第二楽章
ちょっとでもStarWarsを知ってる人は、より楽しめるかも。一話目と違って飄々とした内容になります。
気がつくと清美は仰向けに寝かされていた。白い天井、ベッドではなく床に寝かされているようだ。起きあがろうとすると、首に痛みが走り唸る。その痛みから気絶する直前の感覚を思いだす。何が起きたんだろう。悪意を持った何者かにハメられた? そう考えるのが妥当だ。ここはどこだろう? 天井がやたらと広い。絶え間なく聞こえる低くて鈍い音は自家発電機だろう。照明が点いているのはそのおかげか。辺りを見回そうとするが首の痛みで思うように行かない。浅黒い機械が部屋一杯に広がっており、機械と機械の間が申し訳程度の通路になっているようだ。町工場、そう連想した。クリーンルームのように白い壁紙と油臭そうな重機がミスマッチだ。自分はどこに寝ているんだろう、と思い敷物を確認するとそれは清美のレインコートだった。コートとグローブ、ブーツが脱がされているのに今更気づく。手足は……うん、動く。左太股に鈍い痛みを感じるが大けがではなさそうだ。首だけが痛むのはフルフェイスのメットかぶったまま転がるように吹っ飛んだのだから当然だろう。ひどいムチ打ちになっていなければいいが。エアバッグのおかげか背中が多少痛む程度で胴体に支障はない。とにかく大事には至ってなさそうだ。
「よう、気がついたかい」
男の……おっさんの声が聞こえた。
「カツオ漁の成果はどうだったい」
「マグロです」
「おお、そいつぁ大きく出たな、ハハハ」
何が可笑しいのかさっぱりわからない。首の痛みに耐えながら声の主を探した。
細身だが筋肉の張った褐色の肌、タンクトップにデニムパンツ。短髪で口ひげをたくわえているが子供のような瞳の男が清美を見据えていた。イカ釣り漁船の船長みたいだ。叩き上げの力強さがある。
「あんたこそイカ釣り漁は休みかい」
清美なりに精一杯突っ張った。
「イカか! そりゃいいや! ハハハ」
豪快に笑う。絶対海の男がお似合いだ。
「何をした!」
「ん?」
「私のバイクに何をした!」
「おいおいひでぇ言いがかりだな。俺は助けてやったんだぜ」
容易には信じちゃいけない、が。
「ここは?」
「おう、俺の工場だよ。あんた運がいいねぇ、ってか最近のスクーターはすげぇな。四方向エアバックかよ。昔の単車だったらとっくに地獄で閻魔様とご面会だ」
「私は天国にいく予定です」
「そうか! そりゃいいな! ハハハ」
なんだこの親父は。
「で、あんたは」
「だからここの工場主だって。岩田と言う。警戒してるのかい」
「当たり前です」
「うん、それも必要だな。だが安心しな、国道で派手に事故した姉ちゃんを拾ったのは俺だから」
人を野良猫のように言う。
「あ、そのバイクは!」
飛び起きようとしたが背中の痛みで悶絶する。
「全くひでぇ奴がいるな。火事場泥棒ならぬ台風ギャングだ。かすみ漁の要領で道路上に文字通り鋼線の網を張ってな、高く売れそうなバイクを釣ってついでに運転手の身ぐるみ剥ぐそうだ。生死も厭わないらしい。定置網っていう犯罪、聞いたことあるだろ。最近横行しているらしいが、見事にハマッちまったな」
とか言いつつこの親父が主犯かも知れない。
「だ、だからバイクは!」
「ほれ、お前さんの頭の方向、工場の入り口にチョンとご主人を待ってるよ。あんたタイガースファンかい」
最後の言葉は無視して、清美は首の痛みと背中の痛みと左足の痛み、つまり身体中の痛みに耐えて、ゆっくりとゆっくりとバイクに向かう。あのおっさん腕組んで見てるだけで手助けもしてくれない、絶対スパルタ親父だ。バイクに差さっているIDカードを確認し、ほっと胸をなで下ろし膝から身体が崩れ落ちる。これを無くすと生活にかなりの支障をきたす。再発行にもやたら時間がかかるらしい。
「なんだなんだ、命よりカードが大事か」
うるせえよ単細胞親父。荷物入れを開け、ディバックが手つかずであることも確認した。
バイクも無事、IDカードも取られていない、荷物を盗られた形跡もない。信用していいのだろうか。
