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悠久の放浪者  作者: 神田哲也(鉄骨)
第四章

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第二百三十九話「墓地での戦い」

 墓地に足を踏み入れた瞬間、まず感じたのは――静寂だった。


 まるで空気そのものが固まり、時間が止まったかのような、嫌な静けさ。王都のスラム近くにある共同墓地ということもあってか、人影はひとつもない。普段から人が寄りつかないのか、それとも最近現れた魔獣のせいなのかは分からない……が、おそらく後者だろう。


「でもなんで、スラムの依頼が冒険者ギルドに出されたんだ?」


 そんなに外部の者を嫌うなら、そもそも依頼なんて出さずに自分たちで片付ければいいはずだ。俺がそう言うと、ニトは鼻で笑って答えた。


「あ? そんなん、スラムの連中じゃ片付けられねえからに決まってんだろ」


 ニトは当然のことのように言う。

 つまり、スラムには魔獣を安全に倒せる人材がいないということか。……いや、いるにはいるが、そんな些事にかまっていられない、ということかもしれない。


「おっかねえ奴らがいるって話は聞いたことあるぜ? だが、墓地の魔獣なんざわざわざ退治する連中じゃねえよ」


 顔役の護衛のような者や、裏の仕事をする者はいるが、一般の住民は力がない。群れることはあっても、個々の強さは低いらしい。


「力があればスラムなんざすぐ出ていく。俺もそうだった」

「なるほどな」


 ニトは警戒するように周囲を見回し、舌打ちした。

 墓石は倒れ、雑草は伸び放題。古い木製の墓標には名前らしき文字がかすかに残っているだけだ。


 この世界では、死体がそのままアンデッドになることが稀にある。魔素と強い思念が結びつくと起こる現象らしい。昼間だからまだマシだが、夜なら絶対に近寄りたくない。


『ケイスケ、見える範囲には魔獣いないよー』


 リラの念話がふわりと響く。


『風で探っていますが……地表には反応ありませんわ。地中に潜んでいるのかもしれません』


 アイレの念話が続く。

 地中なら、ポッコの領域だ。


『ん……探してる……いた』

『ポッコが見つけたのか?』

『このまままっすぐ。大きな木の根元。急いだほうがいい』


 視線を向けると、墓地の中央付近にぽつんと一本だけ大きな木が立っている。確かに目立つ場所だ。


「よし……」


 俺は地面に手をついた。


「おい、何してんだ?」

「黙っててくれ」


 詠唱に集中する。


『我らを支える精霊よ、我が魔力をその身に通し、探らせよ……グランドサーチ』


 手のひらから緑の光が走り、地面一帯へじわりと浸透していく。

 地中の構造や生物の存在を立体的に捉える、俺のオリジナル魔法だ。


「魔法かよ……すげぇな」


 ニトの声が聞こえるが、今は集中するのみだ。

 光が戻ってきて、地中の情報が流れ込む。


 木の根元……いる。蛇の魔獣だ。


 そして――もうひとつ。


 小さい……? 人間……?


 蛇とは比べものにならないほど弱いが、生体反応がある。だが動かない。魔力もほとんど感じない。


 嫌な予感が、鋭く胸を刺す。


「ニト! 木の根元だ! 地面の中に魔獣が潜んでる!」

「お、おお!?」


 急に叫んだ俺に驚いたようだが、ニトはすぐ走り出した。

 俺も剣を抜き、後を追う。

 距離は約十メートル。だが、それがやけに遠く感じた。


 間に合え――!


 木の根元に差し掛かった瞬間。


 ――ドンッ!!


 地面が盛り上がり、破裂するように土が弾け飛んだ。


 その中心から、大人の太ももほどもある灰色の蛇が弾丸のように飛び出してきた。


「来やがったな!」


 ニトは怯まず、一歩踏み込み、ナイフを握った拳で蛇の頭を殴りつけた。

 ゴッッ! という鈍い衝撃音。蛇の巨体が横へ吹き飛び、藪へ叩きつけられる。

 すぐにガサガサと藪が揺れ、蛇が体勢を立て直す音がした。奇襲特化の魔獣か……厄介だ。


「ニト、任せられるか!?」

「ああ!? 手伝えよバカ!!」

「そんな場合じゃないんだ!」


 俺は崩れた土の穴へ駆け寄る。

 そこにあるはずの、もうひとつの反応を確かめるために。


 穴を覗き込んだ瞬間、息が詰まった。


「……っ!」


 小さな子供が倒れていた。七歳か八歳ほど。髪は土で汚れ、顔は蒼白。衣服は破れ、腕や足に噛まれた痕が点々と残っている。

 意識はない。しかし、かすかに呼吸している。


 魔獣に……攫われたのか?


 喉が乾き、全身が冷える。

 俺は子供を救うことだけに意識を向けた。


『ケイスケ、危ない!!』


 リラの念話が鋭く飛び込む。


『蛇、戻ってきますわ!!』


「くっ!」


 反射的に振り返るより早く、ニトの怒号が飛んだ。


「ケイスケェ!! 避けろ!!」


 藪を割って、蛇が再び襲いかかってくる。

 俺は穴から子供を抱き上げた。その体は軽いというより――軽すぎる。命の灯が消えかけているのが分かる。


「わっ……!」


 蛇が振り下ろすように迫る。

 剣を構える余裕はない。俺は子供を庇うように身をひねった。


 間に合わない――!


