な礼服に身を包んだ、私の婚約者――レオン・バルドールだった。

 燃えるような赤髪に、自信に満ちた精悍な顔立ち。

 長身で鍛え上げられたその体躯は、まさに物語から飛び出してきた英雄そのものだ。

 だが、その鋭い双眸には、婚約者である私への温情など微塵もなく、まるで踏み潰すべき汚物を見るかのような嫌悪感だけが煮えたぎっていた。

 そして、彼の隣には、不自然なほど密着している少女がいた。

 私の半分ほどしかない細い腰をレオンに抱かれ、勝ち誇ったような笑みを浮かべているのは、神殿の「見習い聖女」であるミリアだ。

 彼女は可憐なピンク色のフリルドレスをまとい、上目遣いでレオンを見つめている。

「レオン様……。おめでとうございます。北方の魔獣討伐、素晴らしい功績ですね。無事にお戻りになられて、本当に安心いたしました」

 私が一歩前に出て、精一杯の祝いの言葉を述べようとした。

 しかし、レオンは私の言葉を、冷酷な一言でぴしゃりと遮った。

「黙れ。お前のその薄汚い口から、安易に俺の名を呼ぶな。それだけで今夜の美酒が泥水に変わる。虫唾が走るわ」

「え……?」

 その冷たすぎる言葉に、私の身体が指先から凍りついていく。

 レオンは私を冷たく見下ろしたまま、ニヤリと傲慢な笑みを浮かべると、周囲の貴族たち全員に聞こえるように、朗々とした声をホール全体に響かせた。

「皆、聞いてくれ! 本日、この佳き建国の記念日に、俺は一つの重大な決断を発表する!」

 騒がしかった会場の喧騒が、一瞬で静まり返る。

 何事かと、何百人もの貴族たちの視線が、一斉に私たちへと注がれた。

 レオンは私を指差しながら、さらに声を大にした。

「俺は、そこにいるエレナ・エヴァルトとの婚約を、本日この場を以て、永久に破棄することをここに宣言する!」

 頭の上から冷水を浴びせられたような衝撃が走る。

「婚約破棄」――その重苦しい言葉が、きらびやかなホールに冷たく響き渡り、貴族たちの間に波のようなざわめきが広がっていった。

「さらに!」

 レオンの纠弾は止まらない。

「エレナ・エヴァルト。貴様には、王家への不忠、および呪具を用いた不穏な企ての容疑がかかっている! よって、本日から貴様を我が第一騎士団から除名し、さらにこのエルランド王国から国外追放処分とする!」

「婚約、破棄……? 国外、追放……?」

 あまりに突然の宣告に、私の頭は白い霧に包まれたようになった。

 私が王家を裏切るような企てをするはずがない。

 毎日、命を削るようにして地下室で呪いを抑え込んでいる私が、なぜそんな濡れ衣を着せられなければならないのか。

「レオン様、お待ちください! 呪具を用いた企てなど、私には全く身に覚えがありません! 私はただ、あなたが率いる騎士団が安全に戦えるよう、そして国が平穏であるよう、毎日地下で――」

「見苦しい言い訳をするな!」

 レオンは軽蔑を剥き出しにして、フンと鼻で笑った。

「貴様が毎日、地下の薄気味悪い部屋に籠もって何をしていたか、すべてお見通しだ。貴様は呪具の力を利用して、俺の騎士団の装備に『呪い』を仕込み、俺たちの力を削ごうとしていたのだろう! 実際に、貴様が管理を始めてからというもの、俺の剣は以前より重く感じるようになっていた! これが呪いの仕業でなくて何だ!」

「それは違います! その剣は、強力な魔力に比例して所有者の精神を蝕む呪いを持っていたのです! だからこそ、私がその呪いを肩代わりして、あなたが狂わないように制御を――」

「黙れ無能が!」

 レオンの怒号が私の言葉をかき消した。

「俺がそんな小細工に頼るわけがないだろう! 俺は己の実力で騎士団長の地位を掴み取り、今回の魔獣も討伐したのだ! お前のような、ただ呪具を並べることしかできない陰気な『お荷物女』に、俺の剣を語る資格はない!」

 レオンは、自分の腕にしがみつくミリアの頭を優しく撫でた。

 その手つきは、私には一度も見せたことのない、甘やかで慈愛に満ちたものだった。

「俺にふさわしい真の伴侶は、その清らかな『癒しの魔力』で俺を、そして騎士団の皆を心身ともに支えてくれた、この聖女ミリアだけだ! 彼女の光の魔法こそ、我がバルドール公爵家に、そしてこの王国に必要なものだ!」

「そうです、エレナさん」

 ミリアが、長い睫毛をわざとらしく震わせながら、被害者ぶった口調で喋り始めた。

「レオン様はね、いつもあなたの不気味な呪いの気配に怯えていらしたのよ? 『あいつが近くにいると、身体が異様に重くなる』って。あなたがレオン様を苦しめていた犯人なんです。……だから、大人しく身を引いてくださいね?」

 ミリアの瞳の奥には、濁った優越感と、私を引きずり下ろしたことへの醜い愉悦がこれでもかと透けて見えていた。

 

 周囲の貴族たちからも、非難と嘲笑が混ざったヒソヒソ声が次々と浴びせられる。

「やっぱりな。あの女、いつも幽霊みたいで気味が悪かったんだ」

「聖女様が本物の婚約者になってくれて、バルドール公爵家も救われるな」

「無能なくせに、よくもまあ今まで婚約者の座にしがみついていたものだ」

 誰一人として、私を擁護する者はいない。

 私がどれほど血を吐くような思いで、この国の安全を守ってきたか。

 

