侍の心得其六十一 遠征へ
某は、アドバイスを胸に刻み込み、そのままベルノさんの家を出た。
――某、刀を使うならば絶対に相手を斬れねばならぬと勝手に思いこんでいた。どうして気付かなかったのであろうか。多少難易度は上がるが、斬らずとも相手を戦闘不能に追いやることは出来る。それに、某の刀術を駆使すれば致命的な隙を作り出すことも可能な筈――
本当に某は助けてもらってばかりである。今回だってそうである。某が抱えきれない物を背負ってくれる人が居て、某では解決できない問題の導を担ってくれる人まで居る。某は恵まれている。そう思わずにはいられなかった。
そんなことを考えながら、すっかり傾いた陽の光を気にしつつ急ぎ足で親方の家へと向かう。そして、親方の家に着いて呼び鈴を鳴らした時、出てきたのは親方の奥さんであるサリーさんではなく、親方であった。
「おう、アドリューンか。その顔をみりゃ分かる。何か進展があったんだな。もう遅いが聞かせてくれ。こんなでも製材所の親方だからな」
そう言うと、親方は明らかに重い足取りで、某を家の中へ招き入れてくれる。某を出迎えた時は夕焼け色に輝いていた頭も、扉を閉めれば光っているのかどうかも分からない......いつもは神々しい程に輝いて思わず目を逸らしてしまう程なのだが、今は親方の頭皮がはっきりと見えるほどには光量が落ちていた。つまり、相当に弱っている証拠である。
「サリーさんはどうしたのでござるか?」
某は案内された寝室で、ベッドに腰かけた親方に聞いた。
「ああ、サリーは今は買い物に行ってる。俺がこんなだからな。今は、短期で働きに出てくれていて、仕事から帰った後に家のことをやってくれているんだ」
「なるほど。そういうことでござるか」
親方は自嘲気味にサリーさんがいないことを教えてくれた。どうやら、平民であっても、家族のうちのどちらかが働いていなければ生活できないくらいの税が設定されているらしい。病気で働けなくなったからと言って補助金が出たりすることは無い、もしくは、申請にもそれなりの時間がかかるのであろう。本当に厳しい世界だと思う。製材所側から出せれば良かったのだろうが、現在は急に半減近くまで減った人手をカバーしたり、最悪の状況である製材所の閉鎖に向けての準備で病床に臥せっている者たちにお金を配って回れるほどの余裕はない。
そういえば、ベルノさんは独り身であるが大丈夫なのであろうか? いや、大丈夫なのであろう。ベルノさんほどの人がこういった緊急事態に備えて金を貯めていないとは思えぬ。それに、ベルノさんには子供がいない故に、親方の家程差し迫った状況にはないはずである。
そう、思い直し、某は親方に今回の病気の原因とこれからの製材所の対応、それから某とクローデとエミィで特効薬の材料を取りに行くという話をすると、親方は明らかにうなだれていた。
「そうか、この病気は自然に治るもんじゃねぇんだな。それに、ミルに見え始めていた模様は病気の進行の証だったのか」
どうやら、親方自身もミルの体の模様については知っていたらしい。親方は、家族を持つゆえか、ベルノさんより何倍も深刻そうなリアクションを見せた。それも当然なのであろう。なんせ、これから先もサリーさんに負担をかけるばかりか、某が材料を手に入れられなければ親方とミルは最悪死ぬか、このままずっと病床に居なければならないのは間違いなかった。
だが、親方が沈んでいる時間もそう長くなかった。
「そうか。それならそれで覚悟を決めなきゃいけねぇな。もし死ぬなら、ここの貴族共に特攻をかけるのも悪くねぇ」
「!? 待つでござる! まだ、某が特効薬の素材が集められぬと決まったわけではない! 今日は某、親方に素材の情報を聞きに来たのでござる」
すると、親方は気を取り直したように笑った。
「すまねぇな。冗談だ。こうでも言わなきゃとてもじゃないが、この気持ちを払拭できなくてな。とはいえ、もし、三ヶ月の期限を過ぎても特効薬が出来る目途が立っていなければ、冗談が冗談じゃなくなるかもしれねぇがな。――で、デビルバンデルボーンフィッシュと、グリフィンハーブモドキだったか」
親方は考え込むような表情を見せる。親方は自力で覚醒者に至った冒険者でもある。ベルノさんと出身を同じくしているため、もしかすれば、同じことしか聞けないのかもしれないが......
