第112話:ヒートショック
今まで、「イリの神」と「渡し屋クルス」が同一人物だと見抜いた人はいなかったのに。
冒険者ギルドの30名を西島に渡したときですら、誰も気付かなかったのに。
何故この少女は初見で俺がイリの神だと気付いたんだろう?
理由を聞きたいけれど、マイナス40℃の森の中では話してる間に凍えそうだ。
「ここは寒過ぎてゆっくり話せないな。君を西島へ連れて行ってもいいかい?」
「はい、是非」
西島行きを提案すると、ユウナリアは嬉しそうに微笑んで頷く。
俺は異空間トンネルを開き、少女を抱えて西島へ移動した。
イリの神の居所である祠には、参拝者が休憩できる客室がある。
トンネルを抜けると、常春の気温を感じた。
「暖かい……」
「というか暑いな」
西島の気温は、年間通して20~25℃前後。
雪深い森の気温はマイナス40℃。
気温差60~65℃なんて、業務用冷凍庫から真夏の炎天下に出たときより差が大きいぞ。
「とりあえずコートは脱ごう……って、どうした?!」
「……気温差に……身体がついていけなかったみたいです……」
話しかけながら客室のソファにユウナリアを座らせた直後、フラッと倒れかかるので慌てて抱き留めた。
ユウナリアの言葉から、急激な寒暖差が引き起こす【ヒートショック】が思い浮かぶ。
ヒートショックとは
急激な温度変化によって血圧が大きく変動すること。
寒い場所にいると血管が縮んで血圧が上がり、温かい場所に入ると血管が広がって血圧が急に下がる。
この急激な血圧の変動が心臓や脳に負担をかける。
眩暈、立ちくらみ、失神、呼吸困難などが起こり、心筋梗塞や脳卒中を引き起こす原因にもなる。
意識を失ったり、最悪の場合は死に至ることもある。
応急処置
安全確保と救急要請が最優先。
呼びかけに反応がなければ意識がないと判断。
意識があっても頭痛や胸の痛みがある場合は、心臓や脳の異常の可能性がある。
意識がある場合は、安全な場所で毛布やタオルなどで体を温め、安静にしながら保温する。
軽度の「眩暈」や「立ちくらみ」程度であれば、無理に動かず、その場でゆっくりとしゃがむか、横になって安静にすれば症状が落ち着くことがある。
「頭や胸に痛みはある?」
「いえ……無いです……」
幸い、ユウナリアの症状は軽度のヒートショックだったらしい。
重度だとしても、この世界に救急車は無いけど。
「ごめん、凍死しかかってた人にこの温度差はまずかったか……。ここで少し横になってて」
「はい」
俺はユウナリアのコートを脱がせてソファに寝かせると、客室のベッドから毛布を取って身体に被せてあげた。
ヒートショックは状態異常だから、世界樹の葉が効きそうだ。
そのまま食べさせるよりも、お茶にした方が身体を温められていいかもしれない。
俺は異空間倉庫から世界樹の葉を取り出し、客室の戸棚からティーポットを取り出した。
お茶を淹れるためのお湯は、火と水の混合魔法で作り出せる。
テーブルに置いたティーポットに生の葉を入れ、空中に湧き出させたお湯を注ぐ。
生ハーブティの要領で淹れたお茶は、フレッシュで良い香りを室内に漂わせた。
「いい香り……」
ソファに横になりながら、ユウナリアが安らいだ笑みを浮かべる。
世界樹の葉は香りにも効力があるので、少し身体が楽になったのかもしれない。
「起き上がれるかな? このお茶を飲めば眩暈が治まる筈だから」
「ありがとう……ございます……」
ティーカップにお茶を注いだ後、俺はユウナリアを介助して起き上がらせた。
お茶の温度は、飲みやすいくらいに調整してある。
テーブルからカップを取って持たせると、少女は両手で包むようにカップを持ち、少し口に含んで幸せそうに微笑んだ。
「美味しい……。この香り、世界樹の葉ですね」
「眩暈は治まってきたかな?」
「はい、もう何ともないです」
美味しそうに飲んでは微笑む少女の頬が、血の気が戻ってほんのり桜色に変わる。
長い髪も大きな猫耳もフサフサ尻尾も純白、睫毛や眉毛や肌も白い中で目立つ、美しい紅玉のような2つの瞳に惹きつけられた。
アルビノなのかな?
白猫なら見慣れてるけど、赤い目をした猫って見たことないな。
この世界でも白猫系の獣人は見かけたことはあるけど、赤い目の人を見るのはユウナリアが初めてだ。
ユウナリアの美貌に見惚れていたら、ツンツンと背中をつつかれた。
ハッとして振り返ると、星の精霊が真顔でこちらを見ながら空中に浮かんでいる。
『イリの神様、そろそろ願いをお伝えしてもよいですか?』
『あ! そうか忘れてたゴメン』
星の精霊が、念話で話しかけてくる。
俺も念話で応えた。
ユウナリアはソファに座って俺に寄りかかりながら、美味しそうにお茶を飲んでいる。
うっかりしてた。
俺が選択した願いを担当する精霊は、その願いを伝えないと空に帰れないんだ。
『既に願いは叶っているので、今更ではありますが……』
そう前置きして、星の精霊は告げる。
『彼女、森猫族の少女ユウナリアの願いは、【イリの神様に逢いたい】です』
『助けてではなく、逢いたいと願っていたのか?』
『そうです。彼女はイリの神様に逢いたくて里を抜け出し、雪の森で力尽きてあの状態に……』
『どうしてそこまで……』
『詳しくは、彼女に聞いて下さい。願いが叶った今、彼女の心は幸せで満たされていますよ』
話し終えると、星の精霊はスーッと消えて白銀の光の玉に変わる。
小さな光の玉は、天井をすり抜けて夜空へと飛び去っていった。
挿絵代わりの画像は作者の保護猫たちです。
閲覧やイイネで入る収益は、保護猫たちのために使います。
是非イイネをぽちっとお願いします!