それにしても……バイクの車体をチェックして驚いた。細かな擦り傷は仕方ないとして、へこみや歪みが全くない。フレームもしっかりしている。エンジンに損傷はないだろうか。サスペンションは。バイクの主人がこの有り様で車体が無事なんてあるのだろうか。
「バイク、全然壊れたところありませんね」
「おう、俺が直しておいたからな」
「へ?」
間の抜けた返事をする。すごい、全然事故車に見えない。
バイクを修理してくれた、キー代わりのIDカードはバイクに差さったままで荷物もある。そして私は拘束もされていない。もちろん生きている。どうやら悪意はなく、純粋に助けてくれたようだ。岩田の顔つきは悪者のそれではあるか。どうやら感謝しなければならないようだ。
「こ、これはどうも、あ、ありがとうございます」
「おう、やっと礼が言えたか。言わなかったら土砂降りの中放り出すつもりだったぜ」
「なんかもう、ほんとすいません」
「いいよいいよ、礼なんざいらねぇぜ、ハハハ」
たった今礼を言えっていったじゃん! という突っ込みはすんでのところで堪えた。
何が起きたか親父から話を聞く。
夜に地震があったが停電したくらいで被害はほとんどなく、真夜中に自家発電で『趣味の研究』を続けていたら国道から不穏な音が聞こえた。またバイクの定置網をやっている不埒な輩だろう。この豪雨の中あの事故の音を聞けたのは俺ぐらいだ(本人談)。すぐに現場に駆けつけると若い男が三人ほど集まり、バイクの周囲を取り囲んでいた。倒れた姉ちゃん放ったらかしでだぜ。ちゃっちゃとガキ共を追い散らし、バイクを立て直して年増の姉ちゃん(私らしい)を助け起こした(この時点で私はヘルメットをかぶりレインコートを着ていたから男女の区別すらつかないはずだが突っ込まないでおいた)。駆けつけたからには放っておけないし台風と地震で警察救急はてんてこ舞いで呼ぶのも難儀だ。姉ちゃんを肩に担ぎバイクを引きづりながら自分の工場へ運んだ(にわかに信じがたいがこのおっさんならやってのけるかも知れない)。取り敢えず年増の姉ちゃん(しつこい)のメットとレインコートを脱がせ四肢を適当に確認したが出血もなく大事には至ってなさそうなので(いい加減だ)、本命の楽しい楽しいバイク修理に(おい)取りかかったそうだ。
「なんかもう、命の恩人ですね」
「いやいや、そんなこたぁ気にするな」
「なんとお礼をすればいいやら」
「礼ならとっくに頂いてるよ、あんたが気絶してる間に、その身体でな」
顔から火が噴いた。手持ちの凶器は……ヘルメットを握り親父ににじりよる。
「じょじょじょ、冗談だよ。そんな打撲だらけの身体に触られて気づかないわけないだろ!衣類だっておかしなとこないだろう!」
頭ではわかっていても今の世の中あの発言は許せない。全くシーラカンスのようなセクハラ親父だ。
清美が持参したカップラーメンを二人ですする。
「ここはなんの工場なんですか」
「ネジだな」
「ネジですか」
「ああ、携帯電話の基盤ネジから人工衛星のくさびまで、なんでも造るぞ。即時受注大量生産、しかも誤差はミクロン単位だ」
へぇ。清美は素直に感心する。
「ところで岩田さんは、その、この工場の?」
「ああ、正式な自己紹介もしていなかったか」
名刺を取り出した。IDカードがこれだけ普及しても、相手の素性を確認するのはやはり名刺が一番手っ取り早い。この辺は旧態然としている。
《株式会社 岩田工業 代表 岩田哲夫 住所:川崎市××区~》
「岩田、岩田哲夫という。この工場のオーナーだ、一応な」
「本名ですか?」
「どういう意味だ」
あまりにもぴったりな名前なので驚いた。
「わたしは」
「のぐちきよみさんだろ」
「あれ? 何でわかるんですか」
「レインコートに書いてあったよ、にねんよんくみ・のぐちきよみ、ってな」
「そん、そんなの書いてありません」
危なく本気にするところだった。
「助けた直後に聞いたら呟いてたよ。記憶にないだろ」
全く覚えていない。
