侍の心得其九 アドリューン式 迎刀術 崩転
父上に手を引かれ、先ほど、親方と初めて対面した部屋を出て、至る所に木材が並ぶ通路を歩いてゆく。手には即席ではあるが父上に作ってもらった木刀があった。某でも簡単に振れるように、刀身は前世の本物の刀に近いレベルで細い。木ではあるが、下手すれば鉄製の刀のように相手を斬ることが出来るのかもしれない程だ。
心が躍る。足が弾む。思わず鼻歌まで歌ってしまいそうになる。だって、これが力試しといえど、この世界に来て一ヶ月。すぐに動かなくなる体でひたすらに土掃除だけをやり続けた異世界生活。正直、辟易していた。最近は慣れてきたが前世ではまずありえなかったノミとの添い寝にだって耐えてきたのである。その我慢の日々が今日のこれからの戦いにすべて集約されると思うと自然と興奮だってしてくるのだ。
「普通、親方と直接戦う前って震え上がったり、過度な緊張で動けなくなるもんだと思うんだけどなあ。うちのせがれはどうして、こう、心底楽しそうなんだ」
父上のつぶやきが耳に入る。確かに、後光というか、神光というか。あのただならぬ光を浴びて、あの怒りとかいう威圧を受ければ緊張もするのであろうな。事実、事実......認めたくはないが、某だってビビってこの一張羅に漏らしている。とはいえ、既にここに来るまでに糞尿は被っているからな! お漏らしがなんだ! 今更であろう。
「父上、某はさっき十分ビビったでござる。それも初めてだったが故。次はああはいかないでござる!」
そうである。もう親方の前では二度と失禁はせぬのだ。
「ふぅ。さあ、アドリューン。この扉を開けたら、この工房で一番大きな作業場に出る。準備はいいか? ここを開けたらもう引き返せないよ? アドリューンはまだ五歳になったばかりだ。ここで逃げたって誰も責めたりしない。むしろあの親方によくあれだけの啖呵がきれたもんだって褒めてやることだってできる。これが最後の確認だ。本当に行くのか?」
父上の目に浮かぶのは、本当に覚悟を問うものではなく、某の身を案じた心配だった。むしろ心配というよりは行かないで欲しいという一種の懇願に近いものでもあった。当然であろう。いくら立派な武器を抱えているとはいえ、その身は病弱でひ弱な五歳児。食が細いおかげで普通の五歳児よりも頭一つ分くらいは小さい体格も影響しているのだろう。それに加えて、親心というのもあるだろう。少なくとも某は親方を挑発したし、体格差だって圧倒的だ。
某に前世の知識と経験が無ければ、それこそ前世の転生間際のトラックと某のように軽く捻られて終わりだろう。親方が力加減を間違えば某は一瞬で死ぬのは間違いない。
それでも、某は、真っ直ぐに父上の目を見て、父上の手を離しながら答える。
「父上、ここで逃げては某の目指す『侍』には一生なれないでござる。それに、心配してくれるのはありがたいでござるが、某の決意は変わらないでござる。親方に全力でぶつかるのみでござる!」
某の答えに、父上は一瞬悲痛な顔をしたが、それも一瞬。某の決意がこれ以上揺らがぬように配慮してくれたのだろう。父上は表情を引き締め、一言。
「......そうか。なら、行ってこい。行くからには親方に認められて帰って来いよ」
「任せるでござる! 父上に作ってもらったこの魂があれば、負けないでござる」
某は勢いよく扉を......開け放てなかったので全身で押すようにして扉を開いた。体に昼間の強い日差しが当たり、思わず目をひそめる。
そうして、一瞬白んだ視界が元に戻った時、目の前には親方が居た。狙ったかのように、やはり神々しい頭だ。前世でなにか宗教にハマっていたら思わず跪いていただろう。
少し離れた場所ではここで働いているであろう男たちが某と親方を囲むように円を作っている。少しよく見てみると、男たちの中にいる母上と目が合った。
だが、母上は特に父上のように心配したような目はしていなかった。その時母上の口が動いたのが分かった。「いってきなさい」とそう言っているように某には見えた。某は母上へと向かって頷くと親方と十メートル程の位置に立つ。相変わらずあふれ出す後光で目が焼けそうである。
「ほお! 怖気づかずに来たか! 逃げずに俺の前に立ったことは認めてやろう。だがな、さっきした口約束は覚えてるよな? 盛大な啖呵も。それになんだあ? その曲がったひょろい剣は? そんなんで俺と打ち合えるのか?」
「勿論でござる。某が親方に膝をつかせることであったな。それから、これは刀というれっきとした武器でござる。それに一太刀で倒す故に打ち合う必要など無いでござる」
某の言葉を聞いて親方はニヤリと笑って頷く。
「威勢のいい奴は毎年居るんだ。だがな? 俺はそうやってなめ切った新人は勿論、この工房にいる木工職人が全員纏まって襲い掛かってきたって膝をついたことはねぇんだ。坊やは泣いて帰るなんてことにならなきゃいいけどな。」
親方の言葉が事実ならば、確かに某が勝つのは無理であろう。そもそも、体格差からして話にならないのだ。だが、某はインフレの末路にあった前世で伊達に侍を目指していたわけではないのだ。それにこの体力の無い体で大立ち回りなど到底無理なのだ。故に、親方には自ら某に向かって攻めてきてもらわねばならぬのだ。
「なら、今日が初めて膝を付く日というだけであろう! 五歳児に土を付けられたならば、そのピカピカ頭にも陰りが出るかもしれぬであろうな」
......ピキッ!
