第107話:おじいさんと猫
「まさか、これが何か分かる人がこの世界にいるとは思わなかったよ」
俺は苦笑しつつ言う。
マエルは頭の猫耳をピーンと立てて、真剣な眼差しを向けてくる。
「稲」や「米」という単語が出てくるのなら、マエルは転生者、それも日本人だろう。
俺は転生者ではなく転移者だけど、日本からきたのは同じだ。
マエルになら俺の正体を明かしてもいいと思う。
「俺は日本から来た異世界転移者なんだ」
抱っこしていたマエルを座布団の上に座らせて、俺は変身を解いて本来の姿に戻った。
驚いたマエルが目を真ん丸にして、尻尾を膨らませる。
精霊のプリュネは俺の正体を分かっているので、驚きもせず静かに正座していた。
「これが俺の本当の姿だよ」
この世界の人間ならある筈の猫耳と尻尾が無く、この世界には存在しない筈の黒い瞳をもつ者。
俺の姿を見たマエルは、嬉しさと切なさが入り混じった笑みを浮かべる。
「マエルは転生者かな? 前世は日本人?」
「僕は日本で死んで、この世界に生まれてきました」
マエルはすぐ落ち着いて、畏まった口調で話す。
聞いてみると、マエルはやはり転生者らしい。
米になる植物がこの世界に無いことを知っていたのは、前世知識によるものかな?
俺も小学生の頃に授業で稲を育てた経験があるので、日本人なら種籾を知っていても不思議ではない。
でも、マエルの前世は、思ってたのと違った。
「僕の前世は猫です。畑や納屋の作物を荒らすネズミを狩るお仕事をしていました」
昔を懐かしむような遠い目をして、マエルは自らの過去を語る。
それは、日本で猫として暮らしていた頃の記憶だった。
◇◆◇◆◇
「どうじゃ、立派に実ったろう? お前さんが頑張ってくれたおかげじゃよ」
一面に広がる稲穂を眺めて、おじいさんは言った。
その腕に抱かれているのは、稲穂と同じ明るい茶色の猫。
収穫の時期を迎えた稲穂が、秋風にサワサワと揺れていた。
「ほれトラ、新米じゃよ。鰹節をタップリかけておいたぞ」
無事に米の収穫を終えると、おじいさんは猫にも白飯をふるまった。
ふんわりした鰹節に覆われた白飯は、ほんのり甘くて温かい。
トラと呼ばれる猫は、普段食べているキャットフードよりも、こちらの方が大好きだった。
「トラは凄いのぅ、お前さんがいればネズミどもは手も足も出んぞ」
おじいさんはいつも猫を褒めた。
トラは畑や納屋でネズミを仕留めると、必ずおじいさんに見せに行く。
その度におじいさんは喜んで、頭を撫でてくれた。
おじいさんと猫の、のどかな田舎暮らし。
ずっと続くかに思われた日々は、ある日突然終わってしまった。
その日、おじいさんはいつものように農作業に出た。
トラは家や納屋のパトロールをした後、田畑の野ネズミを狩りに行った。
その先で目にしたのは、畦道で倒れているおじいさんと、必死で応急処置をする村人たち。
おじいさんは救急車に運ばれていき、そのまま帰らぬ人となってしまった。
「猫ちゃん、どうしようか?」
「うちのアパートはペット禁止だからなぁ」
おじいさんの娘夫婦は、遺体の傍らに座っている猫を見て言う。
トラはおじいさんが目を覚ますと信じて、通夜の間ずっと枕元に座っていた。
翌朝、棺に納められて霊柩車に運ばれていくおじいさんを、トラは鳴きながら追いかける。
おじいさんを連れていかないで! ひとりぼっちにしないで!
けれど無情にも、車はどんどん離れていく。
猫の走る速度では自動車に追い付けず、トラはションボリしながら来た道を戻っていった。
「トラがいると納屋や畑がネズミに荒らされないから、このまま置いといてくれよ」
「ゴハンは私たちがあげるから大丈夫よ」
ペット禁止アパートに住む娘夫婦に代わり、餌やりを引き受けるのは隣家の夫婦。
トラは臭いを感じ取ると他家の納屋や畑のネズミも退治していたので、農村では喜ばれる存在だった。
主を亡くしたトラは、その後も村内のネズミを狩り続けた。
秋になれば屋根に上り、一面に広がる稲穂を誇らしそうに見下ろす。
年月は過ぎていく。
トラも老猫となり、空き家となったおじいさんの家の縁側でウトウトすることが多くなった。
「トラはやっぱりそこが好きなんだなぁ」
「ゴハンは食べに来るけど、寝るのはそこなのねぇ」
隣家の夫婦に見守られながら、トラは穏やかな余生を過ごす。
やがて命の終わりがきて、トラは虹の橋のたもとへと旅立っていった。
ペットは虹の橋のたもとで飼い主がくるのを待つが、トラの場合は飼い主が先に亡くなっている。
「トラ、あなたの飼い主は転生してしまったので、ここへ来ることができません」
虹の橋の番人が、諭すように穏やかな声で告げる。
その後ろには、飼い主と寄り添いながら嬉しそうに虹の橋を渡っていく犬の姿が見えた。
飼い主が後から死んでいれば、あんな風に仲良く天国へ行けるんだ……と、トラは羨ましく思った。
「僕も転生させてもらえませんか? できればおじいさんが転生した人の近くに」
「おじいさんの転生者は前世の記憶が無いので、あなただと分かりませんがいいですか?」
「構いません」
「では、あなたの記憶は残しましょう。赤ん坊の頃は記憶は封じられていて、ある程度の年齢になったら覚醒するようにします。その記憶が目覚める場所に、おじいさんの転生者がいます」
たとえ前世のことを覚えていなくても、おじいさんの生まれ変わりに逢いたい。
トラは転生を願い、虹の橋の番人はそれを受理してくれた。
こうして、トラは人としての知性の他に前世の記憶と土魔法の適正を与えられ、マエル・デフィ・ドゥ・シャンとして生まれ変わった。
挿絵代わりの画像は作者の保護猫たちです。
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