夜間だが自家発電だろう、照明は必要最小限に点いている。色々な重機が大小あわせて堂々と乱立している。重機は動いていたり動いてなかったり。もちろん動いていない方が多い。こんな夜中に何をしていたのだろう。
「ところで、今夜取り組んでいた趣味の研究って何ですか?」
清美の持ち込んだカップラーメンを二人ですすりながら質問する。
「聞きたいか?」
話を振っておいて聞きたくないとは言えない。残ったスープをすすりながら、
「できれば」
と、お義理で問う。
岩田はわざとらしく間を置いて言う。
「ライトセーバーをつくってるんだよ」
「はいいろいろありがとうございましたごおんはけっしてわすれませんいわたさんもおげんきでおたっしゃでわたしはさきをいそいで……」
「待った!」
岩田は真顔で清美の言葉を遮る。
「いかれたオッサンだと思ったろ」
「いへ、決してそんなことは」
「さっき国道であんたをハメた、例の三悪党を追っ払ったのがソレだ、と言えば少しは信じるかな?」
清美は絶句する。確かに真夜中の豪雨、連中は連中なりに決死の覚悟で犯行に及んだのだろう。例え途中から屈強のおっさんが現れたとしても、そうやすやすと退散するとは思えない。岩田がソレの威力で撃退した、と言われれば説得力がある。
「聞くだけ聞いてくれるか」
「ハイ」
居住まいを正す。
「まずはそもそも論から始めなければな。旧六作の原作監督を務めたあの人が亡くなってからすでに構想は練られていたと聞く。それだけエピソード七、八、九の完成度は高くしかも……」
「すいません!」
たまらず清美は制した。
「そもそも論はいいんで本筋をお願いします」
「そうか、残念だな、しかし」
「なんか誤解されているようなので補足します。私もあのシリーズは大好きです。いまや古典と言われても仕方ありませんが、観る者を圧倒する迫力と想像力があると思います。しかし」
「しかし?」
「あの武器には致命的な欠陥が幾つかあります」
「ほう」
「まず一つ」
清美は思わせぶりに人差し指を立てた。なんだか岩田のノリが移ったようだ。
「あの光の剣には鍔がありません。フェンシングのように突く武器ならともかく、あの剣は斬撃を主としています。となると同種の武器で戦う場合、剣と剣とを交差させるいわゆる〝チャンバラ〟になります。〝鍔迫り合い〟って言葉があるくらい、チャンバラには鍔が必須です。でないと交差した剣を下方へ滑らせるだけ手首、小手を簡単に傷つけられます。あの武器は斬撃用でありながら、チャンバラに全く不向きなんです」
「ふむ」
「その二」
中指を立てVサインをつくる。
「あの剣は〝諸刃の剣〟でもあります。日本刀には峰があり自分の剣で自身を傷つけることを防ぎますが、光の剣は三百六十度刃になっているので、チャンバラしているうちに自分の剣で自身を傷つけまくるのが目に見えます」
「なるほど」
「そして極めつけの、その三!」
薬指を立ててWにする。そこで清美はため息をついた。
「あんなプラズマだかレーザー光だかで物理攻撃はできません。振り回しても素通りするだけでしょう。まぁ何歩か譲って高エネルギーを蓄えたとして、対象を熱で焼くことはできてもチャンバラはできません。以上の理由から」
清美は身を乗り出した。持論を展開していくと興奮するタチだ。
「劇中のライトセーバーは欠陥だらけで、現実につくっても武器にならないのです」
「夢のねえ姉ちゃんだな」
カチン。
「まぁ論より証拠だ、姉ちゃん。実物を持ってくるよ」
岩田は立ち上がり歩き出した。
「え、もう出来上がってるんですか?」
さんざ否定した癖に小躍りしたくなるが、今の状態では身を起こすことも辛い。ハチ公のように岩田を待つことにした。
「お待たせ」
岩田はプラスチックの箱を抱えて戻ってきた。箱の中身が気になって仕方ない。
「さっき一本遣っちまったからな。充電たまってるのは二本しかないが」
岩田はツルリとした太い金属棒を取り出し、清美に渡す。
一見した感想は太い! トイレットペーパーよりは細いがその芯よりかなり太い。清美の掌は小さい方ではないがきれいに掴むことができない。なんとも中途半端だ。長さは二十五センチほどはあろうか。両手で握っても長さがかなり余り、なんとも寸胴だ。装飾はほとんどなく、配管パイプのように無骨だ。重さもずしりとくる。華麗に振り回すには苦労しそうだ。
