第106話:人のぬくもり
翌日、俺はレム鹿の実を採集してシキカ蜜と共に瓶に詰め、マエルに届けに行った。
茅葺き屋根の大きな家、扉の無い門を素通りして玄関に近付くと、扉のすぐ向こう側からマエルとプリュネの声がする。
「止めないでプリュネ、畑の様子を見に行くだけだから」
「駄目です御主人様! そんな身体で出かけるなんて!」
どうやらマエルは意識が戻り、畑に行こうとしてプリュネに止められてるらしい。
俺は玄関の扉をノックしてみた。
「マエル、差し入れを持ってきたんだけど入ってもいい?」
「えっ? その声はクルスさん? プリュネ扉を開けて」
「は、はい」
2人は途端に言い争うのをやめて、プリュネの力で玄関扉が開かれた。
玄関内を見ると、板の間から土間へ降りようとする白衣姿の少年を、赤い花柄の着物姿の猫精霊が必死で押し止めていた様子が分かる。
「昨日はありがとうございました。どうぞ上がってお茶でも飲んで……」
マエルはそう言うと、俺を案内しようと歩き出しかけて……コケた!
まだガリガリに痩せてるし、筋力落ちてるんじゃないかな?
「マエル、君まだ外出とか無理だろ」
俺は靴を脱いで上がり、床でベチャッとうつ伏せになっているマエルをヒョイッと抱え上げた。
マエルの身体は、昨日と変わらず軽い。
子供を抱っこするように縦抱きにしたら、マエルは嫌がらずに大人しくしている。
「……で、居間はどっち?」
「御案内しまぁ~す」
プリュネに聞くと、笑顔で先に立って案内してくれた。
居間は、濡れ縁に出て最初の障子を開けた部屋だった。
畳張りの床の中央に、座卓と座布団が置かれている。
「クルス様は上座へどうぞ。御主人様をこちらに」
「……」
「マエル? どうした?」
プリュネが手で示す下座の座布団にマエルを降ろそうとしたら、何故かギューッと抱きついて離れない。
それはまるで小さな子がパパやママに抱っこされた後、降ろされそうになったときに抵抗するみたいな感じだ。
「……お父様にもお母様にも、一度も抱っこされたことがないのに……」
「ん?」
俺に抱きついたまま、マエルがボソリと呟く。
なんのことかとキョトンとしていると、マエルは少しだけ声を大きくして言う。
その口調はこれまでの畏まったものではなく、敬語をなくした子供らしさがあった。
「クルスさんは抱っこしてくれた! しかも2回も!」
「そりゃ、フラフラで歩けなさそうだったからね」
どうやらマエルは抱っこされたことが無いらしい?
貴族の子供は親に抱っこされずに育つのだろうか?
「知らなかった……人の身体に触れるって、こんなに温かくてホッとするものなんだね」
言いながら、マエルがとった行動はレティ様と同じ。
この世界の人々が信頼を寄せる相手にすること。
スリスリと頬を擦りつけるのは、教えられなくても自然に出る行動なのか?
……っていうか、俺の胸に顔をうずめて、すぅぅぅって大きく息を吸ってるんだけど……。
それ、人間がやる【猫吸い】みたいな?
「えーと、マエルの家族のこと、聞いてもいい?」
「うん」
俺は困惑しつつ聞いてみた。
マエルは甘えながら応える。
「御両親は、今どこに?」
「王都の貴族街に住んでるよ」
昨日からこの家でマエルと屋敷精霊のプリュネ以外を見かけていない。
だから俺は、マエルの親は亡くなったのかと思っていた。
けど、違うらしい。
「僕は、追放されたんだ……」
「えっ?!」
領主になってるマエルが追放された子?
俺は隣にいるプリュネをチラリと見た。
プリュネが無言で頷く。
「貴族は生まれてすぐ鑑定魔法で子供の才能を調べるんだけど、僕には農業向きの才能しかなくてガッカリしたらしいよ。1人息子だったから一応育てたみたいだけど、弟が生まれたら追い出されちゃった……」
「それで、この農村に?」
「一応ここはお父様の領地なんだ。最初は土質が悪い荒れ地だったけど、土魔法で改善したんだよ」
マエルは努力の人だった。
そういう子には、農業で成功して捨てた親を見返してほしい。
「そっか。マエルは凄いな」
「そう言ってくれたの、クルスさんが初めてだよ」
「そんなことないぞ。俺はもともとマエルの噂を聞いて、新たな作物の研究を依頼しに来たんだから」
「新たな作物?!」
途端に、マエルの表情が変わる。
それは宝箱を見つけた冒険者に似ている。
俺はこのタイミングで、異空間倉庫に保管していた種籾を取り出した。
抱きついているマエルの肩を指先でツンツンとつついて振り返らせて、種籾入りの袋を差し出す。
「これだよ」
「……! こ、これは……」
袋を受け取り、開けて見た途端、マエルは驚愕した。
未知の物に驚いたのとは、ちょっと違う。
どちらかというと、知っている物を意外なタイミングで見たという感じだ。
「クルスさん、これは何処で見つけたの?! ……これは、この世界には無い筈なのに……」
「え?!」
マエルの言葉に、今度は俺が驚く。
まさか、マエルは……
種籾を見つめるマエルが、何か決意したような顔になる。
「……これは種籾……【稲】そして【米】になるものですよね?」
少年の話し方が、さっきまでの子供の口調から、研究者としての知的な口調へと変わる。
マエルは、稲や米を知っている。
もしかして、この子は……?!




