第二百五十七話「準備開始」
「了解だ。なら早速、次の休みに色々と準備でもどうかな?」
俺がそう切り出すと、ヘルヴィウスは一瞬きょとんとしたあと、少し困ったように笑った。
「随分と早いような気がするけど……わかったよ。次の休みだね」
思っていたよりもすんなり話がまとまった。
あとは装備の確認や、ギルドへの手続き、それから実地の説明だな……と頭の中で段取りを組み始めた、その時だった。
「なあ、ケイスケ。その“監督”ってやつは、二人でもいいだか?」
トルトが遠慮がちに手を挙げるような仕草で、そう聞いてきた。
「ん? ああ、人数に制限は……確か四、五人くらいだった気がするな」
無制限だと思っていたが、そういえばギルドで説明を受けた時に上限の話もあった。
新人をちゃんと見られる人数、ってことなんだろう。
「なら、俺もいいだか?」
「トルトが?」
思わず聞き返すと、トルトは力強く頷いた。
彼が神学校に入学する際、村のみんなから祝い金をもらったことは知っている。
さらに領主からも資金援助が出ているらしい。
けれど、それらに頼り切って生活するのが心苦しいのだと、以前ぽつりと漏らしていた。
「自分で稼いで……せめて、自分の食い物くらいは買えるようになりたいだ」
そしていつか故郷に帰り、教会を建てて恩返しをしたい。
それがトルトの願いだった。
相変わらず、優しすぎるくらいだと思う。
「……わかった。トルトも一緒にやろう」
俺がそう言うと、トルトの顔がぱっと明るくなった。
「ありがとだ、ケイスケ!」
その様子を見ていたからだろう。
今度は、少し控えめな声が聞こえた。
「……わ、私も……冒険者、やってみたい」
ティマだった。
薄い灰色の瞳が、不安と期待を混ぜたように揺れている。
「ティマも?」
俺が聞くと、彼女は小さく頷いた。
「……ケイスケと、一緒のこと……してみたい」
その言葉に、胸の奥が少しだけ温かくなる。
「私も賛成よ」
今度はミルカだ。眼鏡を軽く押し上げながら、真っ直ぐに俺を見る。
「座学だけじゃなくて、実地の経験もしてみたいわ。それに……」
ちらりとティマを見る。
「ティマが将来、聖女になるなら、色んな災害現場や危険な場所に行くこともあるでしょう? その予行練習にもなると思うの」
確かに、その通りだ。
聖女という立場は、ただ祈っていればいいわけじゃない。
人の苦しむ現場に立つことも多いだろう。
「……マジか」
思わず口癖が漏れる。
ヘルヴィウス、トルト、ティマ、ミルカ。
人数的にも、ちょうど上限くらいだ。
リラが影の中から、念話でくすっと笑ってくる。
『なんだか一気ににぎやかだねー。先生役、ご苦労さまー』
『やめろ。胃が痛くなる』
全員を見る。
正直、責任は重い。でも――。
「……いいぞ。全員まとめて、俺が見る」
一瞬の静寂のあと、空気がぱっと明るくなった。
ちなみに、肉体強化魔法――通称ドーピーは、全員が使える。
練度はバラバラだが、最低限の発動は問題ない。
生命魔法を教えてくれたのはイズミト先生だ。
あの人の授業は、今思い出しても胃がきりきりする。
初回のドーピーの授業は、まさに地獄だった。
理論説明のあと、実践。
幸いにも大半の生徒はすぐに使えたし、使えなかった生徒も、少し練習すれば発動できるようになった。
……問題は、そのあとだ。
全員がドーピーを使えるようになった直後、イズミト先生は、靴を脱ぐように指示してにこにこしながら重そうな石を配り始めた。
「はーい。先生がいいと言うまで、その石を持ってくださいねー。落としたら痛いですよー」
ここまでは、まだ普通だ。
「でも足が潰れても大丈夫ですー。むしろ潰してくれれば、その際の治療法をお教えできますから、潰すのは推奨ですー」
その瞬間、教室中が悲鳴に包まれた。
何人かは耐えきれず、石を落とした。
足先を直撃し、爪が剥がれる程度の怪我。
だがイズミト先生は、それを見て首を傾げた。
「あらー、残念。爪が剥がれただけですねー。指は潰れてないですねー」
心底残念そうな声だった。
あの時の空気は、今でも忘れられない。
その後の治療は完璧で、怪我はあっという間に治ったが、先生への恐怖だけはしっかり刻み込まれたと思う。
――まあ、そのおかげで、実戦レベルの生命魔法と肉体強化が生徒たちに身についたのも事実だ。