「まぁレプリカとはいかんから落胆する気持ちはわかるが」
岩田は清美の表情から感想を読みとったようだ。
「これでもかなりダウンサイジングできたんだぞ。とにかくバッテリーが一番重く大きくなるからな」
小型精密機械を設計するのにあたって一番苦労するのがバッテリーのサイズだとは聞いたことがある。確かに映画に出てくるサイズでは、バッテリーが入る余地がない。清美がはじめてあの映画を観たときは、持ち手の超能力で光るのかと思ったくらいだ。
「これ動く、起動するんですか?」
「そこのスイッチを入れてみな」
と教えてくれた岩田はすかさず清美の横に退く。スイッチらしきものに触れると金属棒の先端から細い針金のようなものがスコンと飛び出し、金属棒の先端から針金の先までが震えるように電撃音を鳴らして力強く発光した。思った以上に太い輝きだ。
「で、出た」
清美は目を丸くする。脇差か小太刀くらいの長さだろうか。
「青い……」
「正義の色だろ。もっとも赤く光らせる方がよっぽど困難なんだが」
軽く振り回してみるとフォン、ブォンと鳴り響く。
「音が! 音まで鳴る! そっくりだ!」
身体の痛みも忘れて飛び上がって喜ぶ。
「加速度センサーが付いててな、振り回すとスピーカーから音が鳴るんだ」
子供のオモチャかい! しかし鳴ると鳴らないでは大違いだ。清美は岩田の視線も忘れ、騎士の気分になって振り回す。何か切って、いや当ててみようかと見回していると、唐突に光が絶え芯の針金だけ残った。
「バッテリー切れだな」
「早っ!」
「まぁ五分、十分使えるようにはならないな。しかも充電は専用の機械で六時間はかかる。なかなか映画のようにはいかん」
それでも清美は興奮でしばらく振るえていた。
「でもすごい! ホントすごいですよ!」女子高生のような感想しか出来ないでいる。
「で、姉ちゃんがさっき言ってた重大な欠陥だが。チャンバラしない武器、と考えたらどうなる?」
あっ! 清美の指摘は根底から瓦解する。
「人間は、いや動物的にはかな。得体の知れない得物を振り回されると本能的にビビる。それが発光する棒なら尚更だ。一瞬のインパクトだけならナイフより強力だぞ」
清美は素直に頷く。
「しかもこれは威嚇の道具じゃない、本当に武器なんだ」
「えっ!」
「伊達に輝いちゃいない。まともに喰らったら電撃が走る。静電気より遙かに強力、スタンガンよりかなり劣る程度のな。だからさっきは俺も危ないから姉ちゃんの横に並んだわけだ。しかし絶対人を殺めたり傷をつけるほどのパワーはない。振り回して芯棒が折れたら取り替えが必要。充電も含めて、一度に一回限りだ」
ある意味防犯グッズなわけだ。段々この道具、この発明のすごさに気が高ぶってきた。年寄りの趣味なんてもんじゃない、完成したら大ヒット商品だ。
「すごいですねぇ」
清美は残った柄を見つめながら心底感心した。
しかし、と清美は思わずふっと吹き出した。
「どうした」
岩田が豪雨の闇の中このライトセーバーを振り回して不埒者を追い回す姿を思い、大笑いそうになった。
「ちなみに腕を十字に組んで光を放つという……」
「スペシウム光線な。あれは俺には無理。整形外科の範疇だ」
検討はしたらしい。
「ただいまー」
工場の、おそらく裏口であろう方向から若い男の声が聞こえた。
「いやー、もうまいったよ。この真夜中に雨んなかドラッグストア探すの大変でさー。街中走り回ったよ。停電もまだ復旧してないし、自家発電があって深夜営業しているストアを探せただけラッキーだよもー。取り敢えず痛み止めと湿布薬わんさか買っといたから。全くシンドい思いするのはいつも僕だしよー。ってあれ? もう仲良くなっちゃってるの? これだもんなー」
「息子だ」
岩田はわざと関心なさげに、声の方を見向きもせずに言った。