 レオンが「己の実力」と豪語するその剣。

 騎士団が「無敗」を誇るその超人的な戦闘力。

 そのすべてが、私が裏で毎日、彼らの武器や防具から溢れ出る数々の「呪い」や「毒」、さらには「過労による精神汚染」までをすべて自分の身に吸い上げ、無効化していたからこそ成り立っていたものだということに――。

 この愚かな男たちは、誰一人として気づいていないのだ。

 ミリアの「癒しの魔法」など、ただの軽度な傷を癒やすだけの小手先の術に過ぎない。

 国家級の呪具が放つ絶望的な瘴気を前にすれば、彼女の魔法など一瞬で消し飛ぶというのに。

 レオンは腕を組み、勝ち誇った顔で私の反応を待っている。

 私がこの理不尽な宣告に絶望し、涙を流して足元にすがりつき、許しを乞うとでも思っているのだろう。

 ホールの観衆も、その無様なヒロインの没落劇を期待して、ニヤニヤと笑いながらこちらを見つめている。

 ――しかし。

 私は、すう、と深く息を吸い込んだ。

 胸の中に湧き上がってきたのは、不思議なほど、悲しみでも怒りでもなかった。

 ただ、頭の芯が驚くほど冷え切っていき、代わりに、どこまでも澄み切った「圧倒的な解放感」が全身を満たしていくのを感じていた。

(……ああ。やっと、終わるんだ)

 毎日、呪具の瘴気に身体を蝕まれ、激痛に耐えながら、彼らのために泥を被り続ける日々。

 どれだけ尽くしても、ゴミのように扱われ、ただ使い潰されるだけの奴隷のような毎日。

 

 その地獄の日々が、彼らの自らの意志によって、今、完全に断ち切られたのだ。

 私がこの国を守る義理も、レオンを支える義務も、これですべて消滅した。

 私の唇の端が、自然と上へと弧を描く。

 私は、これ以上ないほど優雅に、完璧な淑女のカーテシーをして見せた。

「――分かりました」

 その透き通った声に、レオンがわずかに眉をひそめた。

「レオン様。そこまでおっしゃるのなら、私は喜んで、その婚約破棄と国外追放の申し出をお受けいたします。今夜、この国を去りましょう。……ですが、一つだけ確認させていただいてもよろしいですか?」

「何だ? 今さら命乞いでもするつもりか?」

「まさか。……私が管理していた、エヴァルト伯爵家代々の『私物』――これまで国や騎士団に『無償で貸し出していたもの』については、すべて回収し、私が持って行きます。それで、よろしいですね?」

「ふん! 呪具管理室にあるような、薄汚いゴミやガラクタなど、好きなだけ持って行くがいい! 貴様がいなくなれば、この国はミリアの美しい光の魔法で満たされるのだからな!」

「ありがとうございます。言質は、しっかりといただきました。……それでは、お健やかに」

 私は、左手の薬指をそっと見つめた。

 そこには、歪な形をした、漆黒の原石が埋め込まれた指輪が嵌められている。

 これこそが、エヴァルト家秘伝の魔導具。

 私の規格外の【解呪・封魔】の魔力を常に極限まで抑え込み、その代わりに、国中から発生するあらゆる「呪い」や「瘴気」を、私という一つの『器』に強制的に引き寄せ、留め置くための「避雷針」にして「触媒」だった。

 私は、その漆黒の指輪に指をかけ――。

 躊躇うことなく、ゆっくりと引き抜いた。

 指輪が、私の指先から完全に離れた、まさにその瞬間。

 ドクン、と。

 私の心臓が、本来の脈動を打った。

 ふわり、と私の周囲に立ち込めていた、あの重苦しく薄汚い灰色の気配が、一瞬にして光の粒子となって霧散していく。

 それと同時に、煤に汚れ、くすんでいた私のプラチナブロンドの髪が、まるで満月の光をそのまま編み込んだかのような、息を呑むほどに美しい輝きを取り戻した。

 連日の心労と呪いのせいで青白く荒れていた肌は、一瞬にして白磁のように滑らかで、透き通るような血色を帯びる。

 どんよりと濁っていた私の瞳は、深海のように神秘的で、吸い込まれそうなほど美しい瑠璃色へと変化した。

「な……っ!?」

 レオンが、息を詰まらせて絶句した。

 あまりの美しさに、ミリアの顔から血の気が引き、周囲の貴族たちからも「おい、あれは本当にあの陰気姫なのか……?」と、驚愕に満ちたどよめきが沸き起こる。

 けれど、私はもう彼らを見ることはない。

 漆黒の指輪をドレスのポケットに仕舞い、私は踵を返した。

 かつて私を虐げ、消費し続けた者たちを背に、光り輝くホールの扉へ向かって、凛とした足取りで堂々と歩き去る。

 私を引き留めようとする者は、もう誰もいなかった。

 そして。

 エレナ・エヴァルトという名の「最強の避雷針」が消えた、まさにその瞬間。

 王宮の地下最深部――。

 数百年にわたり、歴代のエヴァルト家がその身を犠牲にして抑え込んできた、何千、何万という凶悪な「国家級呪具」が眠る暗黒の宝物庫から。

『――ミシッ……。ピキ、ピキキキキ……!』

 誰もいない暗闇の中で、呪いを封じ込めていた魔法結界が、耐えきれずに決定的な音を立ててひび割れ、崩壊し始めていることに。

 今、この瞬間も狂喜乱舞しているレオンたちや、愚かな王族たちは、誰一人として気づいていなかった。

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