そんなこんなで休みの日当日。
待ち合わせ場所は、聖アンドシンクス教会の前にある大きな広場だ。
王都プロブディンで一番大きく、そして最も歴史のある教会。白い石造りの外壁は朝の光を受けて淡く輝き、尖塔の影が広場に長く伸びている。
朝食を済ませ、身支度を整えてから向かったが、それでも広場にはすでに多くの参拝客が集まっていた。巡礼者らしき一団や、家族連れ、祈りを捧げる老夫婦。人の流れが途切れることはない。
俺の恰好は、水森の里でもらった上下の服だ。
黒を基調とした仕立てのいい服で、動きやすさと見た目を両立している。以前は冒険者活動の時はこの上から革鎧を着ていたが、さすがにこの仕立てのいい服を使うのはもったいない。
最近、安価で丈夫な服を新調したので、冒険者活動のときはそっちを。今着ているこれはいわばおしゃれ着という位置づけになった。
トルトの方を見ると、彼もまた少し緊張した面持ちで立っていた。
服装は幾分野暮ったいが、丁寧に作られているのが一目でわかる。布地もしっかりしているし、縫い目もきれいだ。
何より、トルトの純朴な雰囲気によく似合っている。
「村のみんなが、作ってくれただよ」
照れたようにそう言うトルトに、俺は素直に感心した。
「へぇ……なんていうか、トルトの村は優しそうな村だな」
「んだぁ……。村のみんなに、恩返しをしたいだよ」
トルトはそう言って、遠くを見るように目を細めた。
彼の村は、王都から見れば辺境も辺境の、小さな開拓村だ。裕福とは言えず、むしろ貧しい部類に入るだろう。
しかも標高が高く、冬はここよりもずっと寒いらしい。作物も育てにくいと聞いた。
それでも村の人々は皆、家族のように支え合って生きているという。
トルトの夢は、そんな村に教会を建てることだ。それが自分にできる恩返しなのだと、以前話してくれた。
ふと横を見ると、ヘルヴィウスもまた、そんなトルトを眩しそうな目で見ていた。
ヘルヴィウスの服装は、一目で貴族だとわかるものだった。
黒く光沢のある上質なズボンにベスト。中に着ているシャツも艶があり、布地の良さが隠しきれていない。
靴は丁寧に磨かれた革靴で、全体のセンスも申し分ない。
「トルトは、すごいんだね」
その言葉は、どこか素直で、飾り気がなかった。
「そういえばさ、今日は歩きで行こうと思ってるんだけど、いいか?」
俺がそう言うと、ヘルヴィウスはすぐに頷いた。
「もちろんいいよ。それに、もし僕が司祭にでもなったら、いつも馬車なんて乗っていられないからね」
貴族といえば馬車移動が当たり前だ。
この広場にも馬車が乗り入れられる道は整備されている。ただし丘を回り込む形になるため、歩くより倍以上の距離になる。
それにしても、まだ十一歳だというのに、この落ち着きよう。
本当に、できたやつだと思う。
「でも、カズグラードたちは、いつも馬車に乗って遊びに行ってるって自慢してただよ」
「あははは……まあ、彼らはああだから」
「まあ、カズグラード様、だもんな」
「んだんだ」
ヘルヴィウスが苦笑し、トルトが神妙な顔で頷く。
そんな雑談を交わしながら、女性陣を待っていると――。
やがて、視界の端で人影が動いた。
こちらに気づいた二人が、小走りで駆け寄ってくる。
「ごめんね、待たせたかしら?」
息を少し弾ませながらそう言ったのはミルカだった。
「いや、全然」
そう答えながら、俺は思わず二人の姿に目を奪われた。
ティマは、春らしい薄紅色のワンピースを着ている。
首元には白いレースがあしらわれ、全体的に柔らかく、可憐な印象だ。
足元は白い刺繡の入ったベージュの靴。
そして頭には、赤い花と銀色の葉を模した髪飾りがきらりと光っている。
とてもよく似合っていた。
一方ミルカは、落ち着いた紺色のジャンバースカート風のワンピース。
中に白いブラウスを着て、首元には茶色の細いタイを巻いている。
頭にはベレー帽のような丸い帽子。
洗練された、いかにも都会の女の子といった装いだ。
「二人とも、可憐だ。とてもよく似合ってるよ」
ヘルヴィウスがさらっとそう言ってのける。
……マジか。
この年でその自然な褒め方。将来が末恐ろしい。
「……あ、ありがとう……」
ティマが小さく答え、
「ありがとう。貴方も素敵よ」
ミルカもにこりと微笑んだ。
その様子を見ていると、ティマがちらりと俺の方を見る。
