第二百三十九話「墓地での戦い」
墓地に足を踏み入れた瞬間、まず感じたのは――静寂だった。
まるで空気そのものが固まり、時間が止まったかのような、嫌な静けさ。王都のスラム近くにある共同墓地ということもあってか、人影はひとつもない。普段から人が寄りつかないのか、それとも最近現れた魔獣のせいなのかは分からない……が、おそらく後者だろう。
「でもなんで、スラムの依頼が冒険者ギルドに出されたんだ?」
そんなに外部の者を嫌うなら、そもそも依頼なんて出さずに自分たちで片付ければいいはずだ。俺がそう言うと、ニトは鼻で笑って答えた。
「あ? そんなん、スラムの連中じゃ片付けられねえからに決まってんだろ」
ニトは当然のことのように言う。
つまり、スラムには魔獣を安全に倒せる人材がいないということか。……いや、いるにはいるが、そんな些事にかまっていられない、ということかもしれない。
「おっかねえ奴らがいるって話は聞いたことあるぜ? だが、墓地の魔獣なんざわざわざ退治する連中じゃねえよ」
顔役の護衛のような者や、裏の仕事をする者はいるが、一般の住民は力がない。群れることはあっても、個々の強さは低いらしい。
「力があればスラムなんざすぐ出ていく。俺もそうだった」
「なるほどな」
ニトは警戒するように周囲を見回し、舌打ちした。
墓石は倒れ、雑草は伸び放題。古い木製の墓標には名前らしき文字がかすかに残っているだけだ。
この世界では、死体がそのままアンデッドになることが稀にある。魔素と強い思念が結びつくと起こる現象らしい。昼間だからまだマシだが、夜なら絶対に近寄りたくない。
『ケイスケ、見える範囲には魔獣いないよー』
リラの念話がふわりと響く。
『風で探っていますが……地表には反応ありませんわ。地中に潜んでいるのかもしれません』
アイレの念話が続く。
地中なら、ポッコの領域だ。
『ん……探してる……いた』
『ポッコが見つけたのか?』
『このまままっすぐ。大きな木の根元。急いだほうがいい』
視線を向けると、墓地の中央付近にぽつんと一本だけ大きな木が立っている。確かに目立つ場所だ。
「よし……」
俺は地面に手をついた。
「おい、何してんだ?」
「黙っててくれ」
詠唱に集中する。
『我らを支える精霊よ、我が魔力をその身に通し、探らせよ……グランドサーチ』
手のひらから緑の光が走り、地面一帯へじわりと浸透していく。
地中の構造や生物の存在を立体的に捉える、俺のオリジナル魔法だ。
「魔法かよ……すげぇな」
ニトの声が聞こえるが、今は集中するのみだ。
光が戻ってきて、地中の情報が流れ込む。
木の根元……いる。蛇の魔獣だ。
そして――もうひとつ。
小さい……? 人間……?
蛇とは比べものにならないほど弱いが、生体反応がある。だが動かない。魔力もほとんど感じない。
嫌な予感が、鋭く胸を刺す。
「ニト! 木の根元だ! 地面の中に魔獣が潜んでる!」
「お、おお!?」
急に叫んだ俺に驚いたようだが、ニトはすぐ走り出した。
俺も剣を抜き、後を追う。
距離は約十メートル。だが、それがやけに遠く感じた。
間に合え――!
木の根元に差し掛かった瞬間。
――ドンッ!!
地面が盛り上がり、破裂するように土が弾け飛んだ。
その中心から、大人の太ももほどもある灰色の蛇が弾丸のように飛び出してきた。
「来やがったな!」
ニトは怯まず、一歩踏み込み、ナイフを握った拳で蛇の頭を殴りつけた。
ゴッッ! という鈍い衝撃音。蛇の巨体が横へ吹き飛び、藪へ叩きつけられる。
すぐにガサガサと藪が揺れ、蛇が体勢を立て直す音がした。奇襲特化の魔獣か……厄介だ。
「ニト、任せられるか!?」
「ああ!? 手伝えよバカ!!」
「そんな場合じゃないんだ!」
俺は崩れた土の穴へ駆け寄る。
そこにあるはずの、もうひとつの反応を確かめるために。
穴を覗き込んだ瞬間、息が詰まった。
「……っ!」
小さな子供が倒れていた。七歳か八歳ほど。髪は土で汚れ、顔は蒼白。衣服は破れ、腕や足に噛まれた痕が点々と残っている。
意識はない。しかし、かすかに呼吸している。
魔獣に……攫われたのか?
喉が乾き、全身が冷える。
俺は子供を救うことだけに意識を向けた。
『ケイスケ、危ない!!』
リラの念話が鋭く飛び込む。
『蛇、戻ってきますわ!!』
「くっ!」
反射的に振り返るより早く、ニトの怒号が飛んだ。
「ケイスケェ!! 避けろ!!」
藪を割って、蛇が再び襲いかかってくる。
俺は穴から子供を抱き上げた。その体は軽いというより――軽すぎる。命の灯が消えかけているのが分かる。
「わっ……!」
蛇が振り下ろすように迫る。
剣を構える余裕はない。俺は子供を庇うように身をひねった。
間に合わない――!
その瞬間。
「……らぁッ!!」
横からニトが飛び込み、蛇の側頭部に蹴りを叩き込む。
蛇の軌道が逸れ、地面へ叩きつけられる。
しかし、その直後。
ガブッ!