「俺は、その二種とは直接的な戦闘経験はねぇな。ベルノに話を聞いているんなら、俺から言えることは何もねぇ。だが、もう大して時間は無いが、外に出る上での準備物なら指導してやれる」
「是非お願いするでござる!」
そういえば、某、素材集めに頭が行き過ぎていて、完全に道中のことを考えていなかった。いつも通り、ベルノさんと遠征をする時の準備をしていれば良いかと思っていたが、今回はどんなに急いでも外で一泊以上が必須となる。今までベルノさんと狩りには四度行ったが、いずれも外ではなく、第一門の内側、即ち、人による盗難はあれど、イーターが襲ってくるような環境ではないそんな場所でしか野営をしたことが無い。
そんな某にとって親方の指導はありがたい以外の何物でもなかった。
結果として某は親方の家に保管してあった野営セットの中で使えるものを借りたり、簡単な寝床の設営方法を日が完全に暮れるまで教えてもらった。
某は親方の指導が終わった後、ミルの寝ている場所に案内してもらった。
「スー......スー」
ミルは寝息を立てて眠っている。どんなお転婆な子でもこうして眠っていれば可愛いものだ。元気になったらまた某におんぶをせがむのであろうなと思うと、先日より少し濃くなった幾何学模様が、服を脱がさずともうっすらと分かるようになってきているのに心が痛む。
――ミル、某、必ず薬を持って参る故もうしばらくの我慢でござるぞ――
某はミルの手を、起こさないように優しく握りながら思う。それがミルに伝わったのかどうかは分からないが優しく某の手を握り返してくれた気がした。
そんなこんなで、結局、帰るころには空の色は地平線以外黒く染まり、月が見え始めていた。
「あら、いらっしゃい。本当は送ってあげたいのですが......気をつけて帰るのですよ?」
家の外に出たところで、某はサリーさんと出会った。色々買いだめをして丁度家に帰って来たところであったらしく、沢山の包みを抱えていた。加えて、夜闇でそこまではっきりと見えたわけではないが、サリーさんは少し疲れているようにも見えた。それでも、サリーさんを手伝うことは出来ない。某が今やるべきことは特効薬の完成を一分一秒でも早めて、製材所を元の形に戻すことである故。
「お心遣い感謝するでござる」
某は、サリーさんにそれだけ伝えると、月明かりを頼りに貧民街に向けて走った。この都市には灯りの類が無い。無論、親方のような例外はあるが、夜は月明かりのみしか頼りにできない程の真っ暗闇になる。勿論、油を燃やすことで一時的な灯りにはなるが、低賃金が基本のこの都市では夜の灯りとする為の油にお金を使うくらいならば、生活用品や食料品を買うもしくは有事の際に貯めることになるであろう。
そんなわけで、某は満点の星々と月に見守られながら走った。前世で灯りが普及したのは十九世紀に白熱電球の点灯時間が一ヶ月以上にまで伸びてからのことであり、夜が明るい街というのが実はかなり近代的なことだったりする。
それを考えれば、今、月明かりのみが照らす平民街をただ一人で走っている。当然ではあるが、こんな時間に出歩くような者はいない。そんなわけで一人で異世界と、灯りが普及するまでの見たことのない前世の過去を独占している。そんな多幸感に酔いしれずにはいられなかった――。
――――
次の日の朝早く、某は西門へとやってきていた。某が持つ武器はベルノさんのアドバイス通り、木刀のみである。途中で壊れた時のために両腰に二本ずつの計四本。それから、武器と言えるのかは微妙なところであるが、一応鉈も持っている。加えて、背中には親方に譲ってもらった野営セットを詰めたリュックを背負っている。そして、そろそろ集合の時間かという頃――。
「やあ、アドリューン! 待たせたね」
「ぬぅえぇ!?」
何故後ろから!? 想定していなかった方向からの呼びかけに思わず、距離をとって振り返る。
「大成功と言ったところだね。驚いたかい?」
そう、某に声をかけてきたのはクローデだった。だが、まさか、某の背中側......即ち西門からクローデが出てくるとは思ってもみなかった。てっきり、平民街の方から来ると思っていたのだが。
それを読んだかのようにクローデは笑って言った。
「いやあ、ちょっと門番に知り合いが居てね。話していたら長くなってしまったんだ」
ふむ、なるほど。クローデは門番にも知り合いがいるのでござるな。やはり流石と言えるであろう。急に声をかけられたことで視界が狭まっていたが、落ち着いてみればクローデの隣にはエミィもいた。二人とも背中に某のものより一回りほど大きな荷物を背負っている。
某は一息ついて確認する。
「では、クローデ、エミィ、見たところ大丈夫であると思うでござるが、忘れ物は無いでござるか?」
「ああ、大丈夫だ。本当はもう少し持っていきたいものはあるんだけど、これ以上の荷物になると、動きが落ちるし、あまり持ちすぎて守り切れず自分の荷物を放棄するようなことになっては元も子もないからね......」
そう、クローデが言うとエミィも頷いた。二人は某よりもベテラン故に、二人が大丈夫だと言うのであれば大丈夫であろう。むしろ、某の方が足りないものが無いか心配であるが――。
足りなければ足りないで、道中で代用品を手に入れられるかどうかも冒険者として必要な力であると思い直すことにした。
「では出発するでござる!」
某はクローデとエミィにそう宣言し、西門へと向かう。西門に近づくと分かったのだが、どういうわけか門番たちがかなり緊張しており、ぴんと張り詰めた糸が切れないようにしているかのような不思議な感覚があった。
――ううむ。某、南門以外の門を通るのは初めてのことである故に実際のところは分からぬでござるが、西門とはこういうものなのであろうか?――
そんな中を某達は通ったわけだが、特に問題もなく通過することが出来た。東門であれば、某のような子供が通過すれば、様々な視線を感じたり、初めての門番の時はベルノさんが間に入ってくれねば通れない時だってあるのに。
そうは言っても、某に何故そんな違いがあるのかを検証しているような時間は無かった。
「クローデ、エミィ、無理のない範囲で急ぐが構わぬでござるか?」
「勿論」
「構わないわ」
同意の言葉を得られたことに安堵しつつ、某は走り出した。背中に荷物を背負っているとはいえ、修行中に背負うミルよりも軽く、糞尿を躱す必要のない道のりはとても楽で、クリュウ畑が高速で某の横を流れていく。
――さあ、待っているでござるよ、グリフィンハーブモドキ! 某の力存分に発揮してくれるでござる――