影の中から、リラの声が届いた。
『ほらほらー。ケイスケもちゃんとティマちゃんを褒めてあげなよー』
『うるさいな。わかってるよ』
念話でそう返しつつ、俺は少しだけ言葉を選んでから口を開いた。
「……うん。二人とも似合ってる。可愛いと思うよ」
語彙力? そんなものはない。
これが俺の限界だ。
それでもティマは、ぱっと顔を赤くして、視線を伏せながら――。
「あ……ありがとう……」
小さな声で、そう答えてくれた。
「みんな、ちゃんと揃ってるわね。行きましょうか」
ミルカのその一言で、自然と全員が頷いた。
目的地は王都の商店街。今日は冒険者活動の準備だ。馬車ではなく徒歩で向かうことにしている。
聖アンドシンクス教会の前の広場を後にし、石畳の道を歩き出す。
午前中の王都は活気に満ちていて、露店の呼び声や、人々の話し声が心地よく混じり合っている。
天気もいい。少し歩くと、日差しがじんわりと肌に感じられた。
俺は歩きながら、ふと思いついた疑問を口にした。
「ちなみに、みんな武器を扱ったことってあるのか?」
冒険者をやる以上、避けては通れない話題だ。
戦うのは俺が前に出るにしても、最低限の知識や経験はあったほうがいい。
「僕はね、小さい時から剣は習っていたから、少しは扱えるよ」
そう答えたのはヘルヴィウスだった。
柔らかな笑顔のまま、さらりと言う。
さすがは貴族の子息。剣術は嗜みの一つというやつだろう。
聞けば、乗馬や礼法も一通り教わっているらしい。ただし実戦経験はない。
「まあ、実際に魔物と戦ったことはないけどね」
苦笑しながらそう付け加える。
そりゃそうだ。十一歳の子どもが実戦経験ありなんて、あってたまるか。
「俺は、武器ってほどじゃねえけどな」
次に口を開いたのはトルトだ。
「斧とか、鍬とか、槌なら扱ったことあるだよ。害獣くらいなら退治したことはあるだ」
「ああ……なるほど」
開拓村での生活なら納得だ。
農具を扱う腕力と経験は、そのまま重量武器に直結する。
トルトが大きな斧を振るう姿を想像して、内心でうんうんと頷いた。
似合いすぎる。というか、もうそれが正解だろ。
「私は、細剣なら少しはやったことがあるわ」
ミルカが落ち着いた声で言う。
細剣――いわゆるレイピアだろう。刺突を主体とした、技術がものを言う武器だ。
「へぇ、ミルカもか」
「ええ。護身術の一環としてね。父がそういうのに理解があるの」
なるほど。建築士の父親らしい、合理的な判断だ。
そして――。
「……わ、私は、何も……」
最後に、ティマが小さくそう呟いた。
視線は足元に落ちていて、声もかすかに震えている。
自分だけが何もできない、という意識があるのだろう。
その空気を感じ取って、俺はすぐに言葉を重ねた。
「そっか。でもさ、別に今まで扱ったことがなくてもいいと思うぞ」
ティマが、少しだけ顔を上げる。
「これから覚えればいいだけなんだから」
事実だ。
それにティマは聖女候補だ。前線で斬り合うより、後方支援が主な役目になるはずだ。
「……うん」
小さく頷くティマを見て、俺は続ける。
「ティマの武器なら、やっぱり杖とかがいいのかな」
「……杖?」
きょとんと首を傾げて、俺を見る。
「そう。杖って魔力を増幅したり、魔法を安定させたりする機能があるらしいしさ」
「……そう、なの?」
「ああ。この前ロシオリー先生も言ってただろ? 杖を持ってこそ魔法使いは完成する、って」
手に合う合わないはあるらしいが、試してみる価値はある。
「今日、実物を見てみるか?」
「……うん」
今度は、はっきりと頷いてくれた。
ヘルヴィウスは自分の剣をすでに持っているというし、ミルカも家にあるものを使えるらしい。
「じゃあ、武器を見るのはトルトとティマが中心だな」
俺は頭の中で予定を整理する。
「トルトは一応、普通の武器も見ておこう。あとは鎧、薬草、ナイフ、その他諸々……」
冒険者の装備は多岐にわたる。
準備不足で痛い目を見るのは避けたいところだ。
皆が頷き、目的地を共有する。
こうして、俺たちは並んで歩きながら、王都の商店街へと足を進めた。
これから始まるのは、彼らの冒険者としての第一歩。
――さて、忙しくなりそうだ。
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