侍の心得其八 親方の出す条件
某は、この世界に来てから最大とも言える胸の高鳴りを感じていた。緊張感とも言えるであろう。この世界に来てからここまでの心地よいストレスに晒されたのは初めてだった。
この異世界に転生して、初めて顔を合わせた父上によって案内されたのはここで働く木工職人たちを取り仕切る親方の部屋である。
それだけでも緊張するというのに、その扉を開き、目に映ったのは更に衝撃的なものだった。何せ、某の目の前には縦に五尺、横に三尺は悠々とありそうな巨漢がでん! と目の前に鎮座しているのだ。頭は、禿げあがり、狙っているかと思わせるような後ろにある窓からの後光。
禿げあがった頭で光を反射し、それはまるで、大神を思わせるといった感じである。
そんな、偉大なるオーラを放つ大男なのだ。それが、頭の照り返しと無関係かと言われれば、疑問ではあるのだが。
「親方! これが、私のせがれのアドリューンです。とはいえ、この子は本当につい先日まで、家はおろか、ベッドの上からも出られない程にひ弱でした。今回のことも、私は妻から急に聞いた話だったので、きっとこれまで動けなかった反動から調子に乗っているだけだと思うんです。だから、少しは加減していただけると......」
――な、父上? 何を言うでござるか! 心配してくれるのはありがたいが、修行で手を抜いては修行にならぬであろう?!――
だが、某の思いが父上に伝わることは無かった。なんせ、父上の中では某は未だに運動すらまともに出来ないひ弱な子供であるのは間違いないし、現に、階段五階分降りるだけで体力の限界を迎える程の体なのだ。
「ふん。こいつはこう言っているが、アドリューンと言ったか。おめぇはどうなんだ? 言っておくが引き返すなら今だぞ? 俺だって暇じゃないんだ。それに俺から見たっておめぇはひ弱だ。おまけに、こいつに似て細身ときた。顔色はよさそうだが、病弱だったのもあってその細身に更に拍車がかかってるのは見りゃ分かる。それでも、俺の元に弟子入りしたいってのか?」
弟子入り? ああ、なるほど。母上の言う鍛えるとはこういうことであったか。ここは貧民街。鍛えると言えどそう簡単に鍛える場が無いのは間違いなかった。少し探せば、道場、トレーニングジム、スポーツクラブがあった前世とは違うのだ。
だが、某としては、弟子入りを認めるわけにはいかなかった。なんせ、某はここにずっと居るわけにはいかないのだ。某がなりたいのは「侍」であって、「職人」ではないのだから。某は緊張しながらも神々しさを放ち続ける親方に向けて口を開く。
「弟子入りはお断りでござる」
「な! アドリューン!? 何を言っているんだ」
「ちょっと黙ってろ! 今、俺ァ、アドリューンと話しているんだ。お前とは話してねぇんだよ。それに、まだ言いたいことがありそうだぜ。子供の言葉は最後まで聞いてやるのが親、だろ?」
そう親方に言われて、隣にいた父上がバツが悪そうな顔をして引き下がるのが目に映った。どうやら、某をガキだと馬鹿にして話すら聞いてもらえないような相手ではなかったらしい。もし暴君のような輩であれば、某のために貴重な薬を分けてくれるというようなことも無かったのであろうが、少しばかり心配していたのだ。
某の思う親方とは頭の固い者という印象が強かったのだから。
これならば、某の言葉も通じるであろう。意を決した某は話すことにする。
「某、『職人』にはなりたくないでござる。某の目指すは『侍』つまり、心身を鍛えた後は某、ここを去るつもりでござる。ただ、某、受けた恩は必ず返す信条故に、ここにいる間は必ず、其方の役に立つと誓おう」
そう言い終えて隣を見れば、父上が顔を青くして頭を抱えていた。ん? 某、何か不味いことでも言ったであろうか? 「職人」になるわけにはいかないし、「侍」になるためには弟子入りするわけにもいかぬであろう?
そう思って親方の方へ視線を向けると、そこには無表情で頬をひくひくさせた親方が抜け殻のように立っていた。
「あ、ああ、さっきの時点でやっぱり止めておくべきだった......」
「ん? 父上、これは不味いのであろうか?」
「ああ、これは、修羅が出るぞ......」
「ガキの分際で、ここまで、礼儀がなってないとはなあ! 弟子入りはしないが鍛えてくれだって?! えぇ? てことはなんだ? 俺の技だけ盗んで、用済みになったら、鞍替えするってか? そんな都合のいい話が通じるわけがねぇだろ! だがな、おめぇ、まだ五歳のガキだって言うじゃねぇか。それに、長年うちで働いてくれと頭を下げ続けても決してうんとは言わなかった、【飛脚】のメリアが、おめぇを鍛える代わりに働くと言った。それに、俺のお眼鏡に敵わなければその時点で見捨てても良いとまで言った。あのメリアにそこまで言わせたんだ。俺だって傲慢な物言いだけで見捨てるってのは性に合わねぇ。だから、条件をやる」
父上の言った通り、その顔は鬼神でも出たのかと思う程に険しく歪んでいた。某は今にも漏らしそうだ。恐怖で勝手に涙まで溢れてくる。これが、親方の怒りか。某はそれでも震える体を押さえ、親方に向き直る。ここは譲れないのである。
「条件とは、な、、なんであろうか? それに、その条件を......達成できれば某を鍛えてくれるのであろうな?」
某の反応を見て、親方は怒りながらも笑うという器用なことをする。ただ、それは今の某にはより恐ろしく映っただけだった。あ、今ちょっと漏らしたかもしれないでござる......うぅ。これはバレぬように立ち回らねば......