「こんばんはー、あーもうすぐおはようかな。のぐちさんでしょ。漁村の娘でタイガースファン? 僕は岩田の息子で良平といいます。全く災難だったねぇ。僕が事故の音に気づかなきゃ死んでたかもね。親父ひでぇんだぜ、助けにいこうって言ったら放っとけとか言うし。悪党追っ払うっておいしいことは自分でやって、のぐちさん背負う役目は僕にやらせて自分はバイク引きずるだけ。買い出しも僕にやらせてさぁ。……あれ、また僕の作ったライトセーバー見せびらかしてんの? 勘弁してよ充電にエラい時間かかるんだから」
清美は横目で岩田を睨んだ。ウソつき親父は涼しい顔をしている。
「野口清美です。この度はほんとにありがとうございました。貴方が本当の命の恩人ですね」
本当の、に力を入れて挨拶した。
「岩田良平です。よろしく」
良平が右手を差し出したので、両手で丁寧に握手する。良平はボサボサの長髪に黒縁めがね、一九〇センチはあろうかという長身だが、人の良い純朴とした研究者然としている。
「あの、バイクを直してくれたのは」
「それは俺だ」
「うん、それは親父。そこだけは本当」
機嫌を損ねさせるのも悪いので、もう一度お礼を言っておいた。
「で、買い物は済ませたのか」
「うん、必要最小限のものは揃えたよ。のぐちさん痛みは? 出血らしき箇所はなかったようだけど」
「止まってジンジン、動くとズキンの筋肉痛、いや打撲ですね」
「うん、市販のだけど、食事をしてから痛み止めを飲んでおこう」
「あ、さっきカップラーメン食べましたから、すぐ飲めます」
「そう、親父、水くんできてあげて。特に痛む箇所は?」
「首と背中と左足。特に首が辛いです」
「むち打ちのおそれがあるね。早めに病院行った方がいいんだけど。湿布薬はわんさか買ってきたから、傷むところに徹底的に貼っておこう。冷やすタイプと温めるタイプがあるけど」
「冷やしたい感じです」
「良かった、そこが一番悩んだんだけど、薬局の薬剤師さんに相談して冷える方を多めに買っておいたんだ」
「あの、良平さんはお医者さんですか」
「え? 僕が? まさか」良平はけたけたと笑う。
「株式会社岩田工業の一従業員だよ。医者だったらとっくに特別ベットを用意して入院させてるよ」
しかし聡明で知的で頭の回転がすこぶる速い。親父は裸一貫で工場を築きあげ、息子は理工系の大学へ通いエリートコースも夢ではなかったが工場の次期社長に収まる腹を括った、って感じだろう。清美は岩田親子の関係を勝手に想像する。
「親父ありがと。飲み過ぎると却って具合悪くなるから、用法用量を守ってね」
可愛いアドバイスをされ、清美はいわれた通り薬の服用量を確認して飲んだ。
「さて湿布は」
ここで三人に気まずい沈黙が降りた。
「手の届く場所は自分で貼りますから、背中をお願いします」
いまさら恥ずかしがっている歳でも場合でもない。素直にお願いした。
「よし、俺が貼ってやろう」
久しぶりにしゃべったかと思えばこの親父は。
背中に痛みを感じながら、清美はゆっくりゆっくりと自分で背中の服をまくる。まくるのに手を貸してくれるとずいぶん助かるのだが。本当にいい意味で口だけ、なのだろう。
「ほほう、白魚のような肌だな」
「ウロコ人間ですか!」
なんだか怒る気力も失せてくる。良平は湿布薬の包みを開けながらけたけた笑っている。
考えてみればこんなにわいわい人と喋りあうのは本当に久し振りだ。ずいぶん長い間、他人は敵、身構えるものとして生活してきたが、このひと時はまるで継母と一緒に暮らしていた頃のようだ。鼻が奥がツンとしてきた。継母にいう。ごめんなさい。あなたが愛は一生忘れません。実母に言う。命を犠牲にして私を産んでくれてありがとう。まだ出来損ないだけど、あなたが誇れる人間になりたいです。
「くっ」
痛がる振りをして誤魔化す。
「あ、ごめん。力強すぎたか」
「いえ、大丈夫です。そのまま筋のスジに、徹底的にお願いします」
本当に背中は湿布だらけになった。あとは重機の陰を借りて太股、わき腹、二の腕と、突ついて痛いところは貼りまくった。首の付け根はマフラーのようにがっちり貼った。良平が、気休めにしかならないだろうけどと言いながら首回りを包帯できつめに巻いてくれた。よくもまあこんな大量に買ってきてくれた、感謝し尽くせない。薬代その他の代金は、と切り出したら野暮なこというなと岩田に怒られた。
