第二百四十三話「学校生活の一幕」
生命魔法の授業が終わると同時に、教室のざわつきが一段落した。
俺とティマが途中で先生に呼ばれたのが気になっていたのだろう。何人かの視線がまだこちらに向いている。
そんな中、ミルカが椅子から立ち上がり、俺たちのもとへやってきた。
「何の話だったの?」
眼鏡越しにまっすぐ見てくる目が、いかにもミルカらしい。
隠し事は許さない、というほど強くはないが、道理が気になるタイプの視線だ。
ティマは少し躊躇したあと、答えた。
「……生命魔法の授業は、みんなと別々に教えてくれるんだって……」
「ケイスケも同じだか?」
「ああ、そうなるらしい。授業の前半はみんなと一緒だけど、後半は個別授業になるそうだ」
「へぇ……やっぱりすごいのね」
ミルカは俺とティマを交互に見て、小さく感心したように微笑む。
確かに、一週間の授業で俺がいくつかの生命魔法を扱えること、魔力が異様に多いことは、クラスの全員にバレている。
ティマに至っては聖女候補で、光魔法の適性3。しかもエステレルと契約しているのだから、周りが特別扱いするのも当然だ。
ちなみに魔法の種類だけで言えば、ティマのほうが俺より多く使える。
マデレイネ様のそばで長く過ごしていた分、その経験値は圧倒的だ。
――俺も負けていられない。
「まあ、授業が完全に別になるわけじゃないし、大丈夫だよ」
「そうね」
ミルカが軽く頷き、教科書をまとめはじめる。
俺も立ち上がり、カバンを肩にかけた。
そのとき。
くい、と服の裾が引かれる感触がした。
俺が振り返ると、ティマが少しだけうつむき、囁くように言った。
「……あの、ケイスケ……今日も、お願いできる……?」
「……あー」
ティマが言っているのは、例の魔力移譲だ。
生命魔法の授業がある日は、彼女は毎回のように俺に求めてくるようになった。
あの初回――ティマが火照って倒れかけたあの時ほどにはならないが、それでも彼女はどこか物足りなさを残しているようだった。
ロシオリー先生の魔力制御の授業のおかげで、俺自身のコントロールも格段に向上している。
ティマに流す魔力は、ほんの一滴の感覚で十分だ。
彼女の体はすぐに反応し、必要なだけ魔力を取り入れる。
――が、それでも。
ティマは毎回、俺に触れるたびに少しだけ赤くなる。
その熱を帯びた目線に、俺も正直ちょっとドキッとさせられてしまう。
でも、頼まれたら断れない。
「……仕方ないな」
俺はため息をひとつ吐き、ティマの手をそっと握った。
魔力をほんの少しだけ送り込む。
「……んっ……!」
ティマのかすかな声。
肩がピクリと揺れ、頬が薄っすらと紅潮する。
その顔が、なんというか――反則だ。
俺が目を逸らしたくなるほどに儚くて、危うくて、守らなきゃって気持ちを掻き立ててくる。
『……ねぇケイスケ。毎回ティマちゃんの反応すごいよねー』
影からリラの声が響く。
『おまえは黙っててくれ』
『やだよ、面白いんだからー』
……ほんとにこいつは。
「なあなあ!」
唐突に、がらっと空気を破る声が教室後方から飛んできた。
「今日も文字を教えてくれよ! 明日、普通科の授業あるからさ!」
「あのばあさんを驚かせてやりたいんだよ!」
ジミーとシプスだ。
その後ろには、普通科組の生徒たちも「お願いします!」といった顔で固まっている。
最近は授業の後に文字の読み書きを教えるのが恒例になりつつある。
ジミーたちは読み書きがまるっきりできない。
俺とミルカが自主勉強という名目で教えているが、これが思っていたよりもやりがいがある。
ミルカと目が合った。
彼女は小さく息を吐き、肩をすくめ――。
それでもすぐに、明るい表情で頷いた。
「分かったわ。今日も一緒に頑張りましょう」
「助かる!」
「ケイスケも頼む!」
「はいはい……なんか俺、教師みたいだな」
俺は苦笑しつつ、ティマの手を離した。
ティマはまだほんのりと頬を赤らめながらも、俺を見上げてコクンと頷く。
ミルカが手を叩いた。
「じゃあ教室の隅、いつもの場所に移動しましょう。今日も簡単な文字からよ」
「うおーっ!」
「俺、昨日の続きできるかな!」
生徒たちがわちゃわちゃと移動しはじめる。
教室の喧騒。
文字を覚えようと意欲に燃える顔。
ティマの小さな横顔。
――なんというか。
冒険者としてはまだまだひよっこだけど、こういう時間も悪くない。
俺は気持ちを切り替え、みんなの方へ歩き出す。
頼られるというのも嬉しいものだ。
穏やかな毎日ばかり、というわけにもいかない。
むしろ「平穏って何だっけ?」と問いたくなるほど、小さなトラブルは絶えず起きた。
具体的には、貴族組の三人――カズグラード、イズヤジツァ、テーヴデーヤ。
そして最近そこに加わった女子、シェアーの四人だ。
この四人が、なぜか俺たちに絡んでくる。
いや、正確に言うなら「ティマに絡みたいらしい」。
ただし、ティマに近寄る前に俺が割って入るので、結果としてターゲットに俺も含まれるようになってしまった――というわけだ。