「俺の怒りをうけて、なお、その態度は変わらずか。いいだろう。俺の出す条件を見事に達成したなら、弟子入り無しで鍛えてやろう。条件はこの俺と一騎打ちして、勝つ......というと、流石に厳しすぎるな。この俺の膝をつかせたらということにしよう。武器は互いに木剣、開始は正午の鐘と同時だ。武器は必要なら、こいつに作ってもらえ。ふん」
「ちょっと親方?! それはあまりにも――」
「うるさいわ! 黙って俺に勝てる武器をせがれに作ってやらんかい! 異論は認めん」
父上の言葉を一蹴すると親方はドシドシと地面を踏み鳴らしながら部屋から立ち去って行った。父上は取り付く島もない様子の親方を見て相変わらず頭を抱えている。
それでもこのままだと無駄に時間を浪費するだけというものである。この世界の時計がどうなっているかはよく分からないが、昼までそこまで時間があるわけではない。
父上に自分が欲しい武器について制作を頼まねばならぬ。異世界に来て初の刀を得るチャンス。みすみす見逃すわけにはいかぬというものである。
「父上、落ち込んでる暇など無いのでござる。怒ってしまったのはしょうがないというもの。そんなことより某、『刀』を作って欲しいのでござる!」
「はあ、我がせがれながら、図太いというか能天気というか......こういう時は羨ましい限りだよ。父さん、今も親方に今日のことでどんな無理難題や厄介ごとを押し付けられるかってびくびくしてるのに。で、その『刀』ってやつはどんな武器なんだ? 父さん聞いたことないんだが」
「うむ。『刀』とは、剣に似ているのであるが、このように細く長く、そして、薄く、刃先にかけて少しずつ反っているような形状をしたものなのである」
某は、近くにあった木材の切れ端で地面に絵を書きながら説明する。いくら、親方の部屋といえど、ここは貧民街。室内であろうと地面には普通に土が積もっており、描こうと思えばいくらでも描けるのだ。そうして描きあげた刀の絵に父上は疑問符を浮かべた。
「しかし、これは細すぎじゃないか? これなら、普通に木剣を作った方が強度や扱いやすさとしても上だと思うぞ? アドリューンはまだ五歳だし、特殊な形状の武器なんて――」
「作れないのでござるか? 父上? 某、どうしても刀が良いのでござる!」
某は父上の言葉を遮って声を発する。侍と言えば刀。もし、既製品から選べと言われるなら木剣でも良かった。だが、親方は父上に作ってもらえと言った。ならば、遠慮は無用というものである。折角の刀を得られる機会に自粛などしていられないのでござる!
それに、こうして五歳児の我儘と職人魂を刺激する言葉を使えば......
「ああ、もう! 作れないなんて言ってないだろう? 本当にこれでいいんだな? 長さからしても、重心の位置からしても使いこなせないと思うがこれで作るからな!」
「うむ。よろしく頼む」
「何がよろしく頼むだ! だが、悪くねぇ。こうして息子が戦う為に武器を作るってのは。父さん張りきっちゃうぞ~!」
こうして、張り切って近くに準備してあった木材を加工し始める父上を見ながら某は思う。
――それにしても、母上は何者であろうか? 父上は見るからに普通という域を抜け出さぬという感じであるが、親方は母上を【飛脚】と呼んでいた。それにここへたどり着くまでの身のこなし。ただ物では無かったでござる。それとも、某が知らぬだけで父上にもそのような二つ名があるのであろうか? いや、これはまた別の機会でよいだろう。まずは某でも振れる刀を作ってもらわねばならぬ――
「おい! アドリューン! こんなもんでどうだ?」
「駄目でござる! 長さはそれでよいがもっともっと細くしてほしいのでござる。このままではろくに振れぬであろう」
「嘘だろ? これでも限界まで細くしてるのにこれ以上なんて言ったらあの親方の攻撃を受けられないぞ! ただでさえ、これでもギリギリ数発受けられるかって......」
「問題ない。そもそも、あの体格の攻撃をまともに食らったら某は一撃でゲームオーバーでござる。ならば、耐久は無視で某が振れるように極限まで細くしてほしいのでござる」
「げーむおーばー? まあ、なんにせよだ。確かにその体で受けなんて考えてちゃ駄目だよな。分かった。極限まで細くしてやるよ! 他でもない息子の頼みだしな」
こうして、親方の出す試験への準備は刻々と進み......
「すまんな、アドリューン。この短い時間ではこれが限界だった」
そこには、某の想像よりも遥かに出来の良い某専用の、かなり刃の薄く仕上がった木刀があった。
「十分でござる。父上、ありがとうでござる」
「そうか。正直言って、こんな細身の剣、刀と言ったか。そんなもんで何が出来るのかと思ったが、アドリューンが持つとなんか様になるよな。まるで、十年以上鍛錬した剣士のようだ」
父上の言葉に一瞬某はドキッとした。だが、父上は「まあ、たまたまだろう」と言って頷くと、某の手を引く。
「さあ、いこうか。アドリューン。ここまでしたんだ。親方に一太刀は浴びせてやれよ! それに、股間は乾いたみたいだしな」
そう言って父上はにかっと笑う。
――な、な、な、気付いていたでござるかあああああああああ――
お久しぶりです! かなり遅れてしまって申し訳ない限りです。
ちょっと色々あって精神的に病んでました。まだ、ちょっと辛いっちゃ辛いんだけど、頑張って書いていきますので応援して貰えたら嬉しいです!