「っぐ……!」
「ニト!!」
蛇の牙が、ニトの肩に深く食い込んだ。
血が噴き出す。それでもニトは踏みとどまり、蛇の頭を掴んで地面へ叩きつけた。
「……っ、てめぇ!!」
蛇が暴れ、墓石が次々と倒れていく。
「毒……あるかもしれないぞ!」
「知るか! ドーピィ!!」
ニトの体が赤く膨れ、筋肉が一瞬で硬質化した。
そのまま蛇に殴りかかり、地面を転げ回る。
俺は子供を木の陰まで運ぶ。意識は戻らず、首が力なく垂れている。
……助けられてよかった。だが、まだ終わりじゃない。
「リラ、ポッコ、アイレ! 子供を護れ!」
『任せなー!』
『了解ですわ』
『ん』
俺は剣を握り直し、戦線へ戻る。
蛇は荒々しく暴れているが、片目が潰れている。ニトの蹴りが効いたのだ。
「ニト、退け!」
「まだ終わっちゃいねぇ!」
蛇が大口を開け、ニトの腕へ噛みつこうとする。
「させるかっ!」
俺は横薙ぎに剣を振り抜いた。
刃が蛇の胴を深く裂く。
蛇は激しくのたうった。
「とどめ――」
言いかけた瞬間。
蛇の動きが――止まった。
そして、一拍の後。
蛇は全身をバネのようにしならせ、一気に後方へと跳び退った。
「また逃げやがった!」
ニトが苛立ちを隠さず吐き捨てた。
たしかにあと一歩だった。
静まり返る墓地に、冷たい風だけが草を揺らしている。
周囲を警戒してくれているニトを横目に、俺は倒れている子供へ意識を向けた。
やせぎすで、泥まみれ。呼吸は弱々しい。けれど――。
「……息は、ある」
胸がかすかに上下していた。
俺はしゃがみこみ、手をかざして治癒魔法を発動する。
薄い光が子供の体を包むと、喉の奥からくぐもった声が漏れた。
「もう大丈夫だ。頑張れ」
声をかけながら傷の具合を確かめる。
擦り傷は多いが致命傷はない。肩口の深い牙の跡も、治癒魔法で塞がりつつあった。
だが――呼吸は浅いまま、目を開けない。
これは……毒か?
判断はつかない。だが放っておけない。
「……そいつ、生きてるのか?」
背中を向けたまま、ニトが低く言う。
「ああ、生きてる。きっと大丈夫だ」
「……スラムのガキだな」
「多分ね」
「毒か?」
「おそらく。でも何とかする」
レガスの飛竜の毒を治したときの感覚がよみがえる。
俺は剣を横に置き、治癒と排毒を同時に行う魔力操作へ集中した。
淡い光を編み込むように子供へ流し込む。
しばらくして――。
「……ぅ、うん……」
弱い声が漏れ、まぶたが震えた。
ゆっくりと目が開く。
よかった……毒は強くなかったか。
「大丈夫か?」
子供は五、六歳ほどの少年に見えた。泥だらけの顔が、ぼんやりとこちらを見つめてくる。
だが次の瞬間――その目が大きく見開かれた。
「どうし――」
問いかけようとしたとき。
――ドサッ。
背後で大きな音がした。
振り返ると、ニトが地面に倒れ込んでいた。
「ニトっ!」
駆けよろうとした瞬間、鋭い殺気が首筋を撫でた。
『主、上だ!』
カエリの念声が飛ぶ。
上――!
俺の真後ろにある、大きな木の上から、気配が急降下してくる。
「っ!?」
本能だけで横に跳んだ。
『主っ!』
風が吹き荒れ、土壁が瞬時に現れる。
直後、炎が轟き、冷気が走り、最後に強い光が閃いた。
呆然と見つめる俺の前で、土壁は崩れ落ちた。
そこには――。
「……完全に凍り付いてるな」
黒焦げの体表にいくつもの氷柱が突き刺さり、さらに首は切断されていた。
完全なオーバーキルだ。
「これが……オーバーキルってやつか。やりすぎだろ」
『でも、危なかったぞ!』
『そうですわ。主を守るのは当然です』
『ちょっと張り切っちゃいましたねー。この蛇はー』
『ん。わるいやつだった』
『最後に首を落としたの、わたしだよー!』
精霊たちが口々に弾んだ声で言う。
……確かに、助けられた。
『それに、倒れた男も気を失っているだけですわ』
『子供のほうは見てたけどねー。ボーッとしてるし大丈夫でしょー』
本当に頼りになる連中だ。
俺は気を取り直し、まずニトのもとへ駆け寄った。
治癒と排毒を同時にかけると、しばらくしてニトが目を開ける。
「ニト、噛まれた場所は大丈夫か?」
「……ああ。悪ぃ、ちょっと頭がボーっとするだけだ。……それより蛇はどうした?」
「倒したよ」
「……やるじゃねぇか」
呆れとも感心ともつかない声が漏れた。
「いや……俺は無我夢中だっただけだよ」
「なんにせよ、依頼は達成だな」
ニトのその言葉とともに、冷たい風が頬を撫でて去っていった。
最後までお読みいただきありがとうございます!
ちょっとでも楽しんでいただけたなら、何よりです!
もし「いいな」と思っていただけたら、
お気に入り登録や評価をポチッといただけると、とても励みになります!
コメントも大歓迎です。今後の執筆の原動力になりますので、
どんな一言でも気軽に残していただけたら嬉しいです。
これからも【悠久の放浪者】をどうぞよろしくお願いします!