嫌われている、というほどではない。けど、やたら絡まれる。
今日も例にもれず、俺たちが光魔法の授業前に席につこうとしたところに声をかけてきた。
「貴方、カズグラード様がこう言っているのに、無礼よ!」
シェアーが、これでもかというほど目を吊り上げて俺を睨む。
その横でカズグラードは胸を張り、どこか得意げに言う。
「まあまあ、そう言うな、シェアー。きっと聖女も、俺が貴族だから遠慮しているだけなのだ」
「でも! そんなカズグラード様の優しさがわからないなんて!」
……うん、今日も安定の茶番劇である。
たぶん……いや、絶対、シェアーは貴族に気に入られたい。
その願望が全身からダダ漏れで、見ているこっちが恥ずかしくなる。
だが、彼女のその過剰な持ち上げのせいで、逆にカズグラードからのストレートな絡みは減っている。
その意味では、ありがたいのかもしれない。
……まあティマに害がない分にはいいけどな。
ちらっと横を見る。
ティマは以前ほど怯えた様子はない。
もちろん、必要以上に関わらせるつもりはないが。
「そろそろ先生が来る。今日はこれくらいにしよう」
そう告げたカズグラードが立ち上がると、
「まあ! カズグラード様は真面目で素敵ですー!」
「はっはっは! そうだろう!」
「流石です!」
「時間もきっちり守ろうとされるなんて、すごいです!」
はいはい、わかったわかった。
毎回これを聞かされる俺の身にもなってほしい。
とはいえ、正直なところ今のところ実害はない。
だから俺も、ミルカも、トルトも、黙ってスルーする。
無駄に関わると長引くだけだしな。
そんなくだらないやり取りが続いていると――教室の扉が勢いよく開いた。
「諸君。席についているな。では光魔法の授業を始める」
ロシオリー先生が入ってきた。
全員が姿勢を正す。
先生は実力派で、厳しいけれど的確で尊敬されている。そして、何より……魔力制御の鬼だ。
まあ、聖女候補であるティマを贔屓しているが、それでも優秀な先生であることは確かだった。
実際この一週間で俺達生徒は大分鍛えられた。
ただ、この授業のあと、みんなはかなり腹が減るらしく――。
「ケイスケ、今日の分、ちゃんと持ってきたぞ」
隣のトルトが、ごそっと袋を見せてきた。
中には干し肉と固めのパンがぎっしり。
ミルカも、「予備もあるから大丈夫よ」と小声で囁いてくれる。
……ほんと、この三人は良い奴らだ。
「じゃあ始めようか。今日は視認魔力操作の続きだ」
先生の言葉と同時に、全員の空気が緊張する。
視認魔力操作――。
光球を、見えるように細かく制御する基礎技術だ。
光球を見えるようにゆっくりと練り上げていく。光の糸を作るような感じだ。というか最早それは球の形を成していない。
教室の空気がじんわりと温かくなっていく気がする。
「ちょ、ちょっと! ケイスケ、魔力出しすぎ!」
隣のミルカが焦った声で囁く。
「マジか……抑えるわ」
俺が魔力をしぼると、隣で小さく息を吸う気配がした。
ティマだ。
「……ケイスケは、すごい……」
ほんの少しだけ、誇らしげな瞳。
けれど、俺と目が合うとすぐに伏せてしまう。
その控えめな反応が、どこか胸にくる。……いや、今は授業に集中だ。
自分に言い聞かせ、魔力の糸を細く引き伸ばすように操作する。
「ケイスケ、悪くない。ティマ君もよくできている。ミルカは角度を調整して……そうだ」
ロシオリー先生が次々と指示を飛ばしていく。
貴族組はというと……。
「ほ、ほらカズグラード様! すごいですわ!」
「うむ……まあ、これくらい当然だ」
……うん、あれはあれで頑張っているらしい。
たまに魔力を暴発させて「わっ」とか「ぎゃっ」とか聞こえるので、先生に怒られているけど。
そんな調子で、授業はどんどん進んでいった。
そして授業が終わるころには、みんな腹がぺこぺこだった。
「はぁ……腹減った……」
トルトがぐったり言いながら、用意していたパンをひょいっと取り出している。
大きなサンドイッチは、あっという間に彼の口の中に消えていく。
「流石の食いっぷりだな」
「はあぁぁ……! 生き返っただぁ……」
用意していた食料をたいらげ、トルトは腹をさすっている。
そして――。
「ケイスケ! ティマ! ミルカ! 次の自主勉の場所、どうする?」
シプスが手を振りながら走ってきた。
「ジミーも来るって!」
今日も自主勉強会だ。
ティマが小さく笑って、俺の袖をそっと引く。
「……行こ?」
「マジか……まあ、いいけど」
一度引き受けたからにはとは思うが、なんだかんだで断れないのは俺の性格かもしれない。
ミルカは眼鏡をくいっと上げて、「じゃあまた教室の隅のほうでやりましょう」と即決した。
こうして、俺たちの日常――喧騒と努力と、ちょっとした面倒ごとの入り混じった、慌ただしい日々が今日も続いていくのだった。
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