 その瞬間。


「……らぁッ!!」


 横からニトが飛び込み、蛇の側頭部に蹴りを叩き込む。

 蛇の軌道が逸れ、地面へ叩きつけられる。

 しかし、その直後。


 ガブッ!


「っぐ……!」

「ニト!!」


 蛇の牙が、ニトの肩に深く食い込んだ。

 血が噴き出す。それでもニトは踏みとどまり、蛇の頭を掴んで地面へ叩きつけた。


「……っ、てめぇ!!」


 蛇が暴れ、墓石が次々と倒れていく。


「毒……あるかもしれないぞ!」

「知るか! ドーピィ!!」


 ニトの体が赤く膨れ、筋肉が一瞬で硬質化した。

 そのまま蛇に殴りかかり、地面を転げ回る。


 俺は子供を木の陰まで運ぶ。意識は戻らず、首が力なく垂れている。


 ……助けられてよかった。だが、まだ終わりじゃない。


「リラ、ポッコ、アイレ! 子供を護れ!」

『任せなー!』

『了解ですわ』

『ん』


 俺は剣を握り直し、戦線へ戻る。

 蛇は荒々しく暴れているが、片目が潰れている。ニトの蹴りが効いたのだ。


「ニト、退け!」

「まだ終わっちゃいねぇ!」


 蛇が大口を開け、ニトの腕へ噛みつこうとする。


「させるかっ!」


 俺は横薙ぎに剣を振り抜いた。

 刃が蛇の胴を深く裂く。

 蛇は激しくのたうった。


「とどめ――」


 言いかけた瞬間。


 蛇の動きが――止まった。


 そして、一拍の後。


 蛇は全身をバネのようにしならせ、一気に後方へと跳び退った。


「また逃げやがった!」


 ニトが苛立ちを隠さず吐き捨てた。

 たしかにあと一歩だった。

 静まり返る墓地に、冷たい風だけが草を揺らしている。


 周囲を警戒してくれているニトを横目に、俺は倒れている子供へ意識を向けた。


 やせぎすで、泥まみれ。呼吸は弱々しい。けれど――。


「……息は、ある」


 胸がかすかに上下していた。

 俺はしゃがみこみ、手をかざして治癒魔法を発動する。

 薄い光が子供の体を包むと、喉の奥からくぐもった声が漏れた。


「もう大丈夫だ。頑張れ」


 声をかけながら傷の具合を確かめる。

 擦り傷は多いが致命傷はない。肩口の深い牙の跡も、治癒魔法で塞がりつつあった。


 だが――呼吸は浅いまま、目を開けない。


 これは……毒か?


 判断はつかない。だが放っておけない。


「……そいつ、生きてるのか?」


 背中を向けたまま、ニトが低く言う。


「ああ、生きてる。きっと大丈夫だ」

「……スラムのガキだな」

「多分ね」

「毒か?」

「おそらく。でも何とかする」


 レガスの飛竜の毒を治したときの感覚がよみがえる。

 俺は剣を横に置き、治癒と排毒を同時に行う魔力操作へ集中した。


 淡い光を編み込むように子供へ流し込む。

 しばらくして――。


「……ぅ、うん……」


 弱い声が漏れ、まぶたが震えた。

 ゆっくりと目が開く。


 よかった……毒は強くなかったか。


「大丈夫か?」


 子供は五、六歳ほどの少年に見えた。泥だらけの顔が、ぼんやりとこちらを見つめてくる。

 だが次の瞬間――その目が大きく見開かれた。


「どうし――」


 問いかけようとしたとき。


 ――ドサッ。


 背後で大きな音がした。

 振り返ると、ニトが地面に倒れ込んでいた。


「ニトっ!」


 駆けよろうとした瞬間、鋭い殺気が首筋を撫でた。


『主、上だ!』


 カエリの念声が飛ぶ。


 上――!


 俺の真後ろにある、大きな木の上から、気配が急降下してくる。


「っ!?」


 本能だけで横に跳んだ。


『主っ!』


 風が吹き荒れ、土壁が瞬時に現れる。

 直後、炎が轟き、冷気が走り、最後に強い光が閃いた。


 呆然と見つめる俺の前で、土壁は崩れ落ちた。


 そこには――。


「……完全に凍り付いてるな」


 黒焦げの体表にいくつもの氷柱が突き刺さり、さらに首は切断されていた。

 完全なオーバーキルだ。


「これが……オーバーキルってやつか。やりすぎだろ」


『でも、危なかったぞ!』

『そうですわ。主を守るのは当然です』

『ちょっと張り切っちゃいましたねー。この蛇はー』

『ん。わるいやつだった』

『最後に首を落としたの、わたしだよー!』


 精霊たちが口々に弾んだ声で言う。


 ……確かに、助けられた。


『それに、倒れた男も気を失っているだけですわ』

『子供のほうは見てたけどねー。ボーッとしてるし大丈夫でしょー』


 本当に頼りになる連中だ。


 俺は気を取り直し、まずニトのもとへ駆け寄った。

 治癒と排毒を同時にかけると、しばらくしてニトが目を開ける。


「ニト、噛まれた場所は大丈夫か?」

「……ああ。悪ぃ、ちょっと頭がボーっとするだけだ。……それより蛇はどうした?」


「倒したよ」


「……やるじゃねぇか」


 呆れとも感心ともつかない声が漏れた。


「いや……俺は無我夢中だっただけだよ」

「なんにせよ、依頼は達成だな」


 ニトのその言葉とともに、冷たい風が頬を撫でて去っていった。


最後までお読みいただきありがとうございます!

ちょっとでも楽しんでいただけたなら、何よりです!


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