「お礼をしたいなら、この先困った人を助けてあげなさい」
岩田がしたり顔で言う。
よくもまあぬけぬけとそんな台詞を言えたもんだ、と思ったはずなのにボロリと涙がこぼれてきた。こうなったら止まらない。嗚咽まで漏れてきた。張り詰めた気持ちが一気に緩んだようだ。
「え? あれ? なんで泣くの?」
「あーあ、親父が女の子なーかした。いい歳こいてなーかした」
清美は半分笑いながら岩田の胸の中で泣いた。岩田は困ったように、清美の肩を優しく掴んでくれていた。
「んで」
清美が落ち着くのを見計らい、岩田は咳払いをして言った。
「ところで肝心要の話だが、姉ちゃんどこから来てどこへ向かってたんだ?」
もっともな質問。いままでその話にならなかったのが不思議だ。岩田のペースに乗せられたのが大きな原因と思うが。
清美は地震に遭遇してからアパートを出るまでの話を、特にアパートの隣室の不気味さ気味悪さ加減を若干大げさにして説明した。身体中が湿布くさくてむせかえりそうになる。
「そうか、姉ちゃんいい身体してそうだもんなぁ」
「見たんですか」
「してそうだ、と言ってる」
話題は自然、今夜、いや昨夜の地震の話になる。
「台風はともかく、地震は都市機能が麻痺するほどではなかったよな」
良平が清美のカップラーメンをすすりながら呟く。ぬり壁巡査の言葉を思い出す、大した地震じゃなかった。
「ん、十年くらい前だったかな、あの東南海沖地震に比べれば、ちょっとした余震みたいなもんだ」
「私はTSUNAMIの映像がトラウマになりました、今でも海辺は怖いです」
「あの時の犠牲者も酷いものだった。十数年でよくもあそこまで復興したよ」
岩田は冷蔵庫から取り出したビールを飲みつつ、感慨深げに言う。
「姉ちゃんは東南海のとき何処にいた?」
「目黒の実家です。ものすごく揺れたということは覚えてますが、昨夜と比べてどうかと問われると何ともいえませんね」
「あの地震はここも大揺れだったんだよ。あの超弩級重機がひっくり返ったんだ。震源が遥か紀伊半島沖にもかかわらず、だよ」
「お前はまだ学生だったな。俺はもう工場続けられないと青くなったり嘆いたりしたよ」
「今回の地震で私の部屋はめちゃくちゃになりましたよ」
「でも姉ちゃんは生きているし、アパートも倒壊しなかったろ」
「近所や道すがらの街並みはどうだったかな」
「部屋で体感した恐怖に比べると、拍子抜けするほど被害は少なく見えました。地域によってとてもむらがあるような、不思議な気分でした」
「だろう? 今回は無駄に大げさなんだよ。特にあの停電はあり得ない。停電は台風の影響じゃないかな」
「それだったら数十分で復旧するだろう。十何時間も止まるはずはない」
「コンビニはかなり混乱していたし、国道では検問もやってました。それと帰宅難民の群衆が凄かったです」
「検問か。まあ当然と言えば当然かな」
わかっているのかいないのか、岩田はビールをあおる。
「帰宅不能者にしても、地震より停電が事態を混乱させる要因になってるよね」
良平は、停電あり得ない説を強く推す。
「台風に対しても地震に対しても、そんなやわな国じゃないのに。電気だけが長時間止まるのはおかしい」
「それにこの国のお家芸、そう」という岩田のかけ声で三人は口を揃えて言う。
『EEWが鳴らなかった』見事なハーモニーだ。
良平が言葉を継ぐ。
「これも明らかにおかしい。昔に比べると格段に精度が上がってるし、東南海沖地震の時もあの警報で命を拾った人がたくさんいたって言われてるよね」
うーむ。清美は腕を組んで考え込む。中規模地震、大規模停電、そして鳴らないEEW。この三つは何を表しているのだろう。父なら何かを把握しているだろうか。
「あっ」
思いがけず清美は声を発した。
「どした?」