何かが切れたような音がした気がした。その瞬間、親方の輝いていた頭が一瞬真っ黒に染まったようにも見えた。
「お前、今、俺の頭を馬鹿にしたなああ!! 少しは手心加えてやろうと思ったが止めだ。その口、二度と開けぬようにぶちのめすっ!」
ゴーン、ゴーン、ゴーン――
その瞬間、図ったかのように鐘が鳴り響いた。その瞬間、激昂した親方が一気に距離を詰め某に上段からの振り下ろしを放ってくる。木剣と言えど、親方用。刀身だけでも九十センチは優にありそうな長剣。普通は片手用のはずなのに、某の煽りを受けた親方は両手で握りしめ、情け容赦のない一撃を某へと向かって放っていた。
「おらああああああああああああああ!!!」
あ、これは死ぬ。一瞬走馬灯が見えた気がした。極限の集中力を持ってしても、某が幼いからか、それとも異世界の厳しい環境を生き抜いて来たが故か、あるいはその両方か。その荒々しい剣は明確な殺意を宿していた。前世での練習相手が草食動物か何かかと思える程には。少なくとも、前世の打ち込みなんかで走馬灯が見えたことは一度だって無かった。
それでも、某は前世で必死に練習し、一つの型として生み出した技を出す為に、敢えて避けるのではなくその技を正面から迎撃する道を選ぶ。元より親方のこの一撃を避けるだけの敏捷性も無ければ、避けた後に反撃する体力だってない。ならばやれることは一つ。
――某の、全身全霊を以って受け流す――
刀身を極限まで細くして貰った甲斐があった。走馬灯が見えたが、某の刀身は、親方の刀の軌道になんとか間に合っていた。当然のことながら、この攻撃を真正面から受け止めていては刀ごと折れてゲームオーバーだ。だからこそ、少し、ずらす。
ミリ単位の調整だ。素面なら、絶対失敗する。それほどまでに精密かつ、針の穴を通すよりも厳しいことである。少なくとも前世では一度だって成功したことは無い。
だが、某には親方の振り下ろす剣がしっかり見えていた。怒りに歪む親方の顔も、それを見て飛び出す母上の姿も。前世の最後の瞬間に体感した、時間間隔の延長というやつであろう。某は止まったと錯覚するほどにゆっくりと動く世界の中で、親方の剣に刀を沿わせてゆく。
そうして、親方の前に傾いた重心の位置を更に前へと移動させるのだ。そうして、ギリギリまで引き付けた後、前のめりになった親方を上空へ撥ね上げる。
重心が異常なほど前に来たのを利用して、ほんの少しだけ、回転エネルギーを加えてやるのだ。この程度ならこの小さな体でも出来る。というか、この小さな体が幸いした。親方が剣を振り下ろす際、既にかなり不安定な態勢になってくれていたから。
そうして、その刹那の様で異様なほどに長い長い時間の終点。親方は某の目の前から消えていた。代わりに、観客というか、野次馬というか......取り囲んでみていた人たちがあんぐりと口を開けて驚いていること、某の後ろからゴロゴロと親方が転がるの音が聞こえてきたこと。この瞬間、某は確信した。勝ったのだと。よく見れば、某の木刀は半ばから折れていた。どうやら、某の中では完璧なタイミングと思っていても刀にはかなりの負担だったようである。
――某の技量もまだまだでござるな。たった一度で刀を折ってしまうとは。父上に申し訳が立たぬでござる。もしこれが実戦だったとしたら――
某は震えていた。技を成功させて親方に勝利した喜びか、親方の攻撃を受けたことによるしびれか、それとも、自分の未熟さを悔いる故か。分からぬ。ただ、一つ言っておかなければならぬことがある。
「アドリューン式 迎刀術 崩転。勝負あったでござる......な」
そう、あの受け流しの技の名と、勝利宣言だ。ただ、この言葉を発した時、某は全身に急激な脱力感が襲ってきたのを感じると同時にゆっくりと某の視界が地面に近づいてゆく。視界が暗転する直前、ちらりと見えた地面に倒れた親方の光が某の視界を痛烈に、刺し貫いた。
――くっ! あの頭、負けてなお、光は失わぬのでござるか......! 夢に出そうでござる――
大立ち回りする案もあったのですが、アドリューンはひ弱ですからね......
シンプルに、その場から一歩も動かず受け流すということになりました。