「私の部屋では、中規模地震で停電しました。その時は大した被害もなく、体感で震度四くらいでした。その後かなり大きな揺れが起きて私の部屋はめちゃめちゃになったんですけれど」
岩田親子は顔を見合わせる。
「そういえば第二震の方が大きかった」良平がいう。
「確かにな、俺の知る限り大規模地震は一発目が最大で、それ以降は中規模の余震が続くよな」
「付け加えると今回はその二回の揺れ以降、余震らしきものは全く起きていないね」
「んー」
『これは一体どういうことだろう』
と言わんばかりに三人は腕を組んで首をかしげた。
「ちょっと失礼します」
清美は思い出したように一七一にダイヤルした。意外なことに父からのメッセージが入っていた。
「俺だ、メッセージは聞いた、今川崎か? 大至急こっちに来い」
メッセージの内容以前に父が無事であることに安堵した。場所が判るのはGPSを内蔵したケータイのおかげだろう。普段はうっとうしいが、こんなときはとても助かる。一刻も早く発ちたい。清美の意向を告げると、
「でももうこの時間から新宿に向かうのは危ないな、身体も痛めてるし、体力も削れてるでしょ」
良平が至極もっともなことを言う。
「姉ちゃん、早くお父さんに会いたい気持ちはわかるけど、今日はここで泊まっていきな。布団は降ろしてきてやるから。部屋に案内されるより気楽だろ」
どうやら岩田親子の住まいはこの工場の二階らしい。岩田の提案はとても有り難かった。確かにこれからバイクを駆る力はなく、身体の痛みもしばらくは引きそうもない。また別の部屋に移るより、居慣れてきたこの工場の方がリラックスできそうだ。ここまで迷惑かけたのだから、最後まで甘えてしまおう。
「よろしくお願いします」
清美はぺこりとお辞儀した。
布団は良平が降ろしてきてくれた。彼が運ぶと子供用に見えてしまう。
「ところでその、迷惑ついで、甘えついで、なんですけど……」
清美はわざとらしくもじもじしながら話を切り出す。
「あー、ライトセーバーね。親父が見せびらかしたんでしょ。あんなの見せられたら欲しくなっちゃうよねぇ。珍客が来る度に披露するんだから。しかも僕じゃなく自分の手柄みたいにさ」
良平はすぐに察してくれた。本当に頭の回転の速い人だ。珍客清美は恥ずかしげに頭をかく。
「プロトタイプは三個残ってたけど一個は親父が賊を追い払うとき使っちゃったでしょ。あと僕のいない間に一個無駄に使ったでしょ。だから満充電してあるのは残り一個だけど、それでいい?」
「ありがとうございます、ありがとうございます」
「親父から聞いたと思うけど、あんまり当てにならないオモチャだよ」
「とんでもないです。後生大事に使います」
「いや一回しか使えないけどね。親父が披露したときはどんだけ持ったかしらないけど、大体一〇秒から三〇秒を目安にして」
「意外とアバウトですね」
「プロトタイプだから、個体差あるしね。重いしゴツいから気をつけて。ぶっちゃけ本体の方が余程武器に適してるよね。あと感電しても責任は取りません。まぁ死んだり怪我したりすることはないよ」
良平はけたけたと笑った。
重くてゴツい光の剣、今使える最後の一個を良平から受け取る。他人が見たら半端な配管パイプにしか見えないだろうが清美にはとっておきのお守りで宝物だ。
時刻は四時をとっくに過ぎていた。明日、いや今日のためにもいい加減寝ておいた方がいい。
「それじゃ、俺たちは上に上がるから。照明スイッチの場所は教えたよな。トイレはあっちだから。なあに、日が明ければ送電も復旧してるさ。良平が夜這いに来たらぶった斬っちゃいな、おやすみ」
「親父に言われたくないよ。それじゃ、おやすみ」
「おやすみなさい」
清美は満面の笑みで手を振った。人に手を振るのも久しぶりだ、としみじみ思う。
頂いた大切な宝物を長い間長い間胸に抱きしめ、温もりを身体に充満させてから照明を切った。
寝る前に一七一にダイヤルする。
「清美です、川崎で泊めてもらい、明日発ちます。昼には着きます」
取り敢えず無事であることが伝わればいい。目をつむり脱力すると一気に睡魔がやってきた。
いよいよ話は核心へ。三話目は2/5 12:00掲載予定。